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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年01月31日

毎日新聞・書評欄に拙著が

  拙著『新版 八ッ場ダムー計画に振り回された57年』が毎日新聞の書評欄にでました。
 今日は八ッ場へ行き、10時近くに帰宅。何気なくみた電話のそばに、FAXらしきものがあったので、手にしてびっくり、おもわず上ずってしまいました。
 それは版元の明石書店の社員の方が入れてくださった、本日の毎日新聞の書評欄の伊東光晴さんによる書評でした。大きさからいっても、書評欄の通常以上の行数があり、ひけをとらない分量なのでした。
 冒頭の何行かだけ読んで、思わず、まだお休みにならないであろういつもお世話になってる八ッ場のある方に電話して喜びを伝えました。そして、電話口で続く以下のあらましを読み上げながら自分でも一緒に拝読した次第です。
 評者の伊東さんは、著名な経済学者としか存じ上げない方なので、名もない拙著をこのように読み砕いてくださって批評してくださったことに感謝あるのみ。本当にうれしさがこみあげてきました。本人も気が付いていなかった鋭い洞察力に、さすがは最前線の知識文化人と、ただただ感嘆の呈です。
 最近は毎日新聞をとっていないので、紙面全体を確認できませんが、落ち着いて行を数えたら108行もありました。ちなみに朝日新聞・書評欄では通常本文は60行、写真や見出しがゆったりとってありますけれど……
 かつて15年間、作家の故・井上光晴さんの文学伝習所なるサークルで学びました。娘の荒野さんは現在、直木賞作家として活躍されています。明日、奥さんの郁子さんに電話して墓前に報告してもらおうかとさえ思います。
 かつて晩年の井上さん宅に、知人の映画「全身小説家」の監督夫婦ともに挨拶にあがったことがありましたが、試写会の段階で唖然とした次第です。もちこんだ責任上、伝習所から遠ざかって久しいのです。暮れに新版の拙著をお送りした際に、久しぶりに電話。「もう80歳になったのよ」という奥さんの声はあの頃と変わらなずとっても、張りがあって、早すぎてもったいなかった井上さんの分も長生きして欲しいと心底思いました。どうやら私は「光晴」さんと「郁子」さんに不思議なご縁があるようです。 
 当時、伝習生たちが、懇親会の席で「先生、伊東光晴は有名だけれど、井上光晴は知っている人が少ないよ」とか、「今に逆転し、作家・井上荒野さんのお父さんの光晴さんと呼ばれるようになる」などと何かにつけて、井上さんを揶揄して茶化していたのが思い出されます。
 そして、確かある大手出版社がある時、お二人の稿料明細書を間違えて送付。明細をみたら……の話をご自身で脚色して講義の余談に披露。私も複数回、聞いたのを覚えています。
 思えば毎月、複数の文芸誌に執筆していた井上さん宅に、月末近くに電話して奥さんに掲載誌や講演日程を伺い、苦心してワープロで打った簡易印刷した手づくり機関紙に載せ、全国300名を超えるサークル仲間に知らせるのが自発的に行っていた私の役目でした。当時は全て自費。よくぞ毎月の送料が出せたものと今との差に思い馳せます。ちなみに当時の給料の半分は電話代などに消えていた時代でした。
 とりわけ書評が掲載される曜日には、各紙をいち早く確認。井上さん宅に「〇〇新聞に出てました」と通報するのが、その当時の楽しみの任務の一つでした。

 そんなこんなしているうちに、先ほどお電話した八ッ場現地のお一人で電話嫌いのある方から、珍しく電話があって、「これからさ、コンビニへ行って買ってくるからさ」と、掲載誌の毎日新聞の確認なのでした。「よしてくださいよ。危ないですよ。何とかして後で送りますから」と申し上げましたが……、私の電話で眠りばなを起こされて寝つかれなくなったとの由。
 「日刊ゲンダイ」を車で約10分弱の長野原町で一軒のコンビニまで買いに行っている様子。で、9月末の私のコメントの時には数日後に、ことのついでにお伝えすると、「そんなん、俺ぁ、読んでらい」とにべもなく。でも、うれしさが言外に匂ってました。後日、最近は連日、買いに行っていることを伺った次第。この方は本当に我がことのように喜んでくれているのです。有り難いです。
 このように思いあふれた方たちに、守られ叱られ示唆されつつ、育てて戴いている過程で、時にこみ上げるものに突き動かされながら記させて戴いたのがこの本なのでした。
 メールをみましたら、運動筋のある方からも「載ってますよ」と、サイト名まで添付してメールを頂戴していました。本当に各種ダム情報にアンテナ張り巡らし、素早い対応ありがとうございます。
 
 書評一つで嬉しがるのは「器が小さい証拠」で見苦しいかもしれませんが、運動体筋から「ペラペラとめくったら良くない本」とのレッテルを張られて狭い道狭い道へと入りこんだ五年間の歳月を思うと、このように取り上げられたという事実、それだけでも心が膨らむのです。そして、「売れりゃ、いいけどなぁ」と願ってくださる方たちがいる。その方たちに少しでも朗報を伝えたい。
 実は本日、八ッ場へ行ったのは、東吾妻町のある本屋の社長さんから、暮れに委託でお願いした拙著が一昨日売れきれたとの連絡を戴き、お届けにあがったのでした。
 
 それゆえにこそ、伊東光晴様、八ッ場の皆様方、そして面映ゆくも「作家による」などと伊東光晴さんが冠してくださっているのに、小説入門以前の幼稚さだった私にも、何とか真実を見極める基礎力を養なってくださった、作家・井上光晴さんご夫妻、その他たくさんの方々、何よりも掲載してくださった毎日新聞さん、さらに版元の明石書店の皆さんなどもろもろの方に、心からお礼を申し上げたいのです。
 そして、無言のエールを送り続けてくれている、八ッ場の声なき祖霊たちに。消えて行った小動物や草木類にも。

 以下に伊東光晴さんの書評文を転載させて戴きます。
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【2010年1月31日(日)毎日新聞 書評欄】
今週の本棚:伊東光晴・評 『新版 八ッ場ダム』=鈴木郁子・著
 ◇『新版 八ッ場(やんば)ダム』
 (明石書店・2415円)

 ◇作家による「政治と金」の貴重な記録 

 政権交代は、群馬県の八ッ場ダムを黒四ダム以上に有名にした。それが、五年ほど前に出たこの本を新版として加筆出版させた。八ッ場ダムについての貴重な、そして唯一といってよい外部者による記録である。
 著者は、一九九九年十一月、関東の耶馬渓(やばけい)といわれている吾妻渓谷に遊んだ文人たちの足跡を調べるための取材で、この地がダム建設でゆれていることを知る。
 美しい自然に惹(ひ)かれ、ダム建設に翻弄(ほんろう)される人たちのもとに通いつづけ、反対運動にのめり込みながら、書き、調べ、記録していく。小説を書く人ゆえの文章が、この地からの情感を読む者に伝えてくれるのがよい。
 特記すべきことが幾つかある。第一は、住民に対する補償基準の提示額、妥結額が表となって示されていることである。宅地は一級から六級まで、それぞれがいくらか。雑種地は、田は、畑は。山林は一級から四級、保安林は、原野も。部外秘のこうしたものは、研究者でも入手が難しい。なぜ入手できたのか。売却を余儀なくされた人が、わざと捨てて著者に拾わせたものだという。全二四ページ、その一部が記されている。補償は家はもちろん、井戸、立木一本一本について行なわれることは知っていたが、こうした資料が外に出たのは、私の知るかぎりはじめてである。

 第二は「ダム屋」に言及していることである。ダム予定地に補償目当てで家を建て、交渉に当たる連中である。もちろんその背後には政治家の影がある。八ッ場ダムでは著者が確認したのが四一戸あり、五〇軒ともいわれている。この本では、その背後関係をぼやかして書いているが、必ず土建業者と地方政治家がいる。鳩山政権はここにメスを入れるべきであろう。
 「ダム補償」の研究について著書がある故華山謙・東工大教授によると、この「ダム屋」は、目ぼしいダムには必ずあらわれるという。

 第三は、公共事業を受注した業者が、自民党地方支部へ献金していることに言及していることである。ただしこれは、毎日新聞の福岡賢正記者の『国が川を壊す理由(わけ)』(葦書房)--熊本の川辺川ダムについてのものからの引用である。福岡さんの本を読むと、自民党の地方政治家がなぜ公共事業誘致に熱心なのかがわかる。受注した土木工事費の〇・一%(国と県の事業)、市町村のそれは〇・〇五%が自民党の地方支部に寄付される等々である。強度の酸性の水が流れこみ、水道用のダムとして不適とされた八ッ場ダムなのに、上流にこれを中和するダムまでつくり、建設を進めようとした理由のひとつがここにある。

 八ッ場ダム建設のための調査が行なわれたのは一九五二年で、この年建設省から町長あてに通知が届き、町長が反対陳情に動く。福田赳夫がダム推進であったことから、反対派は中曽根(康弘)派になり、集団入党するが、やがて説得されてゆく。そして五四年、熱烈な福田派である桜井武町長が当選し、五期二〇年をつとめる。

 この本の巻末にある「関連年表」は、この最初の調査から政権交代後の動きまで丹念に追って貴重である。福田と中曽根の対立がからみあい、いったん反対派が総力をあげて推した樋田富次郎氏が町長になり(七四年)、四期つとめたが、力と金で敗退してゆく過程が読みとれる。
 著者はこの本の最後で、生活がかかっている水没者と、反対を叫ぶ市民運動との意識のずれにも言及している。
(毎日新聞 2010年1月31日 東京朝刊)  


Posted by やんばちゃん at 23:40Comments(0)報告

2010年01月30日

一号橋入札延期、群馬県に要請

 ニュース速報です。
 遅ればせながら、ようやく新政権が、実際の行動面に踏み出してくれました。
 今朝以来、八ッ場の方たちに知られせています。皆さん、結構も国会中継みていますね。
 余談ながら、そのお一人と情報交換していて、25日の前原大臣逆襲を本欄で「痛快なり、前原逆襲(国会版・松の廊下)」とした旨を伝えたら、「痛快という言葉は面白がっているようで良くない」とのご指摘を受けました。さすがは八ッ場の知恵もの。「親の意見となすびの花」のことわざ通り、素直に直ちに訂正させて戴いた次第です。
 それから、前原さんに手紙をしたためた方のお一人に、「でしょ」と問い、どういうルートなのかも伺いました。
 
 最初に本日の県内版の記事を転載します。 次に、今朝ほど水源連メールで戴いた速報記事を。
 実は、朝流れたこの速報に、配達された朝刊にはまだ載っていないものと例によって早合点。八ッ場に知らせたのはよいのですが、なんとその後、ゆっくり朝刊を広げたらあるじゃありませんか。昨夜の寝不足がたたっているようです。


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 【2010年1月30日 上毛新聞 1面中段】 
  1号橋の凍結検討ーー八ツ場で、国交省

