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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年09月16日

(一)群馬民主党・マスコミ騒動記

 
 民主党参議院議員の「ダム提本体工事はストップ」の前提条件を抜きにした、?プロパガンタ的報道と談話に、ふりまわされたこの間の推移を。
 これは あるメーリングlリストへの投稿文を、本欄に即応させて、不必要部分を削除など、アレンジしたものです。
 分割して掲載させていただきます。

 昨今の迷走は、自民党筋さんのお得意芸とはいえ、ホントにおかしい。
 八ッ場ダム問題の根幹の責任は、新政権にあるのではなく、前政権にあることをお忘れのようで、自己反省の気配、まったくなし。しかし、もはや、時間の問題!! 


 【9/12(木)に発信】
................................................... 
 恐れていたことですが、民主党内部(群馬県に限定)の対立の構造が、八ッ場ダム問題における見解の差にも、形になって表れてしまいました。
 周知のように民主党は一枚岩ではありませんが、とりわけ群馬県内の(労組系と鳩山系との)確執は根が深いのです。
 八ッ場ダム問題についても、早くもその萌芽が出てしまいました。
 本日12日の上毛新聞一面の中段には目立つ見出しで「富岡氏 党内で議論」の報道があります。主要部分のみを手打ち(ネットになし)。

 ////////////////////////////////
① 【2009年9月12日(土) 上毛新聞一面中段、真中】   
【見出し】 中止方針の八ッ場ダム 富岡氏「党内で議論」  
   【記事冒頭のみ】 
 藤岡市内で11日県商工会議所議員大会で、来賓として挨拶した中島政希衆院議員、富岡由紀夫参院議員の民主党2議員が党が掲げる八ッ場ダム中止方針に言及、中島氏が中止の必要を強調したのに対し、富岡氏は党内議論の必要を指摘するなど、方針に対する考え方の違いを見せた。
  中島氏は「八ッ場ダムのような無駄な公共事業をやめて税金をどう使うかが大きな問題。ダムのために使う予算で例えば病院を整備することもできる」と指摘した。これに対し富岡氏は、地元で直接住民の声を聞いたことを話した上で「地元の意見、これまでの経緯を踏まえた上で、結論ありきではなく、民主党の中で議論していきたい」と述べた。富岡氏の発言について、数人置いてあいさつに立った茂原 男副知事は「たいへんありがたいこと」と話した。 
   ----以下、略ーーーー
/////////////////////////////////

 実は、一昨日の10日夕刻、長野原町・山村開発センター長野原町で開催された、「八ッ場ダム推進吾妻住民協議会」の発会式の冒頭でも、発起人で司会役の萩原渉県議が、つぎのような意味の談話を話していたのです。
    ////////////////////////////
②【9/10(金)長野原町にて 萩原県議による司会の冒頭談話の中の言葉】
 「ーー略ーーさきほど、民主党の参議院議員・富岡さんとおあいしました。民主党の中でも八ッ場ダムをいきなり中止というのは少し考えもの。これから地元を廻り地元のことを知って、そして八ッ場ダムの必要性ということを精査して、これから取り組む、とおっしゃっていただきました」と伝え、場内を沸かせたのです。----以下、略ーーーー」 
     ///////////////////////////

 「まさか、富岡議員が」とギョっとし、虚をつかれた思いが走り、「これはまた、民主党内部でこじれるな」と直感。
 瞬間的に反応する短絡型人間の私は、終了後、早速、(お留守だったので残した当方の携帯番号に)夕刻電話をもらっていて話をしたばかりの富岡議員筋の方に、萩原県議によって「演出効果のダシに用いられた富岡参議員の姿勢と発言について抗議めく電話をしてしまいました。
 
 なお、私もこの間、個人的に社民党県連、県内民主党双方の電話できる方たちに「現地を訪れ、謝罪的なことを早くすべきではないか。政党としては軽々としたことはできないなら、一日も早く現地視察は行くことを検討してほしい」旨と伺っている本音の現地要望を伝えて来たものでした。

 つとに知られていることですが、現地のダム推進派の策略の一つに、《民主党内の確執(労組系と鳩山系との)のスキ間をねらえ》というのがあります。
 富岡参議院議員はその労組系筋の支援を受けてます。
 実際に、昨夏の鳩山視察の際にも、今回、比例区で初当選の中島政希衆議員側は一方的に設営したようで、労組系は中島さんが得々と記したブログなどに反発し続けてきた経過も見聞きして参りました。
 
   所詮は“政治の世界”です。
 が、発言の真意について問うとともに、支持者の一人として以下の苦言を伝えました。
  ① 間隙をねらう、自民党のメッカである現地作戦のターゲットにならぬよう気をつけて欲しい(※絶対に来年の参議院選に役立ちはしない)。
  ② スタートしたばかりの鳩山代表見解とことなる発言を続けた場合の、富岡さんの今後の立場を憂える。
  
 11日早朝の外出前にざっと目を通した紙面に、10日夜の萩原談話に言及した記事は見当たらないことにほっとしたものでした。が、今度は上け新聞の記事よよって、民主党政権スタートの前に、微妙ながら“対立の構造の予兆”を聴衆の前で話し、活字となってしまったのですから、ダムSTOPを闘う者として、これからの混線した動向が思いやられます。

 「環境の世紀」のスタート時に、維新前夜の手探り状態の混迷のもと、ダム建設による“負の遺産”を残さないよりよい方向づけをひたすら、願う者の一人です。 
  


Posted by やんばちゃん at 10:15Comments(1)八ッ場に願う

2009年09月15日

交通整理しましょ!!

 昨日、9/14(月)の朝日新聞の投書欄「声」欄に、私たち反対運動のお仲間、茨城の神原さんの投書が掲載されましたた。
「ダム中止」をめぐって、賛成・反対の対立意見に、何やら喧噪とした空気に覆われて、部分的にエスカレートしてしまう風潮の昨今です。
 その最中、神原さんの次の投書は清涼剤にも似て、端的で交通整理役の感じがあります。

 元原稿を神原さんから送信してもらいました。掲載本文は字数の関係で字詰などが施されていますが、文意は変わらないということです。

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 【2009年9月14日(月) 朝日新聞 投書欄】
 ダムと生活再建を切り離そう

 9月8日の当欄に「八ッ場の民に国は責任を果たせ」との意見がありました。その通りだと思います。
 しかし、少し整理してみませんか。
 先ず、地元の人々はダムを求めているのでしょうか。
 求めているのは、ダム計画以来50数年に亘ってボロボロにされてしまった「生活の再建」ではないのでしょうか

