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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2014年05月11日
5月の第2日曜日、朔太郎忌です
半分、居眠り状態にて記してます。
写真は後ほど、朔太郎忌の記念品と猫仮面でも。
八ッ場から、離れた事柄にてご寛容のほどを。
9日、10日と休んでしまいました。
10日 地元紙・投書欄に、拙稿掲載されれる
① 「没」と想っていた、上毛新聞「ひろば」欄に拙稿、「(富岡)製糸場と明暗をわける吾妻渓谷」が掲載されました。
【2014年5月10日 上毛新聞「ひろば」15面読者のページ】
② 「なくそう原発!つながろう福島!5・10群馬集会」に参加
いつも各種会合、特に原発問題には出掛けてくださる情報通のスタッフKさんは、この日は草津で行われる第10回ハンセン病市民学会総会・交流集会(ハンセン病市民学会主催」に参加予定。 「今年は全国大会が草津」との情報は聴いてはおり、手前の八ッ場は通過点ということもあり、私もチョッピリ心は動いてました。何もなかったら行ってみようかと。が、発送作業が迫ってまして、幸い新規スタッフ的な活きの良いお2人の女性がお手伝いを、この週末の土日に申し出てくれてました。で、本当に助かりますので最優先。しかも、この日は追加印刷チラシが届く日などのこなさなければならないことばかりで錯綜としてました。
ですが、原発問題学習会には出席した方がよいのではとの示唆もありました。映画「シロウオ」は、原発関連映画ですから、確かにチラシ・チケットをお渡しするのも、手渡しの方確実ですし…… 日頃のお世話に対して参加は当たり前。
で前日の9日、10日の発送作業延期の旨をお二人に、連絡・お詫びメールを急ぎ記しての参加でした。
福島県の母親のお話の中で、話題になっている「美味しんぼ」の漫画中、震災後、鼻血がでた話は真実と証言されていました。息子さんもご自分も出たそうでした。またまた、どこかの黒い手が動いてますね。
11日 不意にして、「朔太郎忌」に出かけました
そして本日11日は、不意に久しぶりに「朔太郎忌」に出席。高校生の頃に出かけて以来。時折は出て参りましたが、5月の第2日曜日というのは本当に用事がいっぱい。
一昨年のこの日も、初めて親族で伊豆大島行だったのに、4月始めのその相談中に依頼を受けて、関西方面の教師の方の学習教材のための八ッ場のご案内でした。
本来ならば、文学関連のことに最も気持ちが動いてきた、半生のこし方でしたが……
開始時間と思い込んでいた13時半に5分程遅れてしまったら盛況で、もはや資料はつきてしまってました。
で、川上未映子さん×三浦雅士さん(萩原朔太郎研究会会長)による「朔太郎の誘惑」と題した、対話が終わった15時半からの休憩時間を終わりと早合点。
駐車場に向かう一階のエレベーター前に貼られた開催チラシふと見て、まだ、かの吉増剛造さんの出番があることを知って、また慌てて戻ったという始末なのでした。ここで、初めて要項を丁寧に見た次第でした。
「朔太郎を見る/朔太郎を聴く」吉増剛造さん×三浦雅士さんの対談はおちついて拝聴できたためか、こころにきちんと入り込んで参りました。終わり近くで、要項を取り出された隣りの方の資料をお借りして読むと、出がけにインターネットで時間と場所のみみて、13時半開始と思い込んでましたが、その前に30分間程のセレモニーがあったようでした。詩の朗読終了間の途中入場でしたので、最後尾の端にすわってましたら、対談に入られる頃、脇を羽織袴姿の山本龍前橋市長が通られたことが氷解しました。
さらに、走り読みしたパソコン画面の要項で、偶然捉えた第2部懇親会出席は、事前申込みとばかり思い込んでました。それにそこまで出るような立場でもないしと意にも止めてなかったのでした。
けれど、落ち着いて、対談を拝聴していると、かなりの興味がわいてきました。この手のことに心躍らせてやまなかった若い日の関心ごとが蘇り突き上げてきました。そうなると、雑務に追われてしまっていることも忘れてしまいます。
受付時には全く気が付なかったのでしたが、先ほどの早合点の帰りがけのロビーで、別席に「当日券受付」とあったのを目端に捉えたのを思い出し、セレモニーの際の方たちのご出席もあるようなので、迷いだしてしまいました。夕刻には帰るつものりでそそくさと出てきたものでしたから、かなり逡巡しましたが、受付がまだ開いていて、まだ枠があるかどうか聴いてようと、ロビーにでてみますと、いとも簡単にOKに。
