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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年01月11日

 効用多い酒粕アラカルト

 今春の地方統一選を控え、県議選その他の報道が地元紙に連日のように登場しています。
 定数2の吾妻郡には、現職の自民党大物二人iに加え、無所属の新人が出馬予定と報道されていて、現段階では選挙選になるのは明らかのようです。
 
 今夜は勝手ながら、話題をがラリと変えます。
 先年の11月に続き、再放送が2011年1月4日(火) の16時5分からあった、「●NHKためしてガッテン“酒粕”特集●」をご欄になられた方は、いらっしゃいましょうか?
 酒粕は目下、腸内の油脂をとってくれ、悪玉コレストロールを除去してくれる“酒☛酒粕は百薬の長”として、みなおされています。酒よりも栄養価はたかいようです。
 先日の知人宅へのおみやげに持参。知人の知人を招いての食事会ではてっとり早い鍋ものが便利な調理だったのでした。
 具を入れての中盤戦に、酒粕を溶きいれていれると、断然、風味が増し、野菜類の美味しいこと。いくらでも食べられ、鍋底の汁までおじやにしたり、すくってたべられてしまったのです。
 そして、酒粕をトースターで焼いて食べると、まるでチーズ風味のすぐれもの。そのままでもいいし、また海苔をまけばお客様に出してもはずかしくない一品料理に変身。
 「おいしい!」を連発するお客さん達に通例は、惜しげなくおみやげを持たせる知人なので、そっと「じゃあ、また送るから、残りを持っていってもらったら」と言葉を添えると、「まだ、食べさせたい方がみえるのよ」と珍しく渋り気味。
 ほら吹きおばさんの、「またもか」のオーバー表現に、是非一度、お試しまください。
 ただし、上質の、できれば無添加の酒粕をお選びください。酒造元によって、差があります。
 



 番組の中で、チーズクラカーなどの各種酒粕料理を紹介した方は、前にも記しましたが、千葉県香取郡の「寺田本家」の次女の娘さん(次の社長ご夫婦)です。
 当方、NHKは映らないので、11月のは観てなかったのでしたが、11月の人情市では、無添加酒粕の旨さは一昨年からのおなじみさんがいて、秋口から「まだ? お願いね」と言われていたのでしたが、年前年にもまして売れました。それにしても、テレビの威力はすごいものと思いました。
 以前、「旅の香り」で山本陽子さんが紹介した、福島県の仁井田本家の「田村」の時も、放映終了後から、全国の限定の取扱店は一様にパニックになったようでした。手づくりですから、一度に注文が入っても直ちに送付できないのです。その説明に夜を徹して、パソコンにむかってメールの返信を行っていた義妹の姿が浮かびます。
 
 この寺田本家さんは、わが地元が生んだ歌人・土屋文明の一高の学資を、伊藤左千夫の縁で援助。後年、文明が寺田家が総力をあげたこたわりの銘酒を「五人娘」と名付けた関係で、いろいろと親しくおつきあいさせて戴いてきました。
 そして、今年も、来る16日に「2011年新春五人娘蔵元見学ツアー」を行います。しぼれたての新酒を飲み放題。当初は寺田家の娘さん、ご当主夫人たちが、無添加の野菜類の手料理でもてなしてくださって、大変なお手間をおかけしたものでした。今回の昼食は「マクロビオティック弁当」との由。
 義妹がつづっている、実家の酒販店のホームページ、ブログをご覧ください。
 http://suzukisaketen.com/    
  http://blog.suzukisaketen.com/

 そして、その義妹が、今日の午後、交通事故を起こしてしまって、入院しました。
 今頃、病院で眠れぬ時間を過ごしているであろう、彼女のことを想うと、なんだかこんな記述になってしまいました。
 八ッ馬問題からかけ離れた内容になってしまいました。ご寛容のほどを。
  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)紹介

2011年01月10日

?提出用:消え行く正月風景

 昨日のあいかわらずの冗長な文章を少し収斂させて、ある会報用に送ったものです。
(締切をすぎていたのでしたが、かろうじてセーフかと思いきや、アウト。:掲載は来月号になりました。それまでに写真が見つけ出せるといいのですが……)
 もちろん、言いたかったのは末尾。
........................................
  八ッ場 癒しの風俗詩  
                            第六回 消え行く正月風景

 八ッ場が暮れた。
 2010年の帳がフワリと落ちた。
 外部からは相変わらず紗幕がかかっていて見えにくかった1カ年であった。が、定かにはつかめないけれど、確実に人が、意思と輪郭を持ってうごめいていた。
 とりわけ水没地の方たちの心の綾とその揺れは複雑な襞が横たわっていた。その中で、たがうことなく手渡しされてきた先祖伝来の正月風景もまた年々、確実に消えていった。
 「山河を崩し、人を追い立てる」ダム事業にはつきものとはいえ、代替地にシンボル的にまず真っ先に移されたのは、もの言わぬ神社仏閣などの類であった。
 伴って先々の日、地域ごとの慣習の数々は自然淘汰にさらされる途上にあるのは否めず、幾つものしきたりが記憶の中に消え去っていくことであろうか。

 かくしてまた、真新しい年、2011年の帳がフワリと上がる。
 けれど、劇的に変化した新しい家々の今風の部屋の神棚には、もうスルメや荒巻鮭、干し柿やミカンをつるしたお正月様のなつかしい飾り付けを行う場所は無い。   せいぜい門口の門松程度となったようだ。
 わずかに旧来通りのお正月様の飾りを律儀に行い今に伝える家は、部分水没のために移転の必要性のない高台の林地区の農業関係者宅の一部や、遅々として進まないため代替地に移転が叶わず、今年も残っている上湯原地区の代替地希望農家くらいになってしまったようだ。

 通い始めた10年くらい前には、神棚前の飾りつけはもちろん、まだ五穀豊穣を願う、?俗称「ヌリデンボウ」なる風習が林地区には、わずかながら残っていた。
「ヌリデンボウ」というのは、「ヌルデ」の数ある異名の一つで、幹が軽く柔らかいので「飾り花」など細工物に用いられてきた木のようだ。
 山から切ってきて小割りにして、数本を束ねて俵もの風にして、樹皮をむかないのは「ヒエ」にみたて、むいて白くしたのを「コメ」にみたてて、燃え盛る竈の上につるした由。
 
