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2012年06月24日

本会のこともありました

【2012年06月23日 毎日新聞 新14版 第二社会面28面】
   八ッ場:着工 道筋つかず 
 再開決定半年 政治混乱追い打ち


 http://mainichi.jp/select/news/20120623k0000m040090000c.html
http://mainichi.jp/select/news/20120623k0000m040090000c2.html
http://mainichi.jp/select/news/20120623k0000m040090000c3.html

 ※当地の新聞にはね写真はありませんでした。
 ※上記サイトは前夜の無料配信時のものです。  


Posted by やんばちゃん at 22:41Comments(0)八ッ場だより

2012年06月21日

20日の衆院国土交通委員会 八ッ場大臣視察

 またの勝手に個人申請の休暇でした。台風の晩の19日の当会の例会にて、パワーポイント作成に追われてました。でも、なかなか専念できず…… 
 早朝の地域を流れる川筋の草刈り作戦地、それに葬儀ごとが続けて3つ。梅雨時は、畑の草も竹やぶのタケノコもグングンと伸び、本当に駆けずりまわる季節です。ゴミ捨てに行って、つい手が伸び、一本を抜き取れば、後は際限なしに。

 さて、 「ST0P八ッ場ダム」の本領に戻ります。

 昨日20日の衆院国土交通委員会にて、群馬県選出の佐田玄一郎議員(自民)が、下記の質問冒頭で八ッ場ダムの必要性は妥当の質問を行い、「視察をすれば、すぐわかる」と、早期の視察を求めてました。
 羽田国交相は答弁の中で、「地元の知事や町長との調整を進めたい」との意向を示し、「指示はだしてある」と応
えてました。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=41919&media_type=fp
 佐田玄一郎 19分間

 また、本日の上毛新聞一面中段には、以下の報道があり
ます。
 「八ッ場 視察の意向 羽田国交相」


 さらに同じく上毛新聞一面トップの
「国会大幅延長」の記事中の関連として、「消費税増税関連法案」をめぐって、群馬
県選出議員のコメントを掲載。
 その中で、中島政希議員(無所属)は、「八ッ場ダム中止のような根本的な行政改革を抜きにしての増税は認められない」と
して、採決では反対と語ってます。

  


Posted by やんばちゃん at 09:45Comments(0)八ッ場だより

2012年06月17日

赤いオベベの金魚たち、ゆったりと





 ようやく、晴れました。
 さわやかです。
 現状ご紹介のまだ途中ですが、ここで、心なごむ画像を。
 ある場所の水田の端の小さな用水に、ある素敵な女性の方が、金魚を飼っていられました。この日、そおっと近づくと、草むらに待機。で、ちょっとかわいそうだけれど、足でトントンと地面をたたきました。すると。思惑とおり、エサをもらえるかと勘違いしたらしく、スーとおよいできました。で、何枚か、その中の一番、構図の良い、一枚です。

 今朝のテレビにもありましたが、みずのきれいなのは何物にも代えられない宝もの。 
 こんな、なごやかな自然の残る八ッ場の風景を守り抜きたいものです。  


Posted by やんばちゃん at 15:08Comments(0)八ッ場だより

2012年06月14日

そこは、共同墓地でした




 何気なく、足を踏み入れた木立の中、お地蔵さまがありました。その脇に小さな石仏。
 何となく不思議な気持ちがしました。そのちっょと先の草むらにはコンクリートの台座がありました。その辺りはかすかにさこがかって通り道であったとうかがい知れる踏みしだかれた細道がありました。
 初めて、訪れた木立の中だけれど、ここにはかつて家があったのだと思いました。それにしても、かつてお目にかかったことのない跡地でした。

 この場所は、上湯原の代替地造成のすぐ上方。まだ、開発の手はのびてませんでした。
 ほどなく、存じあげているお宅の顔なじみの奥さんが、籠に野菜をいっぱいつんでの帰り道に出会いました。それとなく、「あの木立の中はどなたかのお宅だったんでしょうか」と問いました。
 するとなんと、川原湯温泉地区の墓地だったのでした。
 墓地はすっかり、東側斜面に拡がっている場所がそうだと思い込んでましたら、それはこのお宅の御一族の個人墓地で、川原湯温泉で働いていた方や関係者用に必要に迫られてつくった墓地とのことでした。もう、移転に伴い、ほとんどの家が墓地移転してあり、写真の一体だけのようです。

