2014年10月20日
小渕優子辞任 観劇問題のバスは、やはり約50台だった
小渕優子経済産業相の辞任劇が特別体制で、報道中継されています。
その中で、観劇参加者は約1000人と伝えられてましたが、実際は2回、その倍の動員数だったことが明らかになり、ほっといたしました。
というのは、実は3年前の2011年12月21日付の本欄で、辞任の原因となった、明治座観劇問題について、以下のURLで記していたのでした。が、後援会の女性が語った通り「2日間にわたり、バス50台にて」と記してしまっていたからでした。
そして今月、確か4日頃、「週刊新潮」の記者から、小渕さんの観劇問題をおっていて、このブログを読んだとの突然の電話を戴きました。
ために、発売前日の15日にも連絡をもらっていたという経緯もありました。
http://s35.gunmablog.net/e211860.html
(二)開通式 地元女性たちとカワイイ優子ちゃん
http://s35.gunmablog.net/e211801.html
(一)ここでは未だ自民党国家健在なり 見よ、二世議員ばかり
前田大臣によって「八ッ場ダム建設継続」がもたらされた2011年12月22日。その2日前の20日「上信自動車道期成同盟会長」として、小渕衆議院議員も出席した上信道開通式の席で、地元後援会の女性たちから聴き、同年12月21日にブログに記していたのでした。
私は、前日午後から夜にかけて駆けずり回って集めた反対署名を、その夜のパブニングでついに帰宅できず、仕方なく川原湯温泉駅で車中泊していた経過があり、珍しく早目に会時用についたのでした。
この時の来賓たちには、「建設決定」の報は、ひそかに伝えられていたらしく、にこやか晴れ晴れしい雰囲気でした。
その陰で、来賓たちと一般参加者の、駐車場一つに始まっての歴然としたヒエラルキー的区別に腹がたっていたものでした。
で、(二)のブログは、土地を売却させられたり騒音になやまされてきた、本来ならばこの方たちこそ功労者の席に座るべきなのに、はるか離れた場所に固まって見守っていたのが目にとまり、思わず持ち前のおせっかいで日頃の信条に基づき「もっと前へいらしたら」と声をかけたのが発端でした。あの時、どういうわけか、この駄文ながら、詳述しておいて良かったです。何が、結びつくかわかりませんものね。
(一)のブログは、「二世議員」だらけの群馬選出議員について記したものでした。
ご承知のように、旧群馬3区、現在の群馬5区の選挙戦は並ではなく、その群馬5区の有権者の一人として、つぶさに見聞してまいりました。
私の家の近くに、高崎事務所があり、昨夜は深夜まで煌々と電気がともってました。
また、実際に観劇に参加した女性たちも身近におり、昨日あったイベントで地域の実際に具体的な証言も聴いてます。で、もしかしたら、「職員の使い込みかもね」との憶測も流れていました。
実は、裏付けをとってなかったので文章化はしなかったのでしたが、確か「お土産がすごいだ」との言葉も耳に残っています。ですが、当地の参加者にはお土産はなかったそうでした。
Posted by やんばちゃん at 11:32│Comments(0)
│八ッ場だより