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思わず、県に訴えました!
時間に追われて、また三日間の空白。
年内にというおもいはあるけれど、でも、間に合わないことは仕方なし。なんということはなく、今日に続く明日でしかない。それが元旦と銘売れることはあっても……
でも、人生の最後の日は、そうはいかないだろう。多くのことをし残して、残念がったまま、私はこの世にさようならをしなければならないのだろう。そんな日がいつかは訪れてしまうのだ。
「ええーい、ままよ」とばかりに、今年は珍しく8時頃から紅白を見ながら、夕食を食べてます。
そして、書きだしました。
写真は、川原畑の諏訪神社のイルミネーション。
どこが誰が設置したのか、不明ですが、(以前、すっかり国交省が税金を使ってと、息巻いてみたけれど、どうやらそれは企業が行ったらしいと判明したことがありましたので)何も神社にまで、こんなとをする必要性があるのでしょうか?
もたもたしているうちに、紅白は終わりました。
さて、今年のトリとなる最後の本題は、去る12月8日の土木常任委員会での群馬県への、思わずの訴え。
でも、肝心の内容を書く前に睡魔にて、気がついたら、居眠りしてました。
( 後ほど、アップさせて戴きますので……)。
年内にというおもいはあるけれど、でも、間に合わないことは仕方なし。なんということはなく、今日に続く明日でしかない。それが元旦と銘売れることはあっても……
でも、人生の最後の日は、そうはいかないだろう。多くのことをし残して、残念がったまま、私はこの世にさようならをしなければならないのだろう。そんな日がいつかは訪れてしまうのだ。
「ええーい、ままよ」とばかりに、今年は珍しく8時頃から紅白を見ながら、夕食を食べてます。
そして、書きだしました。
写真は、川原畑の諏訪神社のイルミネーション。
どこが誰が設置したのか、不明ですが、(以前、すっかり国交省が税金を使ってと、息巻いてみたけれど、どうやらそれは企業が行ったらしいと判明したことがありましたので)何も神社にまで、こんなとをする必要性があるのでしょうか?
もたもたしているうちに、紅白は終わりました。
さて、今年のトリとなる最後の本題は、去る12月8日の土木常任委員会での群馬県への、思わずの訴え。
でも、肝心の内容を書く前に睡魔にて、気がついたら、居眠りしてました。
( 後ほど、アップさせて戴きますので……)。
2015年12月22日
24時間体制の騒音眠れず、住民抗議す
※前回予告編を記しておきながら、 週末、久々の超うれしいできごと?にて、時間が避けず、パソコンの前にすわれませんでした。
今朝は四時起きで、何とか記しています。前回のをざっと読み返して見れば、おびただしい誤字、誤植、お恥ずかしい限りです。ご容赦を。
※ なお、以下の記述は、ご本人のTさんにご許可を戴いて記させて戴いております。
ついつい微にいり細にいり記してしまいましたのは、水没者の置かれた苦悩、また内外からの心無い言葉に傷つき、孤立した中で耐え続けてこられた、未移転者のお立場を少しでも浮き彫りにさせて戴きたい思いからのことです。
これらの詳述はこの間の見聞きした私的な見聞録で、健忘症の進まないうちにとの思いのみです。
従って、記述の逐一をKさんにお見せしてはおりません。ですので、一方聞きや思い込みの記述もありますが、当然文責は私にあります。
が、Tさんは《表現の自由》についてもご理解深く、拘泥なさらない方なので今回もきっとお許し下されるもと信じています。実は文中に記しましたように、Tさんのお宅では先月、とても哀しいことがありまして、失意かつ何かとご多忙のTさんへの連絡は、判断のもとの理性にて、些か自重させて戴いております。
非情な仕打ちを知って欲しい一心で掲げてしまった、先年秋の締切風景写真の写真、その削除問題の際にも、よくご理解くだされ、「それは事実のことだし、書き手の自由」との見解をお示し下されて、一端は削除した写真の再掲載をもお許しくだされた経緯があります。
※ それにしてまたも長すぎますので、分割します。
【騒音問題 その一】
昨秋の旧国道締め切り後、現在は先に記した川原畑/川原湯打越代替地周辺での本体工事現場は無論、ここからの土砂運搬の為、旧国道沿いの林の久森水田まで運ぶため、川原畑/上湯原地区の旧国道を通り24時間体制で行われています。
しかも、25㌧トラックでの運搬(当初、Tさんはその轟音に近い大きな音に「40㌧トラック」といわれた程でした。が、40㌧はない由)。
為に、川原湯岩脈付近にある小さな橋では運搬不可のため、写真のような、青い鉄製の頑丈な橋げたが設置されるに及びました。10月25日のウオーキングの際、前方、やんば館方向に出現した、未舗装の盛り上がった道路をいぶかしく思いました。そのうちに誰かが情報を流してくれ、重量に耐える新たに架設の措置と判明したものでした。
そうこうするうちに久森水田では、大型ユンボで、今度は運ばれた山ずみの土砂を山にして押し付ける作業が始まり、その時のガシャン、ガシャンという騒音は、耐えきれぬ酷いものがあったそうです。
この騒音にまともにあっているのが、先祖代々約400年ほど、川原湯上湯原で農業を営んでこられ、代替地への未移転者のたTさん宅。吾妻川右岸沿いのお宅ですので、左岸沿いの旧国道、久森水田とは吾妻川示威の木立を隔てただけの至近距離なのです。
睡眠不足どころか寝られない状態が続き、たまりかねたTさんは、国交省に「夜は止めてくれって抗議をしたんだい」とおっしゃってました。確か、11月末~今月初めの電話だったと思います。
24時間体制が始まった当初も、「3日も寝られない」と歎き、この時も抗議の電話をしたということです。自分の家だけかと想い、他のお宅にも電話をかけて聞くと、やはり眠れず、折しもウトウトしているところだとのことなのでした。
生きて生活している住民の必死の抗議であり、人権問題ですから、私は「抗議をすれば」➡『中止」もしくは直ちに「緩和」されるものと思い込んでました。
で、その思い込みのまま、去る8日の土木常任委の日に県土整備部課長に伝えた際、「これから昼休みに、また電話して再確認しますけれど」とした上で、あたかも「止まった」的なニュアンスで申してしまった次第なのでした。
9日昼休みの12時20分頃、県庁内から電話。「今、どうなっている。止まった?」と問いました。
すると、「止まるもんか、今日もこれから、また電話すべえと思っている」とのことでした。
で、直ちに課長に訂正しなければならなくなり、それに角倉県議の質問も続くのかなと想い、午後の傍聴もすることに決めた次第です。
翌日、結果をTさんに結果を問いました。
「ユンボを小型に切り替えるそうだとさ」のことになりました。
小型にしたって、騒音は騒音です。実はわが家の近くで新築工事が始まり、ごくごく小型ユンボでも、土を押し付ける時のあのギァーの入れ替えの音は響きます。
後日、「どう、少しは良くなった」と問いますと、「小さくなった分だけはな」と言われました。
【混迷の移転問題の最中、支え続けた理解者の奥さん死去す】
実はTさんの奥さんは11月始めに、お亡くなりになられているのです。
ただでさえ喪失感に見舞われ、心寂しい日。周辺には誰もいなくなった山里の一軒家での毎日、休みなしの騒音にはいたたまられなくなるのは当たり前でしょう。
昨年秋からの国道締切以来、見せしめ的な鉄製の締切防壁は、はた目にも出て行けよがしの非情な仕打ちに移りました。
そして、吾妻川にかかる小さな橋を渡ればすぐに旧国道に出られ、旧川原湯温泉駅にも役場にも行けたのに、今度は山中の急な細い坂道をのぼり折りして、二号橋を亘り、付替え国道に出なければならずで、Tさんは約10倍の距離と時間がかかると口説かれてました。
急かれている代替地の候補は二転三転し、容易に決まらず振出しに戻ったりの連続で、この間のTさんの神経疲労は極度に追い詰められていました。
そして、一昨年あたりからの眼精疲労に加え、極度の神経疲労も加わったこの頃のTさん自身は、既に運転はできなくなってました。治療のため群大病院にご親戚の方にお願するなどして通われていたやに記憶しています。さらに症状は悪化し、眠れない上に、瞼がとじなくなってしまわれたのでした。群大病院で手術して、目のふちを縫いつめられたのでした。
その間の農作業やこまごまとしたことは、全て、奥さんにおしかかってました。
なお、Tさんは町の要職を幾つもこなしてこられた方で、移転を拒んでこられたきた方ではありませんでした。
ですが、ご聡明な方だけに、打越代替地や上湯原代替地の危険性や不備はよくご存じでした。
その上、固定資産税は地主持ちという不具合な契約の「使用貸借」で、現在は新川原湯温泉駅のホームの大半の土地を国交省に貸したのに、そのままJRに移行してしまったのでした。国交省「FJRに」、JRは「国交省さんからそのままの移行ですので、そちらに」といったキャッチボールが、駅着工時からのやりとりのようでした。で、思いあぐねたTさんは、有害スラグ問題でたまたま取材に訪れた毎日新聞記者に伝え、そのことが全国版に大きく報道されたこともありました。
でも、そんな経緯もあり、新駅工事には関心があられたらしく多忙な日々の中で現場にはよく訪れていたようでした。そして、指摘、懸念され続けている有数の地すべり地帯に新設するJR線工事の堅固な工事を真の辺りにされて、「すげえ、頑丈な工事だ」とおっしゃってました。
私の知る限り、土地の問題は遅々としてスッキリと解決せず、またT家の移転先?と近所で風聞されていた高架橋をわたった線路際の広大な土地は、典型的な地滑り症状を示し、水が抜けない造成地なのでした。