結局、当日参加券にて懇親会の席にまで、第一部の終わり間際になってからの申し込みを。
川上さんの終了近くに遅れてきて、満席でしたので席をゆずった地元の詩の会、「翔べ翔べ暮鳥」の先輩格の方は事前申込みをしてある由でしたので、お仲間もいるし……と。
なお、韻文王国と言われる群馬の地で、朔太郎は前橋市、山村暮鳥は隣接する村の出身なのです。そして、山村暮鳥は朔太郎に影響を与えたことは文学研究で実証されています。今年はその山村暮鳥生誕130年の節目となります。
18時~ 「懇親パーティ」にも不意な参加を
立食もそろそろ尽きる頃、欲張ってまだ残っているテーブルの料理を採るのに夢中になってテーブルにそって辿って行き、不意に顔をあげましたら、そこには県内の詩人、Sさんや吉増さんらが談笑していられました。思わず、ドッキリ。しかも料理を山盛り盛り上げてなくて良かったなと…… その当惑の顔がおもしろかったのか、とびきりの笑顔で吉増さんが……
対談中は遠くてお顔が定かに見えず、若い日から、俊才としての研ぎ澄まされた作風で、近寄りく遠い存在の文学者として思い込んできた、吉増さんの笑顔を真近く拝顔できて、心膨らむ思いでした。良いお仕事をなされる方には、香り高い華があります。
そして、厚かましくも「お差し支えなかったら、お写真よろしいですか? Sさんを通しておとどけしますので……」と問いますと、4名の御名前のある方たちがポーズを採ってくださいました。
……このような席で場違いな当方にまで、笑顔を向けてくだされ、快くポーズをとってくだされた方々のお顔がよぎりました。
そのお一人に、(映画化の橋わたし役として、丸5年間深くかかわってしまった映画監督夫妻の、不動の出世作となった前作品の)試写会後のパーティ会場での、大島渚さんがいらっしゃいます。今でもあの存在感のある、分厚な華やぎと笑顔は忘れがたく浮かんでくるものです。
萩原葉子さんのさりげないお心づかいを味わったことあり
この日の来賓のお一人、山本龍・前橋市長は羽織袴のご正装で、それはお似合いでした。
また、朔太郎のお孫さんの萩原朔美さんもご出席でした。
前橋文学館が開館した頃に、母親の葉子さんが文学館前の橋上でフラメンコを披露された折に、人垣の陰に臆しつつじっと拝見していた私にまで、「前の方でご覧なさい、こちらにいらっしゃい」と手まねきを゜して声をかけてくだされたことがあったのでした。人に話たことはありませんでしたけれど、細やかな気遣いをみせて瞬時にしてその人間の置かれている状況をお判りになられたのか、心を溶かしてしまわれる包容力のあられる方だったことは、胸の奥に大事にしまいこんでありました。高校生の頃、葉子さんの『いら草の家』『天井の花』などを矢継ぎ早に読み心打たれたこともあり、それはそれは大事に秘匿しておきました。ある作家も、「一目みれば、そのヒトのことはわかります」と、それは作家の想像力に培われたものだという風なことを語ってました。
縁もたけなわ、隣の女性のに同道して写真をお撮りするために、勇気を出して息子さんの朔美さんの処に伺いました。そして、お隣にたった途端に、不意にそのことを思い出したというより、吹き出してしまったという感で、思わず口をついてしまってお伝えしてしまったのでした。とっさでしたので、葉子の字面もお名前も出ず「お母さま」で通し、フラメンコも出ずに「タップダンス」とか言ってしまったように記憶しています。特有の早口ですし、朔美さんもたぶん一瞬、何のことかわからかったかもしれませんでしたが、終始にこやかな表情で無言ながらもかみしめるようにして聴いてくださいました。
久々に、心晴れる、今年の5月の第2日曜日。
それは、母の日でもあるのでした。
※それにしても、「不意」という単語をあえて頻発させました。(一文章の中では同一語は極力用いないように留意としてまいりましたが)、本当にこの日は、不意にして始まり、不意なことばかりで閉じた1日でした。
これも予期せぬ不意な「朔太郎さんの誘惑」だったでしょうか?
……そして、いかに「不意」といっても、隠れた「動機」はあるというものです。氷山の一角の底部、それが、小説のモチーフといったところでしょうか?