 なぜかというのは、半世紀ほど前まであった、土間にしつらえた竈を清めた風習の名残りらしい。
 実はもう7年程前になろうか、これらの消え行く山里の風習に興味をもって写真に収めた一時期があり、絶える寸前の貴重なものとして写真を分けて貰っていた。
 しかし、土地の方達は積み上げた生活感の共通認識で、その理由はわかっていたのだろうが、いち早く「脱カマド」の県内都市部の当方には、疑問の糸口もつかめないまま経過。あの惹きつけられた写真は膨大な写真の中に埋没ししまって探し出せず、正式名称はどこかに記したつもりだけれど思い出せなくなった今般、ようやく以下の「風習の起承転結」を知ったお粗末さなのである。
 林地区周辺では、かつてはどうやら年ごとに竈を築いたらしく、暮に粘土を採ってきて新たな竈を築く風習があったという。年末の2日間くらい試し使いを行い、元日はこの新しい竈で正月の初煮炊きしたという。その頃の山里の正月料理というのはキンピラ、芋の煮ころがし程度だったとか。
 神棚に準ずる五穀豊穣の祈りとともに、たぶん何よりも恐ろしい火災を恐れて、竈の上方に五穀にみたてたヌルデの束をつるして、無病息災を願ったのではないだろうか。
 今日、生活様式の変遷により竈は不要。従って、当時のしきたりを行う家が皆無となったのも、至極当然のこととしてうなづける所以だが……
 
 さて、……いかに、村の総意に基づく覚悟の「ダム建設」の選択であったにせよ、徐々に消え去りいくのは、地域のしきたりだけではないだろう。
 早晩、それらに付随して崩れ行くのは、村人の絆の確かさではないだろうか。 
                       
  


Posted by やんばちゃん at 23:56Comments(0)八ッ場だより

2011年01月09日

消え行く、お正月飾り

 八ッ場が暮れた。
 2010年の帳がふわりと落ちた。
 その中は見えなかった。
 見えないけれども、確実に人がうごめいてた。

 ま新しい年、2011年の帳が、またふわりと上がる。
 けれど、ま新しい家々の今風の部屋には、もうスルメや荒巻鮭、干し柿やみかんをつるしたお正月様の飾り付けを行う場所はない。せいぜい門口に松にしめ縄の門松程度となったようだ。
 わずかにそんな旧来通りのお正月様の飾りを行う家は、部分水没地のために移転の必要性のない高台にある林地区の農業関係者宅の一部と、遅々として進まない代替地造成のため、移転が叶わず、いまも現地に住む上湯原地区の農家ぐらいになってしまったようだ。

 通い始めた頃には、神棚の前に見事に幾つかの縁起ものの品々が、ズラリとつりさげられた飾り付けは、殆どのお宅にあった。
 まだ五穀豊穣を願う、林地区の風習として伝わっている風習には、「ヌルデンボウ」という木を山から切ってきて板にして、数本を束ねて丸太状にして、樹皮をむかないのは「ヒエ」にみたて、むいて白い木にしたのを「コメ」にみたてて、燃え盛る竈の上につるす風習があったという。
 さらに40年ほど前の当時は、暮れに山から粘土を採ってきて、近隣の手伝いも入れて新たな竈を築く風習があったという。
 30日・31日と試し使いを行い、元日はこの新しい竈で、正月初の煮炊きをしたという。当時の山里の正月料理というのはキンピラ、芋の煮ころがし程度だったとか。
 その上に、この「ヒエ棒とかアワ棒」の束をつるしたという。
 今では生活様式の変遷により、竈は不要となり、当時の風習を伝える人もいなくなったので飾る家は皆無となったという。
 
 実は、今回、ようやく下記に記した経緯を経て、竈がいらなくなって自然消滅した風習であったことが分かった次第である。
 もう7、8年くらい前になるだろうか。親しく打ち解けさせて戴け始めていた現地の皆さんのお宅の年間行事を、カメラにおさめ初めた一時期があった。
 とりわけ、各種年間行事を豪華に飾りつけるのがお好きだったBさん宅で、写真を採らせてもらっていた。
 すると、「あれを撮っておくといいよ。はぁ、俺ん家には、ネェんだけれどさ、待ってな。まだ、飾っている家があるから」とおっしゃった。そして「後で写真を撮らせてもらっておくよ」と添えてくださった。なにやら、貴重な風習らしい。
 で、「直接、伺ってもいいかしら」と尋ねると、不可だった。
 当時も今も、当方“危険人物”なり。Bさんも立場が困るらしい。
 後日、渡された写真がある。うすぐらい家の中。なにやら煤で汚れた家の中らしい背景に、綱が張られ、そこに見慣れぬ木の束がつるされていた。
 写真は膨大な写真の中に埋没。正式な名前はどこかに記したつもりだけれど、もはや、探し出せない。

 そしてスタートの遅かった今年の新年、ようやくそれらの風習の数々を思い出した。
 以下に備忘録的に記した経緯を経て、もはや生活環境が著しく異なって、台所はガスや電化の時代になり、竈がある家も、火を燃やす家も皆無に近いのだから、このしきたりが消えてしまうのはあたり前のこととわかった。
 ちなみに無信心な当方でも、さすがに暮れに注文採りにくる正月のお札の中で、慣例を断つことの弱さとおつきあいもあって「竈さま」と「厠さま」だけは求める。
 地域の方たちにとって、五穀豊穣への祈りとともに、いかに火が神聖であり、火事への恐怖心があったかをしみじみ実感した。
 それにして、竈の上につるしても簡単には燃えないらしい木を使って考えだした、この地方の村の方たちの創意工夫については驚いた。
 
 ダムはこれらの風習を一変させてしまった。
 ただし、おなじみのダムゼネコンに膨大な経費を払っての、文化財の聞き取り調査を行ったことと、結果をまとめた大部の豪華本の資料集刊行は、評価に値することであろうか。