 きいたら、先ほど来の妙な感覚の原因が何となく、氷解したような…… 霊にでもとりつかれたら困るなと言うヒンヤリとした思いがよぎりました。
 若い日に史跡めぐりで歩いた新宿の、遊女たちの投げ込み寺などの様が浮かびます。
 往時のにぎやかな川原湯温泉街では、確かに他所からの転入者たちにとっては必要不可欠な墓地だたのでしょう。墓地の移転費用にも補償費が支払われます。
 
 それぞれの新天地で仏様たちも落ち着いていられるでしょうか?
 魂の安からんこと祈りつつ、どうか、無断で入った罰があたりませんようにと祈る次第です。
   
タグ :八ッ場ダム


Posted by やんばちゃん at 22:53Comments(1)八ッ場だより

2012年06月13日

上湯原地区 現在の造成工事 その二



 昨日の、分断された「萩の小道」の断崖を降りた地点から、下流方向の風景です。
 
 次の写真は、この拡大図です。



反対側、2号橋方面です。



 次は、今月6日に行った時、冒頭の写真などに移っている小陸橋の上から、両方向をみたものです。
 ※……写真の上下が黒いのは、当方のカメラの不具合です。乱暴に扱うので、今年になって求めたのに、シャッターの蓋があかなくなってしまって時に手動式なのですが、この時は平日で、陸橋上での撮影で、せっかちさんがより慌てて、確認への気配りなしの結果でした。
   

 






















 

 そして、この道の上方にほぼ整地のすんだ代替地です。同じく6日の日のものです。上方の建物は、豊田牛乳さんの工場です。看板には、「代替地」の文字がありました。
 


  


Posted by やんばちゃん at 10:37Comments(0)八ッ場だより

2012年06月12日

川原湯・上湯原地区 現在の造成工事 その一




 川原湯温泉、上湯原地区の造成風景です。
 最近度々、通行止めもう回路も変わり、面食らいます。
 ところで、上湯原地区で、現在、現地に住んでいられる家は、たったの2軒。しかも、その2軒ともここに移り住むかといえば、それはどうなのでしょうか?
 なんといっても、ここは学者さんなら、一目でかつて、地すべりしたことがお分かりになるという、いわくつきの土地。こういう場所をさけて、ご先祖たちは今の場所に定住してきた経緯があるのです。
 そこに住めなんて……
 災害の時には、どうやって責任をとってくれるんでしょうか?
 大飯原発再稼働問題で、野田総理が軽々と口にする責任問題は、八ッ場ダムでの国交省と同じ無責任さに感じられてなりません。



  元は、周辺一帯が雑木林でしたが、かなり造成がすすめられてしまって、リリカルな小道だった「萩の小道」もあちこち寸断されてしまってましたが、この一角の木立ちの中は部文的に標識とともに残ってました。


 二枚目の写真は標識の文字の側から撮ったものです。 この下は舗装道路となっています。道路端に植木類が植えられているのがお分かりになりますでしょうか。
 
 

 道路の両端はの様子は次回に。
   


Posted by やんばちゃん at 21:18Comments(0)八ッ場だより

2012年06月11日

横壁地区、工事中の記憶図は消えず




 6日の日の写真がご紹介しきれないうちに、昨日も、またの八ッ場行きとなりました。
 写真は、横壁の代替地と本村を結ぶ、高架橋。どっかに「虹のかけはし」などとありましたけれど、無理やり作り上げた虹のように思えます。(ソウソウ、虹ってはかない一時のものですよねぇ)。
 実は、6日の日に、工事の検査日、正式名はなんとよぶのでしょうか、お役人風の男性数名と、工事会社風の男性陣約10名ほどのたちあい、点検作業風景に出合いました。