写真は後ほど、朔太郎忌の記念品と猫仮面でも。
八ッ場から、離れた事柄にてご寛容のほどを。
9日、10日と休んでしまいました。
10日 地元紙・投書欄に、拙稿掲載されれる
① 「没」と想っていた、上毛新聞「ひろば」欄に拙稿、「(富岡)製糸場と明暗をわける吾妻渓谷」が掲載されました。
【2014年5月10日 上毛新聞「ひろば」15面読者のページ】
② 「なくそう原発!つながろう福島!5・10群馬集会」に参加
いつも各種会合、特に原発問題には出掛けてくださる情報通のスタッフKさんは、この日は草津で行われる第10回ハンセン病市民学会総会・交流集会(ハンセン病市民学会主催」に参加予定。 「今年は全国大会が草津」との情報は聴いてはおり、手前の八ッ場は通過点ということもあり、私もチョッピリ心は動いてました。何もなかったら行ってみようかと。が、発送作業が迫ってまして、幸い新規スタッフ的な活きの良いお2人の女性がお手伝いを、この週末の土日に申し出てくれてました。で、本当に助かりますので最優先。しかも、この日は追加印刷チラシが届く日などのこなさなければならないことばかりで錯綜としてました。
ですが、原発問題学習会には出席した方がよいのではとの示唆もありました。映画「シロウオ」は、原発関連映画ですから、確かにチラシ・チケットをお渡しするのも、手渡しの方確実ですし…… 日頃のお世話に対して参加は当たり前。
で前日の9日、10日の発送作業延期の旨をお二人に、連絡・お詫びメールを急ぎ記しての参加でした。
福島県の母親のお話の中で、話題になっている「美味しんぼ」の漫画中、震災後、鼻血がでた話は真実と証言されていました。息子さんもご自分も出たそうでした。またまた、どこかの黒い手が動いてますね。
11日 不意にして、「朔太郎忌」に出かけました
そして本日11日は、不意に久しぶりに「朔太郎忌」に出席。高校生の頃に出かけて以来。時折は出て参りましたが、5月の第2日曜日というのは本当に用事がいっぱい。
一昨年のこの日も、初めて親族で伊豆大島行だったのに、4月始めのその相談中に依頼を受けて、関西方面の教師の方の学習教材のための八ッ場のご案内でした。
本来ならば、文学関連のことに最も気持ちが動いてきた、半生のこし方でしたが……
開始時間と思い込んでいた13時半に5分程遅れてしまったら盛況で、もはや資料はつきてしまってました。
で、川上未映子さん×三浦雅士さん(萩原朔太郎研究会会長)による「朔太郎の誘惑」と題した、対話が終わった15時半からの休憩時間を終わりと早合点。
駐車場に向かう一階のエレベーター前に貼られた開催チラシふと見て、まだ、かの吉増剛造さんの出番があることを知って、また慌てて戻ったという始末なのでした。ここで、初めて要項を丁寧に見た次第でした。
「朔太郎を見る/朔太郎を聴く」吉増剛造さん×三浦雅士さんの対談はおちついて拝聴できたためか、こころにきちんと入り込んで参りました。終わり近くで、要項を取り出された隣りの方の資料をお借りして読むと、出がけにインターネットで時間と場所のみみて、13時半開始と思い込んでましたが、その前に30分間程のセレモニーがあったようでした。詩の朗読終了間の途中入場でしたので、最後尾の端にすわってましたら、対談に入られる頃、脇を羽織袴姿の山本龍前橋市長が通られたことが氷解しました。
さらに、走り読みしたパソコン画面の要項で、偶然捉えた第2部懇親会出席は、事前申込みとばかり思い込んでました。それにそこまで出るような立場でもないしと意にも止めてなかったのでした。
けれど、落ち着いて、対談を拝聴していると、かなりの興味がわいてきました。この手のことに心躍らせてやまなかった若い日の関心ごとが蘇り突き上げてきました。そうなると、雑務に追われてしまっていることも忘れてしまいます。
受付時には全く気が付なかったのでしたが、先ほどの早合点の帰りがけのロビーで、別席に「当日券受付」とあったのを目端に捉えたのを思い出し、セレモニーの際の方たちのご出席もあるようなので、迷いだしてしまいました。夕刻には帰るつものりでそそくさと出てきたものでしたから、かなり逡巡しましたが、受付がまだ開いていて、まだ枠があるかどうか聴いてようと、ロビーにでてみますと、いとも簡単にOKに。
