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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年11月26日

“国交省ご用達”の専門家たちあり



 【強酸性土壌のためコンクリートが褐色になっていた空恐ろしい場所に続く、付替え国道です。画面左手にカーブし迂回させられている場所で、この工事が終了すれば、直線になる由。けれど、ホントウに安全性は大丈夫なのでしょうか。元々どうしようもなく脆弱な土地。今後も追加工事は後をたたないものと思います。どこまで、この国はこの“金食いダム”への資金が続けられるでしょうか】


 さて、どうして、国はホントウのことをいわないのでしょう。
 そして、水没地の方たちは「国交省がちゃんと“専門家”に調べさせて、安全だと言っているから、大丈夫なんだ。勝手にアンタ方が騒いでいるだけで、迷惑だ」とおっしゃられ、「余分なことをするな」とおっしゃられます。
 それはそうなんです。
 その専門家、いわゆる「御用学者」たちばっかりで、それ以外のホントウのことを言う、中村さんのような身銭をきって研究をしてこられた学者は絶対に使わないからです。さらに企業もおなじみのファミリー的金太郎飴。
“国交省ご用達”の栄誉と研究費が欲しい学者たちや、仕事が欲しい企業が、どうして「ダムに不向きな土地」なんて、いうでしょうか。だって、難色を示せば、次から仕事がきませんもの……ね。

 23日の見学に先立ち、見学場所の周辺のお宅、どなたのお宅だかも知らずにお声をかけました。ホントウは事前に一日費やして、オルグ的にご案内行脚にあるきたかったのでしたが、ついにいけませんでした。
 偶然、二軒ともなんらかの形で、一応は存知あげている方のお宅でした。12年間も通っていれば、水没地内だったら、大体はお顔やお仕事もわかるというものです。もちろん、逆に相手の方からも、いかに迷惑オンナかも。
 ここで、かなりの罵倒をうけました。
 12年間、通い続けて、このように感情まるだしに言われたのは初めての体験でした。

 一軒目のお宅では、戸主の方から、「今日は地質の専門家の方が案内してくださいますので、すぐ後ろですので」と言った当方の言葉尻をとらえて、「専門家なら、いっぺぇいらあ。あぶねぇかどうかなんか、国交省の専門家がちゃんと、調べてあらぁ。……アンタも専門家だいな」と。はい、ありがとうございます。専門家にしていただいて、さしづめ、ダム反対運動の専門家でしょうか。一言いわれれば、三言くらいは返す悪癖のこのオバさん、自営業のこの方に「専門家というなら、お宅さまも、〇〇( ※職業名)のご専門家ですよね」と。
 最後にみまわったのは「アンタもそのうちに死ぬよ」と唐突的な言葉が……
 しかし、さすがに「ハイ、お宅さまも」の言葉はこらえてつつしみました。
 この言葉の出所は、恐らく、去る6日の意見聴取の場で、原稿なしにおもいつくままに口をつく言葉でまくしたてていたいた過程で、「こんなに申し上げても判っていただけない。……決して、天変地異を望むのではないけれど、私たちがいっていることがホントウだということを見届けたい気持ちにもなります。そのために、初めて長生きしたい気持ちにもなってきますよ」と、下世話な長生きと言う言葉を使ってしまったのでした。この、今でも悔いる月並みな単語が、もしかしたら流布してこのあたりでも、嘲笑の対象になっているのかも知れないなと思ってます。

  二軒目のお宅では、戸主の方はお顔をぞんじあげていることもあって、穏やかに「悪いけれど、関心がないから」とさりげなく。そこへ出てこられた初めてお目にかかる女性陣に、目をつりあげられてのお叱りをうけました。
 まず夫人らしき方か゜「余分なことはしてほしくないですよ。いまさら、ここまでできたものをどうするんですか!! 大きなお世話です!!」と敵意のまなざしで。
 そこへお嫁さんだか、娘さんたか存じ上げないけれど、子供さんがまとわりつかせながら、若い女性の方も出てこられたので、つい、この世代の方にはご理解いただけるものと思って、「子供さんをお持ちの方たちに、ぜひご覧戴きたいんです」といいかけたら、「じゃあ、そんなに何年も来ているんなら、ここに住めばいじゃないですか!! 自分じゃ住まなくて」と。 
  黙って引き下がればいいけれど、「……住みたいけれど、あのう私、こんな風に遊んでばかりいるものですから、とても、こんな高額な土地は買えないでんすよ」と添えると、「私たちだって、余裕があるわけじゃないですよ」とさらに、甲高く。
 「どうも失礼いたしました」と辞去しましたけれど、玄関先での大人たちのやり取りもしらずに、居間の窓越しに無邪気に手を降ってくれた、子供さんたちの姿が忘れられません。
 ※上記は記憶に基づくものですので、一字一句がそのままの言葉そのものではありませんことをお断りさせて戴きます

 12年間、通って初めて体験した“罵声”でした。
 それだけ、事態がさしせまっているということでしょうか。むしろ、それだけ不安感があるということでしょうか。そして、代替地の生活も決してバラ色ではないということなのでしょうか。
 人間て、すへてに余裕のある時は、言葉も柔らかく余裕にみちていますものね。
  
  でも、ここまでいためつけられてもどうして、前政権のインチキ構造のカラクリがわからないのでしょうか。
 三年ほど前、町行政との話し合いの席で、「どうして、こんなに約束反故や遅々として進まないのに、皆さんお怒りになられないですか?」と思わず、申し上げたことがありました。
 この時も、「大きなお世話」といわれましたけれど……
 

 ああ、戦争中と同じですね。
 真実を現実を知らされていないということは哀れなことです。
 でもいつの時代も最も賢明なのは民衆。この町の住民の皆さんのはずですので、信じてお待ちいたしましょう。

 何ゆえに、中村さんはじめ、本当に真剣に訴えつづけているのか、それはあってはならないことを想定して、何とか阻止したい必死の思いでお伝えしているのですが、民衆の敵はまた、同じ民衆あることは、連綿とつづく、普遍の構図でもあるのです。情けないことに。  


Posted by やんばちゃん at 06:13Comments(1)八ッ場だより