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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年10月01日

キレイごとの群馬県幹部。検討の場スタート

 本日発足の、「八ッ場ダム建設事業の関係地方公共団体からなる検討の場(幹事会)」とやらの長い名前の会合が、11時~ 九段第3合同庁舎の11階 共用会議室で行われました。
 
 まず、事務局より規約とま中間まとめ案等の説明があったあと、各県からの質疑に移りました。群馬県から出席したのは川滝県土整備部長と細野企画部長のお二人。
 挙手して7人目に質問を行った、県土整備部長の質問要旨。
 「八ッ場ダムが全国に先駆けて検討会ができたことは、群馬は評価している。しかし、いつ終わるのかわからない。具体的に地元に説明したいので、教えてほしい。
 しかし、一般的な土木工学の問題ではなく、八ッ場の問題は住民の問題で、基本的人権、生存権の問題。 これからダムを造るような議論に思えるが、八ッ場ダムの場合はほぼできている。一般論ではなく八ッ場ダムの問題として提示してほしかった」
 
 この「人権問題」への言及に群馬県の一員として、八ッ場ダムにかかわる者として、最初に引き金をひいた県幹部の発言として聞くと、腹がたってきた。この一年間のみをピックアップすれば、人絹問題にはまぎれもないのだが、しかしである。
 ダムを嫌だという水没民に手を代え、品をかえ、人権無視の懐柔策を繰り出してダム建設に向かわせたのは、他ならぬ群馬県政。
 大物政治家の密命を帯び、消極的な神田知事に代わり、誕生した清水知事が強引に進め、課長職時代からその窓口となっていた小寺知事が着実に受け継ぎ、担ってきたのではなかったか。
 それこそ、その間の軌跡は、人権無視ではなかったかと。

 近頃、水没民の聞き取りをまとめた当時の強引な手法をリアルに再現した、本が刊行された。そこには前橋の料亭「松し満」で行われた、県と長野原町幹部との密会政治がリアルに記されている。
 多くの方に読んでほしいと思う所以だ。

 ついて゜、茨城県からの発言の後、9人目の質問を行った企画部長の発言には、いよいよおかしいと思えた。
 黙ってきいていれば、企画部長さん、あまりにキレイごとすぎる発言ではありませんかと。 
 一瞬、唖然としてメモをとらなかったが、なんと 「自治体に責任をおしつけてきた。県は計画的に建設を進めてきており、発電計画も着実に行っている」のような発言で、発電計画を進めている立場をどうすると言った語調だったのだ。 (後ほど、テープを確認)
 群馬県企業局は確かに、この間「発電も行います」とは宣言してきた。が、右往左往の発電計画ではないか。 
 しかも県企業局が、本当に発電すれば、東電ヘの莫大な減電補償問題が横たわっている。
 思い出したこともある。拙著のまえがきP8に記したが、企業局は2005年10月には、代替地先行取得に際しては、「公有地拡大促進法」の法律違反までしている。
 
 これではまるで、昨年の混乱時、どっかの意外にも純真な知事さんたちまでにその紅涙を絞らせた、かのお涙頂戴話と同じではないか。核になる事実は確かにあるが、よく知っている近隣の者たちにとっては、その誇大表現には首をかしげざるを得ない現実の類いである。

 他県からの意見を集約すれば、
 ①、いつまでなのか期限を区切ってほしい。
 ②、一般的な検証ではなく、八ッ場の進捗度などに照らした独自の現実に即すべき
の意見に纏められると感じた。
 そして、12時10分過ぎに終了。
 配布された資料一式、必要な方がいらしたら、コピーしてあげようと思って、メモ書きもせずに大事にしていたら、末尾に事務局から繰り出された、「それでは、終了後直ちに関東地方整備局のホームぺーに掲載しますことをご了承ください」なる言葉に「ああぁ、場馴れしていない素人は愚かだな」と苦笑。 遅れてきたので夢中だったが、よくよく考えれば、本日の資料もすでにインターネットで読んだものではないか。
   
 【備忘録的メモ】
 場所は千代田区役所と同じ建物の中の「第3合同庁舎」「11階」の文字面に、まとめ案の提出の行われた、国交省第3合同庁舎、同じく11階とばかり、思い込んでいた。
 霞が関よりも、九段下に行く方が手間どるから困惑。地下鉄九段下駅で、すでに10時58分。7時台の電車に乗るつもりだったのに、朝の交通混雑に出会い車が進まず、予想外に遅れて駅についたのが遅刻の原因。
 数分遅れ、汗まみれで駆けこんだ受付で、「一般傍聴」の席も用意されていたが、ダメでもともとと心臓強く「ライター」の名刺を出す。遠慮して「傍聴室はどちらですか」と聞くと、記者席に入れると案内してくださった。そちらの受付の女性の方が「写真撮影、まだ大丈夫ですよ」と早口で添えて下さった。荷物を席に置くや否や、前方に走り、マスコミ団の間隙をぬって、何とか、写真撮りの最後のⅠ~2分間に間に合った。
 ……前回から感じていることなのだが、河川局の職員さんたちは対立の構図にあらず、意外にも好意的な応接をしてくださるのだ。時代は動いている。
 
 帰途は眼前の清水門の構えにひかれて、久しぶりに北の丸公園から、竹橋通りに出た。パレスサイドビル内の毎日新聞社の中をウロチョロしていると、なんと、前橋支局にいられた役職の方とすれ違い、「あらっ」声をあげてしまった。こちらは即座にお名前でなかったが、幸い覚えていてくださった。こんなことってあるのかしらとうれしくなった。
 そして、東の方向に道なりに歩いていけば、国電の駅にぶつかるだろうと幾つかの地下鉄口をパスして歩を進めた。
 鉄柵にツル状の植物を這わせた、すばらしい出来栄えの植栽美の建物に行きついた。経団連の巨大ビルであった。これはいつかガーデニング関係の講演で、スライド上映されていた見本的な植え込みではなかったかと閃いて、写真に収めようとして、後ずさりしたら、守衛さん風の方に、「ここでの写真撮影は禁止です」と阻止された。なんと歩道の色分けが境目となるそうで、そこは、「大手町合同庁舎3号館」であった。 なんで、写真撮影が悪いのか、解しかねたが、素直にしたがって経団連側の歩道に戻って高い鉄柵を映した、で、逆に、「大手町合同庁舎3号館」の標識もカメラに収めた。
 「合同庁舎3号館」なる名称にはなんて、幾ばくかの縁がある日だったのだろうか。  


Posted by やんばちゃん at 21:45Comments(0)八ッ場だより