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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年03月12日

大地震、交通難民に。原発もダムもヒ素も要らない!



【撮影14時49分52秒】  

 大変な災害が起きました。
 昨日11日、八ッ場ダム訴訟の東京高裁における14時~の第二回進行協議に参加した群馬勢や関係者のおそらく全員、地震の揺れ、そのあとの交通麻痺によって、自宅に戻れなかったのではないでしょうか。
 私ともう二人の男性も終了後、渋谷方面に用事があって、有楽町よりもひと駅、渋谷よりの新橋駅方向に向かって日比谷公園を横切っていました。
 そして、東京市政調査会などのある東京市政会館前に来た時、地震にあいました。
 最初は何だか自分だけおかしいのかなと思っているうちに、足元がすべるようで立っていられなくなって、まずAさんが「地震だ」と気がついて、三人ともパニックになって木にしがみついたり木立ちの下に避難した次第。
 ちょうど、たぶん都内の避難場所となっているであろう、日比谷公園だったのが運が良かったと喜びあい、「地下鉄に乗らなくてよかったね」と、先ほど地下鉄口で別れた人たちの無事、それから対立構図にはあるけれど、まだ高裁周辺にいるであろう群馬県の県職員さんたちの無事も祈った次第。
 道前の冒頭に掲げた写真の高層ビルが、右に左にゆらりゆらりとしています。
 後に震度5との発表されましたが、地震の少ない群馬に育った者には初めての恐ろしい経験でした。一瞬の間に、大風が吹いて風にとばされるようなすばやい衝撃に目をみはるばかりでした。思わず、皆で、「これ、7くらい行くよね。関東大震災なみだよね」と知らない者同士で口ばしってました。ですから「震度7、マグニュチュード8,8」ってどんな恐ろしさだったことでしょう。


 この3秒前の49分48秒の時に撮った、写真の車(奥の青い乗用車。手前の白いはパニックの中であったことも覚えていない)は浮かびあがったり木の葉のように前後ろに揺れ動いてました。
 なんと手前の大きな門柱が、台座から真っ二つに折れ、落ちると思った瞬間、また元に戻ったことに3人とも驚ろかされました。しかし、あれはもう割れているのだから後で危ないだろうなと気がかりでしたので、少し落ち着いてから点検にみえた方たちに伝えておきました。
 写真の地面はザックリと割れ、また写真のように戻りましたが、亀裂の内部を見ていたAさんは怖々と「おっかねぇ」と震えていました。そのうちに四方周辺の建物から、一様におびえた表情で道や空間に人があふれ出してきました。何かの祝賀会らしい和服姿の方たちもいました。
 真昼の恐怖にみな、おののいています。
 五月に東京市政調査会のシンポジウムに招かれたときに、補修工事に入ると聞いていたこの建物の正面玄関の地面には数々の亀裂が入っています。
 近場のNTTの高い塔もゆらりゆらり。用心よくおそろいの白いヘルメットを冠ったオフィス街の若い男性職員たちもおびえてました。年若い女性に問うと、会社単位で用意してあるとのこと。「怖くて、もう職場に戻れない」と言ってました。 
    よもや、不通になろうとは 
 ともかく、予定変更して、上野駅に直行することに。
 線路沿いに約10㌔の道を歩き出しました。また、別の白いヘルメットをかむっている集団にお会いしました。ほとんど手ぶらでしたが、15時ちょっとすぎ、もう、帰途につかれるのでしょうか。
 ガード下の喫茶店ではカップ類がメチャクチャで「商売にならず、店は締める」と女性の方が嘆いてました。このあたりで九段会館での事故をしりました。
 どの国電の駅前も人でいっぱい。東京駅に近づくと、さらに増し、駅頭のタクシーは長蛇も長蛇の列。もちろん、駅構内には入れません。
 そして、突き進み、御徒町のアメ横商店街。アメ横のガード寄りの商店は電気がともっていて強気でしたが、反対側の商店は軒並み、停電。で、生ものをかなり見切ったのでした。
 この頃まで、私たちの誰も、ほどなく少なくとも夕刻までには、JR線は復旧するものと思い込んでいて、気持ちに余裕がありました。で、「店をしめるんだから投げるよ」との店員に執拗に薦められるままに、格安の見切り商品を買い込んでしまったのでした。早々と店しまいした店の店員の中には「地震とともに停電しちまったよ」。続いてある店の店員さんは「今日は電車は動かしゃしねぇよ」と投げ捨てるように言いもしましたが、それでも私たちはまだ危機感をもちませんでした。今にして思えば、おそらく、この店員さんは震源地の東北地方の全容をニュースで知っていられたのでしょう。また、さらに今にして思えば、アメ横には東北地方出身の方が多いと聞いてます。で、故郷の不幸にやりきれなかったのかもしれません。
        
