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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年01月01日

金のなる、ダムと言う名の木

 新年、おめでとうございます。
 昨日に続く今日で、どこがどう違うというのではありませんけれど、やはり心持ち気持ちが引き締まりますね。「いやしけよごと」がどっさりと訪れることを、人並みにのぞんでやみません。

 さて、正月から勢いよく切り込んでみてもですので、拙著『八ッ場ダムー計画に振り回された57年』から、部分転載を。
 揶揄加減の文章なので、囲み記事風にして字体も変えてあります。末尾に「つつましく生きる一市民の繰り言」としたのですが、初版時の編集者たちから「削除した方が良い」と言われました。
 知れば知るほど犯罪的なダムの構造的カラクリに、やけっぱち気味な独白です。
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  P202   第二部 いらない! 八ッ場ダム
   第15章  問う、逆説・まやかしの論理(一)
             ---自然と共生できるか、ダムを造りたい人たちよ
 
  【注】 文中の年代などは2004年時のものです。

 この国には、ダムという名の木がある。未完成のものだけでも、その数約三〇〇。
 ひとたび植栽されたら、絶対に枯れず、金のかかる始末の悪い木である。こんなことにもと思うところにも大金が費やされ、足りなくなれば増額につぐ増額でいくらでも出せるという、造りたい側には、極めて好都合な“金のなる木”である。
 本当に治水・利水が必要で、急を要する施設なら、さっさと突貫工事で仕上げれば良いのに、なにやかやと不必要な枝葉を次々と広げて、名目をつけては“事業”とやらを発注する不可解さがある。ダム工事の事業とは、なぜ、かくもPRが必要なのだろうか。
 さらに品物をくれたり、無料で水没民に自分史を書かせたり、次々に新しい企画を考え出す。しかも、ダム事業が始まって以来、大手ゼネコンを先頭にこれら関係諸企業はあちこちのダムを渡り歩いてきた、同じ顔ぶれの面々である。まさにダム建設企業ファミリーではないか。ために地元企業にはうまみがない。
 従って、実がなり、熟れて熟すまで慌てず騒がずで、田植え時の水田じゃあるまいし、ファミリー全体の隅々に仕事が行き渡るまで、いろんな名目の発注を行い、容易には完成に持っていかないのが通例。
 いかに水に関する利水計画とはいえ、田んぼに水を張らせるのとは、ちーいっとわけが違うだろうに。
 茂みの中は専門外の部外者には直視できず、分からないから、情報公開が普及し出すまでは日本の国内にありながら治外法権国家に似ていた。しかし、今でも仮に面倒な手続きをして、手間隙かけて情報公開なるものを採っても、「個人のプライバシーにご迷惑をおかけしては」とここだけはもっともらしい人権感覚で、肝心要の部分は墨塗り。敗戦直後の国定教科書を思い出させる代物。納税者の権利には考え及ばないらしい。
 そして、何かにつけてあたかも、「とってもいいことしているんですよ」の精神を振りまいて子どもたちをまきこんだ、ミエミエのことをする。

 ある関東地方の県境のダムの場合、なんと今年で五二年目に突入。長さも金額も日本代表どころかギネスブックにものる勢いである。
 進入路工事はほぼ完成。付替道路や代替地に着手し始めた今や、自分たちが壊した環境問題に目を向け出して、あたかも「とっても良いことしています」的に環境部門に精を出す関連財団があるのだ。この新手の環境集団はやはり、予定稿通りにこのダムにも姿を現しだした。厚顔無恥の“厚顔”とはこういうことかと得心する。

 ところがこの頃の不景気風に煽られ、ちょっぴり葉っぱの裏が見えた。どうやら、肝心の資金がついに続かなくなっているらしい。
 何よりも木にはその生えている土壌の質が大切なのに、このダムの地形は、有名な地すべり地帯。ある代のある正直な職員は「こんな所にダムを造るべきではない」と漏らしたそうである。しかし、その後は一切、そんなことは微塵にも匂わさせない。
 いまだに「安全性について、心配には及びません」と胸を張る。しかし、地すべりが懸念されていた奈良県・大滝ダムでは、試験湛水してみたら心配が現実のものとなり、二〇〇三年一〇月には地すべりが起き、直ちに水を抜き、移転の必要のなかった家まで、移転の騒ぎになっているではないか。
 もし将来、ダム湖畔の家々と住民がそろって、ダム湖にドブーンとなったら、誰がその責任をとるのだろう。この国始まって以来、公務員には仕事上での責任はなく、裁判起こしても負けるのは大方の場合、住民の側だそうであるから、やっぱり、こういうことに声を大にして反対しなかった水没当事者と、いわれるままにというか、気がつかずに国税を黙々と払い続けた国民だろうかね。しかし、住民の意志というより、保守政権の構造にがんじがらめにされていいなりの都県の首長判断なのだ。市民運動の寝食忘れての応援でかろうじて、めでたく当選したとたん、変わり身早い“裏切り知事”となる者もいるご時世である。
 しかし、この間の折衝ごとに出されるお茶っ葉一つから接待だ出張だと称する費用も、尊い国民の税金でまかなわれるのだということを承知しておいてほしい。
 五〇年間のムダ金の集積と今後の事業費を足した、このダムの事業費総額は四六〇〇億円。その他の負担や利子まで計算すれば、八九〇〇億円。誰がこの金払わせられるのだろう。子孫たちは、この先どうするんだろうね。   


Posted by やんばちゃん at 20:10Comments(0)八ッ場だより