2011年02月20日
アクセス数、6万のキリ番に(前ブログにて)
◆もうじき、「うまログ」さんからhttp://stopyanba.gunmablog.jp/、こちらに完全移転させて戴きます。
つたないながらこれまでの記事、今月28日までは見えますので、よろしかったらご覧ください(9日以降はぼ同じ)
遅々とした歩みではありましたが、本ブログのアクセス数が、本日9時45分に60000になりました。
その瞬間を写真におさめました。というのは、数日前から59000台の数字をみやりつつ、キリの良い数字になったら、ブログの引っ越しをするのにもふんぎりがつくなと思っていたからでした。
現在はありませんが、769500を数える川原湯温泉観光協会のホームページにはかつて「キリ番」とか称して、宿泊券などのあたる制度がありました。 http://www.kawarayu.jp/
さて、先ほど、昨日配達されたけれど読まなかった手紙類の一つ、ある会報に目を通して、愕然。
八ッ場ダム問題に全力集中してしまってねこの頃、間遠になっていた会の前理事長の1月末の突然も突然の訃報の知らせが載っていました。
実はこの方も、少なからず八ッ場に縁があられたのでした。萩原好夫さんの町づくり構想に東大大学院の頃、かかわっていられたらしく、お若い日には川原湯へ頻繁に訪れていたことを直接、うかがってました。そして、萩原さんのご葬儀にもみえたこともうかがいました。この方の語るニュアンスからは、川原湯温泉周辺で聞く、人物像とはことわったニュアンスでした。
なぜ、詳しく聞いておかなかったのだろうと悔やまれてなりません。いつでも伺えるとおもいながら、またたく間に7~8年間の時が経ち、一つのことに夢中になると、他のことがついおざなりになる性質ゆえ、本来ならば小さな人間にとっての小さいながらもライフワークと位置づけたこの分野のことにさえも、疎かになってしまってました。
久しぶりに今年の総会には出かけて、お話を伺おうと思っておりましたのに…… 昨年、理事長を降りられたことさえも知らずにおりました。
とっても行動的かつ素敵な学者のお一人で、恩師をして「10年に一度の秀才」とか言わしめた由の伝説的な頭脳で、すでにご立派な業績を残されたとはいえ、まだ、68歳のお若さでした。
培った学識をご自分の栄達にむけるよりも先に、まず社会のひずみにむけられるこの国の良心的な知識層のお一人として、極めて狭い私の行路にも少なからずの励ましを与えてくだされた、そんな真のインテリ層の方が、またお一人消えて逝かれてしまった切なさ。 ありし日の各地のフィールドワークでの快活な壮年期の姿をしのびつつ、ご冥福をお祈りいたします。
またも八ッ場のくぐもりの時間帯の、私にも何とかたどれる糸口的証言者が次々となくなっていく現実に打ちひしがれています。
本日は、生きる根源的な寂しさにおおわれてしまって、心の痛みにどうにもなりません。この憂いから逃れるために誰か、おしやべりしてくださる方いませんか? といった面持ちです。
つたないながらこれまでの記事、今月28日までは見えますので、よろしかったらご覧ください(9日以降はぼ同じ)
その瞬間を写真におさめました。というのは、数日前から59000台の数字をみやりつつ、キリの良い数字になったら、ブログの引っ越しをするのにもふんぎりがつくなと思っていたからでした。
現在はありませんが、769500を数える川原湯温泉観光協会のホームページにはかつて「キリ番」とか称して、宿泊券などのあたる制度がありました。 http://www.kawarayu.jp/
さて、先ほど、昨日配達されたけれど読まなかった手紙類の一つ、ある会報に目を通して、愕然。
八ッ場ダム問題に全力集中してしまってねこの頃、間遠になっていた会の前理事長の1月末の突然も突然の訃報の知らせが載っていました。
実はこの方も、少なからず八ッ場に縁があられたのでした。萩原好夫さんの町づくり構想に東大大学院の頃、かかわっていられたらしく、お若い日には川原湯へ頻繁に訪れていたことを直接、うかがってました。そして、萩原さんのご葬儀にもみえたこともうかがいました。この方の語るニュアンスからは、川原湯温泉周辺で聞く、人物像とはことわったニュアンスでした。
なぜ、詳しく聞いておかなかったのだろうと悔やまれてなりません。いつでも伺えるとおもいながら、またたく間に7~8年間の時が経ち、一つのことに夢中になると、他のことがついおざなりになる性質ゆえ、本来ならば小さな人間にとっての小さいながらもライフワークと位置づけたこの分野のことにさえも、疎かになってしまってました。
久しぶりに今年の総会には出かけて、お話を伺おうと思っておりましたのに…… 昨年、理事長を降りられたことさえも知らずにおりました。
とっても行動的かつ素敵な学者のお一人で、恩師をして「10年に一度の秀才」とか言わしめた由の伝説的な頭脳で、すでにご立派な業績を残されたとはいえ、まだ、68歳のお若さでした。
培った学識をご自分の栄達にむけるよりも先に、まず社会のひずみにむけられるこの国の良心的な知識層のお一人として、極めて狭い私の行路にも少なからずの励ましを与えてくだされた、そんな真のインテリ層の方が、またお一人消えて逝かれてしまった切なさ。 ありし日の各地のフィールドワークでの快活な壮年期の姿をしのびつつ、ご冥福をお祈りいたします。
またも八ッ場のくぐもりの時間帯の、私にも何とかたどれる糸口的証言者が次々となくなっていく現実に打ちひしがれています。
本日は、生きる根源的な寂しさにおおわれてしまって、心の痛みにどうにもなりません。この憂いから逃れるために誰か、おしやべりしてくださる方いませんか? といった面持ちです。
Posted by やんばちゃん at 12:14│Comments(0)
│八ッ場だより