   【前述の飾りつけの意義を知るに至る、いきさつ】 
 Bさんに正月になって何度目かの電話。
 本日は、急に思いだした正月の飾り付けについて問う。
 「お宅、お正月飾り、今年もなされました」と問うと、「あぁ。飾ったよ」とのもの憂さそうな声音がかえってきた。でも、ほっとした。
 重ねて「それ、いつまであります」と問う。面倒くさそうに、「正月の中ばくれぇまでおいとくべぇ」。「それじゃ、その内に写真、撮らせてもらいに伺っていいですか」と頼んだ。 でも、子供の頃のわが家の飾り付けを思い出しても、そんなには置かないはず……
 名前が正式に判らないので、説明を要したが、例の薪風のものをつるす飾りつけについて Bさんの記憶を蘇らせてもらって名前を聴く。すると、「そういうあったけれど、何だったっけな。覚えていねぇよ」の返答。そして、「あの人は、はぉ、いねえよ」とおっしゃ。ものすごく縁起をかつぐご性格なので、正月早々、「亡くなられたの。それとも引っ越されたの」と問い返すことはしなかった。 移転しなされたお宅に加えて、ほどなく亡くなられたとか聞いている方らしいのだが……。 
 
 次に同じくしきたりを重んじるCさん宅に電話。考えたら、年明け最初の電話だったので、年賀状は早々に戴き、遅ればせの返礼はしたけれど、新年のあいさつをまず申し上げてから、伺った。
 「移転してから、飾り付ける部屋もないから、門松をたてただけで行わない」とおっしゃる。
 そうなると、持ち前の探究心というより、好奇心がムクムクと。
 で、ものしりのDさん宅に新年のご挨拶を兼ねて、電話。忙しい方だったが、幸いいらして助かった。
 このお宅でも簡単に飾り付けと門松はたてたそうであった。が、すでに撤去。「七草までに片ずけるものだんべに」とおっしゃる。で、Bさん宅のことを思い出し、「月半ばまでじゃにないですよね」とあえて聴いてみた。「そんな時期までおいておくもんか」と笑われ、「小正月にはまた、まゆ玉をつくって飾るべえ」と教えてくださった。ここのお宅もかつては、大養蚕農家であった。
 例の記憶の薪風のものがつるされていた風習については、「はぉ、あんなのはする上はなかんべゃ」とのこと。
 でも、さすがに土地の生え抜きの方、「ぬるでんぼう」とかの木を山から切ってくきて、アワやコメにみたててつるすことまではわかった。
 「アワ棒」とか「ヒエ棒」とかの記憶もよみがえられた。でも、ここで打ち止め。

 さらにもう一度、Bさん家に伺ったばかりの単語を駆使して、思いだされたかどうか電話。
 もう子供さんたちも帰られたらしく、その接待の疲れがでたのか、さらに物憂い声音ながら、怒り気味に鋭く「アンタさ、何回電話してくるん」とおっしゃられた。
 でも、慣れっこだからめげずに伺う。
 やはり判らない由。事のついでに「おのね。飾り付けは七草あたりまでらしいのよ」と余分ごとを添えてしまった。「そうかい、じゃあ、明日あたり片づけべえ」とのたまう。しまった! 「じゃあさ、明日お邪魔するまで待っていただけます」とたたみこむ。「いいよ、来なくたって。写真を撮っておいてやるから」と拒否されてしまった。
 それに明日は、朝早くは行けないだろう。
 それにしてもだ、地域の旧家として、えびす講や初うまの行事まで、諸事万端つつがなくととのえにられてきたBさんが、正月の飾り付けの撤去の期日を忘れられると言うのは切ない。体力と記憶力の減退にくわえ、動くのが大義らしいのだ。

 中途半端では落ち着かない。
 で、夜の9時すぎ、最も若手のEさん宅に電話してしまった。かけてから、仕事柄、早寝の方だったことを思い出したが、快く対応してくださった。
 お蔭さまでようやくここで、前述の概要の大半と竈の上に祀ることが判明。
 そして、かつて50年くらい前までは、この地方では年末には新たな竈を築いたこともわかった。
 ようやく、写真にあった飾り付けの起床転結が成立。
 時間的にもう、これ以上の電話は出来ない。
 未だ正式名称は不明だが、後日、図書館等で長野原町のダム関連事業で作成された資料などで調べるか、長野原町のものしり古老の方に伺うしか手立てがない。

 無知な当方、Bさんのご厚意に報いることなく、時過ぎてしまった。
 恐らくBさんのことゆえ、写真代などの謝礼もご自分で使ってくださっていたろう。そして、お名前も知らないその方の晩年の渾身の飾りつけに対しても、礼をつくすこともなく時すぎてしまったのだ。
 八ッ馬の皆さんにお手数ゃご厄介をかけながら、集めるには集めても、ためたままになっている資料の整理が急がれるのだが……
   


Posted by やんばちゃん at 23:12Comments(0)八ッ場だより

2011年01月08日

小寺前知事「県民葬」来月8日に

 取りざたされていた小寺前知事の県民葬が、やはり行われるようで、7日づけの各紙に一斉に報道されてました。上毛新聞は一面にありましたが、無料サイトになし。で、下記の読売新聞の記事を転載してみます。しかし県民葬ならば当然のこととはいえ、知事選時のライバル、苦杯を嘗めさせられ,死の直前まで確執続きの、自民党の大澤知事が「葬儀委員長」で、小寺さんの霊は鎮まるのでしょうか?

 なお、昨年末の報道ですが、八ッ場の明日を左右する来年の知事選に出馬予定の新人は、(当選はおそらく想定外ではありますが)、なんと「ダム反対」を掲げているようですので、添えてみます。
///////////////////////////
【2011年1月7日(木) 読売新群馬版】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110107-OYT8T00006.htm
 小寺前知事県民葬 来年2月8日に決定 
 県は6日、昨年末に死去した小寺弘之前知事の県民葬を、2月8日に県総合スポーツセンター(前橋市関根町)内のALSOKぐんまアリーナで行うと発表した。遺族に対して6日に正式に打診し、了承を得た。午前11時から約1時間を予定している。
 無宗教形式で、県関係国会議員や政府、市町村、県議会の関係者のほか、経済、文化、スポーツなど各界の県内組織の代表ら1300~1800人程度に県が案内を出す。県民の献花も受け付ける。
 葬儀委員長は大沢知事、副委員長は松浦幸雄・高崎市長(県市長会長)と真塩卓・榛東村長(県町村会長)が務める予定。知事が開式の辞を述べ、友人代表や県議会代表など2、3人が追悼の辞を読む方向だ。
 問い合わせは、県総務部総務課(027・226・2023)へ。