 何故なら、八ッ場ダムは治水も利水も下流都県のためのもので、地元には何の利便も無いからです。
 次に、何故多くの人が地元を捨てざるを得なかったのでしょう。
 それは代替地の造成がひどく遅れ、いまだにほんの一部しか完成していないのに加え、その分譲価格が高かったからです。  地元の疲弊は、これまでのダム政策に誘導されたものと見るべきでしょう。 
 新政権は、八ッ場ダムは治水も利水も必要のないものと判断し、民意を得ました。
 その上で地元のために生活再建法案を整備し、全力を尽くすと明言しています。

 従来のように、ダムの完成と生活再建を引換えにする“人質”のような政策から転換を約束しています。
 八ッ場の民の悲劇を繰返さぬために、考えてみませんか。

  


Posted by やんばちゃん at 21:05Comments(0)紹介

2009年09月14日

マスコミ旋風、吹きすさんだ水没地に

 マスコミは世論に素早く反応するもので、まさに民主党のマニュフェストが完遂でき得るかのシンボル的存在となった、わが八ッ場ダム問題が、連日、報道されています。
 現地取材も加熱。
 何やら狂騒的な気配でした。
 すでに金太郎アメ的登場人物に食傷ぎみの読者を意識してか、各社とも目新しい人物の発掘に躍起となっているようです。
 報道の怖さをしっている住民は、選挙後、殺到したマスコミ陣の攻勢から逃れ、「居留守」を使ったり、逃げていたようです。
 そして、マスコミは当たり前のことですが、取材に応じてくれる人の人権よりも、いかに他局よりもインパクトがあって、センセーショナルな報道ができるかに憂き身をやつしそこに収斂させた切り取り方をしてしまうものです。
 その底流には、娯楽的要素を多分に求めるこの国の浅薄な聴衆の要望に応えてしまう、応えなければしのぎを削れない、憐れな報道意識があります。
 
 他方、日々穏やかに暮らしてこられた山里の村で、マスコミ取材にあうと、多くの方が舞い上がってしまわれるようで、得意げに話されるのをしばしば耳にしてまいりました。
 例えば、いち早く高台に移転した女性には、テレビ局からひんぱんに、あることの進捗度を問う電話が入るとかで、聞き違えなければ、「まい朝のように」とかでした。
 マスコミとつながっているということで“特別な存在”として、地域に鼻が高いのかもしれないなと思わせる口ぶりでなのでした。
 ……かつて(?今でもかな)私もマスコミ大好き人間ですから、真理の綾が良くわかるのかもしれませんけれど。

 実は、去る10日の夜、私も、会場内で数社からカメラを向けられたのです。で、「地元民ではなく、しかも反対の立場に立つこと」をきちんと告げ、お断りしました。報道陣らしき数は、約50名ほど。
 けれど「みのもんた朝ズバッ!」には「それでも、いいんです」と畳みこまれてしまいました。「この場面では、スタッフの皆さんにもかえってご迷惑をかけることになりますよ」と添えました。が、「構いません」とおっしゃるのですが、カメラをさえぎったまま拒否し続けました。
 ただし「どう、思いますか」ときたので、反対の理由を短く述べました。すると「終わった後、表でどうでしょうか」とも。
 というのは、数ある番組の中では信頼感をもっていたのとキャスターの態度にはひびきあうものがあったので、思わず、先の対応をしたのですが、私は朝のこの番組をきちんとみたことがなかったうえに、何よりもこの日のメイン取材である推進派の結成式の枠組と、お邪魔虫である自分の位置に自分自身でも、強い違和感があったのです。
 
 (なおもちろん、番組名は異なっていたので安心感はあったが、先の女性の話されたテレビ局と同じ。しかも拙著にも記しましたが、国交省からの大きな補助金で現地状況を制作したのも同局系のプロダクションという、潜在的な拒否感覚も手伝いました。このゼネコン体質の実態を暴露したことは、水没民に対しての生活再建は遅々として進まなかった五年前の段階では、少なからず地域に衝撃を与えたようて゜した)。

    メディアにおける人権感覚 
 速さが宿命とはいえ、翌朝5時半~開始で8時台に放映された同番組を、早朝より外出のため見られずようやく手に入れたビデオを、先ほど見てみました。(目下私のビデオは不具合で録音はおろか、音声も出ない始末。でも流れと雰囲気は伝わりました)。
 番組最後にあの切れ味の良かったキャスターの方が、現況を説明してくれていました。たぶん、内容的も質的にも、信頼できる部類に入るものでしょう。でも、日頃のおっちょこちょいで早合点にあらず、断って正解であり、自分ながら舞いあがることもなく冷静に対処できたと思います。

 ところで、番組は一過性であっても、周辺地域ではピリオド打てず、流布してしまうもの。
 さらにメディアに勝手に切れ取られ編集された人格は不特定多数にさまざまなイマジネーションを増幅させてしまうもの。
 
 とりわけ「映像と肖像権」は、大きなテーマです。
 かつて、日本の賞を総なめし世界の映画祭にも輝いたドキュメンタリー映画で懲りた体験があります。
 前作で名を馳せた監督の妻でプロデューサーとは数年来の親友とも呼べる仲。受賞後の第一作となる撮影開始に当たっては一緒に挨拶に行き、会への橋わたし役として制作に5年間、伴走。
 ですが、編集段階から次第に遠ざけられ、試写会上で違和感を覚え困惑。
 それから「映画芸術」などの映画雑誌や幾つかのメディアにて自分なりに闘うとともに、責任をとる意味でそのサークルから抜けてしまった苦い体験があります。
 
 さらにこれは映像ではなく新聞記事でしたが、過日、水没地のある方の私生活にまで及んだ内容がある新聞の三面記事に掲載されました。読んだご親せき筋の方々は、子供さんの将来を憂え、関係の修復を待ち望んでいただけに、「あんなこと、町中はおろか全国にしらせなくとも」と憤慨されてました。
 一読後、私もギョとなった次第。
 八ッ場に訪れた際、「いいんですか、あんなことまで書かせて」と問うと、ご本人は掲載紙を送ってもらってもいず、すでに掲載日の翌日の夜なのに、「まだ、読んでいない」とのこと、書いてあることを伝えると「ちょっと違う」といわれ、細部は異なっていたようでした。記者は書く目的で接近してくるのですが、ご本人は無防備だったようです。
 いかに新聞とはいえ、「なぜ。ゲラ段階で確認するかしなかったの」と問いました。
 
