2010年06月04日
市民運動出身・菅総理誕生
市民運動色の強い、管直人さんが総理になった。
何となく、前途がほの明るい。
新総理誕生のニュースと並び、6/4は天安門事件から、21年目になるとの報道が、朝からしきりに流れる。
その日、私はある賞の受賞をめぐって、ある新聞の夕刊の漫画の脇、社会面の半ページ、8段の大きな扱いで報道された。隣の半分は宇野総理の例の、パアフォーマンであった。
そして、天安門事件の報道が比重を増すにつれ、翌朝にかけて、当たり前だが私の記事は小さく割愛されていった。
忘れもしない1989年6月4日なのである。
何やかやと追われ続けてしまって、週明けから気にはなりながら、ようやく礼状を二通したためた。
けれど、結局、きょうも投函できないでいた。
4時半に起きて、敷地内のサンショウや黒竹を摘み取り、市場へ。
帰途、前々から農繁期にならない手薄野うちに頼もうと思っていたが、果たせなかった、クリーン作戦のトラクターがけを頼んでいる方が麦刈後の田にトラクターをかけているにであった。
「田植え前はムリをいえないけれど、一段落したらお願いします」頼んだら、即、おこしてくださるとのこと。
朝から、午後にかけての、てんやわんやの思わぬ農作業があった。午後はその後整理。
ここの処、連日の農作業で泥が抜けず、しみついた手は、それでも、いつい草を手むしりするから、泥がしみこんで、土色の手になってしまった。
そうこうしているうちに、予定がズレこんで、数日来心づもりしていた、夕刻からの東京への会の出席もあきらめた。お世話になった方の2回目の講座であった。前回も欠席。次はと申しあげてはあったが…… 不義理をしている。同時刻には、ダム関連の会もあった。しかし、この手では、電車の中で見られたら困るなとつくづく、右手の泥が喰いこんだ黒い手をみやる。
それにしても、最近、郵便事情が、極端に悪くなっている。
民営前なら、夜、10時前に高崎の本局に持って行けば、ほどなくの22時過ぎにでる東京便があって、間にあわせてくれて、23区内なら、翌日は普通便でも届いたものだ。
それが、民営化後のかなり前の20時頃、いつものように安心しきって持っていったら、現在は普通便の場合は夕方5時までとのこと。速達なら受けるというが、速達ではまずい相手先もあるというもの。
そんな中かろうじて、地元の郵便局は19時までなら翌日届くというので、最近は地元に持って行っていた。早く仕上げれば良いのに、癖が悪くてギリギリのヒトなのだ。
御蔭さまで原稿などは最近慣れたパソコンで、殆ど事足りる。メール便の方が安くて、すく゜後の実家で扱っているから、都合が良い。そんなわけで、最近は郵便局から遠ざかっている。
夕食事後、せっかくしあげたのだから、届くのは週明けになるけれど、出来れば消印だけでも、今日の方がよいと思い立った。例によって朝から次々と追われて、夕方はタイミング悪く、姉を高崎駅を送って行き、19時までの受付時間にまにあわなかった。
表のポストは夜中まで何度か、集荷すると聞いていた。だから安心して、その他の投函物も整理して、何通かまとめた。その間、念のた20時頃から、電話をかけて、最後は何時に開けるのか聞こうとした。ところが電話に出ないのだ。
そして、驚いた。
夜の10時なのだから、仕方ないとしても、建物の灯りはなし。職員用の出入り口には大きな鉄柵があった。以前だったら、夜半すぎでも煌々としていたし、この門扉が閉められていることはなかった。
「ええ」と思いながら、ポストの時間をみると、なんと19時が最終になっているではないか。
通常はうたい文句の、民営化なればサービス向上がもたらされるものと信じこまされてきたが、逆ではないか。
国鉄民営化直後には、事故が多発した。国労関係者に聞けば、事故が起きても無理はなかった。民営分割化に反対した国鉄マンには、見せしめのあの清算事業団なとの過酷な配置換えがもたらされたのだ。その間の現場の混乱や不具合ではムリからぬ現実があった。
仕事や組合活動に熱心だった、全逓の皆さんも、かつての国労の皆さん達のように、このように合理化の過程で、組合活動もまた、変化させられてしまうのだろう。
往きの郵便局への道々は、カーラジオの報道に、新首相への期待感で心が膨らんだものだが、帰途は、明日の消印なら、明日、昼間、他の所用を兼ねてで良かったし、配達の方に持って行ってもらえばすんだのだと、ガックリして帰ってきた。
早朝からの疲労感がどっと出てしまった。
せめて、市民運動出身、新タイプの菅総理に、ほのかな期待をするしかない。
何となく、前途がほの明るい。
