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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年12月31日

ゆく年に

 12チャンネルをみながら、年賀状を作成しています。
 (パソコンで作るようになってから、「年賀状を書く」と言わなくなりましたね)。

 今年は私も、恨みがましい批判語や悲壮感漂わす「今年限りの景色」とか言わず、あっさりと「八ッ場の四季」としました。そこに、写真の山のなかから数葉選び出し、さらに三葉に絞って、つつしんでの賀状とさせていただきました。

 画期的な変化がもたらされた金字塔的な2009年のゆく年を惜しみつつ、来る年の展望を望んでやみません。
 多くの皆様、おつきあいくださいまして、ありがとうございました。

 来年もよろしくご示唆やご注意のほど、お願いいたします。

 【年賀状添えの説明文】
八ッ場の四季の風景です

春、横壁の梅の古木の洞(窪み)にはスミレとタンポポが
仲良く咲きます
もちろん、頭上には梅の花も……

そして、移転した
川原畑・三つ堂の百八灯
燃えさかるシデの炎は
精霊送りに風情を添えます

冬日に映えた林地区の木立では
働き者の大黒様が
ゆったりと座しています

本年もよろしく  


Posted by やんばちゃん at 23:38Comments(0)八ッ場だより

2009年12月30日

生活再建は住民の未来設計にのみ使え

 八ッ場ダムは、識者による当初の指摘通り、政権交代による一挙の解決とはほど遠くなり、ますます混迷を深めています。
 このままでは、おちつくまでには、さらに何年間かかるのかおぼつかなくなりました。
 それは、第一に指導者がいないこと。
 さらにお金や法律ではかたづかない、「生きている人間の問題」であり、地域の個々の人物像、はては物故者の生前の行動をも絡むからだと思われます。
 第二に、金の問題。
 その混沌の場に、いたす゜らに大金がつぎ込まれる。しかも長年にわたる、ひも付きの。政権交代後、急に無傷の金が投与されても収拾がつかなくなるのは当たり前。
  ある方は「棄民の山村とは違って、莫大なお金が落ちている村だなあという印象がまずありました。国から落ちるお金を前提に地域のあり方を考えざるを得ない不幸について、もっと知りたいと思います」とのご意見をくださいました。
 --国から落ちるお金を前提に地域のあり方を考えざるを得ない不幸ーー
 確かに、言い得てます。
 もはや、ズタズタにさせられた村落共同体の中で、なにもかもを降り落ちる点からの資金にて、行動の軸を形成されることに慣らされてきてしまった人々。地域内を歩くと、特措法に基づくダム補助金施設が公私ともにめだちます。
 願わくば、“精神力の棄民”にだけは陥れられないでください。

 そして、新政権の皆様、満額以上の予算をつけ形にして、住民の皆さんの心中深く、ターニングポイントを図ろうとしたことは良いのですが、この辺で事業の中味を精査して方向づけないと、推進派の術中に落ちますよ。
 その術とは、周辺整備を整えた後、(政権が変わった後、または取引によって)、一挙に「ダム中止」の「中止」に持ち込み、本体工事も実現させることです。その影がチラホラ。水没地を歩けば、ムダな事業が目について、腹立たしさが募ります。
 地元の推進派の方々が、、現在、比較的落ち着いているのは。そのひそかな意図≒指令のもとに結束しているからだと思われます。こちらには「指導者」がいるのが悔しい限り。

 来月24日に至る過程で、かつての洞察力の眼の輝きを取り戻して頂き、本来は「生活再建」と「ダム建設」は別もの、生活再建予算は自分たちの「未来の生活設計のためにだけ使う」ことを自覚。ダムよりも「生活再建が先決」であるという、再認識して頂くことに尽きると思います。

 長野原町の本来の自治をめざす、指導者的人物の出現がまたれる。
 誰が、いないのか!!
 来春は、首長選挙である。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2009年12月29日

堆積場のヒ素は、猛毒の3塩化ヒ素に変化する

 さる27日にご紹介しました、「月刊 むすぶ」№467 に記しました、「ご存じですか? 八ッ場ダム上流の危ない水事情」拙稿中に川俣修壽氏の「万代鉱の湧出ヒ素と八ッ場ダム報告」(鉱山研究第86号)の論文を援用させて頂いたことをお伝えしました。
 多くの皆さんに知っていただきたい内容ですので、必要な部分のみ、以下に転載させていただきます。
 ※なお、化学式の数字がワード機能の限界で小さくできませんことをご了承ください。

     「万代鉱の湧出ヒ素と八ッ場ダム報告」                                                                                                             
                                    川俣修壽
          ――大略―― 
 中和事業開始当時は、ヒ素に注目していなかった。
 ヒ素は鉄酸化物、水酸化物に吸着する性質がある。石灰乳液の中和事業の結果、ヒ素は再びFeと還元反応してFeAsO4(ヒ酸鉄)となり石灰と混ざって品木ダムに堆積していった。ヒ酸鉄は比較的安定しているが品木ダムは、堆積物で6割以上埋まっているため堆積物を浚渫している。浚渫した堆積物を固化するためにセメントを加えると、ヒ酸鉄はNa3AsO4(ヒ酸ソーダ)となる。
 これを乾燥固化して堆積所に産業廃棄物として野積み保管しているが、国交省は管理型処分場と称しているが防水シート、排水処理システムはない。固化は、耐荷量10㎏程度なので簡単に崩れる。ヒ酸ソーダは不安定のため天水や風化で酸化されると、AsCL3(3塩化ヒ素)となる。3塩化ヒ素は0・06gが致死量で、皮膚からも吸収される。
 またカビ、バクテリアがヒ素を分解するとアルシンガス(AsH3・ヒ化水素)が発生するが、アルシンガスは20ppmを吸うと即死する、皮膚からも吸収され、毒ガス兵器に使われる。
     ――略――
 万代鉱からのヒ素の年間湧出量は、推定49トン。すでに500トン以上が「土捨て場」に堆積しており3塩化ヒ素が雨水とともに染み出す可能性がある。  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場だより

2009年12月28日

今年最終の八ッ場冬景色

 本日はかねてよりの約束で、ある方を八ッ場をご案内。
 長年の知人に、あるお礼ごとの電話の際、この日は八ッ場へ行く旨を伝えたら、なんとその方と知人は同級生とのことで、彼女も同行することになり、四名で師走の水没地内を駆け巡りました。
 往きの伊香保では私たちの共通の知り合いの方の資料館を見つけ出し、膨大な民族資料の山々を拝見することになり、かなり時間をくってしまいました。ところがこの所有者もまた偶然にして、同行の知人とも同業者とのことで、会では顔みしりという不思議なご縁。
 そんなわけで、かなり遅れて八ッ場入り。お見せしたい場所は、数々あったので、廻り切れるか不安になりました。さすがに暮れの28日ともなれば、個々のお宅をお訪ねするのはご迷惑かと思ってほんの数軒に。約束より遅れてKさんの処に着くと、味噌汁と白菜づけ、たくあん漬け、それに手作りコンニャクなどを用意してくださってました。で、私はお湯をさせば良いように用意していったみそ汁を作らずにすみ、知人が用意してきてくれた昼食をみんなでたべながら、Kさんの話を一時間以上も伺いました。その時に話題になったのが水車。で、次はその水車を自前でもっているLさん宅へお邪魔。お忙しいとのことで控えさせていただこうと思っていたのでしたが……、奥さんのMさんがが水車小屋の内部を見せてくださいました。初めて仕組みがわかりました。さらにコメではなく、粉を水車で引く時の器具などには何代にもわたり使い込まれてきた光沢と照りがあって、かなりの年代もの。そして、水車小屋の一隅の作り付けの土間や棚は、天然の貯蔵庫であって、漬物樽がズラリ。「M子さん、すごいねぇ」とおもわず感嘆の声。
 この日はまだ遅い昼食中だったようでしたが、食事を終えた夫のLさんもみえて、近くの工事現場を案内してくださいました。正月休みに入ったらしく一帯は静かでしたが、ある場所は先日の事故のことで作業停止中都のこと。これまで近寄れなかった現場まで踏み込むことができ、私はカメラを置いてきてしまったので、残念。しかも、Lさんの詳しい説明つきで、いりくんだ工事の全体がのみこめました。
 次のNさん宅では「今まで待っていたんだけど、でかけたよ」とのこと。
 最後の山中の現場では、工事は休みと思いこみ、奥まで行こうとしたら、建物から一斉に職員が5名も出てきて、阻止されました。「危険です」というけれど、ある日曜日などは、どこかの観光バスが乗り付けてその乗客が全員、陸橋の上を散策していた場所なんです。 争っても仕方ないので、素直に引きかえりました。
 それにしても、帰省を楽しみにしていたでしょうに、正月をまえに亡くなられた方のご冥福とご遺族の、たぶんまだお小さいかもしれないお子さんたちの辛い新年を思うと、心痛みます。山の崖にはりつくユンポなどを恐ろしいな見続けてきました。
   
