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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年10月31日

長野原の皆さん、どうしちゃったの!

 読売新聞群馬版のシリーズ「八ッ場ダムを問う」の8人目は、おなじみの
脱ダム宣言の祖である新党日本代表、田中康夫さん。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1256135252318_02/news/20091030-OYT8T01351.h

 私の心に飛び込んできたのは、次の末尾の設問とそれへの打開策的返答だ。
 
 ――57年も翻弄された住民に対しての対応は。
 付け替え道路は今の計画を早期に完成させると同時に、もう一度、現地を緑の谷に再生する新しい公共事業に転換する必要がある。前原さんは中止と言う前に、「日本の治水はこう変える。その中で、今動いている部分はこうなるから協力して下さい」と示さねばならなかった。私の経験を踏まえれば、役人任せにせず、自ら司会をして、車座集会を幾度も開く熱意がなければ脱ダムは達成されない。

 
 その最末尾の、「役人任せにせず、自ら司会をして、車座集会を幾度も開く熱意がなければ脱ダムは達成されない」というくだりだ。
 というのは、私はかねがね、民主党筋の方たちから問われると、《町の呼びかけでは出にくい雰囲気がある。番外編として「誰でも参加自由」的枠組み編成は、できないものか。 もしくは、時間的に不可能かもしれないけれど、個別に住民の戸口を叩いて戴ければ、町側の主張する意見と異なっていることは、すでに私の足で確認してありますので》的なことを伝えてきた経過があった。
  
  さらに、 
――前原国土交通相の手法はどうか。
 「河川とは何か」を大本から見直して、ダム建設よりも護岸補強や森林整備、危険地域の家屋移転などの方がはるかに地域雇用が増えると説明した上で、ダムによらない治水・利水の在り方を示す必要があった。ところが「マニフェストに載せたのだから止めます」と「上から目線」で言ったのだから、地域は混乱するに決まっている。
  


        ここに住んでいねぇモンに、わかるか!!

 ここの処、日一日と現地の空気はきつくなっているのが、身にしみてわかるのだが……
 実は仮にも、この「上から目線」でものを言ってはならないことを強く自戒してきたつもりだ。どこまで行っても部外者なのだから、その立場を考慮して、遠慮がちに記したことまでもが、なぜか曲解されてしまったらしい。
 むしろ、立場は違えても、一脈相通じて、「生きる」ということにおいても同志的なひびきあいを感じていた方であったがゆえに、ことさら寂しい。
  多くの要素が内在しているので、詳しく記してみたい気持ちもあるが、かえって傷口を広げてしまう作用もあるので……ためらう。
 ともかく、水没地の方たちと、ダム反対賛成の立場を超えて、かつては会話が通じあい、極めて良識的な思考回路をお持ちであった方たちまで、どういうわけか、変わられてしまったのを感じる。
 過日も良かれと思って、一目散に申し上げたことに対して、おどろくような曲解解釈の言葉を吐かれ、たじろぐと共にビックリせざるを得なくなっているのだ。どうして、あれほど沈着冷静、豊かな思考力だった方までか、これしきのことの筋道が定かでなくなってしまったのか……と。
 差後には、「この気持ちが、よその村のモンに判るか」といわれる。
 
 その中の一つの体験を、つい先日までは、前出の方よりもまた一段と近しいご縁だった、別の現地の方に相談すると、つい先頃まで、相づちをうってくださっていて、またこの方の示唆的なこともあった事柄だったのに、「だってそうでしょ」と同意を求めると、「う~ん」と言った後に、「そりゃ、そう言われるに決まってるさ」と見事に豹変されてしまわれたのだ。この方とそのことについて話をしたのは複数回を数える。
 おもわず、「だって、この間、〇〇さんだって、そういうふうにおっしゃってくれていたじゃないですか」とくいさがってしまった。  すると、「要するに深入りしたことは、何も言わないことだよ」とかわされるのだ。
 「よほど、お立場上、今回のことで追い込まれてしまっているんでしょうかね」と問うと、「誰も追い詰められちゃいねぇよ」と言われて、「だって、ひどすぎるじゃねぇ。何が友愛だよ」と、ひとしきり鳩山・前原ラインの悪口を繰り出される。
 立つ場所が異なると、一つ一つの受け止め方が、かくも異なってくるものかと、思いつつ聴いていた。中身がないと評される鳩山演説は、私にはしらじらしい約束事よりも、ずっと大きな精神力として迫る“新時代の希望の響き”として、とらえられた。
 そして、「昔のように、最後まで闘う」とのご意思であるという。
 不毛の闘いであり、昔の反対闘争とは違う。こには正義がないし、武器もない。
 どこまで゜いっても不毛なのだ。
 思わず「生活再建が遠のくだけじゃないですか」とまた、こらえきれずに余分ごとを言ってしまった。
 
