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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年10月31日

今夜10時 報道ステーションで「吾妻渓谷とサックス生演奏」

【終了後記述】※次の撮影場所や設営については、午前中、川原湯温泉協会に問合せ。応接してくれた女性の言うことを記したのでしたが、全くの誤認情報でした。また、もしくはその後の変更したやもしれませんが……申し訳ありませんでした。



今夜10時~  5チャンネル テレビ朝日 古舘一郎さんの「報道ステーション」で、吾妻渓谷の美観が放映され、サックスの生演奏があるそうです。
 演奏は川原湯温泉駅の線路沿いだそうです。
 但し、音楽演奏ですので廻りを囲ってしまいますので、外からは見えないそうです。

 題は≪ダムに沈む最後の紅葉 サックス生演奏と共に 時代に翻弄された今」》

 24日には紅葉が放映され、古舘さんが「きれいですねぇ~」とか、感慨を込めて言ってくださったそうでした。今回は数日前から入念に取材しているそうです。
 ですが、のこっている地元の方たち、とくに観光自営業の方たちは、ダム観光に光をみいだしていられる方が多いですから……

 なお、写真は去る5/24、県外のとっても熱心な女性スタッフが、NHKはじめ、いろんなマスコミ筋に電話連絡をして、断られても断られてもめげずに食い下がり、ついに「報ステーション」には扉をこじ開けたそうでした。
 で、私に「地すべりビデオを早く送れ」と言われて、大急ぎで一式整え、メール便でお送りした、その時の一式です。何でも記録魔の私は、念のため、写真を撮っておいたのでした。
 すぐ近くが宅急便集荷場なのですが、いつもそれには間に合わずで、この時もこの周辺の営業所の最終時間に、やはりギリギリでセーフ。
 その時、受付の男女の方が宛名を見て、「え、あの古舘さんですか!!」と驚ろかれたので、些か、気恥ずかしかったものでした。私、テレビ局にお送るのは初めてでしたので……
     

  吾妻渓谷よ、哭くな!! オバさんたちが、最後まで守ってあげるからね
  
  本日午後、「でもさ、この設定を聴くとダム建設のマイナス面はムリだろうね」と、口にしますと、またも彼女は電話してくださったのでした。
  「あなた、勇気あるわねぇ」と感服した次第です。但し、もう企画は綿密に練られていることでしょう。
  本当に、私たち、とりわけ子供を産み育てる女たちは、吾妻渓谷を守りたいのです。
  手づかずのまま、次世代の子供たちに残したいのです。
  千葉県の女性グループは、横壁の町指定の神木に「お母さんがまもってあげるからね」と訪れる度にささやいたとのことでした。でも、伐採 されてしまいました。
   


  古舘さん、スタッフの皆さま方、お願します。
  長野原町のみんなが手放しでダム建設を認めているわけではないのです。もはや、言うにいえないのです。いえば、血祭りにあげられてしまうのです。
  断じて、最後にはしたくなく、紅葉は来年もあるでしょうが、来月18日正午~国道は閉鎖されてしまいます。
  私たちには、もう渓谷にも久森水田にも、東宮遺跡にも足をふみいれられなくなるのです。

 昨夜は突貫工事が、19時前には終わるようで、16時半頃には、シートで覆い始めていました。
 上から金網ごしにみていて、胸塞がる思いでした。最近は、そんなことが毎回です。
 
 ……先の熱心な彼女、「私、みたら、卒倒しちゃうね」とのこと。
 でも、必死で見つめます。
 見つめ続けなければなりません。
 こんな「最初にダムありき」の詐術でつみあげられた犯罪にも似た行為が許されるわけありません。どこでも出かけて、眼張って記録し続けなければなりません。

           ご参加ください!!
11/3(月) 川原湯温泉駅(廃止となった) 10時半
    これが最後の八ッ場を
       最後にさせてはならじと歩こうよ  
 
       問合せ先: 070 5457 5672
       当日は、この電話は山間部にはいると通じませんので下記を。
             090 2910 4722
 
  


Posted by やんばちゃん at 17:52Comments(0)八ッ場だより

2014年10月31日

長野原町内配布:国道145号「通行止め」のお知らせ

昨日、長野原町へ行き、全戸配布されたという「通行止め」の配布物を入手してまいりましたので、転載させて戴きます。
A4kの裏表で、表面がお知らせ文、裏面が区間の地図です。
(昨日、お伝えしましたように、強酸性土壌並びにスラグなどの国交省サイドの整備の遅れが原因なのに)、生活道路として不可欠な住民な道を止めて、いよいよ本体工事に突入させるのです。



※反対でした。正しく入れ替えます。11/8



  


Posted by やんばちゃん at 10:14Comments(0)八ッ場だより

2014年10月30日

小渕元秘書・折田前中之条町長の自宅捜査

 まず冒頭に、昨日の長野原町の旧145号国道閉鎖の区間について、記すを忘れました。
 11/18正午~の閉鎖区間は、(長野原町管轄分)吾妻渓谷~上湯原橋(旧・やんば館やや上流)までの区間です。
 この上湯原橋の際から、吾妻川沿いに進入路が伸びています。その川沿いの国交省買い上げの用地が、本体工事による土砂の堆積場に使われるとのことです。
  なお、ここには通い始めた1999年~2000時には、もう一本橋があり、紅白の祝布がかけられてました。が、完成後、ほどなく壊され、土地の方たちも「ムダなことを」と批判していました。偶然、写真に収めてあり、拙著にも載せられました。

 しかし、この道路を生活道路としている住民がまだ、4軒あるのです。しかも、それは国交省が代替地造成が遅れているからです。
 やっと造成が完成しかけたある方の土地は、有害スラグまみれ。またある方の移転希望先は強酸性土壌のため、何度目かの大規模補修がようやく終了したばかり。その近場でまだ未整備といった状況です。 
 なお、断じてこの遅延は民主党による2009年~2011年までの「ダム中止」によるものではありません。
 もともと大幅に遅れてきていたことと、あまりにも劣悪な土壌によるものです。
 元来、こんな処にダムなんて造るべきではないのです。ダムラッシュ時に、遅れまじとばかりにツバをつけたにすぎません。そして、これを金ヅルにしてのしてきた、自民党政治家がいた、それだけなのです。
 