為に、私たちの開いた「現地地滑り地帯見学会けにも参加され、講師の中村庄八先生のお話しを聞いていられました。その時、中村さんは吾妻川に向かって段々状に造成され、差の時も水たまりになっていた問題の土地を示して、古来から有数の地すべり地帯として、土地の者なら住み着かなかった金鶏山からの地下水がたまる場所と説明されました。丁度、手のひらの窪みのような場所で、地下には伏流水があり、流れやすいもろい一帯と言われていました。
加えて、この土地には事情があり、まだ正式にはTさんの所有地にはなっていないのだと伺いました。
【極度の神経疲労に陥る】 そんな経緯を経て、最終的には線路沿いにある別のご自分の土地にでようと心積りされてたようでした。
「でも、あそこじゃ狭いんじゃない? この大邸宅を移転するんじゃ」と口にしますと、「なぁに、はあ2人だけになるし、これからはちっちい家でたくさん。若ぇもんは別に考えればいいし、農機具なんかは畑にでも物置を造ればいいんだし……」といった風なことを語られてました。
ですが、そこには、大量の有害スラグが投棄されていることが、2014年判明。
本当にこの土地には2015年8月15日の「有害スラグ現地調査」の際には、まだ有害スラグが見受けられましたし、それ以前の研究者の皆さんの調査で分かってました。が、その後、表面上のスラグはいつの間にかなくなっていました。でも、今でも、周辺部に比べて、夏草が生い茂らない土地です。
そんなことで、Tさん宅は行き場を失なわれていたのでした。
ですが、早く決めなければならず、打越代替地の空いていた広大な希望場所は、現在は清水建設の飯場、将来は公園予定地とのことで不可。その頃のTさんの言葉に「俺んちは川原湯に住めなくなったんさ」との自嘲、自虐混じりの言葉がありました。
あちこち物色の果てに、仕方なく住み慣れない長野原地区のある場所に一先ずおちつかれたのでした。けれど、複雑な土地形態で、結果的に折り合いがつかず、結局、断念。
その時の心無い風聞の中には「近所の者が嫌がっていた。止めたんで良かったって言っている」的な言葉まで流れていました。閉鎖されて地域ではそんな噂がまことしやかにささやかれるものなのでしょう。
国道閉鎖後、未移転のKさん宅を廻る風聞には、「以外に、だらしねぇ」、「国交省におおか盾ついたから、あれはみせしめだいな」などの心無い言葉もありました。
そして、それらの言葉がささやかれるであろうことを誰よりもよくご存じのTさんは、自分を追いつめ続けて、ついに神経疲労の極に達してしまわれました。
今日現在でも、車の運転も不可で、ご親戚の方などにお願いしていられるようです。
そして、秋も深まった頃、門口でご親戚の方の送迎の車を待っていられる奥さんにもお会いしました。珍しく、よそ行きの身なりをしていられました。今、思うと病院へ行かれるところだったのかも知れませんでした。
そんな、出口のない過酷な焦燥の日々を必死に支えられ続けたのは、奥さんなのでした。
飾り気のない言葉の底から、心根の優しさがじんわりと伝わってこられる方でした。私たちは、「ダムに殺されたようなものだ」と感じています。
ーー 以下、次回にーー
今朝は四時起きで、何とか記しています。前回のをざっと読み返して見れば、おびただしい誤字、誤植、お恥ずかしい限りです。ご容赦を。
※ なお、以下の記述は、ご本人のTさんにご許可を戴いて記させて戴いております。
ついつい微にいり細にいり記してしまいましたのは、水没者の置かれた苦悩、また内外からの心無い言葉に傷つき、孤立した中で耐え続けてこられた、未移転者のお立場を少しでも浮き彫りにさせて戴きたい思いからのことです。
これらの詳述はこの間の見聞きした私的な見聞録で、健忘症の進まないうちにとの思いのみです。
従って、記述の逐一をKさんにお見せしてはおりません。ですので、一方聞きや思い込みの記述もありますが、当然文責は私にあります。
が、Tさんは《表現の自由》についてもご理解深く、拘泥なさらない方なので今回もきっとお許し下されるもと信じています。実は文中に記しましたように、Tさんのお宅では先月、とても哀しいことがありまして、失意かつ何かとご多忙のTさんへの連絡は、判断のもとの理性にて、些か自重させて戴いております。
非情な仕打ちを知って欲しい一心で掲げてしまった、先年秋の締切風景写真の写真、その削除問題の際にも、よくご理解くだされ、「それは事実のことだし、書き手の自由」との見解をお示し下されて、一端は削除した写真の再掲載をもお許しくだされた経緯があります。
※ それにしてまたも長すぎますので、分割します。
【騒音問題 その一】
昨秋の旧国道締め切り後、現在は先に記した川原畑/川原湯打越代替地周辺での本体工事現場は無論、ここからの土砂運搬の為、旧国道沿いの林の久森水田まで運ぶため、川原畑/上湯原地区の旧国道を通り24時間体制で行われています。
しかも、25㌧トラックでの運搬(当初、Tさんはその轟音に近い大きな音に「40㌧トラック」といわれた程でした。が、40㌧はない由)。
為に、川原湯岩脈付近にある小さな橋では運搬不可のため、写真のような、青い鉄製の頑丈な橋げたが設置されるに及びました。10月25日のウオーキングの際、前方、やんば館方向に出現した、未舗装の盛り上がった道路をいぶかしく思いました。そのうちに誰かが情報を流してくれ、重量に耐える新たに架設の措置と判明したものでした。
そうこうするうちに久森水田では、大型ユンボで、今度は運ばれた山ずみの土砂を山にして押し付ける作業が始まり、その時のガシャン、ガシャンという騒音は、耐えきれぬ酷いものがあったそうです。
この騒音にまともにあっているのが、先祖代々約400年ほど、川原湯上湯原で農業を営んでこられ、代替地への未移転者のたTさん宅。吾妻川右岸沿いのお宅ですので、左岸沿いの旧国道、久森水田とは吾妻川示威の木立を隔てただけの至近距離なのです。
睡眠不足どころか寝られない状態が続き、たまりかねたTさんは、国交省に「夜は止めてくれって抗議をしたんだい」とおっしゃってました。確か、11月末~今月初めの電話だったと思います。
24時間体制が始まった当初も、「3日も寝られない」と歎き、この時も抗議の電話をしたということです。自分の家だけかと想い、他のお宅にも電話をかけて聞くと、やはり眠れず、折しもウトウトしているところだとのことなのでした。
生きて生活している住民の必死の抗議であり、人権問題ですから、私は「抗議をすれば」➡『中止」もしくは直ちに「緩和」されるものと思い込んでました。
で、その思い込みのまま、去る8日の土木常任委の日に県土整備部課長に伝えた際、「これから昼休みに、また電話して再確認しますけれど」とした上で、あたかも「止まった」的なニュアンスで申してしまった次第なのでした。
9日昼休みの12時20分頃、県庁内から電話。「今、どうなっている。止まった?」と問いました。
すると、「止まるもんか、今日もこれから、また電話すべえと思っている」とのことでした。
で、直ちに課長に訂正しなければならなくなり、それに角倉県議の質問も続くのかなと想い、午後の傍聴もすることに決めた次第です。
翌日、結果をTさんに結果を問いました。
「ユンボを小型に切り替えるそうだとさ」のことになりました。
小型にしたって、騒音は騒音です。実はわが家の近くで新築工事が始まり、ごくごく小型ユンボでも、土を押し付ける時のあのギァーの入れ替えの音は響きます。
後日、「どう、少しは良くなった」と問いますと、「小さくなった分だけはな」と言われました。
【混迷の移転問題の最中、支え続けた理解者の奥さん死去す】
実はTさんの奥さんは11月始めに、お亡くなりになられているのです。
ただでさえ喪失感に見舞われ、心寂しい日。周辺には誰もいなくなった山里の一軒家での毎日、休みなしの騒音にはいたたまられなくなるのは当たり前でしょう。
昨年秋からの国道締切以来、見せしめ的な鉄製の締切防壁は、はた目にも出て行けよがしの非情な仕打ちに移りました。
そして、吾妻川にかかる小さな橋を渡ればすぐに旧国道に出られ、旧川原湯温泉駅にも役場にも行けたのに、今度は山中の急な細い坂道をのぼり折りして、二号橋を亘り、付替え国道に出なければならずで、Tさんは約10倍の距離と時間がかかると口説かれてました。
急かれている代替地の候補は二転三転し、容易に決まらず振出しに戻ったりの連続で、この間のTさんの神経疲労は極度に追い詰められていました。
そして、一昨年あたりからの眼精疲労に加え、極度の神経疲労も加わったこの頃のTさん自身は、既に運転はできなくなってました。治療のため群大病院にご親戚の方にお願するなどして通われていたやに記憶しています。さらに症状は悪化し、眠れない上に、瞼がとじなくなってしまわれたのでした。群大病院で手術して、目のふちを縫いつめられたのでした。
その間の農作業やこまごまとしたことは、全て、奥さんにおしかかってました。
なお、Tさんは町の要職を幾つもこなしてこられた方で、移転を拒んでこられたきた方ではありませんでした。
ですが、ご聡明な方だけに、打越代替地や上湯原代替地の危険性や不備はよくご存じでした。
その上、固定資産税は地主持ちという不具合な契約の「使用貸借」で、現在は新川原湯温泉駅のホームの大半の土地を国交省に貸したのに、そのままJRに移行してしまったのでした。国交省「FJRに」、JRは「国交省さんからそのままの移行ですので、そちらに」といったキャッチボールが、駅着工時からのやりとりのようでした。で、思いあぐねたTさんは、有害スラグ問題でたまたま取材に訪れた毎日新聞記者に伝え、そのことが全国版に大きく報道されたこともありました。
でも、そんな経緯もあり、新駅工事には関心があられたらしく多忙な日々の中で現場にはよく訪れていたようでした。そして、指摘、懸念され続けている有数の地すべり地帯に新設するJR線工事の堅固な工事を真の辺りにされて、「すげえ、頑丈な工事だ」とおっしゃってました。
