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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年02月08日

環境問題の砦・環境行政改革フォーラム

 本欄は何やら八ッ場のことから逸脱。書き手本人の個人的備忘録の感を呈してまいりました。軌道修正しなければなりませんね。
 そんな折の昨日。
 くどくどしく失敗顛末記を臆面もなく記したというより、やみくもに書きなぐった本ブログを、なんと週末にお世話になった学会の事務局長さんがご覧になられたらしく、メールが入っていたのです。
 まさか、お読みいただけるとは思いもかけず、時すぎた午後の時間帯にメールを見て、赤面したしだいです。だって、いつも朝、誤字などを直すのに、あることに追われていて出来ず、特に冒頭はメチャクチャ。
 (確かにバソコン講座で作った手作り名刺には、ブログ名もいれましたけれど、作成時は開店休業状態でしたので安心して練習の意味でに入れてました)。それに他の方のブログの細かい文字を入力することなど、わが辞書になしのヒトなのですから。
 
 それは、例のPC(※昨日はPSになっていました)とパワーポイントとの接続具合に関してのご返信でした。
 
  当日のPCですが2007年版のパワーポイントも読み込める設定にしてありましたので、実はそのまま使えたのでした。〇〇さんはバージョンの違いにご存じだったため気を遣っていいただき、却って混乱してしまったようですね。事前の説明が不足しており申し訳ありませんでした。
 
  このようなご丁寧なご文面に、またも赤面。あくまでも当方の自己管理の落ち度に他ならないことでした。わからないのだったら、事前に伺えばよかったのですが、その質問事項の糸口が定かでないのですから、処置なし。
 なるほど、通常感覚の上を行く、ハイテクを駆使、万端の構えなのでした。さすがは“行動する学会”。
 環境問題の核心に、いかなる機関にもおもねることなく、ズバリと迫るインパクトのすごさ。
 そのような砦があることを知っただけでも、成果でした。ただし、 レベル以下の者の参加は、せっかく諸事万端そつなく準備されたスタッフの皆さんのご努力をフイにし、神経疲労を増させてしまうようで、本当に申し訳なかったと思います。
 それにして、このようなよちよち歩きのオバさんにも、細やかにご配慮を示される事務局長さんがいらっしゃることは、感動ものです。 私などには近寄り難くとってもシャープですばらしいお人柄でした。このような素敵な方にご訓育をうけられる学生さんたちはいいなと思いました。
 なおこの方が作成された論文集は、見事な切れ味の質の高いものです。 
 お手数をおかけしましたが、お世話になれて、本当に良かったです。
 
 僭越なから、その「環境行政改革フォーラム」の連絡先を。
    http://www.eforum.jp/

  
  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)紹介

2010年02月07日

「危ない水事情とイヌワシ」発表顛末記

 5日(金) 6日(土)と休んでしまいました。
 実は6日、7日の両日、初参加の「環境行政改革フォーラム」(代表:青山貞一・東京都市大学環境情報学科教授)に参加して、これもまた初めて訪れる地であり大学の、東京都あざみ野市から地下鉄で一駅の中川駅下車の、東京都市大学に行ってきました。
 締切延期日の間際に、心臓強く応募。
 何とか知らせたかった八ッ場ダムの環境問題なのです。表題はこの間、本欄でも度々、お伝えさせて頂いてまいりました、「吾妻川の危ない水事情とイヌワシ」とさせていただきました。
 前の晩、ほぼ徹夜に近く、床に入ったのは4時半、起きたのは6時前。本欄に記す時間のゆとりがなく、昨日は横浜の姉の家に泊めてもらって不可という顛末。携帯でもできるのだそうですけれど、携帯機能にも弱いのです。
 
