2012年03月19日
林地区の「林すみやきの里」
何の写真か、おわかりでしょうか?
グリーンのネットにはいっているのは、炭です。
長野原町の葉やと地区の皆さんが焼いている炭です。
11日の脱原発の私たちのブースでも、ご飯などにいれてたく竹炭と木酢液を売らせてもらいました。
竹炭は一袋 200円
木酢駅は 250円
目下、家の改装中なのですが、床下に炭をまくと良いとのことに求めたものです。
ここ数年来、親族などからの要望で、折に触れては購入してきたのでした。
床下にまくのですから、本当はクズ炭でいいのですが、それは会員の皆さんが畑用に持ち帰るとのことでなし。
そんなわけで、いざ自宅の番になったら、皮肉にもすみやきの里の製品の中でも、最も高額の特上のものになってしまいました。しかも、6㌔入りを10㌔入りと勘違いして…… 中には5㌔しか入ってないのもあって、後日、電話で「あれ、本当は何キロ入りなの?」と窓口のAさんに聞いて判明。Aさん曰く。「俺もおかしいと思ったよ。気前よく買ってくれたからさ」と。何事もアバウトなご正確なこの方の口癖は「俺んちのは高えんだよ。仕方ねぇんだよ。安いのがよけりゃ、スーパーで買いなよ」なのです。
ただ一つ、利点は震災前のの製品で、放射能を浴びていないとのことでした。
これを床下に写真のように撒きました。袋がパンパンなので、三分の二位を直まきにし、残りをネットのまま、あちこちに置きました。
大工さんが、新しい下地の格子板を張ってからでも大丈夫だというので、安心していましたら、なんとこの幅では胸がつかえて床下に入れず、やっとはいっても今度は身動きがとれず、仕方なく腹ばいになってはみても、若い日と違って身体の柔軟性がないので苦労しました。しかも、朝、大工さんが来てから、作業を待ってもらってからの大急ぎの時間だったので、それは汗を流しての仕事でした。慌てるとパニックになってしまう性質。……格子状の枡の縦長に対して入ろうとしたけれど、逆に横状にしたら入れたものだったろうか?
次に行う奥の部屋の時に、試みてみましようか。それにしても、とんだアクロバットで、身体のあちこちが未だに不調です。
……自分が生きている限り、二度とお目にかかれない床下と炭たちの行方かと思うと、感無量の物がありました。
思えば、拙宅は親が建てた家で、20年前の水まわり等の一部改装部分を除き、奥の部屋の床下を見るのは初めて。
これまで、親族たちの一連の新築現場の、床下の木の端を、夕方職人さんが帰った後、拾い出したのはほとんど私の役目で、新築7回、拙宅の改装と計8回の体験があります。
わが親たちも丁寧に木っ端を拾ってありました。元のわが家は違う場所にあり、晩年、リューマチになってしまった手足の痛みに苦しんでいたい亡き母が、ここまで小走りに走ってきて、せわしなく拾ったのであろうことが偲ばれて、これまた感無量のものが走りました。
さらに翌朝、まだ入れる部分で、炭を書き散らしていたら、部屋の真ん中あたりに異質のものがみえたのでかきまわしてみたら、湯のみ茶碗がの欠けたのが出てきました。子供の頃にみなれた柿右衛門色の赤い、問屋さんの進物でもらったそれはありふれたものながら、わが家では来客用のものでした。
まだ鮮やかな赤さと切り口の新しさに、当時の建築の世界には、新しい茶碗を割って埋める、こんな風習があったのかしらと一瞬考えたりもしました。それとも単に職人さんが茶碗を欠いてしまったので、埋めたのだろうかと…… しかし、その場合、なぜ、晴れの新築の家にそんなことをするのかと。難儀してこの家をたてた両親の苦労を思うと、今の私の年よりも若くして程なく死んだ父、その5年後に死んだ母が偲ばれ、職人のモラルにちょぴり、怒りがわいてきもしました。
石に刻んだものと土にうめた瀬戸物は、こうして残るのですね。
記憶に残る、赤地に白いこの葉の図柄は、さらにまた瞼に残ってしまいました。
Posted by やんばちゃん at 20:25│Comments(0)
│八ッ場だより