私の知る限り、土地の問題は遅々としてスッキリと解決せず、またT家の移転先?と近所で風聞されていた高架橋をわたった線路際の広大な土地は、典型的な地滑り症状を示し、水が抜けない造成地なのでした。
為に、私たちの開いた「現地地滑り地帯見学会けにも参加され、講師の中村庄八先生のお話しを聞いていられました。その時、中村さんは吾妻川に向かって段々状に造成され、差の時も水たまりになっていた問題の土地を示して、古来から有数の地すべり地帯として、土地の者なら住み着かなかった金鶏山からの地下水がたまる場所と説明されました。丁度、手のひらの窪みのような場所で、地下には伏流水があり、流れやすいもろい一帯と言われていました。
加えて、この土地には事情があり、まだ正式にはTさんの所有地にはなっていないのだと伺いました。
【極度の神経疲労に陥る】 そんな経緯を経て、最終的には線路沿いにある別のご自分の土地にでようと心積りされてたようでした。
「でも、あそこじゃ狭いんじゃない? この大邸宅を移転するんじゃ」と口にしますと、「なぁに、はあ2人だけになるし、これからはちっちい家でたくさん。若ぇもんは別に考えればいいし、農機具なんかは畑にでも物置を造ればいいんだし……」といった風なことを語られてました。
ですが、そこには、大量の有害スラグが投棄されていることが、2014年判明。
本当にこの土地には2015年8月15日の「有害スラグ現地調査」の際には、まだ有害スラグが見受けられましたし、それ以前の研究者の皆さんの調査で分かってました。が、その後、表面上のスラグはいつの間にかなくなっていました。でも、今でも、周辺部に比べて、夏草が生い茂らない土地です。
そんなことで、Tさん宅は行き場を失なわれていたのでした。
ですが、早く決めなければならず、打越代替地の空いていた広大な希望場所は、現在は清水建設の飯場、将来は公園予定地とのことで不可。その頃のTさんの言葉に「俺んちは川原湯に住めなくなったんさ」との自嘲、自虐混じりの言葉がありました。
あちこち物色の果てに、仕方なく住み慣れない長野原地区のある場所に一先ずおちつかれたのでした。けれど、複雑な土地形態で、結果的に折り合いがつかず、結局、断念。
その時の心無い風聞の中には「近所の者が嫌がっていた。止めたんで良かったって言っている」的な言葉まで流れていました。閉鎖されて地域ではそんな噂がまことしやかにささやかれるものなのでしょう。
国道閉鎖後、未移転のKさん宅を廻る風聞には、「以外に、だらしねぇ」、「国交省におおか盾ついたから、あれはみせしめだいな」などの心無い言葉もありました。
そして、それらの言葉がささやかれるであろうことを誰よりもよくご存じのTさんは、自分を追いつめ続けて、ついに神経疲労の極に達してしまわれました。
今日現在でも、車の運転も不可で、ご親戚の方などにお願いしていられるようです。
そして、秋も深まった頃、門口でご親戚の方の送迎の車を待っていられる奥さんにもお会いしました。珍しく、よそ行きの身なりをしていられました。今、思うと病院へ行かれるところだったのかも知れませんでした。
そんな、出口のない過酷な焦燥の日々を必死に支えられ続けたのは、奥さんなのでした。
飾り気のない言葉の底から、心根の優しさがじんわりと伝わってこられる方でした。私たちは、「ダムに殺されたようなものだ」と感じています。
ーー 以下、次回にーー
2015年12月17日
土木常任委、傍聴人一人でした
群馬県議会の後期定例会の常任委員会は12/7・8に開かれ、産業土木常任委員会の土木に関する委員会は、2日目の8日に開かれました。
八ッ場ダム問題のことで、もう通い続けて何年間になるでしょうか?
というのは、本会議は中継放送がありますけれど、常任委員会は非公開。でも、先着5名までは許されるのです。
朝8時半からのその順番を採るために、懸命にかけ参じたものでした。そして、10時開催まで、焦りつつも何とか時間をつぶし、緊張してして机もない椅子席で:懸命にメモをとりましたが、午前中の「付託議案の概要説明」続く「付託議案の内容説明」などは、何の資料もないままに「第〇号議案」の語をただじっと聞くしかありませんでした。あの長時間、若いから耐えられたのだと、今は想われます。
日程を確認してあったものの、この日はどっちを向いてもこなさなければならないことばかり。
今、八ッ場ダム反対の立場から質問してくれる県議は二期目の角倉県議お一人。でも、質問をなされるかどうかは不明であり、質問は最近はいつも午後。県議さんに電話を入れて、私も確認させて戴こうかと思いましたが、もし質問されるのなら、自分の拙い経験からも準備に忙しいことと拝察。ご迷惑をかけると思いとどまりました。(実は御懇意にしていられる方たちは質問時間は無論、関連事項を事前にご存じらしいことは感じてましたので)。
だから、午後の開催に間に合せればと思い、5名に達し入れなければ仕方なしとばかりに目の前のことに追われていましたが、不意にどうせなら、時間に行くのも県民の義務とばかりに、慌てて中断。
10時に少々遅れましたが、無事に入れました。
傍聴席は私、1名のみ。
「所管事項の質疑」の時間になって、二人の議員が交通問題など質問しました。
この進み具合だと、どうやら、午前中はなし。そして本日は、八ツ場ダムの関連事項は「なし」かも……その気配濃厚。
それが証拠に角倉さんの質問の際にはみえている他の会のお二人もこられないし、もしかしたら午後の時間帯なのかもしれないけれど…… 詰まっている雑用の山を考えると、昼で帰ろうかと思案しはじめた11時半頃でした。
予期せず、角倉さんが挙手。(昼休みにおみえになられた方たちに、角倉さんが説明していられた言葉によりますと、「先にやってくれ」と他の議員から頼まれ、質問時間が前倒しになられた由)
そんなわけで、ただ一人の傍聴人として、常任委員会の様子は何らかの形で報告しなければならないと思いつつ、角倉さんに許可を戴く旨の電話をいれましら、ルス電。その後かけた際には運転中との由にて…… そのうちに13日のイベントに出かける1日をうかすための諸雑用で忙殺。
しかも、メモでは用語など自信のないこともあり、2~3日前、しつこくも又、角倉さんら電話しましたら、なんと私にも、「詳しい資料」を下されるとのこと。 それをみてもう少しも確実に記したいと思いますが、最初の質問事項のみを簡略に以下に。
付随して、以下のオリジナル事項も記します。
一、 今回の質問では、触れていられなかったのですが関連して、別掲で24時間体制の旧145号国道沿いのものすごい騒音に悩まされ続けてきた未移転者の実態を記させて戴きます。
午後も引き続き、質問なされると思い、このことも角倉さんに申し添えさせて戴いてみようかと心づもりしていましたら、12時10分すぎ、延びた午前の部が終了直後、すぐに角倉さんは部屋を出てしまわれたましたので(※事務局さんに伺いましたら、、来客との約束があった由)、最前列で帰り支度をしていられた特ダム課長さんに、答弁中の確認をした際に、「そういう事実を県はつかんでいられるのですか」と添えさせて戴きました。「知らない」とのこと。
そして昼休みに、現地の方に9日現在の様子を電話で再度確認し、12時40分過ぎ、また、事務局さんを訪ねると、「ただ今、食事中」とのこと。食事が終わられるのを待って、午後の質問に活かしてもらうためにもお伝えしまたけれど…… やはり、そのことはご存じないようでした。
結局、議会の決め事で角倉さんの質問は12時10分で終了してしまったのでした。(12時をすぎると質問者も神経を使うものです。もし、約束がなければ、もう少し質問してくだされていたかもしれませんでしたけれど……)
二、午前の質問最後に角倉県議は、川原湯の明るみにでてこなかった「有害スラグ問題」にも、写真類を示しながら触れていられました。
この問題に対する、独自取材も別掲にて記します。
【9日の角倉県議質問事項冒頭】
➀最初は、「川原湯温泉の宿泊助成」を今後も続行するか?
回答は、状況を把握して、「適切に対応」で確約はなし。
②次は、「24時間体制の本体工事現場の騒音」について
特ダム課長:夜間工事の開始に先立ち、説明を行い、7月から昼夜間施工を行っているという。
これとは別にダム本体の右岸、川原湯側でトンネルの掘削工事が行われている。この工事では夜間でも発破作業が必要になったとのことで、平成27年11月に川原畑地区および川原湯地区の代表者に内容を説明。「発破作業のお知らせ」を各地区の住民に配布した上で施工したと聞いている。
午前8時10分~午後5時10分までの間、本体掘削工事の発破作業を実施し、現場作業員と第三者の安全を確保するために、事前にサイレンを鳴らして発破作業を行っている。夜間の時間帯は、トンネル内の掘削における発破だけになるので、事前にサイレンを鳴らすことなく、現場内の安全を確認した上で発破作業を行う。
➡工事を急ぎたい気持ちはわかるが、夜間もトンネル内で発破をかけていると。具体的に何月何日の何時ぐらいに発破をかけると、紙に書かれているのか?
特ダム課長:本体工事の基礎掘削は表面の堅い岩が出るまでの部分をとるための作業。昼間にサイレンを鳴らしている。
もう一つは、ダム堤体の基礎岩盤にセメント等を注入して堅固にする、グラウトという作業を行うためのトンネル建設工事。
トンネル内の発破を夜間にやっているが、関係者もトンネル内だけなので、確認してサイレンを鳴らさずに発破をかけている。
➡工事現場に近い川原湯地区の代替地では、旅館が営業している。宿泊客もいることであり、夜間の発破はできるだけ自重していただくよ う、県から国に伝えていただきたい。
※記事と直接の関係はありませんが、「見放し台」オープンの日の右岸です。写真があると記事に張りがでますので。
八ッ場ダム問題のことで、もう通い続けて何年間になるでしょうか?