 さて、先ほど9時15分頃、国会中継中に、「速報」が流れ、小渕優子前経済産業相の元秘書であり、前中之条町長の折田謙一郎さんの自宅に、家宅捜査がはいった旨が流れました。
 昨晩10時頃に、昨日29日に任意聴取が行われたことが報じられてました。今朝の新聞も一斉に報じています。地元紙・上毛新聞も一面中段に以下の見出しにて。
  小渕氏の政治資金問題
  前 中之条町長を任意徴収 東京地検





 そこで、去る24日、関連写真として、自宅周辺の景観を掲げさせて戴きます。左手奥、奥が駐車場。見え隠れするのが自宅屋根です。
 長い入口左手の野菜畑のの道路に面して、紅いきれいな花がびっしりとそれはそれは見事に咲き誇っていたらしいのでしたが、昨今吹き出したばかりの木枯らしによって、やや萎れ初めていて、まさに❝凋落の秋❞をいやがおうにも物語ってました。
  なおまだ、罪が確定されたわけではありませんが、これは24日撮影で写真で、24日中はまだ、「中之条町長」の公職の方でしたので…… しかし、自重して止めていたのでしたが…… 
 この時点で、早くも週刊誌系のマスコミは、折田さん個人の経営状態にメスをいれ出してました。山っ気のある当方もちょっぴり聴きまわりもしましたが…… 何しろ、八ッ場がヤマ場で時間がさけません。  


Posted by やんばちゃん at 10:22Comments(0)八ッ場だより

2014年10月29日

旧国道145号は11/18正午~ 全面閉鎖に

今夕、入った情報です。

①旧国道145号は11/18正午~ 「長野原町管轄分の吾妻渓谷~やんば館前上湯原橋」まで全面閉鎖になるとの告知があったそうです。
  国交省の工事の遅れにて代替地が整わずまだ、移転していない、4軒の水没地の地元民がいらっしゃって、とっても困惑してました。怒ってました。
 この夏以来、県などにも訴え、年内までは何とかと大丈夫だろうと想ってこられていたそうです。
 凍てつく冬場に向かって困難が予想され、仮に「通行証」が発行されたとしても難儀だと嘆いてました。
 不可欠の生活道路なのです。
 「生活権」のことにお詳しい方、法的な面でのご示唆くださいませんか。また、他地区のダムで はどのような事例がありましたでしょうか。

②本日、地区内の会合の席で、スラグ担当の新井課長が、有害鉄鋼 スラグの「中間まとめについて、説明させてください」と言い、簡略な説明 がなされ、文書が各戸に配布されたということです。なお、公表することについては、昨日28日に予告されていたようです。

 メール便の最終に間に合うように出かけなければなりませんでしたので、とりあえず、明日お訪ねして、閉鎖についての対策を考えましょうよとお伝えて、電話をきった次第でした。締切ジャストの時間でしたが、受け付けて貰えて無事にセーフでした。
 
 また、②の件で、昨日の関東地方整備局発表の内容との突合せも してきたいと考えています。

 それにしても、酷いものですね、
 旧道閉鎖の恐れが、現実のものになりました。
 先にご案内の3日の日には、皆さん、どうかお一人でも多くお集まりくださいませんか。

  実は、只今、小渕優子元秘書の折田前中之条町長が調べられて
いる旨の速報が流れましたが、その不穏な空気は八ッ場現地にも及んでいて、上述の国交省の動きも、小渕関連とまで言われているそうです。萩原長野原町長は、小渕の秘書をしていたことがあります。

   


Posted by やんばちゃん at 23:26Comments(0)八ッ場だより

2014年10月29日

11/3 最後にさせてはならじと歩こうよ

やはり、チラシを作り、昨日、刀水クラブなどにお配りしてまいりました。
是非、皆さま、ご都合、つけてご参加ください。
やんば館も前の久森水田にも、もうじきユンボなどの機会が入ります。水田用の良い土を代替地の田に運ぶ工事で、先日紹介した久森沢左岸の移転した方の屋敷跡から出入りするそうなのですが、川をどのようにまたぐのでしょうか?



  


Posted by やんばちゃん at 18:17Comments(0)八ッ場だより

2014年10月28日

有害鉄鋼スラグ 4回目の申入れ書提出

地元情報です。
現地にも、内容の詳細についてはまだぬ不明ですが、何らかの説明資料の配布がされるようです。


  


Posted by やんばちゃん at 21:21Comments(0)報告

2014年10月27日

「有害鉄鋼スラグ」問題 申し入れ書 №3への口頭による回答



 ※上記文書は、去る9/14の現地見学会の席で確認意志一致した、「申入れ書」の第三弾の1枚目です。
回答期日と付記は2枚目にあり、回答期日は10/17としました。二枚目のアップは割愛します。
 
 けれど、期日内に回答が届かず、週明けの10/21に電話をいれた処、休暇。翌22日に阿久津・技術調整管理官から電話がありました。
 「調査中」との回答でした。
 「ですから、その期日を伺ってます」と食い下がると、「そういうことも含めて調査の段階」との回答に終始されのでした。
 で、「じゃ、メモリますけれど、こんなことって……」と。しかし、いくら言っても並行線なのは自明の理。で、「また、№4にてお訪ねしますので……」と申しました。
 
 さらに時間稼ぎじゃないですか」と伝え、「なぜ、2度目の調査として、また10/16・17に行ったのか」と重ねますと、2回目の調査の日にちについては、聞き返されて、メモをとられたようでした。
 さらに、言わずものことながら、いかに愁眉の問題であり、健康をむしばまれる当事者たちが待ち望んでいることかを口にしますと、阿久津・技術調整管理官は「おっしゃる通りで、よくわかっております」と言われたのでした。

 
 しかし、糠に釘的な申入れ書を記す時間的余裕もないままの、昨日26日の毎日新聞報道記事に喜んで、「近々、中間まとめの公表あり」と記した次第です。そして、申し入れ書の文言がピタリと定まり、「市民オンブズマン群馬」にもご相談中。
 