 上の写真は、代替地の側から、丸岩方向を臨んだものです。
 手前の白い壁、木塀のお宅が、補償交渉委員長その他、歴々の要職を兼ねる、土地の実力者、萩原昭朗さん宅です。
 
 そして、次の写真は、さらに近付き、というより、萩原昭朗邸側から立ち入り防止柵をくぐって、高架橋の中ほどまで進み、十字路の様子を写したものです。
 開通式は、確か、今月の20日10時~とか聞いてます。

 最後は、もともと高台にあった中村地区方向から、代替地・2号橋方向を臨んだものです。
 さて、冒頭の写真と、真中・最後の2枚の写真との時間には、約3時間ほどの時間差があります。どちらが早く撮ったものかおわかりでしょうか。



 ……こうやってつくづくみますと、八ッ場ダムは、補償交渉委員長・萩原昭朗さんのためにあったとしか思えませんねぇ。
 だって、水没しないこの高台の、写真の豪壮な新築家屋も、なんと「新築補償」なんですもの。理由はこの高架橋が延びた先の町道の拡幅により、お屋敷の裏の塀がかかった為とか? でも、萩原邸だけで、諏訪神社への登り口はもとのままの狭さ。
 中型の車がやっと通れた萩原邸への細道が、ゆったりたっぷり不自然な2車線に変貌したのですから…… ここまで大改革やったのだから、高架橋から諏訪神社に向かって、まっすぐ広い道路がのびるものと想ってましたけれどねぇ。
 いかに、一帯の大地主とはいえ、自由自在の工事にて、まさに“わが世の春”と言ったところでしょうか?
 しかし、この完成図に向かって、この数年間、まさに自由自在のめまぐるしい通行止めや路線変更が何回、あったことでしょうか。
 人々の心に刻まれた“消えた工事の記憶図”とでも言ったところでしょうか。  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)八ッ場だより

2012年06月10日

巨額を投じていち早く完成の、横壁地区の付替えJR線




 これも、写真のご披露は初めて。他の方たちの紹介の中にもお目にかかったことはなかったと記憶しています。
 最近、クリックしてくださる方が増えていますが、これらの未公開写真にご興味を持たれてのことでしょうか?

 横壁の白岩沢にまたがる、付替えのJR線です。
 工事着工・終了は、かなり早かったと記憶しています。今では通行不可となっていた、2号橋下の吾妻川右岸を川沿いに走って、横壁へ通じる昔からの道があったのでしたが、そのうす暗い細道を走った先に、工事現場に遭遇したものでした。
当時の写真の日付けを追えば、正確な日づけと進捗状況がわかるのですが……
 巨額を投じて、こういう工事をいち早くすませ、「ここまで、できたのだから」と引くに引けない状況をつくりあげてきてしまうのです。
 何年か先の、いざ開始の時には、様々な点検作業があるでしょうに。その間の維持点検費はどこから出るのでしょうか?

 陸橋をくぐった右手奥の建物は、土地の有力者で土建業も営む会社の資材置き場。名前入りのユンボが幾つかありました。
 左手の手前の小高い鉄柵の中は、横壁温泉の源泉?施設です。






JR線の写真ですが、川原湯側から横壁方向への全体図です。坑口の真上の山の一番高い木は、たぶん、過日来、ご案内の「天狗松」ではないでしょうか?  


Posted by やんばちゃん at 10:23Comments(0)八ッ場だより

2012年06月08日

昔の横壁・東地区の飲料水、えもり沢源流




 梅雨入りま近。
 山の中の工事中らしい新設の進入路の先に、いつかは行ってみようと思っていたのでしたが、その機会と勇気がなかった奥山のまだ見なかった場所があります。もう少なくとも2年目の春となるはずですが、東沢防災ダムの上方の木立が伐り払われ道が付けられ、進入路の先で工事が行われているらしいことは知っていましたが…… 
 一昨日の6日、、その場所についに訪れることができました。最近、うれしいご縁の出来た、Cさんとのお茶飲み話の後、「まだ、3時だねぇ。フキでも採りにいくかね」となり、意気投合。
 その時、工事用進入路のそこは車で走れたので、足をのばして、思いもかけなく行けたのでした。かねがね思っていた場所でしたので、またもキョウキ乱舞の喜びの一時でした。
 
