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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年03月27日

人跡ない解体跡地に咲く花たち

 3/27 その二



 かろうじて間に合った、八ッ場の川原湯温泉周辺の古い集落の先祖代々住んできた、A君宅の解体作業の最終場面です。奥に二件のお宅がみえますが、すでに無人とのことです。
 画面奥、高い所で左右に横切っているのは、二号橋です。二号橋の閉合式、ついで国交大臣視察の折には、この一角の集落は上から俯瞰でき、これら家も写真に撮れました。
 なお、29日に予定されていた「開通式」は延期になったと、夕暮れ時にお会いしていた方に伺いました。林側のほんなわずかな区間がまだ未舗装なのですが、資材が届かないのだそうです。

 そして、解体作業もあらかた済んで、最後の掃除の段階のようでした。解体業者さんが、コンクリートの礎石で区切られた部屋の土間のゴミも掃き集めていました。その上には今があり、だいどころがあったはずでした。土についた竹ほうきの後が今も目に浮かびます。
 
 辞して歩を進めますと、当たり一帯には、かなりの家々の土台のみが残った、ダダっ広い空間が広がっています。比較的手づかずの地域でしたが、ここへきて、年明け後に急に解体が進んだように思います。野原とかした家並みの奥に突き進むと、まだ解体済み直後の風景のように見えるお宅の前庭には、いずれ、移植されるのでしょうが、見事な築山がまだ残っていました。
 ほとんどのお宅のそここに、スイゼンのつぼみが膨らんでます。中にはクロッカスやチューリップの類までがあり、けなげにも開花寸前の膨らみようでした。でも、いくら咲いても今年の春は、かつての持ち主さんにもしばらくは見てもらえることもなく、ひっそりと咲いて散るのでしょう。この小道を通る村人は、もうほとんどおりません。
 なお、本日、現地へのあるお宅への電話をかけた際、出てきた話によれば、(どこの地域かはしりませんが)、中には移転していく際に複数の猫をおいていってしまった家があり、仕方なくエサをあげてきているとのこと。「かわいそうだがね」といいつつも、とっても困惑していました。これもモラルの問題ですが、哀れなのは、この寒かった冬の間、飼い主にすてられ細々と命をつないできた猫たちです。
 思うのは、被災地の犬や猫です。人間が逃げるにやっとの中で、どうなったでしょうか? とりわけ、鎖につながれたままの犬は…… 哀れでなりません。


 この上湯原地区一帯で、残っているお宅は、この区域の正式代替地として、目の前の山の中ほどに造成中の代替地に移ることを希望されている、二軒のみとなりました。まだ、二年くらいたたないと住めるようにはならないそうです。先にも記しましたが、結局、このA君の家でも、待ちきれなくて下流に移転することになったようでした。
 昨年末、初めて、道路反対の自宅前で畑仕事をしていられたDさん宅の奥さんと言葉を交わした際に、「隣もその隣も越しちゃってから荒地になって草ぼうぼうでしょ。イノシシがそこまで出てきて、夜は表にでるのが怖いですよ」とおっしゃってました。 高々150mほどのお風呂にも車で行かざるを得ないとのことでした。
 お風呂を挟んで反対方向にあるもう一軒のEさん宅とはちょっと距離があり、点在するこの二軒だけで、部外者は入れない共同浴場、「不動の湯」の管理をすることになってしまったようです。
 Eさんは、「今に残るんは、俺ん家ともう一軒だけだとさ。村の中のことなんかやっていけなくなっちやうよ」と嘆いていましたっけ。  


Posted by やんばちゃん at 19:02Comments(0)八ッ場だより

2011年03月27日

その名も哀し、川原湯温泉

 3/27 その一



 久々に訪れた、カザハナ舞う八ツ場でした。
 何ともいえない寂しさをかぎとりました。それは人家が次々と消え、土台のみ残る褐色の風景の面積が増していくからです。人も寂しければ、自然界もまた、寂しいのでしょう。雑木の一つにも命があものと思います。