 私は人さまのことを記す時、仮に実名でなくとも、草稿をお送りし確認してもらい、「もし、嫌な表現があったら直しますよ」と伝えて参りました。自分がそうされた場合には辛いからです。
 でも、表現上の効果は薄れてしまうことが多々ありますが……
 確かに好都合の証言やセリフに合うと、小躍りしてしまうのは、取材側の習い覚えた本音です。
 それを書くと「インパクトに満ちた決めて」になって、記事にメリハリがでます。
 けれど、書いて公表した場合には、その方が追い込まれてしまうなと考えて断念。胸の奥にたたみこんだことが再三、ありました。
 ですのに、一度案内した後、私に話してくれるようにいつもの調子で無防備にはなされた効果的な一言を、インターネットに大見出しで掲載。今後の立場を考え、削除を申し出たことがあり、結局、その後、その方とは直接の原因かどうかは定かではありませんが、疎遠になってしまってます。

 ただでさえ辛い、現地のみなさんが、後々、極度の神経疲労に陥れられる取材ごとに、変な形で巻き込まれぬよう、昨今の狂騒的なマスコミ取材を憂えます。
  
 ただし、取材や報道には、立派な使命があることは、厳然とし手市民社会の成熟におおいに寄与してくれています。
私が“マスコミ大好き人間”の理由もそこにあります。
 「表現の自由」と「個人の人権」はむずかしい、永遠のテーマかもしれません。
  





   


Posted by やんばちゃん at 16:39Comments(0)八ッ場に願う

2009年09月12日

お願い! 教えてください

   ブログの先達者の皆様、お教えください!
 
 ようやく朝から打ち上げたブログの拙文を、またもうっかり完成間際に消去してしまったのです。
 原因は、
 ① 懲りずに、ブログ投稿欄に直打ちしてしまったことにあります。
 ② しかも夢中で記しているうちに、一度も保存をしなかったのです。
 ③ 直接の原因は、なぜか突然削除されてしまった箇所を、「戻る」マークのボタン機能がついて無いので、マウスを右クリックして「元にもどす」を出してしまったのです。
  「あぁ」と悲鳴を上げた時には、ミゴトに何時間か費やしたものが、一瞬にして水泡に。

 そこで、ご存じの方にお願いです。

 ① ブログの文章を記す時には、直接、投稿欄の画面で打つ行為は、絶対に避けるべき基本中のことなのでしょうか。
  
 ② 何か、今回のような全面削除を防ぐ、防止対策はありますか。

 ③ 何か、ブログ作成上の妙案はありますでしょうか。

  ご示唆、いただけましたら、幸いです。
  よろしくお願いいたします。

 
 返礼の長引いてしまったことへのおわびごとめく文章ですので、昼食後、予定を変更。気を取り直して、思い出しつつ打ちなおすこと、またも数時間。
 もちろん、打ちなおし文、はワードで別に打って、投稿画面にコピーを。
 けれど、どうしても、何やら消えた文章の方が、迫力があったように思えて無念でなりません。
 何しろ、時間のロスは甚だしいものがあります。
 指も痛くなってしまってきました。


   


Posted by やんばちゃん at 17:44Comments(4)お願いごと

2009年09月12日

(二)お返事にかえて、経過を

 前述したように、ご質問の真意を読み違え、的はずれになっていることを憂えつつ、

 「地元の反対運動を黙殺」=「今頃になって」の解釈にての、個人的な経緯をお応えに代えさせて戴きます。
 お応えというより、むしろ言い訳ともとられなくないであろうし、そんなこと聞きたくもないとのご批判をも覚悟の上で、私の運動の経過を記させていただく次第なのです。よろしく、おつきあいくださいな。

 私が初めて、八ッ場現地を訪れたのは10年前の1999年11月3日と記憶しております。
 川原湯温泉を訪れた文人墨客の取材でした。
 終了して、見上げた対岸の三つ堂のおく深い景観に瞬時にして魅了されてしまいました。思わずまだあった河原畑地域の小道というか、野道に足を踏み入れてしまいました。
 そして、「ダムって何なの?」の疑問に突き動かされ、ダムのダの字も覚束なかった中年おばさんの今に続く、八ッ場通いが始まったのわけです。
 当時は現地の反対運動の旗は降ろされ、火は表面上は消えかかってました。
 始まったばかりの画期的な情報公開が、現在ほど開かれておらず、ダムの全容は部外者には殆どわからず、手探り状態でした。
 たた゜、ひたすら、八ッ場の底光りする自然界の癒しに惹かされて、お邪魔させて戴き、見聞の領域を広げさせて参りました。

 幸いにして、当時出入りしていた県内誌が、大型公共事業のムダをつく観点からの「ダムもの」を書くと掲載してくれたので、夢中で学びました。
 加えて、編集長が「旧・八ッ場ダムを考える会」の発起人の一人として設立準備会に奔走。その事務所的な部屋がそこにあり、吾妻郡出身の女性が短期間ながら事務局として働いていたこともあり、事務所のお手伝いも兼ねて、発足時からの会員となりました(※水問題の市民運動の砦、「水源開発問題全国連絡会=水源連」の存在は、まだ残念なことに知りえず、遠い存在でした。現在は団体加入しています)。

 うれしいことに、終世、ダム反対を貫かれた豊田嘉雄さんもまだお元気で、「遅かったよぅ」と嘆息されながらも積年の積もった思いを語ってくださいました。
 さらに、現地のし烈な運動を語る象徴とされている、1967年12月の総決起集会。
 その当時の若手メンバーの方々が、まだご存命だとの情報に小躍りしつつ、大喜びでお訪ねすると、時すでに遅く、明らかに推進の側に回った方もいましたが、反対運動の余燼をくすぶらせつつも、時代の変遷の中で余儀なくたたずまれていらっしっゃたのでした。    
 その際、異口同音に吐かれ、聞かされた言葉。
――あんた、来るんが遅すぎたい。もうちょっと早けりゃ、どうにかなったかもしれねぇけれどなぁ。はぁなあ、どうにもならねぇやいーーー
 ……ですが私は、なぜか、子供心に父親が繰り返していたので染み付いてしまった感の、例の2・26事件時のセリフを自己アレンジしてしまって、「今からでも遅くない」式のヒトなのです。諦めて、過ぎ去らせ黙認してしまえば、次の時点ではもっと遅くなってしまう。だから、気がついた時にガンバルしかないものと。
 こちらは、その年齢に合わない若いくて青臭い一途な思いに燃えてしまってました。が、今にして思えば、現地の皆さんの困惑は意にも介さなかったのかもしれませんでした。本当にご迷惑をかけ続けてきた、困ったおばさんです。