 正面には、末尾の写真の光景が広がってます。
 しかも、写真手前の道の両側はこのCさんの所有地とのことなのでした。これもまた驚き。足を踏み入れてみると、沢の源流というきれいな流れの一帯には、ひ弱な風情のワサビもいっぱい生えていて、ときめくことしきり。


 冒頭の写真は、こもれ日の中に息づく山野草の「一人静」です。
 その名の通り、奥山でひっそりとしっとりと咲いています。小さな花穂が2本あるのは、二人静と呼ばれています。
 
 横壁の東地区の上方には東沢という清流があります。
 次の写真は、この東沢に合流する、「えもり沢」の源流です。Cさん宅所有の沢です。ここから清水がわき出ていて、かつてここでわさびを栽培していたのだそうでした。
写真の地主さんの先々代の頃のようです。さらにこの沢の水は、東集落の飲料水となって使われたそうで、お嫁さんにきた頃は、洗濯物などは村外れの下流域で洗ったそうです。「じゃあ、この水、飲めますよね」と言うと、「ああ、大丈夫だよ」と言われ、おもいきり飲み、持っていたペットボトルにも汲んできました。
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 そして、その先では、次の写真の防災ダムの工事が行われています。ダムとは関係なく、本来は1999年の東沢おそった集中豪雨の前に計画されていたらしいのですが、一部地主の反対で延び延びになっていた矢先の災害だたようです。で、ずっと下流に取り急ぎの防災ダムが建設された由。でも、もう堆積物でかなり埋まってしまっています。
 本日ようやく現場にきて、東沢の防災ダムに関するこれまで聞いてきた土地の方たちの話の断片が一つにつながり、やっと全体像が把握できました。 。
  



 写真右手の小高い山は、丸岩のすぐ脇の山です。 左手の突起状の山はもっとも高い、高ジョッキ。一昨年登りました。その急峻な尾根がはるかに臨めました。
  ひょんなことから、ときめきの時がもてました。まだまだ未発掘の素晴らしい場所がこの地には残っているはずです  


Posted by やんばちゃん at 22:41Comments(0)八ッ場だより

2012年06月07日

ご存知ですか? 川原畑の問題工事現場に東電の点検通路



 ここはどこか、おわかりでしょうか。
 おなじみの鉄分の多い強酸性土壌のために、防護壁のコンクリートが褐色に変色してしまっている、川原畑の代替地を走る付替え国道です。
 誰しも、アンカーの打ち込まれ、黒味を帯びた褐色のコンクリートに目を奪われても、その下部がどうなっているのか、多くの方がご存じないのではなかったのではないでしょうか。
 
 ご覧ください。
 国道をまたぎ、代替地側へ抜けるようです。
 時刻は18時半近くでした。林方向からバイパスに出ての帰途の道、j末尾の写真、真ん中の写真の右手奥に小さく移っている防災ダムの褐色の防壁の度合いがひどいので、写真に撮ろうとして車を降り、ロープの中にちょっと入って撮り始めたら、「カ~ン、カーン」と金属を打つ音がどこかでしていました。
 ほどなく、道路の反対側の飯場から、「入っちゃダメだよ!」の阻止の声。
 で、戻りかけようとしたのですが、さっきの音はなんだろうと注意深く辺りを見まわすと、大きなコンクリートの土管状の脇でボルトを止めている作業新の頭が見え隠れしていました。
 定時はとうにすぎているのに、残業もしくは、昼の作業が終了してからの突貫工事のようです。
 
 それにしても、何の管かと思って、さっき、阻止の大声を出した作業員さんの処へ道路をわたって聞きにいきました。「さっきはごめんなさい。写真をとるだけでしたので……」とわるびれずに。こういう時、オバさんのずうずうしさは役立ちます。
 すると、東電の点検時の通路とのこと。車で往復できるように造ってあるとのこと。
 思いもかけないことなので、いぶかしげな顔をしていると、「もう、導水管が通っているんだよ」と教えてくださる。
 はい、それは先刻承知のことなんですけれど……