 限られた時間の中で、ある処はかけ足である処は話をうかがいつつじっくりと無事に水没五地区を観ていただけました。
 帰途の車中では、Lさん宅でたっぷりとくださった、M子さん手づくりの小粒だけれど甘い干し柿を食べながら、持参のポット熱いコーヒーを入れ、すすりながらのよもやま話。
 本日、ご案内した方は、ダムを人間生活の面から解きほぐす手法で、その多年にわたるお仕事からの含蓄ある独自論を展開してくださいました。始めて現地に足を踏み入れられたのに、その土地の結束力の強さまで捉えられた眼力には、多年にわたり一級の仕事をなされてきた方の目線の確かさを感じさせていただけました。
 ここの処、異なるジャンルの方をお二人続けてご案内させていただけましたが、学ばさせて頂けるものが大きかったです。
 八ッ場の未来にぜひとも持てるお力を賜りたいもの。今回の取り組みがどうか、お仕事としてスタートできるようにと祈っています。ために現地の方たちと力を併せてご一緒にお手伝いをしていきたいものと思います。
 
 暮れのお忙しいのに、快くご対応くださった八ッ場の皆様にお礼申し上げます。
 正月休みで工事が止まり、喧騒の消えた八ッ場には、久々の静寂が戻って、静かで優しい山里になれました。
 でも、切り刻まれた自然界は元の八ッ場にあらず。それは歴然とした事実です。  


Posted by やんばちゃん at 23:26Comments(0)八ッ場だより

2009年12月27日

品木ダム ヒ素問題 活字になりました

 本日、夕方、「月刊 むすぶ」№467 が届きました。
 これは京都のロシナンテ社が発行している「市民・住民運動の交流誌」をめざす月刊誌です。 今月号に「ご存じですか? 八ッ場ダム上流の危ない水事情」を掲載しています。
 10月初旬に「八ッ場ダム問題報道を巡る真実」なる原稿依頼を受けいたのですが、折からの忙殺状態に勝手ながら、お断りさせて頂いた経過があります。「いつでも書ける時で良いから」とのことで…… 
 ようやく忙しさから抜け出られた12月半ば、おそるおそる申し出ると、「17日中までなら12月号に掲載できる」とのことに、14日は終日出かけなければならず、正味3日ほどしかないけれど、がんばってみようと考えました。期日に一応は入稿はしましたけれど、校正段階で結果的にはご迷惑をおかけしてしまったこともありましたが、こうして、一応、予定通りの期日に刊行できて良かったです。

 内容は、10年ぶりにまとめた、品木ダムの詳述ルポです。
 最終テーマは「ヒ素まじりの堆積物」。石灰まじりの汚泥をC土捨て場に野積みする際に、セメント固化しているが、セメントと反応するとすでに化学反応を繰り返してきたヒ素は猛毒なガスを発生するということを、川俣修壽氏の(万代鉱の湧出ヒ素と八ッ場ダム報告」(鉱山研究第86号)の論文を援用させて頂いての記述です。
 
 「目安として4000字。増えてもいいですよ」という言葉に甘えて、書きたいことを書き連ねましたら、指定をはるかにオーバーすることが予測され、伐採前に「2回に連載させて頂いてもよろしいでしょうか」とご相談すると、一挙掲載して下さるとのこと。結局、倍の8000字を超えてしまいました。
 字数制限に悩まれ、いかに冗長な文体を刈りこむかに腐心してきたものにとりまして、予期せぬ寛大な処置でした。ただ、他の方の原稿にシワ寄せがいったり、ページ数が増えて経費的にご迷惑をかけたりしたらとの憂いはありました。
 
 ロシナンテ社をお一人で頑張っていらしゃる四方さんとは、少なくとも10年以上前からの、各種市民運動の場での書籍販売同士としての顔を存じあけでいる方でした。東京での8、15の時には隣同士でしたのでお話をしたこともありました。
 しか私は、当時は「女性学」関連の書籍が主で、1995年の北京女性会議までの東京周辺のイベントにはほとんどの集会に行きましたけれど、その辺りをピークに書籍販売のアルバイトから遠ざかっていましたしたので、その後はお会いすることもなく時すぎました。昨年、八ッ場ダムの集会で久々にご一緒に。
 そんなご縁がつながっての今回の掲載となりました。

 ですが、なかなか協力体制もとれないのですが……、せめてもの償いに多めに注文して、当方にもドサリと送られてきました。
 店頭にも並びますが、もし、必要な方は以下まで下記までご連絡ください。
 送料は第3種ですので、当方が持ちます。
 関東ではなじみが薄いかもしれませんが、数日前、和歌山の知人に伝えましたら、近畿ではつとに著名な市民運動の砦的な雑誌とのことです。

  
  表題   「月刊 むすぶ」№467   ー自治・ひと・くらしーー
  定価    840円
  送料   サービス
  連絡先  spq272s9@rondo.ocn.ne.jp  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(2)紹介

2009年12月26日

来年度予算155億円、未来の展望のために用いよ

 昨日、閣議決定され夕刻に発表された2010年度予算案。
 今朝の各紙はこぞってとりあげ、県内版では八ッ場の予算は別たて見出しで報じています。
 わが八ッ場には概算要求194億円のうち、ダム本体工事費を除く、148億円を7億円も上回る155億円がつきました。
 上毛新聞には「地元の長野原町などは好意的に受け止め、予算案の中身を開催条件とした来年1月の前原誠司国土交通相との意見交換会にも前向きな姿勢を示した」と記されています。
 
 地元関係者の幹部クラスの皆さんは、時同じく昨日、都内で開催された「八ッ場ダム開催推進議連1都5の会」に大量動員されて行っていて。この報は帰途のバスの中で聞いたようです。
 朝日新聞の記者の質問に、高山町長は「とりあえずは大臣にも多少の誠意はあるのかな」と話した由。

 夜、私用にて長野原町の推進派の方のお宅に電話。用件のあと、「昨日、いらしたんですか」と言うと、「あぁ、行ったよ。すごかったい、あそこが立ち見の人も出てあふれたもん」とおっしゃる。「あそこって」と問うと、「憲政会館さ」とのこと。
 で、読んだ限りの新聞では都内とのもみしかなかった開催会場は、国会近くの憲政会館でした。世が世であれば、私には自民党さんの私物みたいな建物のように感じられてならない会館でした。
 この方も予算額にはご満悦の様子。
 で、ことのついでに「1号橋はどうなるんでしょうか」とゆるやかな球を心して投げかけさせていだきました。「こんなけついたんだから、できるんだんべ。本体工事分だけ欠かれたんだから」とのこと。
 
 前原さん、策として時に、変化球も必要でしょうが、最後に過たず直球を投げつけるのが、手腕の見せ所ですよ。
 大事な税金は、水没地の未来のために精査して使って頂きたいものです。
 155億円の億の字を万に変えた金額にも満たないどころか、約半額の年収で、一往復〇〇〇〇円のガソリンを使って、八ッ場通いを続けている者の切なる思いです。私たちを裏切る八百長試合なんて、絶対にしないでくださいね!!  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(2)八ッ場だより

2009年12月25日

14日、横壁でも事故あり

 18日にやんば館近くの2号橋で、3人目の死亡事故が起きた八ッ場ダム建設ですが、実は、遡る一週間前の14日夕刻に、横壁の145号線関係工事でも、事故があったことを、近所の方から伺いました。
 場所は、横壁小倉地区の観音堂(現在は移転)下の則面。コンクリートの吹き付け具合の進捗度を確かめるために、現場監督が生コン車の上に乗り、寒い日の夕暮時だったので足を滑らして転落。救急車で運ばれたそうです。腰などを骨折しかなり重症と伝えられています。
 宮下工業(前橋市)の下請け会社とのことです。ために現在まで作業は中止とのことで、2~3日前に基準監督所が調査に入ったそうです。
 こちらはどこにも報道されていません。
     宮下工業  http://www.miyashitakk.co.jp/about_us/index.html
 今回の件は近所の方が教えてくれましたが、仮に人里離れた現場では、死亡事故にでもつながらない限りは、秘密裏に処理されてもわからなかったかもしれませんね。

 たまたま私は14日も18日も現地に行っていたのですが、しかも18日の事故発生直後にやんば館に寄りましたし、午後も立ち寄りましたが、そんな気配は感じられませんでした。また、14日の14時台には、その工事現場を写真に撮っていたのでした。訪ねたお宅がルスだったので、配り物だけ玄関先に置き、夕暮れ時にまた、行こうかと思ってましたが、その前のお宅で?もてなしを受けて長居をしてしまったので止めました。もし、行っていれば救急車騒ぎで混雑していたかもしれませんでしたね。

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①【2009年12月19日(土) 毎日新聞群馬版】

鉄パイプの下敷きに 湖面2号橋で撤去作業中の男性死亡http://mainichi.jp/area/gunma/news/20091219ddlk10040115000c.html

.............................................
 さて、当たり前のことながら、今日はクリスマス。
 通例ならば、実家の売れ残りの鳥ももや昨晩切り分けたケーキ類の私分のおすそわけを貰ってすますのでしたけれど、本日の夕方は某ホテルでの会にお招きを受けて、楽しくご帰還。この年までクリスマスの会に招かれたのは2回かな。なんとわびしき我が生涯でしょう。それも昨日、急な電話でした(おそらく席に余裕があってのことと推察)しながら、お言葉に甘えました。
 そして、(この底流には)八ッ場がらまりのご縁でしたなんて、正直に言わずに、どなたかも出席するので勇んでとしておいた方が華がありますよね。ハイ、憧れの君との同席に、久々に心ときめかしてでした?
 高崎駅~市役所までのイルミネーションも、平素なら「こんなムダ遣い」と苦々しかったのに、心ときめかせていると光の綾に幻惑されて、「たまには良いもんだな」なんとちょっぴり感じられるのですから、不思議なものですね。

