2011年06月07日

転載:八ッ場 癒しの風俗詩 第10回

 カメラを変えたものですから、写真の縮小が不具合いで……
 本日は、転載にて、お許しを。

 八ッ場 癒しの風俗詩     
           第十回   田植え時の水の作用を凝視して……
 田植え時の水のはられた水田は、一枚の巨大な鏡と化す。
 周辺の景色は無論、果てなく続く大空の動きをも的確に映し出してくれる。しかし、その構図は必然的に、現実の景色とは逆のシンメトリー的光景とならざるを得ない。
 そして、畦道を行く人々の姿は如実にとらえられても、人間界の心の動きは、どこにも映し出されない。
 いわば“もの言えぬ水の鏡”なのだ。否、むしろ“虚構の鏡”とでも呼ぼうか。

 八ッ場の家々の戸口にたたずむこと、早や11カ年。
 顔みしりのお宅が次々と消え、元の場所には数軒しか残存しない現実を前にして、静もりかえった水田に映し出される画一的な景観にも相通じてしまうのだが、未だに水没地の皆さんの本音を量りきれない、ある種の痛痒を覚えてしまわざるを得ない。
(前政権の仕上げた錬金術によって虚実が飛び交った、千載一遇的な巨額の補償金が介在してきたために致し方ないこととはいえ)、往々にして、部外者に対してはご自分のお気持ちは糊塗して、さりげなく接してくだされた。(なお、富の分配とやらは、隅々まで水平に水がいきわたる田植え時の水田とは異なり、一部の有力者たちが潤ってきただけであったらしい。不自然なその経緯を日常的に見聞していて、誰よりも良く知っていられる一般住民は地域社会の不文律にのっとってか、陰口はきいても表立っての指弾はなさらない、それもまた現地の流儀だろうか)。
 でも、持ち前の愚直さで、お話できるだけでも良しとしてめげずに足しげく通い続けてきた歳月がある。表面的には見えない没地の本音の想いがきっとおありだろうと。
 そんな過程でも、不意に心がはじけるように繰り出された一片の本音に出会えたこともあった。女性同士の場合には、こだわりの漬物の味へのうんちく語りや、考案された独自の山菜類のアク抜き方法のご披露の最中であったり、時に髪の毛をファッと見せる苦心の美容術の話など、そんな何気ないふれあい場面での会得であった。
 こうした人間同士の響きあいの領域を押し広げ、紡ぎ出した言葉を蓄えつつ、いつの日か「私の八ッ場ダム物語」の一枚のタペストリーを織りしたいものと念じている。

 山間部の地形ゆえに水田面積の少ない水没地の代表的な穀倉地として、やんば館周辺の水田があげられる。
 上手の2号橋直下の水田にひきこむ水口の水は、移転した第一小付近から流れ落ちて、国道近くで一つとなる「折の沢・立馬沢」の二つの沢筋。下手の国道下の水田には、やんば館と旧第一小跡地との間を流れ吾妻川に直角に合流する久森沢からの水が用いられている。pH2の吾妻川の水質と異なり、これらの沢水はかつて飲料水として用いられたほどの純な清水で、旨い米が育つ最大の理由となっている。
  3町歩と聞く一帯の今年の田植えは、去る5月21日を皮切りに月末までにほぼ終了の見通し。6軒の耕作者のうち2軒を除き、土地は既に国交省に売却済み。付随して、代替農地が未完成の間、周辺の売却農家が国から年契約で借りての耕作である。
 目下、ぞれぞれの方の持田の若々しい稲苗が緑の風となってそよぎ、もはや、水面には鏡の作用を果たしてくれる、空間余地はない。

 さて今秋、稲が実る頃には、注目の「八ッ場ダム建設の是非」の国の判断が出る。
 ちなみに中止が決定した川辺川ダムのある熊本県、阿蘇地方では田植え前の一時の夕暮れ時には水田が夕陽でアカネ色に染まり、カメラマンがズラリと並ぶそうな。
 判断が下された来年の田植え時、果たしてわが八ッ場の水田は、何色となるのか?
 脱原発・経済の疲弊も甚だしい世相中、「検証の場」等の一連の審議過程でも、日々「建設」の色相が濃色を帯びつつあり、憂色に包まれ始めた現実にさらされている。
 建設決定の暁には、一帯は周辺の山々を映し出す鏡的存在どころか、ヒ素混じりのヘドロの水に閉じ込められ、太陽の色さえ伺えない深い湖底の汚泥に沈む運命の途上にある。(※吾妻川に注ぐ、旧六合村の中和施設周辺には大量のヒ素が蓄積されている)
 
 すると、とめどなく浮かびきて、瞼にせまる色あいがある。
 通い初めた頃、目にした一匹の沢ガニの冴え冴えとした紅い色を。ウジャウジャといた大きな本ドジョウの照りのある黒茶色を。さらに硬直した死骸の白い腹の色を。
 哀れにも黒い殻の筋目にまで茶褐色の澱が溜まり、程なく褐色まみれで側溝の中で折り重なるように殻だけ残っていた大振りのタニシの殻の色あいを。痩せてはいても採りきれないくらい跳ねまわっていたイナゴの軽やかな四肢のグリーンの透明度を。
 かろうじて今も姿は見られるのは大々激減したイナゴのみ。それとて稀有な遭遇になるが…… 直接原因はダム建設に伴い水路のコンクリート化と農薬使用によるものであるのは明白。たかだかここ6~7年間の大規模工事後の劇的な変化である。

 最近、お目にかかった農家の女性が「私がね、お嫁に来た頃は、大きなドジョウが邪魔なくらいいたんですよ」と語ってくださった。農薬はあまり好まれないご性格とお見受けして、意気込んで「ダムよりも自然を」を口にしかけてしまったら、「でもね、ダムも早く造って貰わないと困るんですよ。もう年ですから」との応えあり……
 他方、男たちはハレの田植えを前に「クロ塗り」と称する、漏水とモグラの侵入防止のために、鍬で水田の土をすくいあげ田の周囲の畔を塗り固める、前作業を行う。昨今は機械も開発されたが結局、手作業の重労働である。    
 土に生きる農家とて、毎年のクロ塗り作業の如く「国策」という名の時の形勢に即し、いとも簡単に心をも塗り替えてしまうこともありはしなかったか。つまり「ダム反対」→「賛成」に転じてしまわれた過程にて。恐らく、耕作者の心中では揺れながらの作業もあったろう。何しろ農業切り捨て策のもと、農地はカニやタニシの命など何のそのの、法外な価格となってくれるのだ。
 紛れもなく八ッ場の現実の一端である。


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Posted by やんばちゃん at 23:20│Comments(0)八ッ場だより
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