 
 そんな経緯の最中、本日、中間発表がありました。
 分割して、次ページに別掲します。
 

  


Posted by やんばちゃん at 17:22Comments(0)報告

2014年10月26日

スラグ問題に進展あり 中間報告まとめの予定

 大同特殊鋼有害スラグ問題に、ほんの少々、進展があったことを今朝の毎日新聞全国版トップで報じられました。
 早速、現地の方に早朝ながら、連絡。



 とりあえず、記事をようやくアップしました。(ここ一週間、プリンターの紙づまりによって派生したトラブルにて往生。その後は平行してパソコンのまたもの不具合。メーカー、リモートさんへの対応で想わぬ時間ロスでして……)
 記事は判読できないかもしれませんが、見出しだけでもご覧ください。(毎日新聞さん、まだ朝なので無断の転載のこと、お許しを)。
 「解説」欄は三段あり、二段しかアップて゜きませんでした。
 手打ちをします。

  表層部と異なり、深部で使用されたスラグ砕石を撤去するには膨大な時間と費用がかかる。今後地下直下からスラグ砕石がみつかった場合、撤去するか、経過観察するか、むずかしい判断が迫られる。また、国道の路床を入れ替えるとなると工事は長期化し、交通への影響も避けられない【杉本修作】


 おそらく、国は時間稼ぎに終始し、徹底的な解明はしないだろうことが、上記の転載を打っていて感じました。で、杉本記者が先手を打ってくれたように感じられてなりません。
 さらに、4月の公式発表のような「問題なし」の安全宣言は、よもや、ことここに至ってはできないと思います。


 なお、小渕優子問題、その他で中断したままですが、
 ①国交省への№3の質問書に対しての10/21の口頭による回答。
 さらにとどこおったままの
 ②、国交省調査の2日目の去る9/19の全日程。
 偶然、出くわした、
 ③10/16、17の第二次調査の詳細について、後ほど記述予定。

 それにしても、外部の毎日新聞から有害スラグの存在を指摘されても、なおかつ、調査前のいい加減な見解を現地にまきちらした、佐々木淑充・前工事所長の公務員としての責任、さらに゜太田昭宏・国土交通大臣の責任を問いたいと思います。
 付随して、8/18、19の調査の中間発表をせぬまま、今日まで中日かせている、まさに時間稼ぎとしか思えない、現在までの国の体質についても問いたいものです。

 いずれにしても、
 「スラグ問題がかたづくまでは、本体工事着工するなの抗議書」を国交省に送ります。  


Posted by やんばちゃん at 08:55Comments(0)八ッ場だより

2014年10月25日

何がある、折田中之条町長辞任劇 その二

 昨日、睡魔にて、アップしきれなかった折田・中之条町長の辞職に伴う、町議会臨時会の報告を。
 全国有数の自民党王国・群馬県連でもとりわけ実力があるという、この名のある人物が衆人監視に耐え、全国放送され、いわばこれだけの屈辱に近い選択をしてまで、守らなければならなかったのは、何だったのでしょうか。
 それについては断じて一切語らず、うまく逃げ切ったということでしょうか。しかし、当然わく疑惑(裏金づくり、果ては使い込み)はまったく払拭されていません。折田秘書の身辺洗いが始まっています。


 質問者は、議席番号10番のたった一人の女性議員のみ。
 もっと食い下がってもよかったのではなかったでしょうか。こういう時の男性議員、地方議員のお利巧な沈黙とやらは、はがゆい。
 続いて「承認第一号 先決処分の承認について」「報告第一号 先決処分の報告について」が型通りに進行。
  
 そして、「町長の退職について」の「議第一号議案」。当事者の町長は、ここで退席。
 定数17+1名(議長)の17名全員起立にて、承認。
 これにてこの日限りで、無事に町長職を解かれた次第です。
 
 すでに複数のマスコミが町長をおいかけるために席をたってましたが、議決の全員起立を目端で確認して、大急ぎで庁舎表に。
 
 複数名で参加の大手マスコミさんは、町長の退出を各入口で待機のカメラマン、別室で記事を書き送信する記者、議場に入る貴社などの役割分担ができていますが、孤軍奮闘の当方が、撮れた写真は、次の町長自ら運転という黒塗り高級車が、群がるマスコミをの間を走り抜けて、画面正面を左折、逃げるように帰る車の後部だけでした。
 週刊誌によれば、小渕元総理の死後、遺族から譲りうけた車との由。……2000年に死去したのだから、既に14年間。結構古い上に物持ちが良いのですね。



 続いて次の写真の同じく黒塗り高級車が走りぬけましたが、それは追跡取材のマスコミなのか、町長側近筋もしくは市役所に用事のあった方なのか定かではありません。
 なお、マスコミのオートバイ2台が、追跡尾行したそうでしたが……
 聴くところによると、折田町長は、なんと駆け足で庁舎から出てきたそうで、居並ぶ大勢のマスコミ陣に一瞬、当惑した表情をみせたそうでした。職員へのねぎらいもなかったのでしょうか。これまた伝聞にいれば、退職金は200万円を超える額とのこと。

 その後、町長自宅に行ってみました。
 この町長の姓と同じで多くの降りた性があるという、「折田」なる地名の場所には、それなりの収穫もあり、以前ある仕事でお邪魔したことのあるお宅が複数軒あるので、他所の道筋はしってました。
 大型タクシーをチャーターした複数のマスコミや自車運転の記者たちも訪れていました。直ちに変えってくる気配から、自宅には戻らなかったようでした。
 
  


Posted by やんばちゃん at 10:50Comments(0)報告

2014年10月24日

何がある、折田中之条町長辞任劇 その一

 本日14時~ 「小渕優子後援会収支報告書責任者・長野原町町長」の突然の辞任による臨時議会が開催されました。
(辞任が議会で認められた)今日までは、まだ中之条町長の肩書きを持つ、折田謙一郎町長は同時にまた、小淵優子後援会の責任者でもあるのです。
 どちらも同等の重みをもつように想えますが、どうやら、折田町長の意識としては、小渕優子後援会出納責任者の地位の方を優先させ、任務が重いものとお考えていられるのが、よくわかる答弁でした。
 おそらく、これからの国民の検察庁の追求を最もよくご存じ。
 その時に首長の席にとどまることは、今度は町民の追求も加わることも想定し、おっしゃる通りの熟慮の末、誰がもっと大きな機関、人物との密議の結果、なりふり構わずの「辞任」と言う幕引きと読めます。
 80名を超えるマスコミ、10名の傍聴者(町外の傍聴者も含む)を前に問題の核心については、何一つふれずでした。
 が、既に、一部の鋭いマスコミ筋は、次なる調査の一手を繰り出していました。
 