 この日は来年度予算案閣議決定。席上、予算編成、とりわけ県内のことに大きくかかわってきたと紹介された方も、激務をぬって駆けつけてました。
 廻って来られ「今日も前原大臣にあいましたよ」と声をかけられたので、「もしかしたら、対話集会ボイコット」の懸念を「どうなるんでしょうね」と伝えると、「大丈夫。うまく言ってますよ」といわれ、手をだされました。そうか握手なのかと判って、この男性の白いきゃしゃな手と、もう今ではめったにお目にかからないほど荒れ果てた私の手とで、固い握手。手をみればその人の生活がわかると言うけれど本当ですね。でも、私はある市民運動でご一緒に国会などで動き回った、当時のマスコミの世界で華やかに活躍されていた優雅な物腰の方の手を見て、家事をきちんとやってこられた手だなと、いたく感動。その虚実偽りのないしなやかな手の様を今でも覚えています。

  


Posted by やんばちゃん at 23:32Comments(2)八ッ場だより

2009年12月24日

ヒ素まじりのまぼろしの湖よ、いずこへ

 夢の中に、二つの類似の事柄と、まほろしの湖が出てきた、
 実は八ッ場関連の待望の事柄が時同じくして、二手の希望者が浮上。どちらにお願いすべきか悩みつつある。
 夢は正直だから、就寝前に心にひっかかっていることがぼやけた輪郭ながら夢に現れる。そして、寝ざめの床で、本人には思い当たるものである。

 その後、明け方に見たまほろしの湖は、昨日の夕方、20代に耳にした歌謡曲がラジオから流れてきて、久々に聞いたからであった。
 「しあわせに会いたくて、旅に出た私……不明……しあわせの住むというまぼろしの湖」とかの歌であった。確か黛ジュンとか天地真理のあたりではなかったろうか。、もしかしたら二つの歌詞と歌手名がミックスしている可能性もある。芸能界筋のことはトンとダメなのである。それでもここまで見事に忘却のかなたとは、我ながら感心するしかない。
 
 しかし、これは正夢だった。
 遅い昼時にじっくりテレビ版を見ながら、食事を採っていたら、なんと夕刻にTBSで「追跡 “ヒ素隠ぺい” 八ッ場ダムヲ独自調査 関係者直撃」とあるではないか。
 ヒ素とくれば、湯の湖の堆積物の中の基準値を超えたヒ素問題。関係者と言えば、品木ダム水質管理所の職員とか私が知っている研究者と、自分の狭い許容範囲内で単純に考えてしまう、典型的な単純型なのだ。
 もう数日で発売になるが、湯の湖のヒ素の土捨て場問題などについて記述したばかりなので、本日の放送はどこまで解明されるか先日の拙稿にない部分が放映されるか興味しんしん。で、暇をみてはあちこちに「ヒ素問題のテレビ放映がありますよ」と声かけ、お決まりコースのよもやまの長話。ついに自分のビデオ収録が間に合わずのいつも通りの手順になる。
 放送されたのは、勝手に描いた予想に反して、拍子抜け。一時は今朝の夢の余韻とあいまって、「我に予知能力ありき」とばかりにいささか舞い上がっていた節もあるオメデタサ。
 湯の湖には触れず、TBSスタッフによる吾妻川のヒ素測定という、まったくオリジナルな報道姿勢。 関係者とは、ヒ素問題の知らない研究者や測定値の機関であった。  


Posted by やんばちゃん at 22:15Comments(0)八ッ場だより

2009年12月23日

八ッ場通いの年納めは、月末にて

 昨日22日はまた、八ッ場へ行くつもりだった。まったくの私的な用事である。本日の販売用のシイタケを分けてもらいにいく予定だったのだ。八ッ場の産物は、この時期はリンゴとシイタケである。リンゴは先に記したように今年は不作の上に、もうないと言う。原木栽培のシイタケは二軒ある。
 先月から頼んでおいたのだけれど、Gさん宅は育っていないとのことでダメ。残るHさん宅は昨日連絡がとれなくて、材料集めに奔走していた昨日の朝、慌ててせっかちに「これから、往きますけれどよろしいでしょうか」と問うと、ようやくつながって良かった!との高揚感から、声弾ませて話した、受話器の向こうの声はぼそりと不機嫌な声で、「……しいたけなんか、ねぇよ」と言う。一瞬の間の後、「このオッチョコチョイが、まったく!」という。 ここで、アッと思う。「もしかして、コレ、Iさん家」という間もなく、ガチャン。
 何度となくHさんにかけているのだが、携帯もダメ。どうしたのだろうかとあせっているうちにどうやら、暗誦していて手が覚えてしまっているIさんの番号を何かの拍子に回してしまったらしい。忙しいのが口癖のかたに申し訳ない。
 「あんたは、まるで俺ん家の子供みてぇな口の利き方するけど。俺は親じゃないんだよ」とおっしゃるが、これはまるで、親が子供に言う口じゃないですか? 八ッ場通いが少なく見積もっても二〇〇回を超えている。とすれば電話嫌いの湖のかたにも、その数倍は電話してきた、悪い人間だ。
 でも、この年で、子供よばりしていただけるのは有り難いこと。わが両親は娘が悪いので、61歳と68歳で早々とこの世におさらばしていった。もし、両親がもう少し元気でいてくれたら、私の運命は全く違っただろうなと時折り“涙の谷間”にったい降りてみる。
 
 その後、ようやくHさんにつながった。
 昨日から出かけているとのこと(?おかしいなぁ。携帯と交互にはかけているけれど、これは自宅の電話なのだけれど……。でも、これもオッチョコチョイのなせる技かも知れないから、詮索すまい。ちよびっと、心の滓によどませるだけ)
 伺うと、なんとやはり寒くて育たないとのことで不可。
 あわてて実家に連絡。迂闊にも昨日、「原木のをたくさん手配してあるからね」と実家の店の分も無理じいして請け負ってしまったのだ。で、しいたけの手配をしてなく、この日のしいたけは間に合わなくなった次第。「ごめん」と謝る。
  しいたけがダメなら行っても仕方なし。
  浮いた時間は、おかげで庭のセリまで採って、いつもより準備が入念にできた。このセリの大半は、やはり八ッ場のセリを摘ませたものの中には、根付きのものもあった。それをケチの精神が強い私は、捨てられずアチコチに植えておいた。それが結構芽吹いてくれている。
 セリとくれば七草がゆがひらめき、菜の花を採りにいったついでに畑の地面をみたら、ナズナがものすごい。しかも草の間で横にへたばらずまっすぐ青々。極上ものであった。しかも、この畑は完全無農薬の土壌。
 数日前に姉がきて、今度わが家の地続きに移り住むことになった自分の土地ではびこっているナズナを摘んで、きれいにこしらえて持ってきてくれた。そのナズナよりも格段上。夕方の冷え込み厳しい中、うすあかりでひとかかえ採った。おまけに草の間にまっすぐ伸びていて、洗わなくともすみそうだ。

 前夜、丁寧にこしらえるた後は、詰める時間がなくなってしまって、いつものように竹ショウギに持って並べた。主力は実家から格安で分けてもらった無添加のこだわりの純米酒の酒粕。昨日は20㌔のを小袋に分けるのに、通常は1時間で出来るそうだが、私は丁寧に形をそろえて摘め、その間に何回か中断するので、述べ三時間も要してしまった。それと冬至は一日すきたけれどあやかってカボチャとユズ。今夏、草退治を兼ねて食べたカボチャを撒いておいたら、土地の土が適したらしく、ぽくぽくカボチャが大量に採れたのだ。そのカボチャは実家が扱っていた無農薬栽培のものだったので、F1交配もなく親カボチャの遺伝子がそのままでつながってくれたのであろうか。親カボチャの二分の一~五分の一近くの値をつけた。
 冬枯れの季節の中でグリーンのものがあると、黄色いユズとともに生彩を放って、わがにわか露天商の店頭を飾ってくれた。しかし、ナズナが売れたのは二袋×100円≒200円。食べ方を問われて、それへの対応に時間が費やされる。前回のクコの葉は全滅だったから、まあまあ良い。もとはタダだもの。帰途根高崎市内の友人たくにおすそわけ。彼女は価値がわかるヒトだから、ありがたい。
 わが店は、他にはないものを説明つきで売るのが、特徴なり。で、市民運動をしている女性陣や食へのこだわりを持つ方たちは、足を止めてくれる。この月一回の露天商のオバさんに費やすエネルギーと手間暇を考えれば、よくってトントン。赤字ではある。

 また月末に、昨晩のある方との約束で、八ッ場へ行く。 これで今年の八ッ場通いも年おさめ。
  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2009年12月22日

