2010年01月31日

毎日新聞・書評欄に拙著が

  拙著『新版 八ッ場ダムー計画に振り回された57年』が毎日新聞の書評欄にでました。
 今日は八ッ場へ行き、10時近くに帰宅。何気なくみた電話のそばに、FAXらしきものがあったので、手にしてびっくり、おもわず上ずってしまいました。
 それは版元の明石書店の社員の方が入れてくださった、本日の毎日新聞の書評欄の伊東光晴さんによる書評でした。大きさからいっても、書評欄の通常以上の行数があり、ひけをとらない分量なのでした。
 冒頭の何行かだけ読んで、思わず、まだお休みにならないであろういつもお世話になってる八ッ場のある方に電話して喜びを伝えました。そして、電話口で続く以下のあらましを読み上げながら自分でも一緒に拝読した次第です。
 評者の伊東さんは、著名な経済学者としか存じ上げない方なので、名もない拙著をこのように読み砕いてくださって批評してくださったことに感謝あるのみ。本当にうれしさがこみあげてきました。本人も気が付いていなかった鋭い洞察力に、さすがは最前線の知識文化人と、ただただ感嘆の呈です。
 最近は毎日新聞をとっていないので、紙面全体を確認できませんが、落ち着いて行を数えたら108行もありました。ちなみに朝日新聞・書評欄では通常本文は60行、写真や見出しがゆったりとってありますけれど……
 かつて15年間、作家の故・井上光晴さんの文学伝習所なるサークルで学びました。娘の荒野さんは現在、直木賞作家として活躍されています。明日、奥さんの郁子さんに電話して墓前に報告してもらおうかとさえ思います。
 かつて晩年の井上さん宅に、知人の映画「全身小説家」の監督夫婦ともに挨拶にあがったことがありましたが、試写会の段階で唖然とした次第です。もちこんだ責任上、伝習所から遠ざかって久しいのです。暮れに新版の拙著をお送りした際に、久しぶりに電話。「もう80歳になったのよ」という奥さんの声はあの頃と変わらなずとっても、張りがあって、早すぎてもったいなかった井上さんの分も長生きして欲しいと心底思いました。どうやら私は「光晴」さんと「郁子」さんに不思議なご縁があるようです。 
 当時、伝習生たちが、懇親会の席で「先生、伊東光晴は有名だけれど、井上光晴は知っている人が少ないよ」とか、「今に逆転し、作家・井上荒野さんのお父さんの光晴さんと呼ばれるようになる」などと何かにつけて、井上さんを揶揄して茶化していたのが思い出されます。
 そして、確かある大手出版社がある時、お二人の稿料明細書を間違えて送付。明細をみたら……の話をご自身で脚色して講義の余談に披露。私も複数回、聞いたのを覚えています。
 思えば毎月、複数の文芸誌に執筆していた井上さん宅に、月末近くに電話して奥さんに掲載誌や講演日程を伺い、苦心してワープロで打った簡易印刷した手づくり機関紙に載せ、全国300名を超えるサークル仲間に知らせるのが自発的に行っていた私の役目でした。当時は全て自費。よくぞ毎月の送料が出せたものと今との差に思い馳せます。ちなみに当時の給料の半分は電話代などに消えていた時代でした。
 とりわけ書評が掲載される曜日には、各紙をいち早く確認。井上さん宅に「〇〇新聞に出てました」と通報するのが、その当時の楽しみの任務の一つでした。

 そんなこんなしているうちに、先ほどお電話した八ッ場現地のお一人で電話嫌いのある方から、珍しく電話があって、「これからさ、コンビニへ行って買ってくるからさ」と、掲載誌の毎日新聞の確認なのでした。「よしてくださいよ。危ないですよ。何とかして後で送りますから」と申し上げましたが……、私の電話で眠りばなを起こされて寝つかれなくなったとの由。
 「日刊ゲンダイ」を車で約10分弱の長野原町で一軒のコンビニまで買いに行っている様子。で、9月末の私のコメントの時には数日後に、ことのついでにお伝えすると、「そんなん、俺ぁ、読んでらい」とにべもなく。でも、うれしさが言外に匂ってました。後日、最近は連日、買いに行っていることを伺った次第。この方は本当に我がことのように喜んでくれているのです。有り難いです。
 このように思いあふれた方たちに、守られ叱られ示唆されつつ、育てて戴いている過程で、時にこみ上げるものに突き動かされながら記させて戴いたのがこの本なのでした。
 メールをみましたら、運動筋のある方からも「載ってますよ」と、サイト名まで添付してメールを頂戴していました。本当に各種ダム情報にアンテナ張り巡らし、素早い対応ありがとうございます。
 