【2010年11月27日04時07分 読売新聞】
群馬県知事選、貸家業の海老根氏が出馬表明http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101127-OYT1T00098.htm?from=nwlb
 来年7月27日の任期満了に伴う群馬県知事選で、同県桐生市の貸家業海老根篤氏(63)が26日、県庁で記者会見を開き、立候補を表明した。
 海老根氏は「群馬で仁政が行われたことは見たことがない。開かれた政治への呼び水として立候補する」と語り、八ッ場ダム建設中止を公約にする方針。
 知事選を巡っては、現職の大沢正明氏(64)が再選出馬を表明しているほか、元県出納長の後藤新県議(50)(前橋市区)が立候補を検討している。  


Posted by やんばちゃん at 23:43Comments(0)八ッ場だより

2011年01月07日

不可解な問責決議とやらにて“罪なく死す”、馬淵国交省

 大沢群馬県知事は、事あるごと「大臣はかわらないことを望む」とこの間、言いづけてきました。「ようやく親密になれたのに……」といったところがその真意のようです。前原さん然り。そして、程なく馬淵さんもらしく、おきの毒サマデス。
 知事ならずとも、国民も同じ。
 誰がやっても大差ないのに、その都度、例えば名刺や印鑑ひとつでも新たに作り変えなければならず、経費のムダはこの上なし。
 想えば、「平成の大合併」時の、節約がうたい文句だったのに逆に一時的には官民とみもに膨大な経費を費やした合併の、おびただしい各機関ごとの代表や名義人変更手続きなど新規作成に労した浪費と同じパターンです。その前の接待などの裏工作費も馬鹿にならない金額だったことでしょう。

 では、なぜ、馬淵国交相は「問責決議」とやらで、辞めねばならないのか? それほどの大罪を犯してしまったのであろうか。
 この点について、案外、事実の把握がボケていて、「辞める」ことのみが上滑りしている感があるのではないのではないでしょうか。この事実確認の間隙を鋭く付いたのが、またもの雨宮隆児さん。そのメールの転載を、次に。
 おっしゃる通り、確かに尖閣問題では、つじ本清美さんもあきれ顔でテレビ番組で懸念を示していたように、いきなり大臣自身が現地入りしてしまった、前原前国交相の軽率さに起因していて、馬淵さんはその尻拭い役であった。したがって、直後の就任であり、「あずかり知らぬ他人事」の顔をしていたからとて、何ほどの罪に値するのか。 
 まさに、自民党との取リ引きのための詰め腹ものである。
 民主党よ、とかげの尻尾きりをすべき時ではないはず! 
 自民党さんよ、「腐っても鯛」のかつての政権党ではないか、こんな些細な理由にて、伝家の宝刀をむやみやたらに振りかざしては、落ちぶれ果てた末路の道筋なり。
 悲劇の幕臣、小栗上野介なみに、“罪なくして死す”を断行すれば、次の禍根をうみますぞ!! 
 それにしても、雨宮メールはマスコミもむ記さぬ、“名大岡裁き”なり。ご立派。
 ソウソウ、以前、「各政党は現地に常駐するくらいの熱を見せろ」の旨を記した雨宮メールを読んだ、現地のご長老は、わが意を得たりと「偉い!! この人は見どころがある」とのたもうたものだった。
 ソロソロ、また、昨今の情報をお伝えしに、年明けの八ッ場現地に伺わなければならない。

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  【2011年1月7日(金) 東京新聞群馬版】
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110107/CK2011010702000069.html
 「国交相交代なら大変」 八ッ場ダム問題で知事 内閣改造、強い懸念
 
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【雨宮隆児さんのメール】
馬淵大臣の問責決議絡みについて、私感を交えてお伝えします。
そもそもこの問責決議案が何を根拠にして自民党議員らから提出されたのか、皆さんご存じでしょうか?
一つには「尖閣問題」で大臣の所管庁である海保の職員がビデオ映像をYoutubeに流出した経緯に対する管理と対処の不行き届きの責任を問うものであり、
もうひとつは、八ッ場ダムの問題に付き「今後は中止の方向性に言及しない」として予断なき再検証を実行するとしたことが、「混乱を招いた」とされているのです。

以下は、参議院公式HPに掲載されている決議文(2010/11/27提出)です。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/176/101127.html
http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/176/101127.pdf
 本院は、国土交通大臣馬淵澄夫君を問責する。
  右決議する。
     理由
 去る九月、尖閣諸島沖で領海侵犯をした中国漁船が海上保安庁巡視船に体当たりをした事件は、馬淵国土交通大臣の事件処理に関する対応や我が国周辺海域における海上保安体制について多くの国民に不満と不安を生じさせた。
政府は、事件の一部始終を撮影したビデオについて再三、全面公開の要求を拒否してきたものの、一人の海上保安官によりインターネット上に流れ、国民は事件を目の当たりにすることとなった。政府の大失態である。
本来なら、中国漁船の危険な衝突行為は、映像の公開によって、その詳細を国民や諸外国に、我が国にとって、如何に不当な事件であったかを周知すべきであった。
公開について、馬淵大臣は検察当局、海上保安庁が刑事訴訟法四十七条の規定に基づき、適切に判断されたと委員会等で答弁しているが、まるで他人事のようであり、自らの職責を放棄した責任逃れである。
このビデオの取り扱いについて、海上保安庁のあまりにもずさんな管理はあきれるばかりである。事件の映像は、政府が裁判前の証拠物件の取り扱いは慎重にしなければならないとして、公開を拒否する国会答弁をしながら、長期間、広島県の海上保安大学校のパソコンに保管され、海上保安官なら誰でもアクセス可能であった。
今回のネット流出は撮影した海上保安庁からであり、同庁の情報管理体制の不備は明らかである。
また映像流出をした海上保安官が上司に告白をした際には、海上保安庁長官と馬淵大臣の間で、その情報のやり取りについて、委員会質疑で、双方あやふやな答弁を繰り返した。全く責任を感じていない言語道断の対応である。
映像を流出させた海上保安官の行為は、公務員として許されず、国家秩序を揺るがしかねないものだが、常に身を挺して海上警備を担当する保安官が止むに止まれずに法を犯すことになったのは、彼らの上に立つ国土交通大臣の事件に対する誠意のない対応に接して、現場にいる保安官の士気を著しく低下させることに不安を感じたからである。海上保安庁を所管する馬淵大臣の責任は大である。