川原湯住民の意思

 テレビ朝日に本日も、八ッ場ダム問題が出た。

 代替地に移るという川原湯住民の意思とは別に、県内民主党国会議員の提案とのズレであった。付随して52億円の1号橋建設の是非が焦点であった。
 私は、10月半ば民主党国会議員に現地の状況を問われた時、前日、八ッ場を歩いて得た確かな情報源をもとに、「川原湯温泉街は、代替地移転を望んでいます」と伝えた。「そうですかぁ? いゃ、大分変わってきて現在の処で良いとかと聞いてますけれど…」とのことであった。
 この方たちの情報源は、たぶんある点的な出所に頼り切っているのではないだろうか。ある1点からでたものと容易に憶測はつくのである。しかし、集落の意見は面積である。良いも悪いものみこんで、その村の総体としての方向性がだされていくのである。
 現実に12月初めの時点でも、「ここら残りたいというものは、だれもいない」と断言の声にまたも、接した。川原湯温泉、現在地新築主義再のルートはほぼ憶測がつく。正しく理想的な意見ながらも、主張した住民への風あたりは一時、強かった。思わず、常日頃は私自身が周囲から受ける注意なのに、「あんまり本当のことを言うと、たたかれるよ」と言ってしまった。
 私も、個人的には現在の土地に再建するのがベストとは思っている。が、ともかく、先走って、下流の好みをいうべきではないかもしれない。下流側が先に行動を起こしてしまったから、埋めがたい川原湯の反発を招いてしまったのだ。
 選択権は住民にある。
 その上で代替地にいっても仕方ないことなど、おのつ゜とわかってくるのではないだろうか。後先が逆になれば、意地でも代替地選択を死守することになりゆく。
 人さまの土地の方向性を、どんなに理想があり、その方が正しくともこざかしく私見を突き進めるのは、謁見行為ではなかろうか。
 仮排水トンネル工事反対とか一号橋不要論というのとは、内容が違うように考える。
 
 長い間の桎梏を忘れて、陽があたり広々と明るい場所に越したい気持ちは、判らなくはない。
 だか゜、それがダム湖建設への一里づかとしての隠された意図のもとの要望にも感じられ、「ダム建設の夢よ、再び」の意図が見え隠れしなくはないことには問題性もある。もし、そうだとすれば、闘わざるをえない。

 
 さて、本日はまた、八ッ場へ行くつもりだった。まったくの私的な用事で、明日の販売用のシイタケを分けてもらいにいく予定だったのだ。先月から頼んでおいたのだけれど、Gさん宅は育っていないとのことでダメ。残るHさん宅は昨日連絡がとれなくて、今朝、慌ててせっかちに「これから、往きますけれどよろしいでしょうか」と問うと、ようやくつながった。良かったと思ったら、「……しいたけなんか、ねぇよ」と言う。一瞬の間の後、「このおっちょっちょいが、まったく」という。ここで、アッと思う。「もしかして、コレ、Iさん家」という間もなく、ガチャン。何度となくHさんにかけているのだが、携帯もダメ。
 そのうちに暗誦しているIさんの番号を何かの拍子に回してしまったらしい。忙しいのが口癖のかたに申し訳ない。「あんたは、まるで子供みてぇな口の利き方するけど。俺は親じゃないんだよ」とおっしゃるが、これはまるで、親が子供に言ウ口じゃないですか。
 その後、ようやくHさんにつながった。伺うと、なんとやはり寒くて育たないとのことで不可。あわてて実家に連絡。たくさん手配したからと実家の店の分も請け負ってしまったのだ。迂闊だった。私がわけてもらってくるといったのでと本日のしいたけは手配してなかつたという。「ごめん」と謝る。
 昨年も暮れは無理で、二軒とも年明けにようやく軌道にのって育ちだしたものであった。
 しいたけがダメなら行っても仕方なし。おかげで、庭のセリまで採って、いつもより準備が入念にできた。
 
 また、昨晩のある方との約束で、月末に行く。 これで今年の八ッ場通いも年納めとなる。  


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2009年12月21日

ダム政策は、一種の棄民か?

  一昨日、入稿した拙稿の中で、ヒ素の流出を防ぐために、ヒ素まじりのヘドロを湯の湖に注ぎ込む川筋の高台に捨てていることを記していた過程で、私の筆ならぬパソコンは次のように勝手に先走りしてくれた。

ーー思わず、下流の治水利水のために犠牲となった上に“一種の棄民政策”とまで評される、八ッ場の方々がたどらせられている現実と、安全弁としての大沢川の宿命的な役目が重なってならなかった。ーー

 さて、今朝の朝日新聞全国版には、来月24日の前原大臣来町の影に、大沢群馬県知事は、10日ひそかに前原大臣とあった。その際に《「迷った末に一枚の紙を渡した。整備を望む県内の国道を列挙し、「予算確保に特段のご配慮を」とあった。》と記事中にある。朝日のスクープでよくぞ書いてくれたと拍手を送りたい。
 つまり、今回、知事は八ッ場の民を前原と合わせるために影の推進力となった。が、それは、県内の道路予算と引き換えの取引であった。裏取引があったのだ。どうも筋書きがおかしいと思った。急にこれまた臆面もなく推進派の副知事が、ノコノコと八ッ場へいくなんて。
 長野原町の水没住民は、大沢知事に裏切られたことになる。

 「ドミニカ棄民」といういう言葉は、出入りしていた出版社から本が刊行されていたので知っていた。
 国の政策によって捨てられた民 という意味らしい。長野原町の方たちは「自分たちはそんなみじめな存在じゃない」と思うだろう。が、しかし、構図的には大沢知事からも捨てられたことになる。
 長野原町の方たちと前原大臣との意見集会の開催は、望むところではある。ダムも反対である。
しかし、この交渉部分のみ切り取れば、明らかに裏切られ“一種の棄民政策”なのである。
 八ッ場の皆さんよ、怒れ。
 取引きにつかわれたんですよ。知事は八ッ場の明日よりも、県内の道路網整備の方が大事だったんですよ。  


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2009年12月19日

湯の湖よ、春までサラバ

 草津はやはり、スキー場です。
 いかに、長野原町が快晴でも、雪が降るのは当たり前。
 六合村の探索は、初めてという方に案内役をかって出て、最近、私が発掘?したばかりのとっておきの場所アラカルトをお見せする心づもりで、勇んで出かけたのは良かったのですが、湯川発電所にさしかかった時点で、早くもチラホラと雪。その後、草津町へ抜ける間の約10㌔の長いことと降りつける雪のひどさ。
 最初に湯川に落ちる様や品木ダム水質管理所を見て頂いて、その後、通過した湯の湖に行こうと思ったけれど、草津町内の積雪の方が多い始末。せっかくおいで頂いたのに、降りつける雪の中では、思うにカメラに収められない始末。次に管理所内に。昨日、手続きの強化に思わず抗議めく口調になった方と、本日はなごやかに対面。昨今のヒ素の報道以来、窓口は八ッ場ダム工事事務所並みの一本化。オンリーワンのその人がいなければ、見せないとのこと。
 しかも、ついに湯の湖は断念。
 帰途の草津町から長野原に下る道の路面は凍結状態。怖いこと、この上なし。
 けれど、乗ってくださっている方の方が、ご自分も運転なされる方ゆえに、さぞかし怖くなられたことでしょう。そして、長野原町の大津に入ったら、なんと薄日がさすではありませんか?
 今でも、せめて湯の湖だけでも、ご覧頂きたかったです。ご本人は道がわかったら、来春きますよとはおっしゃってくださいましたが……

     新政権はクマ笹のようなもの? 
 あるお宅、Eさんとしましょう、に立ち寄ると、なんとおモチをついて、のし仕上げたばかり。Eさんにあったかいモチを切りわけてもらったりして、お客さんにも喜んでもらえました。そして、写真におさめてくださいました。
 道々の別のお宅、今度はFさんでしょうか、昨晩の会議の来月24日決定について、「たぶん、前原は都合悪いって言うよ」とのこと。思わず「ふーん、連戦のつわもの揃いのこちらの皆さんの作戦はすごいてすね。そこまで読んでの昨晩の決定なの」と。「いや、俺はそう思ったんさ」とのことでしたが……
 しかし、前原さんは「有り難い」と受け入れた模様ですね。
 自民党特有の粘り強い闘い方を心得ている、こちらの皆さんの周到な駆け引きにはうならざるを得ません。
 それにしても、新政府はつややかで見てくれはいいけれど、すぐに折れるクマ笹のようで、頼ってつかまるには不安材料いっぱい。(突然のクマ笹の出現でお分かりになりにくいでしょうが、先ほど、沢を降りる時に、用をなさぬクマ笹のことを記した拙稿のゲラを直したばかりなので、つい)  


Posted by やんばちゃん at 00:05Comments(0)八ッ場だより

2009年12月17日

ついに受け入れ決定、意見交換会

 今晩、行われていた前原大臣からの4度目の申し出による、意見交換会の諾否をめぐる話し合いは、「受入れ」に決定。
 但し、年内は忙しいので、地元の方たちの希望は、年明け1月24日の第4日曜日が希望日のようです。

 地元情報とあるマスコミ筋の知らせによりますと、会議前の10分ほど、マスコミ取材が許されたようです。
 取材陣は100人を越えたとかに伝わっています。
 21時頃に終了したとのことでした。

 本日は、珍しく?仕事に追われて行けなかったのですか゜、明日はまた、案内のため、八ッ場へ行かざるを得なくなりました。
 明朝までのつたない草稿の入稿に忙殺されている最中、今晩、八ッ場に泊まられている方の旅館への聞き役を引き受けたまでは良かったのですが、思わぬ手間かき仕事をしてしまいました。最初のいつもの宿が思いもかけず開店休業状態にて不可。次々にほとんどの旅館を聞きまくった次第です。しかも、現在、混んでいないとは漏れ聞いてましたが、七軒中四軒(※後で聞くと5軒)もの旅館が本日は休みとのことに往生しました。電話での応接なから、川原湯の旅館それぞれの対応ぶりを肌で知った次第です。客商売というのは、口のきき方ひとつですね。
 ちなみに私の声はすぐわかるらしいので、ダム反対派と判ってしまったのでしょうか。私は川原湯温泉にはなじみがないのですけれど……。
  