 上野駅で、「余震が続いています。復旧の見込みはたちません」とのアナウンスが繰り返し続き、ほどなく「シャッターを閉めますので、駅外に出てください」と言われるに及び、ことの大きさに愕然。
 でも、まだ東北地方の惨状の全体は、情報手段が何一つないのですから、わかりませんでした。
 道々、携帯電話はつながらず、台数の減った公衆電話には長蛇の列。ようやくつながったAさんやBさん宅の奥さんの示唆にもとづき、どこかに泊まることが課題なり、駅周辺のホテルをさがしましたが、既に「満員お断り」の貼り札。
 ついで、先ほどまでは無視していた、誰も泊まった経験のないカプセルホテルをターゲットに探し出しました。しかし、もうここも軒並みダメ。ますます馴染みのない夜通し開いているらしいカフェも、どこももう若い方で満杯。
 ようやく、無理はないことに一同気がついた次第。先刻、疲れきって立ち寄ったコーヒーショップの表を続々と駅に向かう人のまるで民族大移動のような列があったからでした。
 あのおびただしい人たちが、駅まで行って、JRストップの現実の前に何らかの方策を取るにきまっていたからなのでした。
 タクシー乗り場の長い長い列にも合点。
 結論として、ことにあたってムリではあるが、、①然るべき筋に正確な状況を聞く ②なるべく早く方向性を決め  ③迅速に動くこと
 なお、必ず、公的な動きもあるでしょうから、自治体や警官などに伺うのが良策でしょう。

     交通難民の悲哀 
 そして、同じ交通難民の若者グループの後をついて、地下鉄駅に。ここにはブルーシートが敷いてありました。
 食事をとったり暖を取るためのアルコール類をもとめて男性陣が繰り出した後、私は思わずそこに座らせてもらって、席順とり。Bさんが閉まりかけた売店で夕刊を三部買ってくださり、それをお尻に敷きました。
 しかし、ここも21時すぎに、銀座線のみ開通とともに、撤去となってしまいました。二人が居酒屋のテレビで仕入れてきた情報に台東区役所などで、交通難民の受け入れをしてくれる由。
 こうなっては、もうそこへ行くしかありません。銀座線に続いて、大江戸線も開通したらしいのですが、渋谷や新宿に行ってもその先がどうなるか、わかりません。
 で、婦人警官に問うと、親切に調べてくださり、文化会館と区役所でやっているとのこと。上野駅公園口の近くの゜東京文化会館はJRがしまっているから回り道になるけれど近いとのこと。


東京文化会館で寒さをしのがせて戴き、感謝 
 で、そこへ。すでに一階も二階も満席、観客席の椅子席は空席などなく、あちこちにごろ寝の方たち。ほどなく修学旅行生の一行が宿がとれたらしく立ちあがったので、その空間へ。ほどなく、ソファの一つがうまく取れたので、そこへご年配のBさんに座って貰って、その椅子の周りに群がってひと安心。
 そして、家族にもようやくつながり、姪の無事もわかって、さらに安心。
 23時すぎ、交通情報のメモを会館の職員さんが配ってくださいました。
 また、状況が変わり次第、アナウンスしてくださいました。本当にこれは助かりました。地下鉄は夜通し、動くとのこと。
 