 まずは、流れを写真で追って参ります。
 定刻6分ほど前、大勢の報道陣が待ち構える中、折田町長が議場へ。
 
 定刻5分前の中之条町庁舎の様子です。議場右手、最前列の左端が町長席です。


 その時、突然、折田町長さん、席をたち、傍聴席へ。


 ごらんのように、傍聴席のたった10人の町民と26数社(一社一名)ほどしかいない、傍聴席の町民ににこやかにあいさつの一礼をするやいなや、さっとくびすを返し、自席に。
 さすがは小渕王国親子二代を仕切ったオオモノです。



          説明責任に専念したい 
 議案第1号 一般会計補正予算についての議案は、折田町長辞任に伴う、新たな町長選挙の費用計上に関するもの。
 議会終了までは、まだ町長職にある折田町長が首長として行う予算化説明。付随して、辞任へのその理由説明です。 
 
 「収支報告書を自分がチェックしてきた」 
 「町政を担い続けることは、ますます町政の混乱を招く」
 「自らの説明責任を果たすことで専念させて戴きたいと存じます」とは意味不可解でした。


  


Posted by やんばちゃん at 22:05Comments(0)報告

2014年10月23日

11/3 一緒に歩いてください 



写真は、昨日掲げました久森水田を旧国道沿いから撮り、久森沢左岸の屋敷跡の開発作業の様子です。この土地には、林地区で農業を行ってきた方の家がありました。


 
 これが最後の❝癒しの八ッ場❞を歩こうよ 
 
 日時:   11/3(月 文化の日) 10時半~
 集合場所:旧川原湯温泉
        ※電車の方は、ご一報ください。スタッフがお迎えに上がります。
          徒歩の場合は、旧川原湯温泉街を道なりに下ってください。
           高崎駅発 9:12 ➡ 10時半頃に着
            連絡先 070 5457 5672

  費用:  なし

 3日には、都内の方のリクエストで久森水田にも足をのばしたいものと考えています。
 実はかねがね、ここでコンサートとか映画「降りていく生き方」の野外自主上映会をと念じてまいりましたが、こういうイベントごとは雨天の場合には、設営面や払い戻しなどで大変なことになるといわれてまして、未だ実現できぬまま、この景観破壊のまま、湖底に沈ませてしまうことになってしまいそうです。
 
 この田んぼには想いれがいっぱいあります。
 ここで地権者の皆様のご賛同を得て、「八ッ場のたんぼで田植えだょ」が行え、昼食は大鍋いっぱいのたぬき汁をご馳走になりました。
 初夏、吾妻川沿いのニセアカシアの木立の陰で、バーベキューも行いました。
 くる春ごとに、みずみずしい田ぜりをたっぷりとらせていただきました。
 大ぶりのタニシに感動、でもほどなくみな、死に絶えていきました。
 

 久森水田のセリやタニシに魅了されて以来、丸15年もいたずらに経ちました。
 今度は、土地自体が水底に沈んでしまうのです。
 何をしてきたのかと不甲斐なさに見舞われてなりません。その日その日は精いっぱいでしたが、今にして思えば、まだ余地がありました。


 ついに、ことここに到りましたが、心同じくする、一人でも多くの方がご一緒に歩いて下されることが、無言の反対運動につながります。
 私たちは、最後まであきらめません。
 危険極まりないムダな八ッ場ダム建設はいわば、国による犯罪行為です。
  
  

 過日、前橋で講演なされた、アーサー・ビナードさんは八ッ場再生の一手段として、沖縄での「人間の鎖」的な方法で、八ッ場に、もし一万人規模の市民たちが集ったら、何かが開けるとおっしゃってました。この時点では、沖縄では5000人の市民が怒りの行動をおこなったと報道されていました。八ッ場にも、せめて1000人くらいの反対市民が集ってくだされたら、大きな示威行動につながりえることでしょう。それまで
諦めません。
  


 
      村にいれば長生きなされたであろうに 
 前にも記しましたが、写真のお宅の移転先は私の隣町でした。
 移転なされてからも右岸入口にある田は大がかりなのでなさりませんでしたが、畑の作物の世話に見えてました。大柄な見るからに健康体の方でしたが、移転後、2年くらいでく亡くなられました。新聞の訃報欄で見て、迷いつつ臆しつつご葬儀に参列させていただきましたところ、ご家族にとても喜ばれました。八ッばの顔見知りの方たちも見えてましたが、なじみのない新天地では参列者もなく、人数的には寂しいご葬儀でした。
 村にいれば、顔役として今でもご壮健で、畑仕事にいそしまれていたであろうと、ここを通るたびに思いました。
 しばらくの間、草が生い茂ったままでした。草の合間に春先には黄色いアヤメが咲き、この土地をいつくしまれてこられた住民がいたことを物語っていました。
 最後に現地で、お目にかかった時に、久森沢に飯場ができて、生活雑排が流れ込み、真清水ではなくなったことを嘆いていられました。


  


   


Posted by やんばちゃん at 11:53Comments(0)八ッ場だより

2014年10月22日

11/ 3、これが最後の八ッ場の秋道を歩こうよ!