 「ええ、長野原取水堰から松谷までとおっているはずですけれど……」と首をかしげてしまったのは、もしかしたら先々、発電をやめるかも知れない東電がもどうしてこんな設備投資をするのだろうかしということが、頭をもたげたからでした。県企業局は発電も計画と、第三次計画で公表得しているからです。その際には、吾妻水系には絶対的な水量問題があり、その場合には東電の去就が浮上してくるからです。
 
 でも、八ッ場ダム計画は行きあたりバッタリ、使わなくなれば、また、国民の税金をつかって壊すのでしょうから?
 しかし、地すべり問題も含む問題点大いにありの難所の場所なんですよね!!

【全体図】



【奥の防災ダムの拡大写真】


  


Posted by やんばちゃん at 22:23Comments(0)八ッ場だより

2012年06月06日

『長野原町の昔ばなし』所収の天狗松




 「天狗松」の言い伝えも載っている、長野原町発行の、と言っても国交省のダム予算による、650ページ、A4サイズのクロス張りの豪華本、『長野原町の昔ばなし』です。
 



 
 最後に樹齢400年の天狗松の全体を。




 本日は八ッ場に行ってきました。
 得難い場所と新発見がありましたので、明日からお伝えいたします。


  


Posted by やんばちゃん at 22:05Comments(0)八ッ場だより

2012年06月05日

天狗松の由来/幻のお弁当/やまた屋、実質5000円の宿泊費




 白岩沢のワサビ田にいく前に、天狗松を訪れました。
 つい最近、地主さんが、天狗松の周辺の木立を伐採。桜の苗木が植えられていました。まず、幹の周りに地主さんのBさんは持参してきた清酒を丁寧に降り注いで清められてました。
 
 写真は、伐った木材の椅子にすわって、「天狗松」にまつわる由来をBさんが語っている場面です。
 

 



 次の上の写真は、白岩沢探訪の後、東沢の防災ダムの上に座り込んで、宿の方が届けてくださることになっている、待望の昼食待ちの間の歓談中、昨晩のお茶菓子に求めた、豊田牛乳さんの特製ヨーグルトやお菓子類を戴いている場面です。
 ご覧ください、この絶品の周辺の景色を。八ッ場の最も素晴らしい新緑を満喫させてもらえた2日間でした。
 この1999年8月の集中豪雨後゛、東沢に建設された防災ダムの中には、フキノトウがいっぱい芽生えるのです。時に、上流からのワサビもありました。でも、ご多分にもれず、今は土砂が堆積してしまっていて、かつてほどの清々しい大ぶりのフキは育ちません。左手の木立は防災ダムの中でのさばっている木々です。
 右手の車の脇には、天狗松を案内してくださったBさんのワサビのフレームがあります。

 そして、程なく届いた、町に待ちかねたお弁当。
 ところがです!!
 分けてみたら、なんと、数不足。
 幸い、大食いの参加者が足らなかった場合用にと、カップラーメンも用意。念のため、魔法瓶も持参して、お弁当とともにお湯を用意してもらっていたので、当方と、幸か不幸か?選ばれた男性にはそれを。というより、何の作為もなしに端から配っていたのでしたが……
 何となく、食べにくくなり、朝食をたっぷり食べたので、「まだおなかがすかない」の声にて、お弁当をもつて、品木ダムへ。
 
 運よく特製弁当にありつけた方の後日談によれば、それはそれはうまかった由。
 あらかじめ土地の方にワサビやウドなどの山菜をお願いして、宿に調理の一端に活かしてもらっていたので、おにぎりの中にはワサビの漬物などもあったらしく、付け合わせの卵焼きのうまそうだった色あいも未だ浮かびます。
 運の悪かった、わがスタッフ男性陣からそれとなく、「最初から、俺たちの分はラーメンだったんかい」と問われましたけれで、確かにお湯の用意などまで怠りなく、そう思われるかもしれませんが、夢々、そんなことはありませんので……
 最大の原因は、朝、帰った方たちの人数をご懇切にも宿の方が引いてくださったらしいのです。当方、当日の参加者にも昼食はお出しするつもりで、数はそのままにて変更せず、同じものを食べながら、ここでゆっくり「昼の交流会」の心づもりでいたのでしたが……
 ただし、最大の責任は、念押しをしなかった落ち度でした。
 