 八ッ場ダムで水没予定地区の生活再建事業として建設中の橋の凍結を、国土交通省が検討していることが29日、分かった。前原誠司国交相が水没を前提としたインフラ整備を見直し、雇用確保などを優先させる考えを国会で表明したことを受けた。
 前原氏は、昨年9月の八ッ場ダムの建設中止表明後、「生活再建事業は中断しない」と明言していただけに建設を求める地元住民や自治体の反発は必至。
 国交省が凍結を検討しているのは、水没予定地区の住民が移り住む代替地の間を結ぶ主要な三つの橋のうち2番目に長い「湖面1号橋」(長さ494㍍、橋脚の高さ約80㍍)。全長1.3㌔の県道(総事業費約52億円)の一部で、4本の橋脚のうち1本は既に着工。2本の橋脚について2月1日から3日までの入札が公告されている。
 国の委託で入札手続を行っている県は「1日の入札は実施する」(大沢正明知事)方針。しかし国交省は入札が実施された場合でも、今年夏以降の八ッ場ダム継続に関する検証を踏まえて新たな生活再建策をまとめるまでは、橋建設を凍結する方向性を模索している。

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 【2010年1月30日 上毛新聞 社会面 2面】 
  http://www.jomo-news.co.jp/news/a/30/news05.htm
 八ツ場問題 再び住民対話を
  国交省政務官  知事と会談 打診
 
 八ツ場ダム建設中止問題で、国土交通省の三日月大造政務官は29日、県庁で大沢正明知事と会談し、前原誠司国交相と長野原町の水没予定地住民との意見交換会を再び開催したい意向を伝えた。

 関係者によると、三日月氏は大沢知事、茂原璋男副知事らと約1時間にわたって会談した。
 昨年9月の同ダム建設中止表明後、初めて前原氏と住民側が直接対話した24日の意見交換会について「大変良かった」と述べ、さらに住民の生の声が聞ける場を設けたい意向を伝えた。
 また、前原氏は27日の参院予算委員会で「表面的にダム推進と言っている方々の中にも雇用につながるもの、月給が安定的に入るものを確保することが本当の生活再建だと言う方もいる」として「必ずしもダムを前提としたインフラ整備を続けることが真の生活再建ではない」と答弁した。この発言について、大沢知事は「地元の多くは従来通りの生活再建を望んでいる」との考えを伝え、けん制したという。

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  【2010/01/30 02:02 共同通信】
八ツ場ダムの橋、凍結検討 国交省、水没前提を見直し 

 八ツ場ダム(群馬県長野原町)で水没予定地区の生活再建事業として建設 中の橋の凍結を、国土交通省が検討していることが29日、分かった。前原 誠司国交相が水没を前提としたインフラ整備を見直し、雇用確保などを優先 させる考えを国会で表明したことを受けた。
 前原氏は、昨年9月の八ツ場ダムの建設中止表明後、「生活再建事業は中 断しない」と明言していただけに建設を求める地元住民や自治体の反発は必 至。八ツ場を含め建設継続の是非を検討している89ダムの多くでは生活再 建事業を実施中で、凍結検討は波紋を広げそうだ。
 国交省が凍結を検討しているのは、水没予定地区の住民が移り住む代替地 の間を結ぶ主要な三つの橋のうち2番目に長い「湖面1号橋」(長さ494 メートル、橋脚の高さ約80メートル)。全長1・3キロの県道(総事業費 約52億円)の一部で、4本の橋脚のうち1本は既に着工。2本の橋脚につ いて2月1日から3日までの入札が公告されている。
 国の委託で入札手続きを行っている群馬県は「1日の入札は実施する」 (大沢正明知事)方針。しかし国交省は入札が実施された場合でも、今年夏 以降の八ツ場ダム継続に関する検証を踏まえて新たな生活再建策をまとめる までは、橋建設を凍結する方向性を模索している。


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 【2010年1月30日03時01分 読売新聞】 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100130-OYT1T00072.htm
  八ッ場ダムの橋入札延期、国交相が群馬県に要請
  
 群馬県長野原町の八ッ場(やんば)ダム建設計画を巡って、前原国土交通相が29日、ダムが完成した場合、ダム湖を横断する「湖面1号橋」(全長494メートル)について、2月1日から始まる橋脚工事の入札を延期するよう、事業主体の群馬県に要請したことがわかった。
 ダム本体の建設中止を表明している前原国交相が、周辺事業の見直しを打ち出したのは初めて。地元では1号橋の建設を望む声が強く、反発が一層強まるのは必至だ。
 入札延期の要請はこの日、三日月大造・国土交通政務官が群馬県庁を訪れ、大沢正明知事に伝えた。県は要請を拒否し、予定通り入札を行う方針を示した。
 1号橋は、事業費約52億円のうち96%を国が負担する。1号橋の橋脚は4本で、うち1本は政権交代前の昨年6月に着工しており、残る橋脚のうち2本は2月1~3日に入札が実施され、4日に落札業者が決まる。もう1本は2010年度末~11年度に入札予定。
 政府は10年度予算案に八ッ場ダムの生活再建事業費などとして約154億円を盛り込んだが、1号橋の工事費を支出しない場合、県が全額を負担するのは困難とみられる。  


Posted by やんばちゃん at 10:24Comments(0)紹介

2010年01月29日

あるべき生活再建構想に、前原さん一歩踏み出す

 27日の地元選出参議院議員・富岡由紀夫さんの一般質問の八ッ場ダムへの前原大臣の答弁は、昨日紹介の朝日新と並んで、より詳しく同じく昨日28日付読売新聞群馬版にもありました。
  ところがサイトが見つからないので、久しぶりの手打ちです。
  以前、水源連メールに毎日の報道一覧を送信していた時には、ずいぶん手打ちヲしたものでした。メールが送信できない日が続いたのを機に中断したままです。
 なお、私は27日の新聞のテレビ版をみて、富岡参議院議員の質問は13時~と思っていたのでしたが、どうやら午前の部から始まっていて、その冒頭の13分間が、八ッ場ダム問題に当てられていたようでした。
 富岡さんの冒頭のみが聞きたいのに、富岡さんの検索をすると、午後の部から出てしまって、午前中の早送りや巻き戻しが旨く出来ず、往生。どなたか、コツを教えてくださいません?
 結局、何度目かに下手な近道をせずに朝から聞くのが最もロスなしと考えて、この新聞記事を打ちながら、最初からじっと我慢の子ならぬ、おばさんに徹しています。
 現在、林久美子さん。この次だと思うんだけれど……。新聞をみたらまだ一人いる。でも国会中継は面白い。
  子供手当てのバラマキをめぐっては、子供を持つ林久美子さんは涼しい顔で「前政権のバラまきとは本質的に違う」といってのける。怒りの反応を発言席近くの自民党議員たちが何言うかと一斉に示す。この顔は初日に辛辣な独特のもの言いで鳩山首相に迫った、西田昌司議員、その脇の川口順子前大臣まで腕組みしたまま冷ややかな顔を向け、口を尖がらせているのが、何ともリアル。この方たちも思いもかけず見舞われた、秋霜烈日の日々の耐えがたきをじっと耐えていられるのだろう。下手なドラマよりもずっと深いものがある。
 さて、森田さんという議員が長びくだろうと思って、風呂に入っている間に、なんと富岡議員。で、見ていたのだが、またも一向ににダム問題は出てこない。失敗を覚悟で、巻き戻し。今回は成功。
 ようやく、ダム問題に遭遇。なんと、現地から手紙類が届くとのこと。事態は良い方向に行っている。安心した。ほどなく午前中の部は終わり、休憩になった。
 時間はなんと、午前3時を回った。でも、区切りがついて快く眠れそうだ。
 前原さん、膠着状態から一歩抜け出せて、良かったね。

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 一、【2010年1月28日(木) 読売新聞群馬版】 
   八ッ場ダム  生活再建、雇用重視で

 八ッ場ダム(長野原町)問題に関連して、前原国土交通相は27日の参院予算委員会で、「必ずしもダムを前提としたインフラ整備を続けるのが真の生活再建なのではなく、長野原や東吾妻両町の方が、ダムがない場合に持続的に生活できるものを考えるのが真の生活再建だ」と述べ、ダム中止後の生活再建策の策定が必要との考えを示した。
 前原国交相は「(水没予定地住民の中には)雇用につながって日銭、月給が安定的に入るものを確保するのが本当の生活再建だと言う方もいる」と述べ、重点を雇用確保に置くべきとの認識を明らかにした。
 また、水没予定地住民の一部から手紙などで、「中止賛成だという意見がたくさんではないが、ちらほらとある」と明らかにした。
 昨年、ダム本体工事を中止表明した際に前原国交相は、道路や橋などの生活再建関連のインフラ事業は続ける考えヲ表明した。だが、民主党県連や市民団体などから不要論が出ている仮称・湖面1号橋の建設を続けるかは明言を避けており、この日も「近々態度を決めなくてはいけない」と述べるにとどめた。  


Posted by やんばちゃん at 23:33Comments(0)八ッ場に願う

2010年01月28日

正義感に燃えて、前原逆襲・《国会版・松の廊下!》

 25日衆議院・27日参議院の予算委員会での前原大臣の言動を二つ、お伝えします。
 昨日27日13時から、参議院予算委員会で富岡由紀夫さんの質問がある旨を、八ッ場現地の皆さんに伝えていた際のことです。 (今度の順番のアルファベットは今度はどなたでしたっけ?、ひと月も用いなかったので失念、たぶん)、Jさんと話をしていたら、25日のテレビニュースで、その日あった衆議院予算委員会での一時間に及んだ、町村衆院議員(自民党)の質問事項のしめくくりの発言に対する、前原さんの怒りの応酬を観たみたそうでした。で、24日に目の前でお目にかかったばかりの「前原さんも、あんなに怒ることがあるんだのう。たまげたのう」と驚いていました。
 
 質問者・自民党の町村信孝衆議議員といえば、確か前に文部科学大臣を務めた方でしたよね。しかし、その語り口の何とも言えないいやらしさ、皮肉ばっかりの下品極まりないものいい方が延々1時間続き、ヤレヤレご苦労さまと思った瞬間に、さらに許し難い締めくくりの発言があった。
 「なんで民意を問うことなしに八ッ場ダムを止めた。24日自分もテレビを観ていたが、前原大臣が深々と頭を下げてお詫びをしていた。ああやって頭を下げるくらいなら、最初からにやるな」という八ッ場ダム問題への言及があり、この前原大臣への嫌みの何十秒かの言葉がまた、とりわけ鼻もちならなかった。
 しかし、時間切れ。
 反論の余地なしかと思った瞬間、議長の「何か、どうしても? あったらどうぞ」の議長の声。
 まさに、前原ガンバレ。国民の期待に応えて、ワガ前原青年、大いにガンバッタ。怒りの炸裂で逆襲。
 「バラマキの公共事業をやってきたのはどの政党ですか! どの政権ですが!」と痛烈にきりこんだ。
 いぎたなくも町村オジサン、「私もいいますからね」の予告通り、「なんでも前政権のせいにするのは誠によろしくない」と開き直ったが、怒号にがすさまじい。議長に強く制止され、尻切れに。でも、言いきろうとする魂胆がすさまじい。
 途中「どうぞお座りください」的な町村オジサンの制止の身ぶりもあり、「議長、議長」と言う声という声も聞こえた。
 後に、youtaiblなる欄の《指名されてないのに答弁席に近づいて仁王立ち。■そもそもは、議長が答弁を求められてもいないのに前原大臣に発言させたのが拙いだろう》との揶揄語から推測して、声の主、仁王立ちになっているのは、わが前原さんらしい。
 「質疑者に言います、時間をちゃんと護ってください」。さらに今度は町村オジサンが議長に「座ってください」と発言制止を再三言われている。しかし、その議長の声にも、めげず町村オジサン最後まで言いきる。他人にご高説をたれながら、長年バッチヲつけているのにルールを振りきった「誠によろしくない」のはどっちだ。本来なら反論はすべきではなかった。
 さらに前原さんらしき「一言だけ!、ヒト言だけ!」の必死の声あり。
 まさに、“国会版、松の廊下”だ。 昨日、赤穂浪士に触れたのでそう思えた。わが前原さんに最後の一言のとどめを刺させてあげたかった。何も町村オジサンがあんなに長く話す必要はなかった。持ち時間は終わっているのだから、あそこまで辛辣な嫌みというより、イビリヲやられたら、キレるのは当たり前。
 きっと、「議長、議長」と迫るわが前原を「殿、ご乱心にござるぞ」と仲間内の議員でも抑えたのだろうか。
 痛快極まりなし。
 私も手間暇かけて2度も3度も聴いて、テープ起こししようかとテープに収めました。
 で、皆様とともにもう一度、味わわせていただきたいと思います。 詳しい内容は聞いてのお楽しみ。約1時間後の最後ですので。末尾なので、これが大変。