 昨晩21日夜の例会の席で、スタッフの提案で、急きょ、以下のイベントを行うことになりました。
 どうか皆様、お一人でも多く、ご参加ください。ご一緒に意味なく沈まされいく、恐らく今秋が最後になるかも知れない八ッ場の土をふみしめましょう。3日は、通例、紅葉のハイライトです。

 写真は、「やんば館」(業務は「林・道の駅」に移転)前の、久森水田。長野原町の穀倉地帯で、国道を挟んで約3町歩です。谷氏やセリがいっぱいとれた美田でしたが……



 ① 吾妻渓谷の長野原町分は、左岸の遊歩道のみで、右岸はすでに春先から閉鎖中。
 ② 近々、この左岸も近々、通行止めになりことはさけられません。
 ③ さらに上流の川原湯温泉上湯原地区・川原畑・林地区の吾妻川沿いの「国道145号線も、立入禁止」となるのは時間の問題です。
    旧国道は「廃道」になり、最終的には湖底に沈みます。
 ④ 「旧やんば館」前の、久森水田には、これから埋蔵文化財の試掘が入り、発掘に値する史跡があれば遺跡調査に入るとのことです。
    既に久森沢左岸の屋敷跡は、写真のように造成が始まっています。

  耕作者たちの代替地は付替え国道沿いに分散されてピッチをあげて造成が進んでいます。本来ならば既に造成は完了予定でしたが、遅れてしまっているようです。


 
     これが最後の❝癒しの八ッ場❞を歩こうよ 
 
 日時:   11/3(月 文化の日) 10時半~
 集合場所:旧川原湯温泉
        ※電車の方は、ご一報ください。スタッフがお迎えに上がります。
          徒歩の場合は、旧川原湯温泉街を道なりに下ってください。
           高崎駅発 9:12 ➡ 10時半頃に着
            連絡先 070 5457 5672

  費用:  なし
      ※ 原則として、昼食持参。野外にて食します。
         弁当希望の方は、土地の業者に依頼する手段もあり。500円~
         せめて、温かい汁ものでも供したいのですが、現在、検討中。   
 
  ※参加なされる方は、「吾妻渓谷保存」「本体工事反対」「美しい自然界をこのままに」などの示威行動を示すものを、ご用意戴けますと、うれしいです。

  今回は、ダム工事にて沈み行く八ッ場の、今後足をふみいれられなくなる区域に加え、参加者の要望もありまして、あまり知られていない、❝癒しの空間❞ 的な細道をもご案内したいものと考えています。ですので服装はそれなりのものにてお願いします。  

    


Posted by やんばちゃん at 18:48Comments(2)八ッ場だより

2014年10月21日

市民オンブズマン群馬 東京検察庁に告発状を提訴






小渕優子 記者会見全文
   【全文】辞任の小渕優子氏「収支報告書の内容、私も疑問に思う」 記者会見で謝罪
         http://logmi.jp/25444  


Posted by やんばちゃん at 17:33Comments(2)八ッ場だより

2014年10月20日

虚偽の収支報告書作成者は? 小渕優子元経済産業相

 
まずは、本日の小渕優子会見を。中頃から、始まります。
http://www.youtube.com/watch?v=szKFIbj5VuA&feature=youtu.be&t=31m20s


 
小渕優子元経済産業相の10時15分台の辞任記者会見後、程なくの12時過ぎ、小渕家二代にわたり仕えた元秘書の折田謙一郎・中之条町長の突然の辞任が報じられた。
 「収支責任者としての責任をとる」とのことですが……
 
選挙違反の一種の解決策にありがちな、傷口を広げないために全てを一身に被り、口にをわらずにことなきを得る方法でもとられるのでしょうか? 
 毎日新聞の速報を転載します。
 http://mainichi.jp/select/news/20141020k0000e010171000c.html

 そして、「やはりな」と思います。
 スタッフの単純、意図的なミスとは感じられはしましたけれど、本日の会見で、その意を強くしました。
 
 番組を中断しての異例の中継放送で、小渕さんは「私自身 監督責任がある」とはしながらも、しきりに「事務所や後援会の調査ではわからない」「わからないことが多すぎる」や、声をつまらせ言いよどみながら、「子供の頃から信頼してきたスタッフ」とまで口にし、「しっかり第三者をいれて調査しないと説明できないと思っている」と結んでいます。

 マスコミ筋も、その辺の取材に集中し始めたとのことです。

 小渕秘書といえば、八ッ場ダム現地・長野原町の萩原睦男町長もです。
 出馬の一年半ほど前まで勤めていたとのことですが、地元民によれば短期間だったとかで…… 作成時期に関わっていますでしょうか?
 あるマスコミ筋からは、山本龍・前橋市長の名前もでましたが、小渕元総理時代の秘書で、ほぼ関係なし。

 ともかく、明日の朝刊が楽しみです。
 
 忘れてはならないのは、「八ッ場ダム建設受注」建設業者から、自民党群馬県連、並びに「小渕後援会」、「自民党群馬県ふるさと振興支部」等に流れた献金問題です。
 群馬5区(旧群馬3区)の伝統的な選挙体制、旧態依然とした後援会活動の実態にメスが入り、自民党王国に少しでも改善のすきま風がふくことを期してやみません。
 

 今日も吾妻郡内で生まれ、育ち、地域内に嫁いだという、若い女性と、「この群馬5区って処は、女には済みにくいよね」と話し合いました。
 小渕優子さんは、おじさま族の男性議員にとてもかわいがられてきた女性とか。
 いくら男女共同参画社会下といえども、ムラ社会でかわいがられる女性は、「男性よりも先に意見を言わない、しおらしい女性」とされてきました。そういう女性が、男性が仕切るムラ社会の要職につけさせてもらってきて巾をきかせてきた歴程がありました。
 私などは若い時に「男をさておいて、もの言うデシャバリ女」というレッテルを張られて生きてきました。でも、あれから40年近く、今やそれらボス的存在だった男性陣が老いて、発言力が薄くなってきたためか、心地よい風に吹かれています。
 
   


Posted by やんばちゃん at 21:20Comments(0)八ッ場だより

2014年10月20日

小渕優子辞任 観劇問題のバスは、やはり約50台だった

 