 書評一つで嬉しがるのは「器が小さい証拠」で見苦しいかもしれませんが、運動体筋から「ペラペラとめくったら良くない本」とのレッテルを張られて狭い道狭い道へと入りこんだ五年間の歳月を思うと、このように取り上げられたという事実、それだけでも心が膨らむのです。そして、「売れりゃ、いいけどなぁ」と願ってくださる方たちがいる。その方たちに少しでも朗報を伝えたい。
 実は本日、八ッ場へ行ったのは、東吾妻町のある本屋の社長さんから、暮れに委託でお願いした拙著が一昨日売れきれたとの連絡を戴き、お届けにあがったのでした。
 
 それゆえにこそ、伊東光晴様、八ッ場の皆様方、そして面映ゆくも「作家による」などと伊東光晴さんが冠してくださっているのに、小説入門以前の幼稚さだった私にも、何とか真実を見極める基礎力を養なってくださった、作家・井上光晴さんご夫妻、その他たくさんの方々、何よりも掲載してくださった毎日新聞さん、さらに版元の明石書店の皆さんなどもろもろの方に、心からお礼を申し上げたいのです。
 そして、無言のエールを送り続けてくれている、八ッ場の声なき祖霊たちに。消えて行った小動物や草木類にも。

 以下に伊東光晴さんの書評文を転載させて戴きます。
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【2010年1月31日(日)毎日新聞 書評欄】
今週の本棚:伊東光晴・評 『新版 八ッ場ダム』=鈴木郁子・著
 ◇『新版 八ッ場(やんば)ダム』
 (明石書店・2415円)

 ◇作家による「政治と金」の貴重な記録 

 政権交代は、群馬県の八ッ場ダムを黒四ダム以上に有名にした。それが、五年ほど前に出たこの本を新版として加筆出版させた。八ッ場ダムについての貴重な、そして唯一といってよい外部者による記録である。
 著者は、一九九九年十一月、関東の耶馬渓(やばけい)といわれている吾妻渓谷に遊んだ文人たちの足跡を調べるための取材で、この地がダム建設でゆれていることを知る。
 美しい自然に惹(ひ)かれ、ダム建設に翻弄(ほんろう)される人たちのもとに通いつづけ、反対運動にのめり込みながら、書き、調べ、記録していく。小説を書く人ゆえの文章が、この地からの情感を読む者に伝えてくれるのがよい。
 特記すべきことが幾つかある。第一は、住民に対する補償基準の提示額、妥結額が表となって示されていることである。宅地は一級から六級まで、それぞれがいくらか。雑種地は、田は、畑は。山林は一級から四級、保安林は、原野も。部外秘のこうしたものは、研究者でも入手が難しい。なぜ入手できたのか。売却を余儀なくされた人が、わざと捨てて著者に拾わせたものだという。全二四ページ、その一部が記されている。補償は家はもちろん、井戸、立木一本一本について行なわれることは知っていたが、こうした資料が外に出たのは、私の知るかぎりはじめてである。

 第二は「ダム屋」に言及していることである。ダム予定地に補償目当てで家を建て、交渉に当たる連中である。もちろんその背後には政治家の影がある。八ッ場ダムでは著者が確認したのが四一戸あり、五〇軒ともいわれている。この本では、その背後関係をぼやかして書いているが、必ず土建業者と地方政治家がいる。鳩山政権はここにメスを入れるべきであろう。
 「ダム補償」の研究について著書がある故華山謙・東工大教授によると、この「ダム屋」は、目ぼしいダムには必ずあらわれるという。

 第三は、公共事業を受注した業者が、自民党地方支部へ献金していることに言及していることである。ただしこれは、毎日新聞の福岡賢正記者の『国が川を壊す理由(わけ)』(葦書房)--熊本の川辺川ダムについてのものからの引用である。福岡さんの本を読むと、自民党の地方政治家がなぜ公共事業誘致に熱心なのかがわかる。受注した土木工事費の〇・一%(国と県の事業)、市町村のそれは〇・〇五%が自民党の地方支部に寄付される等々である。強度の酸性の水が流れこみ、水道用のダムとして不適とされた八ッ場ダムなのに、上流にこれを中和するダムまでつくり、建設を進めようとした理由のひとつがここにある。

 八ッ場ダム建設のための調査が行なわれたのは一九五二年で、この年建設省から町長あてに通知が届き、町長が反対陳情に動く。福田赳夫がダム推進であったことから、反対派は中曽根(康弘)派になり、集団入党するが、やがて説得されてゆく。そして五四年、熱烈な福田派である桜井武町長が当選し、五期二〇年をつとめる。

 この本の巻末にある「関連年表」は、この最初の調査から政権交代後の動きまで丹念に追って貴重である。福田と中曽根の対立がからみあい、いったん反対派が総力をあげて推した樋田富次郎氏が町長になり(七四年)、四期つとめたが、力と金で敗退してゆく過程が読みとれる。
 著者はこの本の最後で、生活がかかっている水没者と、反対を叫ぶ市民運動との意識のずれにも言及している。
(毎日新聞 2010年1月31日 東京朝刊)


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Posted by やんばちゃん at 23:40│Comments(0)報告
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