 さて、この学会(とは私には呼べず)では「原則としてパワーポイント使用」とされていました。
 で、押せ押せの時間の中で、月曜日から制作に入ろうとしていたのですが、急な増補の準備になり、ついに発表前日しかなくなったのです。
 ところが、5日の日、DVDの注意書きをよまないで、うっかりボールペンで書いてしまい、必要な写真が消えてしまったのです。皆さまの中にはいらっしゃらないと思いますが、ご注意をかねて相変わらずの失敗談を。 
  しかも、パワーポイントは2年前に設楽ダムさんに伺った時以来、生まれて2度目なのです。前回も突貫工事で約90枚を打ち込みました。つかえてしまってメーカーに聞いた際に、「無免許運転で町中に走りだすのと同じくらい無謀です」との由。独学ですと打ち込むのはなんとかできても、訂正などの細かい要項ができないのです。それで時間を費やし、また最初から作り直しの連続。
 2年間の空白を経た今回は老化も手伝って、最初のとっかかりがわかりません。事前にNPOの「お助けサロン」にお願いして要項を送信してもらっておいたのですが、最初の一歩が不明なのですからどうしようもありません。しかも、写真の取り込み方、とりわけ写真屋さんで焼きつけてもらっていたDVDからの取り込み方が不明。パワーポイントをもちだしてきて、NTTのリモートサポートにS0S。 なんと、もうパソコンに入っていたのです。毎日何回となく、画面は観ていても、それがそうだとは思いもしませんでした。写真屋さん特有の機能が入っているとの由。で、初めての方法でしたが、教えてもらいました。
 何とか調子よくこなせていたのですが、写真が突然、消えてしまったのです。
 慌て、またNTTさんに電話。かなり待つのが通例なのですが……。最悪の場合には、プリントした写真をプリンターからパソコンにとりこみ、それをアップするのはできるので、写真屋さんの閉店までの時間までにと依頼。
 原因不明で調べるのには長時間かかるとのこと。しかも、データがうかびあがらず、壊れている可能性もありとのこと。
 
 青くなり慌てて、写真屋さんに駆け込み、二枚のうち、1枚は何とか動きました。でも、日付けの古いDVDは不可。青くなってしまいました。店員さんが現像店の技術者らしい方に聞いてくださって、即座に原因は、裏面に書きこんだボールペンにありとの由で、注意書きを見せられました。
 その日、書きこんでなかった複数のCD類が紛らわしいので、勢いよく手元にあったボールペンで書きこんでしまったのでした。それまでは不思議にサインペンや鉛筆で記していたのでしたが……、確か店員さんからそのような示唆もうけていたような気もしてきましたけれど。で、先のものには、箱に附箋をつけ、そこに書いてあったのでしたけれど、早く仕上げなければでの思いのみ先行して、周辺のことが考えられなかった結果でした。
 
 たぶんダメだけれど、時間をかけて復旧させる方法もある、もう一本も時間の問題なのでコピーが要と教えてもらって二つとも預けてきました。
 また、今あるSDがあったらそちらからも出来るとのことで、慌てて3枚のSDをお預けしましたが、それは前回のもので幸いにしてデーターが残っているDVDのもの。ダメなのはその前のもの。二回も前のはもうムリ。逆になっていたら良かったのですが……
 家に残っている他のものも心配でたまらず、まだ、この先もお願いしたい旨をお伝えしながら、レジの処にいきましたら、なんと閉店のお知らせの張り紙。12日までとのことに7日、本日帰ってきて、一つ短いものながらようやく入った原稿の閉めきりが11日。 閉店までに持ち込むことも、また修復作業が間に合うかどうか…… 
 ずっとお世話になってきましただけにとっても親切な対応をしてくださった店員さんとの別離も加わって、その上、実家の店も、以前この会社の取次店をさせてもらっていた関係上、親しみがあったのに寂しさと落胆が加わって、暗澹とした思いで帰途につきました。
 予定した写真が使えないので、あるもので再編成。でも、大半をとりこんであったので助かりました。で、必然的に夜中に。さらに大きなミスを発見して愕然。その応急処置をしていたら、いつの間にか新聞配達さんのみえる時間に。
 
