2009年10月16日

針を飲まされた人たちの譜  拙著から、転載

  
 本日もまたダム問題関連のことで、揺さぶられるような一日でした。
 その一日も、あと数分で閉じる今、またしばし、ダム問題から“逃避の
お遊び”にて。

 わが郷土の詩人、山村暮鳥の詩を。
 昔学生のその昔から、心に肉迫しそらんじているこの詩句と国木田独
歩の「山林に自由存す」をおもいきっりくちずさむと、不思議に高揚してき
て、昂然とまた猪突猛進してしまう、私の秘薬です。   

  「いのり」
  
  つりばりぞそらよりたれつ
  まぼろしのこがねのうをら
  さみしさに
  さみしさに
  そのはりをのみ。


       青空に
  青空に
  魚ら泳げり。

  わがためいきを
  しみじみと
  魚ら泳げり。

  魚の鰭
  ひかりを放ち

  ここかしこ
  さだめなく
  あまた泳げり。

  その魚ら
  心をもてり。
               <山村暮鳥 詩集『聖三稜玻璃』所収<

※続いて以下は、拙著『八ッ場ダムー足で歩いた現地ルポ』の記述

 思えば、針を飲んだ、飲まされたに等しい人々の譜。長野原町に通う
往復の車中で、いつも私はこの山村暮鳥の詩、「いのり」と、続く「青空」
を思い出すと、やはりおのずとこみ上げてくるものを止められない。
 山村暮鳥はわが町出身の郷土の詩人であり、中学校の校庭には「月」
の詩碑があり、小学校の正面玄関にはその詩句の拓本が飾られていた。
 朝夕の通学の折に目にする暮鳥の詩は幼い日から、すでに内心の襞に
染みこむほどに肉迫し、同化している。
 そして、膨大な作品量の中から私の心情にピッタリ食いこんだのがこの
「いのり」と「青空に」なのである。啄木と同じ時代閉塞の時代に生きた山
村暮鳥の真髄は、この第三詩集「聖三稜玻璃」の時代にあると考える。
 それにしても「水源地域特別措置法」をはじめ「特措法」とやらは、一見
まくて甘そうに見えるが、ある意味では毒まんじゅうの要素がたぶんにあ
る。一度口にしてしまえば、不思議に闘いへの怒りがそがれ、計り知れ
ない懐柔効果があるものだ。
 悔しいのは、是が非でもダムを建設せねばならぬ権力側の至上命令が、
いつも地域の切実な声が一つになりかけると、切り崩すことだ。
 推量するに、毒まんじゅうをたっぷり積まれたらしい人間が、闘いの戦列
からそっと抜け出し、これまた眼前の自然界同様に陰に陽に暗躍してきた。
 しかし、おもしろいことに雲間から漏れる照射ではないが、案外その動き
をもライトは追っていて、早晩人々の知るところになってしまう。
 
 八ッ場ダム五〇年間の闘争の過程でも、節目節目ごとにあったそんな動
きを、資料を読んでいけば行間からこぼれ出る事実として、部外者の私まで
気づかされる。
 さて、二〇〇一年六月一四日、補償基準の調印がなされた。水没地帯の
現況は、予想しなかった加速度がついて、事態はかなり進展してきている。
 二人の大物政治家の確執でキャッチボールのように揺らされ、遅々として
一進一退のあがきを続け、長期化しあったのにかかわらず、補償基準の調
印までは二年間という異例の速さであった。
 要因として無理からぬのは、連合補償交渉委員会四七名のメンバーの多
くが、委員長を含めダム建設推進派であったことが大きい。
 さらに追い風となったのは折からの不景気。
 心ならずも逆説的な効果として作用したのは、全国的な脱ダム思想。
 それと市民層による運動の出現などが、逆に促進作用を果たしてしまった
と指摘されている。
 現実に補償交渉委員会トップの発言にも、再三「ダムができなくなったらど
うする。そういう人たちに騒がれないうちに」との言質があったと聞く。

