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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年10月31日

長野原の皆さん、どうしちゃったの!

 読売新聞群馬版のシリーズ「八ッ場ダムを問う」の8人目は、おなじみの
脱ダム宣言の祖である新党日本代表、田中康夫さん。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1256135252318_02/news/20091030-OYT8T01351.h

 私の心に飛び込んできたのは、次の末尾の設問とそれへの打開策的返答だ。
 
 ――57年も翻弄された住民に対しての対応は。
 付け替え道路は今の計画を早期に完成させると同時に、もう一度、現地を緑の谷に再生する新しい公共事業に転換する必要がある。前原さんは中止と言う前に、「日本の治水はこう変える。その中で、今動いている部分はこうなるから協力して下さい」と示さねばならなかった。私の経験を踏まえれば、役人任せにせず、自ら司会をして、車座集会を幾度も開く熱意がなければ脱ダムは達成されない。

 
 その最末尾の、「役人任せにせず、自ら司会をして、車座集会を幾度も開く熱意がなければ脱ダムは達成されない」というくだりだ。
 というのは、私はかねがね、民主党筋の方たちから問われると、《町の呼びかけでは出にくい雰囲気がある。番外編として「誰でも参加自由」的枠組み編成は、できないものか。 もしくは、時間的に不可能かもしれないけれど、個別に住民の戸口を叩いて戴ければ、町側の主張する意見と異なっていることは、すでに私の足で確認してありますので》的なことを伝えてきた経過があった。
  
  さらに、 
――前原国土交通相の手法はどうか。
 「河川とは何か」を大本から見直して、ダム建設よりも護岸補強や森林整備、危険地域の家屋移転などの方がはるかに地域雇用が増えると説明した上で、ダムによらない治水・利水の在り方を示す必要があった。ところが「マニフェストに載せたのだから止めます」と「上から目線」で言ったのだから、地域は混乱するに決まっている。
  


        ここに住んでいねぇモンに、わかるか!!

 ここの処、日一日と現地の空気はきつくなっているのが、身にしみてわかるのだが……
 実は仮にも、この「上から目線」でものを言ってはならないことを強く自戒してきたつもりだ。どこまで行っても部外者なのだから、その立場を考慮して、遠慮がちに記したことまでもが、なぜか曲解されてしまったらしい。
 むしろ、立場は違えても、一脈相通じて、「生きる」ということにおいても同志的なひびきあいを感じていた方であったがゆえに、ことさら寂しい。
  多くの要素が内在しているので、詳しく記してみたい気持ちもあるが、かえって傷口を広げてしまう作用もあるので……ためらう。
 ともかく、水没地の方たちと、ダム反対賛成の立場を超えて、かつては会話が通じあい、極めて良識的な思考回路をお持ちであった方たちまで、どういうわけか、変わられてしまったのを感じる。
 過日も良かれと思って、一目散に申し上げたことに対して、おどろくような曲解解釈の言葉を吐かれ、たじろぐと共にビックリせざるを得なくなっているのだ。どうして、あれほど沈着冷静、豊かな思考力だった方までか、これしきのことの筋道が定かでなくなってしまったのか……と。
 差後には、「この気持ちが、よその村のモンに判るか」といわれる。
 
 その中の一つの体験を、つい先日までは、前出の方よりもまた一段と近しいご縁だった、別の現地の方に相談すると、つい先頃まで、相づちをうってくださっていて、またこの方の示唆的なこともあった事柄だったのに、「だってそうでしょ」と同意を求めると、「う~ん」と言った後に、「そりゃ、そう言われるに決まってるさ」と見事に豹変されてしまわれたのだ。この方とそのことについて話をしたのは複数回を数える。
 おもわず、「だって、この間、〇〇さんだって、そういうふうにおっしゃってくれていたじゃないですか」とくいさがってしまった。  すると、「要するに深入りしたことは、何も言わないことだよ」とかわされるのだ。
 「よほど、お立場上、今回のことで追い込まれてしまっているんでしょうかね」と問うと、「誰も追い詰められちゃいねぇよ」と言われて、「だって、ひどすぎるじゃねぇ。何が友愛だよ」と、ひとしきり鳩山・前原ラインの悪口を繰り出される。
 立つ場所が異なると、一つ一つの受け止め方が、かくも異なってくるものかと、思いつつ聴いていた。中身がないと評される鳩山演説は、私にはしらじらしい約束事よりも、ずっと大きな精神力として迫る“新時代の希望の響き”として、とらえられた。
 そして、「昔のように、最後まで闘う」とのご意思であるという。
 不毛の闘いであり、昔の反対闘争とは違う。こには正義がないし、武器もない。
 どこまで゜いっても不毛なのだ。
 思わず「生活再建が遠のくだけじゃないですか」とまた、こらえきれずに余分ごとを言ってしまった。
 
 なお、民主党筋に伺うと、選挙前に川原湯温泉街に打診に実際に行った際、「ダムはどちらでも良い。生活再建さえ、しっかりしてくれるなら」という意見に接して、安心してことを断行してしまったようである。
 ところが、選挙後は、一変。
 報道番組に登場された方たちの、強い怒りのセリフに困惑されていた。
 おそらく、よもや、政変が起きるとは思わずのきれい語であったとしか思えないのだが……
 事実、ある報道番組の中で、私も同種の言葉を聴いている。
 同じ番組の中で、この方はある団体との前夜の懇談会の後片づけをしながら「もう、市民運動の皆さんには騙されない」的なことも語っていた。また、昨年暮れ、県庁でのイベントの際、私も直に聞いている。
 その気配を如実に感じて、昨年の春頃に、ダム問題の会報に思わず、「市民運動と地元とは、乖離しすぎている。修復をはかって置かないと、ダム中止になっても禍根を残しかねない」と憂えた拙文を寄せた次第だ。
 (※本当のことを書きすぎたためか、行動面と性格が悪いためか、この後、私への反撃は強まり、昨夏の弁護団会議などにおいては、いわく言い難い空気に接した。出席拒否的な言動にあい、その裏にはあろうことか、“国交省のスパイ”呼ばりまでされていたらしい。幸いにして地元弁護士さんの配慮とさすがにあきり果てたいく人か方々によって救われたが)
 断じて、言わせて頂くが、私はいかなる時も「ダム反対」の立場は鮮明に告げている。
 そのうえで現地に出入りして、交流を深めさせていただいてきた。従って、ダム推進の役員の皆さんのところにも少なからず、お邪魔させて頂いてきた。話し合えば互いに判る。そのうえで「また、来ない」ということになってきた。
 百歩ゆずろう。「人を見る目がない」と言われれば仕方ないが、八ッ場の皆さんから、私から情報をとろうなんて、さもしい気持ちは感じられない。
 五年前、「八ツ場に出入りしすぎて、現地の方たちを刺激しかねない」とかの表向きの理由にて、発会時からのメンバーであるにも関わらず、私が、群馬の市民運動から干されていることは、先刻、皆さんご承知である。


 残念だけれど、この方も、先の態度を変えられた方に近いご意見の持主であったということになるのだろうか。
 でも、私はこの二方のご紹介には、「人物ですよ」と申し上げ続けてきた。
 電話の向こうで、奥さんが「村の外のモンにいくら言ったってムダだから、はぁ止めな止めな」と声をとがらせて言っているのが聞こえる。
 「まぁ、これ以上、お話していると、仲たがいになりますからね。私、〇〇さんとケンカしたくないから」と言って、受話器をおかざるを得なかった。
 皆さん、極めて、日頃は論理的な思考過程の持主であった方たちである。
 誤解を受け、筋道が通じなくなってしまっているのが、極めてさみしい。
 もはや打開策はないものかと思い、気落ちした。
 
     
      長い不毛の時を、またも繰り返すのか     
 そして、目下、闘争の年譜を丹念に繰る作業に追われている。
 八ッ場では、皆さんがいきどうるに足る、多くの時間が費やされて、いたづらに流れてきたことはまぎれもない事実だ。
 日々、国と条件付き賛成派の暗躍によって、狭められてきたダム反対派の皆さんの無念さが、読み取れ行間から立ち上がってくる。
 今回はダム中止への「反対運動」と変容していて、なんとも紛らわしくてならないが、皆さんの怒りがおさまらなければ、また、果てしなく不毛極まりない長い時を費やされるというのか。
 年表の闘争の日々を目で追いながら、ため息がつきない。
 誰か、よりよい終息過程に導ける、スーパーマン的なヒーローはいないのか!!  


Posted by やんばちゃん at 18:21Comments(2)八ッ場に願う

2009年10月30日

大沢知事、?虚偽説明

 さる10/27(火)、前原大臣一行と1都5県知事との話し合いの席で、大沢群馬県知事は、ことさらに1998年( 平成10)年の5号台風の時の、利根川増水のことを説明。その光景が夕方のNHKテレビのニュースを始め、民放でも流されました。
そこで、下記の三つのご意見を総合判断して、群馬県民として、正しい認識を関係者にもって頂くように、何らかのはたらきかけをしなければ、いけないのでないかと思う次第です。
 お三人の鋭いご指摘≒まさに、、三本の矢。
 この際、その一矢でも報いたい気持ちは、私だけではないのではないのでしょうか?
  

 一、、「前橋人」さんから、当ブログへ、次の事実証言が寄せられました。
  ① 平成10年5号台風では、確かに85台の車が増水により流されていますが、死者は出ていません。
  これは、八ッ場ダム工事事務所が掲示しているコラム「関東地方を襲ったこれまでの洪水」で明らかです。
    http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/about/colnmu2.htm
  ② 関係して、(管理責任に苛まれ?)駐車場管理者が自殺するという事件はありましたが、それを指してあたかも増水によ   る死者が出たような発言は不謹慎に思いました。 
  ③そもそも河川敷駐車場は県庁・前橋市役所職員の便宜に供するために仮に提供されていたもので、「駐車場使用承認の  際及び河川敷駐車場の入り口に設置した利用案内によって、河川の増水または非常事態発生のおそれのあるときには駐   車を利用してはならない」ことを条件に使用契約されていました。
  ④ 詳細は群馬県議会平成10年9月議会の9月30日一般質問の議事録を参照して下さい。
 当時、大澤現知事は県議会議員でしたから、一連の顛末は十分承知のはずです。
 「しっかりとした検証」を訴えるのであれば、過去の被害実態を塗り替えて政治利用するのは如何なものかと疑問を
呈さずにはいられません。
         
        Posted by 前橋人 at 2009年10月29日 10:58
     

 二、また、同じく「群馬県人」さんは、
① 前橋人さんの、おっしゃる通り。
② 報道は、 利根川河川敷に駐車してあった自動車の被害を、ダム建設推進を前提とした知事の <自分勝手な  解釈と持論 を 展開していた> そんな印象を持ちました。
子どもでも、知事のいんちき主張は、見抜けるほどでした。
 (特に、死者という言葉に対して。)
③ あの場所 (利根川駐車場)は、地形的にも 無理があり、あの場所に駐車すれば、災害を受ける率が高いということは群  馬県民なら、100も承知、 そんな場所ですよね。
知事の地元 太田市にも、少々降雨があるとすぐに増水してしまうような場所が、何か所かあります。
④ その場所のパネルを持ち出し、何の関連性もないのに
ほ~ら、こんな被害があるんですよ。だから、ダムが必要なんですよ。> と 訴えているようなそんな滑稽な印象を持ちました。
Posted by 群馬県民 at 2009年10月29日 23:34