 私のパワーポイントは2007年度版。
 ところが、発表の際には分科会上でのPSはその前の機器とのことで不具合。慌てて座長さんの手元のPSととりかえて戴くというハプニングもあっても寝不足の頭は真っ白どころか、闇の中に突入。
 場内からの「時間がもったいないから、その間、しゃべれ」とのかけ声にて、いきなり話し出したのはよいのですが、口をついて出た言葉は予定になかつた言葉と相成ってしまったのでした。
 電車の中でパワーポイント35枚の場面をおもいだしながら、正味20分の持ち時間に併せて配分した内容は不意。遅れた時間に気にしながらさらに急ぐので、規定時間内は守れましたが、内容的にも不本意な出来栄え。
 そういうことがあり得ることにも想定できずの無知ゆえに、事前に確認をしなかったのでした。そういえば、設楽ダムさんの地元実行委員長さんはご自分のPSとの不具合を心配してくださっていましたっけ。
 初期の段階だったらば、スタッフの皆さんもあり得ることと想定なされたかも知れませんが、この学会は超ベテランさんばかり。とうに卒業の事柄で、私のような初心者はまさしく想定外のことだったのでしょう。
 数日前の問い合わせに事項に、以下の問いあわせがありましたが、Aは私には到底不可。で、Bでお答えしていたのです。    A:あらかじめ事務局にパワーポイントデータを送付
  B:フラッシュメモリ(USBタイプ)でパワーポイントデータを当日持参する
    C:機材は使用しない
  懇親会の席でお隣にすわられた方などは、1年間費やして、良い写真を選定し判りやすくまとめられるようにと練習をしているとのことなのでした。
 
 愚かしい体験を記しましたが、メカ類の日進月歩についていかなければと必死にしがみつく割には、基本的なことが分からず、思いもつかないことをしでかすオバさんに、ついになり果てました。
 数十年前の、かつての親の世代の嘆きが蘇ります。
 自己管理責任の愚かさに加え、場馴れしていない無知ゆえに、心ならずも関係者の皆さんにご迷惑をかけてしまったことをお詫びしての、てんやわんやの顛末記でした。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)紹介

2010年02月04日

うれしい輪が広がっています

 
 
 ダム中止をめざして、拙著へのうれしいご支援の輪が広がっています。
 現在までの朗報を列記してみます。
 拙著をとりあげてくだされた、伊東光晴さんのお気持ちの根底には、この国の公共事業への怒りがあったのだと思います。それがあの淡々としながらもきっちりと迫りくる文体にこめられたメッセージではないかと、僭越ながらかみしめさせて戴いております。

一、高崎市の歯科医院で書籍を受付脇コーナーで販売してくださるとのことになり、版元から早速、とどけてもらいました。
二、吾妻郡内の書店の社長さんから、毎日新聞のコピーをもって、販売に歩くと「好調ですよ」とのFAXが入りました。
三、千葉県のある方の人気ブログ「第7官界彷徨」には、本の写真を発売当初の12月~表紙的コーナーに掲げてくださっています。その上、早くも2日のコーナーには1日に記した「伊東光晴様 八ッ場のために有難うございました」を転載してくださっています。コメントも寄せてくださいました。
四、詩人で女性文化賞主催者の高良留美子さんは、伊東光晴さんの書評の抜粋と、「著者は第七回の女性文化賞の受賞者です」と記したオリジナル推薦文を、ご自分のパソコン番号変更の案内にことよせ、幅広い知人や関係者の皆さんに送ってくださっています。
五、千葉県のある会の会長で元某私大名誉教授の方も、関係者などにご紹介くださっています。
六、県内のある自然食品店内にも積みあげてあります。

 さらに、八ッ場の皆さんの喜んでくださる声。とりわけ、「うれしかったんだよ。俺ラ、ホントに自分のことのようにうれしかったんだよ」と喜んでくださった、ご年配の方のそのお気持ちが身にしみてなりません。
 また、版元・明石書店の増刷に伴う作業も、お蔭さまで無事に終了。印刷にかかっていることと思います。

 何よりも、この感情移入過剰気味の文章や、くどとくどしいご報告に根気よくおつきあいくださってます皆様方のおかげと、あらためてもう一度、本欄でお礼申し上げます。
  


Posted by やんばちゃん at 22:57Comments(0)八ッ場だより

2010年02月03日

お詫びいたします。誤植一覧

 現在までに以下の誤植が見つかりました。
すでにお買い上げくだされた方々に、ご報告させて頂くとともにつつしんでお詫び致します。
 「八ッ場ダムー計画に振り回された57年」誤植表
① P117  終わりから7行目末尾  自足袋姿 →白足袋姿
② P222  初めから7行目   映画監督山田洋二氏→山田洋次さん
③ P244   初めから2行目  
  目にしてきたばかりの目にはそ危機感がつのる。→「そ」トルツメ
④ P262 終わりから2行目 
  「なんて、ムダなことを。二桁くらいの数の車しか通らかったんべに」   →通らなかったんべに」
⑤ P293  初めから1行目 
  手にした書類の価値の価値も分からず、→「の価値」トルツメ