Posted by やんばちゃん at 22:11Comments(0)八ッ場だより

2009年12月16日

意見交換会なるか 明日18時~

 4度目の前原さんの意見交換会打診を受けて、以下の報道によれば、県をあげて
賛成の方向性を示していますが、明日の地元の協議はどうなりますでしょうか。
 昨日、あるマスコミ筋から時間と場所を問われて、地元の出席者の一員の方に伺いましたら
  時間は 18時~
  場所は 川原湯温泉駅前の国交省の建物
 おそらく、マスコミなどは会議前の撮影のみでシャットアウトと思われます。
でも、あうか会わないかの決定的瞬間であり、それが20日になるか23日になるかを一時も早く知らせたいわけですから、恐らく殺到するものとの予測もあり。

////////////////////////////
①【2009年12月16日(水) 毎日新聞群馬版】
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20091216ddlk10010105000c.html
八ッ場ダム・流転の行方:大澤知事、国交相会談実現に期待感 
 ◇「地元、思い伝える時期」

////////////////////////////
①【2009年12月16日(水) 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20091216-OYT8T00127.htm
八ッ場ダム 対話受け入れへ期待感
  知事「生活再建のため必要」
  


Posted by やんばちゃん at 20:28Comments(0)紹介

2009年12月15日

昨今の八ッ場の動き

 私的な駄文が続きました。
 本日は、三つの八ッ場最新情報を、久々に投稿したメールの転載と新聞記事にて、再構成してお届けします。二につきましては去る12日のお知らせと一部重なりますことご容赦ください。

 一、12/11(金)18時48分、 送信メールの転載
   --前略ーーー
 群馬県議会「八ッ場ダムダム対策特別委員会」専門家意見聴取の傍聴中でしたので出られませんでしたが、当方の携帯に八ッ場ダムについて、群馬選出の衆議議員秘書で元々は鳩山さんに近い方から、次の連絡がありました。14時半頃。
  本日、前原大臣会見の中で、
「来年の通常国会には、八ッ場ダムの生活再建案はだせないのではないか」との見通しを話したそうです。
 川辺川の方が進んでいるようなので、川辺川をモデルにするということに。また現在、検討作業に入っているのでそれを待つことになったようです。
 本来なら、八ッ場をモデルにすべきだけれど、抵抗が強いのでとの言葉添えがありました。
 
 また、昨日10日、群馬の衆議院議員さんからも、あることで電話を戴き、その中で「情勢はなかなか進展しないで申し訳ないが、前原さんは必ず止めると言っていますので、もう少し待ってください」の知らせがありました。
 帰ってきたばかりなので、まだ前原発言のニュースを聞いてません。
 どなたか、ニュースなどでキャッチされた方、いらっしゃいますか?
 
 これに対して、早速、以下の情報が寄せられました。 
 http://news.google.com/news/more?cf=all&ned=jp&topic=p&source=uds&ncl=d-F0lICEWlvxqFM5B1mWLqERiJ-YM
 さらに、
  ◆ダム生活補償法案 提出見送り(NHKニュース)<動画あり>
    http://www.nhk.or.jp/news/t10014347961000.html#
  ◆ダム中止補償法案、来年の国会提出見送り(朝日新聞2009年12月11日13時45分)
    http://www.asahi.com/politics/update/1211/TKY200912110267.html

二、 (去る12日も記しましたが、12/11(金) 20時43分、 送信メールの転載
 現地情報です。
 八ッ場現地に先ほど、いつもながらの電話を入れましたら、本日11日、前原大臣からの現地住民との意見交換会の4度目の打診のメッセンジャーとして、群馬県副知事と部長(?河川部長)が、長野原町を訪れたようです。
 午前中のことと思います(二人とも午後は知事とともに、特別委員会に見えてましたから)。
 恐らく、私に伝えてくれた方による現地のニュアンスは、今回も拒否のようでした。
 で、「早く、テーブルについた方がいいよ」と伝えておきました。

////////////////////////////
①【2009年12月12日(土) 上毛新聞一面 中段】
八ツ場問題で国交相、住民との意見交換会を打診
http://www.raijin.com/news/a/12/news03.htm
////////////////////////////
②【2009年12月12日(金) 共同通信】
 八ツ場住民が17日に協議へ 国交相との意見交換めぐり
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121201000194.html

三、二に対する、本日の朝日の全国版報道です。
  実は、11日20時過ぎ支局に、昼間お会いしていた記者にもしかしてとお知らせ。翌朝は地元に根を張っている上毛新聞のスクープになってしまいましたが、この間に追跡調査されています。より具体的な報道となっています。本当に開かれるといいですね。
  ////////////////////////////
【2009年12月15日(火) 朝日新聞 13版 39面】
http://www.asahi.com/national/update/1214/TKY200912140342.html
八ツ場ダム、国交相と年内対話も 地元17日に対応判断

 八ツ場(やんば)ダムの建設中止問題で、群馬県長野原町の地元住民らが17日に会合を開き、前原誠司国土交通相が求めている直接対話を受け入れるかどうか判断することがわかった。前原国交相は年内の対話実現を求めている。国から仲介を依頼された群馬県幹部が本格的な説得に乗り出した。対話が実現すれば、前原国交相が9月に建設中止を打ち出してから初めて。ただ、地元には対話に慎重な意見も根強い。

 前原国交相は就任直後の9月にダムの建設中止を表明。直後に地元を視察したが、地元住民の代表は前原国交相の用意した意見交換会への出席を拒んだ。その後、国交相側は10、11月にも対話の実現を求めたが、地元は「建設中止の白紙撤回が条件」などとして受け入れてこなかった。

 長野原町では、建設中止の撤回を求める声が根強い一方で、「前原国交相と直接話したい」「問題を来年に持ち越したくない」との声もある。

 今回も国から仲介を依頼された群馬県の茂原璋男(しげはら・あきお)副知事が10日に電話で高山欣也町長に打診。高山町長は断ったが、茂原副知事と川滝弘之県土整備部長が翌朝、町長室を訪ねて説得した。高山町長はダム予定地の住民でつくる水没関係5地区連合対策委員会(萩原昭朗委員長)に諮り、対応を決めることにした。17日に同町で会合を開くという。地元が受け入れれば、20日か23日に意見交換会が開かれる見通し。

 前原国交相はこれまで、建設中止とは切り離し、「地元の生活再建事業は続ける」と繰り返し述べているが、民主党内には、ダム中止後の生活再建策が過大にならないようにすべきだとの声が出ている。関係者によると、県側は、このまま対話を拒むと生活関連事業への国の予算がカットされる恐れもあり、国交相に地元の要望を直接伝えるよう求めたという。

 ある地区のダム対策委員長は朝日新聞の取材に「いずれ年末年始には会わなくちゃならないだろうと思っていた」と語った。一方で別の委員長は「大臣は信用できない」と話した。(菅野雄介、辻森尚仁、大井穣)   


Posted by やんばちゃん at 12:34Comments(0)八ッ場だより

2009年12月14日

ご用聞き的なコピー担当役ーーしいたけとユズの物流記

 八ッ場へ行ってきました。
 なにやかやとお見せしたいコピー類を整えているうちに、またも自己予定の日本時間も甚だしいスタートに。
 加えて、この日は冬場コースの第一コースを、初めて走ったたものだから、榛名山中を吹っ飛ばす通常コースよりも、かなり時間をくってしまいました。で、お邪魔するお宅も、限られてしまいました。
 本来は、土曜日にでかけるつもりだったのです。
 八ッ場関連の記事のことを八ツ場のある方、(昨日に続き今度はCさんといたします)に伝えると、「こっちの本屋にはないと思うから。買ってきてくれ」と頼まれてたのです。複数の本屋に問い合わせてもなかったので版元に注文。以外に早く到着した取り寄せ雑誌をお届しようとしたのです。
 ところが、さあでかけようとした、土曜日の12日。
 置いたと思うところにないのです。コピー類を整える合間にもあちこち探し回ること二時間以上。
 念のため、いつもコピーを無料でとっている弟の家のコピー機の周りにもなし。義妹に聞いてもみかけないとのこと。なんと、昼を過ぎ一時も廻り、二時近くについに断念。前日の雪で路面凍結は想定されます。昨晩、「明日、持って行きます」と伝えた、お宅に止む無く延期の電話。
 結局、未だに探し出せず往生しているのですが、13日夕刻の電話で、幸いにして、肝心の記事を私の分として、この方に無断で取らせて頂き、「私の分も、勝手に採らせていただいたから、代金は半額でいいよ」とお伝えしていたのがあったので、そのコピーでとりあえず我慢していただくことになったのです。でも、この方は、さっしそのままをある処で披露したかったことはわかっていますので申し訳なさでいっぱい。
 ああ、年は取りたくない。
 で、お詫びの気持ちで、自分でもまだ眼を通してない記事類もたくさんコピーして、お届けした次第です。
 かくして、コピー類の配達係が主要目的で、この日は参上。
       
