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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年03月22日

ほぼ完成の新川原湯温泉駅

新川原湯温泉駅 


 前回、現行のJR線の廃止のことを記しましたので、去る12日の新川原湯温泉駅舎の進捗状況を。
 夕暮れ時になってしまって、急いでシャッータ―を押したら、全景がとれなかったので、建物左手部分からとったものですが、その建物上には「川原湯温泉駅」の看板の文字があり、ちっょとぎょっとしました。「あぁ、完成してしまったか」と。建物にむかって左手のここが入口のようです。



ホームもほぼ完成のようでした。  


Posted by やんばちゃん at 21:12Comments(0)八ッ場だより

2014年03月22日

定着してしまった感の?「八ッ場ダムの名称は、八ッ場沢」だけど……

八ッ場沢を走る電車


 写真の陸橋下の沢は、「八ッ場沢」。
 この「八ッ場沢が、八ッ場ダムの名前の由来となったのではないか」と記したのは、拙著が最初だったのではないかと思います。
 
 実は2004年12月4日に刊行した、拙著『八ッ場ダム 足で歩いた現地ルポ』に所収する前に、2002年時に郷土の出版社「あさを社」さんが、当時刊行していた「上州路」に、長野原町のルポを掲載させて戴いていたことがあったのでした。
 当時、「八ッ場ダムの八ッ場の名前の由来となったのは」と、かなり書籍類も読んだり、関係者に聞き廻ったことがありました。けれど、諸説があり、断定はできませんでした。
 土地のある古老の証言をもとに、私はまだ、未開発だった八ッ場沢にたたずみ、ダム堤のそばにあることから、確か「ここがそうではないかと想われる」と記した記憶があります(※後ほど確かめて、記載通りに書いておきますけれど)

 昨今では「ダムの名称となった、八ッ場沢」とか、「この沢がダムの名前の由来」となったとか、断定調で話されていますが……
 旧建設省がどの過程で、命名したのか、きちんと調べてみる必要性がありますね。

 この八ッ場沢の変貌ぶり。
 開発され?整備されつくした八ッ場沢。
 以前は飛沫の一つにも勢いがありました。
 当時の写真は白黒ではありますが、拙著に載っています(カラーで撮ってある古い写真を掲載したいのですが…… これまた膨大な写真量のなかから探し出す時間なしので、いずれの日にか)

 そして、この沢筋は、かろうじてダム堤の下方になりますので、どのような景観になるかわかりませんが、残ります。
 けれど、JR線レールは撤去されて、もう永遠に走れません。

   


Posted by やんばちゃん at 10:09Comments(0)八ッ場だより