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2014年03月01日

勝ったぞ! 路木ダム その①


羊角湾(真珠の養殖場 ※路木ダムの皆さんは真珠の廉価販売などで裁判費用の念出を図られてました)

 「正義は勝つ!! 理不尽なことには異議を唱え続けることだ」の意を強くしました。
 当会の署名、並びに路木ダムにもお力添えくだされました皆様方、本当にありがとうございました。
 お礼とご報告に変えまして、まずは「天草・路木ダムの再検証を求める全国連絡会」代表の笠原洋子さんが、水源連におくったメールを転載させて戴きます。
 
 また、昨晩、「おめでとう」とエールを送りましたところ、声明文送信の前の忙しい中、「勝訴判決にバタバタです!とりあえずお知らせします」と丁寧にも返信メールをくだされ、ズラリと12もの報道記事を送ってくださいましたので、こちらも(かなり長いので、別掲にします)


                                         2014年3月1日
  水源連のみなさま
                         天草・路木ダムの再検証を求める全国連絡会
                                        代表 笠井 洋子
             
 ご支援ありがとうございました。
 天草・路木ダム裁判「実質勝訴!」
 2月28日、熊本地裁は、熊本県営天草・路木ダムの建設計画に「違法」の判決を下しました。
 この裁判は、蒲島郁夫知事に事業費の返還と、今後の支出を差し止めるよう求めた「路木ダム違法支出賠償請求住民訴訟」です。
 判決内容は、ダム建設計画は著しく妥当性を欠き、県知事の裁量権を逸脱、濫用したもので違法」「事実的基礎に欠け合理性の欠如が明らか」と厳しく指摘。判決確定後は建設事業の新たな公金支出や契約締結の差し止めを命じました。
 過去に下流域で家屋の浸水被害はなく、洪水調整施設として建設する必要はない。社会通念に照らして妥当性を欠き、知事の裁量権を逸脱した」と指摘し、過去の被害を考慮せずに作成した計画は河川法に違反するとしました。
 しかし、知事に対しては「違法性を認識するのは極めて困難で、故意または過失があったとは認められない」と判断し、公金約20億円返却請求は棄却しました。ダムの「利水」計画についは適法としました。
 これらに対して私たちは大きな不満がありますが、違法なダム建設と認められた判決でり「実質的な勝訴」ととりあえず喜んでいます。
 これを受け、今後控訴すべきかなど具体的な問題がありますが、とりあえず県・市への交渉・市民集会など緊急にすべき課題があります。
 まず、水源連の全国の仲間の皆様に、裁判判決に向けた「公正判決を求める署名」を短い時間ながらご協力を得て、3683筆も提出する事が出来ました。これも判決に、大きな力になったと確信しています。
 今後まだまだ課題も多く、皆さまのお力をお借りする事になりますが、まずはお礼を申し上げます。ありがとうございました。
  
 ................................................ 


次頁に声明文を送ります
                                    2014年2月28日
            声 明
                  路木ダム違法支出賠償請求住民訴訟原告団
                                 同弁護団
 本日、熊本地方裁判所民事3部(片山 昭人裁判長)は、私たちが、不要かつ費用対効果が1を下回るとして、知事が路木ダムに支出した金額の損害賠償を県に支払うよう求めた住民訴訟について、私たちの主張を一部認めて路木ダム建設の治水に関する違法性を認めたが、県知事個人の賠償責任については、故意過失否定して認めませんでした。
 判定確定後の支出については差し止めを認めました。
 路木ダムは、路木川の氾濫によって路木集落が浸水被害を蒙ったことを最大の根拠に計画されたものですが、審理の結果、昭和57年の路木集落の浸水は、発生しなかった事から、県知事の裁量権の範囲を逸脱または濫用したものとされました。
 そして、「洪水調整施設として、路木ダムを建設する必要性は認められない」とまで判決は述べています。
 また、仮に、川が氾濫し路木集落が浸水したとしても、ダムの費用対効果は1以上にならない事が判決でも確認され「路木ダム建設の治水事業としての経済性及び必要性が欠ける事になり本件整備計画の内容についても社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」とまで判決で述べられています。
 このように、必要性の無いダムを作り、貴重な自然を破壊した熊本県、天草市の責任は重大です。ダムは私たちの指摘や反対を押し切って工事を強行し、工事はほぼ完成してしまっていますが、これ以上の支出は許されません。
 今後は、この判決を踏まえて、今後、公共工事については、その必要性を十分に吟味したうえで、環境にも十分配慮した行政が行われるよう強く求めるものです。
                                     以上  


Posted by やんばちゃん at 20:53Comments(0)紹介

2014年02月25日

視聴料不払い続出? 元委員が証言「NHK経営委はハイヤー付き追認機関」

八ッ場ダム問題に首をつっこんでから、億単位の金額にマヒぎみです。

 次に、ご紹介しますのは、「環境行政改革フォーラム」のメール(eforumといってます)に、一昨年10月、私たちの会にもおいで戴いたことのある主催者の青山貞一さん投稿された報道記事です。
 このNHK問題の記事、本当に腹がたってきませんか?
 数日前の国会中継。NHK籾井会長の答弁のいい加減さに腹をたてた質問議員、目線をテレビカメラの方にむけて、「国民の皆さん、視聴料が使われているんですよ」と喚起を促していましたが…… ほんとにこれが実態ならば、識者の方たちが指摘するように、NHK視聴料の不払いが続出するでしょうね。
 青山さんは、いち早く、そのことを指摘されていました。
  
 で数日前、年金生活者の方が厳しい生活をくどかれていたので、公共放送でありながら偏った発言続きの酷いNHKの実態と、籾井会長の年俸はなんと3100万円の由に、「不払い」のことをも伝えました処、うなづかれはしましたが、「でもね、毎月、引き落としだから……ね」と、あっさりと。


/////////////////////////////////
 青山貞一です。
 以下、日刊ゲンダイのNHK経営委員に関する記事です。
 おそらくはじめてその実態が明らかにされたはずです。

◆元委員が証言「NHK経営委はハイヤー付き追認機関」(上)
 日刊ゲンダイ 2014年2月23日
 http://gendai.net/articles/view/news/148184

◆元委員が証言「NHK経営委はハイヤー付き追認機関」(下)
 http://gendai.net/articles/view/news/148185
 日刊ゲンダイ 2014年2月23日

 英国なら間違いなく公職コミッショナーが第三者として詳細な経歴、実績などを調査して委員候補を提案するはずですが、NHKは官邸の意向を受けた総務官僚からの電話一本で委員が決められています。

 しかも非常勤で高額の報酬、ハイヤーの送迎など、視聴料がいかに無駄に使われているかの実態が明らかになっています。
   


Posted by やんばちゃん at 23:24Comments(0)八ッ場だより紹介

2013年12月01日

天草 路木ダム

  石木ダムでの全国集会が終わった10日午後、石木ダム現地の川原地区の現地研修後、熊本県天草の路木ダムの方の車に乗せて戴いて、天草市へ。へリー最終便の一つ前、5時半頃でした。天草灘の夕陽は海面に映え、それは見事でした。
 
 路木ダムから参加されたお二人は、とっても熱心に悲壮感漂わせて署名活動を展開されていました。というのは、4年前に知事らを訴えて、提訴。11/20が結審。来年判決との由。
 係争中なのに、熊本県は強引に写真のようにダム堤建設を進め、写真のように感性させ、現在は試験湛水中なのでした。
 帰宅後、取り急ぎ下記のチラシを作成。署名活動のお手伝いを始めました。時間に急かれて、路木ダムの皆さんの呼びかけ文の中から要旨をセレクトさせて戴いたのが、下記のチラシ。
 

  
 熊本県天草市・路木ダム
とは
 熊本県天草市河浦町に熊本県が建設しているダムです。
 目的は治水利水。ところが、治水については対象となる地域が過去水害にあったことがなく、地形的にも洪水になりようがないところなのです。
 利水については天草市の水需要は減少傾向にあり、現在でも水は足りていて、近くまで来ている簡易水道の延長工事をすれば良く、巨額のダムを作る理由にはならないのです。
 天草の宝と言われ、子供が遊ぶ路木川の清流が失われ、路木川が注ぎ込み、希少生物や絶滅危惧種の宝庫である羊角湾も失われてしまいます
 ダム建設費用→90億円、当初は2013年3月完成予定とされていましたが、1年延期され、2014年3月となりました。現在、ダム鄭が完成。早くも写真のように試験湛水が始まっています。 


その上流域。

src="//img01.gunmablog.net/usr/s35/P1070151.JPG" alt="" >




路木川中流・工事風景

訴訟中なのに、強引に建設してしまったダム堤。そして、早くも試験湛水。





ダム堤の通路です。



ダム堤の上流風景  


Posted by やんばちゃん at 12:44Comments(0)紹介

2013年11月28日

石木川はこんな小さな流れ ダムなんて!

 去る10日の見学コースに沿って、簡単に石木ダムの概要を。
 


正面岸辺の長方形の鉄板が、佐世保市への取水口


①の場所の川の手前のくぼ地に建つ、この建物は「石木ダム対策協議会集会所」。長崎県が賛成派の為に造ってくれた集会所とのこと。いずこも同じ懐柔策ですね。


手前が石木川。その合流点です。


石木川中流
  


Posted by やんばちゃん at 07:46Comments(0)紹介

2013年11月23日

日本の原風景ここにあり・石木ダム 














 これらは、石木ダム現地の風景です。

 先日、ある方から「八ッ場へいっても、反対運動の看板の一つもないじーゃないですか。あれじゃ、ダメですよ」との苦言をいただき、なるほどと自覚した次第でした。
 ここには、反対の意思を示す看板があちこちにあり、わが八ッ場の意気地なしの反対運動とは異なります。
 そこで、またも、団結小屋の正面からの写真です。
  


  


Posted by やんばちゃん at 23:47Comments(0)紹介

2013年11月20日

日本の原風景・石木ダム 盛り上がった懇親会

 


 写真は、石木ダムの本質的運動をしっかりと束ねていられる、「石木ダム建設絶対反対同盟」代表の岩下さんの冒頭での歓迎挨拶の姿。
 

 それにしても部屋中ところ狭しの数々の檄文。圧倒されました。
 宴たけなわとなった時、地元の男性のご提唱で、全員で壁に貼られた「団結の歌」を歌ったのでした。メーデーの節だそうでしたので、多くの方が声を張り上げていられました。
 これからもっとという時でしたけれど、ほどなく川棚町にある、国民宿舎・孔雀草のマイクロバスが定刻通りに到着して、散会。
 
 これだけの準備をしてくだされていたのに、時間が足りなかった…… 今でも、心残りです。
 女性の皆さんが「お料理はどうぞ、たくさんお持ちになってください」と声がけしてパックをくだされたので、先にタケノコ料理の旨さにかけよって調理法を聴きました際に、代表の岩下さんの奥さんが、2種類のタケノコをいっぱい詰めてくださっていたのでしたけれど、思わず私はさらに欲張ってその上に遠慮なく、煮物を少々戴いてまいりました。
 本当に心ぬくもる「山里のもてなし」の数々でした。
 まさに❝日本の原風景❞です。
 