     しいたけとユズの物々交換日記 
 Cさん宅の長い門口への道に踏み込むと、出かけようとしていたらし、車のドアを閉め掛けていたCさんに、「忙しいんでしょ」と「ああ」という。「じゃあ、幾つかあるから説明しないとわからないかもしれないけれど、玄関先に置いていきますね」と言うと、一旦はでかけようとされたが、「待ってな」と言って、エンジンを止められた。たぶん、そのもの物腰から?何かくださるんだなと、いつもの雰囲気からの第6感でひらめく。
 「……何も心配しないで! 遅れると困るから出かけて」と口早にいい放ちつつ、なのにふと気がついたら、Cさんと玄関先まで並んで歩いてしまっていたのです。門口で渡せばすむことなのにと、苦笑。
 でも、すばやく身を翻して車の処に戻ったら、お見せしたい雑誌の袋があったので、どうしようかと瞬時、逡巡しているうちに、Cさんが「待ってな、待ってな」とf走るようにして、両手にしいたけを乗せられるだけ持ってみえました。まるで、「いいよ。いいよ」と言いながらも、下さるのを待っていたようで、きまりの悪いこと。
 「さっき、竹藪にいったら、生えていたんだよ」と。つまり、このお宅の初物なのでした。
 それを頂いてしまった、申し訳なさ。
 こういうことにならないようにと、このお宅にはあえて、出がけにわが家の門口で少し採った、これまた初もぎのユズなどを置くのは避けていたのです。コピー類ならまだしも、たとえユズ一つでも添えると、余分なお気づかいをさせてしまうので、このお宅には、次回にと思っていたのです。
 でも、本当に見事な理想的な形のポックリ型のしいたけです。初もぎの晴れがましさにシイタケたちも内部から輝いています。
 明日、写真におさめてから、大事におすそわけしようとわくわくとしています。

 最後は、最初に伺ったのにお留守だったDさん宅に戻り、「寒いから、足、あっためて行きない」との言葉に、ご相談ごともあっての再度の訪問だったので、私は玄関先でも構わないけれど、この方がお寒いだろうと素直にあがらせてもらいました。
 もう一軒、やはりおルスだったので、前回お借りしたものを玄関口においてこようかと逡巡したけれど、やはり手渡しでお返しするのが礼儀と考え直し、もう一度、来てみようと思ったEさん宅があったけれどと思いつつも、これまた、次回にしようと、ゆっくり、温めさせて頂いて、帰途に。
 コタツの周りを見回して、いただきものらしいお菓子類を物色、飲み物と一緒に「食べない」と出してくださったので、またも「いいですよ。ご自分でどうぞ」と言うと、「そういう下手な遠慮が良くないんだよ」と繰り出された。しかも「そうは言ったって、あんたはいつも最後はたぺるんだから、最初からありがとっていうんだよ」とは、辛辣なお言葉。
 確かにご観察が鋭い! 
  親の意見となすびの花なみに、この方のご示唆はいつも的確。
 「はい、それではあらためて有り難くご馳走になります」と笑いながらも、内心にはこっちの言い分もあり。いつも最後は食べるんだからとのご指摘ですけれどね、食べるまで強いて、とどのつまりはこのグサッとするような“もてなし語”まで繰り出されての今回同様のおもてなしはどちらでしょうかと。
 こういう方が住んでいらっしゃる、八ッ場の土地はホントに大好き。まさに、“みごとなご仁”(?共同浴場のマナーチラシの言葉にあった)
 そこで思い出す、笑いを誘う古歌がある。食べろ食べろというから私はたべる≒語る のであって、さしづめ、「ひどい方」と憤慨する志斐のおみなの役目がら?
 
  いなといへど強ふる志斐のが強語(しいがたり) このころ聞かず朕(われ)恋ひにけり(万葉集巻三 雑歌)
  いなといへど 語れ語れと詔(の)らせこそ志斐いは奏(まを)せ 強語と詔る

 午後は雪もよいで、一時チラツキもしましたが、夕刻にはやんでくれました。
 土地の方たちは、長年の経験でわかるんですね。訪れる家々で「はぁ、雪は大丈夫だよ」と判断して下さったので、暮れ時になっても安心感がありました。
 帰り道、最後のDさん宅に、うっかりしてユズを置いてくるのを、他の細々としたことにまぎれて、忘れてしまったことに気がついた次第。ユズは長野原地域には、中之条あたりが北限らしく育たないのだそうです。で、この時期の毎年の持参品として、つややかな黄色は、希望の色につながるのでしょうか、ことのほか,、八ッ場の方に喜ばれるのです。
 でも、わが家のは小粒。で、色は淡い黄色できれいなのですが……、差し上げるのに気が引けてしまいます。
 帰宅後、頂いたしいたけの脇に、車の中にわざわざ残しておいたユズ数個を見つけて、うどん好きなDさん宅に、「ちっちいな」とケチをつけられるのを覚悟で、お渡しできなかったのが何とも心残り。
   


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2009年12月13日

八ッ場のちっちゃなリンゴを添えて、書籍販売を

 本日は、本来ならば一昨日の11日の県議会「八ッ場ダム特別委員会」傍聴記を記す心づもりでいました。
ですが、連日、一日遅れないし、記せなかった事例もあり、時は容赦なく勝手に過ぎてしまいます。
 もはや手遅れも甚だしい若い日の、「将来の進路」として願わくば、時の最前線をキャッチする報道関係に進みたかった人間といたしましては、せめて昔日の夢に連なるべく“時の前髪”の数本の髪のその端でもつかんでいたいのか、ついえたあえかな願いというもの。
 ですので、今後は本日のことはその日のうちに(でも、一年の計と同じく、果たしきれないことがまた常)。

 なお、いずれ記すつもりですが、ヒトことで言えば、この日の「専門家等意見聴取」は、下流都県の被害の実態に関してですので、「防災」というダム反対派のウィークポイントを見事についた企画でした。とりわけ休憩後の二部にての、ゼロメートル地帯、江戸川区土木部長はまさに“タダモノならぬ”明晰かつ覇気にとんだな語り口にて、利かせどころを力説する演技派ぶりで、場内を魅了。拍手が何度が起きてました。
 徴収会前の10分ほどの委員会の話し合いでは、「賛否両方の意見を聴くべきでは」との提案が黒沢県議から提出。しばし、紛糾しましたが、聴衆会の定刻が迫っているので、終了後に再開ということにて決着。今月25日までに次の講師の候補持ち寄り選定となりました。

 ヒト言多すぎるオバさんのためか、ヒト言が長くなりました(蛇足ながら、これもヒト言ならぬ1行多しですね)。
 本日は「八ッ場のこれからを考える」という緊急集会が高崎市役所近くの会場であり、書籍販売でお世話になりました。
 集会本筋のことは、主催者の皆さんが報告されることですし、シンポジウム場内には時折り、チョイ見に入らせてもらっただけですので、相もかわらぬ枝葉末節のことのみを。
 参加者は一階のここの定員は275席ですから、参加者は250名はいたでしょうね。
 地元ということもあり、参加団体の皆さんの多くは顔みしり。県教組、国労さん始めこの間、30年近くに及ぶ各種市民運動でお世話になったり逆に共闘関係でお手伝いしたりの常日頃おしりあいの皆さん達。市民運動の金太郎アメ的なオバさん組の一人として動き回っていた頃に比して、ご無沙汰がちだったので、旧かつを温められて良かったです。
 
 なお特筆すべきは、八ッ場現地の方も複数見えたことです。
 この手の集会に参加することは、どちらのご意向の方にとっても、大変な勇気が要ります。
 佐野中のお一人、(しかも、本欄もと゜こかの機関にチェックされているので、)Aさんといたしましょう。誘われていたらしいのですが、迷ってらしたので「いらしたら、いいじゃないですか」と前の日、声かけを致しました。
 そして、ついつい鳩山さんの「絆」にあやかって、その絆づくりのためにさりげなく、私の立場内での奔走。次の一手につなげられたものと思います。

 記念すべき県内で初の書籍販売。
 で、ひらめいて、心ばかりの感謝の意味で、八ッ場のS農園のちっちゃなリンゴをお買い上げの方に進呈。
 通例、霜が降りないとフジにミツがはいらないのだそうで、11月半ばにならないと収穫できない品種ですが、今年は早くも完売とのこと。で、先日、お邪魔した時、私も進物用としての大振り粒ぞろいのリンゴは分けてもらえなかったのです。小粒でいわゆるハネダしものも数少なく、でもお味は抜群。それも今年は少ないみたいでした。
 しかも、職人堅気のご性質。良品以外は売らない主義。おしげなく「ほれ、持ってげや」と大袋で頂いてきたこともありました。でも、今年は「もってげ」というからいつもの調子で詰めだしましたら、「アンタねぇ、今年は全部でそれだけなんだよ」と制されたほどでした。 
 例年ですと、小粒のリンゴはジュース用にするらしかったのですが、割にあわないらしく、ここ何年かは止められたので春先まで残っていて、「もったいないね」と思い続けていたものでした。もぎ取りや箱詰めのお手伝いなどをしたことがあるので、例年の物量を知っているのです。
 そして、ある年は畑地にばらまいて、トラクターがけをしている場面に出くわして、もったいないがりやの私は、胸つかれ、思わず、この方が嫌がる写真を撮りました。
 だから、昨年は早めに手をうって、フリーマーケット用に分けてもらつて、格安で販売させてもらったものでした。
 