 二つ目は、昨日27日参議院予算委員会の富岡由紀夫参議院議員の質問に対する、前原大臣の応えです。
  今朝28日の朝日新聞群馬版に、その生活再建案に対する方針が載っています。私たち市民が懇願してきた、あるべき生活再建策でした。

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 一、【2010年1月25日(月) 衆議院予算委員会  質問者:町村信孝】 http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40121&media_type=wb&lang=j&spkid=19659&time=04:22:13.4
  
 ※他の議員の質問を観るのは、下記の「衆議院インターネット審議中継」を検索。発言者一覧や会議名をクリックしてもできます。   http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

 二、【2010年01月28日(木) 朝日新聞群馬版 質問者:富岡由紀夫】  http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581001280001
    参院予算委で「雇用や収入確保が生活再建」
  ※同じく、「衆議院インターネット審議中継」は
    http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL

 早速、援軍コメントあり
 さて、前橋さんからのコメントを転載します。サイトもすぐに必要事項が出てきますし、町村さんの面白い記事もあります。ご参考までに。
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 「政治と金」の問題で、小沢氏が政治資金で土地購入していたことを散々嫌みたらしく非難していた町村氏。
 ところがそんな自分も全く同じことをしていた。
 むしろ、個人名義に売却していた事実から、もっと悪質か?
http://gendai.net/news.php?m=view&g=syakai&c=020&no=44445

「前原キレル」の場面
http://www.youtube.com/watch?v=YycMsXjR_3I
拙劣なる政治家というのは町村氏こそ相応しい
Posted by 前橋人 at 2010年01月28日 20:43


※追伸  表題「痛快なり、前原逆襲!」の「痛快」は面白がっているようで適語ではないと、国会討論を観ていたという“八ッ場の知恵もの”の方と30日朝の電話で、話していましたら言われました。で、変えさせていただきました。
  


Posted by やんばちゃん at 18:44Comments(2)八ッ場に願う

2010年01月27日

24日 県内報道一覧

 遅ればせながら、24日の前原大臣と地元住民との記事一覧です。
 
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①【2010年1月25日(月) 上毛新聞 写真あり】
  http://www.jomo-news.co.jp/news/a/25/news01.htm
   八ツ場ダムで初の意見交換

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②【2010年1月25日(月) 読売新聞群馬版 写真ニ葉あり】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100125-OYT8T00035.htm
 双方の溝埋まらず 八ッ場直接対話
    住民「ダムで生活再建」  国交相「何度も足運ぶ」  
  
 ※社会面にもあり 13版 34面
 八ッ場初対話 平行線
 国交相「生活再建」  住民「ダム完成」

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③【2010年1月25日(月) 毎日新聞群馬版 写真あり】
 http://mainichi.jp/area/gunma/archive/news/2010/01/25/20100125ddlk10010146000c.html
 八ッ場ダム・流転の行方:国交相と住民意見交換会 地元代表、非難の声 /群馬
  ◇「街づくり、水泡に」 白熱2時間20分、溝埋まらず

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④【2010年1月25日(月) 東京新聞群馬版 写真あり】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100125/index.html
『時間足りない』八ッ場ダム意見交換会 地元、議論継続求める

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⑤【2010年1月25日(月) 朝日新聞群馬版 写真あり】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581001250002
  意見交換会 深い溝埋まらず

 ※一面にもあり 写真添え
  八ッ場 中止前提に反発
   地元住民、国交省と初対話

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⑥【2010年1月25日(月) 産経新聞群馬版 】
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/100125/gnm1001250214002-n1.htm
八ツ場ダム意見交換 「いつまで悩まされる」 住民、にじむ不安   


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2010年01月26日

ワイロって昔はもちろん、?今もある

 わが家のメインの置き時計は、既に昼近いのに、まだ7時をさしている。
 今日こそは何とかしなければと思うが、電池の予備がみつからない。買いにいくのもおっくう。わが頭の中のように、この家の中はまだ眠りのなかにある。何よりも、その周辺のホコリだらけを思うと、気持ちが滅入るのだ。若い日には体力で何とかこなせたが、家事に割ける時間がほとんど無くなって久しい。

 一昨日の24日、ある方から「これネ、僕の郷里のお菓子」と戴いた、送迎のお礼らしいお菓子を貰ったのを思い出して、親せきにおすそわけしようとした。
 津和野の銘菓「源氏巻」であった。その箱書きにはこのように記されている。

  江戸・元禄時代。赤穂の浅野内匠守の刃傷が゜起きる前のことです。当時の津和野藩主、亀井 親が勅使接待役を命じられ。吉良上野介に教示を依頼しましたが、浅野同様、数々の非礼を受け藩主を怒らせました。それを知った国家老多胡外記は早速、吉良家に進物を贈りつけ、ことなきを得ました。
  その時の進物の一つが「源氏巻」です。

 ーーここまでは、何のことはない。問題点は次の言葉。
 
 小判を下に敷きそのうえに竹皮で包んだ源氏巻をのせたという言い伝えがあります。津和野を救ったといわれる縁起の良いお菓子です。

 なぜ、戴きもののお菓子の箱がきに釘づけになったかと言うと、昨日、伊香保温泉の石段街をご案内しながら伺った、高良留美子さんから伺った同種のお話を思い出したからです。
 高良さんの祖父、参議院だった高良とみさんの父親である、和田義睦さんが中央官庁から新潟県に出向し、災害で流された万代橋の新設工事にあたっていた際に、土木業者(間組)から届いた、札束の敷き詰められた菓子折りのことを。
 その妻・邦子さんの機転で送り返した為に、「話の判らぬ役人」とレッテルを張られ、ほどなく新潟県を追われたという祖父のことを、高良さんが母親のとみさんの昔がたりに聞いたということを伺ったばかりだったからなのです。
 
 確か読んだ記憶があつたので、久々に刊行時に高良さんから頂戴したまま、なかなか読めずにようやく読破した大部のご著書『百年の跫音(上・下)』(2004年3月 お茶の水書房刊)を探し出した。
 上下併せて千ページを超える大作である。島村の養蚕技術から一族の歴史など縦糸横糸を縦横に駆使して明治・大正・昭和の変遷を描き切っている労作である。 

 やはり、この事実と祖父・和田義睦のことも記されていた。上巻の第二十章「新潟を追われる」(381頁)。
 作中人物の近年の登場者は仮名になっているので、お名前が本名かどうかは一読者の私には定かではないが、たぶん、祖父母の辺りまでは、ご本名と推察。
(※偶然、高良さんから戴いた電話の際に、確認させて頂きましたら、やはりご両親のお名前から仮名とのことでした)
 
 島村の田島弥平の一人娘、宮中に養蚕の技術指導で行った民。その長女の邦子の夫、和田義睦は極めて優秀かつ清廉潔白な土木技師だったようで、中央から派遣されて新潟県の内務部土木課長を務めていた由。新潟市は1908(明治41)年、二度の大家に見舞われて、県庁を残して全焼してしまった。この時、万代橋も焼け落ち、その万代橋の再建の時の出来事である。

 (---この辺りまで記してましたら、当の高良さんから電話を頂戴。またたく間に一時間以上も経過---)
 で、ひとまず、結論を記して、後ほど加筆・校正させていただきます。

 その結論とは、
 今回の八ッ場の発注工事に、ワイロめくことはなかっただろうか。接待と称することのあったことは知っているが、他県のダム建設であったことがなくはないと踏んでいる「献金制度」と同じく、元禄時代、明治末期にあったことが、今もないはずはなかろう。
 あっては困るが、“盗人や浜のまさごはつきるとも、世にぬす人の種はつきまじ”のことわざもあるくらいである。形成された社会通念が崩れぬ限り、ウミは出きれない。
 幸いにして、和田義睦さんに続く人物の比重は増しつつあるのは現実だが、八ツ場ダム工事事務所でも、実際に収賄事件も起きていて、最近、予想外に軽い刑が確定している現実がある。
 昭和三〇年代の子供の頃、しきりに話題になった話題の一つに、県政界経済界の大物は、福田赳夫の選挙に当時の金で、100万円カンパした逸話がある。当時の子供たちの遊び言葉に「百万長者」とか、「俺ん家は百万円あらい」とのほらふき語が横行していた時代での単位である。今で言えば、10億円くらいの言葉の響きであった。
 それで注目され、福田赳夫の覚えめでたく福田会の幹部にのし上がり県議会に。同時に事業も飛躍的に拡大させた?l立志伝中の人物がいる。
 先年、八ッ場問題を追う週刊誌記者が執拗に食い下がった経過があったが、黙して語らずだった由。
 
 たまたま戴いた菓子であり、もちろん下さった方に何の責任もない。が、「小判を下に敷きそのうえに竹皮で包んだ源氏巻をのせ」たことを「津和野を救ったといわれる縁起の良いお菓子」ともてはやす気風を是認し、もてはやす男社会の通念はまだ、生きているのだから、始末が悪い。  


Posted by やんばちゃん at 23:56Comments(2)八ッ場に願う

2010年01月25日

八ッ場の縁、母上との縁、断ち切られた縁

 疲れ果てたという気持ちです。
 でも、そんなことは言っていられない一日でした。

 実は、昨日の日曜日は近くの土屋文明記念文学館で、「群馬の女性の原型ー『宮中養賛日記』を通してー」という、講演会があったのでした。講師は詩人で女性史研究者の高良留美子さん。私も戴いた「女性文化賞」を創始した主催者です。
 内容は明治初年に、養蚕の指導に宮中に上がった島村の女性の記録で、高良さんのご先祖です。
 
 本来ならば、友達などを誘って真っ先にかけつけなければならないのに、八ッ場のことに夢中で、文学館にもご無沙汰気味で案内看板が変わって、次の企画が始まったのは目にしても、細部を確認することもなく知らずにおりました。
 何やら事前に高良さんが、メールをくださったそうなのですが、どうやらメールの不調とかで当方には届かず。
 22日、他の人に頼まれたいた高良さんの著書の件で久しぶりにメール。その文面から推し量って、どうやら私は24日のことを全く知らないらしいことに気がつかれて、返信を下さるとともに電話もくださって、ようやくわかったのです。
 しかし、24日は、八ッ場の意見交換会。
 すでに遠方からの方の運転手役などや諸々の計画をしてしまったこともあって動かせず。
 