三、そして、県外の薔薇豪気さんも、「認識不足、即刻引退願った方がよい」とまで言い切って、怒っています。
       ーーー略ーーー
  ニュースの中で、群馬県の大沢知事が、台風の時の出水で、何十台も車が流されたという時の写真をパネルにして提示していましたが、あれは河川敷の駐車場で、いわば遊水池のようなもの。
 八ツ場について興味のある人なら誰でも知っている話です。
 これをどういう意図で持参したのか。もし、この写真によって前原氏及びテレビを見ている一般国民をだまそうとしたのならまだ理解できますが、本気でこの内容を信じて持って来たのなら、知事としてこの日本中で注目の大問題に対して認識不足、即刻引退願った方がよいのではないでしょうか

   皆様、群馬県人として、否、県人のみならず、見過ごしてよいものでしょうか?
  皆様のご意見を求めます。
  


Posted by やんばちゃん at 18:00Comments(4)呼びかけ

2009年10月29日

確かに大沢知事は「車も流された」と言い、写真にもあり

 
 気にはなりながら、外出。ようやく 確認しました。
 また、念のため、当日、参加されていたある方にも確認させていただきました。
 大沢知事は災害のことを2度にわたって述べてました。
 最初の一回目は、「死者も出ておりまして」のみでした。他の事例を挿入した後、再び平成10年の災害に触れ、2度目の語りの際に、一言ながら「車が流されれ」と述べていました。この部分、特に車の部分はとても聴きにくかったです。
 
  
 で、私は一回目の時の印象と2度目の聴きにくさで、「なし」としてしまった次第です。
 しかし、薔薇豪城さんは根拠がなければ書くはずもないし、寄せられたコメント「前橋人」も断言していられます。しかも、ノートには、大沢と書いて「河川敷に車を置くのが悪いのだ」とメモってあるではありませんか。大沢知事が何もいわなければ、私もこんな反応はしなかったことと思います。ちなみに森田知事の所に“役者だなぁ”とありました。
 何度も、慎重に録音テープを聴き直しました。
 下記に、(テープの巻き戻し方法が不明なので最初から聴きなおしているため限界があり、言葉はまったくの正確ではありませんが)、知事発言の概略を。

 前原大臣の説明終了後、地元知事として、質問の最初に指名された大沢知事は、まず前原さへのねぎらいの言葉、
「前原大臣に置かれましては、昨日からの国会開会、本当にお忙しい中、お越し下されて大変ありがたく、感謝もうしあげます」と述べ、質問項目にはいられました。
 ①私たち一都5県の知事は、19日、八ツ場ダムをみせていただきました。現地視察をし地元の方かだと意見交換し、その中で共同声明として、ダム中止を求めた声明を出して、大臣の方にもお届けしました。長い間、今も。ダム中止撤回をして頂いて、しっかりと治水・利水の必要性について、やはり公開の場で透明性のある議論をしていだきたいと思っております。
 
 ②あのう、やはり利根川水系全体を見て、このダム問題は考えていただかなければならない。ダムに頼らない中で、問題の解決、議論していただきたい。

 ーーここで、職員にパネルを持ち出させ、 
③「これは、昭和56(1981)年と平成10(1998)年におきまして、群馬県は非常に大きな災害が利根川におりまして、死者が出ておりまして、このような中でしっかりとした検証をしていただかないと、我々はなかなか群馬県の治水は守れない。ですのでしっかりと。
ーーーここでは、「死者のこと」は言いましたが、車が流されたことには言及されてませんでした

 ④ やはり、吾妻や長野原の方々が、ーー不鮮明ーー しかしなが、大臣の方にも、最初に「マニュフェストにあり」とご発言されましたがゆえに、まあ、失礼ですけれど、地元の方たちがかたくなになっとしまったというのは、現実であろうかと思われる。
 是非、ダムの総体を見直す中で、八ッ場ダムの現況をしっかりと見ていただきたいとおもったのです。
 
ーーーこの次でした。※ここでのパネルはその流されている写真だったかも知れませんね
 ⑤ それからこれは、平成10年に……、 八斗島における嶋津さん、よく嶋津さんは「13センチしかあがらない」といっているが、とんでもない話なんですね。これは車も流され、死者も出ているんです

 地元の方たちも 大変、心配していただいてますが、あまり長くなるのは、まぁ私は  ーー略ーーー心からお願い申しあげまして、私の質問とさせていただきます。ありがとうございました。

 ※印 パネルを作成した、群馬県河川課に伺いました。当日、持参したパネルは三枚との由。
 そのうちの一枚のパネル(朝日新聞掲載の)の4葉の写真の中で、下段左側の写真は、河川敷で車が流されている写真とのことでした。
 従って、大沢知事は車の流されることについて声も放ち、写真も援用していたことになります。 
  なお、台数については言及していないと思います。
 ※コメントをくださった「前橋人」さんが、85台と教えてくださっています。
 

 なお、28日の本欄への「前橋人」さんからのコメントを下記に転載。とても鋭利で冴えた切り口のご意見です。皆様も、コメントお寄せくださいませんか 

  コメント「前橋人」
 当該ニュース映像を視聴しましたが、大澤知事はご指摘のパネルを示しながら「(85台の)車が流され、死者まで出た」と前原大臣に訴えていました。
 平成10年5号台風では、確かに85台の車が増水により流されていますが、死者は出ていません。
  これは、八ッ場ダム工事事務所が掲示しているコラム「関東地方を襲ったこれまでの洪水」で明らかです。
    http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/about/colnmu2.htm

 関係して、(管理責任に苛まれ?)駐車場管理者が自殺するという事件はありましたが、それを指してあたかも増水による死者が出たような発言は不謹慎に思いました。 
 そもそも河川敷駐車場は県庁・前橋市役所職員の便宜に供するために仮に提供されていたもので、「駐車場使用承認の際及び河川敷駐車場の入り口に設置した利用案内によって、河川の増水または非常事態発生のおそれのあるときには駐車を利用してはならない」ことを条件に使用契約されていました。
 詳細は群馬県議会平成10年9月議会の9月30日一般質問の議事録を参照して下さい。
 当時、大澤現知事は県議会議員でしたから、一連の顛末は十分承知のはずです。
 「しっかりとした検証」を訴えるのであれば、過去の被害実態を塗り替えて政治利用するのは如何なものかと疑問を呈さずにはいられません。
         Posted by 前橋人 at 2009年10月29日 10:58
     
    


Posted by やんばちゃん at 16:14Comments(2)報告

2009年10月28日

大沢知事、二度の利根川増水をパネル説明

 
※(恐れ入りますが、末尾付記までお読みくださいますよう。調査中のことありですので) 
 昨日の前原大臣との質疑応答のやりとりの中で、各知事のトップバッターとなった大沢知事は、冒頭の総論の後、パネル説明による実例をあげて、1981(昭和56)年と1998(平成10)年9月に、利根川の水量が増してあふれだした大水の例を示しました。そして、「しっかりとした検証」をと訴えました。
 さらに八斗島における、島津見解の「13センチ」説の指摘にも触れ、「とんでもない話」と言い切りました。 
 
 (後に述べる、別掲に掲げた薔薇豪城さんのプログに関係することなのですが)、今朝の朝日新聞群馬版にも、パネル説明をしている大沢知事の写真が掲載されています。が、知事が掲げた4枚の当時の写真には、拡大鏡で見る限り、どうやら車が流される写真はないように見えます。下の二枚の写真は定かに見えないのですが……(※27日の私の席からは、右側に座った知事が正面席の前原さんに向かって掲げたパネルは見えなかっのです)。
 問題は、大沢知事の発言に、県庁職員の車の流出被害への言及部分があったかですが……。(のちほど、何らかの形で確認してみるつもりです)。
 なお確かに、11年前の災害と下記に述べます車の流されたことは、ただちに誰の頭にも結び付くことがらなのです。
 
 しかも、とりわけ1998(平成10)年災害については、度々、「もし、災害が起きたらどうする」とダム推進派が持ち出す例。
 地元民のダム推進訴えのご常連となられた星川町議の話を、4度聞きました。が、必ず、車の流されたことで、県民の頭に焼きついている11年前の大水の例を出され、「あれは、吾妻川があふれたのです。こういう程度の災害がいつあるかわからない」と話されるのです。
 なお、「吾妻川増水」の件については、過日、どの程度だったのか、私も長野原町の記憶力の良く情勢に明るい方に聞いてみました。が、それほどではなかったような感じでした。
 調べてみる必要がありますよね。
 どなたか、詳しいこと、ご存じの方、いらっしゃいませんでしょうか?

 前段階の説明が、長くなりましたが、、
 11年前の、利根川増水によって、群馬県庁裏手の利根川の河川敷駐車場、県と前橋市の職員用だったと記憶していますが、止めておいた県庁職員たちの移動しきれなかった車が流されたことがありました。
 約80台ほどだったでしょうか。
 短時間な上に、出張職員などの車は、不可抗力だったようです。
 けれど、通常は危険が予想される、危険区域の「河川敷」なのです。
 車を流されたのは、いかに許可にちかい形だったとはいえ、河川敷に車を止めた職員たちの個人責任です。確か、群馬県も「責任なし」と結論づけたと記憶しています。群馬県では以後は、駐車をかたく禁じて、今日にいたっています。職員たちは、個人で駐車場を探し、公共交通の利用度も増したものでした。
 お気の毒だったのは、担当者の方が、自殺されたことでした。あらためて、ご冥福をお祈りしたい思いです。
  
 さて、次の転転載は、県外の方ながら、車が流された11年前のことにふれてくださった、「第7官界彷徨」さんのブログです。
 実は、昨日27日付の欄を拝読。薔薇豪城さんの方が詳しいとはご推察しましたが、地元、群馬の者として、(記憶力で記すのでためらいもしますが)、会見に出た者として、アウトラインを記させて頂きました。
 (この日は、「タニガキガンバレ!」ですが、「マエハラガンバレ!」は過去に6回あります。念のため)。
 ※但し、書き進めていくうちに、末尾のような疑問点が浮上してしまった次第です。

http://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/
「第7官界彷徨」 10月27日 タニガキガンバレ
////////////////////////////////
 今日の東京新聞一面
「前原国土交通相は27日、八ツ場ダムの建設中止問題で、流域6都県の知事と前橋市で会談し、「中止の政権公約は堅持する」としながらも、同ダムの必要性を再検証する方針を伝えた。前原氏はこれまで、同ダムの再検証に否定的だった。」
 という記事が出ました。
 テレビのニュースを見ましたが、「中止の撤回」の言質をとりたかった6知事に対して、上手に回避した受け答えをしていて、ほっとしました。

 ニュースの中で、群馬県の大沢知事が、台風の時の出水で、何十台も車が流されたという時の写真をパネルにして提示していましたが、あれは河川敷の駐車場で、いわば遊水池のようなもの。
 八ツ場について興味のある人なら誰でも知っている話です。
 これをどういう意図で持参したのか。もし、この写真によって前原氏及びテレビを見ている一般国民をだまそうとしたのならまだ理解できますが、本気でこの内容を信じて持って来たのなら、知事としてこの日本中で注目の大問題に対して認識不足、即刻引退願った方がよいのではないでしょうか
 ---略ーーー
///////////////////////////////
「即刻引退」とは、かなり手厳しいご意見ですね。