 出がけに急いで打ったポップ広告の「差し上げます」の付記には、「おかげさまで旨さで評判のS農園のリンゴは早くも完売になりました。ちょっと小さく、傷もありますが…」として、選んで頂く際にも「キズものですけれどお気を悪くしないでください」と言葉添えを致しました。ご理解くださって、うれしそうにポケットにねじこんでくださいました。

      全ての手順にダム建設ありの、八ッ場の現実 
 今年、収穫高が少なかったのは、天候不順にもよるでしょうが、やはりダム建設に起因しているのではないでしょうか。
 というのは、リンゴ栽培のご苦労は大変なものです。しかも厳冬の2月時の剪定作業などはしんどいものです。
 八ッ場を訪れて、国道沿いの水没地にあるリンゴ畑の奥に、80歳の老骨に鞭打って作業に余念のないSさんの姿をみつけだすとほっとするものです。
 しかし、昨年からは急激に進展をみせた各種工事。
 ダム反対を言い続けたこの方も数年来続く足腰の痛みもあり、、限界を感じられてか、リンゴ栽培を観念しそうになったことがありました。大いに悩んでいらして、逡巡していられたのです。人頼みの人件費に追われ、はた目にも経営的になりたたないことは明らかだったのです。
 来年も栽培するのなら、今、作業に取り掛からなければならないと。しないなら、寒中のあんな大ごとはしなくてもいいんだしと。とても不機嫌な選択の一時でした。ダム工事の急激な進捗度は、否応なくこの方の上にも迫ってました。
 私があれほど歯ぎしりしても、笛吹けど踊らずして、転流工の工事も進み、確かにもはや時間の問題になっていた時期でした。
 でも、この方の生きがいは、農作業。しかも誰よりもいち早くみごとに農事をこなし、田畑を輝かせておくのがモットーなのです。よくぞ非農家に生まれ大農家に縁あったとはいえ、しかも定年後に本格的に始められたとはいえと私はこの点は、敬服のまなざしで見つめ続けさせて頂いてまいりました。
 僭越ながら、叱られるのを覚悟で「いよいよ水没するまで、やっておくしかないじゃないですか。止めたらそれでおしまい」と申し上げたしだいでした。

 そして、ギリギリのところで決断されたようです。
 「あら、やるんですか」と声を放ちますと、「うん」といつもの調子でした。そして、目標定まって、体調も良くなられたらしく、5月の田植えは、一番乗りではなかったようですが、(今度はBさんとしておきましょう)からの情報によれば、「すげぇよやなぁ。あの年で一人で植えたよ」とお手伝いを頼まず、一人でこなされたとの由のことを知りました。
   
 何度も思いました、この方が農作業が出来る間に、そして八ッ場の自然がこれ以上切り刻まれないうちに、然るべき映像ができないかと。ために、先日も八ッ場関連の上映会があると知り上京したのです。
 昨年、厳寒期に沼田地区のリンゴ園の方が剪定している写真の地方版を見て、従事者のどなたも同じような完全防寒の恰好に、この方かと思って思わず、釘づけになってしまいました。そして、ダム反対運動の一員でありながら不謹慎にも(あぁ、この時点では早晩、ダムに沈むとされていた)八ッ場のSさんのリンゴ剪定姿の方が「ストーリィー性があるのになぁ」と。
 
 でも、意固地というか、信念のありすぎるこの方は、全てを正攻法でもっていくと拒否。しかも、少しでも妙な動きをすると、お出入り禁止の怒りの持主。
 人を見る目がなく、ヒトの吐く言葉をそのまま素直に丸のみして、この日もひとつ憂き目をみて「あぁ~」と思う私でも、約九カ年のおつきあいの中で、すこしは会得するものはあります。
 明日は、決して裏切られない八ッ場の自然界に接してこようと思っています。
 
 さて、またも長くなりましたが、そんなこんなのたかがリンゴ、されどリンゴのフジにまつわる周辺ストーリィなのです。
   


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2009年12月12日

前原大臣、四度目なるか

 昨日11日夜、前原大臣が4度目の現地入りを打診していることが判明しました。
八ッ場現地に先ほど、いつもながらの電話を入れましたら、昨日11日、前原大臣からの現地住民との意見交換会のメッセンジャーとして、群馬県副知事と部長(?河川部長)が、長野原町を訪れたようです。
午前中のことのようでした(二人とも午後は知事とともに、特別委員会に見えてました)。
恐らく、現地は今回も拒否のようなニュアンスでした。
そこで、「早く、テーブルについた方がいいと思う~よ」と伝えておきましたけれど。今度は実現できればよいですね。

 で、おせっかいおばさんの本領を発揮して、昼間、県議会傍聴でおあいした顔見知りの県内版二紙の記者さんに連絡。
一社は記者が席にいず、一社の記者からは知らなかったので助かったといわれました。

 でも地元紙・上毛新聞はキャッチしていた模様。こまめな連絡網にてか地元紙の底力を見せつけてくれました。
 本日の朝刊一面に、ありました。
 報道によりますと、17日に協議がなされるようです。私に伝えてくれた方のニュアンスでは今回もムリのような気配でしたが……
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①【2009年12月12日(槌) 上毛新聞一面 中段】
八ツ場問題で国交相、住民との意見交換会を打診
http://www.raijin.com/news/a/12/news03.htm
 前原国交相が八ツ場ダム本体工事の中止を表明した後、地元住民との話し合いが行われていない問題で、前原氏側は11日、県を通じて地元側に年内の意見交換会の開催を打診、これを受け水没地区の住民で組織する八ツ場ダム水没関係5地区連合対策委員会(萩原昭朗委員長)が17日に会合を開き、意見交換に応じるかどうかを初めて協議することが分かった。
 前原氏は中止表明直後の9月23日に現地視察する際、意見交換会を地元に申し入れたが、住民は中止表明の白紙撤回を求め応じなかった。その後も前原氏側は数回、県を通じて地元側に開催を打診したが、実現していない。
 前原氏は11月26日に地元住民代表から八ツ場ダム事業推進を求める署名簿を受け取った際、中止表明がさまざまな形で住民生活に影響を及ぼしていることを陳謝。住民代表の一部には前原氏のこうした姿勢を評価する声があり、協議の行方が注目される。

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②【2009年12月12日(金) 共同通信】
 八ツ場住民が17日に協議へ 国交相との意見交換めぐり
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121201000194.html
 八ツ場ダムの建設中止を表明した前原国交相に対し、意見交換を拒否してきた水没予定地の住民でつくる水没関係5地区連合対策委員会が、意見交換に応じるかどうかを協議する会合を17日に同町内で開くと決めたことが12日、分かった。委員会が明らかにした。
 前原氏は9月、ダム建設予定地を視察した際、地元住民と意見交換会を予定していたが、住民側は「中止が前提ではテーブルに着けない」などとして拒否。その後も前原氏は群馬県を介するなどして、たびたび住民側へ意見交換を打診してきたが、断られていた。
 委員会の萩原昭朗委員長は「どうなるかは(会合に出席する)みなさんが決めること」。篠原憲一事務局長は「雰囲気としては、会うだけ会ったほうがいいのでは、となる可能性もある」と話している。
  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)紹介

2009年12月11日

?翌朝はアップされた「広報やんば」のお値段

 9日付、本欄に記しましたように、国交省の翌年度一括開示との入札方式に腹をたてながらも、翌10日には、長野原町の水没しない与喜屋にある八ッ場ダム工事事務所に出かけて、そこでは見られるとの通いなれた閲覧室に行こうかと思っていた矢先の10日午前11時すぎ、予期せぬ電話がありました。
 
 それは、八ッ場ダム工事事務所総務課の契約担当者から「訂正」なる電話でした。
 「昨日はうかつにも忘れてしまって、来年度に一括掲載と言ったけれど、事務所のホームページにアップされていましたのでご覧ください。私が忘れていたのです」式の訂正でした。
 ひらめくものがありましたが、(たぶん、?このブログもどこかの監視体制化にあり、読んだどこかの指示による、おそらく高度の判断でしょうがと)、すかさず、「じゃ、一緒に検索してみましょ」と一旦は電話を切り、かけなおしました。
 「でも、昨日はここにはなかったわよね」との一言の抑えと確認はしましたが、否定語はかえってまいりませんでした。まだお若い職員さんの前途もありますので、「業務内容が複雑ですものね」と慰謝しながらも釈然としないものは残りました。

 実は翌日の11日はもしかしたら、県議会の「八ッ場ダム特別委員会」が傍聴可能となるかも知れないから、土曜日に行ってこようと思っていた八ッ場行きだけれど、平日でないと閲覧不可。土曜日に持っていくつもりの配布物やおかえしするものなどの準備は整わないけれど、一つのことにキリをつけないと落ち着かない正確だから、早お昼にして午後から、例の閲覧室に行ってこようかと心づもりしていた矢先だったのです。
 そこで、「早くに知らせてくれて、またもの“時間のロス”をしなくて助かったわよ」と伝えた次第です。
  