小渕優子経済産業相の辞任劇が特別体制で、報道中継されています。
 その中で、観劇参加者は約1000人と伝えられてましたが、実際は2回、その倍の動員数だったことが明らかになり、ほっといたしました。
 というのは、実は3年前の2011年12月21日付の本欄で、辞任の原因となった、明治座観劇問題について、以下のURLで記していたのでした。が、後援会の女性が語った通り「2日間にわたり、バス50台にて」と記してしまっていたからでした。
 そして今月、確か4日頃、「週刊新潮」の記者から、小渕さんの観劇問題をおっていて、このブログを読んだとの突然の電話を戴きました。
ために、発売前日の15日にも連絡をもらっていたという経緯もありました。
  http://s35.gunmablog.net/e211860.html
  (二)開通式 地元女性たちとカワイイ優子ちゃん
 
  http://s35.gunmablog.net/e211801.html
 (一)ここでは未だ自民党国家健在なり  見よ、二世議員ばかり
 

 前田大臣によって「八ッ場ダム建設継続」がもたらされた2011年12月22日。その2日前の20日「上信自動車道期成同盟会長」として、小渕衆議院議員も出席した上信道開通式の席で、地元後援会の女性たちから聴き、同年12月21日にブログに記していたのでした。
 私は、前日午後から夜にかけて駆けずり回って集めた反対署名を、その夜のパブニングでついに帰宅できず、仕方なく川原湯温泉駅で車中泊していた経過があり、珍しく早目に会時用についたのでした。
 この時の来賓たちには、「建設決定」の報は、ひそかに伝えられていたらしく、にこやか晴れ晴れしい雰囲気でした。
 その陰で、来賓たちと一般参加者の、駐車場一つに始まっての歴然としたヒエラルキー的区別に腹がたっていたものでした。
 
 で、(二)のブログは、土地を売却させられたり騒音になやまされてきた、本来ならばこの方たちこそ功労者の席に座るべきなのに、はるか離れた場所に固まって見守っていたのが目にとまり、思わず持ち前のおせっかいで日頃の信条に基づき「もっと前へいらしたら」と声をかけたのが発端でした。あの時、どういうわけか、この駄文ながら、詳述しておいて良かったです。何が、結びつくかわかりませんものね。
 (一)のブログは、「二世議員」だらけの群馬選出議員について記したものでした。




 
 
 
 ご承知のように、旧群馬3区、現在の群馬5区の選挙戦は並ではなく、その群馬5区の有権者の一人として、つぶさに見聞してまいりました。
 私の家の近くに、高崎事務所があり、昨夜は深夜まで煌々と電気がともってました。
 また、実際に観劇に参加した女性たちも身近におり、昨日あったイベントで地域の実際に具体的な証言も聴いてます。で、もしかしたら、「職員の使い込みかもね」との憶測も流れていました。
 実は、裏付けをとってなかったので文章化はしなかったのでしたが、確か「お土産がすごいだ」との言葉も耳に残っています。ですが、当地の参加者にはお土産はなかったそうでした。

 
  


Posted by やんばちゃん at 11:32Comments(0)八ッ場だより

2014年10月19日

「本体着工に必要な現地測量」な準備工事 顛末記その③

 翌17日は午前中は所用と疲労でつぶれ、午後も出遅れてしまいました。
 14時、国交省に電話。昨日の担当はルス。
 「(予定コースね)ウフフ」
 「いや、本当に休暇をとっているんです」と総務の方。
 そして、担当外だから、どこでやっているのか判らないとのこと。
なお、話の中で、この総務の方は、14日提出の「申出書」№3について、知っていました。
「あら、強が期限の17日ですよね」とはいいましたが……

 公然たる常識ながら、つまり提出先は、国交大臣にしても➡関東地方ほ関東地方整備局・担当者➡八ッ場ダム工事事務所に送られ、そこで記し、関東地方整備局・担当者➡当方へ。
 つまり、現地の行政マンが書くもので、絶対に「波紋」も「発展」もないのは明らか。つつがなく、常識が覆ることも進展もありえないのです。す。


 もう一つの「大同特殊鋼有害スラグ」調査についても、同じく「判りません」
 16日の調査団のいうことには、1回目で強アルカリ性の反応のあった物質がふった箇所を再調査し、分析するとのこと。
 「そんなこと一度にやればよかったじゃないですか。時間稼ぎのナニモノでもないじゃ、ありませんか」と詰問。
 ---この件については、もう少し体系的に別項で記します。
     本欄は、備忘録的な記述に終始してますこと、ご寛容を。


 本体工事の準備関連の測量は、この写真の正面奥の小蓬莱山左手の山中。2日目の17日は右岸になったかもしれませんが…… 結論として、16日付上毛新聞記事の「本日本体工事着工」は、勇み足以外のなにものでもなかった。 

 ここで、一端、嫌気がさして投げた。
 車の中でモタモタと時間を費やした。
 しかし、「大同特殊鋼有害スラグ」調査についても、きちんと見ておかないとのことがやしり、頭をもたげた。思い切って発車。既に15事をまわっていた。行っても調査終了が懸念される。
 16日は、往きに帰りに榛名山を降り切ると、2度程前輪からタイやがも焦げるにおいがして煙がもうもうと上がった。でも、8時の始業に間に合うように夢中で、ぺっとボトルに詰めた水をかけたという乱暴なことを行った。帰宅後、修理屋に駆け込むと、数日前に摩耗して付替えたブレーキバードが原因で、まれに煙というか、湯気が出ることがある由。
 少し、慎重に走らなければ……

 16時20分、八ッ場に到着するなり、国交省に電話、
「スラグ調査団の〇〇課長は戻っていられますか?」
「いいえ、まだです」
「では、△△課長は」
「まだのようです」
「ではお二人が今、どのあたりを調査されているか、日程表のようなものは?」
「わかりません」

結局、心当たりのところをさがしたけれど、あたりが暮色に包まれ、断念。
そして、5軒のお宅への所用をすませたが、どこも、不調。
今週の運命は最悪なのであったが、本当にあの占いはよくあたる。

 公的にも私的にも本当に爆発したくなる。
 小型ダンプと言われたオンナだ。爆発したら、スゴイからね。木曽御嶽や富士山の比じゃないからねと息巻く 。
 
 なお、本欄の記述をみて、言いつけ口をする仲間内の輩までいて、くさること甚だし。よほど、こんな不毛なブログは閉鎖しようかなとも考える昨今だ。  


Posted by やんばちゃん at 19:39Comments(0)八ッ場だより

2014年10月18日

「本体着工に必要な現地測量」な準備工事 顛末記その②

 11時台、ともかく、午前中の所用はキャンセルとてきたけれど、午後の約束は果たさねばならずタイムリミットは12時半なのでした。
 ほぼ、この間も国交省に電話とるが、「すみません。調べているのですが……」となる。「まだですか、なぜ、わからないんですか」と。
あきらめて、最後のコースに。
 新川原湯温泉駅では、T牛乳さんが牛のベンチを積んで通りかかったので、「知りませんか」と伺おうとしましたら、「急ぎで運んでいるんで」と。駅のロビーで何か、都内からの観光イツアーのようなベントがあるようでした。