 一方、八ッ場ダムについては、副大臣以来一貫した政策を進めることなく、今日まで迷走を続けた揚げ句、十一月六日建設現場を視察して、「今後、中止の方向性には一切、言及しない。予断をもたずに検証する」と発言されたが、建設するのかしないのか、さらに混乱を与えている。
これまで、ダム建設を理解し、工事に協力して、先祖伝来の土地を離れざるを得なかった現地住民に、前原中止宣言からこの一年余の迷走を何と説明するのか。そして長い間のご労苦に真摯に詫びるべきである。
また八ッ場ダムは関東地方に水道水や工業用水を供給する役割を持ち、工事費を負担してきた関東六都県にも納得のいく説明をすべきである。
馬淵大臣の検証発言は民主党マニフェストの強引な建設中止の事実上の撤回と受け止める。
政権を担って一年余、民主党の選挙公約に如何に無理があるか、ようやく理解し、自らの非を認めた結果である。問題は公約の策定過程で、八ッ場ダムの必要性や現地住民の思いを徹底的に検証したのかということだ。
今回の方針変更はマニフェストが一貫した考えによる政策ではなかったということだ。思いつきの公約を掲げて選挙で訴えたことを深く反省すべきである。
地位が替わって簡単に政策転換をすることは住民無視であり、現地住民の生活、将来の人生設計を翻弄させた馬淵大臣の検証発言は無責任と言わざるを得ない。

 国土交通大臣としての重責を全うできない馬淵澄夫君の問責決議案を提出する。
(牧野たかお君外七名発議)
<以上、全文掲載>

 どちらの問題も根源的には前大臣である前原氏が生んだ不手際と呼べるもので、馬淵大臣はむしろその混乱を収拾しようとする立場にあって対策に当たっていたというのが真っ当な評価だと思われます。
八ッ場ダムの問題に至っては、真に「予断なき再検証」を求めたのは自民党など推進派であって、それを受けて尚混乱したのいうのは筋が通りません。
むしろその混乱を招いたのは岡田民主党幹事長や仙石官房長官の不用意な発言であり、それがなければ馬淵大臣の更なる現地入りも可能だったでしょう。

 その意味では、「あしたの会」等が真摯に事実を伝え、問責決議の不当性について声を明らかにするべき事態なのではないでしょうか?

新聞などのマスコミ論調では、昨今益々政局や内部対立などをネタにしてその中身を正しく報道する姿勢が欠如しており、事実を公平公正に伝え国民の知る権利に応えていない部分が顕著になっています。
それと平行し、現政権執行部、特に菅直人首相が理のない問責についてはその事実関係を明らかにし「説明責任」を尽くして野党の追求に真義で応えるのが、“正に熟慮の国会運営”というものではないでしょうか。
八ッ場ダムに関しては不用意な発言をした幹部を叱責し、担当大臣を擁護するくらいでなければとても「全員野球の412人内閣」とは言えないと思います。

官房長官の問責理由については否定しがたい部分もありますが、政権執行部が馬淵大臣の首を差し出すことで国会審議に道筋をつけようという目論見については大いに疑問があります。
そういう稚拙な権力闘争は政治不信を招くだけであり、結果として守旧的な官僚機構の復権を助長するものです。

結果として、この問責による国交大臣交代を許すことは八ッ場ダムの再検証を否定することに他なりません。
「誰が次の大臣か?」を予想する前に、主張すべき事は歴然とあると考えます。
  


Posted by やんばちゃん at 22:38Comments(0)八ッ場だより

2011年01月06日

馬淵大臣「八ッ場再検証」の指示発令……(?置き土産か)

 同じく本朝の折りたたまれたままの上毛新聞一面の中段の「利根川基本高水」の見出しを観て「あら」となって、全紙を拡げると、以下の見出しあり。
 「やるじゃない、馬淵さん!」と奈良市内で見た、馬淵澄夫さんに親近感が湧いた次第。「間違っても、国土交通省が自前で御用学者を集めたなどと言われることが無いようにしっかりと」なんて、頼もしいじゃありませんか。
 しかし、この馬淵さんの去就が危ぶまれる。
 同じく上毛の4面には、昨日の管首相の記者会見の模様が写真とともに以下の見出し…… 
   内閣改造、党人事を断行
    首相方針 仙谷、馬淵氏は交代

 党内で「ドライ」と評されているらしい馬淵さんの置き土産となってしまうのでしょうか。
 とかくの批評はあるけれど、仙石さんは本当のことを言ったに過ぎない。
 事実、「自衛隊」は「暴力装置」の部類に入る。聴いていた際、さすがに当方も「あ、まずい」と波思ったが、「陸・海・空軍を持たぬ」とした憲法に現実に反している。
 近場に、自衛隊の演習場があり、地方議員の端くれとして、百聞は一見にしかずなので、配布された花見時の園遊会に出てみたことがあった。こんな非常時の練習にこれだけの武器や経費をかけるなんてと苦々しかった。自衛隊関係議員たちの紅潮した笑顔の脇で、「二度と来るものか」と感じた。そして、行政・自民党との三位一体の癒着度を濃厚に感じた。
 所沢基地のあんな航空ショーなど要らぬ。その分、節約すれば、射程距離内に入ってしまった「消費税値上げ」など不要であろう。全共闘出身者として、仙石さんは正直にいったまでだ。こういう人を追いだしていったら、「民主党よ、どこへ行く」となってしまうのは明らかだ。
  
 続いて、上毛新聞の同じ4面の 続いて、上毛新聞の同じ4面の脇には、新春恒例の群馬県関係国会議員へのインタビュー記事あり(1/3~一区選出衆議院議員から)。
 で、三回目の本日は、五区。小渕さんの下欄に、民主党・中島政希議員の欄では「八ッ場中止方針は不変」の見出しが躍っている。
 しかし、前日5日の佐田玄一郎さんの所では「連帯しダム完成めざす」。
 ちなみに同議員は県内大手の「佐田建設」の御曹司。一時、経営が危ぶまれていたが、最近聞かぬ。過日、八ッ場現地で同建設の監督さんに工事状況を聴いたこともある。祖父の一郎さんは、(ご生前、お世話になった)角田儀平治さんと並ぶ、リベラルな活動家だったが、その後転向してしまった。