※薔薇豪城様 
 いつも、お心にかけて頂いてありがとうございます。
 実は、私も同一の意見で勢いよく書き出してしまったのでしたが、書き進めているうちに、大沢知事が河川敷の車災害にも言及したかどうか定かではなくなりました。そして、趣旨がそちらの方に転嫁してしまったのです。従って、検証の必要性に迫られ、アップを一時中断。その後は論旨の再編成となってしまった次第です。
 そのことと、後ほどお断りさせて頂きますが、事前のお断りなしの転載のお赦しを。

  
  


Posted by やんばちゃん at 21:56Comments(5)報告

2009年10月27日

前原大臣、各知事と会談

 


【※2010・4/19入】

 昨日の前原大臣と知事たちの会談の感想は、不謹慎な感想をいえば、“拍子抜け”と言ったところでしょうか。
 穏やかに終了しましたし、続く知事たちの会見も、平板でした。
 痛快だったのは、会談最後で、なおも「中止に至る根拠的資料を見せて欲しいもの」と食い下がる上田知事に対して、
  「皆さん方が、論拠としている資料は、前政権が作ったもの。これの洗い直しをします」的な発言で、再検証をめざすことを明言したことでした。
  

 12時~、群馬県前橋市の新前橋駅前の「ウェルシティまえばし」(前・厚生年金会館)で開催中の関東知事会を一時、中断して、13時15分開始の、受益県である1都5県知事のみと前原大臣の会談でした。
 この日、前原さんに同行したのは、馬渕副大臣と三日月政務官。
 まず、席についた前原さんは、「ご報告にあがりながら上座に座り、申し訳ありません」と非礼を述べ、挨拶をかねた持論を展開。
  〇 9/23に大沢知事さんにお骨折り頂いて現地視察。地元の皆さんとは会えなかった。長い経緯を思うと、申し訳ない    気持ちはある。本日まで伸びてしまったことへのお詫び。
  〇 政権交代は手段であって目的ではありません。
  〇一つは税金の使い道を変えることを我々は約束させていただいた。2005年から日本の人口は減少。また高齢化など。そ の日本の置かれている現実をふまえ、税金の使い道を変えることを約束した。事業の在り方を見直すさせていただく。
  〇その一つがダム事業でございます。八ッ場と川辺川ダムの中止はマニュフェストに書かせていただいた。二つだけでなく、 補助事業も含め、143ものダム事業の見直しも進行しているわけです。
  〇 「コンクリートから人へ」を約束した。そこには、二つの大きな背景がある。
  〇 一つはダムだけで、治水はできないということ。できるだけダムに頼らない治水・利水を考えて行きたい。
  〇 二つ目は、今までの河川整備計画の基本的な考えたの見直しを行う。利根川水系の基本高水問題など。
  〇 100年に一度、200年にと言う考え方は、永遠にダムを造り続けていかなくなっている。ダムのもたらす弊害。
  〇 根本的に見直していく。
  〇 八ッ場ダム中止の基本的姿勢は堅持する。そのうえで、治水・利水の再検討を行いたい。
  〇 懸念されている代替案にはどういうものがあるかを示さなければ、承服していただけないものと思う。
  〇 新たな再検証には、徹底的な情報公開を行い、皆様方からの様々なご意見をいただきたい。
  〇 最終的な結論を出すために、知事の皆さんからのご協力もお願いしたい。  
  などです。(意訳の部分もありです)。

 この後、地元の大沢知事が発言。続いて石原、上田、森田、橋本、福田知事の順で発言。
 それに対して、前原さんが、総括した答えを繰り出し、その後、質問のある方はの問いに、知事側が挙手し、その質問に対しても、一括した返答で締めくくられました。
 
 興味惹かれたのは、石原知事が「なぜ、ダムが長期化したか」と繰り出し、それは「福田・中曽根・小渕の三総理」に関係することを述べ出し、「それほど難しすぎた」とされたことでした。(石原さんはどういうわけか、一段と声が低いのと、語尾をはっきりおっしゃらないので良く聞き取れませんでしたが)、もっと、はっきりと癒着の構造を分析し、私見を繰り出してほしかったものでした。この時、わが群馬県・大沢知事は心なし、口を尖がらせていたように私には見えましたけれど……。
 (人さまの県の一国一城の主なのですから、非礼なものいいですが)森田知事は、やはり芸能界の残痕をぬぐえていない感を、前回同様感じてしまいました。現実の千葉県の実情よりも周辺部を語り、メリハリをつけすぎる声音の高低や繰り出す“役者”的な驚嘆のセリフなどを追いすぎ、かえって違和感が漂ってしまうのではないでしょうか。この日も声を一段とあげ、抑揚をつけ「いきなりドーンとやってくるんだけはやめてほしい)旨の言葉を繰り出していました。
(エヘヘ、肝心のことを抜きにして周辺部のどうでも良いことを記すのは、本ブログと私も同じ。だから他人のこと判るのですよね。自戒します)
  
 前原さんが、各知事と言葉を交わしながら、先に退席。最も長かったのが上田知事との会話。なお、遠隔の地の私の知人はダム問題はわからないとしながらも、「上田知事というのはクセモノだねぇ。最も手ごわいよぅ」と言ってましたけれど……
 その後、席替えをし、今度は一列に並び、記者会見が行われました。
 さらに、その後は、席替え。黒っぽい背広姿の大勢の若手県職員が要員として駆り出されていました。  


Posted by やんばちゃん at 23:01Comments(0)報告

2009年10月26日

明日27日、前原大臣前橋市で開催・関東知事会で会談

 ニュース速報です。
 来る27日、1都5県の知事を含む関東知事会が、前橋市で開催されること
になっていました。
 その席に前原大臣の出席を求めており、一度は「現地住民との話し合いが
先決」と出席を拒んだ、前原大臣が出席を表明しました。なお、前原大臣は
25日に現地住民との意見交換会を22日に打診。23日に拒否されていまし
た。
 八ッ場ダム関連のサイトを検索中に、偶然、キャッチした速報です。

///////////////////////////////
10月26日20時33分配信 時事通信】 
1都5県知事と会談へ=27日に八ツ場ダム問題で-国交相
 
 八ツ場ダム(群馬県長野原町)の建設中止を表明している前原誠司国土交
通相は27日、東京都の石原慎太郎知事ら建設推進を主張する1都5県知事ら
と前橋市内で会談する。同相は中止を決めた理由や、治水・利水対策に関す
る政府の見解などについて、知事らに直接、説明する考えだ。
 同ダムの建設事業費の一部を負担している1都5県知事は、今月19日に建
設予定地を視察。その後、前原国交相に対し、中止の撤回と住民に対する生
活再建策の早期提示を求める共同声明を発表している。 

事のついでに、この間の経緯を。
 10/16(金)  前原大臣、1都5県知事に協議要請の書簡を出す

 10/19(月) ○1都5県知事、八ッ場視察、会見
           ○席上、前原大臣にも27日開催の関東知事会に同席してもらっ
           たらどうかの意見出る。

 10/21(水)  川内博史・衆議院国土交通委員長(民主党)、現地視察。
           前夜、長野原町入り。午前中、長野原、東吾妻両町長とそれぞ 
          れ会談。26日からの臨時国会に参考人として招致の意向を伝え
          た。また、ダム広報施設「やんば館」で国交省八ッ場ダム工事事
          務所職員から説明を受け、同館の展示がダムの必要性を訴える
          内容であることを指摘。馬淵国交副大臣に電話で改善を要請。
          午後は、埼玉・群馬の県会議員や市民運動の案内で、品木ダム
          なとを見学。地元紙の報道によれば、地元住民には知らせず、市
          民運動に案内させたことが、その夜の現地会議で反発を招いた。

 10/22(木) ○ 三日月大造・国交省政務官が、群馬県に25日に長野原町住民
           との意見交換会を打診。
          ○「やんば館」の展示問題について、国交省は展示物を撤去し始め
           た。       

 10/23(金) ○三日月大造・国交政務官は「やんば館」展示問題について、急な内
          容変更で地元感情を刺激することを避けるため、「当面、現状のまま
          にする」との指示。パネルは元に戻され、展示されている。
   〃     ○前原大臣、記者会見で、関東知事会出席の可能性について、地元
          住民との対話を最優先する考えを示す。
   〃     ○群馬県、長野原町に前原大臣からの意見交換会の件を伝える。
   〃     ○同日夜、住民代表は町役場で対応を協議。「時間なし」として拒否を
           決定。     
          ○三日月政務官は「新たな枠組みで、治水、利水、環境面からも八ッ場
           ダムを再検証したい」と述べたという。
  
 現在、ダム建設を求める推進議連(代表:萩原昭朗前補償交渉委員長)が、
さる9/10の決議に基づき、町内会を通じて、強力な署名活動を展開しています。
 水没地はもとより、長野原町一円。また、周辺町村にも拡げられています。  


Posted by やんばちゃん at 21:26Comments(2)紹介

2009年10月26日

成瀬ダムの皆さん、ありがとう。

 秋田県の成瀬ダムであった水源開発問題全国連絡会、略して水源連総会から帰ってきました。
 「成瀬ダムをストップさせる会」(代表 奥州光吉)のスタッフの皆さんのたっぷりの“おもてなしの心”に心打たれた、感動ものの旅でした。
 
        現地スタッフの見事な“おもてなしの心” 
 例えば、夜の懇親会の席に、地元のスタッフの方が、ご自分の水田近くのドジョウを煮てもって来てくださったのです。数に限りがあると思って、遠慮して一匹、頂戴。
 少なくとも40年以上もの時を経て味わう、しっかりとした歯ごたえのある、今でも食感が口元に上りくるお味でした。
 お礼を兼ねて、「いいですね。こういう自然が残っているなんて」とご本人に申し上げますと、ウジャウジャいるとか、おっしゃっていられました。でも、この方のお人柄の良さが言わせるセリフで、おそら、現地でも、もう希少価値になられていることと拝察していますが……

 思い出せば、子供の頃はわが家の田んぼ近くのせせらぎでも採れて、農村部の子供たちには、それが大の楽しみだったのです。竹製しょうぎを差し込んで足で追い込むのですが、足裏に伝わるドジョウがうごめくくすぐったさは、今でも鮮やかに蘇ります。今は昔の田んぼがなつかしく、惜しくてなりません。
 そして、八ッ場では通い始めた頃には、大きなつやつやとぬめりのあるドジョウ(私たちは、子供心にも「本もの、もしくは本当の」という意味で本ドジョウと呼んでいた)が水路にうごめいていた。そして、ほどなく水路にのたくって死んでいた。大振りのタニシもいた。これも甲羅まで茶褐色に染められ、死滅した。真っ赤な沢ガニもいた。その姿が浮かぶ。けれど、みんな死に絶えてしまった……
 
 翌日午後からの開催直前に、2分以内で各地からのヒトことをと言われました。
 こういう、心温もるおもてなしの心のスタッフさんのいられる会を、率いられる奥州さんや会員の皆様に申し上げることではありませんけれど、この日、会場内には横手市周辺からお見えの方々がびっしり。関心の高さと同会の働きかけの素晴らしさが伝わりました。
 そこで、前夜ほぼ一睡もできなかった事もあって、昼食後のこの時間帯は、最悪の朦朧状態。2分という時間で、八ッ場の歩みをどこまで伝えられるか定まりませんでした。ようやく、計画から57年間ということと総選挙後の動き、地元感情のみにようやく、絞りました。それで安心したのが少し、頭がスッキリ。場内を見まわすゆとりができました。でも、これは時間内に収まらないだろうなと懸念していました。
 そして、またも、いやしさこの上ない私の舌先に上ってきたのが、前夜のドジョウのお味と持参してくださった方のお人柄。さらに懇親会の時に、お隣に座られたやはり農家の方が守っていらっしゃるという、珍しい山野草のこと。
 たくさんの方たちの感性に訴えるは、八ッ場の二の舞にならないように自然界の消滅させないでくださいということにしようとひらめきました。
 絶対にあんな無意味な成瀬ダムを阻止。赤滝を山々の紅葉を守り抜いてくださいますようにと。

