2016年03月01日

時に、閑話休題として



 忙中閑あり。イベントの前後、ダムだスラグだとひた走りつづけ、ムリやり振り捨ててきたのに、ほんのわずかに陽だまりのようになおかつ誘われてしかたない、好きな分野の一つであるイベントに参加してきました。
 寒気きびしい荒れ天気のここ2~3日はさすがに農作業をするのを控えて、久しぶりに活字を追うゆとりを作り出しました。溜まりにたまった郵便物の整理や会報などを読むと、せわしなく目で追う走り読みで、かなりの誤読をしでかしたきたことを思い知りました。


 さて、写真は、一目でお判りになる方も多いと思われますが、伊勢崎市の島村の渡しです。
 川はもちろん利根川。右岸の埼玉県側から、ということは、飛び地の島村の側からの撮影です。今は、大水の際に大打撃をうけた上に流れが変わり、渡し船は運休との看板がありました。なんと、折しもの雨にうたれ、無惨な光景でした。
 写真正面の中ほど奥の川面の変化がお分かりになりましょうか?
 かなりの速い流れになり、右端の方は、「吹割の滝」の如くの段差になっているらしいためか、怖くなるほどの急流の様が読み取れ、素人目にも船で横断して、対岸に渡れないことは読み取れました。

 去る2/20の第3土曜日、「ぐんま島村(伊勢崎市)の養蚕農家建築群を考える」で、「ぐんま島村(伊勢崎市)の養蚕農家建築群を考える」という、シンポジウムがありました。女性学団体「ウィメンズウィルぐんま」で、定例会場を急きょ変更して、シンポジウム参加にきりかえたのでした。実は、ウィルでは昨年秋から群馬の先駆的女性像の研究発表を自主学習してきたのでした。
 その中に、太田地区の会員が島村を取り上げ、『宮中養蚕日記』(田島民著 高良留美子編 ドメス出版 2009) もありました。私はここの処、その例会にも一度も出られずなのでしたが…… 拍手を送ってました。 


 長い間の、❝憧れの地、島村❞なのでした。
 島村の田島弥平家は、「女性文化賞」を創設され、前述の『宮中養蚕日記』をまとめられた、詩人・高良留美子さんの母親の高良トミさん(第一回参議院議員通常選挙に出馬し当選)のご母堂・田島民の生家。高良さんは宮中に養蚕指導で上がった田島民の孫娘なのである。
 島村の生糸の歴史は、高良さんがご一族の長い歴史を記した『百年の跫音(あしおと)』(2004年月刊 御茶の水書房)に詳述されていて、この上下巻の大部の小説を頂戴しておきながら、長いこと読めずにおりましたが、島村の養蚕の記述の辺りから一気に拝読したものでした。あの時代にイタリアまで蚕種を販売にいく場面には圧倒され、島村・田島家の気概と卓抜した識見に思わず打たれたものでした。 
 正月明けに高良さんに久しぶりに電話させて戴き、せっかく何やかやと心配りしてくだされるのに、本筋のことは殆ど開店休業状態の昨今をお詫びしたばかりなのでした。 ……でも、高良さんはいつものように淡々とダム問題にもご関心を示してくだされ、励ましてくだされました。この国にはびこる構造は、どれも根は一つであることを、だれよりもご存じのかたなのです。
 ソウソウ、一連のうれしいご縁の発端は、群馬の西南端の南牧村の廃校に文学仲間の方たちと書籍の保管場所を求めたお見えになられた際、八ッ場ダムの現実を訴えたことがありました。
 そして、明日の予定は空いているので、田島家のご先祖が、材木商として吾妻の奥に訪れ、その景観の見事さを話されていたという縁につながる、その吾妻路をたどりたいとのご希望に、お目にかかったその日のうちに、群馬の西南かに西北の地、八ッ場にご案内したのがきっかけなのでした。

 加えて若い日の、、岐路ともいうべきあることにそこはかとなくつなかる場でもあったこともあり、上州・島村は、忘れられない場所だったのでしたが、不思議に機会がなく、イヘントのある今回はこの上もない好機に感じられましたが、さすがに迷いました。でも、当日の朝、午前の部の見学会だけで、午後のシンポはもったいないけれど、帰ってくれば何とか21日の準備はこなせるだろうと思い立ったのでした。
 地図をみると高崎市からだと、前橋市→伊勢崎市を行くのよりも、17号線を走り本庄の辺りから向かった方が早いのてはと閃き、久しぶりに国道17号線を走りました。但し、本庄からの道が定かではなく難儀し、約30分遅れで到着。
 午後は帰るつもりなので、かなり遠慮したのですが、ウィル会員の皆さんのいつもながらのご厚意に甘え、理事長お手製の御赤飯、前理事長特製のキッシュなど、皆さん持ち寄りのご馳走のお相伴にあずかり、第二部に帰途心を残しながらも早々に辞去。
 帰途は50号にでる道筋をききましたが、やはりとUターンして、立ちよったのでした。
 


 そして、私が若い日に埼玉県側から見た記憶の利根川は、今でもマナ海に浮かぶ広い河川敷にグライダーの練習場があっものでした。
 帰り道に「島村の渡し」の駐車場の係りの方に伺うと、それはずっと下流の妻沼の辺りとの由。すると、記憶の船着き場は下流の「葛和田の渡し (赤岩渡船)」だったのでしょうか? 
 訪れてみたかったけれど、時間に急かれれていたものですから、反対方向に行くのは断念しました。あのグラインターのように大空を舞うことも、渡しをわたって対岸にもたどり着くことも叶わなかった、これまでの哀れな行路を想うと、思わず涙ぐむ一瞬です。
 そして、およそ200年とも300ともいわれる「島村の渡し」のこの荒れ様。昼とはいえうす暗い曇天の中で、無惨な思いが突き上げてきてなりませんでした。

 散らかし放題、どこから整理してよいか判らない書類の山の中で、昨年末から玄関に置きっぱなしで読んでない「広報高崎」の、今日来たばかりの3/1最新号を広げたら、トップは「高崎映画祭」の特集。第30回の今年はとりわけ華やからしく、特別賞には、お若い日に「ここに泉あり」に出演された岸恵子さん。「野火」や「FOUJITA」などの話題作も。
 心動きます。映画祭が始まった頃は、通し券を買って、夜な夜な通ったものでしたが……
 せめて前述の2作品くらいはみたいものと願ってます。

 それに前橋市の広報に小栗監督のトークショウ27日14時から開催の旨が掲載されているとの情報を八ッ場ダムの例会の席で、映画好きのスタッフから聴き、15時に約束を入れているのだけれど、同じ前橋だから……、たとえ一時間だけでもと心臓強く参加させていただけたのでした。冒頭20分ほどは、映画の製作過程の映像がながされました。幸い、最も入口の席だったので、そっと抜け出しました。
 
 本の一冊も読めなくなって、新聞さえもツンドクの有様に成り果てて、数年間。ぐんま島村の養蚕農家建築群を考える
 心も頭も干からびきっています。


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