 さて、またもいつの間にか脱線。
 以下のこの上毛新聞(※見出しのみ)を始め、各紙並びに大臣コメントを読んで戴きたい。
 【2011年1月6日(木) 上毛新聞一面中段】 
  利根川基本高水 「有識者で協議の場」
    国交相 結果受け八ッ場再検証


【2011年1月6日(木) 読売新聞群馬版】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110106-OYT8T00253.htm    
「八ッ場」基本高水外部も検証 馬淵国交相が方針表明 

 【2011.1.5 12:59 産経新聞ニュース】 http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/110105/gnm1101051341003-n1.htm
 洪水時の最大流量を再検証へ 八ツ場ダム建設問題で馬淵国交相

...................
【平成23年1月5日 国土交通省 記者会見地の八ッ場関連】http://www.mlit.go.jp/page/kanbo01_hy_001316.html
七つの施策(社会資本整備重点計画の見直し、八ッ場ダムの検証等について
 八ッ場ダムにつきましては、昨年、全国の直轄・水機構ダムのトップを切って検証体制の立ち上げを行いました。
私は、現地に赴き中止の方向性には一切言及しないと、このように申し上げ、今後、一切の予断を持たずに再検証を行うと。
また、今年の秋までには結論を得るということを目標としてお伝えいたしました。
また、さらには1都5県の知事の皆様方との御議論もさせていただき、できる限りこの目標を前倒しできないかといった要望に対しても、私どもが力の限り進めてまいりたいということをお伝えしたところであります。
こうして結論を導くという過程においては、常にオープンに皆様方に御提示をしてまいりたいと思っております。
更に、こうした再検証のみならず、そもそも治水のあり方の前提となる基本高水についての再検証もスタートいたしました。
これは、かつて河川局で示してきた基本高水の再検討、平成17年報告書の中で出されていた数値について、その確認が十分できないといった状況が起きている、すなわち昭和55年の経過報告書のまま今日まで前提として推移してきたということが明らかになった時点で、私が基本高水の検証を改めて指示をしたものであります。
これによって、ダムの検証と並行して基本高水の検証が行われることになりますが、当然ながら、結論としては基本高水を先んじてその結果を明らかにするように指示を出しております。
さらには、様々な関係各方面、これはダムの建設反対、あるいは推進、それぞれの論点に立つ有識者の方々にも公正に御判断いただけるような枠組みを考えてまいりたいと思っております。
間違っても、国土交通省が自前で御用学者を集めたなどと言われることが無いようにしっかりと皆様方に公正性、透明性、客観性を持って御判断を頂ける材料を提示してまいりたいと、このように思っております。
このダムによらない治水に関しては、以上のように再検証の仕組み、プロセス並びに基本高水の検証という2つをもって国民の皆様方に説明責任を果たしてまいりたいと、このように思っております。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2011年01月05日

危機感なくも“気遣い”で建設必要なり。これぞ群馬の県民性か

 上毛新聞の新春特集「2011 変わる暮らし」(上毛新聞社・群馬大学社会情報学部共同調査)の第四回目は「八ッ場ダム」です。
 調査方法は、群馬県民の選挙人名簿から、無作為に抽出した3000人に昨年11月に39項目にわたる調査表を送付。回収率は47、7%。その結果によれば、
 【2011年1月5日(水) 上毛新聞一面上段】 
  【八ッ場ダム】  建設支持、中止の倍
     水害、渇水、危機感は薄く

《要旨》
 一、ダム建設の是非について、
  ①「建設すへきだ」 42、6%
  ②「中止すべきだ」 21、9%
  
 ※政党支持別 自民党支持者ーー65、6%が①「建設すへきだ」
             〃       5、9%が②「中止すべきだ」
         民主党支持者ーー25、4%が①「建設すへきだ」
             〃      38、6%が②「中止すべきだ」

二、利根川流域の治水安全度の向上や水源確保への認識について、
  ①「水害が発生する可能性」   「低い」 40、4%
                      「高い」 23、5%
  ②「自宅が被害にあう可能性」  「低い」 77、1%
                      「高い」  9、6%
  ③「渇水など日常生活への影響」 「低い」 58、5%
                      「高い」 16、9%

三、結論――記事を転載
 「水害や渇水への危機意識が低いのにダム建設を求める人が多いのは、長年にわたる反対闘争の末に「苦汁の決断」として建設を受け入れ、ダム前提の将来設計を描く長野原町の地元住民に対する気遣いが背景にあると推測される」
 

 いかがでしたでしょうか。
 でも、約1500人の回答。しかも、「各市町村の有権者数を考慮」として県内全域、ということは吾妻郡ももちろんあり。ダムを必要と答える層もまた、うなづけるものあって……
 見出しはセンセーショナルでも、読み進めば、記事中味は割と冷静に分析しています。  


Posted by やんばちゃん at 21:51Comments(0)八ッ場だより

2011年01月04日

ようやくの賀状です

 ようやく、完成した遅ればせの年賀状です。(何ごとも遅いのは、どっかの誰かに似ていますね。でも、さすがに最記録です)
 あらためて、初春のごあいさつをさせて戴く次第です。今年も、よろしくおつきあいくださいませ。


 ※プリンターの関係で、下部の余白がないようになってしまいましたが、ちゃんと上下等間隔ですので…… 下が空けば上が詰まるの繰り返しで、持ち時間足りず。細部の抹消部分にはこだわらず、今年はこれで参ります。
(仕事始めの本日は自重して、何も申しません)
  


Posted by やんばちゃん at 23:48Comments(0)八ッ場だより

2011年01月03日

八ッ場からの年賀状、頂戴

 


 昨日の京都の各流派お家元競演の豪華で華やかな生花にあやかって、臆面もなく本年最初の我流の活け込み、ならぬ投げ込みをしてみました。
 菜の花も含め全て地場産。おまけに花器まで廃物利用(何だか分りますでしょうか)。
 菜の花は今年の暖冬でヒマワリとともに開花してくれたものです。
 で、南天とともに先年末の人情市に正月花として切り取ったのでした。が、準備が間に合わずバケツに入れておいたままだったので、一株も売れず。翌早朝出発の時間的制約の中で、おすそ分けに行くことも茹でて食べる時間もなく、仕方なく新聞紙に包んで水に入れておいたものです。売れ残ったダイコンは土に埋め、キャベツも白菜も新聞紙に包んで大型に冷蔵庫にしまいこんであります。
 従って、帰宅後のわが家の玄関は、時ならぬ菜の花盛りで黄一面(?ちょっとオーバーかな)。
 ようやくほどいて、写真のように始末。そして、まだ蕾の良質のものはおひたし用に別用途(独自の活用方は内緒)。それ以外の食べられそうなのは葉っぱまで汁ものの実に。経済的なヒトですね。
 かくして、本来は最も良い花材を用いるのが、華道の真髄なのに、タネがついてしまった活用なしの菜の花の余り物の生け花です。