      


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)紹介

2013年11月18日

石木ダム、本質的で凄い運動を支えてきた、女性たち



まず、このことごとく抜群の旨さで見事なお料理の数々をご覧ください。どれからも、山里のもてなしの心が匂い立ってきました。
 下の写真の具だくさんのお椀の中身は、タヌキ汁。ホントにこういうのが戴きたかったんです。しかも、「お代わりはいかがですか?」と廻ってみえるではありませんか。思わず「わぁ、うれしい!! 感動ものですね」と口走ってしまった次第です。



 これは、去る9日の夜、長崎市の原爆記念館での講演会や市内デモの後、約一時間半もかかって19時近くにたどりついた(長崎市での移動は大村湾をぐるっと回るため、時間がかかる由)、石木ダム現地の、川原(こうばる)地区の集会所的な施設での懇談会で、並べられたお料理群なのです。
 

 石木ダム13軒60名の皆さんは一致団結の不屈の精神で、「石木ダム建設絶対反対同盟」代表・岩下和雄さんのもと、長崎県を相手に41年間戦い続けてこられたのでした。
 この本質的運動をしっかりと束ねていられる、石木ダム代表の岩下さんは、今年の4月の代々木公園でのアースディーに、漫画紙芝居で石木ダムのわかりやすい解説をされている川原で生まれ育った若い女性Hさんとともに見えられた際に、(実は既に訪れたことありということ知らないで)、八ッ場へご案内させて戴いたことがありました。東京近郊に住まわれているという弟さんとお二人で見えられました。
 今でもお年よりたちが交替で毎日、団結小屋で見張りしをしているという、稀有な精神力のダム反対の皆さんなのです。   
  6つの大テーブルに煮物、揚げ物、刺身の大皿5枚ほどに盛り合わせた、心躍って何とも惹きつけられる山海の珍味が、2組づつのお料理が部屋中にズラリ。、なんと5名分づつくらいの配分なのですから、どっさりこんの豊かさが部屋中いっぱい。
 約70名のこれらのお料理は全て、下の写真の村の女性の皆さんの手づくり料理なのですから、本当に感動ものなのでした。
 (お味と手際の良さに魅せられて後で、入口近くの女性の皆さんに駆け寄って伺ったところ)、全て分担を決めて各家庭で調理して持ち寄っられたとのこと。おにぎりは、各家のオリジナル作品で、3個づつもちよりだった由。道理で、形も具も異なってました。が、大皿の上でまさに「みんな違ってみんな良い」式のハーモニーを保ち、この地の運動の在り様を物語っていました。
 さらに、独特のタレで食べるうどん類も添えられ、小皿の白いのはとっても美味な白和えで、いっぱい食べてしまいました。
 と゜れもどれにも、まこごろのもてなしのお味がしみこんでましたが、私にとっての圧巻は、煮物皿のタケノコの煮物褐色と白いタケノコ2種。茶色いのは干して乾燥させてあるのだそうで、その抜群のうまさ。ゼンマイの煮物もおいしかった!!
 もちろん、飲み物、アルコール類もいっぱい。
 この費用たるや、なんと一人一千円らしかったので、これまた驚きでした。(私たちは全体会費込でしたので、額は不明だったのでしたが、土地の方たちから、参加費一千円を徴収されていたので)

 「お顔をブログなどに出させて戴いてよろしいですか」とお断わりしますと、即座に「いいですよ」と。
 代表の方の奥様を先頭に、この女性たちのたゆまぬ頑張りが、長い石木ダム闘争を支え続けてこらたものと強く感じたものでした。
 さらに女性群の言葉が良かった。
 「男たちの尻をたたいて、私たちが動かしています」的な痛快な自己紹介なのでした。で、そのことにも触れますと「本当なんですよ。男たちはすぐったら、飲み会を始めるで。まかしきれない」と、さらに痛快な言葉が飛び出してきて、思わず握手ものでした。
 この腹のくくり方が、強制収容をちらつかせられても、ビクつかない腹の座った行動力なのだと、思い新たに感服した次第です。
   


   


Posted by やんばちゃん at 13:25Comments(0)紹介

2013年07月04日

7日、八ッ場のホタルに、今年もあおう!

 
 【ホタル観賞会のお誘い】

 かねてより、懸案のホタル観賞会を次の日程で行います。
 毎年6月になると、現地のIさんにお電話して、見頃を伺ってまいりました。今年も6/20~7/10頃までと伺い、日程を調整してまいりましたが…… 6月末はイベントがもりだくさん。6/29(土)・7/6(土)は土地の皆さんの案内による鑑賞会がありますのでご遠慮すると、消去法で7日しかなくなってしまいました。

 
 吾妻川にそそぐ沢筋は、どれも清冽な流れです。その一つに林の立馬(ダツメ)沢があり、ホタルの名所として、多年に亘り、土地の皆さんが育んでこられました。
  時 :七月七日(日)十九時~ →19時半に変更
 場所:林・「道の駅」に十八時半集合   →19時に変更
 費用:なし
 ※昼間、現地の見学をなさりたい方は下記へご一報ください。ご案内しますので……
 ※小雨決行。暴雨でない限り実施します。

 と上のような内容でお伝えしましたが、 ※19時~ですと、まだ明るく、ホタルのとびかう時間は20時~21時とのことですので、30分間ずらし、ホタルさんの出没までは、飲んで食べながらのミーティングの時間にしたいと思います。

 本来ならば、立馬沢の写真を載せるへきなのですが…… 膨大な写真群の中から、すくにはとりだせませんのでて……


【写真は、去る5/19の現地学習会の翌朝、宿泊先の「やまた旅館」さんの東側の部屋から臨んだ対岸の景色です。上りの一番電車の時は、まだ一面の霧の中。で、写真の電車は二番電車なのです。徐々に一面の靄が晴れていく景観は絶句の絶妙さ。オーナーのお姉さんに伝えると、「ネ、すごいでしょ!!」と褒めちぎられる景色でした】


  


Posted by やんばちゃん at 09:07Comments(0)紹介

2013年06月08日

9日まで、燐光群でダム問題劇

 またもの長期休載。お許しをというしかありません。
 記すことはいっぱいありますが、まずはダム関連のお知らせを。

 写真を見て、「あっ」と思われるご存じの方、たくさんいらっしゃるかと思われます。
 お芝居通の方には、お馴染みの東京世田谷区、「下北沢ザ・スズナリ」の外観です。階段を上った2階がホールとなります。
 




 ここで、もう後、2日しかありませんが、川辺川ダムとわが八ッ場を下敷きとした、燐光群・坂手洋二さんの戯曲「帰還」が上演中です。
  詳細は http://rinkogun.com/index.html

 久々に、燐光群の舞台を一昨日の6日夜、観劇してまいりました。というより、「観劇=感激させて戴いてまいりました」とでも、いうべきでしょうか?
 というのは、なんと、2年前の初演の作品化にあたり、坂手さんが拙著もお読みくだされていたとかで、「招待」なのでした。
 会場配布の資料一覧にも記載されてまして……
 実は、やはり坂手さんの親しい知人すじからのやはり、戴きもののチケットで、1890年時の初期作品中、確か「カムアウト」を観て以来、つい先ごろまでずっ とご丁寧に上演ごとの案内が届いてました。
  「帰還」の案内も4月末くらいには届いていたらしいのですが、5月19日のイベントに追われて、未開封のまま。
 さらに、イベント終了後の拾う困憊中の、20日頃に制作の方から携帯にルス電を戴いていたのでしたが、ところが返信の電話をいれたところ、燐光群とのこと。案内を読んでないから、なぜと意味不明。ルス電に入れたというので、「それでは聞いてみます」と急かれていたこともあり、慌てて切ってしまって、ルス電には内容なし。というのなら、何らかの案内が届くと勝手解釈。ところが、一向に手紙届かずの不具合のまま不具合に。時経て、片付けごとをしていた、6月2日、ようやく未開封の郵便物の束の中に発見…… 
 で、4日の日に終演時間が気になり、チケット予約のため名前を伝えましたら、おたまたま電話をくださった制作部の方で、今回のご配慮に預かっている由が判明。「これで、ご縁がつながりましたね」とおっしゃつてくださり、有難くご厚意に預かりました。
 思えば、2005年の5月「ペラペラとめくったら、良くな本」とのレッテルを貼られ、1999年からの「八ッ場ダムを考える会」を追われる原因となった、拙著の予期せぬ展開に、梅雨時ではないけれど、一時何とも心晴れる思いでした。

 さて、問題は、下北沢の開発問題です。
 これまた住所メモをもらったまま数か月間もそのままだった、八ッ場にご関心をもってくだされていた方に、なぜか前夜、電話をいれたのでした。下北沢に明日いくことを伝えると、「あそこもひどい開発が決定してしまって……もったいない!!」とのこと。下北沢周辺はとってもお好きな都内の一つとのこと。
 
 「開発決定」の言葉に、老化現象の始まったらしい頭にも、一挙に時空をこえて氷解。
 実は、
 開発問題が起きた頃、街並みを愛される方たちの団体のブログを読んだり、訴えを聴いたことすらあったのでしたが、すっかり忘却の彼方に霧散。
 「決定してしまったのか””」と愕然。
 チケットに「下北沢駅構内は工事な中のため判り難いので時間を要す」旨のにあり、引っかかっていたのでしたが……
 
 かつて聴いていた無謀な超都市化の実態と開発決定の結末を伺いました。
 電話の向こうで、「八ッ場と同じですね」と。
 で、急きょ、幸い6日午後はお時間のやのくりのつくというこの方と、下北沢でお会いすることに。
 八ッ場ダム問題と根を同じくしたこの国の悪業です。

 昨晩のゲストは、現在、世田谷区長で八ッ場ダム問題でもおなじみの保坂展人さん。もう、工事は始まってしまっていますが、何とか良い形の町づくりに転換してほしいものです。

 今に戦争犯罪と同じく、幾つものインチキ悪業が明るみに出ますよね。  


Posted by やんばちゃん at 09:57Comments(0)紹介

2012年12月31日

原発再稼働反対大行進




 今年の最後の日、31日分として載せます。
 去る12月23日の最後の日曜日、 「原発とめよう群馬」主催の「原発なくてもエエジャナイカ大行進」がありました。
 
 当方は、高崎市役所跡地での人情市に出店していたため参加できなかったのでしたが、当会には参加を呼び掛け、都合のつかれる方は是非とお願いしてありました。
 原発もダムも、自民党政権が作り上げた、同じく「憎たらしき国策」なのですから……
 そして、集合場所の城址公園≒スタート地点から、高崎市役所→高崎図書館・保健所前、つまり、旧高崎市役所脇を通ったのでした。で、あわててカメラをもって、かけ走ったのでした。が、図書館前ではあつけなく通過。写真は諦めて、わが売り
場に戻ったら、なんとデモ行進は信号を右折、市街地を通って、講演会場になっている東口・労使会館のほうに向かうようでした。それでまた、オバさんが脱兎のごとく走って、今度はNTT前を通過する、ご紹介の写真撮影となったのでした。

 露天商のオバさんの仕事のために、参加はできませんでしたが、まぁ、これで良しとしていただきましょうか?  