 なお、民主党筋に伺うと、選挙前に川原湯温泉街に打診に実際に行った際、「ダムはどちらでも良い。生活再建さえ、しっかりしてくれるなら」という意見に接して、安心してことを断行してしまったようである。
 ところが、選挙後は、一変。
 報道番組に登場された方たちの、強い怒りのセリフに困惑されていた。
 おそらく、よもや、政変が起きるとは思わずのきれい語であったとしか思えないのだが……
 事実、ある報道番組の中で、私も同種の言葉を聴いている。
 同じ番組の中で、この方はある団体との前夜の懇談会の後片づけをしながら「もう、市民運動の皆さんには騙されない」的なことも語っていた。また、昨年暮れ、県庁でのイベントの際、私も直に聞いている。
 その気配を如実に感じて、昨年の春頃に、ダム問題の会報に思わず、「市民運動と地元とは、乖離しすぎている。修復をはかって置かないと、ダム中止になっても禍根を残しかねない」と憂えた拙文を寄せた次第だ。
 (※本当のことを書きすぎたためか、行動面と性格が悪いためか、この後、私への反撃は強まり、昨夏の弁護団会議などにおいては、いわく言い難い空気に接した。出席拒否的な言動にあい、その裏にはあろうことか、“国交省のスパイ”呼ばりまでされていたらしい。幸いにして地元弁護士さんの配慮とさすがにあきり果てたいく人か方々によって救われたが)
 断じて、言わせて頂くが、私はいかなる時も「ダム反対」の立場は鮮明に告げている。
 そのうえで現地に出入りして、交流を深めさせていただいてきた。従って、ダム推進の役員の皆さんのところにも少なからず、お邪魔させて頂いてきた。話し合えば互いに判る。そのうえで「また、来ない」ということになってきた。
 百歩ゆずろう。「人を見る目がない」と言われれば仕方ないが、八ッ場の皆さんから、私から情報をとろうなんて、さもしい気持ちは感じられない。
 五年前、「八ツ場に出入りしすぎて、現地の方たちを刺激しかねない」とかの表向きの理由にて、発会時からのメンバーであるにも関わらず、私が、群馬の市民運動から干されていることは、先刻、皆さんご承知である。


 残念だけれど、この方も、先の態度を変えられた方に近いご意見の持主であったということになるのだろうか。
 でも、私はこの二方のご紹介には、「人物ですよ」と申し上げ続けてきた。
 電話の向こうで、奥さんが「村の外のモンにいくら言ったってムダだから、はぁ止めな止めな」と声をとがらせて言っているのが聞こえる。
 「まぁ、これ以上、お話していると、仲たがいになりますからね。私、〇〇さんとケンカしたくないから」と言って、受話器をおかざるを得なかった。
 皆さん、極めて、日頃は論理的な思考過程の持主であった方たちである。
 誤解を受け、筋道が通じなくなってしまっているのが、極めてさみしい。
 もはや打開策はないものかと思い、気落ちした。
 
     
      長い不毛の時を、またも繰り返すのか     
 そして、目下、闘争の年譜を丹念に繰る作業に追われている。
 八ッ場では、皆さんがいきどうるに足る、多くの時間が費やされて、いたづらに流れてきたことはまぎれもない事実だ。
 日々、国と条件付き賛成派の暗躍によって、狭められてきたダム反対派の皆さんの無念さが、読み取れ行間から立ち上がってくる。
 今回はダム中止への「反対運動」と変容していて、なんとも紛らわしくてならないが、皆さんの怒りがおさまらなければ、また、果てしなく不毛極まりない長い時を費やされるというのか。
 年表の闘争の日々を目で追いながら、ため息がつきない。
 誰か、よりよい終息過程に導ける、スーパーマン的なヒーローはいないのか!!  


Posted by やんばちゃん at 18:21Comments(2)八ッ場に願う