 ですが、時間が押して、「各地からの話し合い」は、参加団体の紹介にのみとどめるとのことに。なんと、「訴え」ではなくて、「討議」だったのでした。あはや、ピントのずれたことを申し上げてしまうことになりかねませんでした。

         地域の熱が、名勝を慈しみ育て行く 
 現地では、お天気に恵まれ、とりわけ二日目の栗駒山頂へ行くまでの道はすばらしいものでした。奥州さんが「お見せしたい」というお気持ちがわかりました。
 また、宿泊した、湯沢市 小安峡温泉(※関東では湯沢というと新潟の湯沢市となりますが秋田県です。またコヤスではなく、オヤスのよう)の「旅館・多郎兵衛 」は気配りの利いた落ち着きのある名旅館でした。土地でも随一との由。私たちの安い料金ではムリだったのを、?優秀なるスタッフが掛け合ってくれたとのこと。お弁当のお味に至るまで、老舗旅館の名に違わずの一級品でした。で、毎回出席組の方たちの中でも、(比較語はいけませんけれど)最も…との事でした。
 そして、早朝5時台、眠れぬままに飛び起きて、川べりの景観散策。河畔の絶壁からお湯が噴き出ている壮観な景色でした。
 こうした自然界の妙を大事に守り育てる旅館街は、栄えるものと実感した次第です。

 他県での総会は初めて。昨年の設楽ダムは地域の文化祭のことで最終的に無念のキャンセル。一昨年は八ッ場ダム。本当に、ムリして、参加できて良かったです。ちなみに山形新幹線に乗ったのは初めてのヒト。福島までノンストップには、(指定席がタダで購入できたのに、満席)。自由席はあふれて、立ち通しでしたのでビックリ。
 
        八ッ場を覆う、暗雲は濃し
 関係者の皆様、お世話になりました。
 これからは、八ッ場モードでがんばらねばなりません。かなり、状況は何やら厳しいものになってきています。本当にストップ可能になれるでしょうか? 
 危ぶまれるものがありすぎるからです。
 
 当面の日程
①本日からの国会では、21日に八ッ場にみえた川内・衆議院国土交通委員会委員長(民主)質問に立つそうです。
②明日27日、前橋で一都5県の知事会が持たれます。席上、前原大臣は出席を求められていましたが、「現地住民と会うのが先)と断り。
③その現地との対話ですが、25日の地元紙の報道によれば、前原国交相が25日に長野町に入りたいとの意向を22日に国交省・三日月大造政務官が県幹部に打診。県は23日、町に連絡。夜、住民代表らが町役場に集まり、対応を協議。「あまりにも急な話。人を集めるのに時間が足りない」との結論にて断りとのことです。  続きを読む


Posted by やんばちゃん at 11:42Comments(1)報告

2009年10月24日

助っ人さんが現れて、少~し読みやすくなりました

 皆様へ

 読みにくくてならなかった、当欄をあるメカに強い方の手助けで、お蔭さまで少し読みやすくなりましたでしょ。
 助っと人様、本当にありがとうございました。


 さて、本日24から明日、「水源開発問題全国連絡会」で、秋田県の成瀬ダムに行って参ります。
 今朝、早起きしてもようやく荷物が整いました。それでは行って参ります。大きなバックで出かけますが、おみやげ話、いっぱいになりますでしょうか。  


Posted by やんばちゃん at 07:58Comments(0)報告

2009年10月23日

水没地、ままならぬ秋の色

  さて、以下は過日の川原湯温泉のホームページにのっていた記述です。

     ーーー略ーーー
  先日、友人が移転に伴なう移転補償の契約を工事事務所に申し出たところ、“今年度の予算は底を付いたので、来年度まで待っていただきたい”と回答があったと相談に来た。
  地域住民の生活に密着した周辺整備や生活再建事業は中断や遅滞無く行うと前原国交大臣が様々なメディアを通じてお話されていたようだが、現場では受け付けて頂けない現実が出ている。
  また、水没予定地にあった神仏の移転も始まっているので、移転用地の契約や建築業者への発注はしたが、造成工事は遅れから建築業者には工期の延長を申し出なければならないようです。
  
  

 現地の然るべき役職の方に、「事実ですか」と伺うと、本当のようです。
 なお、水没対象区域で、全くなんらの契約をしていないお宅は約10軒くらいのようです。この方たちの望む必要十分条件の補償は、どうやら新築移転並みとか。

  また、ほとんどが転居してしまったある地域は、ほぼ代替え地移転希望のようである。「こちらでは、全戸、代替え地に移転希望でしようか?」と問うと、(そのようになるんじゃないでしようかねぇ」との応えがありました。となると、旧道に降りるまで、車なら問題ないが、歩くとなると、高齢者にはつらい。この段差問題についてのあらたな検討課題となりましよう。
  
 さらに、代替え地に行くか現地にとどまるかが、大きな問題としてクローズアップされるであろう、川原湯温泉街。仮にの話だが、現在の狭い断崖に、新たな建築物を建てる際のネックとなる、現建築法の制限問題については、過日、政府筋の方に伺うと、これはかほどの難問題にはならないとのことでしたので、一安心。

  いずれにしても、 再建後の要望については、どこで線を引くかが、新たで大きな課題となってきますね。そして、それらは、地域の方たちの決定にゆだねることとなります。私たちはダム反対は唱えてもいいけれど、地域のことは住民にまかせるべきではないでしょうか。アドバイザー的な態度は断じてつつしむべきと自戒しています。
 吾妻渓谷は、秋本番となり、表層的には華やかです。が、分け入ってみれば、樹幹の根元には様々な木々の持てる実景がからまっています。あたかもそれは、水没地の皆さんが抱える、地域の、個々の家族問題にも似通っているように思えてなりません。
 まさに秋色ならぬ愁色です。  


Posted by やんばちゃん at 21:02Comments(4)八ッ場だより

2009年10月22日

八ッ場のもんは、今、不幸なんだから

 肝心の放映されたテレビを見ていないので全容がつかめないのですが、
(数日間要する早朝6時~8時までの地域の利根川にそそぐ川辺の草刈り大作戦)、そのボランティアの初日、帰宅して程ない8時半頃、ダム問題で1999年~ずっとご一緒に歩んできた、Tさんから電話が入った。
 「今朝のテレビみましたか」と問われ、「いいぇ、今戻ったばかりなの」と言うと、「八ッ場には、まだ骨のある人いるんですねぇ」と言う。その主は、「ダムには反対。行けば認めたことになるから、ダムの会議には一度も出たことない」とか言ったと由。
 
 八ッ場で、そのセリフの言い切れるのは、オンリーワン。
 存じ上げている、あの方しかいない。
 「かなりのお年の方でしょ」と言うと、「いいや、まだ若かったですよ」という。
 そんなことないよな。じゃぁ、違う方なのかなぁと思ったけれど、Tさんから聞く田んぼの情景は、その方の家の田んぼの進捗度に類似している。数日前に、刈りあげた稲をハンデェにかけてあったのを脱穀作業に入ったばかりなのであった。
 その人だったら、この間、Tさんだってあっていなくはないはずなのである。先日、豊田嘉雄さんのお墓参りの際にも、引き合わせようとしたけれど留守だったけれど。

 そこで、その「気骨の主」とおぼしき人物に電話をしてみた。
 「もしかしたら、テレビにお出になられたんですか?」。
 「ウン」と照れくさそうにおっしゃる。
 「ものすごく若く見えたそうですよ」というと、実年齢の半分の年に見えたんべぇという。「それは、無理ですよ」と笑った。
 
    「けぇれ、けぇれ」なる、撮影ストーリー顛末記       
 時過ぎて、私も是非とも観てみたくなったのでビデオを持っているか聞いてみた。
 前日の放送が翌早朝のこともあり、撮ってない由。
 連絡もなかったようであった。あったとしても、録音なさるような方でもないのだが……。(実はたぶん、?撮り方をご存じないのでは)。
 それでも子供さんたちには、知らせられたであろうに。「たぶん、くれると思うから、テレビ局に頼んでみたら。肖像権っていうこともあるんだから」とは伝えた。
 珍しく家にいられて「急がしいだから」をおっしゃらず、「だけど、ありゃ、だまされたようなもんさ」との背景を語りだされた。(よほど身体が疲れていられるんだろう。声にも張りがない)
  
 この「気骨の主」が語るには、放映の前日、水没地の田んぼで作業をしていると、一団の車が止まり、最初のお一人が先に一人で歩いてきた。その男性はカメラをもっていた。
 その後を、10メートルくらい遅れて2~3名の男性たちがやってきた。
 最初の人が「一人できた」と言っていたので、安心していると、その方は何やら背後に回って、カメラのシャッターを切り始めた。
 すると追いついた取材陣らしき、後続部隊の男たちが、そこにマイクを出したり、撮影用のカメラを回し出したのだそうだ。
 
 ここで、「気骨の主」は、怒り出してしまった。
 「なんだおめぇたち。人をだますようなことして。百姓の話にきたっていうから……、そんな」と。
 そこにディレクターらしき人物が出てきて、「後先が逆になって、すみません。実は撮影なんです」と謝ったとそうなのである。
  この方は、“インチキ”という言葉が大嫌い。怒りは、おさまらず、
 「おめぇなんかは金もうけだけれど、俺、手間が損だから、忙しいんだから」と。
 「人の不幸をな、おめぇらは暇かき仕事にきているけれど、ダムの是非論は別にして、いま八ッ場の人たちは不幸に陥っているんだから。けぇれ、けぇれ(帰れ帰れ)」とお説教をたれだした由。
 重ねて、「もっと大事なことがあるべぇや。けぇれ、けぇれ(帰れ帰れ)」。
 ところが、このあたりからカメラの目線は、どうやらこの「気骨の主」に、向き始めたらしいのだ。
 どういうわけだが、「俺、ダムは嫌いだ。一度も会議にいかねぇ」の部分もちゃんと収録されてしまったようなのである。たぶん、設問があったのだろうけれど。
 そして、「けぇれ、けぇれ」の部分から放映となったとか。

 そうこうするうちに、電話中、「ダムの是非論は別にして、八ッ場のヒトたちは不幸なんだ」」の矛先が私にもむいてきた。
少々、笑いを含んだ声音だが、
 「人の不幸で飯を食うのは、イクちゃんオメエも同じだよ」と。
 「ハイ、確かにそうです。だから、今日もそちらへ伺いますけれど、お宅には寄らないつもりす。タダ飯食っちゃ悪いから」と言うと、「ウフフ」と柔らかく笑われた。
  
 マスコミに媚びを売らないヒトなのだ。
 2年くらい前だったろうか、あるテレビ局がこの人に集中取材に入った。が、私の拙著に記したようにバックに国交省がいる場合もあることを知っていたので、詰問し続けたらしい。何度目かの撮影の際に、「はぁ、来るな」とやっぱり追い返してしまったというのである。
 ともかく、この方は不思議に絵になるキャラクターなのである。少しでもお元気な様子が、映像に残っていることは喜ばしい。
 
 だが、記しながらも思うのだが、確か、先のTさんの説明中には、撮影の主眼は、八ッ場を長年撮り続けてこられたあるカメラマンを追って田んぼにに入っていったとかの話もされていた。
 となると、これは件の「気骨の持ち主」の、早合点ではないのだろうか。
 本来は最初に一人だけ、先にみえたカメラマン氏の撮影だったのではないかと思われる。
 スタッフたちは「気骨の主」を撮りにきたのではなく、カメラマン氏が、農作業の写真を撮る場面を撮影したとしか、考えられないのだが……。でも、そこに農家の人が、無中で作業していることは、高台の道から見下ろせて、明らかに視界に入る。本来なら、最初に断るべきなのだ。
 でも、どうにも、全体が不可解で、百聞は一見にしかずだ。
 どなたか、ビデオを撮られていないだろうか?