Posted by やんばちゃん at 23:42Comments(0)紹介

2012年04月20日

中国・三峡ダムで地すべり 10万人強制たちのき

 只今、ダム関連メールに入ったニュースです。
 あれほど、危険性と環境問題が指摘されていたのに、強引に日本企業も加わって、造ったダムです。やはりと思います。
 原発とおなじく、一時の金儲けにすぎません。そして、そのツケは一般市民が被るしかけです。
 失われた自然も歴史も、人間の営みも、2度ともとのむ形にもどることはありません。

 八ッ場の大地は危険だらけです。
 5/11実施の当会にとっては一大イベントのチラシが、昨日、ようやくできあがりましたが、ここにも書き加えて、長野原町の皆さんにお伝えしたい思いです。  

/////////////////////////////////////////
三峡ダム:地質災害が増加、新たに10万人が強制立ち退きか
  サーチナ 4月20日(金)8時48分配信

 2009年以来、三峡ダムは175メートルの試験貯水を3回に分けて行ってきた。ダム建設においては、貯水開始から高水位になるまでの3-5年間に、大規模な地滑りなどが発生するのは珍しくないが、地質災害が多発する三峡ダムでは10万人の住民が強制立ち退きに直面している。新浪網が報じた。

 国土資源部地質環境司巡視員で三峡ダム地区地質災害予防工事チームの主任である柳源氏によれば、三峡ダムでは毎年多くの地滑りが発生しているが、適切な監視と警報により、9年にわたって地質災害による死傷者は出ていない。しかし柳源氏は、今後の地質災害予防の状況は楽観視できないと警鐘を鳴らす。

 柳源氏は、175メートルの試験貯水後、発生した地質災害の70%以上が突発的なものであり、しかも発生回数はますます増えていると指摘、一部住民はただちに立ち退いて避難する必要があると述べた。

 また、現時点で人や家屋への被害はなくとも、地滑りは長江の航路にとっても重大な脅威となっている。

 柳源氏によれば、地滑りの恐れがある355カ所の地点で補強工事を実施しているほか、5386カ所の潜在的な危険個所で観測が強化されている。しかし、地質災害の多発によって、新たに立ち退きを迫られる住民の数は10万人前後の規模に達する見込みだ。(編集担当:及川源十郎)

【関連記事】
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.  最終更新:4月20日(金)8時48分
  


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2011年07月22日

「公舎に女性宿泊」、大沢知事公舎退居、7月給与返上へ

 7/14に記させて戴きました。前日の13日記者会見のあった、大沢知事の「公舎に女性宿泊」問題につきましては、クリック数の少ない地味な本欄でも、かなりの反響がありました。
 
 ちなみに、本日までのこの欄への個別クリック数は、当日の総PV数にはまだ、達してませんが、1025(勿論、少なくともこの数値で他の閲覧との兼ね合いもあり、厳密とは言い切れないものと思われますが……)。
 また、個人的にも、『新潮』の記事コピーとともに、「抗議しなくてよいのかむとの呼びかけが送られてきております。




 さて、昨日の県内各紙では、去る20日の定例記者会見における、知事の後始末のことが掲載されていました。
 本日の追加記事と併せて、転載させて戴きます。

/////////////////////////////////
【2011年7月21日(木) 読売新聞】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20110721-OYT8T00050.htm
  公舎に女性 知事給与1か月返上、月内に退去
    60人辞任要求、質問状も

  【2011年7月21日(木) 毎日新聞】
  http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110721ddlk10010138000c.html
  大沢知事:女性宿泊問題 公舎から退去へ 7月給料は返還 

 【2011年7月21日(木) 上毛新聞】
 http://www.jomo-news.co.jp/news/a/2011/07/21/news05.htm
  知事が月内にも公舎退居、7月給与返上へ


 なお、これに対して、つぎのような抗議行動もありました。
 【2011年7月21日(木) 毎日新聞群馬版】
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110721ddlk10010140000c.html
 大沢知事:女性宿泊問題 オンブズマンが公開質問状を提出 


22日付け...........................
【2011年7月22日(金) 毎日新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110722/CK2011072202000089.html
 知事の女性問題 引責辞任を促す




  


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2011年04月19日

久しぶりの、石木ダムのご案内




【上の写真は、「八ッ場の春」ならぬ、八ッ場が生まれ在所の山野草たちの嫁ぎ先・わが家の庭で芽吹く花たちです。手前からイカリ草、一人静、奥右手の葉はヤブレ笠。
 止むなく移転するお宅から分けてもらって、最も日陰の寒目の木立ちの茂みに移植して三年目。今年も無事に芽吹いてくれてほっとしています。
 (映像ではまだ春景色ではないようですが)、きっともう「川原の春」は春の花々でいっぱいでしょうね。
 連帯の意味をこめなから先程表に出て、チョッピリ早目の「八ッ場の春」の息吹きを写真に収めてみました。今日の当地は雨です)
 
石木ダムの皆さま、共にがんばりましょう。こんなすばらしい自然界をなんでふみつぶしてなるものか! 自然界は一つですの心意気にて……

.................................
 昨年2010年の10月27日の本欄で取り上げさせて戴いた、九州・長崎県佐世保市の「石木ダム」のその後の活動、今回は手づくり新聞についてお知らせさせて戴きます。
 皆さま、前回の「川原(こうばる)のうた」とまさしく「日本の原風景」のあの素晴らしい景色のことを覚えていてくださいますでしょうか? 
 「石木ダム関係者による「川原(こうばる)のうた」 http://s35.gunmablog.net/d2010-10.html (2010年10月27日)
   春は黄色の 帯のよう
  石木川に寄り添って
 水辺の菜の花 どこまでも

そして、次のリフレインがよみがえりませんか、。
  ここは こうばる ホタルの里
  自然を守る人が住む
  
   ここは こうばる ホタルの里
   ふるさと愛する人が住む

 http://www.youtube.com/watch?v=jZ_TEg3dQJM&feature=player_embedded


 ※以下の転載は「石木川まもり隊」の〇〇さんが、昨日、水問題の会にメールに入れられたものを、早速、お断りして転載させて戴くものです。
..................................
 皆さま、こんにちは。
 「石木川まもり隊」の〇〇です。

 長崎のローカルニュースについてお知らせします。
15日夕方NBCニュースで、「石木ダム建設絶対反対同盟」の一員である石丸穂積さんの活動が紹介されました。

http://www.youtube.com/watch?v=c-IB3at5vN4 
 1982年の強制測量の年に生まれたほーちゃんが、今、生まれ育った川原(こうばる)のことを手作り新聞で伝えています。
 ほーちゃんは「石木川まもり隊」の一員でもあります。
 昨年の今頃、付替え道路工事に反対して座り込んでいたご両親やおばあちゃんを遠くで見ながら、ほーちゃんは自分にできることは何か?と考え、その答えが「こうばる通信」だったのです。
 ーー以下、略ーー
 私が住んでいる佐世保市は日本の西の果てですが、東北の福島原発も他人事ではありません。
 佐世保市は佐賀県の玄海原発から30kmの距離です。
 玄海原発は、日本で初めてプルサーマル運転を始めた原発です。
 東京都民の電力を賄うために犠牲を強いられている福島の人々、佐世保市民の水道水を確保するために川棚町の川原の人の暮らしを奪おうとしている・・・同じですね。
 佐世保市民としてあらためて申し訳ない気持ちでいっぱいになります。  


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2011年04月12日

『告発・電磁波公害』のご案内と雑記

 3/12 その二
 【↑朝日新聞最新記事より転載】ユネスコに響く震災レクイエム 音楽家110人が結集
http://www.asahi.com/international/update/0411/TKY201104110376.html

.......................................
 昨日11日は、ほぼ終日、以下の二つの拙文の日時確認に追われ、没頭したしだいです。
 そこで、確認できた事柄に基づき、本欄の過去記事の年月日の誤認について、訂正を施させて戴きました。
 すでにお読みになられた皆さまに、念のため、以下に列記させて戴きます。
 一、2011年3月26日  「大震災の教訓を「力の政治」の問いなおし策に」
    ①写真の日付  2002年頃⇒2000年
    ②文中、およそ9年前⇒およそ11年前の2000年夏
  
 ※理由は、当初は記憶に基づき「2000年」と記していたのでした。
  ところが、確認のため、ようやく探しだした写真に「02 12 31」とあったのです。が、写真の「02」年を西暦使用主義者の当方、「2002年」と思わざるを得なくなったのでした。 
  となると、全体がおかしくなるんだけれどなと思いつつ、それでは掲載誌の「サンデージャーナル」を確認するしかと物置に行きました。乱雑に積み上げた箱の中から同誌の箱をようやく探しだしましたが、その綴りは(前にやはり確認しにきたらしく)綴り糸がほどかれてランダムになってました。肝心の記事がみあたらないのです。
 すでに当時の神流川発電所の工事風景の写真探しに3日ほど費やしてしまって、何とも気ぜわしい上に例の花粉症による瞼下がりにてぼやけてしまって、ついに見つからないのでした。
 でも、ここに「02」とあるんだから、「2002年」に間違いないだろうと疑わずに記してしまったのでした。
 
 ところで、昨日11日は、物置で探しごとに追われてました。
 その過程で、思い切って~2004年までの写真類の箱の整理に及んだのでした。
 2000年頃からの現像写真には、ネガを差し込む袋に小さな写真見本がついてます。そして、神流川発電所関係の写真類はネガの束の上がき欄に「2000年」とあるではありませんか。
 
 ここでようやく、つまり「02」とは、「平成12年」をさし、「平成12年12月31日」の意味なのではないかと気がつきました。でも、それなら「12」となるべきなのですが……
 ① 実は掲載後も何度か掲載誌をもってお礼かたがたお話を伺った方の家や、その後に取材した、とっておきの証言などもあったので上野村を訪れ、工事の進捗状況をカメラにおさめてはいました。だから、02年にも上野村には通ってはいたのは事実です。ただし、いかにのんきオバさんでも、12月31日の大晦日の日に上野村に行くはずもなかろう……と浮上してまいりました。
 ② 次に、何度かカメラの日付けが狂ったり、現像過程での不備で、何年も前の同一日付になったこともあったりしたのでした。て日時については定かではない期間もありました。
  
 最後の確認手段として当時の手帳の日にちを繰って調べる道もあるのですけれど…… 
 今度は手帳の箱をひっかきまわしたところ、なんとこの年だけないのです。もう「どうして」と泣きたくなる一瞬です。締め切り時間に追われる時には、本当に辛いものがあります。
 で、今回は、日時がハッキリしないので、写真には「2000年」のみで入れなかった次第です。