 その矢先、程なくやってきた、忘れもしない2001年6月14日の「保償基準調印式」。
 哀しいことにその時まで、「補償基準」の意味も正確には判らないほどの幼さでした。愚かさでした。
 調印式の取材からの帰り道、部外者の身にもことの重大さがひしひしと伝わりきて、想定される先々の工程と大きな節目に、その夜、消沈しながら関係者たちに電話した際には、思わず涙声になってしまってました。翌朝、新聞の「事実上のダム着工」の決定的な文字に打ちのめされたことが、今でも浮かび上がります。
 それでも、スカーレット・オハラ並みに、絶望の底でも、まだ「明日」があると思ってました(もちろん、類似点はこの気性の荒さのこの一点のみだけですが)。
  「まだ、完成したわけじゃない。明日がある」と言いきかせつつも、節目節目の苦しかった時には、悔いたものでした。
 「あの頃、今みたいにダムのことが分かっていたら」「まだ地目認定の段階だったら。せめて、補償基準前なら」と、悔いても仕方ない、後の祭りのことを。

  そして時に身勝手にも、全国活動の一端に触れて視野が広まった時に、ちょっぴり、己の無恥・非力を脇において、次のようなことがよぎりもしましたよ。
  全国の市民運動iはダム工程に精通している先駆者たちもいられたのだから、八ッ場のことだってご存じなかったはずもなかったろうにとも……、なぜ、もっと以前、地元に反対運動の余熱があった時に、援軍にかけ走ってくださらなかっかとも。
 (……で、もしかしたら、ここがご質問の隠された設問なのかとも、推察してもみますが……)
 でも、考えてみれば現に、かほど怠ったわけではないのに私もまた、この10年間もの歳月に、脱ダムの動きや理念を現地につなぎ、現地の状況を社会に拡げることの他には、出来なかったわけなのですから……。
 恥じて、愕然としています、
 
 誰も誰もが、仕事として日々着々とことを成し遂げられる公務員に対して、生活の資たる仕事をこなしつつそれぞれの持ち場のダム闘争を支えることで手一杯だったことでしょう。
 市民運動の限界ともよべましょうか。
 ほんのしばしとはいえ、身勝手な責任転嫁はまさしく暴論になるかもしれませんね。


 次に、当然、「生半可なことなら、迷惑だから、最初からやるな!」というお叱りの声が聞こえてまいります。
 捨身になって、職をなげうってでも、邁進すべきでしょう。命を懸けるくらいの覚悟がなければ、趣味で市民運動やボランティアはすべきではありません。

  
   
未完ながら、中断

 先ほど、何時間かかかって夢中で打ち上げましたこの拙文を、完成間際にうっかりミスにて消去してしまったのです。
 気を取り直して、昼食もそこそこに打ちなおしを始めてから、すでに数時間。なんと夕方の6時になりました。
 もう手が痛くて……限界です。
 中断します。ご寛容のほどを。
 





    


Posted by やんばちゃん at 17:25Comments(0)報告

2009年09月12日

(一)9/5のコメントへのお返事

 去る9/5の午前1時頃に、下記に転載のコメントをお寄せくださいました方、お返事が遅れてしまいまして申し訳ございません。(メール先をお知らせくださいましたら)もっと早くお返事できたのですが、ご連絡のとりようがわからなかったのです。
 しかたなく、外出前の9/6の深夜に、最新ブログの頭に、以下の言葉添えを記させて頂き、気がかりながらも出かけた次第です。
....................................
コメントをお寄せくださいました方へ (※9/63アップ、現在は削除)
 本日、コメントに気がついたのですが、お恥ずかしいのですが返信の仕方がよくわかりません。
 (なお、明朝というより、深夜に出かける予定の電車の時間も迫っており)恐れ入りますが、帰宅後に お返事させていただきます。 どうぞ、ご寛容のほどを。
  ....................................

 帰宅後に、ブログの管理画面をあちこち動かしてみましたが、やはり返信は不可能で、往生。
 さきほど、ようやくパソコンに精通している方に伺うことができたのですが、メール番号がないと返礼方法がなく、本欄で書くしかないとの由。
 そこで、本欄にて以下の、貴コメントへのご返答をさせていただく次第です。が、不特定多数の目にさらされることゆえ、ある程度の制約がつきまとうことは、ご理解くださいませ。
 願わくば、もう一度、お便りくださいませんか。仮にご連絡先が判っても、決してご迷惑はおかけいたしませんので。

..........................................................
 【お寄せくださったコメント全文】 
 ダム本体が出来ようが出来まいが地元のコミュニティはすでに破壊し尽くされていて手遅れです。私も近いうちに吾妻を出ることになると思いますし、 現在反対運動をしておられる方々はことごとく地元の反対運動を黙殺してこられた方ばかりなのはなぜなのでしょうか。その理由をご存じなら教えていただきたいと思います。私には理解できません。
※[句読点は、当方が添付]

...........................................................................
///////////////////////////////////////
 
【返信 その一】 

 さて、ご文面から、どうやら水没地内もしくはご関連の方かとご拝察致しております。お辛い立場から、つたなく私見に充ちた本ブログに、勇気をもつてお便りくださいましたこと、改めてお礼を申し上げます。うれしく拝読いたしました。

 最初に、次のお断りと確認をさせていただきます。
(いざ記そうとしまして、再度ご文面を熟読いたしましたら、迷ってしまったのです)。

 地元の反対運動を黙殺反対運動とは、(現在のダム推進の運動ではなく)かつての地元のダム反対運動と受け止めてよろしいのですよね。
 「反対」の語の位置づけ、思いもつかぬ「黙殺」の語の意味あいの関連性。それらが、短いセンテンスの中で微妙な箇所となり、判断に苦しんでおります。

 そこで、過日一読後に直感した文意、私たち市民運動に対しての批判、「地元が反対に燃えていた時に、市民運動の面々は手を出さなかった。今頃になって遅すぎる」との常日頃言われておりますご批判。そのように受け止めさせて戴き、以下のお尋ねの件に、見当違いの答えにならないか憂えつつ、誠意をもって記させていただきます。
 なお、あくまでも、私個人の見解で、市民運動総体を代表しているわけではないことは申すまでもありませんことはご承知ください。


① 〉現在反対運動をしておられる方々はことごとく地元の反対運動を黙殺してこられた方ばかりなのはなぜなのでしょうか。
② 〉の理由をご存じなら教えていただきたいと思います。私には理解できません。

①について、
 「ことごとく」とお書きになられたように、確かに私も微力ながら、反対運動の一員には相違ありません。但し、この10年間、断じて皆さま方の「地元の反対運動を黙殺」した覚えはありません。
※理由として、個人的理由と経過を、別記させていただきます。