 ところで、「気骨の持主」のこの方はダム中止が色濃くなった頃、(ちょっぴり健気に)八ッ場の皆さんにどうしていられるかと問うと、「俺は俺でちゃんと考えているからいいんだよ」と毅然と言い放たれていた。
 過日、今般の騒動ではすっかり賛成派になってしまった別のある方から、私は「思い通り、中止になってよかったんべえけれど」と言われて、いささか気落ちしてしまった。
 その時に、こんなふうに心情を吐露してくださった。
 「実はナ、反対だ反対だって、俺も言いづけてきたけれど、ここで長年暮らしていると、やっぱり気持ちのどこかで、しかたねぇ、造られちゃんだんべぇなって思いこまされてきた。だから、中止って聞いた時は、俺でも正直のところ、頭の中が真っ白になったんだよ」と本当に正直に話してくたさった。
 「ここの者は、今みんな本当に苦しいんだから、決して批判めくことは口にしちゃ、なんねぇよ」とも。
  
  この方は、口は悪いが、ダム問題における、私の宝物的存在である。
 
 そして、「もっと大事なことがあるべぇや」のセリフは、亡き父がその昔、役場の職員たちに「(親の金で学校だしてもらえて、そうやって公務員におさまっていられるんだから)、そのいい頭を、世の中の良いことに使えや」と言い続けたと伝え聞く言葉に重なる。
 61歳で急死した父の命日は、今月の末。父親と同年になって心騒ぐが、私もようやく世の中の哀しみがわかるようになった。
 考えれば、「気骨の持ち主」も亡父も、「貧困」とか「苦労」とかいう言葉、「世のため人のため」という精神をも、身体で知っている世代だ。

 本当に、ダムの是非論をこえて、政治は早く、この苦しみから救出する手だてを講じるべきではないか。  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)八ッ場だより

2009年10月21日

私的“地元情報収集業務”を新政権へ

  ※とりあえずのアップが遅れた為、日付は10/21になってしまいました。が、勝手ながら訂正せず、10/20深夜時点でのものとしてお読みくださいませ。 
 
 かねてより依頼があり、本日お邪魔するということになっていました、ある国会議員(現段階では、お名前を伏せさせていただきます)とお会いして、お尋ねの「八ッ場の生の声、状況、接触方法」について、私が知り得る限りの状況をお伝えしました。
 先日も記しましたが、現地ではまたも味わわせられる「ヘビの生殺し」的な日々に困惑していらっしゃいます。加えて今回は、長年の方向づけもなくなってしまった虚脱感の中にたたずまれていらっしゃいます。でも、その中でも生活は営まれていくのですし、行かざるを得ないしんどさを思うと、本当につらいだろうなと、反対派の私でも思います。
 
 昨晩もある地域の、推進派幹部のお宅にお邪魔して、「もし、前原さんが対話したいとおっしゃられた場合には、今度はお会いなされますか」と質問させていただきました。
 「むずかしいんさのぅ。答えは決まっている中に出ていけば認めたことになるし、行かなければボイコットになって、また皆さんから、批判されるしの」という意味のことを、誠意をもって答えてくださいました。「あんたみてえな反対派に言うことなんかねぇ」と
戸口をピシャリとされても仕方のないことを覚悟していましたので……。かえってこの方の苦悩のほどが伝わって参りました。
 そして、「夢がなくなったよ。俺たちは夢をもっちゃ、いけねぇんかのう」とつぶやくように言われ、これは応えました。最後に「また、後で話すべぇ。また来なよ」といわれ、深く頭を垂れて辞去いたしましたが……。
 
 また、ある方、政権交代の現実を直視し、推進グループとは距離を置いて考え始めた方からは、数日前の電話で、「工事はすべて凍結。話し合って必要なものと不必要なものを区分けすめこと。新たに必要なものは計画にのせる検討会。そういうことに早く手を打たないと」との積極的なご意見をうかがってました。
 
 さらに夕暮れ時、ある地区のお宅の戸口に久しぶりに立つと、お勝手から走り出てきた奥さんは声弾ませて、「実は明日、建前なんですよ」とのことに、虚をつかれちょっぴり面喰い困惑しながらも、「まあ、良かったですね。おめでとうございます」と申し上げるしかありませんでした。
 
 この間、まさに「現地情報収集業務」的に、足を使い、電話を使ってご意見をうかがって参りました。本日、持てる内容をお伝えした次第です。後は政府筋の皆さんたちのご判断にゆだね、よりよい方向に行くことを願ってます。
 八ッ場の皆さんに、一日も早く、それぞれの夢を大きく描いていただき、ご一緒に新しい門出をしたいとものと念じてます。

   昨日10/19 発売  『週刊ポスト』自分史問題 ................................................
 さて、昨日の19日の月曜日に出た『週刊ポスト』は自分史問題を扱っています。八年ほど前に私は、「これは、いわゆる“懐柔政策”」だと直感。伝手を頼って一冊づつ読ませていただきました。今回『週刊ポスト』に提供した写真は、2001年7月ころに撮影したものです。
 これぞまさしく、まぎれもないかの天下り団体、関東建設弘済会による、「八ッ場ダム地元情報収集業務」なのです。
 当時の建設省は、10人の関係者に執筆依頼。水没しない、有力者も3人いらっしゃいます。 
 一人100冊まで無料で、執筆者の皆さんは、たぶん100冊づつは頂いたようです(ここの詳細は追跡調査してありません)。
 大方の本が、1996年(平成8)前後に刊行されています。
 五年前刊行の拙著にも掲載。その経費が知りたくなりました。しかし、情報公開はおそらく墨塗りだろうと踏み、八ッ場ダム工事事務所に電話で依頼。幾つかの質問事項とともに、何度目かに教えてもらえたのです。6000万円と聞いて、耳を疑い聞き直しました。 
 
 ところが、昨日なんと店頭で『週刊ポスト』を広げてびっくりというより、またも青くなりました。
 幸い、私のコメント部分ではないのですが、表に飛び出し、思わず、前回のこともあってか、この間、誠実な対応をしてくださった総括編集者にまで「なんで、こんなこと書くの。また間違えてるわよ」と、(?例にあらず)怒なってしまいました。
 
 そこには、「発行された自分史は10人分。ほとんどのものはB6判130㌻ほどで、一冊10部ほどしか印刷されなかったという。つまり、Ⅰ人分の自分史に600万円、「Ⅰ部60万円」である」となっているのです。
 どこから、一人10冊という根拠が出たのかわからいのですが……、 昨日19日にはともかく、対応を頼みました。
 本日20日、直接私への取材に見えたライターにも聞くと、彼は「100冊」と記したと言ってました。
 確かに一冊6万円よりも、60万円とした方が衝撃的価格でインパクトがあるかもしれません。「週刊誌って、そういう風にワザと仕組むものなの」と切り込みましたが、どうやら、故意にやったのではなさそうです。
 記事中に版元も丸投げした関東建設弘済会も、自分史への明確なことは、問い合わせに対し「詳細は回答できない」としています。ですので、定かでないのは確かなのです。
 (私の立場から見れば)誤認内容的な記述はありました。しかし、拙著を丹念にお読みくださってクローズアップして頂いて良かった。こんなムダで人間冒涜の行為を次世代に許すわけにはいかないからです。
 週刊ポスト(小学館)さんならではの、精力的な取材で分かりえた事実もいっぱいあります。
 本日20日、夜8時すぎの時点でも、どのような対応をするかは、まだ未定だそうです。
 
 どうか、皆様の中で、お読みになられた場合には、そのような誤認部分もあることをお含みになって、お読みください。
 また、話題になった場合には、おとりなし願えれば幸いです。
 
 本当に、しがないライターながら、「報道」ということの責任の重さを感じております。
 報道の流れを変える意味で、知人たちからの示唆も受け、初めて、問い合わせのあった各誌への対応をさせて頂きましたが、ほとほと疲れ果ててます。
 
 もし、5年前の刊行時にクローズアップされていたら、記憶も鮮明。資料もまだまだ保管されていたでしょうに。その意味では、哀れな拙著でした。でも、本というものには、独自の生命力が宿っているものですね。  


Posted by やんばちゃん at 00:03Comments(0)八ッ場だより

2009年10月19日

ここでは未だ自民党政権?一都五県知事視察

 【※4/18】


  知事視察の本日、思い切って八ッ場へ行ってきました。
 視察、話し合い、記者会見を通じて感じたことは、
 
一、再確認したことは、自民党の「鉄の輪の論理」の執拗さ。
   公共事業に伴う収入源が減ってしまうこと(献金問題)やそれら
  の構造などが、明るみに出ることに対しての、危機感しかないの   
  だろうか。
   断固として、国家の犯罪≒自民党さんの犯罪は暴かれるべきで
  ある。

二、いつもながらの形式にのっとった空々しい、背後にヤラセ的な
 感覚ガ漂って、自民党さん独特の空気に感じられた。

三、 ダムの必要性を盛んにあおり、「災害があったらどうする」と
  たたみこまれ「なきにしもあらず」の範疇に踏みこまれると、一歩
  ひかざるを得なくなってしまうが、本当に必要不可欠のダムであ
  ったらもっと早く造れただろうに。また、是が非でも造っただろうに。

四、出席メンバーも発言者もワンパターン。
  石原知事は「前原さんも、こうやって、住民の皆さんと直接ニ話すべ
  き」的な発言をしたが、これが住民との直接集会とはえないた゜ろう。
   まだまだ《収容所群島》の世界なり。

五、県も出先機関もまだ、自民党さまのお天下と思い込んでいるようで、
  抵抗運動を底支えしてしまっているという実態。
   だが、対応はかなり、よくなってきていた。

 
 
 さて、終了後、私もまた職務に励んで、入札もなく頼まれてもいない我流
の「水没地情報収集検討業務」に励んでまいりました。
 「あがんない」の声に?根負けし、山積みのせかれている、こちらは本物
の仕事があったので、明るいうちに帰ってくるつもりが……、ついつい。
 夕暮れ時、あるお宅では「早く帰えんなよ。山道とおるんじゃねえよ」とい
つものお決まりの注意言葉で、帰宅を急かされたので「帰りますよ。だって
お昼がまだなんだもの」と、応えてしまいながら、車に乗りかけると、今度は
「腹が減ったまま運転するのはあぶねぇから、喰っていきな。うーんとケンチ
ン汁作ったから」と食べてけのご忠告。
 昼食を食べる暇なく、いつものおにぎりなどをも持たずに飛び出したので、
ありがたくご馳走に。
 出してくださったのは、大ドンブリ山盛りいっぱいの実だくさんの汁と、ご飯。
 おかずがなくても、白米だけでも食べられるのが、長野原米の旨さ。
  次のお宅では、おまんじゅうを。
 (なお、昨今の人出と行楽シーズンで町内の製菓会社は超忙しいとのこと)
  ?だから、八ッ場大好き。不謹慎ですね。