 さて、このささやかなブログをどこかで、心ひそかに応援してくだされる方がいらっしゃるようです。というのは、元旦の日のPV(?クリック数)は{訪問者}の約6倍もあったのです。
 怠け者にあらず、この間ほぼ連日記してきたのに、突然の1週間の空白状態。どなたか心配してくださっている方が、アップされているのかを確かめてくださっているのでは? と好意的に考えてしまう、単純オバさんです。
 どこのどなたさまかは存じませんが、本欄にて、厚く頭を垂れる次第です。ありがとうございます。
 で、お読みくだされる方たちは、皆さんわが見方。志おなじくする同胞なりとさらにエスカレートしてしまうヒトでして、ついつい余分ごとまで仔際に記し過ぎてしまうのですが……
 でも、気をつけなければならぬとは新年にあたり、自戒もいたしております。
 結構、どうやら反対の方たちもお読みくださっているのですものね。
 どこかの県の堅固な県警建物の最上階には、かつての「特高警察」の役割を引き継ぐ[公安」なる部署があるとか。いいですよね。懐具合を気にせず、お上の金でゆったりと、ささやかな市民運動までご監視くだされるのは。
 こちらを向いても「ご苦労さまなことで」と怒りをこめて頭を垂れましょうか。何と安い頭でしょうか。

 さて、八ッ場の皆さまから、年賀状を戴いてました。ちゃんと元旦到着の数々です。
 本日は急いで、返礼をしたためねばなりません。でも、これから図案を考えねばならず、これに結構時間がかかってしまうのです。皆さん、例年通りの不手際。お許しを。しかも、今年は一段と遅延。
 かつて、律儀なAさん(1年の計ですので、また最初のA~)にご忠告をもらってました。「あんたね、ダメだよ。年賀状っていうのは、チャンとお元日に届くようにしなければ」と。
 
 おまけに一年に一度お目にかかる「筆王」さんの複雑かつ妙な機能。
 わがパソコン能力の極地を駆使して、ようやく苦心惨憺して仕上げた図案がほぞんしたはずなのに、次回には出てこず、「裏面」に登場してくれるのは、平板な獅子舞の図柄。で、仕方なく、また造り直しの連続。この時間の浪費をもう何回繰り返してきたことやら、馬の絵がでてくると落胆とともに小憎らしさが走ってなりませんでした。
 先の知人のNPO事務所で、事務局さんが仕上げていた年賀状は「ワード」仕上げだったのでした。で、閃いてその原型をフラッシュメモリーに保存してもらってきました。
 で、恐らく、差当方の使い方が間違えているのでしょうが、今年はむずかしい「筆王」さんとはきっぱりと離縁状をたたきつけて、ワード仕上げ。と意気込んでみました。ところが、悪銭苦闘。つまり、単純な横・縦のみのベタ打ちなら良いのですが、自在に組み合わせ変化をつけることには「次の奥の一手」が必要なのです。
 で、この間の苦心のわが年賀状にお目にかかりたくて、「筆王」さんをクリック。ところが夏頃までどっかのジャンルの一つには保存されていたオリジナルが出て来ず、またも獅子舞の例の見たくもない憎い図柄に遭遇。これ以上、クリックすると、全てがこの単純極まりない図になってしまうと恐れて、正月早々、NTTリモートサポートにお世話に。
 「筆王」ご担当部門の精通したプロがクリックしても出てこず、アチコチ検索の果てにドキュメントに保存してありました。
 でもどうやら、当方がこの状態を憂えて昨年の年賀状作成の後、ドキュメントに保存したものではないかと思います。
 ことのついでにワード機能について教えてもらいました。それにしても、「パソコン独学組」にとっては、なんと廻り道が多いことでしょう。楽々機能の新発見が幾つもあり。
  そんなこんなで、未だ仕上がりません。(出来ましたら、ブログには写真化しないとアップできないかとおもうのですが、何とか後日、本欄にアップしたいと想います)

 なお、本日は小学校以来の同級生のY君の葬儀でした。同じく近場の同級生がルス宅に連絡してくれていて、帰宅早々、義妹から告げられてました。この同級生からは28日、和歌山へ向かうローカル線の待ち時間に、村のことで電話があり、「出先」であることを告げてました。それにしても、最後のお別れに間に合って良かったです。
 前橋市の初めての斎場に向かう途中、彼の99歳の母親が、自宅近くのコンビニに入って行かれるのを眼にしました。後ろ姿はまだ80歳前の軽やかさ。100歳を眼の前にして、草むしりが大好きとかの、村一番のご壮健なお母さんです。
 もしかしたら、ご家族の配慮にて、末息子の早すぎる死をご存じないのかなとさえ思った次第です。
 一瞬、この人の世の不条理に身がひきしまりました。
 急きょ集った小学校の同級生たちとともに、最後に花を入れお見送りをして、永久の旅だちを見送りました。 
 壊えば、61歳、わが父と同じで、改めてその早すぎることを実感。葬儀の日、輪郭なしの涙の霞の中での自分の姿を思い出します。父が亡くならなければ、私の運命はまた違った方向にあったことは確実……
 出がけに昨年のあることのお礼ものを丁寧にもって見えられ、ご相談を受けた、年末に起きた突然の金銭ごとを含めたトラブルなど、世事に疎い身にも、新年から一陣の冷たい風にさらされて世の中の複雑さの一端にふれた思いです。
 つつしんで、Y君のご冥福を祈ります。   