 ですので、「なぜなのか」と問われましても、これまたお応えしようがないことをご理解くださいませ。

※また仮に(現在のダム推進運動)を意味されているとしても、地元の皆さんの運動を、これまた「黙殺」した覚えはありません。いかなる運動も国民に許された抵抗手段として、自由です。
 ただし結果的に、ダム推進派と反対派とでは、立つ足場が180度異なり、途中裁判闘争という場面も加わったことゆえ、「黙殺」ということではなく、もはや、好むと好まざるにかかわらず、「対立の構造」に位置づけられたのは、致し仕方のなかったことと考えます。
 お互いに国家権力に踊らされている同じ弱者の立場なのですから、むしろ、切なかったです。歩みよりが叶うなら話し合ってみたかったです。しかし、詳しくは記すこと控えますが、この間、私の動きに対してはなぜか、内外から不本意な制約がつきまとい、手痛い目にあって参りました。?現に本日もあり。

②について
 ここもまた、「理由をご存じなら教えて」と問われましても、同様にしてお応えしようがありませんこと、心ならずもお許しください。

 
 長くなりましたので一挙掲載はムリな上に、読みにくいので、二回に分けてアップさせていただきます。



























  


Posted by やんばちゃん at 16:16Comments(0)報告

2009年09月06日

維新前夜の今、撤回に燃える推進派

  
 群馬に住む者の務めとして、県内版をメールで全国にお届けしています。
 本日、次のようなお便りをいただきました。

> 大河ドラマを見ているような興奮を覚えます。
> まさに日本の歴史が、動く瞬間ですね。
 
 まさしく、これぞ「大河ドラマ」と呼べましょうか。
 本当に、ダム建設の歴程上、「大政奉還」「明治維新」的な歴史的節目となろうとしています。
 はからずも、2年ほど前くらい前だったでしょうか、国交省八ツ場ダム工事事務所への問い合わせの際、思わず、 「もう、こんなお互いに不毛と徒労にも似たこと繰り返さないで、ここら辺で手打ち式を行いませんか? 江戸城無血開城ということだってあるじゃないですか」と申してしまったことがありましたが……。
 当時、本気で造る気があるのか? と感じました。代替え地は遅々として進まず、住民が転出していくのを待っているような感さえありました。
 もしかしたら、あまりの劣悪な状況に内部では見直し説もあるのではと思わせるものがありました。迷わずに造る気があるなら、現在の技術からすれば、昨今の工事現場のようにピッチをあげたはず。

 時は今まさに、その線上にありますね。

  
 地元の最新の動きを転載しますが、中止への抗議行動が実際化してしまいました。10日に発足式があるようです。
 どっちつかずの焦燥感の中で過ごしていた目前に、まずは目標が定まって燃え上っているようです。確かに、明日の指針が立たないことほど辛いことはありません。水没地の方々はそれをずっと、耐え忍んでこられたわけで、その痛みはよくわかりますが……
 維新後に起きた一連の争いのごとく、自民王国で選挙戦の痛手も相まって、必然的に起こる、このような幾つかの抵抗運動を経て、よりよい着地点に落ち着くことを念じております。
  脱ダム運動の精神にかけよって、わが八ッ場ものろしはより高く高く、あやまたず掲げたいもの。

 本日はこの他、朝日と上毛新聞に、航空写真で撮った工事現場の写真が添付された大きな記事が掲載されてました。
 本当に、わが八ッ場は、目下、ドラマです。観ていたいのですが、時間が迫ってきまして……
 
/////////////////////////////////////////////
①【2009年9月6日(日) 読売新聞群馬版 写真】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090905-OYT8T01065.htm
八ッ場 地元推進協が組織作り
県議ら、住民に参加呼びかけ

 
 【キャプション】水没予定地で5日開かれた祭りの関係者にビラを配り、協議会への参加を呼びかける萩原渉県議(右端、5日長野原町で)
 
 民主党による新政権発足を目前にして建設中止が現実味を帯びつつある八ッ場ダム(長野原町)を巡り、地元・吾妻郡内での中止撤回運動の母体となる「八ッ場ダム推進吾妻住民協議会(仮称)」の組織作りが5日、本格的に始まった。

 吾妻郡区選出の萩原渉県議(自民党)は、水没予定地である同町横壁地区の祭り会場に出向き、「発足会に参加してください」とビラを配布。住民からは「一緒に頑張りましょう」と激励の声も上がった。

 発足会は、10日に同町与喜屋の長野原山村開発センターで開かれる。6日以降は、水没予定地の川原湯温泉街の旅館経営者らも、ビラ配りを始める方針。同温泉観光協会の樋田省三会長は「今まで地元の話はほとんど聞いてもらえず、今度の衆院選では民主党に政治の道具にされた。水没地区の住民が1人残らず参加するぐらいに活動を広げたい」と力を込めた。

 協議会には現時点で、同郡内7町村長のほか、水没予定地の住民代表や地権者代表など、計約100人が参加する見込み。発足後は、国や民主党に中止方針撤回を呼びかけるため、署名やデモ活動などを検討する。
  


Posted by やんばちゃん at 21:41Comments(0)紹介

2009年09月05日

歴史の因果は、クルクルと

  
 本体工事凍結後~本日までの動きを簡略に整理してみます。
 
 自民党を軸とした推進派は早くも示威行動への策を次々と打ち出しているようです。
 考えたら、与野党逆転して、今や抵抗勢力として、スクラム組んで陳情行動を繰り出すこの構図は、かって私たち野市民運動の側が、行使し得たほぼ唯一と呼べた常套手段的方法でしたけれどね。
 自ら強引に提唱し、導入した小選挙区制度に、何年後かの今般は、自ら首を絞められた自民党さんの運命iに、「因果は廻る
」という言葉を想起してしまいます。
 まさに、「淀の河原の水車のごとく、クルクルと歴史の因果は巡りくる」ものですね。
  
 ①9/3 国交省職員が群馬県庁を訪問し、通達。
 ②県知事・地元では不満や困惑が広がり、撤回への対策を練りだした。
 ③9/4  藤岡市長国交省を訪問。暫定水利権確保への要望書提出
 ④ 〃  都内で自民党の全国幹事長会議が開催。その合間にも6都県の幹事長が意見交換。協調して推進を目指すこ    とで一致。
 ⑤同日4日 吾妻郡内の首長や地元住民による中止撤回運動の主体となる「八ッ場ダム推進吾妻住民協議会(仮称)」は10  日に長野原町内で設立総会を開き、正式発足する運びとなった。
  協議会には、同郡内7町村長のほか、水没予定地住民代表や地権者代表ら、計約100人が参加する見込み。国や民主党  に、中止方針撤回を働きかけるため、署名やデモ行進などを行うことを検討している。
 ⑥ 同じく、6都県の自民党県議らで作る「八ッ場ダム推進議連1都5県の会」は11日に都内で会合を開催予定。各都県の    担当者から説明を受け、都県知事との連携など、今後の方針を確認する。