 でも、おこたりなくちゃんと、生の声とご要望は聞いてまいりました。
 現地の方たちは、どっちつかずの一日一日がつらいのです。  


Posted by やんばちゃん at 22:48Comments(5)八ッ場だより

2009年10月18日

ダムを造りたいヒトと、男子校伝統を守りたいヒトは一致

   本日のわが日程
6時~   川筋の草刈り・クリーン作戦の2日目 
9時~   地域のコスモス祭りのおスイトンづくり
13時半~ 公立高校男女共学化を実現する会
        (小・中学校教師との話し合いの書記役)

 ダム問題と何の関係があるのよと、お叱りうけそうですけれど、
午後からの開催された「公立高校男女共学化を実現する会」は
群馬大学教育学部の教員を中心に10年ほど前に発足したもの
です。
 関東の群馬、埼玉、栃木の3県はとりわけかたくなに今もなお、
公立高校は男女別学を貫いているのです。
 つまり、思春期の生徒さんたちは、公立高校に進学したければ、
男子校・女子校とその性別によって分けられ、選択の自由がない
のです。

 しかも、わが群馬県は2010年度においても、、
「公立高校別学率全国ランキング」では、
  1位  群馬県  23、1% 
  2位  栃木県  21、3% 
  3位  埼玉県   7、7%
  4位  秋田県   7、1%
  5位  鹿児島県  5、6%

 発足したての1998年度のランキングでは、
  1位  群馬県  31、5% 
  2位  宮城県  31、0%
  3位  栃木県  26、5% 
  4位  秋田県  12、7%
  5位  埼玉県   9、9%
 10年前は群馬についで別学率の高かった宮城県は、浅野知事の英断で、
2003年度までに共学化が決定。浅野知事退任の後、曲折があり、圧力が
かかりました。が、立派だったのは宮城県教育委員会。しっかりと断行したの
です。
 しかし、わが群馬は、「男子校の伝統を守り抜く」ことの決意は揺るがないの
です。
 群馬県教委は、唯々諾々、裁判やあらゆる圧力にもめげず、目標に向かって
しゅくしゅく断行した宮城県教委とは雲泥の差です。
 前橋高校、高崎高校、太田高校などのエリート男子校へのノスタルジア感覚は
どうにもならないのです。これに各女子高校が連なります。
 群馬県が少し率が下がったのは、統廃合によるものです。

 とりわけ保守系県議の意志は固く、同窓会の結束は集票にも直結するのでしょ
うか、「目の黒いうちはさせん」と豪語した県会議員もいらっしゃいました。
 県議会保守系議員、有力者など、意味のないナンバースクールの伝統意識を守
り育てたい人々は、不思議にも「ダムを造りたい人々」に一致するのです。 
 そして、本年四月まで、男女共同参画センターがなかったのは、群馬と山口県の
二県だけでした。
 男性に追従する女性は可愛いけれど、ものいう女は小憎らしい?
昨日に続きますが、男女共同参画法の理念がわからず、女性の社会進出を好まな
い方たちって、公共事業がお好きなようです。
 なんとなく、わかる気がしますでしょ。

  
  


Posted by やんばちゃん at 23:04Comments(24)紹介

2009年10月17日

大本営型発表のカラクリ、知らせる責務あり

 所属している、女性問題関係のNPO「ウィメンズ・ウィルぐんま」の会報の(穴埋め)原稿の依頼が入ったのは11日午後。しかも八ッ場ダム問題を明日午前中くらいまでにと言う。
 この会は男女共同参画法の1999年、群馬県主催の「女性のための県政参画講座」に集った1期生が翌年、立ち上げた会。後にNPO法人となり、本年五月に10周年の記念事業を行っている。女性学関連の県事業の委託も受けている。もちろん、私はナマケモノ会員の代表格デアル。
 「八ッ場ダムのことでいいの。政治問題だよ」と思わず問い返してしまった。
いつもご苦労くださっているM子さんは、切羽づまっているのだろうか、「良い、良い。全然、かまわないんじゃない」とおっしゃる。
 その太っ腹な女丈夫ぶりに、潔く「忙しい」などとはいわず、私も呼応。
 そうだよな。不必要に自己規制しすぎてしまっていたきらいがあったなと自省。
 男女共同参画の理念がわかっている女たちは、そんな思惑などに拘泥しないのだとうれしくなった。
 約束は守らねばならぬ。とはいえ、その夜の会合に持っていかねばならない、文化祭出品の詩も、一行も出来ておらず、これからひねりくりださねばならず、翌12日は、八ッ場現地でお会いする、遠方から見える方との約束もあった。
 かくて、翌朝食後、出かける時間に目をやりながら、記す。こういう時間なしの場合はそれまでに記したものを少しでも引用するとブレがない。でもやっつけ作業ではなく真剣に書いたつもりだったのが、以下の短文。
 
 そして、本日は、年に一度の「男女共同参画フェスティバル」。
 追われている作業に専念したかったが、うちのサークル主催の部分だけでも出るのがやはり筋だろうと、(欠席と決めていたが)、急遽、かけつけた。
 昼時、「ありがとうね。書いてくれて」と会長から言われ、もしかしたら苦言も出ているのかなと思いきや、「若い人たち、涙がでたってよ」と続いた。何が若い現役お母さん達に共鳴をあたえたのだろうか……と。時数制限もあり、大したことかなかったのに。
 隣にすわったそのお一人から「私、知らなかったですよ」と言われた。
 そして、幾人からでた質問は、「継続した方が安いって本当ですか」との切実な問いが出た。
 
 そうだ、ダムには秘密が多すぎ、しかも巧みな大本営発表がありすぎる。大いに知らせるべきなのだ。あのカラクリを。臆せずに、どこにでも書いていくべきなのだと、私もその意味では、大いに「会員」なのだと意を強くした次第。
 とにもかくにも、仲間の皆さんが八ッ場ダム問題を理解してくださっていたことが、ほのぼのとうれしかった。

//////////////////////////////
      “水は舟をも覆す”日あり                    
 
今般の八ッ場ダム中止は、意識の変革をもたらすものとして新時代へのかがり火の、そのほの明るさに心ときめかせている者の一人である。
 確かに手順に「瑕疵」はあったかも知れぬ。だが、半世紀間もの間、周到に練りに練り上げられ、情報公開をとっても問答無用の非開示も甚だしかった「ダムの世紀」を断ち切るには、これくらいの果敢な英断がなければなしえなかっただろう。
 10年前に取材ごとで初めて訪れた八ッ場の地に瞬時にして魅せられ、以来足しげく通ってきた者として、明治期のご一新にも似た転換期に立ち会えた喜びはことのほか大きい。
 
 はからずも、五年前に刊行した拙著『八ッ場ダムー足で歩いた現地ルポ』まえがきの冒頭で、荀子の語句を引用し次のように記していた。
   ――君は舟なり、庶民は水なり 
  ――水は即ち舟を載せ、水は即ち舟を覆す
 流れ行く水もまた単に流されているのではなく、日々思考しながら流れているはず。眠らされてきた水=民もいつまでも無知ではない。―略― 早晩“故に民の上に在る者は以て戒懼せざるべからず”の感もなきにしもあらず。―略―耐えてきた民衆による“舟を覆す日”がもたらされる可能性も濃くなりつつある。

 本当にこの国の民は怒ったのだ。怒りの炸裂は、わが八ッ場ダムにも突風をこさせた。残るは舵取りしだいである。

 前原新大臣が訪れた去る9/23。大臣一行の車列が走り去るのを代替地付近の木立の茂みから三頭のカモシカがじっと見送っていた。小鹿の愛くるしい眼元。母鹿の気迫に満ちながらも小鹿を見守る慈愛の眼。それは次世代につなぐ子供を産み育てインチキなしの女性たちの、遥かなるまなざしに通じてならなかった。
 現地に訪れた千葉県の女性も《私のご神木、行けば必ずその幹に寄り添って「守ってあげるね」と声をかけた大欅》と記すように、有り余るほどの母性で自然界を慈しみ守ろうとしてきた女性の譜。
 けれど私が魅了された三つ堂も彼女の大欅も跡形もなくなり、訪れる度に感動ものだったタニシまでも死滅した。
 次々に進む自然破壊。その矢先のストップであった。
 
 私たち女性は、創造力を駆使して無から驚きの成果を生み出すエキスパートである(力量の証明は、先の十周年企画で実証済み)。
 ウィルの皆様、八ッ場の皆さんと一緒に“人の人との温みと響きあい”による真の再生のために、どうかその持てるお力を存分にお借りしたいもの。
 重ねて行政筋にもお願いしたい。
 今後の施策立案時にはもっと強力に、肩書きふりかざす専門家(?主に男性)だけでなく、日々全身をかけて「命の連環」を護り抜く女性(主婦層)の創造性に富む目線を活用して欲しいと。

 そして、本日分にかろうじて、アップ完了。  


Posted by やんばちゃん at 23:46Comments(0)八ッ場だより

2009年10月16日

針を飲まされた人たちの譜  拙著から、転載

  
 本日もまたダム問題関連のことで、揺さぶられるような一日でした。
 その一日も、あと数分で閉じる今、またしばし、ダム問題から“逃避の
お遊び”にて。

 わが郷土の詩人、山村暮鳥の詩を。
 昔学生のその昔から、心に肉迫しそらんじているこの詩句と国木田独
歩の「山林に自由存す」をおもいきっりくちずさむと、不思議に高揚してき
て、昂然とまた猪突猛進してしまう、私の秘薬です。   

  「いのり」
  
  つりばりぞそらよりたれつ
  まぼろしのこがねのうをら
  さみしさに
  さみしさに
  そのはりをのみ。


       青空に
  青空に
  魚ら泳げり。

  わがためいきを
  しみじみと
  魚ら泳げり。

  魚の鰭
  ひかりを放ち

  ここかしこ
  さだめなく
  あまた泳げり。

  その魚ら
  心をもてり。
               <山村暮鳥 詩集『聖三稜玻璃』所収<

※続いて以下は、拙著『八ッ場ダムー足で歩いた現地ルポ』の記述

 思えば、針を飲んだ、飲まされたに等しい人々の譜。長野原町に通う
往復の車中で、いつも私はこの山村暮鳥の詩、「いのり」と、続く「青空」
を思い出すと、やはりおのずとこみ上げてくるものを止められない。
 山村暮鳥はわが町出身の郷土の詩人であり、中学校の校庭には「月」
の詩碑があり、小学校の正面玄関にはその詩句の拓本が飾られていた。
 朝夕の通学の折に目にする暮鳥の詩は幼い日から、すでに内心の襞に
染みこむほどに肉迫し、同化している。
 そして、膨大な作品量の中から私の心情にピッタリ食いこんだのがこの
「いのり」と「青空に」なのである。啄木と同じ時代閉塞の時代に生きた山
村暮鳥の真髄は、この第三詩集「聖三稜玻璃」の時代にあると考える。
 それにしても「水源地域特別措置法」をはじめ「特措法」とやらは、一見
まくて甘そうに見えるが、ある意味では毒まんじゅうの要素がたぶんにあ
る。一度口にしてしまえば、不思議に闘いへの怒りがそがれ、計り知れ
ない懐柔効果があるものだ。
 悔しいのは、是が非でもダムを建設せねばならぬ権力側の至上命令が、
いつも地域の切実な声が一つになりかけると、切り崩すことだ。
 推量するに、毒まんじゅうをたっぷり積まれたらしい人間が、闘いの戦列
からそっと抜け出し、これまた眼前の自然界同様に陰に陽に暗躍してきた。
 しかし、おもしろいことに雲間から漏れる照射ではないが、案外その動き
をもライトは追っていて、早晩人々の知るところになってしまう。
 