 結局、なにやかやと例によって出がけに手間取って、八ッ場入りしたのは午後になってしまってました。急ぎの打ち合わせの用件を済まし、駆け付けた連絡をくれたA君宅は、(後述しますが)既に最終の後片付けに入ってました。

 「それではまた、どこかでね」と挨拶をかわし辞しかけた背にむかって、A君が「川原湯じゃ、高田屋さんが解体に入りましたよ」と教えてくれました。
 で、写真は次に訪れた川原湯温泉街の高田屋さんの解体風景です。正面の屋号も心なしゆがんでました。この日は作業はお休みでした。ここに川原湯の代表的な三つの老舗旅館がありました。 
 前回訪れた時は、写真手前の「敬業館みよしや」さんの解体仕上げ段階でした。1月20日に訪れた頃が、解体のごく初期段階でした。訪れるたびに進んでしまって、無残でなりませんでした。
 前々回は業者さんにお断りして、「立ち入り禁止」の中に入らせて戴いて、浴槽のみでしたが、写真に撮らせて戴きました。
 「ここは有名だっんかい」」と問われて、「ええ、若山牧水なとが泊まって」と概要をお伝えしたものでした。
 地上3階建のコンクリート壁がとり払われたので、王湯から続く各旅館の玄関口と反対側の斜面からの景観を初めて目にいたしました王湯は表からの見た目よりも、斜面にたっているので、地下に二階建て風に伸びていて結構大きく、その大きさに、それが王湯なのだとは、一瞬わからず、露天風呂への渡り廊下をみて理解できたほどでした。
 駅を背にして右側の家並み、吾妻川に面する川原湯温泉の旅館はほとんどがこのような造りなのでした。位置的に当然のことでしたが、木立ちごしに吾妻川、JR線がみえ、対岸の川原畑ちくが迫ってみえたものでした。
  
 高田屋さんの解体の後は、隣接する、川原湯温泉最大手で100人収容できた柏屋さんの解体にはいるようです。
 湯かけ祭りの朝、柏さんの大旦那が、「はぁ、川原湯はぶっつぶれたい」とだみ声ではきすてるように語ってくださったのが、切なく耳元によみがえります。代替地に移ったとて、先々の不安はいっぱい横たわっています。
 「でも、皆さん、代替地での心機一転に燃えていらっしゃるのですから」と思わず、添えますと「燃えているもんなんか、いやねぇよ」と去ってしまわれまました。
 この日、柏屋さんの庭先をすすんだ「立ち入り禁止」のロープ゜の前に、以前、本欄でも写真でご紹介した黒い板に「敬業館みよしや」と独特の書体で記された看板板が、ひきちぎられるようにとりはずされ、ゴミの魔の上に置かれていました。あたかも、柏さんのおっしゃった、川原湯温泉の終焉をものがたり、老舗旅館中の旅館の末路の哀れさをよりかもしてしまっていました。

 これも、原発と同じく、「国策」の犠牲です。
 およそ85年前、川原湯温泉に魅せられて記した牧水の「この渓の水が枯れたなら、悲惨なことに」との予言が、静かな静かに的中しつつあります。
 で、本日の表題は、「牧水さん、あなたの予言通りになってしまいましたね。これもまた人災ですよね」と心中、思いつつ、牧水の暮坂峠の碑にちなんでみた次第です。
 ともかく、短い時間とどまっただけなのに、オバさんの胸にはおさまりきれない変化への寂寥感と報告事項を抱きつつ、小雪の舞う八ッ場から帰ってきました。

 ※まだまだ記したいこと、いっぱいあるのですが、本日は区の総会。会計監査報告があるので送れるわけには行きませんので…… 牧水の言葉など原典通りではないことをお断りしておきます。
 
  


Posted by やんばちゃん at 08:55Comments(0)八ッ場だより