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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年01月25日

八ッ場の縁、母上との縁、断ち切られた縁

 疲れ果てたという気持ちです。
 でも、そんなことは言っていられない一日でした。

 実は、昨日の日曜日は近くの土屋文明記念文学館で、「群馬の女性の原型ー『宮中養賛日記』を通してー」という、講演会があったのでした。講師は詩人で女性史研究者の高良留美子さん。私も戴いた「女性文化賞」を創始した主催者です。
 内容は明治初年に、養蚕の指導に宮中に上がった島村の女性の記録で、高良さんのご先祖です。
 
 本来ならば、友達などを誘って真っ先にかけつけなければならないのに、八ッ場のことに夢中で、文学館にもご無沙汰気味で案内看板が変わって、次の企画が始まったのは目にしても、細部を確認することもなく知らずにおりました。
 何やら事前に高良さんが、メールをくださったそうなのですが、どうやらメールの不調とかで当方には届かず。
 22日、他の人に頼まれたいた高良さんの著書の件で久しぶりにメール。その文面から推し量って、どうやら私は24日のことを全く知らないらしいことに気がつかれて、返信を下さるとともに電話もくださって、ようやくわかったのです。
 しかし、24日は、八ッ場の意見交換会。
 すでに遠方からの方の運転手役などや諸々の計画をしてしまったこともあって動かせず。
 
 困惑しながらも、高良さんは伊香保温泉に宿泊されるそうなので、旅館名を聞くと、FAXの調子もだめなので学芸さんからのFAXも不可。従って、まだ旅館名もわからないとの由。で、高良さんご所望の翌日のご案内をということや、宿泊先の旅館名などを伺いに、文学館にお邪魔し担当学芸さんにお会いした。それと同時に知り合いの24日にご都合付く方たちには、寸暇を割いての電話がけ。
 思えば、島村のご先祖が愛したという八ッ場の地に、八年前にご案内したのが、高良さんとのうれしいご縁の始まりた゜った。
  
 ところがなのです。昨日朝、近所の同級生が急死された報を受けて、これまた困惑。翌日25日が葬儀とのこと。すでに25日は伊香保周辺をご案内し、高崎駅までお送りすると約束。事実を言えば、高良さんは「いいわよむとおっしゃるだろうし……。
 本来なら、いわゆる弔辞のようなこともと。この方の母親や親せき筋のご葬儀では頼まれて読ませて戴いたしと……。てんやわんやだけれど、出がけにともかく、お悔やみだけはと。(当地では口見舞いと申します)。
 
 さらに、前夜、帰宅したら長野原町の方からの宅急便があるとルス電に。いくら電話してももう不可。仕方なく送り主に品物は何なのか問い合わせ。すると、明日、高良さんにも差し上げて欲しいとのこと。この方の用件でメールを入れたので、24日の講演会並びに翌日のご連絡した経緯もあった。事前に知っていれば、親せき筋に預けてもらう手配して出かけたのだが、やむなし。問題は明日出がけまでに間に合うかどうか。おそらく不可だろう。その場合はどうしようか。
 時間の配分はどうしようか。まぁ、なるようにしかならない。
  「明日のことは、明日考えれば良い」かの名作の有名なセリフだったっけ。
 翌朝、重い頭で目覚めたら、置時計が朝4時半をさしている。明らかにおかしい。となると、電池切れで遅れ出していた昨夜の時間は示した針よりも。遅かったのかも知れない。帰宅後の時間は正確に覚えているけれど連絡事項を幾つかしてしまったから、到着時間から推し量って大丈夫と思うが、非常識な時間でなければ良かったけれど…。どうして次々と朝からと思う。
 昨夜は、なにやかやと手間取ってしまった八ッ場の帰途、遅い時間なのでフロントから内線で明朝の時間を打ち合わせ、気持ちばかりのものを宿の方に届けてもらって失礼してきた。「テレビで八ッ場のこと、みてましたよ」とおっしゃってくださった。
 
 さて、本日、久しぶりに伊香保神社、石段街、露天ぷろ。そして徳富蘆花の「ほととぎす」の舞台をご案内。
 高良さんは極めて健脚。それから榛名湖へ。また伊香保にもどり。葬儀ごととは申し上げず、実は1時間半くらい所用があるので、お一人で記念館のような処で時間をつぶしていただけないかと提案。
 候補地を3か所あげた。文学館に続く、かみつけの里博物館が最も、ご希望の地。で、蘆花記念館も水沢神社もパス。途中お見せしたい箇所もあったが、一目散に地元に舞い戻り。葬儀場を通過、南下して博物館にお届けした。ギリギリの時間しか残されていない。
 取り急ぎ、迅速に喪服に着替えられるように準備していたので大胆に車の中で着替え、北上して葬儀場へ。数分遅れで到着。読経が始まっていた。車を降りると葬儀社の方が「センセイ、お待ちしていました」という。エーと思うが、「指名焼香がありますのでご案内を」と言う。慌て「それは止めてください。現職の時は、仕事の一部と割り切らせて戴きましたけれど」。ご遺族の配慮というが、指名焼香はおかしい。とりわけ議員がナニ様なのか。電報などは売名行為でしかない。それに私はもはやその任ではない。「ご遺族には落ち着かれてから説明しますから」と固く辞退。そーと後ろの席に滑り込むと、小学校時代の同級生たちが、神妙な面持ちで前列の方に詰めていた。早すぎるし何とも言いようもない旅立ちだった。焼香後、死の理由を同級生の一人にそれとなく聞いて、衝撃だった。「急なことなのでご遺族の動揺が強いので」と添えた、先ほどの係の方の言葉の奥がわかった。昨日は出かける直前まで電話などがあり、口見舞いにかけつけるのが精いっぱいで知らなかった。秋以来、あまりにもやることが多く、近所にいて役立たずでごめんね、マーちゃん。
 心は急いたが、せめて出棺の見送りまではと見送り。喪服を脱ぎ捨てるようにして、駐車場で着替えて急ぎ到着。
 