 困惑しながらも、高良さんは伊香保温泉に宿泊されるそうなので、旅館名を聞くと、FAXの調子もだめなので学芸さんからのFAXも不可。従って、まだ旅館名もわからないとの由。で、高良さんご所望の翌日のご案内をということや、宿泊先の旅館名などを伺いに、文学館にお邪魔し担当学芸さんにお会いした。それと同時に知り合いの24日にご都合付く方たちには、寸暇を割いての電話がけ。
 思えば、島村のご先祖が愛したという八ッ場の地に、八年前にご案内したのが、高良さんとのうれしいご縁の始まりた゜った。
  
 ところがなのです。昨日朝、近所の同級生が急死された報を受けて、これまた困惑。翌日25日が葬儀とのこと。すでに25日は伊香保周辺をご案内し、高崎駅までお送りすると約束。事実を言えば、高良さんは「いいわよむとおっしゃるだろうし……。
 本来なら、いわゆる弔辞のようなこともと。この方の母親や親せき筋のご葬儀では頼まれて読ませて戴いたしと……。てんやわんやだけれど、出がけにともかく、お悔やみだけはと。(当地では口見舞いと申します)。
 
 さらに、前夜、帰宅したら長野原町の方からの宅急便があるとルス電に。いくら電話してももう不可。仕方なく送り主に品物は何なのか問い合わせ。すると、明日、高良さんにも差し上げて欲しいとのこと。この方の用件でメールを入れたので、24日の講演会並びに翌日のご連絡した経緯もあった。事前に知っていれば、親せき筋に預けてもらう手配して出かけたのだが、やむなし。問題は明日出がけまでに間に合うかどうか。おそらく不可だろう。その場合はどうしようか。
 時間の配分はどうしようか。まぁ、なるようにしかならない。
  「明日のことは、明日考えれば良い」かの名作の有名なセリフだったっけ。
 翌朝、重い頭で目覚めたら、置時計が朝4時半をさしている。明らかにおかしい。となると、電池切れで遅れ出していた昨夜の時間は示した針よりも。遅かったのかも知れない。帰宅後の時間は正確に覚えているけれど連絡事項を幾つかしてしまったから、到着時間から推し量って大丈夫と思うが、非常識な時間でなければ良かったけれど…。どうして次々と朝からと思う。
 昨夜は、なにやかやと手間取ってしまった八ッ場の帰途、遅い時間なのでフロントから内線で明朝の時間を打ち合わせ、気持ちばかりのものを宿の方に届けてもらって失礼してきた。「テレビで八ッ場のこと、みてましたよ」とおっしゃってくださった。
 
 さて、本日、久しぶりに伊香保神社、石段街、露天ぷろ。そして徳富蘆花の「ほととぎす」の舞台をご案内。
 高良さんは極めて健脚。それから榛名湖へ。また伊香保にもどり。葬儀ごととは申し上げず、実は1時間半くらい所用があるので、お一人で記念館のような処で時間をつぶしていただけないかと提案。
 候補地を3か所あげた。文学館に続く、かみつけの里博物館が最も、ご希望の地。で、蘆花記念館も水沢神社もパス。途中お見せしたい箇所もあったが、一目散に地元に舞い戻り。葬儀場を通過、南下して博物館にお届けした。ギリギリの時間しか残されていない。
 取り急ぎ、迅速に喪服に着替えられるように準備していたので大胆に車の中で着替え、北上して葬儀場へ。数分遅れで到着。読経が始まっていた。車を降りると葬儀社の方が「センセイ、お待ちしていました」という。エーと思うが、「指名焼香がありますのでご案内を」と言う。慌て「それは止めてください。現職の時は、仕事の一部と割り切らせて戴きましたけれど」。ご遺族の配慮というが、指名焼香はおかしい。とりわけ議員がナニ様なのか。電報などは売名行為でしかない。それに私はもはやその任ではない。「ご遺族には落ち着かれてから説明しますから」と固く辞退。そーと後ろの席に滑り込むと、小学校時代の同級生たちが、神妙な面持ちで前列の方に詰めていた。早すぎるし何とも言いようもない旅立ちだった。焼香後、死の理由を同級生の一人にそれとなく聞いて、衝撃だった。「急なことなのでご遺族の動揺が強いので」と添えた、先ほどの係の方の言葉の奥がわかった。昨日は出かける直前まで電話などがあり、口見舞いにかけつけるのが精いっぱいで知らなかった。秋以来、あまりにもやることが多く、近所にいて役立たずでごめんね、マーちゃん。
 心は急いたが、せめて出棺の見送りまではと見送り。喪服を脱ぎ捨てるようにして、駐車場で着替えて急ぎ到着。
 
 博物館のガラス越しに高良さんが学芸さんと談笑している。近づくとなんとその方もいろいろとご縁のある学芸さん。「あら、お知り合いですか。この方、歴史にお詳しいですね」とおっしゃる。それはそうだ。文化や風俗の古今東西の比較史的なことはお得意分野で明るく、詩や芸術論と並ぶライフワークである。で、敷地隣の文学館の昨日の講師でお見えになられたなどのことを添えた。
 
 そして、菜食にこだわっているという高良さんに配慮。車の中で弟に電話し、お得意さんの蕎麦処「おおの」さんに電話を入れてもらって遅い昼食を。オーナーご夫妻のきめ細かな配慮の数々と全てのお味に満足していただけ。一茶庵の系統をひく、打ちたて(売り切れだったのを電話してから打って下さったと後に弟に聞く)の抜群のそばの味は無論、特にそばがきの旨さとまだ新作というホウレン草のムースは絶品だった。グルメ通の人気が高まりいくゆえんだ。 もし、水沢周辺ということだったら、名物の水沢うどんを思っていたが、やはりこっちの方が良かった。
 弟の家に届けてもらっておいた宅急便も積み、食べ過ぎたとおっしゃる高良さんに腹ごなしの運動を提案。 
 
 「かみつけの里・博物館」の館外に続く広大な古墳群のご案内をしていたら、昨日の後援会の出席者のお一人で、82歳にして現在も文学館の解説ボランティアをなさっている元気な元女性教師の方が散歩中で、偶然、お会いした。
 伺うと、昨日はなんと定員を超える100名以上もの方が集われた由。これもほっとしました。
 これだけ固い内容で今どき、百名を集めるのは大変なことです。詩人としての高良さんに詩関係の方が多く集まられたそうであった。これもお若い日にH賞を受賞され,詩壇の第一線で活躍されてきた高良さんのご業績の高さと学芸さんの並々ならぬ熱と努力のたまものでしょうと、その方とも話した。
 今朝、高良さんのお部屋にお邪魔した際の語るところによれば、昨日、講演会で語られた親戚の女性たちが、「明け方の夢の中にワァー」と出てこられたそうなのであった。思わず「皆さん、喜んでいらつしゃるんですよ」と伝えた。
 しかも、この方が高校生の時に、高良さんの母上、参議院議員・高良とみさんが講演に見えたとの披露話。
 そして、この方の母親は、九州のお生まれで、伊香保に記念館のある徳富蘆花の縁にあたられる。そのことを最初に教えたのは、まさに名もなく貧しさの中で消えていった亡きわが母であった。それは教育を存分に受けられた恵まれた女性たち、その中から、女たちの生き方を高め押し広げてくださった方たちへの尊敬と憧れを帯びていた。
  わが母の生前は、女の自立どころか思うことことごとく叶えられないしずめ石のような生き方だったけれど、子供たちにはせめてとの切々とした思いを、終生持っていた。
 たぶん、輝けるお二人に臆せずに混じっている娘の私の姿を、天空の、お二人の母上と同じようにとは言っても、堂々と並ぶことなど出来ずに、どこかの物陰からおずおずと見ていてくれているかも知れない。終生、心の張りを持てなかったわが母は、死してもなお、遠慮がちに物かげにそっとたたす゜んでいることだろう。
 わが家にはほど遠い世界なれど、知性にあふれた高名な母上を持たれたお二人の縁と、さらにご訓育を受け継がれ、それぞれの持ち場で女性の自立をめざされ、今に根をはられている娘さんたちの絆を、そこはかとなく感じさせられた次第。
 
 何やら、「縁」に彩られた1日でした。
 でも、同級生のマーちゃんとの縁は、この地上では、もう永遠につながらなくなってしまいました。目元のくりっとしたかわいい少年だったマーちゃん、いつもさりげなく心使いを見せてくれた照れ屋のマーちゃん、最後のお別れに十分に時間が割けなくて本当にごめんね。
 あぁあ、それでも、わが八ッ場との縁は、邪魔扱いされてもこの先もずっと続けさせていただきますので、どうぞあしからず。  


Posted by やんばちゃん at 20:35Comments(0)八ッ場に願う

2010年01月24日

前原大臣との意見交換会

 細部を記せばきりがなく、一口でくくるにはくくりようもない感じの一日でした。
 しいて、くくれば「不毛」の二文字のぼけた輪郭がちらつくとしようか。長引くことは必然だ。
 ともかく、一口で断じきれないのが、この八ッ場ダムの問題だ。
 
 意見交換会といっても、交換会という雰囲気でもないしあらかじめ人選された人間による、予想された成行き。従って、感動はなし。言葉で現実を余すことなく語るのは、極めてむずかしい。
 どっちの言葉も、紋切型。
 時たま、感動させられそうになった毎回ワンパターンの意見はできすぎで、「待てよ、本当か」と逆に滓のようなものが残ってしまうし……。
 終了後の一時、場内で、会場玄関先で、果ては駐車場でも後追い取材のマスコミに囲まれて、頬を紅潮させて語る水没地の方々。一時のヒーローではあった。
 村にわけ入って、いわゆる“近所のかげ口”ごとまで耳にしていると、何が本当で、何が空々しいか、おのづとわかる。。
 仕方のないことだが、ダムに対しての個々のかかわりあいの中から繰り出した意見であり、全体の配分は出来ていたのが、読み取れる。
 感動してかけよるマスコミ陣が、それぞれの発言者のダムにかかわる生活の一旦を知ったなら、たぶん、驚かれ一歩引くに相違ない。しかし、ここは聞いたことはすぐに伝える。吐きだしたその人物の言葉の核には、嘘はないから。
 定刻前の11時、浅間酒造のドライブイン駐車場に沿った道路わきには、右翼の街宣車が4台くらいズラリと一直線に並んでいた。町中にもくりだして、ダム推進を訴えていた。ために辻ごとに群馬県警が待機。右翼が繰り出したのは、今回が初めて。
 駅から車でご案内したマスコミ関係の方は、驚いていた。
 
 さて、白・黒ハッキリさせたい私の性分では好まない人物像だが、最も賢明な水没民とは、きちんとこの間の推移を見守り、自分の信念を貫き、どっちの意見にもくみせず、ダム資金にはさほど頼らす、こういうところにもでかけず、黙って例えば猫や犬でも相手に、終日この日をやり過ごす方かも知れない……、それでも、最後の決断は、まなじり決して敢然と国と対峙するそんな人間かなとも思わせられなくもない。。
 もちろん、隣近所には、「ダム問題に協力的でない」とうしろ指さされるに決まっているが……
 真にお利口なのはそんな方かも知れない。よそ様の村の出来事に首を突っ込んで、憎まれながら、疲労困憊の果てまで右往左往する、私のような人間は、愚の骨頂組なのだろう。
  それに近い方に開始前の町内探索で、出会えたことと、お知り合いの皆さんに配る温泉たまごをゆでている間、足湯でご一緒の吾妻町からという若いカップルの方に割り込んで思わず、ダムのカラクリを伝えると、「そういうことは、初めて聞いた」と目を輝かせてくれたことを、この日の収穫としようか。

 ところで、予想通りマスコミと地元民はほぼ同じ、というよりマスコミの方が多かった感じであった。
 何やら、出席者が予想外に少なくて、締め切ったはずの20日以降もしきりに「出てくれ」の動員がかかった由。
 その数は、多く数えても150弱ほどか。空席、特に正面向かって右手の中ほどはごっそりと空いていた。
 対するマスコミは150は完全に超えていたと踏む。数えるのも不謹慎なので途中で断念。
 受付の各字ごとの名簿用紙は、(何行なのか知らぬが、あっても40行ほどと踏むが)、仮に1枚の用紙だとすると、林・横壁は中ほどまでしか埋まっていなかった。
   


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)報告

2010年01月23日

明日、現地でお話しませんか?

