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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年12月04日

またも、無計画の計画なり

   
 めずらしく早い時間帯に八ッ場へ出かけた。
 結局、当初予定の未計画の計画を大幅に変更して、選挙戦最終日の総なめ的な行動を展開。万遍なくほぼくまなく水没関連地、時には沢筋にまで入った一日だった。
 本来の予定だったら、昨日できなかった、拙著をお世話になった方たちにお礼がわりにお配りした後、なるべく早めに帰途につき、電車に飛び乗り、東京でのイベントに参加する心づもりでいた。
 明日も明後日も引き続くダム関連のイベントに出てみるつもりでもいた。となると久しぶりに姉にも会いたいから泊めてもらうつもりで、もしかしたら行く旨を電話しておいた。但し、たぶん、初日は思案中とも添えてはあったが……、ふんぎりのつかない最大の原因は家を空けることの身支度のめんどうくささにある。
 
 拙著配布の半ばが、消化しつつあった11時過ぎ。
 いつぞや道でお会いし、表情の豊かさに惹かれて、スナップ写真におさめたあるご年配の方の写真を、お撮りしたまますでに三カ月。
 いかにしてもと、写真だけ持って、この地特有の急坂をフウフウいいながら、以前聞いていたその家を探し当てた。玄関で大声で声をかけると、不意にでてきたのは、右手の表のトイレから下半身の衣服の身じまいもなしに出てきたご年配の男性。
 思わず眼をそらしながら「この方、お宅の奥さんでしょうか?」と問うと、「あぁ、俺んちのバアさんだよ」と笑みをうかべられてうけとってくださった。普段ならここで、なにやかやと話かけるのだけれど、今日は気持ちが急いているので、直ちに辞して、小走りに急傾斜の道をくだりかけると、路地奥にある方の姿を発見。
 知らん顔できないし、と近寄りかけた。すると、この地点にまで足を踏み入れると、道下の道路からは見えなかったある事実が一別できた。新発見した喜びで、心中ひそかに舞い上がる。
 「寄りませんか」と言われると、先日来のこと詳しくうかがには良い機会かもしれないとひらめく。そして、この方にも拙著をお渡ししようかと思い立ち、「ちょっと、お待ちくださいね」と急ぎ下って車に向かう。
 けれど帰るなら今。時間的にきつくなるなと踏みつつも、またもどってひとしきり、おしゃべり。
 
 さらに車を走らせ、しばらくたちよらなかった間に、なんとことごとく移転した区域があった。その先に昼休みに入ったばかりの解体業者の職人さん二人が食事中だった。
 その前を通させてもらうのだから、徐行しつつ、「こんにちは」と声をかけた。
 以前は通り抜けできていたのに、行き止まりになってしまっていた。Uターンするのには、また男性たちの前を通らせてもらわなければならない。で、車から降りて写真を取り始めてみた。すると、若い男性が「何しているヒトだい。記者かい」と問いかけてきた。「いいえ」と答え、適当にかわそうかとも思ったら、「俺、確か前にあっているよ」と言う。よくよく顔をみたら、かすかに見覚えがあり、幾つかの要素の回路が焦点を定めた。「もしかしたら、〇〇さんの息子さん」。
 そうだ、少なくとも五年前、川原湯温泉の解体現場の夕暮れ時にあった青年だった。覚えていなかったお詫び語に、「ごめんなさい」と薄闇の中であったので定かではなかったことを添えた。
 「すると、お隣はお父さん?」と問うとその由。この方たちと、先ほど本をお届してきたよくお邪魔するお宅とは、親せき筋。七年ほど前になるが、そのお宅のイベント的出来事の折にお会いしていた。「その節は」となり、ひとしきりなにやかやと。
 そして、この息子さんは、品木ダムの仕事もしていたとか。 さらに昼食を終わった他の職人さんも戻ってきて、上流の悪水のことに話が及ぶ。一〇年前にまとめた拙著の写真を持ち出す必要に迫られて、車から持ってきて「このことでしょ」と示す。
 現地の方たちの話は実地にもとづき詳しくて、思わぬ収穫もあった。
 その間も熱心に本を繰ってくださっている息子さんに、奥さんの職場も存じ上げているこのご一家の働きとはケタが幾つか少ない収入の私がとも内心よぎりもしたが、「じゃ、それ何かの記念に読んでくださいな」と伝え、まだ店頭には並ばないけれど、新著だと伝えた。「すると、今なら売れるよ」と脇からの別の男性の声。中には「そうだ。やんば館で売ってみな」とまで言われ、笑いつつも「もう、時ならぬ観光客さんも下火だし。それに私じゃ、許可にならなくて、怒られちゃいますよ」といいつつも、この方たちの無私のうれしい励ましは快かった。
 
 この辺りで完全に、東京に行くのは断念せざるを得ないなと踏む。
 そして、思い切って切り替え夕刻まで、八ッ場の各地をじっくり丁寧に廻り歩くことになった次第だ。歩けば、行く先々で得るものが大きかった。八ッ場情報は無限大なり。

 「次郎物語」の中の忘れ難い言葉に、「無計画の計画」なる語があったが、生き方もなにもかも、行き当たりばったりの「無計画の計画」のヒトである。

 
   


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(2)八ッ場だより