 でも、全体には「成功」の二文字を冠せられる心じっくり通い合った、良いイベントだったとのおほめの言葉を戴いて、ほっとしています。
 この「やま屋」さんのお料理は、どれもどれも本当においしい。心をこめて一心に手抜きなしに作ってくださるからです。それで最も廉価な宿泊費、お薦めのお宿です。しかも、3月松までは助成金3000円あり。で、なんと実質、約5000円でとまれます。また宿泊して、まぼろしのお弁当にありつきたいものです。  


Posted by やんばちゃん at 09:01Comments(0)八ッ場だより

2012年06月04日

川辺川「中島さん語録」②のご紹介 




 白岩沢のワサビ田の正面入り口の風情です。
 以前の枝折戸的な門扉とはちょっと変わってましたけれど、このように囲いと鍵がかかっています。
 こんなに山奥なのに、それゆえにか、中には心ないドロボーさんがいらっしゃるとかなのです。山奥と言っても、集落上方の東沢にかかる防災ダム付近からたかだか20分程度なのですけれど。しかも、帰途は下り坂なので、もつと早いように感じられます。
 これだけあちこち出没。山野草の自生場所には、土地の方よりも詳しいとか(ということは、「暇があるからさ」とも土地の方にこきおろされていますが…・)、評されている私でも、今回が正しくは3回目というのも、最初にAさんが(また、Aさんに戻ります)同道してくださったのも、熊がでたというキケンともう一つの理由は当時、横行していた盗難騒ぎにて、「疑われても困るから、一緒に行ってやるよ」とのご配慮からなのでした。
 (健忘症が進んでしまって、急なリクエストに応じて追加の探訪場所にした際、「私も2度目なので……」と口にしつつも、何かひっかかっていましたけれど……  本日記すにあたりよくよく考えてみましたら、1回目の取材の日は台風の日。で、後日、より鮮明な写真を撮るために、独りで怖いもの知らずの無鉄砲さで踏みこんだのでした)
 
 さて、中島語録に移ります。
 実は、昨晩、川辺川メールに中島さんのお人柄を語るメール文を転載させて戴いた際に、最初の投稿者、「私なら、一度でも」の方のメール文をみて、こちらも転載させて戴きたいなと思い立ち、昨日の表題も変えた次第です。
 以下のこの発信者の方のメールは、昨晩も記しましたように、当方への返信なのでした。お二人には、これから事後承諾のお断りをさせて戴くつもりです(本日の方は、常々「断りなど要らない」とはおっしゃられていますが……)
..........................
川辺川・・・県民の会の中島康さんにいらしていただけ
るってスゴイですね。
2007年初夏、中島康さんに車に乗せて頂いて、川辺川
を上流から八代の萩原堤防まで、ずうーっと案内して頂きました、
(五木村で昼食を食べて、そのときのエピソードの面白いのです
が、今はパス)

それぞれ重点の置き方、作風、大小・・・・さまざまに異
なる諸団体を、無理に一つの色に染めることなく、必要な
ときはちゃんとまとめて引っ張って来られた中島康さん。

ものすごく博学な方です。
「自然」ということで言えば足しげく現地を訪れて確認しながら、
書物的にも博学。
それだけではなく、哲学や文学や歴史や・・・・あらゆる分野で博学。
断片的な知識だけもっている私、ついつい「それ知っている」みた
いなことを言って大恥かきました。

底が浅い断片知識ではないのです、中島さんのは。
そして、決して「博学の知識人」臭を表に出さない。
(「大恥」は私が感じたのであって、中島さんは、決して「ホントはお前
、知らないんだろう」みたいなことはおっしゃらない、素振りも見せない)

