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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2016年02月15日

あら雄々しきかな傷ましきかな かの常盤樹の落ちず枯れざる

訂正 2015/2/4 「②渋川市さん、学校敷地をコンクリート被覆で本当にいいのですか?」中、伊香保保育所は「撤去」ではなく、なんと「アスファルト舗装」なのでした  
中頃に、『➀番の、驚くべき数値の「伊香保保育所」はすでに、「撤去」されています』と記してしまいましたが、本日2/15の段階で、渋川市の電話での問い合わせ中、「撤去」ではなく「アスファルト舗装」だったことが判明しました。
  あまりに数値が高いので、すっかり「全面撤去」が当然として、疑いも持ちませんでした。
 2/4付の拙稿ブログの冒頭に、誤認を記すとともに、本日の項にも記し、つつしんでお詫び致します。



 昨日の氷漬け資料箱の設置場所を左折すると、Tの字型の道の右手方向は、かつてり旅館街に通じていた町道でした。もう閉鎖されて久しい小道です。そのTの字を道なりの左手方向に進むと、上湯原の集落を抜け、吾妻川にかかる栄橋を経て、旧国道に出られました。もちろん、こちらも一昨年11月以来、全面閉鎖です。

 実は、その手前の急坂を降りようとしましたら凍てた雪道にひるんで断念。さらに樹木が倒れて被ってるが通り過ぎる際に目に入りました。
 ですので、除雪されているかどうか不安で、左折してから走れるかなと心配でした。幸い、除雪されてました。一軒残っているお宅が個人でここまでの雪かきは至難の業だしと思われました。けれど木立の影から、遠く前方に、ユンボの黄色と何やら作業員らしき男性の姿がチラホラと見えました。ああ、その為に雪かきがされてと思いました。(後に、この道路の除雪は約束されている由を知る)
 それにしても、何回どころか、何百回、このアベック地蔵と呼ばれる双身体神が道端の杉木立に柔らかく鎮座していた、この道を通ったことでだったでしょうか? 
 でも、あと、何回、何カ月通ることができるか、閉鎖、整地の刻がヒタヒタと迫ってます。
 
 そして、突き進んで坂道を下り、アベック地蔵が写されたお堂に左折する丁字路近くで、ガクゼン。あッ~と。ついにここもと。
 写真の光景があったのでした。
 ここには、あるかつてのダム反対運動に連なった方のお宅がありました。お邪魔してお話しを伺いました。初めての時、(後に想定すると)病身を押して玄関のたたきまで出てくださいました。次に伺うと入院なされたと奥さんはおっしゃられました。勘十郎さんという古風なお名前だったかと想われます。そして、亡くなられ、程なく移転。
 三方を大きな樹木に囲まれたお宅でした。とりわけ西側道沿いに、並木のようにそそり立っていた、これらの樹木が見事でした。
 
 道隣りがもかつて、「団結小屋」が設置された場所で、そのことを伺いにお邪魔したのでした。団結小屋華やかなりしころ、旧社会党群馬県連で活躍した、当時の若手りーダー方が、前橋でご健在です。確か、この筋からの紹介だったのではと思い出されます。後年、このご長老を団結小屋跡地にご案内した時には、すでにこのお宅は移転後で、上湯原地区では3軒だけになってしまってました。
 その奥のお宅にお邪魔するたびに、この樹木たちの雄々しさには胸打たれました。
 

 樹が切られることには、痛さが走ります。
 一昨年秋、わが家に子供の頃からあった、ついに実をつけなかったイチョウの雄木、見事な枝ぶりのヒマラヤ杉の古木、天然のキクラゲの生える樹木、ポプラ等木を弟が私の反対を押し切って、伐採してしまいました。仕方のないこととはいえ、私は不本意で、12名もの職人たちが勢いよく、機械にのり、上部から容赦なく伐採の、その仕事ぶりにさえ腹が立ちました。
 その朝、ほぼ哭きながら、樹木の廻りを清酒で浄めました。
 声を発しない樹木たちも、自分の最後の時を知って、まなかいに残るよう懸命に最高の姿をみせるものなのだと、いつもいつも感じます。
 想えば、この年の春先、イチョウは周辺一帯が白むほどの夥しい真っ白な花粉のようなものをまき散らし不可思議に感じられ、もしかしたら秋には実がなるのかとさえ思わせました。
 ヒマラヤ杉が伐採された時には、大きな特有の末ぽっくりが、横に張った見事な枝にしがみつくようにして、ドサリと地上に投げ出された時には、哀れでならず、こみあげるものがありました。


 八ッ場で見聞してきた、数々の樹木たちの譜。
 この杉の巨木にも、思いが走りました。
 このままだと、もう、今、カメラに収めておかないと周辺の移転家屋のガラーんとした屋敷周りを慌てて撮りました。
 途中の道で木の間ごしにみえた、作業の方たちは吾妻川沿いの木を切っているらしく、末尾の写真のように伐採した木が、雪原上につみあげられてました。
 めざすお宅の主人はお留守でしたが、ルス番のご親戚の方らしき方に、思わず「もうじき、ここも整地なんですか」と問うと、伐採は近々、再開される埋蔵文化財発掘作業の為と判明し、少し、ほっとした思いでした。
 
 明日までの手づかずの草稿に追われているのに、書き出したら一気にここまで記してしまいました。樹木たちには尽きせぬ思いがあるヒトなのです。
 記しながら、藤村の詩を思い出しました。中学生の私は好みの詩などをノートに写し、そらんじてました。願わくば、希望の進路とは、そのような詩句や古典に囲まれた道に進みたかったものでしたが……
 どこでこの隘路にふみこんで、国交省サマや行政筋に向かって、時に荒い言葉を吐き、対峙しなければならない人間になってしまったものでしょうか?

 確か「詩集・落梅集」所収の、「常盤樹」という題だったでしょうか? 
表題はその長い長い詩の、冒頭の詩句です。……と記憶しています。この後のフレーズも未だまだ口をついてでるのですが……、調べる時間なし。
 



   


Posted by やんばちゃん at 20:50Comments(1)八ッ場だより