というのは、本会議は中継放送がありますけれど、常任委員会は非公開。でも、先着5名までは許されるのです。
朝8時半からのその順番を採るために、懸命にかけ参じたものでした。そして、10時開催まで、焦りつつも何とか時間をつぶし、緊張してして机もない椅子席で:懸命にメモをとりましたが、午前中の「付託議案の概要説明」続く「付託議案の内容説明」などは、何の資料もないままに「第〇号議案」の語をただじっと聞くしかありませんでした。あの長時間、若いから耐えられたのだと、今は想われます。
日程を確認してあったものの、この日はどっちを向いてもこなさなければならないことばかり。
今、八ッ場ダム反対の立場から質問してくれる県議は二期目の角倉県議お一人。でも、質問をなされるかどうかは不明であり、質問は最近はいつも午後。県議さんに電話を入れて、私も確認させて戴こうかと思いましたが、もし質問されるのなら、自分の拙い経験からも準備に忙しいことと拝察。ご迷惑をかけると思いとどまりました。(実は御懇意にしていられる方たちは質問時間は無論、関連事項を事前にご存じらしいことは感じてましたので)。
だから、午後の開催に間に合せればと思い、5名に達し入れなければ仕方なしとばかりに目の前のことに追われていましたが、不意にどうせなら、時間に行くのも県民の義務とばかりに、慌てて中断。
10時に少々遅れましたが、無事に入れました。
傍聴席は私、1名のみ。
「所管事項の質疑」の時間になって、二人の議員が交通問題など質問しました。
この進み具合だと、どうやら、午前中はなし。そして本日は、八ツ場ダムの関連事項は「なし」かも……その気配濃厚。
それが証拠に角倉さんの質問の際にはみえている他の会のお二人もこられないし、もしかしたら午後の時間帯なのかもしれないけれど…… 詰まっている雑用の山を考えると、昼で帰ろうかと思案しはじめた11時半頃でした。
予期せず、角倉さんが挙手。(昼休みにおみえになられた方たちに、角倉さんが説明していられた言葉によりますと、「先にやってくれ」と他の議員から頼まれ、質問時間が前倒しになられた由)
そんなわけで、ただ一人の傍聴人として、常任委員会の様子は何らかの形で報告しなければならないと思いつつ、角倉さんに許可を戴く旨の電話をいれましら、ルス電。その後かけた際には運転中との由にて…… そのうちに13日のイベントに出かける1日をうかすための諸雑用で忙殺。
しかも、メモでは用語など自信のないこともあり、2~3日前、しつこくも又、角倉さんら電話しましたら、なんと私にも、「詳しい資料」を下されるとのこと。 それをみてもう少しも確実に記したいと思いますが、最初の質問事項のみを簡略に以下に。
付随して、以下のオリジナル事項も記します。
一、 今回の質問では、触れていられなかったのですが関連して、別掲で24時間体制の旧145号国道沿いのものすごい騒音に悩まされ続けてきた未移転者の実態を記させて戴きます。
午後も引き続き、質問なされると思い、このことも角倉さんに申し添えさせて戴いてみようかと心づもりしていましたら、12時10分すぎ、延びた午前の部が終了直後、すぐに角倉さんは部屋を出てしまわれたましたので(※事務局さんに伺いましたら、、来客との約束があった由)、最前列で帰り支度をしていられた特ダム課長さんに、答弁中の確認をした際に、「そういう事実を県はつかんでいられるのですか」と添えさせて戴きました。「知らない」とのこと。
そして昼休みに、現地の方に9日現在の様子を電話で再度確認し、12時40分過ぎ、また、事務局さんを訪ねると、「ただ今、食事中」とのこと。食事が終わられるのを待って、午後の質問に活かしてもらうためにもお伝えしまたけれど…… やはり、そのことはご存じないようでした。
結局、議会の決め事で角倉さんの質問は12時10分で終了してしまったのでした。(12時をすぎると質問者も神経を使うものです。もし、約束がなければ、もう少し質問してくだされていたかもしれませんでしたけれど……)
二、午前の質問最後に角倉県議は、川原湯の明るみにでてこなかった「有害スラグ問題」にも、写真類を示しながら触れていられました。
この問題に対する、独自取材も別掲にて記します。
【9日の角倉県議質問事項冒頭】
➀最初は、「川原湯温泉の宿泊助成」を今後も続行するか?
回答は、状況を把握して、「適切に対応」で確約はなし。
②次は、「24時間体制の本体工事現場の騒音」について
特ダム課長:夜間工事の開始に先立ち、説明を行い、7月から昼夜間施工を行っているという。
これとは別にダム本体の右岸、川原湯側でトンネルの掘削工事が行われている。この工事では夜間でも発破作業が必要になったとのことで、平成27年11月に川原畑地区および川原湯地区の代表者に内容を説明。「発破作業のお知らせ」を各地区の住民に配布した上で施工したと聞いている。
午前8時10分~午後5時10分までの間、本体掘削工事の発破作業を実施し、現場作業員と第三者の安全を確保するために、事前にサイレンを鳴らして発破作業を行っている。夜間の時間帯は、トンネル内の掘削における発破だけになるので、事前にサイレンを鳴らすことなく、現場内の安全を確認した上で発破作業を行う。
➡工事を急ぎたい気持ちはわかるが、夜間もトンネル内で発破をかけていると。具体的に何月何日の何時ぐらいに発破をかけると、紙に書かれているのか?
特ダム課長:本体工事の基礎掘削は表面の堅い岩が出るまでの部分をとるための作業。昼間にサイレンを鳴らしている。
もう一つは、ダム堤体の基礎岩盤にセメント等を注入して堅固にする、グラウトという作業を行うためのトンネル建設工事。
トンネル内の発破を夜間にやっているが、関係者もトンネル内だけなので、確認してサイレンを鳴らさずに発破をかけている。
➡工事現場に近い川原湯地区の代替地では、旅館が営業している。宿泊客もいることであり、夜間の発破はできるだけ自重していただくよ う、県から国に伝えていただきたい。
※記事と直接の関係はありませんが、「見放し台」オープンの日の右岸です。写真があると記事に張りがでますので。
2015年12月14日
宮本さんの長崎での講演録にて、一足早くお聴きください
先の本欄をアップしてから不意に、久々にお話ししたダム問題のある先輩の方の評、「この間の、水源連メールにあった九州の講演会を聴いて、最近の宮本さんは突き抜けた感じがして、スゴイ」との言葉を思い出しました。本当に何だか、一皮むけるというのは、こういうことかと感じられ、気迫にみちた内容でした。
じゃ、いち早く、それをと。思いついたら、すぐのヒトなので……
(お恥ずかしいながら、時間に追われて実はまだ、その録画を私は聴いていられないのに)厚かましくも、12月5日の講演録を12月7日に投稿してくだされた、長崎県石木ダムの支援団体、石木川まもり隊の方に転載をさせて戴きたい旨を電話してしまったのでした。
すると、メール冒頭にも明記されてますように、12月5日の講演会に参加され、主催者の了解を得て、ユーチュー ブ化され、投稿されたのだそうでした。でも、ご親切にも主催団体さんへのご了解をも即座にご手配してくだされたのでした。
本当にお手数おかけいたしました。
おかげさまで、遠隔の地の皆様方の善意のバトンタッチで、こうして宮本さんの熱のあるお話しを、いち早くより多くの方に聴いていただける運びとなりました。
急なしかも、半ば非礼な依頼ごとに、快くご手配、お骨折りくだされました、石木川まもり隊の皆さま方、本当にありがとうございます。
理不尽な長崎県の圧政に対し、住民の皆様が一歩も引かず本質的に対峙し、それをまた本質的に支えてこられました石木ダム支援関係団体の皆様のお取り組みには、頭が下がります。
何よりも、あの地には、集われる方たちには、あふれるような❝人間の響き❞があり、それは心地よい人間の賛歌です。
私たちの希望の砦です。
主催団体様、並びに石木川まもり隊の皆さま方のご厚意に感謝しつつ、以下のユーチューブをメール本文ごとアップさせて戴きます。
//////////////////////////////////
皆さん、おはようございます。
石木川まもり隊・記録係りの〇〇です。
12月5日(土)、長崎市で行なわれた宮本博司さん(元国交省近畿地方整備局淀川河川事務所長)の講演記録をお届けします。
主催は長崎県地方自治研究センターです。終了後は質疑と交流会もありました。
○宮本博司さん講演会①
https://youtu.be/oEBGurLHihI
○宮本博司さん講演会②
https://youtu.be/vwHw4yxk9jw
○宮本博司さん講演会③
https://youtu.be/m0t8u59mlcU
じゃ、いち早く、それをと。思いついたら、すぐのヒトなので……
(お恥ずかしいながら、時間に追われて実はまだ、その録画を私は聴いていられないのに)厚かましくも、12月5日の講演録を12月7日に投稿してくだされた、長崎県石木ダムの支援団体、石木川まもり隊の方に転載をさせて戴きたい旨を電話してしまったのでした。
すると、メール冒頭にも明記されてますように、12月5日の講演会に参加され、主催者の了解を得て、ユーチュー ブ化され、投稿されたのだそうでした。でも、ご親切にも主催団体さんへのご了解をも即座にご手配してくだされたのでした。
本当にお手数おかけいたしました。
おかげさまで、遠隔の地の皆様方の善意のバトンタッチで、こうして宮本さんの熱のあるお話しを、いち早くより多くの方に聴いていただける運びとなりました。
急なしかも、半ば非礼な依頼ごとに、快くご手配、お骨折りくだされました、石木川まもり隊の皆さま方、本当にありがとうございます。
理不尽な長崎県の圧政に対し、住民の皆様が一歩も引かず本質的に対峙し、それをまた本質的に支えてこられました石木ダム支援関係団体の皆様のお取り組みには、頭が下がります。
何よりも、あの地には、集われる方たちには、あふれるような❝人間の響き❞があり、それは心地よい人間の賛歌です。
私たちの希望の砦です。
主催団体様、並びに石木川まもり隊の皆さま方のご厚意に感謝しつつ、以下のユーチューブをメール本文ごとアップさせて戴きます。
//////////////////////////////////
皆さん、おはようございます。
石木川まもり隊・記録係りの〇〇です。
12月5日(土)、長崎市で行なわれた宮本博司さん(元国交省近畿地方整備局淀川河川事務所長)の講演記録をお届けします。
主催は長崎県地方自治研究センターです。終了後は質疑と交流会もありました。
○宮本博司さん講演会①
https://youtu.be/oEBGurLHihI
○宮本博司さん講演会②
https://youtu.be/vwHw4yxk9jw
○宮本博司さん講演会③
https://youtu.be/m0t8u59mlcU
2015年12月14日
宮本博司さん、ズバリと本質をつく
(写真は、弁護団の皆様方に、市民側が労をねぎらい、花束贈呈の場面を掲げたいのですが、カメラを持参せず、初めてのスマホで、初めての撮影。その上、とりだした方も判らなくて……)
昨日13日(日)は、「八ッ場ダム住民訴訟、最高裁決定抗議集会」が都内でありました。
現在の権力構造と司法の堕落の中で、行政訴訟裁判に負けるのは、半ば必然的で仕方のないことです。
でも、いつかは崩れることはこれまた必至と信じています。
何よりも、この間、数々の国の詐術に対して、弁護士さんたちのご努力にて、持てる鋭い論述にて果敢に切り込み、大部の論述記録を残してくだされましたことは、この国の闇の部分を照射し、今後の司法改革の指針となりましょう。
次の世の地平を切り開く、その一助として歴史に残ります。
この意味で、丸11年間のとり組みは誇れるものと確信してやみません。
災害は断じて望んでませんが、もし、私たちの指摘した通りの現象がでた時に、国は県は加担した人々は、どうに責任をとれるのでしょうか?