川辺川ダムを実質中止(基本計画廃止にはなっていないから、こういう
言い方をしておきます)に追い込んだ力は、もちろん、一人二人のリー
ダーがどうこうではありません。
上流(中流か?)から下流までの地域的広がり、課題や重点は重層的。
多くの人々の熱心な闘いがあって、それが県民討論集会開催に結びついて・
・・・・「川辺川ダム中止」の不動の県民世論を形成しました。

でもやっぱり中島さんの力は大きい。

しっかりした県民世論があるから、川辺川ダム中止にあたって、「地元」
への補償や地域振興につき、巨額な(それでも足りない)予算がつくのです。

カネでダムを地元に押しつけるようなやり方は、もう続くはずはありません。
ダム中止で、村興し、地域振興を。

この流れがしっかり定着していくような「ダム反対運動」を作って行く責任
が私たちにはあります。

(はっきりしてしまったのは「民主党のマニフェストに入れさせる」なんて
ことは大して役に立たない、特に「地元」にとっては、ということ。地元軽視
の運動が、勝利するはずがない。また最初から「ダム中止後の補償に関する
一般法をつくるべきだ」なんて立法現場、政治現場のイロハ的に、どうかと思う)  


Posted by やんばちゃん at 11:32Comments(0)八ッ場だより

2012年06月03日

中島さん語録① 山野草、咲き乱れる白岩沢にて




白岩沢のワサビ田に行く道筋は、春の山野草のオンパレード。
一人静、艶れい草、ちごユリなどなど。写真のリンドウももちろん。前夜の講師を務めて下された熊本の中島さんは、決して表には出さないけれど、全ての分野にわたって、奥深い博学の主としてつとに知られている方。しかも知識をひけらさずさりげない物言いの持ち主として。
 で、これは春のリンドウの一種で正式名は失念。ちなみに先のちごユリにも、もちろん正式名あり。さらに例えば、生薬としての応用編などにまでの奥義をご存じなのでした。

 今回、おまねきすることを公表した際に、川辺川のメーリングに登場した逸話から抜粋して、関連事項一つをご披露。当方が要旨を書き始めてみたのですが、ニュアンスを記しきれないので、投稿者の川辺川の〇〇様、勝手に転載させていただきますことをお許しください。

゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜゜
中島さんの株が上がっていますね。

 でも、中島さんは、ご自分がカリスマみたいに見られることを
避けておいでです。しかし、心に残る中島さん語録を少し紹介
するのをおゆるしください。

・女性陣が、人吉球磨行きの車に乗せてもらったときのこと。
九州脊梁のある山に登ったかが話題になりました。中島さん
は、「あの山についてはよく知らんもんね」「6回しか登ってい
ないから」と言いました。ある女性いわく、「わぁーっ。私なら
1、2回登っただけで、ああだこうだと言うのに」。九州脊梁の
自然保護が、中島さんのこの運動への入り口。「山が荒れて
いると思った」そうです。

この投稿に対して、「わぁーっ。私なら」の近畿地方のご本人がまた、次の投稿をされてました。発端は当方が、11日の要項を川辺川関係者の方にご案内したメール文に対して、この方が返信してくださった投稿文からなのでした。 

/////////
 はい、そのことはよく知っています。
「(カリスマみたいに見られることを)避けている」どころか
「嫌悪感をもっている」のかもしれません。
 なので、これまでは(このMLでも他のMLでも)一度も
中島さんのことを話題にはしませんでした。
 今回、八ッ場ダム現地に、中島さんが出向かれてお話
をする・・・・ 大変有意義な(もしかすると大転換になりう
るかもしれない)企画が実現し、かつ関東では中島さんの
ことを全く知らない方もたくさんおられるので、ついつい
(関東の人が多い)MLに投稿してしまった、といいうこと
です。
///////////////////////

ついでにもう一つ。
・何度か国交省の出先機関や県に要望書を提出に行った後
のこと。相手方はあて名になっているボスではなく、上・中級
の官僚が出てきます。主に中島さんがやりとりします。「中島
さんは、あまり官僚批判をされないですね」と言ったところ、
「かれらをやり込めるのが目的ではない。自分たちの考えを
知ってもらうのが目的」と。こう言われると、県民の会内部で、
報道機関に要望行動の都度取材協力のお願い文書の起案・
送信を担当した人の努力もむくわれるというものです。新聞・
テレビで報道されると、発行しているニュースレターとくらべ
ものにならない多くの人に、川辺川ダム反対側の考えが知
られると。なるほど、です。  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)八ッ場だより