 どおりでいくら2002年と思い込んで、「サンデージャーナル」誌のファイルをくっても記事が出てこないはずであったわけでした。落ち着いて2000年の冊子をひも解いたら、もちろんあるにはありましたけれど、無記名でした。配慮によるものと思われますが、最後は編集長との対立構造にて辞めた同誌の記事には、幾つか無記名で記したものがありました。
 でも、掲載写真のは写真ファイルのものと同一のものでした。

 長くなりましたが、混乱のもととなった写真は、アナログカメラ時の10年前の何らかのカメラの日付けいれの不備によるものでした。こういう場合は、一応のメモをいれておくものですが、この写真に関しては、自分の記憶力が10年後にここまで落ちて混乱するとは予見できなかった、哀しさの顛末となりました。
 あえて、細かに示しましたが、写真の日付け不備によって起こる混乱を記させて戴きました。


二、 2011年4月8日  「本日、川原湯温泉春祭り」に写真追加。
  川原湯温泉の「大々神楽」の写真もみつかりましたので、「百聞は一見にしかず」ですので、本日入れました。
  これには、日付け無し。たぶん、壊れカメラで必死に撮っていた頃のもので、少なくとも4~5年前のものと思います。

 
三 上記一の確認の端緒となった「東電50万ボルト送電線上武幹線」問題について
 なお、核と電磁波は異なりますが、最近の提出済みの雑文に「東電50万ボルト送電線上武幹線」における電磁波問題を、国策」としての東電対応の実態として、自己体験の例として簡略に「一」の神流川揚水発電所と一緒に列記したのでした。
 WH0の安全基準は「4ミりガウス」なのに、当時のパンレットには「50000ミリガウス」であったので、記憶力のみで、「約1万倍の乖離」と記した次第でした。
 しかし、同様にして、もし間違えていたら訂正不可となり、決定的なミスに。
 上述のように、ここの処、かなり記憶力が薄れてきても愕然とする日々なのです。
 もし、ミスっていたら、それこそ「大きな誤認」となってしまいます。あれだけ当時、近隣の皆さんに説明する際に口にしていた数値なのですから、よもやと思うけれど、単位の読み違えっていうこともなきにしもあらず……
 
 そこで、何もかもなげ打って物置に入って、当時2005年時の「電磁波問題」のファイルを探そうとしたのでした。しかし、これまた当時、購読した電磁波問題の通信「ガウスネット」の綴り類はあったのですけれど……
 ところが、確かに堂々と「50000ミリガウス」と記されていた、東電のあの肝心のパンフレットが見つからないのでした。最も主要なこのパンフと朝日新聞の記事コピーなど、いつも持ち歩いていた袋が眼にはいらのです。
 東電側との2回の説明会。区長さんとの同社への出向き、何度かの電話やりとり。そして、地域は愚か、隣町の送電下の住民の皆さんへのチラシ配布など、かなりの資料があったのに……絶対に捨てはせず、あるに決まっているのですけれど……。
 焦燥感につつまれると余計、眼にはいなくなってくるのが通例。時過ぎるとちゃんとあるのにです。
 当時の個人機関紙「みんなの青い空」には記さてなかったけれど、一応確認。一般質問はしてなかったと記憶するけれど、記事録もみようかとさえ思ったほどでした。
 あんなにコピーして配布したのに、せめてもの朝日新聞一面の掲載記事も出てこないのです。 
 (幸いにして、この探しことの過程で、一に記述の写真類と掲載誌も確認できた思わぬメリット)
 
 夕刻になっても、見つからない。
 ますます不安が募った。最後の手は当時、確か1992~3年に朝日新聞一面に、小児ガンへのリスクなどのWH0見解の記事を執筆された記者さん、(?どうやらこの記事が原因で群馬に都落ちさせられて、朝日新聞〇〇支局長さんだった)あの方に伺う道しかないと思い浮かんだのでした。
 古い名刺なので、直ちには探し出せない。でも幸い、苗字は覚えていて、お名前の字面もひょいとでてきたのでした。コレは我ながら快哉もの。
 で、ダメ元でと必要事項を入れてインターネット検索を。あった、しかもなんとご著書も記されていたのでした。
 とりわけ新聞社は個人情報にて教えてくれないものですが、こちらもダメで元々と〇〇支局に電話。こちらの身元と目的をきちんと伝えますと、うれしいことに九州のある支局の連絡先を教えて戴けたのでした。
 
 そして、なんと4年ぶりくらいに連絡がついた次第。
 東電との第1回の説明会直前の小一時間、レクチャーしてくださった時の未だ耳もとに記憶ある声音。群馬を去られる直前、「ついに、東電が電磁波の危険性について認めましたよ。記事をみてください」との朗報をうれしそうに連絡してくださった声音そのものの声が、はるか向こうにあったのでした。
 数値は「あってますよ」と即座に。ホッとしました。「もしかして単位を読み違えてたかもと」と伝えると、何か閃かれたらしく、ちょっとの間をおいて「関西電力では、5000ミりガウス」であったとも言い添えてくださいました。関西電力のことは知りませんでした。

 そういえば、八ッ場にもご案内して、現地の方たちに集まってもらって、語らいの場を設けたこともありましたっけ。そして、程なくの転勤でした。八ッ場のLさんなどはその直後から、何とひそかに朝日新聞も購読し始めていたのでした。後日、「ちっとも記事にならねぇ」とやや怒り口調にての言葉に、「あら、転勤になさったのよ」と伝えたことも思い出しました。
 春三月のこの時期は、ようく年単位にて信頼関係が築けつつある矢先のなじみの、記者魂に燃えた記者さんたちの移動の時期でもあるのです。

  さて、今となっては、もうご著書とともにもうお名前を公表してもさしつかえないでしょう。
 お名前は松本健造さん。
 ご著書は、『告発・電磁波公害』(2007年 緑風出版 1995円)
 http://www.amazon.co.jp/dp/4846107140/ref=nosim/?tag=biglobe06-src-link-22&linkCode=as1

 おかげさまで、松本さんに4年ぶりに連絡がついたことと、八ッ場ダム関連の膨大な写真類が少し整理できたことが最大の収穫でした。
 しかも、2001年6月14日の補償調印式の日の、私的な写真類の前後に続く、小さな写真類のコマも出てきたのでした。ネガの一部もあったのです。もし、これらが使えれば本当に助かります。
 サンデージャーナル誌では、経費一式全て自分持ち。掲載になってようやく2か月後くらい経て、一行×〇〇円の稿料が貰え、それが生活費の全てだったあの頃の厳しい生活。直後の決裂も想定せず、36枚撮りのフィルムに3本分の現像写真一式を収めたままだったのです。ほどなく廃刊になってしまったので、もうどうにもならず、残念でならなかった写真類でした。
 八ッ場取材の過程でもとりわけ、数々の思い入れのあったのが調印式の日なのでした。あの日、ライターとは言いながらも、羞恥心と気おくれをこらえながら、おこがましくも記者クラブ所属の記者さんやプロ写真家たちらに交じって撮ったのでしたから。
 
 さて、これが、昨日のわが仕事実績なり。
 コレだもの、「働けど、働けどなおわが暮らし楽にならざり」ではなく、無理からぬわけ。でも、余震におののきながら、啄木並みに「じっと手をみる」次第です。
 ……啄木と言えば、先日、姪の大学の例の門前での待ち合わせの際、お茶の水から湯島方面に歩いていて、方角を間違えて湯島聖堂から反対方向に歩きかけてしまいました。台東区役所近くにあった、啄木の史跡案内板が目に入りました。
 函館から妻子と母が到着し、本郷区本郷弓町の床屋「喜之床」の二階に移った啄木は、当時の「東京 朝日新聞」の校正係として働いていたのでした。仕事柄、終電に間に合わずに疲れ切った身体で切り通し道を歩いてきたことが説明されてました。
   


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2011年04月11日

想像力にて執筆された原発小説


 前回の記述の後半部に記した、作家・井上光晴の今日の放射線汚染問題をテーマにした2作品のお知らせです。
 これらは、想像力を駆使した作家・井上光晴による小説ですので、その点はご留意くださいますよう。
 これらの作品に限らず、いつも「作家の想像力けにおいて、時代を事実を先取りされるのがお得意技でした。そして、近年は現実が想像力を追い超すそくどが早くなったと語っていました。 
  ①金属バット事件の隠れた真相を、裁判過程で明らかになる前に小説化していた。
  ②性犯罪の低年齢化  『神咲道生少年の記録』

井上光晴著 原発関連テーマの著作
、『西海原子力発電所』(1986年9月30日 文芸春秋社刊)
 1986年4月26日 「チェルノブイリ原発事故」発生す。
 通例、月末のその頃は文芸誌の締切日。
 当時、井上光晴は「作家の想像力」=「想像力の革命」にて「文学界」に、この『西海原子力発電所』を発表する予定で筆を進めていた。炉心溶融後の放射性物質の汚染によって揺れる市民生活を、西海の海辺の町を舞台に展開するストーリィーであったという。が、「現実が想像力を越えてしまった」として後半部は急きょテーマを変更したと次の『輸送』のあとがきに記している。
 劇中劇に「ブルトニウムの秋」を援用している。
  初出「文学界」1986年7・8月号(5月末・6月末)

、『輸送』1989年2月15日 文芸春秋社刊)
 三部構成になっている。
  初出  輸送          「文学界}1988年3月号
       青い空 黄色い日   〃      〃 7月号
       クレパス         〃      〃10月号
    ※暗い色調の赤い色調に「輸送」の文字が埋没するような、不安を表現した想定は、わが前橋出身のおなじみの司修さんの作品です。……記憶に間違いなければ、司さんの「装丁展」の展示物にもあったような。
   
 「あとがき」によれば、
    ---大略ーーー
 小説『西海原子力発電所』(文芸春秋社刊)の執筆中、チェルノブイリ原発の爆発に直面して、私は急遽テーマを改変したが、今になって思えば、構想した通り、西海原子力発電所の原子炉事故によってこの上もなく汚染されていく町や港の状況を克明に描写すればよかったのである。
 創作>、『輸送』は、その悔恨を踏まえて書いた。核使用済み燃料の輸送にまつわる小説である。核廃棄物の輸送は、今われわれの生存する地点で絶え間なく行われており、キャスク(核廃棄物容器)に万一の事故があれば、間違いなくチェルノブイリを再現することになろう。
     --略ーー
 あえていうが、『輸送』は近未来小説ではなく、SFでもない。この作の主題は文字通り「明日」にかかわる「今日」そのものの現実におかれている。
 ストーリィの行く末に「壊滅の状況」をあえて採らなかったのも、飽くまで「今日」の生活に密着した人間の痛苦と情感を描写したかったのだ。
    ーーー以下、略ーーー
 