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場だより

2011年01月02日

八ッ場の幸多さをこめて鐘をつきました

 新年の寿ぎを申し上げます。
わが八ッ場の、本年の速やかな解決を祈ります。


【京都・烏丸口駅頭に飾られた各流派家元による壮大な活け込みの数々。?…今秋の「国民文化祭・京都2011」のプレイベントのようです。 ※小雪が降ってました。正面上方には京都タワーあり】
 ※なぜ、呑気にこんな写真をお思いでしょうが、新年の華やかさと京都の 「烏丸」は「カラスマ」と呼び、「カラスマル」と言う人は土地勘の無い証拠と指摘された次第。
 同様にして、合流した関東の知人が言い添えるには、「ヤンバ」って読めなくて「ヤツバ」って言っていたとの由。で、このごくささやかな共通項にて。

 お蔭さまで今や、わが「ヤンバ」は市民権を得て、「ヤツバ」はあまり耳にしなくなりましたね。

 本日午前、仕事がらまりの所用のため出かけていた奈良県の知人宅より、無事に戻りました。(「無事」というオーバーな表現は、関西地方を襲った大雪による悪天候で、新幹線は乱れ、31日夜の京都発の夜行バスは上下線とも休止。翌1日の運行も夕刻からの雪による影響が、終日危ぶまれていたのでした)。
 
 さて、27日早朝より1週間のご無沙汰をお詫びいたします。
 当初の心づもりとしては、一週間のルスを記し、元旦には自動的にアップするよう、手配していく心づもりでおりましたけれど……、26日のイベント終了後、ルス宅の種々の始末に追われて、年賀状に一枚も手がつかないままのドタバタ調にて、疲労困憊の果ての年の瀬の出発でした。迫ってくる電車の時間と旅仕度が最優先であたふたとするまま、弱りめの身体に、車中ではもらい風邪まで道連れ。
 従って、今年最初の写真は、本来ならば、八ッ場現地の何らかの写真をとなるところですが……
 


そこで、強いて結び付ければ、選挙イヤーの幕開けにふさわしく、奈良市内の知人宅のそばに貼られたポスターをご覧ください。
 どっかで見た顔と思ったら、八ッ場の運命を握る、馬淵国交大臣ではありませんか。奈良一区の選出です。
 そして先ほど、たまった新聞を整理していたら、30日の上毛新聞一面に「大沢群馬県知事は馬淵大臣に代わって欲しくない意向」の記事あり。(何かの口約束でも整っているのでしょうか? と心配になってきます)
 見出しのみですが、
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 【2010年12月29日(水) 上毛新聞一面中断】
   馬淵氏留任望ましい
        八ッ場問題で知事
   
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   八ッ場ダム本体 早期着工を要望  
         国交相に東吾妻町 


 年末の「頼まれ仕事」を無事に終わった30日昼過ぎ、知人宅に集った女たちは一応、おせち料理のまねごとを(とは言っても、正式な家事にうとい当方は、二つ目の仕事にかこつけて「まだ、総仕上げが終わっていないの」と、同じく関東からのベテラン主婦に押しつけて殆ど手を出さず、「とっても上手いよ。本職並み」との褒めちぎってのご賞味役に徹す。手を出したのは、庭先のユズを採っての千切りと人参を切っただけ)。
 豆から水に浸し手づくりしたて写真の黒豆は、とってもふっくらと本当に上出来。
 「丸く平穏息災をこめて、餅と同じく野菜類も皆、丸く切るのよ」との昨年亡くなれた和歌山のお母さん直伝の知人の講釈混じりの指導のもと、この地方特有のみそ仕立ての丸餅の伝統的お雑煮も丁寧に仕上げられました。群馬の国分ニンジンと同じく長細い、京ニンジンの色の赤さには魅せられました。
 お屠蘇もかねて用意の屠蘇散に、例の「極上・五人娘」を混ぜて前日から仕込み、ご覧のようなベトナム産の大理石の容器に入れて出されました。長年、ベトナムの医療支援を行ってきた彼女ならではの食器類で、知人宅にはこれらベトナムの丁度類が幾つも。
 この間、毎年の年末年始はずっとベトナム訪問だったので、日本の正月は久しく味わったことなしとのこと。で、久々に日本にいる今年の大みそかは、東大寺や興福寺の除夜の鐘の堪能作戦計画だったのでした。
 が、昼すぎ、平城京周辺の下見に行った段階でかなりの混雑と降雪が予想され、断念。それよりも、近くの秋篠川の散歩がてらに行ける、近場の秋篠寺にしぼることに。
 前夜の30夜に初雪を体験してました。雪の始末が良くなるとかで雪もよいの夕暮れ時、急いで知人は庭の芝生にモミガラの粉末を撒いて、竹ホウキで掃いていた、例にあらずの姿に、まさに「いにしえの奈良の都の夕暮れ……」の風情がありました。
 昼すぎに訪れた際に、除夜の鐘の仔細を聴いてきた秋篠寺はあまり観光客が押し寄せず、古いおなじみさんのみの雰囲気の穴場で、12時近くになって出発したのに数分ならんだだけで、それぞれが鐘をつけました。
 ちょっぴりおよび腰ながら、八ッ場への祈りをこめてついてみました。
 何よりも、ロウソクのかがり火に浮き出た本堂の仏像たちの神々しさ。
 著名な伎芸天はもとより、本尊の薬師如来の顔は昼間とはまた趣が異なり、中年(過ぎ?)オバさんたちは、感動で胸いっぱいで家路に着いたものでした。
 伎芸天とは3度目の出会いです。およそ10年前の前回は、自転車でこの辺りを廻った事を思い出しました。今回は行かなかったけれど、駐車場のある南門とは反対側の門を出ると、窯場があったことも思い出しました。
 何度訪れても、受け付け口に至る苔の庭園とともに、忘れられない古都の趣をいっぱいに放つ寺です。境内には歌人・会津八一や吉野秀雄の歌碑があります。吉野秀雄は当地、高崎市の出身なのでした。
 
 思いもかけず慌ただしくかけつけた奈良・和歌山県。
 知人宅の周辺も、歴史的風土の再現そのままにちょっと歩けば、眼につくのはこんもりとした木立ちの中の天皇陵ばかり。それゆえにか、開発されずに自然が守られているわけなのですが……
 そこで、臣民への現天皇並みの、ものいいのその言い回しを真似して、
 新年にあたり、《八ッ場の皆さんを始めとした》、ミナの幸せを祈ります。  


Posted by やんばちゃん at 18:17Comments(0)八ッ場だより