長い間、全くの手弁当でご支援くだされました弁護士の皆さま、それを支えた役員の皆さま、本当にご苦労さまでした。
原告の一人として、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
この日の極めつけは、国交省河川局0B/元淀川水系流域委員会委員長の宮本博司さん。
すばらしい内容でした。
「淀川水系流域委員会」は、八ッ場ダムに代表されるように「最初にダムありき」で動くのをやめて、ニュートラルの段階にて国・学者・市民層を交えての討議を行う、開かれた極め付きの委員会だったと伝え聞いてます。その会議で真剣に綿密に討議研究した結論を、委員長報告として宮本さんが、伝えたところ、なぜか方向性が変質していて聞き入れられなかったそうなのでした。
若くして苫田ダム工事事務所長等をこなされた宮本さんは、その時もかなりのポスト、近畿地方整備局淀川河川事務所長にあった方のようでしたが、立腹され、潔く辞職なされて、現在は家業にいそしんでいられるという、背筋シャッキリの方です。
いずれ、映像がアップされると思いますが、眼からうろこの数々のお話の中で、心に残り即座に納得できた一つは以下のこと。
※太字は、パワーポイントの宮本さんの記述。他は私のまとめです。
治水の目的は、いつ、どのような規模で起こるかわからない洪水に対して、
住民の「命」を守ること。 →「ダムは有効か?」
※もし、ダムが必要なら、今も新設のダムが次々と、短期間に急いで造られるはず。恐らく、国交省の職員で「ダムが有効」と思っている者はほとんどいない。しかし、「計画したダムを完成させる」ことは、上からの至上命令。ために、職員は、
(「ダムを造る」)という、結論は変えないから、不都合になると、
「かくす」
「ごまかす」
「逃げる」
「ウソをつく」
最後に、現職の国交省職員に対して、「追い詰めないでやってください」的な配慮も、心優しいOBとしてくりだされました。
八ッ場ダムでもこの間、お世話になってきた職員さんたちは皆さん、一対一での会話では、市民感覚の持ち主なのに、「どうして? こんなことを言うのか、やるのか」と思いつつ薄々は立場をも察していましたので理解できました。
そして、嫌なら、宮本さんのように辞めるしかないのでしょう。……でも、果たして、人間としてこんなことができきるか疑問です。「すまじきものは宮仕え」。私は公務員にならなくて、マァなれなくてよかったです。
--長崎県でのユーチューブは分割しましたーー
昨日13日(日)は、「八ッ場ダム住民訴訟、最高裁決定抗議集会」が都内でありました。
現在の権力構造と司法の堕落の中で、行政訴訟裁判に負けるのは、半ば必然的で仕方のないことです。
でも、いつかは崩れることはこれまた必至と信じています。
何よりも、この間、数々の国の詐術に対して、弁護士さんたちのご努力にて、持てる鋭い論述にて果敢に切り込み、大部の論述記録を残してくだされましたことは、この国の闇の部分を照射し、今後の司法改革の指針となりましょう。
次の世の地平を切り開く、その一助として歴史に残ります。
この意味で、丸11年間のとり組みは誇れるものと確信してやみません。
災害は断じて望んでませんが、もし、私たちの指摘した通りの現象がでた時に、国は県は加担した人々は、どうに責任をとれるのでしょうか?
長い間、全くの手弁当でご支援くだされました弁護士の皆さま、それを支えた役員の皆さま、本当にご苦労さまでした。
原告の一人として、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
この日の極めつけは、国交省河川局0B/元淀川水系流域委員会委員長の宮本博司さん。
すばらしい内容でした。
「淀川水系流域委員会」は、八ッ場ダムに代表されるように「最初にダムありき」で動くのをやめて、ニュートラルの段階にて国・学者・市民層を交えての討議を行う、開かれた極め付きの委員会だったと伝え聞いてます。その会議で真剣に綿密に討議研究した結論を、委員長報告として宮本さんが、伝えたところ、なぜか方向性が変質していて聞き入れられなかったそうなのでした。
若くして苫田ダム工事事務所長等をこなされた宮本さんは、その時もかなりのポスト、近畿地方整備局淀川河川事務所長にあった方のようでしたが、立腹され、潔く辞職なされて、現在は家業にいそしんでいられるという、背筋シャッキリの方です。
いずれ、映像がアップされると思いますが、眼からうろこの数々のお話の中で、心に残り即座に納得できた一つは以下のこと。
※太字は、パワーポイントの宮本さんの記述。他は私のまとめです。
治水の目的は、いつ、どのような規模で起こるかわからない洪水に対して、
住民の「命」を守ること。 →「ダムは有効か?」
※もし、ダムが必要なら、今も新設のダムが次々と、短期間に急いで造られるはず。恐らく、国交省の職員で「ダムが有効」と思っている者はほとんどいない。しかし、「計画したダムを完成させる」ことは、上からの至上命令。ために、職員は、
(「ダムを造る」)という、結論は変えないから、不都合になると、
「かくす」
「ごまかす」
「逃げる」
「ウソをつく」
最後に、現職の国交省職員に対して、「追い詰めないでやってください」的な配慮も、心優しいOBとしてくりだされました。
八ッ場ダムでもこの間、お世話になってきた職員さんたちは皆さん、一対一での会話では、市民感覚の持ち主なのに、「どうして? こんなことを言うのか、やるのか」と思いつつ薄々は立場をも察していましたので理解できました。
そして、嫌なら、宮本さんのように辞めるしかないのでしょう。……でも、果たして、人間としてこんなことができきるか疑問です。「すまじきものは宮仕え」。私は公務員にならなくて、マァなれなくてよかったです。
--長崎県でのユーチューブは分割しましたーー
2015年12月11日
清水建設社員、市民に絡み、警察沙汰に
八ッ場ダム本体工事を担い、大自然破壊工事中の清水建設の宿舎は一号橋のたもとの大型建物、さらに大津にもあるようです。確か150人以上の要員とか、伝えきいてます。
※「清水・鉄建・IHI異工種建設工事共同企業体(ジョイント・ベンチャー、JV)が、34,2億5千万円(税抜き). で落札。2014年8月7日」
清水建設では、夜間の町場での酒食は禁じ、飲むならば宿舎内でとの規律があるようです。
が、数日前、規律をやぶって、密かに草津町に繰り出した作業員がいたようです。
草津町内で、あるご夫婦の妻が運転していた車にむかって、突然クラクションをならし、次に車から降りてきて、いきなり今度はご夫婦の車の車体を持ち上げるようなそぶりをしたために、助手席の夫が「何をする」と抗議したそうでした。
諍いになり、結局、警察も入った由。
お酒が入っていたようとのことでしたけれど、クラクションをならしたのだから運転していたのでしょうね。この時点で明らかに飲酒暗転。交通違反です。
処で、帰途は草津で酒をのんで、長野原町まで、どのようにして帰るのでしょうね。代行でも頼む心積りだったのでしょうか?