 極度の緊張感を強いられるキャスク輸送の運転手は精神に異常をきたし、西海の海は流出した核廃棄物で汚染される。
 圧巻は「青い空 黄色い日」の中で、一時避難が解かれて再び、元通りの生活に戻ろうとした主婦は、子供たちに食べさせる真新しい卵を養鶏農家からわけてもらって心弾ませて帰宅しようとしていた。そして、飼っていた猫の不審な行動を追っていった息子の呼ぶ声に濱辺におりる。そこには浜に打ち上げられた汚染された魚を存分に食べた猫たちがをよろけながら吐いたり苦しんでいる異様な姿であった。
 戦慄をともなうほどの描写力で、この恐ろしい光景が描かれている。
 「なきじゃくる息子の肩を抱き寄せ、彼女は奥歯を噛みしめて全身の震えに抵抗する。--略ーー大人にも信じ難いこの光景を九歳の息子にどう解明することができよう。ーー略ーー波打際は黒ずんだ縁どりに飾られ、そこからはっする腐臭は浜全体に漂っている。彼女は強張る腕を振上げると、卵の入った袋を方角も見定めず放り投げた」。
 
 なぜ、彼女こと、河合妙子は猫の汚染死をみて、買ったばかりの卵を投げたか。
 つまり、「ふあふあのオムレツたべたかねぇ」と冷蔵庫の残りものを使わず、わざわざ新しい卵を求めて農家から分けてもらった、その養鶏主が移転先から1日置きに通って、エサをくれた養鶏所の卵もまた、汚染されていたことに気がついたからであった。しかも、養鶏主は「それにしても、昨夜の晩の雨はあんまりよか気持ちのせんやった」と語っているのであった。雨によって放射線物質はより始末が悪くなるのであるから……
 さりげない会話をつづり、その伏線によってより深い効果を放つ、重層的な手法にみちた作品であった。  


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2011年04月11日

鶏は啼いとるもんね。まだ

 【毎日新聞より転載】地震と津波によって壊滅状態となった福島県いわき市平薄磯=2011年4月10日午前11時半、本社ヘリから撮影 

.................................
 以下は、ある会報の、どっかの誰かのものです。  

(ここの)鶏は啼いとるもんね。まだ。……
 今般の東日本大震災はまさしく未曾有の出来事となってしまった。原発反対市民運動で指摘し続けてき続けてきたことが、ことごとく現実のものとなってしまって、何とも切ない。未だ余震止まらぬこともまた、未曾有である。
 地震の日、八ッ場ダム関連で都内・霞ケ関にいて交通難民となった。地面は割れ高層ビルは揺れ、群馬勢は怯えきった。上野駅まで歩き、駅のシャッターが閉まるに及び、ただ事ではないことを自覚。ようやく一夜の暖をとらせて貰えた公共施設の大型テレビに映る赤い画像が何なのかつかみかねたが、判明した時には驚愕。誰しも、永久に瞼から消えない恐怖の画像となったであろう。
 地震・津波・原発事故さらに今後、必然的に起きる原発汚染への先々の不安、伴う風評被害など何重苦もの苦難にさらされた被災地の皆さまに、粛然として「どうかめげないで」とお伝えし、ささやか支援しか出来ないことが情けない。

 けれど、世界を震撼とさせた東電・福島第一原発事故は、弁明の「想定外」ではなく「想定内」の起こるべくして起きた、明らかに「人災」と呼べよう。
「最初にダムありき」と同じく国策の美名のもとに「最初に原発ありき」で、前政権党と一体になって強引に推し進めてきたのだから……
 一部の有力者の利益に基づき、練りあげたお得意の「国策」に位置づけていく骨格下、この島国の火山国の周囲に54基もの原発を設置したことが間違いだ。研究者によれば、とりまく太平洋プレートなど4つのプレートにより「静岡地震は必定」と指摘されているのにその静岡にも浜岡原発を造ったのである。
 そんな「人災」と呼べる証拠として、思いつくだけでも、
①東電は、福島原発における「津波時の冷却系の喪失」への対応を2006年4月16日に国会で指摘され、対処を勧告されていたにも関わらず怠ってきた。
②他の安全な自然エネルギーの提唱に耳をかさぬどころか封印(弾圧に近い)。
全てを「安全神話」に収斂させ、(目下、虚実が暴かれている)低コストを謳いあげてきた。これらは前橋出身の故・高木仁三郎さんらが、一身をかけ捨て身で指摘してきた事柄であった。その死はいわば“憤死”と呼べよう。
※(小さな自己体験も加えれば)
①“トイレのないマンション”の原発は、放射性物質の捨て場もなく休むことも出来ない。為に出力調整の揚水発電の必要性が生じた。
 上野村に最大手の揚水発電所「神流川発電所」を建設し、その大規模工事により、上流のアユが死滅した事実を、2000年夏に「神流川からアユが消えたー世界最大級の揚水発電所で」と題して県内誌(「サンデージャーナル」2000年9/3号)に掲載した。早速、東電さんから編集長以下、柏崎原発見学への“ご招待”に預かって、この費用はどこから? 何故にと感じざるを得なかった。
②現在、県北から高崎市西部を横断する「送電線50万ボルト西上武幹線」建設時、電磁波についてWHO見解と東電の安全性数値には約一万倍の乖離があり、議員として地元民への説明責任を求めた時の住民対策特別チームの実態等。
(枚挙に数限りないが……)
 
 ここに21年前の小説がある。
 文学伝習所の師、作家・井上光晴の『輸送』(文芸春秋社刊)には、キャスク(核廃棄物容器)の輸送車暴走後の、汚染した海辺の市民生活が描かれている。1986年4月26日の「チェルノブイリ原発事故」の起きた月末(通例その頃は文芸誌の締切日)、井上さんは「作家の想像力」=「想像力の革命」にて「文学界」への『西海原子力発電所』(1986年9月文芸春秋社刊)を執筆中だったが、「現実が想像力を越えてしまった」として後半部は急きょテーマを変更した由。が、映画にもなった長崎の原爆投下直前までの市民生活を描いた『明日』(集英社1982年刊)を初め、核問題にも固執した作家として、1988年明け「文学界」連載を経て、発刊されたのが『輸送』であった。あとがきには改変への経緯がある。当然、話題作として各書評欄に載った。
 冒頭の副題は、「鶏は毎朝啼きますよね。それが啼かなくなったとです。どの家の鶏も啼きません。たまにはずうずういいよる鶏がおっても声を出し切らんとです」に続く記述で、放射線流出で汚染された生活の底知れぬ不気味さが漂う表現である。
今日この時も、幸い本当に(福島の)鶏はまだ啼いてくれているのだろうか?

 一連の井上作品の威力に惹かれて、事務局的に月末に井上家に電話し通信を仕上げていたので少なからずの記憶があるつもりだった。2冊が一度に探しだせないまま、久々に電話し「先生がお元気だったら……」となまじの記憶で話していたら、程なく混同に気がつかれた奥さんから、念のためにとの電話あり。
 仮に人間の記憶から薄れても、今世紀どころか永遠に人類の愚かさとともに大地に染みつき刻みつけられるのが、今回の人災的原発事故だ。戦争と同じく絶対に風化させてはならない体験を「原体験」と呼ぶと、この作家は説いた。
 さて、核時代下の恐怖が現実のものとなってしまった今日、好まざる道を無理やり歩かさせられている者の一人として、次のことを切望する次第だ。
①どうか、現政権さんよ。国民に全て真実の報道をして戴きたい。
②原発は即刻停止。新国策として自然エネルキーへの転換を。決して電力は不足していないことは実証されつつあるが、仮に不足でも国民は耐えられる、ねばならぬ。これからを生きる子供たちの未来を想えば……       


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2011年04月06日

シネマまえばし 原発・ダム映画

 
 【映画「水になった村」(大西暢夫監督)に登場する、旧徳山村の方たち】
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 本日の上毛新聞の13面、「おくやみ告知」欄の脇に、前橋市の「シネマまえばし」が今月9日~29日まで、「原発を考えるヒント」ととして、ドキュメンタリー映画祭を開催するとの報道記事がありました。
 先に本欄でもお知らせした中国電力が、山口県上関町に建設予定の上関原子力発電所を描いた「ミツバチの羽音と地球の回転」(鎌仲ひとみ監督)の作品に加え、ダム問題や介護などのドキュメンタリー作品6本の上映を企画しているそうです。
 鎌仲さんは「六ヶ所村ラプソディー」(2006)の監督です。
 なお、この上関原発は、来年6月に着工予定でした。が、今般の原発事故を契機に、二井山口県知事の要請をうけて、現在、中国電力は工事中断を決定という、ホットな話題のもとにある原発です。
  
 ダム問題は、日本一大きく使い道のないムダなダムとして知られる「徳山ダム」の村の方たちの自然界と一帯になったすばらしい生活を、追い続けた映画です。
 監督は大西暢夫さん。埼玉の自宅からバイクに乗って、今は地図から消えてしまった旧徳山村へ通い詰めた方です。  
 私は二年前の夏、東京での試写会でみさせて戴きました。
 冒頭画面は試験湛水によって、村に水がこヒタヒタと押し寄せてきて、やがて、村全体をのみ込む、哀切きわまりない場面でした。いきどころをなくしたバッタがはねます。監督は、この映画の副題に「バッタや木、そしてジジババたちに捧ぐ」としています。
 その日まで、現地の方々は先祖代々、野山に分け入って、得られた自然の恵みを創意工夫して、実にみごとに生活を営んでこられました。独特の山里文化を築き上げたのでした。
 挿入歌がまたよかったです。宮沢賢治の作詞・作曲の『星めぐりのうた』を李政美さんが、独特の情感あふれる技法で歌い上げ、さらに効果を高めてくれていました。これを書いている今も、音痴のわたしでも、あのリズムが湧いてきます。
 監督のカメラはあますとこなく、村人の生地そのままの素顔を伝えてくれて、極めて人間味にあふれる映画です。 
 
 一週間くらい前に、知人から「水になった村」が上映されるとのお知らせをもらいました。でも、あっさりと「あぁ、二度みちゃったかのよ」と言ったのでしたが、このドキュメンタリー映画祭での上映会とは知りませんでした。
 皆さま、先年訪れた徳山ダムは、橋とトンネルだらけの無残なダムで、生きたまま水没させられた杉木立が枯れ果てて、淀んだ水の中にたっていました。
 富への欲望と権力によって造られた徳山ダムの水は、どうしようもなく淀んでいても、映画に登場する村人の晴れやかな賛歌は、淀んだヒトの心をも洗い流してくれます。
 是非、ご覧ください。

【シネマまえばしのサイト】
http://www.cinemamaebashi.jp/cinema/2011/03/post-162.html
【ドキュメンタリー映画祭の案内】
http://www1.cinemamaebashi.jp/event/2011/03/talk-live.html
【水になった村】
http://web.mac.com/polepoletimes/iWeb/7C4C51EE-E8FF-4870-92E5-6E536C15159B/B5C804F4-AB63-4DF8-AF14-418E13E2084F.html  