 明日は、中には入れないかもしれないと心配されてまして、二転三転しておりますが、テレビモニターが設置されるそうですので、ご安心ください
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 いよいよ、明日24日に迫った、意見交換会。
 定刻は14時~  場所は「若人の館」。2001年、補償交渉の調印式が行われた場所で感慨深いものがあります。
大まかに言うと、現国道145号と現バイパスの間のH型の文字、その中の横線にあたる道筋の吾妻川沿いに位置します。
  私も明日は午前中~夕刻まで、いろいろと勝手に名付けた私的任務がありまして、いつもいきあたりばったりのヒトながら、そそうのないよう、昨日来、珍しく準備を行っております。
 
 さて、八ッ場ダム問題にご関心があり、明日、現地に行かれる方への呼びかけです。会見には入れなくとも駆けつけるとの問い合わせに、「参加資格については責任は持てない」とのことをお伝えして参りましたが、「それでも行く」との方々と以下のことがまとまりました。
 もし、下記の時間にご都合つきましたら、自由な話し合いの場を持ちたいとおもいますので、お気軽にお集まりください。
 急きょ決まったこちらは、まさに常日頃の本領発揮「行き当たりばったり」ですが、ご希望の方はお気軽にご連絡ください。
  (なお、これでも当方の流儀としては、早めの連絡でございます。)
         フランクな意見交換会のお知らせ
 時間   18時~
 場所   原則として長野原町内。もしくはその周辺
 議題   意見交換会への感想ならびに持てる水没地内の情報交換会
 問合せ方法 
     ※24日17時までに、下記へご連絡ください。※早い方が助かります。
     ※その上で、集合場所については、前回同様、集まる方の顔ぶれや人数に応じ、臨機応変に決定します。
      こういう秘密主義は、本来嫌なのですが、本欄も?お蔭さまで有り難いことに多種多様のお立場の方に読まれているようなのです。守らなければならないお立場の方のこともありますので、ご理解くださいますよう。
     090ー2910ー4722 
    または、 spq272s9@rondo.ocn.ne.jp※電話番号を明記してください    


Posted by やんばちゃん at 11:27Comments(0)呼びかけ

2010年01月22日

県議会特別委。部屋が狭いのは重要性なし?

 群馬県議会特別委員会で第三弾の参考人招致がありました。
 要綱は以下の通りでした。昨日、確認しましたので、運動団体のメーリングリストにはまだ載っていなかったので、おせっかい精神の本領発揮で、急いでお知らせし致しました。それを転載します。

 期 日  1月22日(金) 13時半~16時半くらい
 参考人  13時半~約1時間   大熊 孝さん゜ 
              質疑・休憩
       15時~ 約1時間   嶋津 暉之さん
16時~  質疑
 ※傍聴は5名まで、8時半~受付開始
連絡先  http://www.pref.gunma.jp/cts/?LANG_ID=9

 確か予定にあったなと思い数日前から、県議会のHPにを見てきたのですが、見当たらず。この日は都合が悪いので一安心。
ところが、本日メモが出てきたので、議会事務局に問い合わせしてみた次第。
 なお、明日は同一時間帯に高崎市の審議会があるので私は不可。
終了後、駆け付けるつもりではいますが……、(朝、番号を採っておくと空席のまま占有してしまってもったいないので)。
 
 さて、15時半頃、到着。
 これまでは定員にみたず、仮に一杯になっても、定員が増やされたり、早退される方が必ずいらしたのです。で、昨日の電話でも、その場合は入れるということを伺っておきました。顔みしりの受付の方から、今日は8時半にはすでに定員。その後も何人かきたけれど、お帰り願ったという由。
 しかし、そこはオバさん組の度胸。「中に入らなければよろしいでしょう」とばかりにスタスタと。慌てて「でも、聞こえませんよ」という。「でも、いいですよ。雰囲気だけでも判りますから」とばかりに。すると会議室の前にたたずむとついてきた職員さんの知らせてで控え室から、職員さんが出てこられた。「今日は部屋が狭いので」とのことでした。が、最も聞きとりやすい扉の前に案内してくださいました。昨日の応接といい、公務員さんもとても親切になりました。
 なんと廊下でも、そりゃ、鮮明じゃないけれど、ちゃんと聞こえます。しかも、部屋が狭いためにしつらえた場内が効を奏して、マイクの正面らしき位置、音響効果抜群。
 「じゃ、ここでいいでしょか」と柔らかく申し出て、「資料の余りあります?」と貰いうけ、受付席に座らせてもらってました。
 顔見知りのある筋のある方が見えて、どこでもお邪魔ムシの私が受付席に神妙に座っているのでびっくり。で、ドアの前では迷惑だから、ロビーの方に出てひとしきり情報交換。これだけでも来た収穫あり。
 で、ドアが開くたびにすかさず、内部をちらりちらりとのぞき、概要把握。県議席のなんとまばらなこと。私はこういう時には、ふとっちょオバサンにはあらず、身のこなしが早いのです。
 この時間には最初の講師の大熊さんは、中ごろ後ろの席に座られていて、その手前の壁際が、これまでの経験から傍聴席と踏んだ次第。
 閉廷になって、出てきた方たち。まず先頭の地元の自民党県議から「おぅ」といわれ、「どうも」と返す。前回は「がんばるじゃねえか」との?エール。議員たるもの、どんなに小憎たらしいと思ってもこうでなければいけません。まぁ、選挙区ということもあるけれど、それに本心かくして如才ない人間のタイプは好きじゃなかったけれど、まあその位の度量がなければ……、その点、私の顔をみると困惑顔したり顔をそむけたり、ヒト言のあいさつの言葉も出ない議員もいる。そういう時には、心中深く「あなた、それじゃ、この次はないわよ」とうそぶく次第。だって、現に好き嫌いがハッキリしすきで主義主張を貫き通したこの私。落ちてましてよ。でもこれは個人の資質の問題。それにしても、議員の数は多すぎる。なんの仕事をしているのか。各種の傍聴で感じる。実のある議員のみになるよう暴論なから、定数は半減してもよいのでは。
 続いて、講師のお二人の周辺から、顔みしりの市民運動のリーダー格の皆さんたちも。その後に総合判断すると、最初の五名はこの方たち。昼近くに遠方から見えた方は、すでに定員外だったけれど、記者団のはからいとかで席に入れてもらった由。
(従って、定員を増やす措置は、この日はなされなかった模様。一回目の参考人招致の時は、確か、ありましたよ)。
 推察できたことですが、この方たちには何日前に連絡があって参加することになっていた由らしい。で事前の、予定通りのコースである、そのまま記者会見室へ消えていかれました。
 なんと私のメールは、日頃より仲間に入れてもらえない仲間の皆さんの首をしめ、最終的に分の首を最もしめる、おせっかいメール以外の何物でもありませんでした。 
 
 今日は傍聴人の枠には入らないので、駐車券への対応はダメと踏み、受付には行かず、そのまま兼ねてより折衝してきていた、情報公開の手続きに、 五階の記者クラブに行かれるらしい方たちの間に入って、エレベーターに同乗し、本館二階へ直行。
 ここでのやりとりも痛快なのではすが、長くなりますので、こらえます。
 担当者に「急ぐのよ」と最初に言ってあったので、?便宜的措置もあって、まだ退庁前の時間。で、議会事務局に聞いておきたいことがあったので、また逆コースで五階へ。その門部屋の記者クラブでは、歩いていく前方の正面ドア越しに、まだ記者会見が続いているのが見えました。記者さんたちのうちとけた態度から、山場は過ぎた感じでしたけれど……
 さて、廊下に出てこられた職員さんに幾つかの質問事項の最後に、どうして、今回は定員枠を増やす措置をしなかったのか。確か前々回に大事な場合には。その措置を行うとか聞いていたし、現にあったことを伝えた。すると、「今回は部屋は狭かったからとのこと」。では、前に比べて、ダム反対派の講師には必要性への意義がなかったからなのでしょうか。何やら週刊誌の切り口的な皮肉な表現となりました。

 肝心の委員会の中味、記者会見の内容は明朝の各紙をご覧ください。  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)報告

2010年01月21日

映画「降りてゆく生き方」自主上映会のお知らせ

 八ッ場ダム問題。とりわけ情報公開については、種々の意見ありますが、本日はしばし閑話休題的に、映画上映会のお知らせです。 
 この映画の真髄がわかる方は、ダム問題のカラクリも看破してくださる方に間違いがないと、信じてのお願いです。
  
 題名はただ今、自主上映会でしか観ることができないとして、評判の武田鉄矢主演「降りてゆく生き方」。次のサイトをご覧ください。なお、群馬県内では初上映です。
     映画「降りてゆく生き方」公式サイト
       http://www.nippon-p.org/
 時:  2月14日
  開演 13:00~(開場12:30)
 場所:  群馬県社会福祉総合センター 
8階大ホール
          (前橋市新前橋町13-12/JR新前橋駅より徒歩5分) 
  入場料    1500円  当日2000円  全席自由

 私の実家の弟夫婦は自然食品の酒販店をやっています。県内外の自然を愛する方たちとの交流がありまして、成行き上、今回、実行委員会の事務局長を引き受けたようなのです。
 群馬の実行委員会は、食の安全性に心よせ大地に親しみながら生きる者たちによる、手づくりの自主上映会です。
 20年数年前、添加物の怖さを知って、いなかの変わり映えしないよろずや的酒販店でしたが、それまでの流通品を物置に入れて、こだわりの無添加の酒や周辺の食品類に切り替えて、今日に至ります。
  メインのお酒は千葉県香取郡の寺田本家の「五人娘」です。
  さて、義妹が記す下記のプログには、「ご当主寺田本家当主寺田啓佐さんの著書『発酵道』にでてくる言葉が、沢田雅美さんが演じる酒蔵の女主人の口から次々と出てきます」と記されています。
  ブログ記事 http://blog.suzukisaketen.com/?day=20091012
       (1/3付)  http://blog.suzukisaketen.com/?month=201001
   鈴木酒店  http://suzukisaketen.com/
 寺田本家さんは毎年アースデーなどにもブースを張られ、この「五人娘」や「むすび」などの酒類で知る人ぞ知る方です。
 『発酵道』は、お酒の話というより人間の生きる道筋であるとの高い評価を貰っている本です。サイトを読んで戴けると、撮影にあたり300冊の本と各地ですばらしい生き方をしている200人にインタビューと記されていますが、その300冊の書籍がズラリと並んだ画像の最上段、左から2番目の本が寺田さんの著書で、弟の店の書籍コーナーにも積んであります。もちろん貸出コーナーにも。
 今回の群馬会場には、その寺田社長も見えて、華を添えてくれるようです。
 