⑥ P319[年表]  上から14、15行目 
1963 10月  県、草津町・湯川の中和工場を完成させた   
    12月  県、品木ダムと湯の湖を六合村に完成させた
        ↓  
1963 11、10 県、六合村に品木ダムと湯の湖を着手
    11月  県、草津町・湯川に中和工場を完成させた   
        ※諸説あり。最終的に品木ダム水質管理所に併せました。

 せめて今般のことで、お問い合わせくださった方々への拙著には添えたいものと急きょ、まとめ出しました。
 殆どを姉が見つけてくれ、錯綜状態を極めていた12月末に連絡を受け、最初の幾つかはメモしていたのですが、忙しさに追われて自分の記憶力を過信。後でメモしようと思ったのです。処が、次々と時間に間に合わないことのみ舞い込んで、いつの間にか失念。またも忘却のかなたに霧散。
 そして、今般、一覧表を作成しようとして困惑。指摘された幾つか忘れてしまったのです。慌てて、姉に電話。伝えたからもういいと思ってメモを残してないという。しかも、本はご近所の知人に貸してあり、手元にない由。
 ところが、昨日夕刻、その姉から電話があり、拙著をまた一時的に戻してもらって、私は時間に追われているだろうからと読み直してくれたそうで、見つかった幾つかを再度、伝えてくれたのです。
 このすぐ上の姉との年齢差は6歳もあり、戦前と戦後派の感覚の相違もあってか、姉妹というより叔母のような感覚で育ってきました。でも、最近は本当に助けられることばかりです。
 誤植といえば、前著の時にも誤記があり訂正したのです。今回の年表以外の箇所のほとんどは、前著の時から気がつかなかったものです。どうして編集部の方たちも?輪読体制でチェックしてくれているのにと思いますが……、誤植というのはつきないもののようですね。
 いけない! 最も悪いのはそこつ者の書いた本人でした。思いのみ先行し。きちんと書いたと思い込み、校正段階でも思いこみで読んでしまっているのです。
 
 それにしても、年表の品木ダムは「着手」と「完成」は錯綜としてしまった校了段階でどうしてこのようになったのかわからないのでずか、致命傷的なミス。責任を感じます。但し、年月日は諸説があって。実際に10月〇日となつていたのもあるのです。
 これは自身で直ちに気がついたのですが、悲鳴をあげ、しばし落ち込みました。上の行と末尾が同じく「完成」。ほどなくまた同一事項の完成があるので、おかしいと気がつかれる方もいらっしゃるものと思い、それがせめてもの救いですが……。最初にお求めくだされた方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 また、当初記述の年月日は、古い文献にはそうなっていたのでずか、今般の増補に辺り、品木ダムのホームページの年表に統一させ、訂正させて戴きました。

 約2週間の新版作業中、最も難儀したのが、不慣れな罫線の年表作成。限られた字数に苦慮している段階で、2度にわたり一段づつ年代と事項がズレてしまってことです。訂正段階で上段の記述と混同し間違えて下げてしまったらしいのです。
 でも、出来上がってみれば、罫線を外し苦心した元号もいっさい取り外されていたので、第1稿の時、もしくは立ち上がり時に「罫線も元号も要らない」との方針を確認していれば、あんなムダな労力を使わなかったのに……と、悔います。
 