【今夏、清水建設さんからのご注意を受けました】
酔って、一般市民にクダをまく困った戒律破りの職員をかかえた清水建設さんに、実は今夏、私も叱られました。
一回目は8/19。末尾の写真の様に、「不動の滝」下の流れで、採らせてもらったミョウガの泥を落としていましたら、立入禁止区域に入ったとして、突然、上の写真の2号橋際の斜面上方から、お二人の社員が猛スピードで駆け下りてこられました。
で、トラブっても仕方ないので、その時、私も素早く地認可されていた駐車場の自分の車に戻ってまして、木立の向こうで、❝不審者❞である私を探していられるのを眺めておりました。
程なくみつけられ、道路上から、「立入禁止区域です。危ないですから、ここに入らないでください」とのご注意をうけたのでした。
私の違反行為は、この写真の写真左手上方の駐車場に車を止め、手すり下の「立入禁止」の垂れ下がり地面に横たわったロープをまたいで、手すり手前の道路を横断して、上湯原地区の水源下の洗い場で、次の写真のように見事なミョウガに感動しつつ洗っていたことにありました。
ヘルメットの「JV」 の文字に、「本体工事関係の方たちですか」と問うと、「そうです」と応えた。「じゃ、清水建設さんの方?」と重ねると、またも「そうです」と。
「でも、なんで本体工事の会社が、こんなに離れた処に関係あるんですか」とさらに怒り口調で抵抗したものでした。
私にとっては、「清水・鉄建・IHI異工種建設」のJVの名前は、かの吾妻渓谷の美麗さを根こそぎ破壊する小憎らしい会社なのでした。
(東吾妻町・大柏木地区の原石山からの骨材を運ぶため、大柏木トンネルを経て、この斜面に設置するためのトロッコの軌道づくりを監督中の、とっても律儀なお二人の職員さんだったようです。ここから、阿本体工事現場まで運ぶ経路のようで、今なら本体工事関連ということも判りますが……)
いかに職務に忠実とはいえ、何もこれしきのことに、山のてっぺんから「一大事」のごときの形相で、猛スピードで駆け下りてこなくてもとよいものをと、マニュアル通りのその生真面目さがより滑稽に感じられると同時に、鬱積していた怒りにすり替わったものでした。
さらにここへ来る前に観て来た吾妻渓谷の無惨さが増幅して、ウサの持って行き様のない怒りに駆られて、常なら素直に「あら、申し訳ありませんでしたね」とスンナリ口をつき、最後まで対立のままの構図で物事は終わらせないのが常でしたが…… この時は違いました。
「あのね、危ないか危なくないか、この年になれば判るわよ。まだ、それほど危険な状態じゃないじゃないのよ」と憎まれ口とわかっているのに、吐きだしてしまったのでした。
ついで、「ここはね、土地のヒトたちがずっと野菜や農機具を洗ってきた洗い場なのよ」とも。
根底には(天下のJVサマか何か知らないけれど、ここには仕方なくムラを追われた人々の悔しさの歴史があるのよ。人の土地に入ってきて偉そうにするもんじゃないわよ)的な怒りがあり、ついついまくしたてたものでした。
ここで、それまでは無言だったもう一人の男性が文句を言いかけた時、 それまでは杓子定規の立入禁止用語をふりかざしていた、お二人の中では、やや上司格らしい〇〇と記されたヘルメットの主は、穏やかに隣の男性に右手で制されてました。その所作に心根の優しさも伝わってきて、決して質の悪い方たちでないことは判ってます。
……もしかしたら、長靴履き泥と汗まみれだった初対面の私を、この地を追われた水没民、農婦と想われたのかも知れませんね。
まだ、紅顔の美青年といった感のお若いお二人の社員さんのお顔とお名前は、今も浮かんできますが……
職務に忠実な正論を吐いただけなのに、オバさんの毒気と八ッ場ダムへの計り知れない怒りにあてられた、あのお二人にいささか気の毒な気持ちもして参ります。もしかしたら初めてに近い任務への責任感に燃えていられたのかも知れませんでしたのに……
でも、もし手慣れた年配者の方なら、「これから、工事が本格化すると危ないから、気を付けてくださいよ」位だったでしょうが……
「清水であらった野菜は長持ちするんだよ」とは、土地の農家の方から、度々きいてきました。それ故に都会の方にお送りさせて戴くミョウガは、流れる清水で洗いたい強い願望がありました。
不動の滝の洗い場の清々しさは得難く失いたくない浄めの場なのでした。
で、性懲りなく、二度目は9/ にも、訪れました。
泥だらけのミョウガを自宅の水道水で洗うのは大変なことであり、潔しとしませんでした。
いつも差し迫る夕闇の中で時間に急かれながら、大量のミョウガを丁寧に処理していると少なくとも2時間近くは要しました。夏場でも手足が冷えてきました。
作業は前回よりも進んでいて、通りかかった下請けの〇建設の方に、前回と同じく「ミョウガ、洗わせて頂きますけれどお邪魔じゃないですよね」と声をかけながら洗い出し、少なくとも一時間半以上は経過した頃でしょうか、ついに先のお二人の眼にとまってしまいました。
今夏最後のミョウガを全量、清水で洗いたかったのにと、無念でした。
二度目は、全くの私の確信犯だったので、あちらも執拗でした。
「すぐに出てください」として、洗い物途中の容器や私物を運ぶというので、思わず「触らないで! 自分で運びますから」と言い放ちました。私は病的な神経の細さで、他人に触られるのは極度に嫌なのです。
ついに、またも、謝罪の言葉を吐かなかったものでした。しかも、オバさん組のふてぶてしさで、バケツに水を汲み、残りの泥のミョウガを駐車場で洗いだしたものでした。そこへ休憩時間もしくは終了時間になったらしい、〇建設の作業員さんたち数名が、道路上から、「そんな、でっけえミョウガじゃ、しょうがねぇだんへに」と声をかけられました。前に「ミョウガ、めしあがりますか?」とおすそわけしようとしましたら、「昨日、てんで良いのを貰ってきたばっかりだい」と言われたものでした。
すると、清水建設社員さんが、制止ました。離れているので定かには聞こえませんでしたが、「声をかけるんじゃない」とでも、言ったのでしょうか。
で、「下請いじめ、するんじゃないよ!」と怒鳴りました。私は大声の主で有名なので、かなり迫力があります。
たぶん、あの駐車場も立入禁止になっているでしょう。確かめに行きたいと思いながら日数を重ねてしまっています。
なお、上湯原地区の水源としての契約は本年三月に更新したばかりのようです。額は三千円程度の由で、いまでは一件となった未移転のお宅がしはらっているようです。
旧国道締切のように、規制に次ぐ規制で、建設意義が失われ、今回の鬼怒川決壊で証明されたように、むしろ災害時には加担するムダなダムをあくことなく建設する愚かさ。
さて、たかが道路の数メートルほどを横断しただけで、くだんのご注意をくだされた戒律厳しく社員教育の徹底した清水建設さんは、今回はどんなご裁断を繰り出すことでしょう。
(なお、断じて、あの職務に忠実に凛々しくも、この横暴なオバさんにご注意さだされた社員さんには、何の咎もありませんことを、念のため、添えさせていただきます)。
※「清水・鉄建・IHI異工種建設工事共同企業体(ジョイント・ベンチャー、JV)が、34,2億5千万円(税抜き). で落札。2014年8月7日」
清水建設では、夜間の町場での酒食は禁じ、飲むならば宿舎内でとの規律があるようです。
が、数日前、規律をやぶって、密かに草津町に繰り出した作業員がいたようです。
草津町内で、あるご夫婦の妻が運転していた車にむかって、突然クラクションをならし、次に車から降りてきて、いきなり今度はご夫婦の車の車体を持ち上げるようなそぶりをしたために、助手席の夫が「何をする」と抗議したそうでした。
諍いになり、結局、警察も入った由。
お酒が入っていたようとのことでしたけれど、クラクションをならしたのだから運転していたのでしょうね。この時点で明らかに飲酒暗転。交通違反です。
処で、帰途は草津で酒をのんで、長野原町まで、どのようにして帰るのでしょうね。代行でも頼む心積りだったのでしょうか?
【今夏、清水建設さんからのご注意を受けました】
酔って、一般市民にクダをまく困った戒律破りの職員をかかえた清水建設さんに、実は今夏、私も叱られました。
一回目は8/19。末尾の写真の様に、「不動の滝」下の流れで、採らせてもらったミョウガの泥を落としていましたら、立入禁止区域に入ったとして、突然、上の写真の2号橋際の斜面上方から、お二人の社員が猛スピードで駆け下りてこられました。
で、トラブっても仕方ないので、その時、私も素早く地認可されていた駐車場の自分の車に戻ってまして、木立の向こうで、❝不審者❞である私を探していられるのを眺めておりました。
程なくみつけられ、道路上から、「立入禁止区域です。危ないですから、ここに入らないでください」とのご注意をうけたのでした。
私の違反行為は、この写真の写真左手上方の駐車場に車を止め、手すり下の「立入禁止」の垂れ下がり地面に横たわったロープをまたいで、手すり手前の道路を横断して、上湯原地区の水源下の洗い場で、次の写真のように見事なミョウガに感動しつつ洗っていたことにありました。
ヘルメットの「JV」 の文字に、「本体工事関係の方たちですか」と問うと、「そうです」と応えた。「じゃ、清水建設さんの方?」と重ねると、またも「そうです」と。
「でも、なんで本体工事の会社が、こんなに離れた処に関係あるんですか」とさらに怒り口調で抵抗したものでした。
私にとっては、「清水・鉄建・IHI異工種建設」のJVの名前は、かの吾妻渓谷の美麗さを根こそぎ破壊する小憎らしい会社なのでした。
(東吾妻町・大柏木地区の原石山からの骨材を運ぶため、大柏木トンネルを経て、この斜面に設置するためのトロッコの軌道づくりを監督中の、とっても律儀なお二人の職員さんだったようです。ここから、阿本体工事現場まで運ぶ経路のようで、今なら本体工事関連ということも判りますが……)
いかに職務に忠実とはいえ、何もこれしきのことに、山のてっぺんから「一大事」のごときの形相で、猛スピードで駆け下りてこなくてもとよいものをと、マニュアル通りのその生真面目さがより滑稽に感じられると同時に、鬱積していた怒りにすり替わったものでした。
さらにここへ来る前に観て来た吾妻渓谷の無惨さが増幅して、ウサの持って行き様のない怒りに駆られて、常なら素直に「あら、申し訳ありませんでしたね」とスンナリ口をつき、最後まで対立のままの構図で物事は終わらせないのが常でしたが…… この時は違いました。
「あのね、危ないか危なくないか、この年になれば判るわよ。まだ、それほど危険な状態じゃないじゃないのよ」と憎まれ口とわかっているのに、吐きだしてしまったのでした。
ついで、「ここはね、土地のヒトたちがずっと野菜や農機具を洗ってきた洗い場なのよ」とも。
根底には(天下のJVサマか何か知らないけれど、ここには仕方なくムラを追われた人々の悔しさの歴史があるのよ。人の土地に入ってきて偉そうにするもんじゃないわよ)的な怒りがあり、ついついまくしたてたものでした。
ここで、それまでは無言だったもう一人の男性が文句を言いかけた時、 それまでは杓子定規の立入禁止用語をふりかざしていた、お二人の中では、やや上司格らしい〇〇と記されたヘルメットの主は、穏やかに隣の男性に右手で制されてました。その所作に心根の優しさも伝わってきて、決して質の悪い方たちでないことは判ってます。
……もしかしたら、長靴履き泥と汗まみれだった初対面の私を、この地を追われた水没民、農婦と想われたのかも知れませんね。
まだ、紅顔の美青年といった感のお若いお二人の社員さんのお顔とお名前は、今も浮かんできますが……
職務に忠実な正論を吐いただけなのに、オバさんの毒気と八ッ場ダムへの計り知れない怒りにあてられた、あのお二人にいささか気の毒な気持ちもして参ります。もしかしたら初めてに近い任務への責任感に燃えていられたのかも知れませんでしたのに……
でも、もし手慣れた年配者の方なら、「これから、工事が本格化すると危ないから、気を付けてくださいよ」位だったでしょうが……
「清水であらった野菜は長持ちするんだよ」とは、土地の農家の方から、度々きいてきました。それ故に都会の方にお送りさせて戴くミョウガは、流れる清水で洗いたい強い願望がありました。
不動の滝の洗い場の清々しさは得難く失いたくない浄めの場なのでした。
で、性懲りなく、二度目は9/ にも、訪れました。
泥だらけのミョウガを自宅の水道水で洗うのは大変なことであり、潔しとしませんでした。
いつも差し迫る夕闇の中で時間に急かれながら、大量のミョウガを丁寧に処理していると少なくとも2時間近くは要しました。夏場でも手足が冷えてきました。
作業は前回よりも進んでいて、通りかかった下請けの〇建設の方に、前回と同じく「ミョウガ、洗わせて頂きますけれどお邪魔じゃないですよね」と声をかけながら洗い出し、少なくとも一時間半以上は経過した頃でしょうか、ついに先のお二人の眼にとまってしまいました。
今夏最後のミョウガを全量、清水で洗いたかったのにと、無念でした。
二度目は、全くの私の確信犯だったので、あちらも執拗でした。
「すぐに出てください」として、洗い物途中の容器や私物を運ぶというので、思わず「触らないで! 自分で運びますから」と言い放ちました。私は病的な神経の細さで、他人に触られるのは極度に嫌なのです。
ついに、またも、謝罪の言葉を吐かなかったものでした。しかも、オバさん組のふてぶてしさで、バケツに水を汲み、残りの泥のミョウガを駐車場で洗いだしたものでした。そこへ休憩時間もしくは終了時間になったらしい、〇建設の作業員さんたち数名が、道路上から、「そんな、でっけえミョウガじゃ、しょうがねぇだんへに」と声をかけられました。前に「ミョウガ、めしあがりますか?」とおすそわけしようとしましたら、「昨日、てんで良いのを貰ってきたばっかりだい」と言われたものでした。
すると、清水建設社員さんが、制止ました。離れているので定かには聞こえませんでしたが、「声をかけるんじゃない」とでも、言ったのでしょうか。
で、「下請いじめ、するんじゃないよ!」と怒鳴りました。私は大声の主で有名なので、かなり迫力があります。
たぶん、あの駐車場も立入禁止になっているでしょう。確かめに行きたいと思いながら日数を重ねてしまっています。
なお、上湯原地区の水源としての契約は本年三月に更新したばかりのようです。額は三千円程度の由で、いまでは一件となった未移転のお宅がしはらっているようです。
旧国道締切のように、規制に次ぐ規制で、建設意義が失われ、今回の鬼怒川決壊で証明されたように、むしろ災害時には加担するムダなダムをあくことなく建設する愚かさ。
さて、たかが道路の数メートルほどを横断しただけで、くだんのご注意をくだされた戒律厳しく社員教育の徹底した清水建設さんは、今回はどんなご裁断を繰り出すことでしょう。
(なお、断じて、あの職務に忠実に凛々しくも、この横暴なオバさんにご注意さだされた社員さんには、何の咎もありませんことを、念のため、添えさせていただきます)。
2015年12月08日
使用材料について、国は全く関係なしってホントウ?