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2011年04月03日

私の東京ミニ散歩

4/3 その一



 わが家のテレビは年年歳歳、老化現象が進み、今や10と12、それと放送大学とまれに8チャンネルしか映らないのです。アンテナがダメなのだとは素人考えでもわかるのですけれど……。で、震災報道について、市民運動の方たちが「大本営発表」と悔しがったNHKテレビは、幸か不幸か観たくとも観られない状況となって久しいのです。しかも、その10と12も気まぐれですくに画面が出てくれることはまれ。ぐずる時は約2~3時間も映らずガアガア。原発報道もずいぶん聞き逃してしまってきました。
 先程、テレビをここ2日間見てなかったので、スイッチをいれたら、ようやく出た画面は10も12もマンガ。そうか、日曜日だったと回していったら、今日は直ちに8チャンネルが出てくれました。都知事選番組の終了間際で候補者の顔が映ってました。
 そこで、掲げましたのが、1日の帰途、乃木坂周辺の探索の後、乃木坂公園から乃木神社を経て歩いて赤坂方面に向かっていた際にであった、都知事選のポスター掲示板です。
 もはやわが家の老朽テレビと同じくご老体にて、元作家の柔軟な発想力をも失って、頭脳も固定化してしまった石原さんにだけはなってもらいたくありません。八ッ場に見えてた際の、乱暴なものいいにも辟易しています。こういう方を三顧の礼を尽くして
出馬してもらわなければならない自民党さんも、わが家のおんぼろテレビになぞらえては叱られそうですが、限界を感じさせられます。
 ことのついでに都内のほんのり桜情報も。
 実は、この日、左記の知人を次の約束という八重洲口の建物入口まで案内して別れた12時45分以来、日本学術会館着の14時40分までの2時間、ずっと歩いたのでした。知人には「こんな時に、表を歩いてはダメよ」と釘をさされていたけれど、携帯の万歩計は約二万歩。ほとんど連日、数百歩のわが新記録。
  東京駅からもっと近場の駅まで電車に乗ればよかったのでしたが、しかも乗り放題券をありなのですから、にもかかわらず構内を横切って、丸の内皇居側に出てしまったのでした。何しろ、ここでも、もったいない家精神にて、都内見物に打って出た次第。ウオーキングの必要性はわかっていても、ほんの数分間の犬の散歩以外そんな時間的余裕はなし。しかも、一歩進めば、違った景観、しかも名前をきいている地域建物が次々と広がる景色は地方の者には魅力です。なにしろ二時間も時間があるのです。
 ともかく、地下鉄・千代田線の乃木坂方向をめざしてつきすすむことに。最初は珍しくもない皇居。そのお堀の石垣にしがみついて咲くスミレたちが心に残りました。祝い門から入った処の桜の古木。まだ二分咲きといったと小ろでしょうか。
 ついで、霞が関の官公庁街を斜めに抜けて虎ノ門方面に進むと、首都高速がみえてきましたので、一安心。あれにそって進めばOKと。ここがオバさんたるゆえんですが、例にあらずの慎重さに裏打ちされたこの日は、デモ行進の警備あたっていて、警戒を解き始めていた警官に教えてもらいました。方向としてはあっていて、首都高速が程なく二手に分岐するときいたけれど、それをどっちにいくかは聞かなかった。おまわりさんは、信号を渡ると坂道だから、そのまま右手にと教えてくれたけれど、信号の向こうに「{共同通信」の文字のかかったビルが視界にはいった。で、その警官が立ち去るのを待って、信号を渡った次第。
 実は、記憶の回路が急回転して、「そうだ。共道通信には一度来たことがある」と。確か、記事掲載依頼で訪ねたのだけれど、何の問題だったろうか、少なくとも20年以上は経っている。どなたかの紹介で、ある記者をお訪ねたしたのだが……
 鮮明に覚えているのは、室内を進むと複数の記者が床やソファーで寝袋にくるまったままごろ寝していて、その脇をよけながら部屋の奥に進んだ、その場面だった。
 もはや顔も定かに覚えていない応対してくださった記者さんに驚きを伝えると、「昨夜、徹夜だったんで」との返答が返ってきた。まさに、憧れの“ブン屋”の世界が、そこにあった。
 今も当時の共同通信の建物と同じ場所なのだろうか。とすれば、降りた駅は虎ノ門駅であったはずだけれど、この界隈にきたいう記憶はそこはかとなくあるけれど、全てぼうようとしている。記憶力の良さだけが頼りだったのに、ついにこんな老化現象に突入してしまったのかと情けない。
 その場所にたった。脇に北海道新聞東京支社があった。北海道新聞社は、私がかかわってきた体制批判の各種市民運動の時に、いつも本質的な記事にてお力添えくださってきた有難いマスコミさんであった。
 共同通信をすぎて、坂道をのぼった信号で右手に見える首都高速の方面に出ておいた方がいいと思って、信号待ちしていたら、おまわりさんにどちらへと問われた。何でと思いながら指をさすと、「そちらへは行けません」という。どうしてと問うと、眼前の建物がアメリカ大使館で一部区間が通行止めとのことらしい。解せないながらもまた手前の信号まで戻ると大使館前には列があった。戻った信号での待ち時間に聞いた警官の話では、前に暴動があって以来、ビザ申請や面会以外は不可とのことであった。ここて、ようやく最初の警官の「坂道があるから……」の背景がわかった。でも、解っていたら余計、現場に近づいて検分したいのが、当方の習性であった。
 大使館の裏手の坂道には、企業の素晴らしい日本庭園が続く。都市景観の一環で市民も自由に入って可との標識があった。
 坂道の尽きた「れいなんざかようちえん」と千代紙に書かれた幼稚園の脇の桜をまずパチり。となると、かなり急坂のあの坂が、伝え聞く霊南坂だったのだと今、この雑文を記しながらの氷塊。
 
 そこから抜け道を探して降りると、そこは六本木らしく、六本木ガーデンだっかの大きなレストハウスがあった。若い日の一時期、比較的多く通った六本木の目的地の手前には、鳥居坂ガーデンなる店があったっけ。その付近の桜はより咲いていた。
 ほどなくなるほど、首都高速が二手に別れて前方に迫ってきた。
 さて、どうしようと思っていたら、進行方向に観光バスがとまっていて、むそこから降りた運転主さんらしき、モールのついた制服をきた男性が、こちらに向かって急ぎ足できた。そこですかさず、教えてもらった。右手とのこと。
 かくして、渋谷方面にむかって歩いた。とちゅうまで行けば29日の帰途、歩いた六本木交差点があるはず。そこから青山墓地方面に向かえば、たどりつけると。実際はそんなにスムースでもなかったが、あやまたずたどりついた。しかも、はからずも、先日、あのトンネルをくぐればどこに通じるのだろうかと興味しんしんだったが諦めた、隣の新国立美術館のところから伸びていたトンネル状の道、六本木トンネルを逆方向から歩いて、日本学術会館の正面にたどりつけたというおまけまでついて。
 門の前近くで、乃木坂の地下鉄方向から歩いてくる、顔みしりのKさんの姿を前方にみいだしてほっとしたものでした。
 
 佐多稲子さんの『私の東京地図』の題名にあやかって、おこがましくも表題を。(実は若い日に内容はペラペラ読みしただけで、まさに内実ともに題名のみ)。で、それらの意味もこめて「ミニ」を冠した次第です。ご笑覧を。
 
   


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2011年01月11日

 効用多い酒粕アラカルト

 今春の地方統一選を控え、県議選その他の報道が地元紙に連日のように登場しています。
 定数2の吾妻郡には、現職の自民党大物二人iに加え、無所属の新人が出馬予定と報道されていて、現段階では選挙選になるのは明らかのようです。
 
 今夜は勝手ながら、話題をがラリと変えます。
 先年の11月に続き、再放送が2011年1月4日(火) の16時5分からあった、「●NHKためしてガッテン“酒粕”特集●」をご欄になられた方は、いらっしゃいましょうか?
 酒粕は目下、腸内の油脂をとってくれ、悪玉コレストロールを除去してくれる“酒☛酒粕は百薬の長”として、みなおされています。酒よりも栄養価はたかいようです。
 先日の知人宅へのおみやげに持参。知人の知人を招いての食事会ではてっとり早い鍋ものが便利な調理だったのでした。
 具を入れての中盤戦に、酒粕を溶きいれていれると、断然、風味が増し、野菜類の美味しいこと。いくらでも食べられ、鍋底の汁までおじやにしたり、すくってたべられてしまったのです。
 そして、酒粕をトースターで焼いて食べると、まるでチーズ風味のすぐれもの。そのままでもいいし、また海苔をまけばお客様に出してもはずかしくない一品料理に変身。
 「おいしい!」を連発するお客さん達に通例は、惜しげなくおみやげを持たせる知人なので、そっと「じゃあ、また送るから、残りを持っていってもらったら」と言葉を添えると、「まだ、食べさせたい方がみえるのよ」と珍しく渋り気味。
 ほら吹きおばさんの、「またもか」のオーバー表現に、是非一度、お試しまください。
 ただし、上質の、できれば無添加の酒粕をお選びください。酒造元によって、差があります。
 



 番組の中で、チーズクラカーなどの各種酒粕料理を紹介した方は、前にも記しましたが、千葉県香取郡の「寺田本家」の次女の娘さん(次の社長ご夫婦)です。
 当方、NHKは映らないので、11月のは観てなかったのでしたが、11月の人情市では、無添加酒粕の旨さは一昨年からのおなじみさんがいて、秋口から「まだ? お願いね」と言われていたのでしたが、年前年にもまして売れました。それにしても、テレビの威力はすごいものと思いました。
 以前、「旅の香り」で山本陽子さんが紹介した、福島県の仁井田本家の「田村」の時も、放映終了後から、全国の限定の取扱店は一様にパニックになったようでした。手づくりですから、一度に注文が入っても直ちに送付できないのです。その説明に夜を徹して、パソコンにむかってメールの返信を行っていた義妹の姿が浮かびます。
 
 この寺田本家さんは、わが地元が生んだ歌人・土屋文明の一高の学資を、伊藤左千夫の縁で援助。後年、文明が寺田家が総力をあげたこたわりの銘酒を「五人娘」と名付けた関係で、いろいろと親しくおつきあいさせて戴いてきました。
 そして、今年も、来る16日に「2011年新春五人娘蔵元見学ツアー」を行います。しぼれたての新酒を飲み放題。当初は寺田家の娘さん、ご当主夫人たちが、無添加の野菜類の手料理でもてなしてくださって、大変なお手間をおかけしたものでした。今回の昼食は「マクロビオティック弁当」との由。
 義妹がつづっている、実家の酒販店のホームページ、ブログをご覧ください。
 http://suzukisaketen.com/    
  http://blog.suzukisaketen.com/

 そして、その義妹が、今日の午後、交通事故を起こしてしまって、入院しました。
 今頃、病院で眠れぬ時間を過ごしているであろう、彼女のことを想うと、なんだかこんな記述になってしまいました。
 八ッ馬問題からかけ離れた内容になってしまいました。ご寛容のほどを。
  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)紹介

