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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年01月02日

八ッ場の幸多さをこめて鐘をつきました

 新年の寿ぎを申し上げます。
わが八ッ場の、本年の速やかな解決を祈ります。


【京都・烏丸口駅頭に飾られた各流派家元による壮大な活け込みの数々。?…今秋の「国民文化祭・京都2011」のプレイベントのようです。 ※小雪が降ってました。正面上方には京都タワーあり】
 ※なぜ、呑気にこんな写真をお思いでしょうが、新年の華やかさと京都の 「烏丸」は「カラスマ」と呼び、「カラスマル」と言う人は土地勘の無い証拠と指摘された次第。
 同様にして、合流した関東の知人が言い添えるには、「ヤンバ」って読めなくて「ヤツバ」って言っていたとの由。で、このごくささやかな共通項にて。

 お蔭さまで今や、わが「ヤンバ」は市民権を得て、「ヤツバ」はあまり耳にしなくなりましたね。

 本日午前、仕事がらまりの所用のため出かけていた奈良県の知人宅より、無事に戻りました。(「無事」というオーバーな表現は、関西地方を襲った大雪による悪天候で、新幹線は乱れ、31日夜の京都発の夜行バスは上下線とも休止。翌1日の運行も夕刻からの雪による影響が、終日危ぶまれていたのでした)。
 
 さて、27日早朝より1週間のご無沙汰をお詫びいたします。
 当初の心づもりとしては、一週間のルスを記し、元旦には自動的にアップするよう、手配していく心づもりでおりましたけれど……、26日のイベント終了後、ルス宅の種々の始末に追われて、年賀状に一枚も手がつかないままのドタバタ調にて、疲労困憊の果ての年の瀬の出発でした。迫ってくる電車の時間と旅仕度が最優先であたふたとするまま、弱りめの身体に、車中ではもらい風邪まで道連れ。
 従って、今年最初の写真は、本来ならば、八ッ場現地の何らかの写真をとなるところですが……
 


そこで、強いて結び付ければ、選挙イヤーの幕開けにふさわしく、奈良市内の知人宅のそばに貼られたポスターをご覧ください。
 どっかで見た顔と思ったら、八ッ場の運命を握る、馬淵国交大臣ではありませんか。奈良一区の選出です。
 そして先ほど、たまった新聞を整理していたら、30日の上毛新聞一面に「大沢群馬県知事は馬淵大臣に代わって欲しくない意向」の記事あり。(何かの口約束でも整っているのでしょうか? と心配になってきます)
 見出しのみですが、
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 【2010年12月29日(水) 上毛新聞一面中断】
   馬淵氏留任望ましい
        八ッ場問題で知事
   
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   八ッ場ダム本体 早期着工を要望  
         国交相に東吾妻町 


 年末の「頼まれ仕事」を無事に終わった30日昼過ぎ、知人宅に集った女たちは一応、おせち料理のまねごとを(とは言っても、正式な家事にうとい当方は、二つ目の仕事にかこつけて「まだ、総仕上げが終わっていないの」と、同じく関東からのベテラン主婦に押しつけて殆ど手を出さず、「とっても上手いよ。本職並み」との褒めちぎってのご賞味役に徹す。手を出したのは、庭先のユズを採っての千切りと人参を切っただけ)。
 豆から水に浸し手づくりしたて写真の黒豆は、とってもふっくらと本当に上出来。
 「丸く平穏息災をこめて、餅と同じく野菜類も皆、丸く切るのよ」との昨年亡くなれた和歌山のお母さん直伝の知人の講釈混じりの指導のもと、この地方特有のみそ仕立ての丸餅の伝統的お雑煮も丁寧に仕上げられました。群馬の国分ニンジンと同じく長細い、京ニンジンの色の赤さには魅せられました。
 お屠蘇もかねて用意の屠蘇散に、例の「極上・五人娘」を混ぜて前日から仕込み、ご覧のようなベトナム産の大理石の容器に入れて出されました。長年、ベトナムの医療支援を行ってきた彼女ならではの食器類で、知人宅にはこれらベトナムの丁度類が幾つも。
 この間、毎年の年末年始はずっとベトナム訪問だったので、日本の正月は久しく味わったことなしとのこと。で、久々に日本にいる今年の大みそかは、東大寺や興福寺の除夜の鐘の堪能作戦計画だったのでした。
 が、昼すぎ、平城京周辺の下見に行った段階でかなりの混雑と降雪が予想され、断念。それよりも、近くの秋篠川の散歩がてらに行ける、近場の秋篠寺にしぼることに。
 前夜の30夜に初雪を体験してました。雪の始末が良くなるとかで雪もよいの夕暮れ時、急いで知人は庭の芝生にモミガラの粉末を撒いて、竹ホウキで掃いていた、例にあらずの姿に、まさに「いにしえの奈良の都の夕暮れ……」の風情がありました。
 昼すぎに訪れた際に、除夜の鐘の仔細を聴いてきた秋篠寺はあまり観光客が押し寄せず、古いおなじみさんのみの雰囲気の穴場で、12時近くになって出発したのに数分ならんだだけで、それぞれが鐘をつけました。
 ちょっぴりおよび腰ながら、八ッ場への祈りをこめてついてみました。
 何よりも、ロウソクのかがり火に浮き出た本堂の仏像たちの神々しさ。
 著名な伎芸天はもとより、本尊の薬師如来の顔は昼間とはまた趣が異なり、中年(過ぎ?)オバさんたちは、感動で胸いっぱいで家路に着いたものでした。
 伎芸天とは3度目の出会いです。およそ10年前の前回は、自転車でこの辺りを廻った事を思い出しました。今回は行かなかったけれど、駐車場のある南門とは反対側の門を出ると、窯場があったことも思い出しました。
 何度訪れても、受け付け口に至る苔の庭園とともに、忘れられない古都の趣をいっぱいに放つ寺です。境内には歌人・会津八一や吉野秀雄の歌碑があります。吉野秀雄は当地、高崎市の出身なのでした。
 
 思いもかけず慌ただしくかけつけた奈良・和歌山県。
 知人宅の周辺も、歴史的風土の再現そのままにちょっと歩けば、眼につくのはこんもりとした木立ちの中の天皇陵ばかり。それゆえにか、開発されずに自然が守られているわけなのですが……
 そこで、臣民への現天皇並みの、ものいいのその言い回しを真似して、
 新年にあたり、《八ッ場の皆さんを始めとした》、ミナの幸せを祈ります。  


Posted by やんばちゃん at 18:17Comments(0)八ッ場だより