 ようやく、落ち着きました。
 そして、ようやく、東北地方の大地震の実態に目が向き始めました・
 三台ほど設置された大型テレビに赤く映っている映像は何なのか、壁際の席のため、遠目には定かではなかったのでしたが、深夜すぎ、寝ぼけ眼でしたので時間は定かではありませんが、洗面所に行った折に、ロビーの通り道のテレビを近場で観て、おもわず近場の方に「あれ、火事ですか?」と問うと、「みたいですよ」とのことに、驚愕。
 すごいわ。未曾有の大災害。恐ろしい光景が夜通し、放送されてました。
 そして、2時半頃だったでしょうか。緊急地震予報で、震度5クラスのがまた起きた由。
 群馬でも震度3とかでおちつきませんでした。もっとも早く連絡のとれたBさん宅では、書棚の本が落ちたらしいし、ようやく携帯がつながった実家では、店の棚から酒びん10本が落ちて、壊れたとか。
 わが家の内部もむ押してしるべし。たぶん、食器棚のものがめちゃめちゃかもしれないなと思いましたが、宮城などの被災地の方の悲劇の災害に比べれば……
 この頃には当方の携帯にも、防災予報が入るようになってました。
 さらに連続して4時頃までに2度あったでしょうか。そして、JRの復旧は立たないとのこと。
 すでに、12日。有り金はたいて青春18切符を求めたのに11日分は役立たず、かえって割高になってしまいました。それでも、そんな瑣末なことを言っていられる余裕を感謝せざるをえません。

  車で、無事、群馬へ 
 さて、4時。Aさんが何度めかの対策を練ってくださって、幸い大江戸線と西武池袋線は動いているから、池袋方面にお嬢さんのところに行けば車がある。それに載って帰ろうとの昨夜来からの提案の実行を打ち出してくださいました。
 お気の毒に4時に電話をかけられたお嬢さんたちも、昨夜の帰宅は、中央線が動かないために渋谷方面からの帰宅も難儀をきわめて3時頃で、まだ一睡もしてないらしかったようです。
 そこで4時半、文化会館を後に。一階では職員さんたちが、水のサービスをしてくださっていました。この方たちもおそらく、帰宅もなさらず寝ずの接待だったのでしょう。本当に感謝です。
 3回ほど地下鉄をのりついで、国分寺へ。途中、また、手元の形態の振動音がして、また余震。今度は神奈川県とか。ほどなく、Aさん宅から、Aさんの携帯に「JRが7時頃から再開」 との知らせが入りましたが、あの人数が押しかけるのだから、たぶん、スムースにはいかないだろうし、今朝も余震があったのだから……、きっと私たちの方がはやいだろうねと。
 車をお借りして、ほとんど眠られていないAさんの運転で出発。ガソリンスタンドで関越の状況を聞くと、「月夜野までは大丈夫ですよ」と。
 陸上自衛隊・第10師団 三重県の自衛隊の災害支援部隊が何台も関越を走ってました。「たぶん、長野県への支援だろうな」と語りつつ、あんな戦闘訓練など要らないけれど、初めて、こういう時に専門の用具をもっている自衛隊は役立ち、初めてありがたいものと思いました。
 おかげさまで、高崎インターに9時55分着。
 本当に、Aさん、Bさん、ありがとうございました。C弁護士さんたちや、同じ県民である県職員さんたちも無事にお帰りになられたでしょうか。
 
   危険な原発もダムもヒ素も要らない 
 本日は福島第一原発の問題がクローズアップされています。
  それにしても、八ッ場ダムなんか造ったら、どうするのか。ダム湖は地震を誘発するし、近場には活火山の浅間山がある。もし、起きたらものすごい致死量を超えるヒ素が、品木ダムにはあるんですよ。
 福島原発爆発の怖さに匹敵する災害となります!!
 イタリアのバイオントダムの悲劇の先例もあるし、東北災害の本日のニュースにも上流のダムの決壊とかのニュースも流れているじゃないですか。 「疑わしきは罰せず」の大原則とおなじく、原発もダムもヒ素も要らない!!

 思えば、ここ何年間も「原発要らない!」と原発反対関係の市民運動は原発の危険性を訴え続けてきました。それに対して、東電はあくまでも「安全神話」を言い続けました。結託していた前政権はさまざまな迫害を加えてきました。前橋出身の科学者、故・高木仁三郎さんは生涯を原発阻止にかけ、脱原発の夜明けを前にして、この世を去られました。
 でも、数々の先駆的な皆さんが、指摘した恐れが現実問題になりました。
 八ッ場も同じ轍をふみ、私たちの指摘が現実とならないことを祈りつつ、ダムを造りたい皆さん、目覚めてくださいと申し上げざるをえません。
  


Posted by やんばちゃん at 15:53Comments(2)東日本大震災関連