2010年11月22日

22日の② 雨宮メール 転載

 続いて、より多くの方に現在進行形の八ッ場の状況を知って戴きたいので、大変長いものですが、前橋市の雨宮隆児さんのメール投稿文をご本人の許可を得て転載します。
 いつも、精力的な調査、ご苦労さまです。

【2010年11月19日 雨宮メール】
///////////////////////
一週間前になりますが、11月12日(金)、第5回の衆議院国土交通委員会が開かれました。
その中で4名の委員が八ッ場ダムについての馬淵大臣の見解を質しています。
この中で、穀田議員(共産党)から前回に引き継ぐ形で「基本高水の見直し」について質問され、馬淵大臣は

「副大臣の時から基本高水の件を問題視しており、有識者会議の枠組みを利用しながら何らかの糸口で見直すことができないかと調査していたこと」
「二万二千トンに対して、平成十七年度に策定した検討報告書の中で検討した経緯すら見当たらないということ、まさに二万二千トンありき、杜撰だったとしか言いようがない」

--と明言しました。
その上で、検討の場での再検証と基本高水の見直しを独立併行して進めていくと述べました。
二つに分ける理由としては、検討の場での再検証は「公共事業の再評価実施要領細目」で定めたことであり、基本高水はここには含まれない・・ということに依るようです。
穀田議員は「河川整備基本方針の見直しを位置づけて再検証すべき」と迫りますが、それに対して馬淵大臣は「(基本方針の再策定は)大変な時間がかかる」とし、まずは利根川水系の基本高水、併行して全国のダムの再検証、そののちに利根川水系と同じような瑕疵が認められればそちらも見直す構想を持っていると表明しました。

以下大変長くなりますが、この日の委員会議事録の中から当該部分を抜粋して動画URLと共にご紹介します。
【委員会ニュース(11/12)から】
(質疑者及び主な質疑内容)
△佐田玄一郎君(自民)
△竹内 譲 君(公明)
  ・八ッ場ダム建設事業に関して、「『中止の方向性』については言及しない」と馬淵大臣は発言したが、
   前原前大臣の発言と言い回しを変えた理由は何か。
△穀田恵二君(共産)
  ・八ッ場ダム建設事業に関して、「『中止の方向性』については言及しない」と馬淵大臣は発言したが、
   これは、八ッ場ダム建設事業は中止しないという意味か、発言の真意を知りたい。
  ・利根川の基本高水を、改めて検証する理由は何か。
   また、検証対象とされているすべてのダムの再検証に当たって、
   基本高水が決定されている河川整備基本方針の見直しを含めた再検証をするべきではないか。
△中島隆利君(社民)
  ・八ッ場ダム建設事業に関して、「『中止の方向性』については言及しない」と馬淵大臣は発言したが、
   民主党のマニフェストからの後退ともとられかねない発言の趣旨は何か。

【会議録】
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm
  ↓
第176回国会において設置されている委員会等
  ↓
国土交通委員会
  ↓
平成22年11月12日 第5号

○佐田委員 
 もう時間が一分か二分しかありませんけれども、八ツ場についてちょっと。
 この間、大臣には来ていただきましたけれども、八ツ場に来たときは、前は、前原さんは、中止の前提で予断なく検証を進めると言っていた。こんなむちゃくちゃな話はないんです。中止というふうな予断がある。その日本語を、大臣が、中止というものを入れないで客観的に検証すると言われた。そして、秋までに結論を出すというふうに言われたと聞いています。
 しかしながら、私は、もう今、地域の方々、東吾妻そして長野原の人たちは、一日も待てないような状況なんですよ。
そしてまた、なおかつ、民主党の幹事長の方は、住民と話すための下地をつくっただけであって方針は変わっていないと、全く水をかけるようなことを言っておるわけであります。まさに翻弄し続けられておる。
 私は、一日でも早く結論を出してもらって、そしてこれを再開して、中止撤回をしていただきたい、こう思っていますけれども、大臣、どうですか。
○馬淵国務大臣
 正確を期したいと思いますので。前原大臣は、中止の前提でなく、中止の方向性とおっしゃっておられました。
 その上で、予断なく再検証をということでありましたが、私自身は、改めて予断を持たずに再検証するというステージに入ったわけでありますから、このことをしっかりとお示しする姿勢として申し上げたわけであります。
そして、今後も一刻も早くこの結論を得たいというふうに思っております。
遅くとも平成二十四年度予算編成の要求までにということでございますので、秋ということで申し上げました。
 もっと早くできないかという声もよく存じ上げております。
そのことも踏まえながら迅速に取り組みたいと思っておりますし、また、地元の住民の方々には、お許しをいただければ、私も一刻も早くお会いをし、お話を伺いたいと思っております。
 すべてこうした形で一つの解決の方向に向かい、そして、住民の皆様方の御労苦に、あるいは関係者の方々の御理解をいただきながら前に進めてまいりたい、このように思っております。

◇衆議院TVより該当部分動画(開始より48分頃~)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40670&media_type=wb&lang=j&spkid=19611&time=00:27:53.2
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○竹内委員
 それで、八ツ場ダムにつきましても一つだけお聞きしておきたいと思うんです。
 当委員会でもさんざん白熱した議論をやりました。
前原前大臣は、中止の方向性を堅持するだったんですね。それを、今回言い回しを変えられました。
大臣としては、一切、中止の方向性という言葉には言及しないと。
前の前原大臣は、マニフェストに書いてあるから中止する、こういうふうに最初から決めておられたんですね。
それを、今回そういう言い回しを変えられて、予断なく検証するというふうに変えられた理由をもう一度お尋ねしておきたいと思います。
○馬淵国務大臣
 昨年の政権交代でまさに政策転換が図られたのだと私は思っております。
 前原大臣が、こうしたできるだけダムに頼らない治水あるいは利水というもののあり方に対して、有識者の皆さん方に御参加いただいての御議論、そして最終的にはダムの再検証という中間取りまとめを行っていただき、国土交通省が持ついわゆる公共事業の再評価、これは事業評価法の仕組みの中に定められたものでありますが、この再評価の細目を変更して実施をするということで政策転換が図られた。
 その段階になっていよいよ予断を持たずの再検証が始まるということであれば、私は、そこに予断を持たないということをより改めて認識していただくためにも、今般、長野原、八ツ場ダムに参りまして、地域の方々あるいは知事を初めとする関係者の皆様方に、一切の予断を持たずの再検証を行いということで、中止の方向性というものについては言及しない、それはむしろ予断を与えるものになりかねないんだということで申し上げた次第です。
すなわち、昨年の政権交代時、政策転換を図り、より具体の検証の作業に入ったということで、ステージが変わった、私はそう思っております。
 今後は、これを来年の秋までに検証を進めるとしておりますが、できるだけ早くという御要望もいただいておりますので、迅速にそれを進め、さらには、ダムの再検証のみならず、利根川水系においては過大となっていた基本高水の見直しも改めて河川局に指示をし、これも客観性、透明性、公開性を高めて、多くの方々の御議論をいただいて最終的に結論を見出す、こうした仕組みを御提示したところであります。
 今後も、私どもとしては、地域の方々の御理解をいただきながら、わかりやすい検証というものを進めてまいりたいと思っておりますし、引き続き、御負担をいただいてまいりました一都五県の皆様方にもしっかりと調整を行いつつ、生活再建支援事業も進め、再検証を行うということで御議論、御理解をいただきたいというふうに考えております。
○竹内委員
 これについては、私は一言も二言も言っておきたいんですが、結局、予断なく検証すると言いながら、前の大臣は八ツ場ダムは例外だったんですよ、マニフェストに書いてあるからやめると。
そういう意味では矛盾していたんですよね。
それを整合性をとろうという気持ちはわかるけれども、しかしながら、予断なく検証した結果、再開する、つまり事業を始める可能性があるわけですね、はっきり言うと。
ということは、これは完全なマニフェストの変更でありますから、ほぼ二年ですか、かけて、住民を含めて国民に大変な混乱をもたらした、ここは謝罪をしなければいけないことになる。
大変な責任が生じると思いますね。
仮にもし予断なく検証してやはり中止だということになったら、これもまた住民に対して物すごい裏切り行為になりますよ。大変なことだと思うんですね。
 八ツ場ダムというのは民主党のシンボルだったと思うんですよ、マニフェストの。
それを最初から中止すると書いて、しかも前原前大臣も中止するということを変えなかったんですから、これはよほど予断なく検証されておられたんだと我々は思っていたんですよ。
しかし、今回いろいろ経緯を明らかにすると、この基本高水の問題や個別のダムの検証もそんなにされてはいなかった、こういうことが明らかになったわけでありまして、そういう意味で、今回、馬淵大臣の方針転換は、実は大変な問題をはらんでいるということを指摘しておきたいと思うんです。
私は、少なくともこの時点でも国民に対して謝罪すべきであるというふうに思っております。
この点は指摘するにとどめておきたいと思います。