     存続危ぶまれる過疎化の町 
 全戸水没地の川原畑でおよそ七九世帯中、すでに一五軒がいち早く転居し、
家屋も壊した。
 建物を壊さない限り補償金の支出はないという鉄則があるからであるが、比
較的密集していた川原畑の屋並みに、更地と化した空間が生じている。
 集落の真上に一村全体でズリ上がり、ダム湖を見下ろして住むとの結束も、
調印がなされ個人が転出を希望する以上、もはや阻止する効力は何もないそ
うで、流出組は今後も増え続ける見込み。
 八ッ場方式なる現地再建策、ズリ上がり方式への可能性は、やはり崩れた。
この先は転出者に金銭を支払った既成事実のもとに、さらに住民を駆り立て
追い詰め、代替地の遅れは地主にありと転嫁させる、地元民同士の反目の
構図が待ち受けている。
 水没民はまたしても進むしかなく、袋の一方だけを開けられ、退路を断たれ
たと同じである。
 丸がかえの各地への視察、政治的工作などで夢を見させられた住民たちが、
現地再建策の構造に乗った時に、全国各地のダムを仕上げた手腕から権力
側は手のひらに乗ったも同じとほくそえんだであろう。
 ダム関連工事は急速にピッチを上げている。
 林地区の山中、高規格自動車道国道一四五線とそこを分岐点とする「県道
林・長野原線(王城道路)」と「県道林・吾妻線(吾妻峡南道路)」は無論、ちょっ
とした山あいに入っても随所で、工事現場に出会う。
 全体で二〇台のダンプが日に約二〇回は往復するというから、その喧騒の
度合いは推し量れよう。要所要所では係員が誘導に当たっているが、経費は
各建設会社を通して、国土交通省が払う。
 つまり私たちの税金がこのようなことにも費やされている。
 
 原始からの大地を切り刻むように木々が倒され日々変貌している。
 緑色にとってかわり面積を増していくコンクリートの色。八ッ場に訪れるたび
に切ない。どうにかならないものかと嘆じる。
 目の当たりにしている居住者はもっとつらいだろう。投げやり的に「どうにも、
ならしねえよ。儲かる人もいるんだから」と吐き捨てるようにいう。
 だが、最も潤うのは地元企業と地元の一部の有力者だけではなく、全国の
ダム建設現場を渡り歩いてきた、他所からの企業や業者たち。
 昨年夏頃あたりから、国道沿いに「仕出し弁当」の真新しい看板が目立つよ
うになってきた。
 現地を歩くと、「お上に逆らっても勝てっこねえ。あの下筌ダムだって結局は
負けたんだから」との声を疲労"困憊の果ての言い訳的につぶやく。
 国家権力に徹底抗戦した下筌ダム(熊本県)、その蜂の巣城の指導者は室
原知幸だった。
 市民の権利意識に基づき七〇回もの法廷闘争を起こし、国の誤りを突いた
先駆者である。
 しかし、指摘された弱点を逆手にとった司法は、土地収用法や下流自治体の
同意などを盛りこみ、一九六四年の河川法の改悪を行ったとされる。
 ――「わしが戦いに負けるたびに、権力の実態が明らかにされ、歴史に刻ま
れていく」。
 大闘争過程を描いた松下竜一著『砦に拠る』文中の室原語録である。

    --- 略 ----  
 さて、この日も、吾妻川の水量は、少なかった。川床の石が見えている。
 こんな巨億の資金をかけて水の流れない毒水の川をせき止めて、どうするのか。
 何よりも怖いのは人体実験段階の石灰中和水を水余りの世の中、高い料金を
払って飲まされる、下流都県の市民たちの運命である。
 帰途、心落ち着けて“氷の花”に再び出会おうとしたが、すでに溶けていた。
 しかし、この日、私の心に宿った、傷みの花は、終日凍えたままであった。
 そして今、“銭の花”という言葉もあったことを思いつく。
                         (『上州路』二〇〇二年一二月号、あさを社)



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Posted by やんばちゃん at 23:55│Comments(1)八ッ場に願う
この記事へのコメント

毒水ね
吾妻川流域なんか人が住む価値がないようだね
ダム建設もやめて全ての住民をよそに移住させれば全て解決するんじゃないの
Posted by   at 2009年10月17日 14:31
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