 ところで訂正表といえば傑作だったのは五年前、極めてご親切な八ッ場のLさんは、編集者が作成した誤植一覧の文字が小さすぎて読みにくいだろうとご判断。七か所ほどありました。
 役職等でお忙しい方なのに、ご丁寧にもコンビニで拡大コピーを重ねられ、本のページよりも大きい、確かA四判にしてくださったのです。しかも当時、拙著を委託で置かせて戴いていた長野原町の書店にまで出向いて、在庫品の小さな訂正表と変えてきてくださったというのです。
 それを聞いて、思わず苦笑。記しながらの今も吹きだしてしまうのです。
 誤植というのは編集者やライターにとっては恥の部類です。で、粋の良い若い編集者のメカにめっぽう強かった彼は、あえて小さくしたかもしれなかったのに……と。
 このように私に対してというより、自分たちのことが出てくる拙著に思い入れを示してくだされる八ッ場の方々、それぞれのご厚意はありがたかったけれど……、本当にご親切がすぎるのです。 

 さて、先ほど午前10時過ぎ、明石の今度の編集者からの電話で増刷が決定したとのこと。なんと今週末には印刷にかかる由。で、誤記があったら、明日10時までにとの達し。
 早速、また八ッ場のMさんに。「あのね」と連絡。「そんなこといちいち知らせなくってもいいんだよ。アンタ、俺はね、忙しいんだからね」と本日はご機嫌斜めらしく、口癖の「忙しい」を連発なされる。
 「だって、あんなに喜んで新聞買いにいくなんておっしゃってくださったから」と添えると、「うれしかったんだよ。あん時は。俺ラ、ホントに自分のことのようにうれしかったんだよ」と今度は、普通の声音で。そして、アンターというのであるが、オッチョコチョイな処があるから、よ~く考えて行動すべし。お礼状は出すべし。などのご高説をくりだされたのでした。 反対期成同盟の旗を止むなく降ろしてからの日々、この方たちが村内で遇されてきた苦汁の歳月。どんなにむなしく悔しかったことかと思われます。
 なお、伊東光晴さんにお礼のはがきをまだ書いている間がないのです。そのうちに「書いたか」と問われ「まだ」と伝えると、「そういうことは早くするもんだ」と叱られそうな面持ちですけれど……

 誤植一覧を何とか準備し始めていて丁度、良かったですが、まさかこんなに早く増刷されるとは思いもしませんでした。
 さてそこで、土曜日に用いる生まれて二度目のパワーポイントづくりにとりかかるのを中止。明朝までは、全精力を傾け、これから、心新たに誤植さがしです。年表のところが何とも心配ですが、恐らく時間なし。で、早速、また姉にも援軍を。

 さて、皆様のなかでも、もし、旧著・新版をとわず、ミスにおきづきの方、よろしくお願いいたします。疑問点でも構いません。そんなわけで、本日は珍しく早々とアップです。  


Posted by やんばちゃん at 02:33Comments(0)報告

2010年02月02日

?“作家”なる言葉に振り回された「雪の朝」

 今朝は群馬県一帯、初雪にみまわれたようです。量的にはさほどではありませんけれど、でも積雪しましたから、本格的な初雪とよべましょう。風花、この辺では「ハアーテ」と呼んでいますが、ありましたけれどね。
 昨夕、チャイムが激しくなるので、電話の何度目かの中断をして表に出てみると、先ほど配布物をもってきてくださった詩のサークルの方の軽トラックのエンジンがかからず、「明日、晴れてから直すから、置いてくんない」とおっしゃるのでした。
 で、急いで町の端と端の距離なので、乗っているその方まで「下手な運転だのう」と言うわが運転技術でお送りしたのでしたが、行く時には大粒の氷雨。帰途には雪にかわっていました。
 で、おっちょこちょいおばさんはフロントガラスが曇って前方がよく見えず、対抗車とごく軽い接触をしでかしてしまった次第。メカに弱いこのおばさんはあらゆる機械の構造にも弱く、実は未だに窓の曇りをとる方法が良くわからないのです。最近は冷暖房をいれればという知識を得たので、慌てて暖房を入れたのでしたが、間に合わなかったのです。なお、これは私に限ってで,女性がメカに弱いというのは誤った通念で、男性以上強い女性もたくさんいます。機会がなかつただけです。その意味で皆さんにSOSを求めながらも、パソコンにしがみついているこの私です。
 ずっと座っていたので、急に表にとびだしたから頭の回転も運動能力も鈍ってました。それに家に近づく頃は胸が少々いたくて、私も心臓がわるいのかしらと思ったものでした。
 