◇衆議院TVより該当部分動画(開始より23分頃~)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40670&media_type=wb&lang=j&spkid=19560&time=02:27:32.3
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○穀田委員
 馬淵国交大臣に、きょうはまず八ツ場の問題についてお聞きします。
 大臣は、六日、八ツ場ダム建設について、中止の方向性という言葉に言及しないと表明されました。この発言の真意を尋ねたいと思います。
この発言は、中止しない、つまりは八ツ場ダムの建設を進めるという意味に解釈される方もいますが、そういうことですか。
○馬淵国務大臣
 前原前大臣が、まさに政策転換を図るということで、一年弱でありましたが、予断を持たずに再検証という枠組みを決めていく、できるだけダムに頼らない有識者の会議というものを設けて議論を重ねてまいりました。
 そして、いよいよ実施の段階に移ったんですね。改めてここで予断を持たずに再検証するということで、これは関係者のみならず、かかわる、もちろん反対される方も賛成する方も含めて、さらには学識者という方々、主体は地整局であり、あるいは自治体であったりするわけですけれども、こういった場で幅広く議論をするわけでありますから、一切の予断を持っていただかないようにしていくためには、私は、今後この中止の方向性という言葉は言及しないんだということをはっきりと申し上げなければ、それこそ、この検証そのものが何らかの恣意的な方向に向いてしまいはしないかということを考え、こう申し上げたわけであります。
 したがいまして、現時点においても、私には一切の余談もなく、しっかりと再検証を行ってもらいたい、こういう思いでおります。
○穀田委員
 私どもは、この八ツ場ダムについて、利水面でも治水面でも不要なダムであり、無駄で環境破壊につながるダムであるという立場に立って中止を求めてまいりました。
 この国土交通委員会でも、また各委員会などにおいても、例えば塩川鉄也議員も報告していますが、何度も現地に足を運び、長野原の町長さんや町議会議員の方々と率直な意見交換を行ってまいりました。
その際にも、私どもは、自分たちの中止という立場について表明した上でお話もさせていただいたところであります。
 したがって、私どもは、住民の不安や要望に謙虚に耳を傾けて、ダム中止の理由を丁寧に説明するべきだと指摘もしてまいりました。
そして、何度も、生活再建、地域振興策を住民とともにつくり上げることなども提案してまいりました。
今大臣も発言ありましたが、建設ありきでも中止ありきでもない、予断を持たずにということで検証する、そのとおりの言葉を言っているというふうに受けとめたいと思います。
 その意味では、やはり改めて再検証することが重要だし、その検証が、だれもが納得いく形でしっかりやる必要があるという結論ではお互いに一致できると思うんです。
 そこで、予断を持たずに再検証する上で、洪水時に流れる最大流量、いわゆる基本高水の見直しが必要です。
利根川の基本高水、利根川の治水基準点である八斗島では毎秒二万二千立方メートルとされているが、これを算出するもとデータの一つ、飽和雨量、これは森林などの保水力を示す係数ですが、これを小さく設定されていたことが明らかになっています。
大臣も、この利根川の基本高水がどうやって算出されたのかを調査したが資料が見つからなかったという報告をされています。
十分な検証が行われず、大変ずさんだったと陳謝しています。
その上で、利根川の基本高水について見直す、改めて検証すると述べておられます。
 利根川の基本高水を改めて検証する理由について、簡潔にお答えいただきたいと思います。
○馬淵国務大臣
 一年間、ダムに頼らない治水のあり方ということを議論いただく中で、私の中にもずっとひっかかっていたのはこの基本高水の問題でした。
 河川整備計画を見直すということであり、河川整備の基本方針は見直さないということであれば、そもそもその前提となる基本高水の議論がなされない、これでいいのかという思いもございましたが、私自身、その中で有識者の方々がつくっていただいた検証の枠組み、これも利用しながら、何らかの糸口で見直すことができないかということで調べておりました。
 そうしたところ、御指摘のこの二万二千トンに対して、平成十七年度に策定した検討報告書の中で、その具体的な計算過程というものが明らかにならなかった。
私はその資料を捜すように指示をいたしましたが、資料がないことが問題ではありません、検討した経緯すら見当たらないということ、まさに二万二千トンありき、ずさんだったとしか言いようがないんですね。
私は、だから河川局にも、もうやり直そう、見直そう、このように言ったわけです。
 建設を要望される方もいらっしゃいます。
反対される方もいらっしゃいます。
これを私は、押しなべて皆さん方に納得できる形で検証を進めるべきだと思っておりますので、その意味で、基本高水の見直しというものは極めて重要だと思っております。
 今回は、この再検証と、さらにはこの基本高水の検証ということをあわせて皆さん方に開示をしながら、納得いくプロセスで進めてまいりたい、こう思っております。
○穀田委員
 今お話ありましたが、私どももこの高水の問題について一貫して指摘してまいりまして、やはり建設先にありきということが実はこの高水の計算をずさんにしたんじゃないかという見解を私どもは持っています。
 予断を持たずに再検証するという中にこの基本高水の検証は含まれているのか。
有識者会議の中間取りまとめに基づいて検証がやられていますが、この中には基本高水の検証は含まれていません。
予断なく再検証するからには、当然この基本高水の検証も含むべきだと思いますが、結論だけでいいですから。
○馬淵国務大臣
 公共事業の再評価実施要領細目に定めたということでありますので、この基本高水の再検証という部分には含まれません。
しかし、これは並行して行いたいというふうに考えております。
 ただ、穀田委員が先ほど御指摘のように、いや、この二万二千トンありき、建設ありきじゃないかと言われますと、それはまさに予断になりますので、私自身は持たずでと思っております。
○穀田委員
 いや、それは、従来のやり方の際にそういうことが言われてきたことを私どもは考えて指摘しているということで、今大臣がどう思っているかなんという話をしているんじゃないんです。
それは言っておきたいと思います。
 中間取りまとめが出された後で基本高水の根拠の不透明さが明確に出てきたわけであります。
もともと、基本高水というのは過大じゃないかという指摘は、運動団体初め、私どももしてまいりました。
また、民主党も言っておられたし、前原大臣も野党の時代は指摘してまいりました。
その意味では、大臣の発言によれば、八ツ場ダムが第一歩、また、並行してやるということも言っておられるわけですが、それでとどまるべきじゃないと私は思っているんです。
対象となっているダムの再検証について、この基本高水の見直し、つまり河川整備基本方針の見直しを位置づけて再検証すべきではないかと考えますが、いかがですか。
○馬淵国務大臣
 河川整備基本方針を策定するとなると大変な時間がかかるということも、先輩方からお聞きしております。
 私は、まず、これほどまでに社会的な注目の的となった八ツ場ダム、とりわけ、明らかに二万二千トンありきということで、この十七年度の報告書がずさんだったということが明確になったわけですから、これについての見直しを指示いたしましたが、その他の水系については、今現時点でそれをすべて広げていくとなると、私は、せっかくの再検証自体も大きく滞ってしまいかねないと思っております。
現時点においては、他の水系というものについては、まずは再検証を進めていただく。
 もちろん、この八ツ場ダムにかかわる利根川水系の基本高水の再検証も時間をかけずにしっかりとやっていただかないかぬですが、こうした、具体の検討の結果がないといったような、明らかな瑕疵なりが認められるものについては、これは行うべきだと思います。
ただ、現時点において、私ども、そこまですべて行うということには考えは至っておりません。
まず再検証、枠組みを進めていただきたい、こういうふうに思っております。
○穀田委員
 なぜ私こういうことを言っているかといいますと、つい先日も新聞に出ているんですけれども、想定流量は河川法が制定された一九六四年当時から四十年間で約一・五倍になっている、それは全国の百九の一級河川のうち八十水系を分析した結果であるということで報じられていることもあります。
 私は、先ほど大臣がおっしゃった、この二万二千トンだけではなくて、全国でそういった形でいつの間にか基本高水自身が上がっていったという事態がある、だからこそ、単に、この問題で高水がいつの間にか上げられた、本当かというだけじゃなくて、では、ほかも本当かということが問われているということを申し上げたいわけですよね。
 だから、滞ってしまいかねないというよりは、このことが今、国民のそういう流域水系における安全とのかかわりで、正確なものを出して、どうしたら本当に治水ができるかという基本的な根拠となるそういうものを確かめることが、もちろん何も利根川水系を後にしてなんて言っているんじゃないですよ、それはそれでやりながらほかだってできるんだから、それはお互いにきちんとやろうじゃないかということを言っているわけであります。
 その点、いかがですか。そんなに長くなくていいです。
○馬淵国務大臣
 今御指摘のような形で、全水系までも実はそういった見直しが必要じゃないかという御指摘は、十分傾聴させていただくに値すると思っております。
 ただ、先ほど来申し上げているように、まずは利根川水系、具体的な瑕疵が明らかになったということでありますから、私はそこをしっかりと検討させることを優先したいというふうに思っております。
○穀田委員
 私も繰り返しになりますが、優先することについてとやかく言っているんじゃないんです。
ただ、わざわざ陳謝したことは、こういうずさんなやり方が国民の生命と財産にかかわる問題だからでしょう。
そうすると、ほかだって、そういうことがもしあったら、それをやらなくちゃならぬということを提起しているわけです。
それは御理解いただけると思います。

◇衆議院TVより該当部分動画(冒頭から)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40670&media_type=wb&lang=j&spkid=19700&time=03:07:59.7
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
○中島(隆)委員
 それでは次に、ダム問題の質問をさせていただきます。
 これも前段質問がありましたが、八ツ場ダムの問題であります。
これは、先ほど説明がありました、中止に言及しないと。
これは、予断を持たないことだからという括弧つきがあるんですが、中止に言及しないということを改めて言われたということは、それでは建設をするのかというふうにとられるわけでありまして、ダムによらない治水を進める前原大臣あるいは民主党のマニフェストからしますと、一歩後退かなととれるわけであります。
 私は、中止の明言や、あるいはつくるということを含めて、これは中止の方向だけを言われることではなくて、こういう表現をされたことについてもう一度その趣旨をお尋ねしたいと思います。
○馬淵国務大臣
 中止の方向性、そしてもう一つ、予断を持たずに再検証、これについては、当委員会でも、御議論として、意見として、矛盾に満ちてはいないかといった御提言や、あるいはどちらなのかといった質問等、再三にわたり前大臣にもされていたかというふうに思います。
 その中で、私どもとしては政策転換を図ってきたのだ、そして、具体的なプロセスとして、有識者による、できるだけダムによらない治水、これは利水も含めますが、その検証の枠組みをつくり、改めてそのステージに上がったということでありますから、私は、一切の予断を持たずに再検証という、本来皆様方からの御議論にあった、私はそのステージに上がったというふうに思っております。
 今後は基本高水の見直しも行うわけでありますから、八ツ場に関しましては、建設推進派の方々あるいは反対派の方々も含めて幅広く意見を出していただき、また、検証の過程も透明性を持ってプロセスを提示してまいりますので、十分な御議論の上での結論が得られるというふうに思っております。
 繰り返しになりますが、今この時点で中止の方向性ということを私自身がもう言及しないと言うことによって、より一層予断を持たずということが改めて示される、このように考えております。
○中島(隆)委員
 時間も来ておりますので八ツ場ダムの問題については終わりますが、これについて、先ほど穀田議員からもございました。
八ツ場ダムについての最大流量の観測の資料が確認されないとか、あるいは流域分割図、流出モデル図が公開できない、こういうことが表明されていますが、今申されましたように、やはり検証の段階で、ダム賛成、反対、やはり両派、あるいは学識者も入れて、本当に納得のいく検証をぜひしていただきたいというのを要望しておきます。
 最後に、川辺川ダムの検討の問題であります。
 これも再三質問させていただいていますが、全国のモデルとして、熊本県知事も、あるいは流域五木村も、この生活再建を具体的に進めていただくという方向で、ダム中止の、納得する方向で今見直し、検討がされています。
国、県、流域市町村で今検討されているわけです。現場、地元の皆さん方の意向は、国の方の対応はスピード感を上げてやってほしい、全国のモデルとしてダムによらない治水の検討を早く進めてほしい、こういう要望があるわけですが、これについての現状と今後の取り組みについて、大臣の決意をお願いいたします。
○馬淵国務大臣
 川辺川ダムにつきましては、昨年一月に県と共同で設置した、ダムによらない治水を検討する場、これを八回開催いたしました。
こうして議論を重ねてまいっております。さらに、本年七月に、県と五木村で、五木村の今後の生活再建を協議する場、これについても三回開催しております。
今後も引き続きこうした協議を真摯に進めてまいりたいと思っております。
さらには、スピードアップも当然ながら図ってまいりたいというふうに考えております。
○中島(隆)委員
 時間が参りましたのでこれで終わりますが、今後の他のダムの検証にも大きな影響を与える課題でありますので、ぜひ全国のモデルとして推進していただきますよう心からお願い申し上げて、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
◇衆議院TVより該当部分動画(開始より22分頃~)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=40670&media_type=wb&lang=j&spkid=19692&time=03:41:50.0
<<投稿者:雨宮隆児   


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