  ちなみに「5人娘」の命名は、100歳で没するまで現役だったアララギ派の歌人・土屋文明です。私の村は文明のふるさとで近くに「県立土屋文明記念文学館」があります。伊藤左千夫に頼まれて、文明の一高の学資を援助したのが、この寺田本家の先代の寺田憲さんでした。
 そんな関係で開館の折には、現ご当主・寺田啓佐さんが、芥川龍之介の色紙を寄贈され、来賓として来町。わが家にも立ち寄られた際には、私もお話しました。そして、弟の店では毎年今頃に、寺田本家さんで蔵開きのしぼりたてのお酒飲み放題、奥さんの無添加の各種ご自慢料理を戴くお客さんとのツアーを開催。とてもお世話になって参りました。奥さんはただ今、酒カス料理でマスコミにご登場の方です。

 なお、義妹はいろいろと役慣れしているので、今回も彼女が仕切るのかと思ってましたら弟なのです。わが弟は口べたの上に人前にたつのが苦手な、姉の私とは違って、極めて内ち気な性格なのです。
 ですので、一人でも多く集まって戴いて、何とかスタッフの皆さんに喜んでもらえたらと、またおせっかいなわが気質が頭をもたげた次第です。
  
 我が弟夫婦が、そのお仲間が試写して以来、こんなに懸命になっているのですから、絶対に良い映画に決まっています!!
 お申込みはお気軽に掲載されているスタッフ等の連絡場所へ。
 または私のメールでも構いません。spq272s9@rondo.ocn.ne.jp
 
 また、全国の皆様方、ぜひ,貴地でもまだでしたら、上映会を開いて戴けないでしょうか。
 すでに各地でご覧になられた方、ご感想をお寄せくださいませ。  


Posted by やんばちゃん at 16:02Comments(0)イベント/予定

2010年01月20日

品木ダム水質管理所 急に情報公開体制?

 久しぶりに「八ッ場」をインターネットで検索。
 昨日の本ブログの最後の方に記した品木ダムのヒ素問題について、保坂展人さんが現在発売中の「週刊朝日」にまた記しているとの記事が上位にあった。
 何しろ、保坂さんは、久しぶりに国交省が公表しようとしている、「八ツ場ダム環境保全への取り組み」なる報告書を、国交省→(委員会資料として配布された)第三者機関「八ッ場ダム環境検討委員会」のメンバーの誰か?→朝日新聞入手→週刊朝日編集部→保坂さんへ。元々は群馬県議会の常任委員会に端を発し、朝日新聞は資料発掘を行った。
 恐らく、この流れを通して、持っているから強い。
 しかも今回は品木ダム水質管理所元職員による内部告発にて情報提供の読者もいる。

 これに比べて、何のバックももたぬ一介のつたないライターは、全容が記された去る11月13日の朝日新聞の報道後以来、国交省にこの資料を公開せよと迫っているがらちがあかない。
  「じゃあ、どうして朝日は持っているの。国交省は大新聞には渡して、一市民にはダメなの」と負け犬の遠吠え的屁理屈まで繰り出した。電話の向こうの律儀な担当課長は、しばらくの沈黙の後、言葉を選んでいわく。
 「あの、ですね。朝日新聞社が独自に手にしたとしか言えません」と。 
 「じゃあ、考えられるのは審議員の誰かから貰ったということ? 委員会のメンバーにはあらかじめ資料として渡してあるんでしょう」とたたみかけた。「はい、そこまでは」と素直に認められた。
 その「八ッ場ダム環境検討委員会」のメンバーの名前さえも明かされず、糸口がない。

 テレビで見た白い冊子。「もう、製本なっているわけでしょ、それは税金で作ったわけでしょに」と下手な切り込みを入れる。
 「いいえ、冊子にするかホームページに掲載するか不明です。全ては委員会の皆さんにお計らいして」とのこと。
 「最後に聞くけれどイヌワシは現在、どうなっているの」とこれは、成功。
 新年早々、また「どうなりました」と問う。
 相変わらずとなると、結局、持てる資料だけで記すしかない。しかし、お蔭さまでヒントはもらった。
 1月初旬、イヌワシの記述は、どこまでなのかを問う。回を重ねると、担当者にも親しみが出てくる。結構、誠実なお人柄。
 いつしか、しつこく「いつにになれば貰えるのか」は言わなくなっていた。
 その駄文の長編を嫌がらずに乗せてくれたのが、月末が発売日というロシナンテ社の「月刊 むすぶ」という京都市にある雑誌である。
 
  天下の朝日新聞と著名な保坂展人さんに対抗するわけではないが、お時間があったら、読んで欲しい。
  資料なしに持てる足だけで歩いたフィールドワーク的記述のルポである。
  ただし、川俣論文による、コンクリート固化によって発生する猛毒発生の処は、売り。さきほど本屋で週刊朝日を見た。ここはなかった。だから安心して買わずにきた。

  産業廃棄物に指定された汚泥の捨て場、土捨て場と呼び、ABCと3か所ある。コンクリート固化をした場所がどこか尋ねたくて、暮れから電話したり訪れたりしていた。
 それが昨日記述の《「出張」「休暇」「外出」を繰り返され、「他の者はわからない」「〇〇さんでないとお答えできません」仕方なく間違いないだろうとの見込みによる自分の実地体験で見切り発車した》なのだ。
 今は草におおわれているB土捨場は、私の眼には足にはC土捨場の感触とは異なっていた。コンクリートと混ぜて処分したとは書いて無かったし誰も語らなかった。初期段階から自分の目でも足でも確かめた場所であり、新手法は最も新しく堅固な門の造られていたCのみと思いこんだ次第だ。
 昨日、ようやく、しばらく待たされた後に、B土捨て場にもコンクリートを使っていたと教えてもらって、愕然。今日も丹念に関連資料を読むが、何をまぜ造成したか書いてあるものはない。つまり、お上の側は一言も捨て場の内容はふれていなかったのである。「そういう質問をしてくる方はいませんでしたので」とは言われたけれど。
 それが急に昨日情報解禁状態になったのは、かの「週刊朝日」と保坂展人氏の威力なのだろうか。

   ヒ素問題  月刊「むすぶ」2009年12月号  No 467   
   イヌワシ      〃    2010年 1月号  No 468   29日頃発売予定
        京都市東山区 泉涌寺五葉の辻町28
    ロシナンテ社 075ー533ー7062
      
            ※私の手元にもアリマス。送料は第三種なのでサービス  
  
  


Posted by やんばちゃん at 22:15Comments(0)八ッ場だより

2010年01月19日

千葉地裁判決 住民側敗訴

① 今日は、千葉県の八ッ場ダム訴訟の判決がある日。
② そして、湯かけまつりの前夜。
 約束ははっきり交わさなかったからいいけれど、複数の知人がきている。何もなかったら、駆けつけていた。
③ それにある地元の会の理事会。枯れ木も何とかだけれど、そろそろ出席しないとまずいかな。それに?ここは昼食付き(とは言っても会員手づくりのおにぎり)。
④ 相互貸出でかりてもらった書籍を返すギリギリの返却日。必要な個所はコピーをとっておきたいが、その時間なし。
⑤ 何よりも、昨日夕手にした校正原稿を抱え込んでいる。
 
 原稿の次に、どれを選ぼうか。
 やはり八ッ場ダムに連なる者の一人として、判決の場に行くべきであると原理原則にのっとる。
 もともと裁判ごとには潔しとしなかった。が、やる以上、群馬の地元にいる以上、逃げるわけには行かない。「嫌でしょ。止めたらいいのよ」とも言われたが、やはり原則に立てば「せざるを得ない」ということに立ち、原告の一人に加えてもらった。
 当時、町の、それも特別うるさい保守王国群馬のトップクラスの町の、新米議員のはしくれだった。本を刊行した時には、「八ッ場の本だって、読みたいね」とベテランおじさま、否おじいさま議員から脅しをかけるような慇懃無に言われたものだ。
 
 判決に間に合うように出かけるには、9時半には家をでてもギリギリ。刻々と近づく。
 アチコチ気持ちが錯綜。朦朧状態で、遅々とすすまぬ手元の原稿は、校正段階になっても、草稿以前の出来ばえに思えてきた上に、誤字も誤字のミスを発見。校正は一回のみ、見過ごしたら活字になってしまう。
 9時台を廻り十時を廻り、半を過ぎていく。
 今回は、相手先のパソコンの不具合と言うことで、速達で送るため、郵便局に寄って行かなければならない。
 ここで断念。「二兎を追うものは、一兎も得ず」の以前の目の前の原稿を真剣に仕上げるしかないのだ。
 裁判が、一か月延期されたということは、もしかしたら相手に賠償金わ支払わせるための準備期間か?と。裁判に精通した方が、ある裁判の時に予測し、見事にあたった。勝訴の場面ばかり思い浮かぶ。
 
      ヒ素問題関連の真実追求 
 息抜き的に、いつもいなくて暮以来、連絡のとれなかった品木ダム水質管理所担当者に電話。 今日は珍しくいるという。そして検討の後、ようやく、珍しくはぐらかされずに応えてくれだした。が、「えぇ」と悲鳴をあげざるを得ない、事実に接した。
 最近は、慎重になってオンリーワンの体制がとられだていたて、 「出張」「休暇」「1日外出」を繰り返され、「他の者はわからない」「〇〇さんでないとお答えできません」。仕方なく間違いないだろうとの見込みによる自分の実地体験で見切り発車した。
 「では、このことが公表されているもの、ありましたかしら」。
 「ないですねぇ」。そうでしょ。どこにも記載されておらず不明だったから直接、聞くしかなかったのだ。
  現に、担当者のこの職員だって、待たされて他の方に確認。応えてくれたほどなのだ。しばらく電話を待たされている間、何かカチャカチャカチャと音がする、「なに、この変な音」といいかけて口をつぐんだ。録音されているかも知れない。
 そして、他の人、上司の判断。いや「聞いたら、入っているそうです」と答えたはず。つまり実務の職員に聞いたのか。ちゃんと判るヒトはいたじゃないか。
 おそらく、内部検討がすみ、手当の整合性が整ったのかもしれない。
 「そういうこと聞いてくる方はいなかったので」とも言われた。
 政権は変わったんだよ!!
 次に何とか行こうかと思っていた、湯かけまつりも完全に頭から消えた。それに疲労感で体力も気力までも落ちている。

 そんなこんなの折に、ニュースにも聞かないうちに、早くもメールの速報で千葉地裁が下した敗訴を知る。
 政権は混迷してきている。
 完全に潮目は変わりつつある。「政権は変わったんだぞ」は振り回せなくなってくるかもしれない。
 でも、敗訴にしなければ、この間のつじつまも合わなくなってしまうこともある。それに知事は個人で賠償金を払わなければならなくなる。
 この先、裁判に負けるわけにはいかない立場の小寺前知事。その出馬は、複雑極まりない構図をもたらすことになるだろうな。
/////////////////////////
【2010年1月19日(火)14:21 共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011901000333.html
 八ツ場ダム訴訟で住民敗訴 千葉地裁、新政権で初判決  


Posted by やんばちゃん at 23:56Comments(0)八ッ場だより

2010年01月18日

24日、これもまた八ッ場方式?