 
   


Posted by やんばちゃん at 23:45Comments(0)報告

2009年09月04日

心配が現実に、中止撤回の示威行動開始のもよう

一、 八ツ場ダム入札凍結の報道は、既に3日も前の9/1(火)に 朝日新聞では全国版一面トップで掲載されていました。

 けれど、群馬県内で最も多い購読者を誇る、地元紙・上毛新聞ではようやく、本日報道されました。
 長野原町では上毛を取っている家が、圧倒的多数なのです。情報は早く伝えるべきなのに、この3日間の動きは以下の通りでした。
  9/2(水) 一面に「八ッ場ダム中止 民主に再考促す 国交省」
           〃    民主3人 「中止すべきだ」
                 小渕氏 「完成支持で当選」
  9/3(木) 選挙関連記事なく、通常記事

 従って、一昨日お訊ねしたお宅で、朝日購読は一軒のみで、 9/1の外出時に駅で見出しにひきつけられて買った方、役場でコピーしてもらった方、私が早朝に電話で連絡した方たちを除いては、ご存じありませんでした。
 当然、町長は凍結の情報は知っているはずなのに、本日の紙面では、未だ、「新大臣の判断はこれからだが、よく精査すれば、ここまで進んでいるダム事業の中止がいかに無駄であるか(民主党に)理解してもらえると期待している」の見解を示しています。

二、 そして、心配していた「中止撤回示威行動」の展開は、現実のものになってしまいました。
 中止撤回に向けての協議会が発足する旨を伝える、本日の読売新聞群馬版の記事です。トップ記事で代替地造成工事中のカラー写真添えです。
 「国会周辺デモも辞さない」的な構えのようです。
 選挙に負けた保守王国の悔しさや、溜まっていたいらだちが思わぬエネルギーとなって、爆発してしまうかもしれませんね。
 (昨晩、いつもの現地への電話を当方の要件のみで忙しなく電話を切ろうとしたら、 何かを伝えたいらしかった声音が、電話の向こうでありましたのに……、毎回長いと悪いと思って、二度、三度「じゃあ」とゃってしまってました。また、あるお宅で「自民党が悪かったんだから、署名はしない」といってましたっけ。「署名」といぶかしく思いましたが、言及しませんでした。うかつ)。

三、 その手始めに、藤岡市長は、本日、国土交通省河川局長を訪ね、「推進要望」をする予定とのことが、朝日新聞群馬版では報道されています(ネットのサイトのみ)を。

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 ①【2009年9月4日(金) 上毛新聞 一面中段】
 http://www.jomo-news.co.jp/news/a/04/news01.htm

八ツ場ダム本体工事
入札延期を表明
国交省次官 新大臣に判断一任

 民主党がマニフェスト(政権公約)で建設中止を明記した八ツ場ダム(長野原町) について、国土交通省の谷口博昭事務次官は3日、11日から予定していた本体工事の入札延期を正式に表明した。3日午前、ダム本体工事の発注主体となる関東
地方整備局に対し、延期を指示した。

谷口次官は「新しい大臣に治水、利水についての八ツ場ダムの必要性や事業の 経緯、(建設を求める)地元の県知事らの意見を説明し、判断してもらって対応したい」と述べ、新政権の国交相にダム建設の是非に関する最終判断を委ねるための延期であることを強調した。また、判断材料にするため、新国交相のダム建設現場視察を検討していることも明らかにした。

延期は4日に関東地整局が発表し、関係自治体に説明。新政権が中止を最終判断した際には、法律に基づき関係知事らと計画見直しを協議することになる。

民主党の鳩山由紀夫代表は3日、「マニフェストにも(中止を)うたっている事業なだけに、その方向は間違えずに決めてまいりたい」とダム事業を中止する方針を重ねて表明した。

◎「地元住民の不安募らせて胸痛む」・大沢知事
 
国土交通省が八ツ場ダム本体工事の入札延期を正式表明したことについて、大沢正明知事は「生活再建のめどが立ちそうな矢先だっただけに、地元住民の不安を募らせたと胸が痛む」と指摘。その上で「八ツ場ダム建設は流域の1都5県がみな推進の意思を固めている。今後の推移を見守りながら、連携を密にして最善の努力をしていきたい」との姿勢を強調した。

建設予定地の長野原町の高山欣也町長は「新大臣の判断はこれからだが、よく 精査すれば、ここまで進んでいるダム事業の中止がいかに無駄であるか(民主党に)理解してもらえると期待している」と話した。


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②【2009年9月4日(金) 読売新聞群馬版 トップ カラー写真】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090903-OYT8T01271.htm
  八ッ場ダム建設求め地元硬化
   県、中止撤回要請へ

 【キャプション】  移転住民のため着々と工事が進む代替地(8月31日)
 
 国土交通省が、11~18日に予定していた八ッ場ダム(長野原町)本体工事の入札延期を表明した3日、早期建設を求めてきた県や地元では、民主党政権の発足を目前に控えて「ダム計画中止撤回」を求める声が高まった。吾妻郡では、政府への要請や署名運動の主体となる協議会設立に向けた動きが一気に進んだ。

 協議会には、ダム関連工事が進む長野原町や東吾妻町を含めた吾妻郡7町村の首長や住民代表らが参加する予定だ。発足後は、民主党政権に中止撤回を求める署名集めや国への要請文書の提出などの主体となることが検討されており、ある関係者は「国会周辺でのデモ行進など、あらゆる形で声を上げて建設中止への反対運動を行うことを検討している」と話した。

 一方、県は、情報がスムーズに伝達されないことへのいらだちを高めた。大沢知事は同日夕、取材に対し、「すでに計画が何年も遅れているのに、また遅れるなんて」とため息をもらし、民主党本部を訪ねて中止撤回を要請することも検討する考えを示した。

 県は同日午後、川滝弘之県土整備部長名で、「国土交通省から話を聞いていないのでコメントできない」とのペーパーを発表。川滝部長は取材に対し、「一番効果的なタイミングで国に働きかける方法を関係都県と協議している」と述べ、近くダムに参加している他の5都県と共同で中止撤回を要請する考えを示した。ある県幹部は、「政権が代わったからと言って地元を無視すれば独裁国家だ」といら立ちをあらわにした。