 さて本朝、八ッ場の今度は、Kさん宅に電話。
 奥さんいわく、「大雪で。朝飯前から雪かきでまだ家に入らないんだよ」と。約60㌔離れた平地でこれだけ降るということは、八ッ場ではさぞかし大雪なんでしょう。
 これで、今年はさらに温暖化が進んだらしく、川原湯温泉街の坂道も凍てつかずで、早々とスノータイヤを履いたのにと拍子抜け気味だったのでしたが、これからは覚悟しなければならないかなと思った次第です。
 今年最初の八ッ場行きの日、笹湯からの坂道での凍てついた場所にはまり、どうにも坂が登れずで往生したことがあり、冬場は谷あいの坂道にはちかづくべからずと自戒しています。
 
 思えば、このわが運転技術、加えて猛スピードで山中の坂道を吹っ飛ばして続いてきた「八ッ場通い」。
 月に平均して仮に最低の2回にして年間24回。単純計算で少なくとも200回は往復してきたのでした。毎回、よく飽きずにと思いつつ走らせています。時折り変わった道が走りたくなって、時間に余裕のある時は路線変更をしてみる次第です。
 でも、それほど八ッ場の地は、吸引力がある魅力の土地なのです。だから、必死で護りたいのです。といっても、無力な私に何ができるわけでもありません。
 でも、“三つ子の魂、百までも”のことわざ通りの、ある信じることがあるのです。
 それはもしかしたら、幼い日に、父が買ってくれた絵本の逸話に起因しているのかもしれません。
 確か、オランダのハンス少年は、堤防の一カ所に水が漏れているのに気がつき、自分の手を差し込んで、大人たちが気がついて駆けつけるまでの間、気を失っても決壊を守ったという話でした。
 その絵本の絵づらが今もかすかに浮かんできます。
 到底、力及ばす不毛の努力と思っても、渾身の限り、試みるという思いは、己の小さな力を顧みず、私を一途に駆り立てさせる秘薬です。
 
 これまた“雪の明日の裸洗濯”と教えた祖母の言葉を信じて、昨夜来、いっぱい洗濯ものをしておいたのに、朝の一時、晴れただけでどんより。結局、生乾きのまま、しまいこむ結果に。
 車を直しに工具やブースターをもって、昨日の方がやってきました。たぶん、プラグとかが悪いということでそれも持参した由。
作業中に突然、「作家先生の日常場面を撮影してやろうか」と言いだしたのです。
 「サッカって」と一瞬、意味がわからず、この方は最後まで養蚕をしていた大農家。じゃ、高良先生の過日の講演に電話しようとしたお一人なので、間をおいてから「だって、高良先生はそんなに群馬に来ないわよ」と言い出したら、「アンタだよ。その散らかっている部屋を撮ってあげるよ」と言われて、「えぇー、私はサッカの域じゃないよ!」と驚き慌て、「そんなこといいよ。散らかって部屋なんか。まったくもうー」と周章狼狽したものです。
 そうだ。昨日、この方の一度目の時は、久々に遠方の知人との電話に夢中かつ声高に話していて、チャイムに気がつかなかったのか壊れていたのか、玄関の中から「こんちわー。いるかい」と大きな声をあげられ、あわてて電話を中断して部屋を出てみると、ずぶぬれの合羽姿で散らかっている玄関の中にいたのでした。で、二度目は激しいチャイムの連打となったのでしょう。
 その時、例のうれしい毎日新聞とそのコピーが玄関先にあったので、長年と言っても、開店休業状態の同人仲間のこの方にも、気がつかなかった言い訳と、「ここんとこ、お掃除できなくて、部屋の中がいっぱいなの」といいなから、一枚さしあけていた経緯があったのです。 
 そして、サークルの中で皮肉屋さんで名高いこの方、いわく「いつも、そうだんべ」と荒れ放題の下駄箱の廻りをジロリ。あぁ、恥ずかしいと身の縮む思いでした。
 で、「いいよ。断る。私だって、一応、女だからね」と男女共同参画推進にはあるまじき通念語を用いて、撃退ねがった次第。
 