 皆様、ご安心ください。
 本日16時からの、24日の前原さんとの話し合いの席での、意見発表者の調節会
にて、心配されていたAさんは12名のうちの一人として参加可能になりました。
 このうち、5名が前原さんの回答を求めます。
 もちろん、Aさんは求めます。

 長い一日でした。
 詳述はできませんが、各方面でお力添えくださいました皆様方に、Aさん・そして八ッ場の明日、その夜明けのためにお礼を申し上げます。
 24日当日の成果を信じて今後とも、よろしく見守ってくださいますよう。

 通常は、主催者が「参加は自由」ですとえば、自由に参加、そして参加したからには挙手すれば自由に意見を言えるものと考えますが、あらかじめ「意見はいえません」というのはあまりないですね。
 これもまた、独特の(ズリ上がり方式)≒八ッ場方式でしょうか。
 現実の八ッ場方式は、住民の多くが出ていってしまった現在では。ご破算状態。
 こちらもご破算になって、当日は誰でも自由に意見を言えるといいですね。  


Posted by やんばちゃん at 22:43Comments(0)八ッ場だより

2010年01月17日

24日、参加はできるが意見は言えず

 本日午後~ ようやく、八ッ場へ行ってこられました。

 24日の件については、八ッ場では回覧板による全戸配布のチラシが廻ってました。
 そのチラシをもらってきたので、以下に転載

 水没5地区内の住民であれば、20日までに住所などを記した申し込み書を提出すれば、参加はできますが、意見は述べられません。
 意見調整は、明日18日の午後4時~
 
 ダム反対を述べる予定のAさんも明日の発表者たちの意見調節の会に、参加できるようですが、はたして24日の中に入れてもらえるでしょうか。
 とても、心配です。
 こういう場面にお詳しい方、ご示唆、お願いします。
 当方のメール番号も付記しておきます。
  spq272s9@rondo.ocn.ne.jp
////////////////////////////
                          平成22年1月13日
「水没5地区住民 各位」
                       
        八ッ場ダム水没関係五地区連合対策委員会 
                      委員長   萩原 昭朗

        〇〇地区八ッ場ダム対策委員会 
                        委員長   〇〇 〇〇  

日時   1月24日(日)
         受付 午後1時~
         意見交換会  午後2時~3時30分
場所   長野原町総合運動場 若人の館(体育館)

主催    国土交通省

その他  
     ・時間などの都合により代表者が意見を述べる形にさせていただきます。
     ・水没五地区住民の方はどなたでも傍聴する(会場に入る)ことができます。
     ・参加にあたってはできるだけ車の乗りあわせでお願いいたします。

..........切り取り線...................................

  この後、住所などを明記して20日までに提出の申し込み書あり                    


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2010年01月16日

転機を迎える? 

 24日を前にして、ニュートラル状態の八ツ場です。
 さきほど、午前一時半近くようやく最終を入稿し終えて、今日は現地に電話をする暇がなかったなと思った。
 一つがズレ込み、二つの草稿が同時進行となってしまって、24日のことを問う、遠方の方の電話にもそそくさとしてしまい、失礼になったかなと気がめいる。
 夕刻に、ある処のある方が、送ってくれた出版物には、小沢幹事長の小寺前知事支援の来県時の記事があった。一部地域のみの発売前なので詳しくは書けないが、小寺出場は八ッ場と民主党路線への裏切り的論調にまとめてあった。
 お礼を兼ねて、閑話休題的な寸暇の雑談の中で、真意を問う。
 こういう記事の裏には、かなり屈折した真意があって、私ごときでは読み取れない。

 本当にどうころぶのだろうか。
 加えて、ダム建設反対派の方の意見は当日、言える余地があるのだろうか。その確認などもある。

 本当は今日あたり現地に行くつもりで、特産物のあるものを頼んでおいたのだが、昼頃、判断し断念。明日行けたら、それこそ寸暇の時間で行ってこよう。
 秋以来の立て続けの座り仕事で、昨夏は農作業こどに専念しすぎて、自然体で5㌔も落ちた体重が、また元通りという現象下にある。
 道前で始まった普請ごとものぞいてみる余裕なし。頼んだ棟梁は同級生だからまずいかもねと思うが……
 
 さて、明日は「どんど焼き」、6時には太鼓による、触れが廻ってくる。寝てはいられない。
 今は、ソノ任務にないから良いけれど……、夜と朝の触れ太鼓の廻りには例年、子供たちに手をふって激励したものだった。  


Posted by やんばちゃん at 02:07Comments(0)八ッ場に願う

2010年01月15日

民話風 八ツ場のイヌワシ

 聞きとりしたイヌワシのことをわかりやすくするために、物語風の民話風に記してみました。
「物語」「民話」と断定できない、筆力の弱さがあります。
 かえって判りにくくなってしまったかもしれませんね。
 中でも、感動したイヌワシの巣の真下の谷間に、海魚の骨がちらばっていたとのドキリとする証言の部分を。
      
   「イヌワシよ、海の青さ空の色よ永遠なれ」

 赤褐色の吾妻川沿いの子供たちは、「川の水は絶対に飲むなよ、腹こわしをするからな」と親たちから固く戒められてきた。
 この川と旧信濃街道の草道沿いにへばりつくように点在していた村々のはるか上空を、かなりの大きな鳥が飛翔するのは子供たちにとって見慣れた風景であって当然なのに、意外にもハッキリ見た者は少ない。エサを採る時以外は、それほどイヌワシは天の極みを用心深く翔ぶ。
 「山の子はの貧しくて働かなきゃならんかったから空なんか見上げている暇なんかなかったよ」とうそぶく者もいるが、鳥の種類も多くてどれが他のタカだか断定しにくく、実際にイヌワシを見たと言い切れる子供は少ないのだ。
 でもイヌワシという名前とねぐらにしている場所は、目の前にヌッと屹立している絶壁状の珍しい形の丸岩方面なのだと、村の子なら大体の子が知っていた。
  ーーー大幅、略ーーー
 代々、横壁に住んで400年は越えるという家がある。そのご先祖からの口伝によると、このイヌワシは一時、高ジョッキの岸壁にある洞穴のような岩の窪みにも棲みかを持っていたらしいのだ。
というのはご先祖の若い日のある秋の山仕事の折り、昼やすみの腹ごなしの運動を兼ねてきのこを求めて、高ジョッキの真下辺りの山間いに足を踏み入れると、葉の落ちた木立ち越しの谷底におびただしい魚の骨類が散らばっているのが目に入ったそうだ。
 上方を見あげるとどうやら、上方の岩の窪みにイヌワシの巣があって、魚身の部分だけそそって不要な骨類を谷底に落としているのだろうと容易に推測できた。捨て場の折り重なった魚の骨は、長野原町近辺で見られる川魚とは異なって、骨格のしっかりした魚が多かった。ひと際大きいのは山間部では年に一度、お正月様に供える以外には、めったには買えない荒巻サケに似ているのでサケではないかと憶測できたという。
 また林の村でもある時、どうしたわけかこの大きな鳥が口ばさんでいた獲物を凍てた冬の空から落としたことがあった。拾った村人の誰もみたことがない、色鮮やかな海の魚だった。酸性の濃い川筋で魚の育たないこの地方一帯では見たこともない魚であったという。草津温泉の先の県境の山々を超えれば長野県である。となると、この鳥は遠く日本海側の新潟方面の海までひとっ飛びに飛んでいっているのではないかと考えられた。昭和初年の海なし県の者にとっては、海の魚は見たこともない大ご馳走だった。
 この時期、秋の11月頃~翌年の春過ぎまでは、巣作りから産卵した雛の生育期にあたる。「鳥も子供にうんめぇもん食わせたかったんだんべぇな」と、海色の青の濃淡のつややかさに心躍らせ、「偉え、鳥だ」とますます、この鳥に対する畏敬の念は深まっていった。
  ---後略ーーー  


Posted by やんばちゃん at 22:53Comments(0)八ッ場だより

2010年01月14日

八ッ場のイヌワシ 拙稿抜粋

 八ッ場のイヌワシのことを書いています。
 書き過ぎて、12000字(原稿用紙30枚)になってしまって、締切間際の刈り込みに往生。
 そんなわけで、昨日の本欄は、パスさせて頂きました。
 でも、1日でも休むのは残念なので、過日、日にちが変えられることを学びましたので、翌日の15日になって入れました。お許しを。

 八ッ場のイヌワシ  保護作戦ならぬ、絶滅作戦か?  

   --略ーーー
  八ッ場ダムは、1997(H9)年の環境影響評価法(通称:環境アセスメント法)の制定前の、《1985(S60)年12月に「建設省管事業に係わる環境影響評価に関する当面の措置方針について」[1978(S53)年7月1日建設省事務次官通達]に基づき、環境アセスメントについては完了》とし、《1993(H5),年度より本格的な工事に着手しました》としている。
 この間、再三にわたる市民たちの「法に基づく環境アセスメント実施を」の指摘を無視し続けてきた。
 昨年H21年末、八ッ場ダム工事事務所に同年9月に公表予定だった「八ツ場ダム環境保全への取り組み」なる報告書には、ヒ素などの水質問題と並んで「イヌワシのことも掲載されているのか」と質問した。
掲載されているが、(未だ日程すらメドのたたない)第三者機関「八ッ場ダム環境検討委員会」に示し、公開の是非を検討した後ではないと不可との回答であった。
 「現在どうなっているのか」に対しては「イヌワシの営巣はなし。代わりにクマタカは増えている」とのこと。当初の「イヌワシはダメになった」の表現を早合点して、ダメ=死滅と受け止め愕然とした。が、問い直して「飛翔はあるが営巣はなし」を確認、安堵した。けれど、猛禽類の生態に詳しい方々は常識的に「イヌワシは一旦巣を開けてしまって14年間も営巣がないと極めてむずかしい」と異口同音に答えてくれる。
 従って早晩、最悪の場合にはトキと同じく運命を辿らざるをえないのではないか。巨額の金をつぎ込んでも再生できればまだ良いけれど、これだけ開発されてしまった八ッ場では、死滅への途上、その現在進行形上にいるわけである。
 取り組みの推移は、
 1995年(H7) 絶滅危惧種の調査開始
           イヌワシを中心とした猛禽類の生態に関する調査実施
 1998年度(H10) 「八ッ場ダム周辺猛禽類調査検討委員会」設置。以後「委員会のご意見ご指導を頂きつつ、継続的に調             査・検討」を実施
     ーー 以下、大略ーーー  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2010年01月13日

昨夜のダム対策委員会再現記

 
以下は、(今朝になって複数の方に伺ったり電話戴いたりして)浮かび上がらせた私的地元情報収集業務のご披露。
なお、昨晩までの川原湯は雪はチラついた程度で、路面凍結はなしとのこと。今朝ちょっと白かった由。でも、雪の朝の上天気で、溶けることでしょう。ご縁もツキもなかった今回でした。

  現地の昨夜の会議の具体的内容
 一、時間配分
 17時~19時過ぎまで  会議
 19時過ぎ~       萩原委員長・高山町長が記者会見
 20時近く~21時半過ぎ位まで  新年会
 解散後~        待っていた記者たちも交え、居残りの委員たちが懇談会
 23時過ぎ       テレビ朝日の放送を観てから、残っていた委員も帰宅

 二、 決定事項
 24日は「ダム推進」の立場を訴える内容にする。
 24日、14時~ 長野原町「若人の館」にて
 参加者は水没地に限る。
 報道関係者は可
 意見を述べる者は、10人以上で各地区から人選した。
 一人三分以内。
 司会役が困るから、前もって、意見集約をする。
 
 三、 余談 三題
 ① なぜ、時間まで記したかとというと、「昨夜、報道ステーションに八ッ場が出たんですよ。しかも、横壁の地すべり問題が」と観てもらいたかった思いで、伝えると「ああ、観たよ。あれ観てから、お開きになったんだもの」とのこと。皆さん、地滑り問題には全然。ご関心ないの?
 生活再建の金は、新規の施設を造るだけが能じゃなく、そういう生活基盤への目配りも必要なのにね。ガックリ。

 ② なお、萩原委員長は冒頭のあいさつで、この日、高崎市のホテルに行ったことをご披露。 理由は「ダム推進の強化」を小沢幹事長に頼みに行った」との説明だった模様。
 萩原さん! お訪ねした先は、小沢さんではなく、小寺さんだったでしょ。早くも小寺さんと同じく変質ですか。
 それに、前日、「中曽根さんと小寺さんを書くんかい」と村内で突っ込まれた際には、なんとお応えなさってます?