これだけでは、どういう経緯なのか、おわかりにならないでしょうが……
以下は、(有害鉄鋼スラグがどうして現地であのように大量に使われたか。その解明の一縷として、国交省の材料選定がどのように行われるのを知りたくて)9月末からの国交省八ッ場ダム工事事務所とのやり取りの経緯の中で得た回答、言質について確認するために10月末に、同事務所長に出した文書です。
※個人名・住所など割愛
///////////////////////////
2015年10月26日
八ッ場ダム工事事務所 所長・▲▲▲▲様
確 認 書
住所 ▷▷ ▷▷ ▷▷ ▷▷
名前 ✕✕✕✕
公務ご多忙中、誠に恐縮ですが、先般の貴事務所・〇〇副所長様との電話での質疑応答に関連して、同副所長様のご回答の内容について、次の通り確認をさせて戴きます。
【〇〇副所長様への質問事項の要旨】
一、佐藤建設工業(株)への仕事発注は現在もありか?
二、佐藤建設工業(株)は(現在も間接的にでも)材料を納めているのか?
(※例えば、工事開示に先立ち、A社・B社等、工事受注業者からの材料承認願いとして、貴事務所宛に「砕石試験結果報告書」などを提出しているものと考えられますので……)
【〇〇副署長様からの経緯説明を含むご回答内容】
➀9/25(金) 佐藤建設工業(株)に関する上記質問事項を貴事務所に質問させて戴こうとして、電話致しました。
――以後、4度目の電話にて、ようやく総務課・〇〇係長様から、〇〇副所長様が回答・応接者に決まったと告げられ、つないで戴き、上記の質問事項を伝えましたーー。
②10/2(金)夕刻、 回答についての対応者である〇〇副所長様の外出先からのお帰りを待って電話を入れさせて戴きました。
「一」当方からの発言要旨:
前回、「直ぐには判らない」とのことでしたので、当方が認識している佐藤建設工業の現場工事の情報を、この日、〇〇副所長様に伝えた上で、「その工事の正式名称等についてお願いします」と当該工事案件名について質問いたしました。
「二」 貴事務所の回答趣旨:
副所長様は「国交省は、材料の直接取引はしない」との回答でした。
これに対して、当方からは「それは当たり前の常識。そういうことを伺うわけではなく、質問事項の( )内等の具体例をも伝えた上で、(失礼ながら、お立場が悪くなりませんかという老婆心で)、「担当の工事課等にも聞いてください」とまで申し添えました。
③10/5(月)
「一」 貴事務所の回答趣旨:
➀佐藤建設工業(株)への受注は現在はなし。
②最後の仕事は「H25上湯原地区代替地外整備工事」で工期は「本年3月31日まで」とご回答くださいました。
(※実際の当該工事の納期はズレこんでいましたが)、当方は一応了解し、
「一」の質問については、ここでピリオドを打ちました。
「二」 貴事務所の回答要旨:
副所長様は、「(国は)どこから材料を供給するかについては関与していないので、答える立場にない」と回答なされました。
これについて、無論当方も、前半については理解できます。
しかし、後半については、貴事務所において、業者から提出される「〇〇試験結果報告書」の内容をチェックするための要員としての職員配備をしているはずなので、納得できませんでした。しかし、最終的に上記の通り「答える立場にない」との回答をいただきました。そのため当方は、「では、これを正式回答として、メモをとらせて戴きますけれど、よろしいですね」と副所長様に伝えますと「ハイ」となり、メモをとり、その場で読み上げて確認させて戴きましたけれど……
③10/19(月)10時半 全く別の新規の質問をさせて戴こうと思いました。
〇〇副所長様に電話がつないで戴けました。その際、電話の冒頭で、すでにお聞きした、10/5の「二」の質問を再度、確認させて戴きました。
貴事務所の回答要旨:
副所長様は「お答えする立場にないので、さし控えさせて戴きます。いずれにしても✕✕さんにお応えることはありません」と回答しました。
これについて当方は、一市民として情報公開社会のもとでの公共事業のあり方の原則論に立って、この回答内容に、非常に違和感を覚えました。そこで、あらためて電話口で食い下がりました。
すると、副所長様は「✕✕さんにというより、どこから買っているかどうかについて、ということです」と弁明されました。
当方の質問と、副署長様の受け止め方が食い違っているようなので、当方は、再度、国土交通省のチェック機能や要員配備について質問しました。
が、副署長様は全く当方とかみ合わないままに回答説明に終始しました。
なお、質問趣旨を途中で変更させたり違わせたりした覚えはありません。
さらに副所長様は、「我々は材料について、いいとか悪いとか、言う立場にない」とおっしゃいました。当方はこの時点で絶句し、いきり立ちました。
材料に関して「関係なし」と言い切れるのかと、もはや新たな質問をする気持も失せて、当方から電話を切らせていただいた次第です。
【本件確認を戴かなければならない理由 ならびに 貴確認結果の連絡先】
当方にとっても社会全体にとりましても、今般の「有害スラグ問題」はあらたな公害問題の入口にたつ大きな問題です。その中で拙いながら、この設問はゆるがせにできない切口と考えてのことでした。
そこで、▲▲所長様に、当方の設問に若干の無理があったやもしれませんが、以上の質問事項に対する、〇〇副所長様による説明および対応の内容については、上記に記した通りの経緯と内容が、国土交通省八ッ場ダム工事事務所からの正式回答とみなさざるをえません。つきましては、上記に示された経緯と内容が、貴事務所からの正規な回答であることを、ここに確認させて戴く次第です。
要するに当方の関心事は、貴事務所の業務の一環としての「〇〇試験結果報告書」をどのように扱っているのかということです。
その他、水没5地区各1名ずつの職員在籍リストの有無については、人事面の担当課の総務課・◇◇係長様に10月16日15時過ぎ頃、話の中で確認させて戴こうとしましたら「個人名や仕事の詳細については把握しきれていないし、その立場になし」と極めて歯切れ悪くかわされました。但し、把握はしきれていなくても、現実に雇用された職員さんが水没5地区での任務に当たってこられてきたという、歴然とした事実は消せません。
国には材質に関してチェック機能ありと考えられますのに、本当に「関係なし」といいきれるのでしょうか? 疑問です。
ご多忙の最中、心ならずもお時間を割かせてしまいますことは心苦しい限りではありますが、下記の方法にて、上記の貴事務所副所長様とのやりとりについて間違いがなく、貴事務所の公式見解であることを、ご確認くださるようお願い致します。
なお勝手ながら、貴ご回答は必ず文書にて、11/5(木)までに次の連絡先あてに郵送でお願いします。
連絡先
ーー割愛ーーー
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
勿論、期日までの回答はなし。
で、こちらから電話。
なんと、また、当事者の副所長さんにつなげて下さるそうじゃありませんか。思わず、窓口の総務課係長に、「私は、副所長さんのやりとりではラチがあかないので、本当にこの回答でよいのかと確認させて戴きましたのに……たぶん、話は進展しません」的な苦情を申しあげさせて戴いた次第でしたが、予想通り、まったくの平行線でした。
再度、連絡しようと思いながらも、時間のないのはこちらも同じで、そのまま、本日までお蔵いり。
なお、これだけ確認したのだから、公開しても差支えないだろうとの市民運動のお仲間さんからの示唆もあり、また、空白期間が起きないうちに、本欄の充当として、思い切ってアップさせて戴く次第です。
なお、本日は県議会常任委員会。
少しの時間でも傍聴に行きたいと思いますが、その前にこなさければならない雑用が山積。で、記してある、この確認書をアップと閃いた次第です。時間に急かれて気ぜわしく心ならずもの誤記などありましたら、訂正たしますことご理解を。
後ほど、経緯の詳細を記したいと思います。
以下は、(有害鉄鋼スラグがどうして現地であのように大量に使われたか。その解明の一縷として、国交省の材料選定がどのように行われるのを知りたくて)9月末からの国交省八ッ場ダム工事事務所とのやり取りの経緯の中で得た回答、言質について確認するために10月末に、同事務所長に出した文書です。
※個人名・住所など割愛
///////////////////////////
2015年10月26日
八ッ場ダム工事事務所 所長・▲▲▲▲様
確 認 書
住所 ▷▷ ▷▷ ▷▷ ▷▷
名前 ✕✕✕✕
公務ご多忙中、誠に恐縮ですが、先般の貴事務所・〇〇副所長様との電話での質疑応答に関連して、同副所長様のご回答の内容について、次の通り確認をさせて戴きます。
【〇〇副所長様への質問事項の要旨】
一、佐藤建設工業(株)への仕事発注は現在もありか?
