2012年04月14日
樹にも人間と同じ運命あり
去る10日に「天狗杉」のある持ち山に案内してくだされた時のことです。
天狗松の周りにもいっぱい花材となる木の枯枝がおちていました。その一本の小ぶりなのも拾ってきました。
手前の植木鉢のは、昨年秋に小苗を植えた、わが家のワサビです。芽吹くにはめぶきましたけれど、Cさん宅のに比べて育ちがわるいです。何となく、同じ三つ子の姉妹ながら貰われていった者との運命の差があるように、植物にも「人間の運命」と同じ原理があるような面持ちです。でも、芽吹いてくれただけでも感動もの。
「これも切っちゃたんですか?」と作業していらした方に問いますと、「違うよ、倒れちゃったんだよ」とのことでした。
サラ地にしなければならないのですから、早晩、伐られる運命にはありましたけれど…… そして、たぶん、補償済みなのでしょうから…… とも想いましたが、つややかな緑が何とも哀れで、「枝、少し戴いていいですか」とお願いすると、「少しって言わねえで、全部もって行ってくんない。アハハ」と言われました。
で、2枝ばかり戴いてきました。
しかし、水につけ、時折り水を代えてあげただけくらいで、その後は改装準備のあわただしさに追われて、活ける心のゆとりも時間もありませんでした。未だにわが家の大甕には、お正月明けに投げ込んだ南天が入っている始末です。なんと4カ月近くもほうっておいたのですから、罪ですね。
それにしても、まだつややかな緑の葉を保ってくれています。 しかも、ちゃんと小さな松ボックリ状の実までついています。よくわかるように、しつこいようですが、家の中に入れたのも添えて見ます。
……あの柏屋さんの敷地に倒れたままだった大木の運命はどうなったでしょうか?
おそらく葉は枯れ果て、幹は刻まれて処分されてしまったことと思います。
ここにも人間運命と同じものを感じます。
Posted by やんばちゃん at 12:11│Comments(0)
│八ッ場だより