2012年06月02日

白岩沢のワサビ田、清々しく




11日夜の中島康さんの講演録は、只今、作成中です。 その間は、こんな 何とも遅ればせのご案内を。
 写真は5/12に尋ねた、横壁の奥山のワサビ田です。
 私も、足を踏み入れるのは10年ぶりです。拙著によれば、2002年以来なのです。広さは延べ3反とか? そんなに広かったかなと思いましたが…・ でも、現地にたつとそのくらいはありそうでした。

 



 ワサビ田の手前の流れです。何とも清々しい清涼感に一同、大感激。
 細い山道の頭上の大岩からは、地域の水源となる水が滔々と降り注いできました。
  


Posted by やんばちゃん at 11:15Comments(0)八ッ場だより

2012年06月01日

心も衣替え! 長々のご無沙汰、お許しを





 諸雑用に追いまわされて、本欄への記述が疎かになり、そのうちに怠け癖もだて、なんと、長い空白となってしまったことでしょうか? この間も多くの皆さまがクリックしてくださったようで…… 管理者欄の履歴をみて熱いものを覚えさせて戴いております。
 皆さま、ごめんなさい。そして、ありがとう!!
 ほとんど文字を書かず、来る日も来る日もたまりにたまった雑用や、提出書類の作成に追われてました。
 厭になると、表に出てみると、目についてならず、今抜かねばならない雑草に、つい手が伸びてしまって…… 思わず、爪をまっ黒にして雑草と格闘。あっという間に時がたってしまいます。
 
 同じく、日ごと大きくなってしまうサンショウの実も目にとびこんできてしまって……
 庭先というか雑木林に30本近くの大小のサンショウの木が自生しているのです。しかも、そのほとんどに実がなってくれるのですから困惑もの…・ しかも、固くなるとつかいものにならずで、一日を争う代物…・ つい、せっかく実ったのにともったいなくて摘んでしまいます。
 毎年、始末にこまって市場にもっていこうと一度はこころみますが、余りの安さに二回目は挑戦する気にもなれません。
 ちなみに朝4時台に起きて、摘んだり、せわしなく計量したりして丁寧に梱包。しかもレシピやセシウム測定値も添えて、7時開始の市場のセリにだしても…… おまけに手首はキズだらけ。お風呂に入るとヒリヒリです。
 特に昨年の原発事故以降はひどい廉価です。八ッ場の農家の皆さんが、箱代にもならないとフキの出荷を諦めた嘆きの過程を追体験する思いです。
 しかも、サンショウの実の使い方もすたれ、八百屋さんたちでも不得手のよう? ために、基本の青煮の他に“高級料亭のお味をご家庭で”のキャッチフレーズを添えて、「ちりめん山椒」の作り方のレシピを添えてます。
 それでも、さわやかな青い実は惹き付けてやまない楽しみがあって、忙しいを言いながらもいつい時を忘れてしまうという結末に。それをおすそ分けに歩く時間も倍加して、よけいに肝心のことがこなしきれなくなる、いつもながらの初夏のイライラ状態の気鬱な日々でしたが、心機一転の衣替えの6月です。
 このあたりで、心も衣替え!!


  
 かなり、八ッ場の報告とはそれてしまいましたが、
 上記の写真は、前回22日の翌23日分として、直ちに続けてご紹介とおもったまま、日数を経てしまったものです。
 場所は不動大橋≒2号橋の上から「不動の滝」方向を見たみのです。左手奥の滝がみえますでしょうか? 
 そして特筆すべきは、赤松の枝の真ん中のピンクのツツジは、赤松の幹の窪みから生えているものです。この写真ではおわかりにならないですよね。   


Posted by やんばちゃん at 21:51Comments(0)八ッ場だより