 1号橋の上にたち、上から俯瞰したら見えるかとも考えたけれど……
 車に戻りかけたら、カメラを方にかけたマスコミ筋らしき男性が歩いてみえました。「……あの、失礼ですが、マスコミ関係の方ですか」と。
やはり、〇〇新聞前橋支局の記者さんだった。
「本日の作業場所を知っていますか」 と性急に畳みかけてみた次第。
 ところが、やはり、探しているとのこと。思いは同じで、高台に行けば、何とか動きがわかるかとの思いだったそうでした。
 ひとしきり、情報交換をして、互いの健闘を祈りあった次第です。


 


 帰途、先月の18・19の「大同特殊鋼有害スラグ」の調査を行った、茂四郎トンネル前の佐藤建設工業の資材置き場の写真を撮っておこうかと閃いて立ち寄るとそこで想わぬ遭遇。
 あろうことか、その先月の18・19の「大同特殊鋼有害スラグ」の調査と同じ光景が、そこにあったのだ。
 車を止めるや否や、どうやら、作業が終わりかけているいた気配に、まずは写真を1枚。
 「どうしたんですか?」と問えば……
  ※この部分の内容については、説明と長くなりますので後日、別記します。
 


 国交省スラグ調査団は、早目の昼休みでそれぞれが佐藤建設工業資材置き場を立ち去った。
 最終帰路は、朝の本体工事現場を通って返ろうとして、旧国道に舞い戻った次第。
本体工事が始まれば、崩されてしまう、対岸の惜しい山の効用をカメラに収めていると、道路反対側に停車中だった車から降りて見えて、警備のガードマンに問いかけていた男性。
 話の内容からして、先とは別の新聞社り前橋支局の記者さんだった。 
 やはり、本体工事の測量風景を撮ってくるようにとの社の命令とかで、到着したばかりの様子だった。
 
 とっさにに閃いた。さっきの4度目国交省への電話で、「もうじき担当者がわかる」とのことだった。
 で、新聞社、しかもどちらかというと行政寄りの社風のこの新聞社なら、たぶん…… (しかも山中のSOS用の最も高額となるわが携帯電話代の節約にもなる)。
 で、「国交省へおかけになられてみたら、いかがでしょうか。もうある程度のことがわかるかと思います」とご提案。電話番号が判らないとおっしゃるので、もはや空でも言えるようになった番号をお教えした。
 傍らで聴いていて判ったことは、本日の業務は、「吾妻川左岸、ダム本体下流の山中にて、基準点からの地点。但し山の中を歩くので、場所は特定できない由」。
 
 
 最初から、左岸で下流とわかっていれば、こんなにムダに動き回らなかったのに…… 今頃、山中に分け入り戦果の写真を撮って、意気揚々の凱旋のはずだったの……

 「となると、まずはあの大蓬莱山あたりかと想いますけれどねぇ」と指差してみても、高峻な絶壁をみれば、短時間でたどり着けるものではなく、私はもはやタイムリミット。
 記者も困惑なされて、支社に連絡を取られたら、1号橋からの本体工事予定地の俯瞰写真で良いとのことになられたらしい。


 帰宅後、所用を済ませ、おちついてから電話をした。
 しかし、本日の具体的場所は私には教えなかった。「明日も行くから、調べて置いて欲しい」旨を伝えると、「いないかもいれない」となった。
その上、「測量会社は、清水建設などJVが頼んだもので、国交省には関係がない」。JRと全くや同じだ。
 さらに、「そういうことをウチがお教えする必要があるかどうか」とまで言った。JRの時と同じく、国民の金を使って、発注するのはどこなのよ」といいたかったが、水かけ論になる。
 
 で、次のイジワルを想いついた。
 最後に、「今日の電話対応は、あなたお一人だけだった。13時ジャスト頃、〇〇新聞の記者が電話した時、対応したのはあなたじゃなかった?」
 しばらくして、「独りではないと思うけれど、そんな電話ありましたねぇ」。
 「あの時、傍らにいたのよ。で、建設場所より下流、左岸の山中ってことを聴いていたの。ちゃんと大マスコミには教えているじゃないのよ」と。
 






   


Posted by やんばちゃん at 19:59Comments(0)八ッ場だより

2014年10月16日

「本体着工に必要な現地測量」な準備工事 顛末記その①

人騒がせな記事でした。
【2014年10月16日 上毛新聞 一面トップ】
 http://www.jomo-news.co.jp/ns/8114133876151111/news.html
ー八ツ場きょう着工 ダム本体 現地でJV測量開始 ー

 見出しを読めば、本日16日から、本体工事着工と読めてしまいます。
 なまじ、早朝に新聞をよんだために、今から準備すれぱ始業開始に間に合う。利根川の源流、その一滴ではないが、最初の仕事始めの写真を撮らねばの思いが先行。
 
 時間の問題とは感じていたけれど、こんなに早く訪れるとは想わなかった。
 実は昨日午前には、万策尽きたなとは感じながらも何とかあの吾妻渓谷の惨状をしってほしくて、やはり筆とはいいがたくとも雑筆にでも訴える手段しかないと自覚。 もう編集に間に合わないかなとも心配しつつ着工前の段階で草稿を、女性学の会報へ記していたのでした。そして、送信しようとした際に、念の為「今からでも間に合う」と問うと、「ゴメン! いま、締め切ったの」とのこと。もう、着工なのだったら、ある意味では送らなくて良かったとも感じた位だったのでした。
 
  お役所仕事始業時間、8時半スタートのこころづもりでいまして、余裕があったのでしたが、職人さんたちの仕事開始は8時~が相場と気がつき、一瞬面くらい、食べていた朝食もそこそこに。
 