 そして、「早いわね、私のブログ読んだの?」と謎かけしましたら、「職員のパソコンからは、そういうのは読めないんです」ときっぱりと否定。以前、株のインサイダー取引などから端を発し、公務員は職務中にはできない由。
 ヨシヨシ、それでこそ、わが国の公務員さんです。
 でも、群馬県警の最上階には公安の方たちがつめていて、常に思想犯の動向確認にご精を出しているとの風聞を聞きましたが、その手の専門職がいるはずです。事実、朝1番に、本省からの連絡やマスコミや市民側の資料が送信されてきていることは、かつて「あら、早いですね」と感嘆したことがあり、判ってます。
 ですので、これも読まれているものと心づもりしています。
 でもね、優秀なる頭脳の皆さま方。私たちは絶対値のある限られた命のなかで、誰も誰も、己が信じる「よりよい明日の到来」を目指して、自分の職責に汗を流しているものとそう信じている人間の一人です。
 しかし、人間が人間を監視し、陥れることの工作をすることは、極めて愚劣であり卑劣な行為ですよ。
 まぁ、政権が変わったからといって、変わり身の早い職員は、もっと卑劣な部類ともかんがえますが……
 
 でも、今回の対応には、逆の高度のご親切なはからいが、そこはかとなく感じられてなりません。
 いつぞやも週刊誌の誤認記事の時にも、とても親切心のあるご対応を頂きました。むしろ、本欄であらためて、お顔のみえない、恐らくこの先もお会いできない方々の、うれしいご配慮に、極めて小さな人間ながら、感謝の意をお伝えす次第です。
 ……どなただか知らないけれど、教えておかないと絶対にあきらめず問題視する性質の人間の一人である私の性格をも考慮しての対応かしらとも。現に即座にある筋に始動し始めてましたもの。

 そんなこんなで、今後3月までに、渋川市市内まで新聞折り込みで配達される、21号の内容が問題だとほのめかしたり、最近、とみに増えてきた新しい入札用語の相違点を確認し、人間味の感じられた若い職員さんとも、電話をきる際に、「良い時代をめざして、お互いの立場でがんばりましょうよね」と申し上げ、電話を終了。
 ちなみに、やはり随意契約と入札方式しかなく、昨日聞いた「簡易プロポーサル方式」も本日、検索した「企画競争方式による契約」も随意契約です。
 結論として、報道機関との癒着は、大いに倫理的にはわだかるものあります。が、広報活動は悪として退けきれない観点もあり、営業行為として契約も済んでしまっています。これを法的に覆すのはむずかしいものがあるようです。
 要はダム中止にて脱ダムの機運が、国民共通の話題となった昨今、従前のような報道を、相も変わらず上毛新聞社出版局がするか否かの1点にかかってくるのではないでしょうか。
 それこそ私たちは監視の眼をみはらせる必要があります。または意見書を提出する必要もあるかとも思います。
 
  そんな次第で、はからずも一昨日9日の「広報やんば」復刊に関しての、契約価格が判りましたのでお知らせします。
  契約日  平成21年10月 9日
  名称   H21八ッ場ダム建設事業最新情報提供業務
  契約金額(消費税及び地方消費税含む)は、\4,536,000-
  予定価格などは、以下をご覧ください。
 http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/nyuusatsu/nyusatsu/imgs/h211009.pdf
 
  でも、なんと約半額にもなりました。
 最初に私が聞き出した2003年刊行時の最初の契約金、1128万8100円の4割という驚異的なダンピング。
 4年後の2007年8月、青山貞一さんが調べ、ブログで発表、話題となった、904万3755円では、5割の半額に値する廉価。
  「じゃあ、今までは?」と言いたくもなりますよね……


  


Posted by やんばちゃん at 20:56Comments(2)報告

2009年12月10日

再度の 「あら、小寺前知事、八ッ場ダム反対派に?」

  ※昨日9日にアップしたものですが、本日10日付に変更しました。

 最近、、民主党県連による小寺前知事への参議院選・比例代表候補へのアプローチが取りざたされてきましたが、8日、正式に要請したようです。
 そして早速、 「ダム必要論に対して懐疑派」さんから、9日午前中の早い時間帯に、去る7月25日の本ブログ「あら、小寺前知事、八ッ場ダム反対派に?」にコメントが届きました。
 今朝の新聞各紙に報道記事に憂えたものです。7月25日のコメント欄では時過ぎて、皆さんの目に留まらないかもしれませんので、ここに転載してご紹介させていただきます。次に、新聞報道も転載します。

        選挙の借りは大きい 
 ご存じのように、小寺前知事は八ッ場を仕上げた張本人と言っても過言ではなく、現地との癒着の構造に深くかかわってのしあがってきた人物です。自らのボロを出すことをするはずがありません。脱ダム迂回路線は目に見えています。選挙戦での借りは末代までも及ぶものです。それがために小寺さん自身も八ッ場の一分保守層に借りがあったではありませんか。
 また、今般の新著『八ッ場ダムー計画に振り回された57年』の巻末年表には、小寺前知事が秘書課長の時代から行ってきた、現地工作の事実も掲げておきましたので、お読みください。

 なお、コメント返信は、7/25の処に、以下のように記させていただきました。
 ダム必要論に対して懐疑派 さま 
 丸四か月半も前の本欄を覚えていてくださって、ありがとうございます。 熱心にお読みくた゜さっている方として、また私も小寺前知事には同種の杞憂を持っていますので、そこはかとなく親近感を覚えさせていただきました。 なお、この欄では離れ過ぎてますので、せっかくの貴重なご意見ですから、12/9付の二つ目の記事に掲げさせていただきました。恐れ入りますがそちらをご覧ください。 
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ーーー12/9 「ダム必要論に対して懐疑派」さんのコメントーー 
 報道によると、昨日民主県連会長が、小寺弘之前知事と会談して、党公認推薦での参院選への立候補を要請したそうです。 その場で、「ダムの問題は必ずしも地方と国の利害が一致するわけではない。 少数の声を大事にするのが民主党の基本と思っており、 現実的なことを考慮して、みんなが納得する形で進めるべきだ」(産経報道) と、注文をつけたとあって、反自民では一致しても、依然として推進派だと確認できました。 そもそも、ダムは国の事業であって、国が自然環境を破壊しないと方針転換したわけですから、県関係者がダムダムと、おもちゃを欲しがるように、おねだりすることが、おかしな話です。 県民の過半数が、ダムが足りなくて困窮しているようにも見えません。 やはり、知事、議員、県職員、前知事の多くがダムダム教なのには、何か裏があると考えるのが、適切な気がします。 特に前知事は、経営的には完全に失敗している、ぐんま昆虫の森 (毎年数億円の赤字) の建設者ですからね。もちろん、昆虫の森の趣旨はすばらしい。が、そのあとも、県内で児童虐待で亡くなる子が出て、その趣旨が県民へじゅうぶんに伝わっているとは言いがたい。 また、赤城山の松枯れが深刻だといわれているように、明らかに緑が減って、夏は日本一になるほど暑く、冬寒い、昼夜の気温差も大きく、典型的な内陸型気候になってきている ※ ことに、関心が薄い気がします。マツノザイセンチュウだけの責任にするのは、無理がある。 ※ そのため、子どもが外で遊ぶのも難しい。 結局、都会人が自分たちの暮らしやすさを追求して、地元が利益を追求しているがために、皮肉にも最終的に自分たちのためにならないことをしている気がします。

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①【2009年12月9日(水) 上毛新聞一面 上段】
  http://www.jomo-news.co.jp/news/a/09/news02.htm
  来夏の参院選比例代表 民主県連が小寺氏に出馬要請
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②【2009年12月9日(水) 毎日新聞群馬版】
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20091209ddlk10010246000c.html  
 選挙:参院選・比例代表 民主県連、小寺氏に正式出馬要請/群馬 
   ◇「熟慮して決めたい」 
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  ③【2009年12月9日(水) 産経新聞群馬版】
 http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/091209/gnm0912090253000-n1.htm
  民主県連が小寺前知事に出馬を正式要請 群馬
   
※追記1
 皆さん、お気づきだったでしょうか?
 なんと表題の「あら、小寺前知事、八ッ場ダム反対派に?」の反対派が「賛成派」になっていたのを。
 それも7/25からず~と4ヶ月半。?オオモノでしたよね。
 おそらく、最初は「ダム中止賛成派?」だったものを、「中止」の二文字を削除した方が字数がつまり、スッキリするので直したのに、消し忘れたのではなかったでしょうか。選挙後の八ッ場問題では「反対」もどっちの反対なのかまぎらわしい限りです。
 しかもいつもあわてんぼうで皆さんから「落ち着け、落ち着け」と制される、錯綜と忙しないヒト。読み返しもせず思い込みでおかしくも思わずにいたのでした。今朝、熟読して驚きあわてふためいた次第。
 訂正のきっかけを作ってくださった「ダム必要論に対して懐疑派」さん、ありがとう。……もしかして、ミスにお気づきの上で喚起
の意味でのご投稿だったとしたら、とっても深遠なお方とご推察いたし、感服の呈です。

※追記2 さらに新刊の拙著の誤記もまた見つかりました。9日午前、またも姉からの電話。
 今度のミスは、  244頁 初めから二行目  
            目にしてきたばかりの目には危機感がつのる。  
               「そ」が余分で、校正用語の「トル」または「トルツメ」でした。
    旧著では  232頁 初めから二行目      


Posted by やんばちゃん at 07:34Comments(2)紹介