 そうなのです。考えてみれば、新聞の伊東光晴さんの書評に、なんとも面映ゆく《作家による(政治と金」の貴重な記録》となっていたのでした。少なからず、「いいのかな」とひっかかってましたけれど。
 「作家」にほど遠いながら、「もの書きの部屋はちらかり放題」という事と、概してメカに弱いとの点では確かに通じます。
 人さまを玄関から先にあげられなくなって久しいのです。特にこの四ヶ月間はひどくなっています。「ちらかっている処がいいんだよ」という先の方の、お体裁を好まない実直な詩精神にはこの間、共鳴してきましたが、言葉の裏の皮肉さにも気がついています。八ッ場の方がみえた時、開口一番、玄関先から続いていた本の山に「これは、女の部屋じゃねえのう」と言われた私です。
 でも、いつも私でも人並みに「お掃除しなければ」と思うのです。 ですが、たまの空き時間に整理しはじめても、近所のことや会議の時間がきて中断。するとなまじの片づけは、より始末が悪くなって、老化現象も加わって置いたところが記憶になく、今度は探すのにてんやわんやでかき回す。より散らかっての悪循環。今日のこの寒い日だって、川のクリーン作戦の事務局として次回のチラシを持って、村内を一巡してきたばかり。

 思い出してみれば、わが師・井上光晴さんのトランプ占いは有名で、一時NHKで講師をやっていたとか、(たぶん、これは死後私にも良く判った“嘘つきみっちゃん”の本領でしょうが、今度、奥さんに聞いてみようと思います)私たちは本当に、とりわけ素直さでは年の割に定評のあり過ぎた私なのでした。即座にその人間の状況を把握し、夢と希望を与え、活路を与え励ますのが井上さんの占いでした。
 で、ある時の占いで、「あなたは何かのシゴトをします。しかし、それは“文学”じゃないかもしれませんけどね」と。以来、誠に素直だった私は“文学”への道から遠ざかって、事務局的な雑用係を率先して引き受けたのでした。
 同じ頃、世渡りの才覚にたけた方からも「恋愛の一つもしたことがないのに、小説がかけるかなぁ」とからかわれました。当時の私は「恋愛」という言葉を口にできないような幼さでした。で、「でも、そういうことに触れない小説だってあると思います」とは反論はしたものの、人さまのおっしゃることにまともに左右される私は、この二つの言葉は鮮明に心の底に宿って、左右されて今日にいたります。
 確か、樋口一葉の小説に「雪の朝」なる小説については、瀬戸内寂聴さんや前田愛さんの評論などで、恋愛もなく若くしてなくなった一葉の一度の恋的に、師であった半井桃水らしき人物と迎えた“雪の朝”だとか、一時、かまびすしい憶測論がありましたっけ。
 その意味深な背景もようやく判ってきた現在も、そんな気配も種もないままに独り、いつものごとくの今朝を迎えたのでした。

 従って、作家なる言葉は、伊東光晴さんの明らかに過分な思い込みでしょうが、あのご批評は、今後の八ッ場のために少なからずの糸口となることを願ってやまないのです。これもまた、素直に信じてまいりたいと思います。
 でも、おかげ様で一時、忘却のかなたに押しやって忘れていた「作家」なる言葉に酔わせて戴けましたことに、本日も伊東さんに心からお礼申し上げさせていただきます。
 なお願わくば、こちらもちょっぴり信じさせて戴きたいもの……

