2011年02月28日
うまログさん、お世話になりました。流れる水に叫びあり
※先ほど、最後の「うまログ」に記したものです。
明日からは、こちら一本でお世話になります。
只今、22時半。
あと、1時間半で、本欄とお別れです。
数日間の空白が続いてしまってますので、本来ならば、最後にきちんとお礼を申しあげて、少しまともなことを書きたかったのでしたが、いまだ本日締めの草稿にまだ、追われています。
遅れのほとんどの要因は、初期化後の不慣れなパソコン上のレイアウトです。こっちの写真を伸ばしてキャプションをいれてみれば、あっちの写真がどっかにとんでいたり、2段組4ページのレイアウトに朝から格闘中です。
昼から先ほど10時すぎまでに、リモートサポートさんにもう3回もお世話になっています。
でも、何とか締めのブログを記し、お礼も申し上げたいので、急いで作った夕食を傍らにして食べながら記しています。
まるで、大晦日のようです。
さて、水源県群馬を流れる利根川。
現在、近くの土屋文明記念文学館で「ぐんまの雑誌展」を3月13日まで開催中。で、先日観てまいりました。
「県内旧制諸学校校友会誌」のコーナーがあり、その中の一隅に、「前橋中学校と『坂東太郎』」・「高崎中学校と『群馬』」の別枠展示があり、旧制前橋中学の学友会誌『坂東太郎』と高崎中学の校友会誌や校歌や応援歌が、特別枠として展示されていました。
群馬を代表する二つの男子校の特徴や排出した人物の気風などが、校内誌を通しても読み取れて、興味深いものがありました。
ちなみ「坂東太郎」とは利根川の異名です。かの上毛かるたには「利根は坂東一の川」とあります。
そして、そのどちらの校歌も、水にちなんだ歌詞がちりばめられていました。
中でも惹きつけられてやまなかったのが、群馬の詩人・平井晩村が母校・前橋中学のために心血そそいで作ったという校歌の2番、その末尾の「流るる水に叫びあり」のフレーズでした。
対する、土屋文明の母校、高崎中学は、大正8年12月発行の校内誌に、生徒たちから募集した応援歌を「翠らん(※文字なし 䜌の下に山を書く)に決定の旨があり、その出だしは 「翠らんを浮かべては 流水長き思いあり」。
続いて創立60周年の昭和32年には詩人・草野心平による、「高崎高等学校校歌」が作詞され、その直筆による大掛け軸が展示されていました。歌詞冒頭のみ記せば、
上州の二つの山は はるかにかすみ
セルリアンブルーの 烏川は流るる
本当に、群馬を流れる水のひとつひとつに“叫び”があります。それらが高らかに声放つ時、この保守王国・群馬に変革が生まれる時ではないでしょうか。
どうぞ、質実剛健かつ文人型の前橋高校ご出身の皆さま方、郷土ぐんまのために、まなじりを決して発奮なされ、「今の時代に、もう百害あって一利なし的なダムなど要らぬ」と声をひときわ高くあげてください。
思えば、わが母校の高崎女子校の校歌は、一番は「朝夕、窓に仰ぎ見る榛名の山の高きかな」ではじまり、そして3番は記憶に間違いなければ「流れてやまぬ大利根や 瀬を超え岩をくぐりつつ 絶えず流れて末ついに 海となりいく尊さよ」だったと思います。
思えばまさに少女の日の私たちの多くは、榛名山の「高きにのぼる心もて 心の珠はみがかなん」の心意気にて、その高きにならい徳をつむことを、一応はめざしたものでしたっけ……? いつの日にか海にたどりつくことをめざしていた。
校歌には、自然体の訓育がしのばせてあるようです。
本ブログの最後にしては、何とも意をつくしきれませんが゜…… もはや時間なし。
もう30分をきりつつあり、お読みいただける時間もなくりつつあって、万事すべて後手後手にての、終りの刻です。
皆さま、ごきげんよう。
そして、うまログさんさようなら!!