 まずは、ダム本体工事予定地へ。


 ところが、拍子抜け。
 小蓬莱前のダム建設予定地にあった、「仮締切」工事の岩田地崎建設株式会社が事務所を構えていた場所はご覧のとおり。(いつもの独自のオバさん流取材方法にて、この間に、移転は11日の土曜日だったということが判明)。

 14日、この場所がどうなっているのか明るいうちに確認すればよかったのだけれど、暗かったのと吾妻渓谷の惨状に消沈状態で、そのまま走ってきてしまったのだ。
 手前のプレハブは、まだ岩田地崎建設のものであることを確認した
 8時を10分程、廻っていたので、意気込んで社員に問う。「もう、ミーティングというかセレモニーは終わったんですか?」と。
 「ああ、ミーティングはやったよ」
 「いや、新聞に本体工事着工とあるので…… 仕事始めのそれなりのセレモニーみたいなもの、例えば国交省がきて挨拶とか、清水建設からの仕事始めの指示とか」
 「普段通りの朝のミーティングだけだよ」と言われたのでした。

 ほっとしたけれど、それでは、その肝心の測量はどこで……
 「上毛新聞には、測量開始ってあるんでけれど……」 

 その測量とは、山の頂上にある三角点・基準点を起点として、観測場所をきめて、図面と照らし合わせるとのこと。従って、山の中らしい。
 でも、周囲はやまだらけ。どこなのか不明。

 国土交通省八ッ場ダム工事事務所に電話をかける。全く不明。
 仕方なく、あちこちの写真を撮ったり、おじゃましたしながら、その合間に問合せ。合計午前中に四回の問合せ。ようやく、担当者が判明したのが、昼間際だった。
 
    


Posted by やんばちゃん at 23:45Comments(0)八ッ場だより

2014年10月15日

本体工事ま近し 真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず

 昨日の吾妻渓谷の工事風景を思い出すと、今朝もいたたたまれない思いに突き動かされて目が覚めました。が、起きる気持ちにもなれず。さりとて、眠ることも出来ず、跳ね起きる。起きるには起きても頭痛く、またそのまま横になり夜具を引き寄せる。この繰り返しを何度おこなったでしょうか。 またしても、昨日来の次の言葉を反芻しています。
 真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし 

何よりも、頭の痛いのは本体工事着手が、現実に至近距離にせまってきていることへの自覚でしょうか?



  昨日14日、吾妻渓谷をみて、久しぶりに旧川原湯温泉街を通ろうとして信号を左折すると、一号橋ピアの辺りに見慣れぬプレハブの建物が。(「このピア下にもスラグがあったのが、いつのまにかなくなったいう」との事実があり、何度か立ち寄っていた場所なので、もともと車を止めるつもりではいましたが)
 看板には、「岩田地崎建設株式会社」。
 思わず、戸口に向かい、「お宅さまは、渓谷の本体工事予定地にあった仮締切工事をなさっている会社ですよね」と問いました。「移転されたんですか。ということは、早晩、本体工事が始まるということですよ」と、自分の言葉に愕然としつつ、尋ねました。
 余分なことは言わないようにとの達しが出ているらしいこの会社では困惑ぎみながら、否定はなさりませんでした。

 本体工事着手はま近く迫ってます。


   


Posted by やんばちゃん at 22:23Comments(0)八ッ場だより

2014年10月14日

我妻渓谷、昼も夜も突貫工事 いたたまれませんでした

  吾妻渓谷にさしかかって、その喧騒に胸がつぶれました。
 いたたまれなくなって、立ち去りました。
  (今日は大安なので現地のしきたりの諸事情を考え、ようやく午後3時近くになってとびだせたのでしたが)、少しも日にちなど良くなく、気持ちがつぶれかけました。
 全身の身をもって、かの田中正造の語録、「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」が、迫り来ました。かねてからの語録でしたが、これほどまで切実にせまったことはありませんでした。

 困った時の神頼み。「ヤンバノ神サマ、何とかして」と。
 でも、その神サマ自体が痛めつけられているのだから、どうしようもないのでした。
 何とか、ここでくいとめる手立てはないものでしょうか。



赤いコンクリートミキサー車で、かなり緩めのコンクリートをながしこんでました。厚さは5ミリていどで、砂利とまぜるのだそうです。
この繰り返しを行って、この高さまで進んできたようです。


今度は砂利を満載したトラックです。







写真右手を拡大すると、次の写真のようにミニダム堤下には、淀んで緑色に変色した水が溜まっています。その上に石垣があり、さらに上方が仮排水トンネルがあります。





夕方、渓谷に近づくと、轟音が、


さらに国道のトラックはひっきりなしに昼と同じく運搬、砕石プラント工場は、フル稼働中。




 

※下記は、なぜ、急に八ッ場へ行ったかを記したいつもの備忘録的な私的雑文ですが、問題が拡散するので以下に小文字で。
唐突的な「少しも日にちなど゜よくなかった」の説明をかっこでかき加えました。

 今日は大安。
 人様に気持ちばかりのものでも差し上げるには、やはり日にちにこだわった方がと、時間をやりくりして、午後14時半、出かけた次第です。
 本当は明日いくつもりでいたのでしたが…… もちろん、私自身はこだわらないのですが、長野原町ではまだ陰陽五行に拘泥するしきたりが強い事を経験してまし、一週間後では間に合わないあることのお話を伺いたかったのでした。そのお宅には慶事ごとがあったのに、凡そ一年間も疎遠のままできたのでしたから、久しぶりにお目にかかるには、常識としてお祝いの一言でものべなければならず、言葉に彩りを添え、お気持ちの負担にならないごくごく簡素、しかも時期のあるまさに気持ちばかりのものが、閃いたでしたが…… 16時着。出来ればゆっくりお話しを聞きたかったので、夕刻、仕事が終わられてからと考え、先にあちこちのお宅によってから18時過ぎに立ち寄りましたら、なんとルス。
 帰宅後、ある方からの電話で、昨日来、泊まり込みのお出かけのようでした。
  


Posted by やんばちゃん at 22:47Comments(0)八ッ場だより