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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年09月01日

どうなったのかしら、八ッ場でのこの夏のドキリ、三つのこと

  一、 6月の暗闇のやんば館前の旧国道で……
 昨日の本欄末尾に、「まして旧道沿いには家なく、夜は怖い」と記しましたが、あるミステリアスなことに遭遇しました。

 あれは、6月頃の夜19時近くだったかと記憶しています。
 昼間お留守だったお宅に、すべての所用が済んだので、やはりとちょっとしたものをお渡して帰ろうようとして、旧国道を草津方向に向かって走っていると、やんば館前で、お年寄りらしい男性が足を引きずりながら歩いていられました。
 一瞬は走りすぎましたが、今では誰も通らないのが通例の旧国道。しかも徒歩なんてと不思議に思い、急いではいましたが、ここで見捨てて走るのも人道的な面からどうかなと考えて戻り、車を止め、「お困りでしら、お送りしますよ」と伝え、どこから見えたのですかと問いますした。が、「……わからない。……東京かも」との、重くてはしばしない返答。
 記憶喪失か老人性痴呆の方ではと考えられ、私独りでは手に負えない、警察にとどけるべきと判断。上湯原橋の対岸に建設現場の灯がみえたので、「ここを動かないでくださいね」と伝え、まずはその前の支援を求めに行ったことがありました。
 親切な建設会社からは、上司さん風の方が直ちに対応してくれ、お二人の方が駆けつけてくだされて、パトカーの到着を待ちました。
 社員さんが持ってこられたライトで男性を照らしました処、首筋が赤く、「あら、血が」と叫んでしまいました。が、それは首筋に輪状についた、うっ血した血痕の跡。
 …テレビか何かでみた首つり自殺の痕跡がとっさにひらめいて…… 初めて接する、まったく予期しなかった展開にゾっとして、ドッキリとしたものでした。何か、深い事情があおりなのだと思いました。

 19時半すぎ、ようやく長野原県警のお二人のおまわりさんが到着。こういう時の時間は長く思えました。
 駆けつけた警官も、ポケットなどをさぐりながら、「おじさん、首つりしそこなったんかい」と問いかけてましたので、確信。落としは70代後半と見受けました。所持金は一万円札1枚だけで、身元を記したものは何もないようでした。
 急いで、用事をすませた帰途の道、もう20時近かったと思いましたが、丁度、パトカーが長野原署に引き上げる処でした。いつの間にか3台も駆けつけてました。一応、降りて挨拶をしました処、今夜は長野原署に泊めるのだそうでした。私たちがいる間は、「病院へ行くかい」とも聴いてましたので……どうなのかとおもってました。
 
 後日の情報に寄れば、翌日には旅館などに警官が写真をもって見覚えがないかときたそうでした。
 あのお年よりの方、今頃は無事にお宅に戻られているでしょうか?

         二、広大なミョウガ畑の中の鳥の卵


写真は、昨日のとおなじと想われますでしょうが、今度のは鳥の卵です。かき分けた先に発見して、思わず、かんどうもののドキリ。
 真ん中の丸くて白いのがそうです。中央に3個、ちょっと離れた左手に一個あるのがおわかりでしょうか。もう一つは割れていました。
 親鳥がけたたたましく頭上で哭いてました。
 もちろん、傍らの初々しい紅色のミョウガだけを失敬して、そっと、また葉を元通りにして見えないようにしてきましたけれど……
 こちらも、もう無事に孵化しだてしょうかしらね?



   三、写真を撮り損ねてしまった、珍花 
 なお、この広大なミョウガ畑では、乳母ユリの花が終わり、ユリ系統特有の種がついてました。
 榛名山麓でこの花を観て、名前を知るために調べた図鑑で、偶然にして観ていたけれど、初めて実物に遭遇し、感動もののドキリでした。
 唐辛子のようなものが逆さにスズナリ状にたれさがっている、何とも不気味な珍しい植物を、今年初めてここで発見しました。
 写真を撮ろうと心積りしながら、時間に急かれて忘れてきてしまいました。車を走らせ始めてから、気がつきましたが…… もう、今頃はもう、ダメ。やはり、戻れば良かったかなとおもってます。
 このような得難い自然界が来年もあのまま、残っているといいのですが……  


Posted by やんばちゃん at 14:02Comments(0)八ッ場だより

2014年09月01日

書類への思い込みの思い違いも甚だしかった、助成金申請の顛末

  ※思い切って、提出先に電話して「最後の記述は、一次審査にパス後に提出する書類ですよね……」と伺いました。ところが、「いいえ、今年からは、一式いれていただくように変わったんですよ」とのこと。
 パソコンに弱くて往生したことも添えますと、「この様式はかなりの最先端なんですよ。ここまでおできになれば、今後は楽てすよ」とおっしゃってくださいましたが……
 原因は、要項を良く読まずに、いきなりことにあたった当方のまたしてもミス。
 そんな次第で、提出後の放心状態の中でやみくもに記した、以下の誤認の誤認記述。どうしようかと思案しましたが、疲労困憊の頭脳ではもはや思考力なし。で、思い切って昨日から「非公開」にしておいた次第です。けれど、 9/1付の記載との関連もありますので、この冒頭の注釈をつけて、お恥ずかしいながら、そのまま公開に。こんなこと、本欄に記すこと自体がミス。お笑いください。9/2 午前9時 記

