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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年05月30日

初の田植え“成功”。後の食事会の盛り上がり

 他は快晴なのに、なぜか関東地方のみ雨とのこと。
 榛名山中は濃霧。
 ライトを遠目にして上っていったのに、無燈火で降りてきた対抗車とあわや接触寸前のところで、停止。
 道々、幾度となく何とか晴れていてくれないかなと思った。
 民話話の沈む夕日を扇で呼び戻した長者のことがしきりに浮かび、祈りたいような思いだった。
 ところがなのである。榛名湖畔は雨がやんでいた。榛名山を降り切ると、道路が渇いている。
 松谷トンネルを出て、川原畑に入るとさわやかに澄んだ空で、道路は少しも濡れていない。
 やんば館に着くと篠原さんが、頬かむりした恰好で、待っていてくださった。わが家の近所の3人の方たちはもう着いていた。互いの第一声は「良かったんねぇ。雨降らなくて」。
 二人ドタキャンだったけれど、何とか人員は勢ぞろいした。

 「え~い」とばかりに裸足になる。
 「水田の生ぬるい水がなつかしい」とのFAXを呉れたのは、東京のSさん。そうだったけな、と約40年間も前の確かな記憶がよみがえってきていた。産地直送の物品のノウハウを6年ほど前に教えてくださった方なのだ。「ようやく、ここまでこぎつけました」との手紙を送ると、来た返事の「残念ながら、今回は行けません」の文面によれば、この方も今頃は、山梨県の水田の中にいるはず。



 篠原さんが、カラータオルを持ってみえ、皆に配って、カラフルに装わさせて、田植えムードを盛り上げようとなされた。
 一枚の田を、途中で投げ出すことなく、一時間以上かかって、皆で植え終えた。
 完遂感にみなぎらせて、それぞれ、久森沢で泥足を洗う。
 新聞社やアマチュアカメラマンも撮影にみえたし、途中、やんば館に行ったスタッフの一人が、やんば館を訪れた人たちのほとんどが、「田植えをやっているよ!」と、歓声をあげていたとか。そして、カメラを向けていた由。
 まぁ、初めてにしては、成功の部類に入るのでしょう。

 
  それから、「すみやきの里」で大鍋いっぱいのシシ汁のふるまいが待っていた。
 しかも、炭がカカッとほこっている長テープルの特製コタツ。
 大振りのおにぎりも。ヒールもジュースもあり。
 イノシシの固い固い部分を4時間以上も煮たという実だくさんの汁ものは、汁を飲むと、冷えた身体がホカポカとあったまった。
 採った獲物は、部位ごとに等分に分けるのが、昔からの林地区の決まりとのこと。つまり、足が四本しかない足の場合、メンバーが5人ならば、次回にまわさず、それを5つにわけて、その場で処理するとのこと。すかさず、何年か前の草刈り後のバーへへキューの折に、同席した方から、「前に鈴木さんに食べないってやったんは足のところだったんだよ」との声がとんだ。そうそう、「ここ,やるよ」と押しやってくださったのは、その貴重な4本の一本だったわけなのである。何かで読んだが、客人をもてなす際の村や部族特有の儀式とかがある由。なると、あの時は、私は好ましいお客さん格だっのである。今回は果たして、どんな位置づけになるのだろう。

 現在、この地域の方たちは、来年とかの「道の駅」用の商品開発を行っている。
 参考意見として、私たち町場の者たちにとっては、山里の山菜類やこのイノシシなどの都会には無いものが魅力なのだということ。そして、現地の方たちには、魚や肉類が食べたいのではないだろうか。でも、観光客は求めてはいない。そんな基本的なそのことをお伝えした。
 紀伊国屋文左衛門がなせ゛廻船業で、財をなしたかといえば、北国にないミカンを運んだからであり、“有り余るものを無い処に運べば、高く売れる”。
 これが流通の極意と聞いたのは、ある小説講座であった。若い日に、ある党のオルグ活動をしていたという、その作家は、青森のリンゴを九州で販売。党の活動資金にしようとしたことがあるらしい。その時のヒントが先の紀伊国屋の手法だったとか。他には、スープの熱さが決めてのラーメン店で、よりうまく食べる極意とは調理場の近くに座ることだとかの、私は枝葉のこういうことはよく覚えているのだ。
 この手法にて、今朝、5時起きして私も二皿作った。
 寝起きに何をつくろうかと考えた。でも、すぐ後ろの実家の店を冷蔵庫がわりにしているので、買い置きということをあまりしない。あるもので間に合わせるしかない。
 一つは現地の方用にまだタケノコがないと思うので、タケノコが浮かぶ。次に冷蔵庫にある素材としてチーズ。
 タケノコのチーズ焼きは、私のお得意料理なのだ。まだ小さかった甥と姪たちは、これが大好き。食べたくなると「おばちゃん」と不断は大嫌いなオバちゃん宅にも、幼い彼らの精一杯の処世術の技術ともいうべき、あまえ声とにこっとした笑顔でやってきた。もう大学を卒業する年となった。
 でも、これだけでは芸がない。そこで、山里の方には、魚類だとひらめく。マグロのアラ煮をほぐして、フレーク状にして、自家製シーチキンを作りおきしているのがあった。それを解凍して、濃く味付けした。
 そこに今年の最後となった、茹で孟宗竹を大振りにきって煮てあったのを敷きつめ、火を通した。
 でも、この配色では、色合いが悪い。
 さやいんげん等の青みのものがない。あるのは藪の真竹だ。だが、時間的に竹藪までは行けない。また。、数日間訪れていないので、どんなに生えてきてしまっているのか、行くのも怖い。で、庭先の黒竹を折って、そのまま割って、青味にもちいた。
 次にとろけるチーズを載せ、溶かす。
 
 鍋のままもっていって、現地で大皿にうつすことにした。
 冷めるのを待って、摘んだばかりの庭のサンショウをたっぷりと散らす。
 下に敷く色どり用に、栽培している販売用の鉢植えのサラダ菜も摘んで、洗ってビニール袋にいれた。容器はそれらが映えるものがないかと物色したら、大きな寿司容器が目に入った。これなら、底が黒いし、欠ける心配もなし。

 この間に用意したもう一品は、参加してくださる長野原町以外の町場の方たちにとっては、たぶん珍しいハズである、ワサビの茎の醤油漬け。
 折れた茎を自家用にと思って採っておいたが、この間、調理に費やす時間がなく、大型冷蔵庫の中で保管してきた。出してみたら、鮮度は落ちていない。でも、束のまま切りそろえるのと異なり、切るのに手間かかった。時間を気にしながら、小一時間かかった。中鍋一つ分もあった。それを密封容器に二つに分け、めんつゆをかけたのと三倍酢との2種類作った。
 これも現地で深めの大皿に写すことにした。

 料理番組でもないのに長々と記したが、絶対にダム推進でないと、村八部的な雰囲気の強い農村型の地域社会の、時に険悪な空気を和らげるのは、やはり、一つ釜の飯なのだ。
 その意味で、無添加だがちょっと風がわりな味だったらしい持参した千葉県の酒造元・寺田本家の一升びんが、カラになる頃には、打ちとけた空気が流れて、適当に酒の肴にされながら、呉越同舟、四方山話にもりあがった。
  


Posted by やんばちゃん at 22:50Comments(3)八ッ場だより