2010年05月27日

八ッ場ダム「中止」の前に、倉渕ダムの成果あり(一)

 倉渕ダムの大塚一吉さんから送って頂いた記事です。
 『土と健康』~ 二回にわったって、転載させて戴きます。元原稿は冊子のページそのままのレイアウトでカラー。頂いた当初は「わぁ」と喜んだものでしたが、その後、そのままでは転載できないことに気がつき、なんとも意気消沈。
 その後の記事多発の最中、長文でもありますし、どうしようかなと思っているうちに、思わぬ日数を経てしまいました。
 イベント続きで、錯綜としてしまった27、28日分に穴が開いてました。そこで、穴埋め記事として使わさせて頂くのは何とも失礼なのですが、転載させていただく次第です。大塚さん、どうぞ、ご寛容のほどを。《6月1日に転載》

八ッ場ダム「中止」の前に、倉渕ダムの成果あり有機農家/「倉渕ダム研究会」主宰/群馬県高崎市在住
大塚一吉さんに聞く 聞き手 久保田裕子

群馬県北を水源とする利根川は延長332キロメートルで、日本で2番目に長い川であり、その流域は関東平野全域に及ぶ。農業用水・工業用水はもとより、首都圏の水がめ(飲用水)としても、また、水力発電の電源開発としても重要視されてきた。
 今、利根川水系の主要河川の一つ吾妻川(あがつまがわ)に計画中の八ッ場ダムの建設事業中止案が政治問題化している。やはり利根川水系の一つ、烏川には、1979年、倉渕村川浦に「倉渕ダム」が計画されて建設事業が進められていた。1980年から83年にかけて予備調査、84年に国庫補助による群馬県の事業として総貯水量1160万?の多目的ダムの建設計画が決まり、1991年から総事業費275億円ということで本格的に建設工事が始まった(2002年、総事業費は400億円に変更)。
 山間のダム建設には、他地域と異なり、当初、さしたる反対運動は起きなかったが、自然生態系を破壊し、巨額な建設費のかかるダム建設計画に疑問の声をあげたのは、高崎市に飲料水をもたらすとされた当の高崎市に住む市民たちだった。2001年6月、「高崎の水を考える会」が発足した。高崎市郊外で有機農業を営む大塚一吉さんもその一人(その後、2002年に「倉渕ダム研究会」主宰)。土木工学を学び、土木設計コンサルタント会社にいた経験からの活動が功を奏して、2003年12月、ダム建設計画は事実上終結した。
 全国のダム建設反対運動のなかでも比較的短期間に中止に至った数少ない例である。その立役者大塚さんに、その反対運動を振り返っていただいた。
根拠となる数字に疑問
問 八ッ場ダムの場合、計画はかなり前に立てられており、すでに着工されて建設が進んでいます。東京、埼玉などの利根川流域でカスリーン台風による広範囲にわたる水害が起きたのは1947年(昭和22年)。そうした水害が起きないよう、多目的ダムを造ろうという計画は、1949年、当時の経済安定本部時代とのことです。その後、1952年に建設省が利根川水系のダム群建設の計画を立て、八ッ場ダムの建設が進められました。倉渕ダムの場合は、まったく手つかずの計画のうちに中止になったのですか。
大塚 そうではないです。やはり倉渕ダムについても、計画の立案は早く、県の調査は1955年から始まっていました。反対運動は2000年頃からですから、その頃までに全体の工事費400億円のうちの162億円はすでに使われていた。水没道路に変わる付け替え県道ももう完了していて、本体工事着工の直前だったのです。
問 そこまで進められていたのに、中止というのはすごいですね。
大塚 これは、住民の力ですね。そして、これには有機農業の生産者、消費者のつながりが大きな力になりました。後に出てきますが、「倉渕ダム凍結をめざす市民の会」の代表をして運動の中心的なところを担ったのは歯科医師の武井謙司さんで、うちの提携野菜の消費者ですし、県の職員を刑事告発した時にお世話になった梓澤和幸弁護士もまたそうです。記事を書いてくれた記者は、NHKの番組改編の問題を書いた朝日の本田雅和記者です。
 また、有機の生産者である「烏川を大事にする会」の田島三夫さん、「倉渕つばさの会」の山際義隆さん、それと民主党の中島政希さんをはじめとしてたくさんの人たちが協力し合ってきました。そうしたいろんな人の有機的なつながりで運動が展開していって、それで2003年12月に、知事が県議会で「凍結」を宣言したわけです。

問 ダム建設反対の論点といいますか、反対運動の経過はどのようなものでしたか。
大塚 私は、有機農業をやる前は土木設計コンサルタント会社に勤めていたので、ある程度水問題についての知識があったのです。倉渕ダムは治水、利水の多目的ダムですが、その建設の根拠になっている数字などが非常におかしいのではないかという疑問から始まりました。
 一つは、治水面ですが、この計画は、100年に1回起きるであろう大洪水を防ぐ目的で立てられていました。カスリーン台風のようなものを想定しているわけです。ところが、最大洪水流量、専門用語でいうと基本高水流量という、洪水が来た時に、毎秒どのくらいの水が川に流れるかという指標があるのですが、それを県は2800?/秒と出していますが、これは国の治水計画でいう2000?/秒と比べても、かなり高く見積もられている。
 この根拠となる実際の基準地点における洪水時の流量観測データはなく、他の地点の洪水時の雨量データ10回分を用いた雨量確率法という手法で推計したものです。ところが県は、用いた河口の流量のデータに相当な幅があるのに、その最大値だけを採用するなど、推計で補填した数字や係数の設定に恣意性があるし、短時間の雨量が引き伸ばされて大きくなるので結果として過大な流量になっていました。
 また、ダムによる洪水削減効果が計算されていましたが、治水基準点でのピークカット効果はたかだか200?/秒で、水位にして20cmの低下効果でしかない。これは下流の堤防を20cmかさ上げすれば済むことです。倉渕ダムは、守るべき市街地から遠く離れている場所に計画されているため、洪水削減効果が低いのです。ダム地点より上流の流域面積は、全体の流域面積の8%と、ごくわずかです。
ダム建設か、河川改修か
大塚 二つめは、ダム建設か、河川改修かという論点です。県の当初の計画では、ダム建設案349億円に対し、河川改修単独案では411億円と計上していた。ダム建設のほうが安上がりだというわけです。ところが、この数字も根拠に乏しいものだった。
 02年3月に、県が約1600万円をかけてコンサルタント会社に作成させた倉渕ダム建設の設計書と代替案(河川改修)の比較を含む資料を情報公開の手続きをとって県に請求したのですが、それによりダム建設の細目にわたる資料が出てきました。ところが、その直後に、県のほうから「間違ったものが入っていたので差し替えてほしい」と、その日のうちに私の家までやってきたのです。私が家に着いた時には彼らがもう先についていて待ち構えているという状況でした。しかしすでに、会のメンバーが機転をきかせてコピーをとっていました。
 コピーを見ると、河川改修単独案よりもダム建設案の方が安上がりだという結論ありきで、その論拠とされたダムを建設しない場合の河川改修に係る用地の買収費が宅地20万円/㎡、田畑5万円/?と、私たちが調査した価格に比べ数倍から十数倍と、実勢からかけ離れた高い数字になっていたのです。


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Posted by やんばちゃん at 15:20│Comments(0)八ッ場に願う
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