結局、当日参加券にて懇親会の席にまで、第一部の終わり間際になってからの申し込みを。
川上さんの終了近くに遅れてきて、満席でしたので席をゆずった地元の詩の会、「翔べ翔べ暮鳥」の先輩格の方は事前申込みをしてある由でしたので、お仲間もいるし……と。
なお、韻文王国と言われる群馬の地で、朔太郎は前橋市、山村暮鳥は隣接する村の出身なのです。そして、山村暮鳥は朔太郎に影響を与えたことは文学研究で実証されています。今年はその山村暮鳥生誕130年の節目となります。
18時~ 「懇親パーティ」にも不意な参加を
立食もそろそろ尽きる頃、欲張ってまだ残っているテーブルの料理を採るのに夢中になってテーブルにそって辿って行き、不意に顔をあげましたら、そこには県内の詩人、Sさんや吉増さんらが談笑していられました。思わず、ドッキリ。しかも料理を山盛り盛り上げてなくて良かったなと…… その当惑の顔がおもしろかったのか、とびきりの笑顔で吉増さんが……
対談中は遠くてお顔が定かに見えず、若い日から、俊才としての研ぎ澄まされた作風で、近寄りく遠い存在の文学者として思い込んできた、吉増さんの笑顔を真近く拝顔できて、心膨らむ思いでした。良いお仕事をなされる方には、香り高い華があります。
そして、厚かましくも「お差し支えなかったら、お写真よろしいですか? Sさんを通しておとどけしますので……」と問いますと、4名の御名前のある方たちがポーズを採ってくださいました。
……このような席で場違いな当方にまで、笑顔を向けてくだされ、快くポーズをとってくだされた方々のお顔がよぎりました。
そのお一人に、(映画化の橋わたし役として、丸5年間深くかかわってしまった映画監督夫妻の、不動の出世作となった前作品の)試写会後のパーティ会場での、大島渚さんがいらっしゃいます。今でもあの存在感のある、分厚な華やぎと笑顔は忘れがたく浮かんでくるものです。
萩原葉子さんのさりげないお心づかいを味わったことあり
この日の来賓のお一人、山本龍・前橋市長は羽織袴のご正装で、それはお似合いでした。
また、朔太郎のお孫さんの萩原朔美さんもご出席でした。
前橋文学館が開館した頃に、母親の葉子さんが文学館前の橋上でフラメンコを披露された折に、人垣の陰に臆しつつじっと拝見していた私にまで、「前の方でご覧なさい、こちらにいらっしゃい」と手まねきを゜して声をかけてくだされたことがあったのでした。人に話たことはありませんでしたけれど、細やかな気遣いをみせて瞬時にしてその人間の置かれている状況をお判りになられたのか、心を溶かしてしまわれる包容力のあられる方だったことは、胸の奥に大事にしまいこんでありました。高校生の頃、葉子さんの『いら草の家』『天井の花』などを矢継ぎ早に読み心打たれたこともあり、それはそれは大事に秘匿しておきました。ある作家も、「一目みれば、そのヒトのことはわかります」と、それは作家の想像力に培われたものだという風なことを語ってました。
縁もたけなわ、隣の女性のに同道して写真をお撮りするために、勇気を出して息子さんの朔美さんの処に伺いました。そして、お隣にたった途端に、不意にそのことを思い出したというより、吹き出してしまったという感で、思わず口をついてしまってお伝えしてしまったのでした。とっさでしたので、葉子の字面もお名前も出ず「お母さま」で通し、フラメンコも出ずに「タップダンス」とか言ってしまったように記憶しています。特有の早口ですし、朔美さんもたぶん一瞬、何のことかわからかったかもしれませんでしたが、終始にこやかな表情で無言ながらもかみしめるようにして聴いてくださいました。
久々に、心晴れる、今年の5月の第2日曜日。
それは、母の日でもあるのでした。
※それにしても、「不意」という単語をあえて頻発させました。(一文章の中では同一語は極力用いないように留意としてまいりましたが)、本当にこの日は、不意にして始まり、不意なことばかりで閉じた1日でした。
これも予期せぬ不意な「朔太郎さんの誘惑」だったでしょうか?
……そして、いかに「不意」といっても、隠れた「動機」はあるというものです。氷山の一角の底部、それが、小説のモチーフといったところでしょうか?