 自民党を中心とした推進派都県議会議員による「八ッ場ダム推進議連1都5県の会」は、来週中にも、幹部による会合を開いて、今後の対応を協議する。新政権発足前に、民主党に中止撤回を求める要請文を提出することなどが検討されている。議連事務局長の萩原渉県議は取材に「下流都県と力を合わせて、ありとあらゆるルートで完成を働きかけたい」と話した。

 地元・長野原町の水没関係5地区連合対策委員会の萩原昭朗委員長(77)は「大変なことになって、地元はみな困惑している。長年の反対闘争からやっと1本になり、補償交渉の末に今がある。国は約束通り、ダムを早く完成させてほしい」と話した。

 国交省八ッ場ダム工事事務所は3日、幹部職員らが手分けして地元関係者を回り、入札延期の見通しを伝えた。幹部職員の一人は、「公式な説明ではないが、いつも説明が後手に回りがちなので……」とため息をついた。

 長野原町では、4日に町議会が始まる予定で、11日にはダム対策の協議会を開き、同工事事務所の幹部から事情を聞く。


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③ 【2009年9月4日(金) 朝日新聞群馬版 上段】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000580909040001
 八ツ場ダム建設 国に推進要望へ 藤岡市長


  


Posted by やんばちゃん at 15:46Comments(1)八ッ場だより

2009年09月02日

57年間のすごろくが、振り出しに……

 
 選挙後、いつものように朝に晩にの現地の皆様への電話をしておりますが、現地の状況はかなりきつく、おそらく何らかの抗議行動が展開される模様です。
 昨日は、この間、かなりしんぼう強くお付き合いくださった方の声もとがりだしていました。
 民主党は「中止」ということは掲げても、どこの段階で線を引くのか、 具体的には示しておりません(近日中に、各施策への詰めの委員会を発足させるようですが……)。
 で、私が聞いた限りでは、現地での解釈では「本体工事は中止だけど、後は計画通り実行」との解釈が占めているようです。
 
 昨日は、かなりの報道機関、特に映像関係が訪れたようです。
 新聞関係は、選挙前から繰り出して、「特集記事」の用意をしていました。
 そして、昨日9/1の毎日新聞社会面、朝日社会欄の記事(一面トップには、「本体工事の入札凍結」あり)、など今回の選挙の争点としてクローズアップされた「わが八ッ場ダム」が、紙面をにぎわしていました。
 次は、近日中の映像放映でしょうか?
 私の処にも、問い合わせがありました。まず「ヤンバ」と言わずに、「ヤツパ」との記者の第一声に、その方の認識度がうかがわれ、その後の状況説明に苦慮しました。
 なお、おかげさまで、当ブログへのお客様の数も飛躍的に多くなっていて、一瞬「何か問題表現、したかしら」といふがしく思いましたが、これだけマスコミ報道あったので、その余波として納得。
 八ッ場ダム問題が、多くの皆様の共通課題に進展しつつある表れとして厳粛に受け止めております。

 
 ところで、選挙後の川原湯温泉のホームページには、次のようなご意見が……
    
    『国民の生活が第1です…?』
    そう言って今回の選挙に臨んだ
    M党が議席を伸ばし政権政党になった。
       ---略ーーー
    これは、国家政策によって58年という
    長き時間をかけて進められてきた事業だ。
    僕たちは、新しく街を造る事を国と約束し
    ダム建設に泣く泣く合意した。
    それを、政党が変わったからと言って
    いきなり中止と言うのは許される事ではない。
     国は、国民との約束を果さなくていいの?
     戦争でもないのにこの国に
     国家政策難民を作っていいの?
     58年間かけた「すごろく」で
    もう少しで上がる処まで来て
    振り出しになるなんて受け入れられない。
    僕らは、国民ではないんですかH山さん。
    地味に真面目に暮らしてきた
    群馬の山間部の人間は、非国民ですか?
    僕らの生活を返してくれ!
    翻弄されながら亡くなっていった
    先輩方に謝れ!
      
  (辛いお立場からのごもっともなご意見に、私見は述べるべきではないかもしれません。 が、あえて、同じ市民層の立場から申し上げさせていただければ、)
 
 当時の皆様方の「ダム推進」という選択肢は、致し方なかったことかも知れません。
 けれど、同じ市民の一員として、現時点でのダム建設の意義、是非について、もう一度逆に“ふりだし”に戻って、じっくりと考えていただけないかという思いでいっぱいです。
 この間の、延期に次ぐ延期。未だ代替地移転が進まないことなど、肝心の住民への措置をまず第一義に考え、大事にしてこなかった自民党政権。
 責任は時の政権にありました。
 他の問題でも見受けられた同種の施策に懲りた、今般の国民の審判ではなかったでしょうか。
 ダム建設よりも、先々より良くなる「地域の生活再建は、おろそかにしない」と民主党との約束がきちんと果たされるように、お互いに監視してまいりませんか。
 ただし、私たちtが皆さん方の生活再建策の細部に口出しするのは、僭越な越権行為と考えています。それは当事者の皆さんが十分に国や地元で話しあわれ、決定することと受け止めてます。
 

 時間に急かれつつ、思わず長くなってしまいました。
 昨日朝、電話した際に、その家の奥さんから「今度はいつ来るん。ミョウガ採ってあるからね」などと言われてますので、これから、また八ッ場へ行ってこようと思っています。
 水没地の皆様からの、生の手厳しい声をたくさんうかがってこようと思います。

 心ならずも、筆力の及ばぬ表現、ありましたら、お許しを。



 
  


Posted by やんばちゃん at 10:48Comments(0)八ッ場だより

2009年09月01日

選挙報道② 《「自民王国」崩壊》解説・報道

 《「自民王国」崩壊》の大見出しがおどる、選挙結果を伝えた各報道でした。
 今般の歴史的な政権交替を、朝日新聞群馬版「解説」欄では、
 《群馬は「保守王国」ではあっても、もはや「自民王国」ではない。民主と自民がしのぎを削る新たな「保守対決」の構図が生まれたと言えそうだ》と、新たな局面へのスタートを予兆しています。
 
 
 二回目は、
 ①自民党崩壊を伝える、読売の第一報(8/30 20時台)のコンパクトな記事のみ。
  ※群馬版では、見開きに「民主が3議席奪取、自民王国崩壊の大見出し
    1区の勝敗を分けた宮崎・尾身候補の白黒大写真 他区は小記事
 ②煩雑になるので、東京・朝日新聞県内版のサイトのみを