  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場に願う

2010年02月01日

伊東光晴様、八ッ場のために有難うございました

 朝、お電話したある文化人の方が、開口一番「出てましたね」とおっしゃり、なんと昨日の毎日新聞の書評欄の中でも、大きくトップ扱いで載っているというのです。しかも、「内容的にも高いですね」と添えてくださり、わがことのように喜んでくださったのでした。この方は毎日新聞が、めざす思想に最も安定していると踏み、最近、他紙から乗り換えた由。
 それだけに報道されていた今日の同紙の窮乏は惜しいですね。かつて毎日新聞記者筋からの話に、例の「外務省機密漏洩事件」以後、陰りが生じ出したとくどいてました。
 で、急いで新聞店が開くのを待ちかねて求めに行きました。
 ところが、いつもの、(2年前まではず~と購読していた毎日新聞)の販売店には一部しかなく、その支店にも問い合わせしてもらいました処、やはり一部しかないとのこと。というのは、昨夕、どっさりと古紙処分車が廻ってきて回収したばかりとのこと。
 昨日のうちに気がついていればと悔やむことしきり。
 必要に迫られて各紙を求めて奔走していた頃、新聞類はいつも在庫があって数部手にいれていたので安心していたのです。一部130円で幾つか求めたい人間もいるのに、もったいない廃棄されてしまうなんて。しばらくこのようなこともなかったので、最近はシステムが迅速化したのを知らずにおりました。
 早速、他県に住む姉にも援軍を頼む。ここでも2部のみとかで、合計4部ゲット。 

 拡げてみると、せいぜい見開きページの下欄くらいに思っていたのに、なんと読書欄が充実している毎日新聞のその欄の一ページ目、何年か前にレイアウトが一新され、特色あるイラストの真上の順トップ扱いクラスの場所にあるではありませんか。
 (昨夜、版元の社員が送ってくれた記事から、記事を張りつけたもののコピーでなければ、これは上方の位置の上にかなりの大きさとは踏んでましたが、それはありえないことでまさかとも)。
 かつて経験した諸先生の記事やその何年か前、アジアの女性たちの翻訳を自費で行い続けている素晴らしい仕事をしている知人の新刊のことで、当方のわずかなつてをたよりにお願いしてみたらと伝え、お蔭さまで数行でしたが掲載され、彼女に喜ばれたことがあります。が、私などよりはるかに良質の実績のある知人のその時のことから考えて、書評欄に掲載されることさえむずかしいことなのに、どうしてこんなに大きくと。
 さすがは、第一級の評者と定評のある伊東光晴さん。
 この方のお力のたまもので、“光栄”などという言葉をはるかに超えて、身の引き締まる思いです。
 八ッ場の今後のために、きっと何かの兆しがあり得るものと信じています。心底、信じたい思いです。

 お伝えする方たちが、伊東光晴さんのお名前を申し上げると、「えぇ」と驚かれ、「良かったわねぇ」と本当に喜んでくださる。その「良かった」の語は、八ッ場の今後のためにという意味であることは誰よりも、この私自身が深く自覚している次第です。

 うれしい対応もありました。
 歯科医院を開業している院長さんから、「見事な書評だった。ひいては、広く患者さん達にも読んでもらいたいので」との朗報が入ったのです。こんな拡がりがもてるなんて、小さな私には望外な幸せに突然、つつまれています。
 これも八ッ場の、この国の公共事業のカラクリ、何よりも環境問題に多くの心ある市民が危機感を持っているからでしょう。
 
 八ッ場よ、わが八ッ場よ、待っていておくれ、きっと辿りつけるからね!! 
  
 これは、思わず口をついてでそうになった、次のメロディのフレーズをもじった。 
   君にあうために、二人で歩くのよ
   君にあえる日はいつのことだろう
   風はふきやまず
   山は高くとも、
   待って、いて、おくれ、
   きっと、行くからね!
   あぁ、自由よ、自由。
   わが自由よ!
 若い日に観た、高崎労演のミュージカル調の舞台でした。このように思い出がぽろぽろとこぼれるように忘れてしまう日が来ることは考えもしなかったが、もはや、私もその年になってもどかしいというより悔しい。
 たしか、フォーリーブスとかいった若手の演劇集団で、「洪水の前」ではなかったか、でも自信ない。否違う。(当時の買いためたパンフレットを探し出す気力も時間もなし)。
 労演は全国を廻っているから、どなたかご存じだったら教えていただきたい。
 ともかく、この間、うかがった八ッ場の方たちの叫びを脳が鈍化しないうちに書き記さなければならない。
    
 本当に、八ッ場よ、わが八ッ場よ、真の経済的基盤に基づく生活再建が構築できて、水没地の皆さんに笑顔が戻る日を、もう少しだ。待っていて欲しい! この気持ちに偽りなし!!
 どうか、この高揚感が持続しますように。  


Posted by やんばちゃん at 20:23Comments(4)八ッ場に願う