新総理誕生のニュースと並び、6/4は天安門事件から、21年目になるとの報道が、朝からしきりに流れる。
その日、私はある賞の受賞をめぐって、ある新聞の夕刊の漫画の脇、社会面の半ページ、8段の大きな扱いで報道された。隣の半分は宇野総理の例の、パアフォーマンであった。
そして、天安門事件の報道が比重を増すにつれ、翌朝にかけて、当たり前だが私の記事は小さく割愛されていった。
忘れもしない1989年6月4日なのである。
何やかやと追われ続けてしまって、週明けから気にはなりながら、ようやく礼状を二通したためた。
けれど、結局、きょうも投函できないでいた。
4時半に起きて、敷地内のサンショウや黒竹を摘み取り、市場へ。
帰途、前々から農繁期にならない手薄野うちに頼もうと思っていたが、果たせなかった、クリーン作戦のトラクターがけを頼んでいる方が麦刈後の田にトラクターをかけているにであった。
「田植え前はムリをいえないけれど、一段落したらお願いします」頼んだら、即、おこしてくださるとのこと。
朝から、午後にかけての、てんやわんやの思わぬ農作業があった。午後はその後整理。
ここの処、連日の農作業で泥が抜けず、しみついた手は、それでも、いつい草を手むしりするから、泥がしみこんで、土色の手になってしまった。
そうこうしているうちに、予定がズレこんで、数日来心づもりしていた、夕刻からの東京への会の出席もあきらめた。お世話になった方の2回目の講座であった。前回も欠席。次はと申しあげてはあったが…… 不義理をしている。同時刻には、ダム関連の会もあった。しかし、この手では、電車の中で見られたら困るなとつくづく、右手の泥が喰いこんだ黒い手をみやる。
それにしても、最近、郵便事情が、極端に悪くなっている。
民営前なら、夜、10時前に高崎の本局に持って行けば、ほどなくの22時過ぎにでる東京便があって、間にあわせてくれて、23区内なら、翌日は普通便でも届いたものだ。
それが、民営化後のかなり前の20時頃、いつものように安心しきって持っていったら、現在は普通便の場合は夕方5時までとのこと。速達なら受けるというが、速達ではまずい相手先もあるというもの。
そんな中かろうじて、地元の郵便局は19時までなら翌日届くというので、最近は地元に持って行っていた。早く仕上げれば良いのに、癖が悪くてギリギリのヒトなのだ。
御蔭さまで原稿などは最近慣れたパソコンで、殆ど事足りる。メール便の方が安くて、すく゜後の実家で扱っているから、都合が良い。そんなわけで、最近は郵便局から遠ざかっている。
夕食事後、せっかくしあげたのだから、届くのは週明けになるけれど、出来れば消印だけでも、今日の方がよいと思い立った。例によって朝から次々と追われて、夕方はタイミング悪く、姉を高崎駅を送って行き、19時までの受付時間にまにあわなかった。
表のポストは夜中まで何度か、集荷すると聞いていた。だから安心して、その他の投函物も整理して、何通かまとめた。その間、念のた20時頃から、電話をかけて、最後は何時に開けるのか聞こうとした。ところが電話に出ないのだ。
そして、驚いた。
夜の10時なのだから、仕方ないとしても、建物の灯りはなし。職員用の出入り口には大きな鉄柵があった。以前だったら、夜半すぎでも煌々としていたし、この門扉が閉められていることはなかった。
「ええ」と思いながら、ポストの時間をみると、なんと19時が最終になっているではないか。
通常はうたい文句の、民営化なればサービス向上がもたらされるものと信じこまされてきたが、逆ではないか。
国鉄民営化直後には、事故が多発した。国労関係者に聞けば、事故が起きても無理はなかった。民営分割化に反対した国鉄マンには、見せしめのあの清算事業団なとの過酷な配置換えがもたらされたのだ。その間の現場の混乱や不具合ではムリからぬ現実があった。
仕事や組合活動に熱心だった、全逓の皆さんも、かつての国労の皆さん達のように、このように合理化の過程で、組合活動もまた、変化させられてしまうのだろう。
往きの郵便局への道々は、カーラジオの報道に、新首相への期待感で心が膨らんだものだが、帰途は、明日の消印なら、明日、昼間、他の所用を兼ねてで良かったし、配達の方に持って行ってもらえばすんだのだと、ガックリして帰ってきた。
早朝からの疲労感がどっと出てしまった。
せめて、市民運動出身、新タイプの菅総理に、ほのかな期待をするしかない。
Posted by やんばちゃん at 23:51│Comments(0)
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