 ③ さて、ここで最後に「ダム反対」的な立場を貫く、Aさんが意見を述べたい旨の意志表明をしたと聞き、ほっとする。
席上、ダム対策課を通じて申し出ている旨が披露された由にて、「何をしゃべる気か」と一時、批判で騒然となった様子とか。 ……たぶん要旨の事前提出ありでは?
  早速、当のAさんにも「やはり、お出になるんですって。良かった」とエールの電話。あいにく電話が鳴ってしまって、奥さんが出たけれどAさんに急ぎの用事ありとかであまり話せなかったけれど。
 
 先日の結論の上にたって、私たち市民運動の側がどこまで動くか、動けるか。「介入」的な行動とどこで一線を引くか、むずかしく慎重な判断が求められます。こちらも十分に協議を重ねたいと考えます。
   
  にわかライターとジャーナリストの違い、ここに歴然とありか  
 思いだしたら昨日は、小寺出馬の群馬検挙選史上の画期的節目の記者会見上に臆面もなく参加させてもらったのでしたが、なんと私も記者たち同様に名刺、それもライターのではなく、ダム反対の名刺を渡して「ダムのことは絶対に止めてください」的なことを伝えながら、渡していたのでした。
 ライター用の名刺は入口のところでの一枚しかなく、最初は記者たちが並んでいるのを遠くから眺めていただけだったのでしたが、ある記者の挑発気味の質問に応えているうちに、つい乗ってしまって意気軒昂となり……
 その点、全国行脚のジャーナリストさんは立派。終了後直ちに、かなり長いこと、小寺さんに質問。記者たちの人垣ができても平然。終わってから「〇〇さんですね」とあいさつした際に幾つか伺うと、ボイスレコーダーを掲げて、「これで言質をとったから」とのこと。
 会見時の右往左往状態と言い、まさに、片足は市民運動のにわかライターと職業ジャーナリストの違いが、露呈?   


Posted by やんばちゃん at 23:54Comments(0)八ッ場だより

2010年01月12日

今日のダム関連、顛末記

 現在、23時過ぎ。
 ① 八ッ場ダム現地では、現在も検討会ならぬ、酒盛り談義が続いているようです。
  本日5時~ 24日の対応も含めた役員会議が開催。
  忘年会をしなかったので新年会を兼ねて、柏屋旅館に結集。水没地の役員に県・町行政などらしいです。
  従って、「マスコミ対応はなし」とのことでした。
 ですが、先日呼びかけの今後の活動において、その日の雰囲気を知っておくのは必要。やはり行くだけは行こうかと思っていたのですが、以下③に記す記者会見が終わったのが、16時近く。
 車の中で現地の方にも、“あるニュース”を伝えようとして携帯でかけたところ、今出かける処との由。
 「え、こんな早く?」と問うと、会議は5時~とのこと。
 「やだぁ。どんなに早くても6時からだと思っていた。行こうかと思ったのに」と重ねると、「今日は来たってしょうがねぇよ。入れやしねえから」とおっしゃる。「でもさ、皆様方の空気をそこはかとなく知りたいし。行けば、得るむものもあるでしょうし」と伝えつつ、電話を切った。
 が、高崎市内も折からの冷雨が降り始めた。長野原は雪だろう。ニュースは天候悪化を伝える。川原湯温泉街の凍てついたツルツル道が浮かぶ。温泉街の一番上の会場まで上がれるか、心配になってきて、しだいにおじけつく。
 つい臆病になって断念。

 結果のアウトラインだけでも知りたくて、22時。「もう、御休みになられたでしょうか」と言うと、奥さんがまだ帰らないとおっしゃっる。22時40分、今度は息子さんが「まだです。たぶん、飲んでいるんだと思いますので心配しないでください」という。 
 でも、もしかしてと大雪にでもなってしまっていてとか、他人のご亭主ながら、だんだん心配になってきたことと、早く顛末が知りたいことが重なって、参加しているある筋の方の携帯に。何事も最後の何分かのこらえが利かない性分なので弱る。
  受話器にざわついた空気が伝わり、まだ現地にいらっしゃるとのこと。
 会が引けた後、きっと役員も駆けつけたマスコミ陣も交えて、どうやら呉越同舟、盛り上がっているらしい気配に、ひと安心。
 となると、今度はやはり行けばよかったと悔いが頭をもたげ、全身を覆い始める。
 そうなんです。目下、悔いています。
 ……でも、マスコミ筋はいい。一応は中立だし、現地の方たちはマスコミには一目おくから。でも私の場合にはそうはいかない。門前払いか白眼視が待っているかも知れない。否、結構、打ちとけられるチャンスかもしれない。しかし、反対の立場を通してきたものが打ち解けてどうなる。小寺さんと同じく、ふらつきになってしまう。

② ついさっき、テレビ朝日の報道ステーションの最後で、「災害防ぐダムが逆に地すべり災害の要因に家が傾き……」の番組がありました。滝沢ダム・二 ダムの地割れ、大滝ダムの白屋地域の地割れなどに続き、わが横壁地区ですでに兆候が見え始めた、地滑りへの危険性などが放映されました。川原湯温泉の役員会議中の皆さんにも、電話してお伝えしたいくらいでした。

③ 肝心の報告が、おろそかになりそうです。
  本日14時45分、高崎メトロポリタンホテル6Fのしらさぎの間にて、民主党による小寺前知事の参議院選比例区出馬の記者会見。急きょ、参加。おそるおそる主催者の民主党筋の方に伺うと、0Kとなった次第。大慌てで身支度、かけつけた。
 八ッ場を「建設推進」に方向転換させた清水元知事のもとでの自治省~群馬県庁入り。そして秘書課長の時に密命を帯びて八ッ場現地との調整役を担った小寺前知事。
  まず、昼前に高崎入りしていた小沢幹事長による推薦の記者会見。小沢さんは17時からの、民主党党本部における幹事長記者会見に臨むため、一部のみで退席と前もって説明あり。
 ところで、小沢さんへの質問にたった記者クラブ代表質問の記者の口から、冒頭「本日、八ッ場からも見えていましたが゜」の言葉が繰り出された。その後のジャーナリストも八ッ場ダム問題に言及。質問はまず、退席する小沢さんへのことを先にとの制止がかかる。
  でも、「誰だろう、八ッ場からとは?」 とまずは賛成・反対の双方が想定され、疑問と関心がムクムクと大きくなってしまうのは仕方なし。

 
 ほどなく、小沢さんの退席後の二部は、中島政希衆議院議員による司会進行によって、立候補者・小寺さんへの所信表明と質問に移る。
 抜け出して、室外に出て、「誰ですか?八ッ場からって」と問う。
 なんと、萩原昭朗委員長らしい。
 あっと、思う。午前中、現地にかけた電話の中で、「今日は萩原さんも行くかのう」という方がいた。「まさかぁ、民主党ですよ」と一笑に付してしまったが、あの方はもしかたら、知っていられたかもしれない。でも、二人の間には接点はないはず。
 会見会場にもどると、丁度、小寺さんが「萩原さんは、私がお呼びしました」と説明している。なまじ抜け出していたために、前の関連がわからないから、ますます混迷。
 記者からの質問は、どれも八ッ場問題への関連、小寺さんの姿勢などに終始していた。
 しかし、小寺さんは「水源県・群馬の知事として水行政には関心をもってきました」とか、「八ッ場ダムは国策であり、県営ダムとは違いますので」とかの言葉で、退席していたために、全容がわからなくなっている私の頭にはすべってしまって入らない。
 記者の質問に対して「萩原さんとは三〇年来のおつきあいでして」と答えているが、小寺さんが今日という日に、わざわざ萩原さんを招く理由は?  どういうことだろうと思って、全体がつかみきれない。
 前のめりになって聞いている私の顔はもしかしたら、ひきつっていたかもしれない。それが証拠にまばらになりゆく記者席の隅の私と目があった、中島衆議員さんは眼元で笑っていて、会見が終わったとたん、退席中の脱落部分を隣の記者に問いかけてよそ身をしていたら、思いもかけず、いつのまにか脇にたっていらっしゃった。
 そして、「八ッ場のことは大丈夫ですよ。安心してくださっていいですから」と口早にいわれて、すぐにまた小寺さんのエスコート役にもどられた。すかさず、「今の言葉で安心できましたか」などと辛辣な質問をぶつけてくる記者もいた。

 
 ようやく正しく、全容が飲み込めたのは部屋を出て、エレベーターに向かう道々。
 何のことはない。たぶん昼食時に小寺さんが、ご自分の後援会の長年の幹部を30名ほど招待したらしく、その中のお一人が萩原委員長だった由。それならまあ判らなくもない。選挙戦術としては妥当で、さほどの問題はないと思えたが、ある新聞記者は「それでも、くさいですよね」と言いつつ、足早に立ち去った。
 確かに、よりによって争点となる八ッ場ダム問題、その関係者中のトップを招くとは。
 
 さて、この数日来、八ッ場への電話では、推進派の方からのダムの旗振り役だった小寺県政への責任追求の声が手厳しい。「無責任」とか「ひきょう者」とまで言っていた。吾妻郡の小寺票は萩原さんが集めたんだから、「ハぁ、吾妻から書くモンはいなかんべぇな」との声まである。
 だからと言って長年の恩義のある萩原さんを抜くわけにも行かなかったろうし、呼ばれた萩原さんも拒むわけにも行かず参加した。それがすくなからず物議をかもした形になったというわけらしい。
 政治の世界は、どうに転ぶかわからない。
 だが、小寺さんの民主党入りで、八ッ場はますます混迷して、ダム中止も当初のようなスッキリとした「中止」への解決策はもたらされないのではないだろうか。さまざまな取引き要因が加わってしまうことだろう。何度も書くが、選挙の借りは大きい。  


Posted by やんばちゃん at 23:33Comments(0)八ッ場だより