 ②解説記事ーー朝日(記事全体の中から抽出)、東京新聞県内版から転載。

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①【2009年8月31日(月) 読売新聞群馬版 】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090831-OYT8T00462.htm
  民主が3議席奪取、自民王国崩壊 
【キャプション】支持者から花束を受け取る宮崎さん(30日午後8時44分、前橋市内の事務所で)

 衆院選は30日、投開票が行われた。過去3回の衆院選で自民が5議席を独占した県内5小選挙区のうち、1、2、3区は民主・新人の宮崎岳志さんら民主の公認候補3人が当選を果たした。激戦が伝えられた4区では、前首相の福田康夫さんが、民主・新人の三宅雪子さんの激しい追い上げをかわして7選を決めた。5区は強固な支援組織を持つ小渕優子さんが大差で4選を果たした。民主は県内の小選挙区で議席を獲得するのは初めて。

 民主が3勝1敗で勝ち越したことで、「自民王国・群馬」は一気に崩壊した。民主への追い風で厳しい戦いを強いられた自民の各陣営は個人後援会や支持団体の締め付けを強めたが、多くが無党派層を大量に取り込んだ民主に追いつけなかった。


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②【2009年8月31日(月) 東京新聞群馬版  各当選者の喜びの写真】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090831/CK2009083102100017.html
民主、一気に3議席 『自民王国』が崩壊 
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③【2009年8月31日(月) 朝日新聞群馬版 各当選者の喜びの写真】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000180908310001
2009総選挙  
 民主が3議席 小選挙区 自民2議席に減る


※ 同紙記事末尾・解説部分
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▼「保守対決」新たな構図に
 〈解説〉 4人の首相を輩出した「保守王国」で、自民党の厚い壁が崩れた。民主が結党以来初めて選挙区で勝ち、一気に3議席を奪い取った。
 予兆はあった。自民党は中選挙区時代、同じ党同士で激しく争った。が、96年に小選挙区選挙に切り替わって当選が確実になると中核の支持組織は「戦闘力」を弱めた。
 選挙の強さが裏目に出て世代交代も遅れた。今回、民主候補の平均年齢は40・8歳。5人中4人が73歳以上の自民に比べ、若さが際だった。
 小泉改革による公共事業の削減や規制緩和で「アメ」を配分する余裕を失うなか、不況が直撃。群馬労働局が28日に発表した7月の有効求人倍率(季節調整値)は0・45倍で過去最低を記録した。農家への戸別補償制度や子ども手当といった民主の「アメ」は良く効いた。
 選挙が進むにつれて民主政権が現実味を帯びると、群馬の民主候補が保守系だったこともあり、保守層は「政権与党」に向かった。福田派と中曽根派の対立のしこりが顕在化し、旧中曽根派の一部が民主に肩入れしたのはこうした変化を感じ取ったからだ。
 4区では、前首相の福田氏に対し、1カ月前に出馬表明し、知名度がほとんどゼロだった民主新顔の「落下傘」が互角の戦いを演じた。
 自民は危機感をバネに、候補者自身が初めて立候補した時のように地元に張り付いた。これまで以上にこまめに地域を回って組織の引き締めを強めた。しかし、足元の崩れを止められなかった。
 群馬は「保守王国」ではあっても、もはや「自民王国」ではない。民主と自民がしのぎを削る新たな「保守対決」の構図が生まれたと言えそうだ。(渕沢貴子)



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④【2009年8月31日(月) 東京新聞群馬版】http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090831/CK2009083102000003.html
   自民の組織選挙に限界

<解説> 
 「政権選択」をテーマに争われた今回の衆院選は、強烈な追い風に乗った民主が、県内でも小選挙区初となる三議席を獲得。圧倒的な組織力を誇ってきたはずの「自民王国」を完全に切り崩した。一方の自民は、2区で党総務会長の笹川尭氏が落選するなど、二議席にとどまる“壊滅的敗北”となり、県内の党関係者が受けた衝撃の大きさは計り知れない。
 民主は、不正経理問題などを契機に保守系と労組系の対立が続く県連内の事情とは裏腹に、「反自民」の意識を増幅させた有権者の最大の受け皿となった。各選挙区の候補は、強固な地盤を持たない中で、幅広い層への支持を急速に広げた。
自民は、今回も県議や市町村議、業界団体、自治会単位の後援会などを中心とするきめ細かな支援体制がフル回転した。だが、無党派層の支持を民主に奪われたばかりか、現政権に批判的な古くからの自民支持層にも離反され、各選挙区で得票が伸び悩んだ。
 「県連正常化」の方針を確認したとはいえ、民主は県内組織の分裂状態を完全には解決できておらず、依然として支持基盤は脆弱(ぜいじゃく)なままだ。今回の圧勝を、実際の党勢拡大に結び付けるためには、地方政治の現場で実績を積み重ね、党全体に対する信頼感を高める努力が必要だ。
 過去にない大敗となった自民は、“固定客”に依存してきたこれまでの選挙戦の限界が浮き彫りになった。議席奪還に向けては、支援体制の拡充だけでは不十分で、有権者に対して政策の質で勝負する新しい姿を見せることができなければ、党勢回復への道のりは厳しい。 (中根政人)

  


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2009年09月01日

群馬の選挙報道① 投票率

 今回の歴史的転換をもたらした選挙の情報量は膨大です。なにもかも一度にはお伝えできませんし、錯綜としてしまいますので、項目を整理してお伝えします。
 その上で、八ッ場の地、群馬県の選挙後の反応をお伝えします。
 1回目は投票率について代表的な記事を。
 わが群馬でも過去最高の69・06%でした。

 ①投票率については、読売新聞記事を転載
 ②推移を折り線グラフで示されている、東京新聞のサイトのみをご紹介


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①【2009年8月31日(月) 読売新聞】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090831-OYT8T00464.htm
  県内の投票率69・06%、過去最高
 
 県内の小選挙区の投票率は69・06%で、現行選挙制度で行われるようになった
1996年の衆院選以降では、過去最高だった2005年の前回選を2・77ポイント上
回った。

 選挙区別にみると、1区は67・20%(前回64・46%)、2区は68・21%(65・61%)、3区は69・33%(65・90%)、4区は70・72%(67・03%)、5区は70・46
%(68・94%)だった。

 「政権選択」が最大の争点となり、自民、民主両党が、支持基盤を固める一方で、
無党派層の掘り起こしにも懸命になったことがあるとみられる。

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②【2009年8月31日(月) 東京新聞】
  投票率の推移
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20090831/CK2009083102000002



  


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