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 閑話休題的に、またもの我が粗忽ぶりを。

  よようやく、 〇〇〇〇〇さんの助成金申請を終えました。
 格闘すること、四日半。(9割方が、収支明細の整理でした。計数に極めて弱いのです)
 様式が変わって日本支社への日本語による紙媒体による郵送と異なり、一年半前の前回からはアメリカの財団本部への英文によるパソコンによる申し込み形式になったのでした。
 本当に往生した英文の書類、手書き文字の署名をパソコン上の書類に記載する今も蘇るしんどさを想い、これだけは早目に用意しておいたのでしたが…… (実は、当時、SOSで問い合わせをしたNTTリモートセンターの方が、ピクチャーによる入力を教えてくれたものでした。マウスを使って文字を記すなんて至難の業。ぎこちなさこの上なしのたくったぶっきらぼうな文字となりました)。
 今年は技術躍進。手描きで記しプリンターからパソコンに取り込んでみたら、いともアッサリとしあがったのでした。で、早く、この書類をアップロードしたかったのに……

 この時点では、ここをクリックしてパソコンのデスクトップ上に保存しておいたこの書類と、NP0法人ではない非営利団体であることの証明として、前年度の会計報告、それと会則と聞いてましたので、ほぼこの3つの書類提出で済むものと思い込んでました。書式は年々簡便になるものとの、特有の思い込みがすくなからずありました。
 

 ところがまったく予想外。全容がわからないまま助成金プログラムにそって進んだのでしたが、何工程経ても、左記の書類の送信が一向に出てこないのでした。
 もっとも往生したのは、日本語入力、しかもその切り替え方に精通していないものにとって、半角英数での打ち込み。何回、試みたことでしょうか。 ここを通過すると、今度はドルに換算しての金額がいくら必要なのか、全体の収入に会費やカンパの占める比率などの記載。ここでも、数値の打ち込みに何回も手こずりましたが、それでも、この辺りまではほぼ選択肢でしたので……


 次は パソコン上の入力画面に、下書きなしに250字~2000字までの幾つもの類似の事項を打ち込み進む形式。文字数にしたら結構な分量になっていたものと想います。
 次々に場面が変わって、さらに要求される何項目もの問いを記したものでしたから、手首が痛いです。
 かなりの分量を記しても、まだ用意してある書面の登場にならないのです。もうそろそろと想いつつ進んだ、次の場面ページでは、まだ5項目くらい先があって、一項目の記述が5~6事項づつあり、しかもA4用紙3枚とか2枚とかで、中には書ききれない場合には。裏面にもとあって、さすがに往生。些か辟易しつつ、末尾まで目を通したら、一番最後に、見覚えの「許諾証」なる書面でした。よくよくみれば、内定後にだすもののような内容なのでした。
 しかし、無知と思い込みは恐ろしいもので。前回と書式が変わったのかと、強引にこの書類を送信したのでした。早く、うでした。
  
 ところが、ことの本質な問題点は、様式が変わったのではなく、事前審査的な数種類の書類一式を出した後、「助成対象OK」となった場合に提出の誓約書なるものでしたことが、ようやく、現在この時点で、判明。
 前回は、お陰様で審査にパス。
 その後に、出した誓約書なのでした。助成金申請プログラムの逆コースを勝手に進んでしまってきたのでした。

 木をみて森を見ず式の、要項全体の流れを知らず、早とちりおばさんのお恥ずかしい顛末記です。
 審査にパスしないうちに、書類が先に送られていったら、驚かれるでしょうね。


 想えば土・日に予定されていた、ある研究集会への久々の参加は、提出をしなければならず、日程的にきつく結局パス。今年の会場は新潟でした。そこでも、前夜に「ムーンライト越後に乗車して、交通費を節約しようと、青春18切符を購入(確か18切符の期間中の土日は運行との古い情報のききかじりで、まだこの列車があるのか、しかも前夜の金曜日にも走るのかも調べることもせずにでした。というより、調べる前の東京行きの際に求め、調べる前に断念した次第なのですが……)
 そして、それではせめてかちあっていた30日、現地に住む女性学サークル仲間の案内による、島村」行き参加しようとの心積りも、やはり潰えて、終日、終始明細の数値に追われてました。
 程よくはれ上がった天気に、まだ見ぬ島村・田島家の周辺風景が浮かび、行きたかったなと心落ち着きませんでした。


 そんなわけで、切符がまだ4枚も残っています。(9/10までです。どなたか、お使いいただける方、いらっしゃいませんか?)
 …… もう一か月足らずで、永遠にこの地上から消え行く最後の吾妻線を、この際、たっぷり味わって参りましょうか。2年前に乗った時にも、やはり、18切符消化のため、先々もう廃止されるだろうなと想いつつなのでした。でも、もう三回目への希望は皆無です。

 写真は、八ッ場のミョウガです。
 あぁ、八ッ場へ行きたいな。
 電車に乗ったのでは、行動範囲が狭まってしまうですが、かつて或るパブニングで、一駅分、歩いたことがありましたけれど、それはしんどいものでした。まして旧道沿いには家なく、夜は怖くなります。
  


Posted by やんばちゃん at 03:01Comments(0)八ッ場だより