 八ッ場ダム五〇年間の闘争の過程でも、節目節目ごとにあったそんな動
きを、資料を読んでいけば行間からこぼれ出る事実として、部外者の私まで
気づかされる。
 さて、二〇〇一年六月一四日、補償基準の調印がなされた。水没地帯の
現況は、予想しなかった加速度がついて、事態はかなり進展してきている。
 二人の大物政治家の確執でキャッチボールのように揺らされ、遅々として
一進一退のあがきを続け、長期化しあったのにかかわらず、補償基準の調
印までは二年間という異例の速さであった。
 要因として無理からぬのは、連合補償交渉委員会四七名のメンバーの多
くが、委員長を含めダム建設推進派であったことが大きい。
 さらに追い風となったのは折からの不景気。
 心ならずも逆説的な効果として作用したのは、全国的な脱ダム思想。
 それと市民層による運動の出現などが、逆に促進作用を果たしてしまった
と指摘されている。
 現実に補償交渉委員会トップの発言にも、再三「ダムができなくなったらど
うする。そういう人たちに騒がれないうちに」との言質があったと聞く。

     存続危ぶまれる過疎化の町 
 全戸水没地の川原畑でおよそ七九世帯中、すでに一五軒がいち早く転居し、
家屋も壊した。
 建物を壊さない限り補償金の支出はないという鉄則があるからであるが、比
較的密集していた川原畑の屋並みに、更地と化した空間が生じている。
 集落の真上に一村全体でズリ上がり、ダム湖を見下ろして住むとの結束も、
調印がなされ個人が転出を希望する以上、もはや阻止する効力は何もないそ
うで、流出組は今後も増え続ける見込み。
 八ッ場方式なる現地再建策、ズリ上がり方式への可能性は、やはり崩れた。
この先は転出者に金銭を支払った既成事実のもとに、さらに住民を駆り立て
追い詰め、代替地の遅れは地主にありと転嫁させる、地元民同士の反目の
構図が待ち受けている。
 水没民はまたしても進むしかなく、袋の一方だけを開けられ、退路を断たれ
たと同じである。
 丸がかえの各地への視察、政治的工作などで夢を見させられた住民たちが、
現地再建策の構造に乗った時に、全国各地のダムを仕上げた手腕から権力
側は手のひらに乗ったも同じとほくそえんだであろう。
 ダム関連工事は急速にピッチを上げている。
 林地区の山中、高規格自動車道国道一四五線とそこを分岐点とする「県道
林・長野原線(王城道路)」と「県道林・吾妻線(吾妻峡南道路)」は無論、ちょっ
とした山あいに入っても随所で、工事現場に出会う。
 全体で二〇台のダンプが日に約二〇回は往復するというから、その喧騒の
度合いは推し量れよう。要所要所では係員が誘導に当たっているが、経費は
各建設会社を通して、国土交通省が払う。
 つまり私たちの税金がこのようなことにも費やされている。
 
 原始からの大地を切り刻むように木々が倒され日々変貌している。
 緑色にとってかわり面積を増していくコンクリートの色。八ッ場に訪れるたび
に切ない。どうにかならないものかと嘆じる。
 目の当たりにしている居住者はもっとつらいだろう。投げやり的に「どうにも、
ならしねえよ。儲かる人もいるんだから」と吐き捨てるようにいう。
 だが、最も潤うのは地元企業と地元の一部の有力者だけではなく、全国の
ダム建設現場を渡り歩いてきた、他所からの企業や業者たち。
 昨年夏頃あたりから、国道沿いに「仕出し弁当」の真新しい看板が目立つよ
うになってきた。
 現地を歩くと、「お上に逆らっても勝てっこねえ。あの下筌ダムだって結局は
負けたんだから」との声を疲労"困憊の果ての言い訳的につぶやく。
 国家権力に徹底抗戦した下筌ダム(熊本県)、その蜂の巣城の指導者は室
原知幸だった。
 市民の権利意識に基づき七〇回もの法廷闘争を起こし、国の誤りを突いた
先駆者である。
 しかし、指摘された弱点を逆手にとった司法は、土地収用法や下流自治体の
同意などを盛りこみ、一九六四年の河川法の改悪を行ったとされる。
 ――「わしが戦いに負けるたびに、権力の実態が明らかにされ、歴史に刻ま
れていく」。
 大闘争過程を描いた松下竜一著『砦に拠る』文中の室原語録である。

    --- 略 ----  
 さて、この日も、吾妻川の水量は、少なかった。川床の石が見えている。
 こんな巨億の資金をかけて水の流れない毒水の川をせき止めて、どうするのか。
 何よりも怖いのは人体実験段階の石灰中和水を水余りの世の中、高い料金を
払って飲まされる、下流都県の市民たちの運命である。
 帰途、心落ち着けて“氷の花”に再び出会おうとしたが、すでに溶けていた。
 しかし、この日、私の心に宿った、傷みの花は、終日凍えたままであった。
 そして今、“銭の花”という言葉もあったことを思いつく。
                         (『上州路』二〇〇二年一二月号、あさを社)

  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(1)八ッ場に願う

2009年10月15日

水没地は次の一手を待つ

 鳩山政権スタートから早、一か月。
 水没地から切実な声が寄せられました。
 はやく、次の一歩を踏み出すために、しかるべき筋からの指示が欲しいとの
切羽づまった生の声でした。
  昨日の河川部長さんの答弁のように、現八ッ場ダム工事事務所の職員た
ちと会議を行っても、何の回答もなく、より不安にかられているとのこと。
 行方さだまらぬ小舟に乗せられて放り出された形の、水没地の方々にとって、
漂着さえ叶わぬ状況にさらされていしまった感のいらだちは本当に一日一日が、
お辛いことでしょうね。

 また、数日前、ダム問題経験者から「個人給付は無いものと考えた方が良い」
との示唆を受け、私まで目の前が暗くなりました。
 「でも、そうなったら、落胆する方多いと思いますよ」と申し添えましたが……・
  というのは存じあげている、何の契約もしていないある方の必要十分条件は、
「新築並みの補償」らしいからなのです。

 で、思い切って、民主党のある方に直撃電話。
 幸いにして、前原国交相筋からも何らかの次の一手を繰り出す旨の指示があっ
たようなのです。現在、その準備段階にあり、模索しているようなのです。
 以前提出の私的要望書に「草の根」的に個別訪問がベストとしるしたことに加え、
過日の電話では、朝日新聞が近々、個別アンケート結果を発表する模様と伝えて
あったので、「最も良いのは、確かに個別に伺うことです。それが実現できるといん
ですけれどね」とのこと。
 で、「だめなら、ぜひ、誰でも出られる会の設営をおねがいします」と添えさせてい
ただきました。
 やはり、水没地からの情報で知った、ほぼ予定通りの日曜日に掲載された朝日新
聞前橋支局のアンケート作戦は当初五人ほどで取り組まれたようでしたが、ほどなく
倍の全国のダム所在地からの援軍を投入して行われた由。
 (下記にしるしたように、新聞週間のはしりにちなんだ)好ましい精力的な取り組みで
した。新聞報道の底力をみせつけられた思いです。
 
 そして、個人給付の是非についても、これから討議するとのこと。「デマはいろいろと
飛ぶかもしれませんけれど、何もまだ決定していませんので」とのことに一安心。
 最後に「ここへきて一日をあらそっても」と言われたので、「現地は、その一日が辛い
んだと思いますよ。急いでくださいな」と僭越ながら申し上げてしまいました。
 
※実は数日前、本日から、新聞週間とか? の連絡をもらいました。
 で、八ッ場に対するある記事のモラルを問うことを書こうと思ってましたが、これはじっ
 くりと時間をかけ落ち着いて記さないと個人攻撃になってしまいかねないしと、考えて
 いるうちに、やはり焦眉の課題をと変更。ところで、本当に今はそうなんですか?
  わが家の新聞ではみかけなかったような。
  さていつも、翌日の日付にならないうちにと、ブログが書き終わらないうちにアップし
てして、かろうじて当日の日付にしてしまう、本人に似てせわししないブログです。
 今日も今日とて、あと、「20分足らず」と慌てて、アップできる必要条件を打ちこんで
急いで15日付にしておいて、眠気こらえて打ちこんでます。
 ですから、朝になると、文意も通ぜず、誤字だらけに気がつく次第。  


Posted by やんばちゃん at 23:41Comments(0)八ッ場だより

2009年10月14日

昨日の友も、今日は疎遠なり  私的傍聴記

 
 本日、13時~産経土木常任委員会で参考人招致が行われました。
 またしても、ごくごく私的かつ我流の県議会常任員会の傍聴記を。

 前回、7日はガムをクチャクチャ咬み通し、結構リラックスムードだった、中島篤
委員長も、本日はガムもかまず、心なしちょっぴり緊張気味にみえました。
 各委員の丸テーブルの後ろ側には、ここの処、なぜかおとなしい南波和憲県議
をはじめとした自民党県議団がズラリと並んで応援体制?
 (でも、応援席よりも激しいヤジを飛ばしていたのは腰塚委員。冒頭の委員長挨
拶で、中島委員長が、41年前にもやはり関東地方整備局長を招致したことがあり、
その時の委員で、今もご健在なのは、腰塚県議の父上お一人だけと紹介されてい
たので、それでと張り切っいるのかなと勘ぐってしまいましたけれど)。

 証人として招かれたのは、関東地方整備局の山田邦博・河川部長。
 もうひとりは、おなじみの八ッ場ダム渋谷愼一・工事事務所長。
 菊川滋局長は都合がつかないと報じられていましたが、つい下種者の勘ぐりで、
逃げたのかな?
 