 博物館のガラス越しに高良さんが学芸さんと談笑している。近づくとなんとその方もいろいろとご縁のある学芸さん。「あら、お知り合いですか。この方、歴史にお詳しいですね」とおっしゃる。それはそうだ。文化や風俗の古今東西の比較史的なことはお得意分野で明るく、詩や芸術論と並ぶライフワークである。で、敷地隣の文学館の昨日の講師でお見えになられたなどのことを添えた。
 
 そして、菜食にこだわっているという高良さんに配慮。車の中で弟に電話し、お得意さんの蕎麦処「おおの」さんに電話を入れてもらって遅い昼食を。オーナーご夫妻のきめ細かな配慮の数々と全てのお味に満足していただけ。一茶庵の系統をひく、打ちたて(売り切れだったのを電話してから打って下さったと後に弟に聞く)の抜群のそばの味は無論、特にそばがきの旨さとまだ新作というホウレン草のムースは絶品だった。グルメ通の人気が高まりいくゆえんだ。 もし、水沢周辺ということだったら、名物の水沢うどんを思っていたが、やはりこっちの方が良かった。
 弟の家に届けてもらっておいた宅急便も積み、食べ過ぎたとおっしゃる高良さんに腹ごなしの運動を提案。 
 
 「かみつけの里・博物館」の館外に続く広大な古墳群のご案内をしていたら、昨日の後援会の出席者のお一人で、82歳にして現在も文学館の解説ボランティアをなさっている元気な元女性教師の方が散歩中で、偶然、お会いした。
 伺うと、昨日はなんと定員を超える100名以上もの方が集われた由。これもほっとしました。
 これだけ固い内容で今どき、百名を集めるのは大変なことです。詩人としての高良さんに詩関係の方が多く集まられたそうであった。これもお若い日にH賞を受賞され,詩壇の第一線で活躍されてきた高良さんのご業績の高さと学芸さんの並々ならぬ熱と努力のたまものでしょうと、その方とも話した。
 今朝、高良さんのお部屋にお邪魔した際の語るところによれば、昨日、講演会で語られた親戚の女性たちが、「明け方の夢の中にワァー」と出てこられたそうなのであった。思わず「皆さん、喜んでいらつしゃるんですよ」と伝えた。
 しかも、この方が高校生の時に、高良さんの母上、参議院議員・高良とみさんが講演に見えたとの披露話。
 そして、この方の母親は、九州のお生まれで、伊香保に記念館のある徳富蘆花の縁にあたられる。そのことを最初に教えたのは、まさに名もなく貧しさの中で消えていった亡きわが母であった。それは教育を存分に受けられた恵まれた女性たち、その中から、女たちの生き方を高め押し広げてくださった方たちへの尊敬と憧れを帯びていた。
  わが母の生前は、女の自立どころか思うことことごとく叶えられないしずめ石のような生き方だったけれど、子供たちにはせめてとの切々とした思いを、終生持っていた。
 たぶん、輝けるお二人に臆せずに混じっている娘の私の姿を、天空の、お二人の母上と同じようにとは言っても、堂々と並ぶことなど出来ずに、どこかの物陰からおずおずと見ていてくれているかも知れない。終生、心の張りを持てなかったわが母は、死してもなお、遠慮がちに物かげにそっとたたす゜んでいることだろう。
 わが家にはほど遠い世界なれど、知性にあふれた高名な母上を持たれたお二人の縁と、さらにご訓育を受け継がれ、それぞれの持ち場で女性の自立をめざされ、今に根をはられている娘さんたちの絆を、そこはかとなく感じさせられた次第。
 
 何やら、「縁」に彩られた1日でした。
 でも、同級生のマーちゃんとの縁は、この地上では、もう永遠につながらなくなってしまいました。目元のくりっとしたかわいい少年だったマーちゃん、いつもさりげなく心使いを見せてくれた照れ屋のマーちゃん、最後のお別れに十分に時間が割けなくて本当にごめんね。
 あぁあ、それでも、わが八ッ場との縁は、邪魔扱いされてもこの先もずっと続けさせていただきますので、どうぞあしからず。  


Posted by やんばちゃん at 20:35Comments(0)八ッ場に願う