今度はぐんプロさんにて。
http://s35.gunmablog.net/
明日からは、こちら一本でお世話になります。
只今、22時半。
あと、1時間半で、本欄とお別れです。
数日間の空白が続いてしまってますので、本来ならば、最後にきちんとお礼を申しあげて、少しまともなことを書きたかったのでしたが、いまだ本日締めの草稿にまだ、追われています。
遅れのほとんどの要因は、初期化後の不慣れなパソコン上のレイアウトです。こっちの写真を伸ばしてキャプションをいれてみれば、あっちの写真がどっかにとんでいたり、2段組4ページのレイアウトに朝から格闘中です。
昼から先ほど10時すぎまでに、リモートサポートさんにもう3回もお世話になっています。
でも、何とか締めのブログを記し、お礼も申し上げたいので、急いで作った夕食を傍らにして食べながら記しています。
まるで、大晦日のようです。
さて、水源県群馬を流れる利根川。
現在、近くの土屋文明記念文学館で「ぐんまの雑誌展」を3月13日まで開催中。で、先日観てまいりました。
「県内旧制諸学校校友会誌」のコーナーがあり、その中の一隅に、「前橋中学校と『坂東太郎』」・「高崎中学校と『群馬』」の別枠展示があり、旧制前橋中学の学友会誌『坂東太郎』と高崎中学の校友会誌や校歌や応援歌が、特別枠として展示されていました。
群馬を代表する二つの男子校の特徴や排出した人物の気風などが、校内誌を通しても読み取れて、興味深いものがありました。
ちなみ「坂東太郎」とは利根川の異名です。かの上毛かるたには「利根は坂東一の川」とあります。
そして、そのどちらの校歌も、水にちなんだ歌詞がちりばめられていました。
中でも惹きつけられてやまなかったのが、群馬の詩人・平井晩村が母校・前橋中学のために心血そそいで作ったという校歌の2番、その末尾の「流るる水に叫びあり」のフレーズでした。
対する、土屋文明の母校、高崎中学は、大正8年12月発行の校内誌に、生徒たちから募集した応援歌を「翠らん(※文字なし 䜌の下に山を書く)に決定の旨があり、その出だしは 「翠らんを浮かべては 流水長き思いあり」。
続いて創立60周年の昭和32年には詩人・草野心平による、「高崎高等学校校歌」が作詞され、その直筆による大掛け軸が展示されていました。歌詞冒頭のみ記せば、
上州の二つの山は はるかにかすみ
セルリアンブルーの 烏川は流るる
本当に、群馬を流れる水のひとつひとつに“叫び”があります。それらが高らかに声放つ時、この保守王国・群馬に変革が生まれる時ではないでしょうか。
どうぞ、質実剛健かつ文人型の前橋高校ご出身の皆さま方、郷土ぐんまのために、まなじりを決して発奮なされ、「今の時代に、もう百害あって一利なし的なダムなど要らぬ」と声をひときわ高くあげてください。
思えば、わが母校の高崎女子校の校歌は、一番は「朝夕、窓に仰ぎ見る榛名の山の高きかな」ではじまり、そして3番は記憶に間違いなければ「流れてやまぬ大利根や 瀬を超え岩をくぐりつつ 絶えず流れて末ついに 海となりいく尊さよ」だったと思います。
思えばまさに少女の日の私たちの多くは、榛名山の「高きにのぼる心もて 心の珠はみがかなん」の心意気にて、その高きにならい徳をつむことを、一応はめざしたものでしたっけ……? いつの日にか海にたどりつくことをめざしていた。
校歌には、自然体の訓育がしのばせてあるようです。
本ブログの最後にしては、何とも意をつくしきれませんが゜…… もはや時間なし。
もう30分をきりつつあり、お読みいただける時間もなくりつつあって、万事すべて後手後手にての、終りの刻です。
皆さま、ごきげんよう。
そして、うまログさんさようなら!!
今度はぐんプロさんにて。
http://s35.gunmablog.net/
Posted by やんばちゃん at 23:50│Comments(0)
│八ッ場だより