 さて、「政権が変わるということはこういうこと!!」ということをしみじみ実感させられ
た国交省側の苦しい答弁でした。
 質問時間は全体で80分。配分は自民党・ポラリスの会が38分、他会派は14分づつ。

 まず河川部長は、冒頭挨拶の末尾で「申し訳ございませんが、個人的見解への回答は
控えさせていただきますことをご容赦ください」的な言辞をくりだして、立場擁護の牽制球
を、ピシャッと投げてられました。
 一番バッターは笹川博義委員(自民党・ポラリスの会)が、平成4年、国と取り交わした
協定書の約束破棄問題。
 「約束不履行になるか」的な質問に、山田河川部長は「個人的見解は」と逃げ、ヤジの
応援を受けた、笹川委員は「そのくらいは、個人の判断ではないと思われますけれどねぇ」
的な嫌味な疑問を投げかけてました。

 山田河川部長は いかに失笑されても、ヤジられても、核心に入ると、、「今後の話し合
いの中で詰めていく]「大臣は、できるだけダムに頼らない治水・利水への政策転換の入り
口として中止と言っていますので……」を繰り返し、断言語は避けた。
 渋谷所長も「まだ、何の連絡もありませんので、……」と。
 
 こういう風に話していくと、本当に前原国交省は悪いヤツに思えてくる仕掛け?なのかし
らと思えましたが、山田河川部長は、そんな愚策的仕掛けはほどこせないような温厚そうな
お人柄にお見受けいたしました。(……私の直感力って案外、当たってるとの知人の評価あ
り)。
 ソウソウ、この間、私の稚拙な質問に応えてくださった関東地方整備局の方たちは、どんな
冷たい対応をされるかと思いきや、かけた電話に懇切に応じてくださいました。
 たとえば、2004年の事業費の倍額になった時などは、丁寧な数式計算の根拠と算出方法
を教えてくださった上に、呑み込みの悪そうなオバさんが間違えたら困るとでも思われたのか、
算出方法のFaxまでくださいました。
 またも残業すればいいというものではないけれど、こんなに時間と思える時間にも、回答の
電話をくださったものでした。ある意味で徒労感を味わさせられる仲間筋との神経戦よりも、期
待感なしだけに、そのすっきりした対応はうれしかったものでした。

 ぴったり一時間半で終了。
 すると直ちに、招致人の渋谷さんの席に、萩原渉委員が歩み寄って、「今日はお辛い立場でした
ね」と常日頃の新密度穂みせた慰労語を。
 傍聴席をたち、出口に向かう職員たちの列に入ろうとした矢先に、何気なく出くわした場面と
耳元に飛び込んできたこの慰労の言葉に思わず静止。「見たぞ見たぞ」という気持で眺めてい
ました。これに対して渋谷さんは無言。
 そうなんですよね。笑顔を見せて、久かつを温めたら立場上、妙なことに。
 まさに、政権が変わった今は、長年の知己もまた、相対する立場となってしまったようで、迂
闊に、つい総選挙前までのなれあい場面は表に出せるものではないでしょう。
 他の各委員も一斉に名刺を出して、次々とお二人の招致人に挨拶。
 じっと観察。思わずニンマリとしてしまったら、県の職員さんのお一人(どっかでみた方)と目が
あってしまったのです。その方も何やらニャッとなされていました。でも、なぜか会釈されてしまい
ました。どういう意味かなアレって。
  
 傍聴札を返しに一階の事務所に行きましたら、招致人お二人を含む合計五人の国交省関係者
は、はじめてらしい県議会で入口がわからないらしく、事務所前に戻られて、出口を聞いてました。
 お供の三人は後ろの席に座って、資料などを示したりしていた方たちでした。
  そして、足早に立ち去って行かれました。
 そして、早くも「極めて、慎重な答弁だったらしい」と政権党、主党筋には報告されていたとの由。
 しかし、本当にすまじきものは宮仕えですね。結構、大変なんだなと感じた次第です。

 なお、この日の一般傍聴人は、最初に「傍聴人の定員は5名ですが、本日は多くなりそうなので、
特別枠の配慮を行いたい」旨の事務局の言葉がありましたが、定員内の、男性ニ名と私のみ。
 途中から三々五々と顔を出した県議たちも、この日はまばらな県職員席の空席に腰をおろしてい
ました。
 この後、明日15日の定例会最終日に特別委員会の設置を提案するための議会運営委員会が開
かれたようでした。


  


Posted by やんばちゃん at 23:50Comments(0)報告

2009年10月13日

秋色濃き、愁色のただ中

 昨日、八ッ場現地に行ってきました。
 おかげさまで幾つかの話しあいの場が持てました。
  
 その前にまず、紅葉は2分くらいといったところでしようか。途中の榛名山中には目を射るような真っ赤な木々が点在していましたので、ここの方が吾妻渓谷よりも寒冷地であることをまたも痛感したしだいです。
 人出は本当に多くなりました。
 とりわけ、草津方面からの車は、のろのろ運転。
 やんば館の職員さんに聞くと、土日は1000人を超えるとか。入口には入館者数が出ていましたが、確か?26万人だったでしょうか。ともかく、このあたりには若者グループがたむろしていて今までみられなかった光景です。
 農産物直売所も、盛況とのこと。
 そして、王湯でも入湯者数が通常の3倍にはなっているそうです。
 職員さんたちに「人出はうれしいけれど、大変でしょう。お手洗いのお掃除ひとつとっても?」と問うと、どちらの施設とも、顔見知りの女性たちは、笑顔の無言で応答。急速に押しかける見物客がふえて、「よし悪し」とのこと。

 この日の話の柱はニ大別。
 一つは、これからの再建策が見えていないこと。私は以前から、必要十分要求は、早めに伝えたよいのではとのことを伝え続けてきました。
 二つ目は、報道過熱気味の現地の中で、いかにして立ち直って、自分の生活の基盤を進めていけるか。と言ったところでしょうか。


 明日14日、産経土木常任委員会で参考人招致をいたします。
 今晩、8時前に県議会事務所にもうダメだろうと思いつつ、①傍聴の有無、②時間 
③開催されるのは同委員会だけかと問い合わせました。
 傍聴は五人まで可。多い場合は、特別対処をしてくれるそうです。②時間は13時~
 まだ職員さんたちはいまして、思わず「大変ですね。御苦労さまです」と申し上げま
した。 
が、一昨日のコメント通りに考えれば、不要な招致になりますよね。
 また、残業はすれば良いというものでもなく、人間の疲労度と能力には限界があり、
勤務時間内に終えるのがベストであることはいうまでもありません。  


Posted by やんばちゃん at 22:15Comments(0)八ッ場だより

2009年10月12日

コメント欄にこんなご意見が

10/9に記しました県議会・産経土木常任委員会の傍聴記
「お上の決定に逆らって?視察団などを次々とご手配中!」のコメント欄に
つぎのようなご意見が寄せられています。
 的を得ていて、喚起されるご意見ですので、ご本人の許可を得て、転載
させていただきます。

 皆様のご意見、お待ちいたしております。 

 八ツ場ダムを建設する目的は治水と利水だったはずです。そうだとしたら、現地とはその恩恵を被る地域であり、住民とはその恩恵を被る人々を言うはずです。
 視察すべき場所は氾濫するとされてきた地域、水不足になるとされてきた地域であり、意見を聞くべき住民はそういった方々でしょう。 
 しかし、現実の視察先はダム建設予定地に集中しています。
 治水利水の恩恵を被ることになっている埼玉県の県議会が、埼玉県内の視察をせず、埼玉県の地域住民の意見を聞かずに、現地視察と称して長野原を視察し、長野原の住民の意見をもって住民の意見という。 こんな滑稽なことはありません。
 これこそが、八ツ場ダムが治水利水という目的から逸脱し、建設する事自体が目的となされきた証拠でしょう。

 コメントの追加です。
 「関東地方整備局の幹部を議会に呼んでダムの必要性を聞く」とは、呆れます。
 県議会の皆さんついに狂ってしまったのでしょうか。 
 群馬県議会で議論すべきは、ダムによる治水・利水が群馬県にとって必要か否かでしょう。
 県としてそれが必要と判断していたから国の計画に参加していたはずです。国に聞かなければダムの必要性が解らないと言うことは、これまで、県としては必要性の有無など解らないけど国に言われるまま計画に参画し、だらだらと負担金を支払っていたと言うことです。



  


Posted by やんばちゃん at 23:46Comments(2)紹介

2009年10月10日

熊本県連にあったことが、群馬にないはずがなし

 過日、ダム関連メーリングに、毎日新聞記者・福岡賢正さんについて、
「どういう方なのでしょうか」とのメールがありました。
 そこで私が存じ上げていることを申し上げた拙文を転載。
 お断りなしですが、福岡さん、ご寛容のほどを。
 
/////////////////////////////////
 葦書房から1994年刊行の熊本・川辺川ダムの真相を暴いた、「誰のための川辺川ダムか 国が川を壊す理由」の著者です。

 1999年末、ダム問題手探り中の私に、知人が「感動した。読め」とくださった
一冊で、本当に魂が揺さぶられ、保守政権への献金は生々しく衝撃的で忘れ難い
ご著書となりました。
 “群馬の週刊金曜日”と呼ばれていた県内の雑誌に初めてダムのことを記した、
「あなた、この水飲めますか」の「政・業・官の癒着」の章で、引用させて頂いたので
お断りをし、後日、お送りしますと、「群馬には、こういう雑誌があっていいですね」
とお返事をくださいました。
 5年前にまとめた拙著をお送りした際には、宛先を毎日新聞前橋支局で調べてもら
いました所、確か福岡総局でした。
 今はどうなさっていることでしょうか。
 そして、お名前のように「正しく賢い」方として、お目にかかったこともなく、時折り、毎
日新聞で執筆記事を拝読するかぎりですが、ダム問題における遥かなるご先輩として、
ご尊敬しています。
..........................................
 長くなりますが、下記に引用させて頂いた部分
  ーー 拙稿「あなた、この水飲めますか」より 
             ---2000年1月「週刊サンデージャーナル」ーー
    
 
 ここに熊本・川辺川ダムの真相を暴いた『国が川を壊す理由』(葦書房、一九九四年)
がある。
 ダム建設は他ならぬ建設省役人のものらしいと、毎日新聞久留米支局の記者
(当時)の著者の福岡賢正さんは記す。 《 》内は引用
 
 《とにかく造るという「結論」が先にあって、表向きの「目的」はその時々の世
論を 誘導する口実にすぎないことを示している。そしてその背景として常に指摘されるの
は、公共工事によって莫大な利益を得る土建業者とその利益代表である政治家、そして
それらと癒着した官僚という構図にある》
 
 裏づけ事実として、
《熊本県内の土建業者約一四〇〇社で構成する県建設政治連盟が「地元企業
の仕事量確保のため」として、各業者が政治家に行う献金とは別に、公共事業の受注業
者から受注額に応じた寄付金を徴収、政治資金団体を通じて自民党熊本県連に献金して
いたことが平成五年三月、明るみに出た。
 寄付金は土木工事の場合、国・県発注が落札価格の〇・一パーセント、市町村、公団、
事業団発注が〇・〇五パーセント、建築工事の場合は国・県発注が〇・〇五パーセント、
市町村、公団、事業団発注が〇・〇三パーセントと決められており、国民の税金で支出
される公共工事費の一部が、自動的に自民党に上納されるシステムができ上がってい
たのである。お見事というよりほかない。
 このようにして毎年、業界から莫大な上納金を受けてきた自民党県連は当然のことな
がら、「地元業者の仕事づくり」のため、川辺川ダム建設をめぐっても陰に陽に計画の推
進役になってきた》
 
 果たして、この構図は、遠く熊本県だけのものなのだろうか。
 群馬県にも、ないはずがない。

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 ね、ダム推進の構図をズバリでしょ。
 その構図に、目下、強烈なスポットライトが、不正をあぶりだすように照射されているの
です。
 確かに、前原大臣、手順が荒っぽかったかもしれません。
 でも、このくらいの強い姿勢で挑まなければ、真相は暴けませんし、是正できません。
 予算ストップで“臭い元”を絶ったのです。
    
 ところで、?まだまだ推進にコリ固まっている関係者の皆様方、何か痛くもない腹をさぐ
られそうではありませんか。建設に固執するのは、そろそろオヤメアソバセな。

 ダム問題の入口に佇んだ私は、おソルおソル、夢中で「ないはずはない」と記したもの
でした。
 転載しているうちに、奮い立つものが湧いてきて、元気が出てきそうです。
 ところで、この良書を私にくださった方、お顔が浮かばなくなってしまいました。
 確か、市民運動関連の男性の方であったことは覚えているのですが、よくもまぁ、ホトホト、
男性には縁のないおばさんですね。お許しを。
 もし、本欄をご覧になっていたら、お便りくださいませ。あらためて、うれしいスタートの糸口
をつけてくださったことに、万感の思いをこめて、お礼申し上げたいのです。
 

  


Posted by やんばちゃん at 21:35Comments(3)紹介