二、佐藤建設工業(株)は(現在も間接的にでも)材料を納めているのか?
(※例えば、工事開示に先立ち、A社・B社等、工事受注業者からの材料承認願いとして、貴事務所宛に「砕石試験結果報告書」などを提出しているものと考えられますので……)
【〇〇副署長様からの経緯説明を含むご回答内容】
➀9/25(金) 佐藤建設工業(株)に関する上記質問事項を貴事務所に質問させて戴こうとして、電話致しました。
――以後、4度目の電話にて、ようやく総務課・〇〇係長様から、〇〇副所長様が回答・応接者に決まったと告げられ、つないで戴き、上記の質問事項を伝えましたーー。
②10/2(金)夕刻、 回答についての対応者である〇〇副所長様の外出先からのお帰りを待って電話を入れさせて戴きました。
「一」当方からの発言要旨:
前回、「直ぐには判らない」とのことでしたので、当方が認識している佐藤建設工業の現場工事の情報を、この日、〇〇副所長様に伝えた上で、「その工事の正式名称等についてお願いします」と当該工事案件名について質問いたしました。
「二」 貴事務所の回答趣旨:
副所長様は「国交省は、材料の直接取引はしない」との回答でした。
これに対して、当方からは「それは当たり前の常識。そういうことを伺うわけではなく、質問事項の( )内等の具体例をも伝えた上で、(失礼ながら、お立場が悪くなりませんかという老婆心で)、「担当の工事課等にも聞いてください」とまで申し添えました。
③10/5(月)
「一」 貴事務所の回答趣旨:
➀佐藤建設工業(株)への受注は現在はなし。
②最後の仕事は「H25上湯原地区代替地外整備工事」で工期は「本年3月31日まで」とご回答くださいました。
(※実際の当該工事の納期はズレこんでいましたが)、当方は一応了解し、
「一」の質問については、ここでピリオドを打ちました。
「二」 貴事務所の回答要旨:
副所長様は、「(国は)どこから材料を供給するかについては関与していないので、答える立場にない」と回答なされました。
これについて、無論当方も、前半については理解できます。
しかし、後半については、貴事務所において、業者から提出される「〇〇試験結果報告書」の内容をチェックするための要員としての職員配備をしているはずなので、納得できませんでした。しかし、最終的に上記の通り「答える立場にない」との回答をいただきました。そのため当方は、「では、これを正式回答として、メモをとらせて戴きますけれど、よろしいですね」と副所長様に伝えますと「ハイ」となり、メモをとり、その場で読み上げて確認させて戴きましたけれど……
③10/19(月)10時半 全く別の新規の質問をさせて戴こうと思いました。
〇〇副所長様に電話がつないで戴けました。その際、電話の冒頭で、すでにお聞きした、10/5の「二」の質問を再度、確認させて戴きました。
貴事務所の回答要旨:
副所長様は「お答えする立場にないので、さし控えさせて戴きます。いずれにしても✕✕さんにお応えることはありません」と回答しました。
これについて当方は、一市民として情報公開社会のもとでの公共事業のあり方の原則論に立って、この回答内容に、非常に違和感を覚えました。そこで、あらためて電話口で食い下がりました。
すると、副所長様は「✕✕さんにというより、どこから買っているかどうかについて、ということです」と弁明されました。
当方の質問と、副署長様の受け止め方が食い違っているようなので、当方は、再度、国土交通省のチェック機能や要員配備について質問しました。
が、副署長様は全く当方とかみ合わないままに回答説明に終始しました。
なお、質問趣旨を途中で変更させたり違わせたりした覚えはありません。
さらに副所長様は、「我々は材料について、いいとか悪いとか、言う立場にない」とおっしゃいました。当方はこの時点で絶句し、いきり立ちました。
材料に関して「関係なし」と言い切れるのかと、もはや新たな質問をする気持も失せて、当方から電話を切らせていただいた次第です。
【本件確認を戴かなければならない理由 ならびに 貴確認結果の連絡先】
当方にとっても社会全体にとりましても、今般の「有害スラグ問題」はあらたな公害問題の入口にたつ大きな問題です。その中で拙いながら、この設問はゆるがせにできない切口と考えてのことでした。
そこで、▲▲所長様に、当方の設問に若干の無理があったやもしれませんが、以上の質問事項に対する、〇〇副所長様による説明および対応の内容については、上記に記した通りの経緯と内容が、国土交通省八ッ場ダム工事事務所からの正式回答とみなさざるをえません。つきましては、上記に示された経緯と内容が、貴事務所からの正規な回答であることを、ここに確認させて戴く次第です。
要するに当方の関心事は、貴事務所の業務の一環としての「〇〇試験結果報告書」をどのように扱っているのかということです。
その他、水没5地区各1名ずつの職員在籍リストの有無については、人事面の担当課の総務課・◇◇係長様に10月16日15時過ぎ頃、話の中で確認させて戴こうとしましたら「個人名や仕事の詳細については把握しきれていないし、その立場になし」と極めて歯切れ悪くかわされました。但し、把握はしきれていなくても、現実に雇用された職員さんが水没5地区での任務に当たってこられてきたという、歴然とした事実は消せません。
国には材質に関してチェック機能ありと考えられますのに、本当に「関係なし」といいきれるのでしょうか? 疑問です。
ご多忙の最中、心ならずもお時間を割かせてしまいますことは心苦しい限りではありますが、下記の方法にて、上記の貴事務所副所長様とのやりとりについて間違いがなく、貴事務所の公式見解であることを、ご確認くださるようお願い致します。
なお勝手ながら、貴ご回答は必ず文書にて、11/5(木)までに次の連絡先あてに郵送でお願いします。
連絡先
ーー割愛ーーー
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////
勿論、期日までの回答はなし。
で、こちらから電話。
なんと、また、当事者の副所長さんにつなげて下さるそうじゃありませんか。思わず、窓口の総務課係長に、「私は、副所長さんのやりとりではラチがあかないので、本当にこの回答でよいのかと確認させて戴きましたのに……たぶん、話は進展しません」的な苦情を申しあげさせて戴いた次第でしたが、予想通り、まったくの平行線でした。
再度、連絡しようと思いながらも、時間のないのはこちらも同じで、そのまま、本日までお蔵いり。
なお、これだけ確認したのだから、公開しても差支えないだろうとの市民運動のお仲間さんからの示唆もあり、また、空白期間が起きないうちに、本欄の充当として、思い切ってアップさせて戴く次第です。
なお、本日は県議会常任委員会。
少しの時間でも傍聴に行きたいと思いますが、その前にこなさければならない雑用が山積。で、記してある、この確認書をアップと閃いた次第です。時間に急かれて気ぜわしく心ならずもの誤記などありましたら、訂正たしますことご理解を。
後ほど、経緯の詳細を記したいと思います。
2015年12月04日
12/6(日)嘉田前滋賀県知事等によるシンポ
昨晩のBS1スペシャル「長良川河口堰〜公共事業は誰のものか〜」のご案内はギリギリで申し訳ありませんでした。
でも、ご安心ください。
下記はそのUチューブ。
ゆっくりと味わってご覧ください。
何となく、そのうちにどなたかがアップしてくだされるものと期待しておりました。私もこれから、楽しんで拝聴したいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=MwPQzmJt9to
(ユーチューブに4つに分けてアップしてあるそうです)
次に、12月6日(日)13:00~の「温暖化時代の治水政策シンポジウム実行委員会」からのご案内をご覧ください。
さる10/30の水源連総会で三重県に行った時に、「皆さん、是非、ご参加を」と言われて以来、心づもりして参りましたが、こちらもいよいよです。
2015年12月6日(日)13:00~
明治大学グローバルフロント2Fにて
シンポジウム「温暖化時代の治水政策~国と地方の取り組みから」
http://www.seeps.org/20anv/20anv_sympo7.html
嘉田 由紀子 前・滋賀県知事/びわこ成蹊スポーツ大学学長
朝堀 泰明 国土交通省水管理・国土保全局 河川計画課 河川計画調整室長> を基調講演者に、パネルディスカッションも行います。
> 資料代:1000円
> 参加お申し込みは大森正之・明治大学政治経済学部教授
> E-mail: masaomorijun@gmail.com まで
>
でも、ご安心ください。
下記はそのUチューブ。
ゆっくりと味わってご覧ください。
何となく、そのうちにどなたかがアップしてくだされるものと期待しておりました。私もこれから、楽しんで拝聴したいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=MwPQzmJt9to
(ユーチューブに4つに分けてアップしてあるそうです)
次に、12月6日(日)13:00~の「温暖化時代の治水政策シンポジウム実行委員会」からのご案内をご覧ください。
さる10/30の水源連総会で三重県に行った時に、「皆さん、是非、ご参加を」と言われて以来、心づもりして参りましたが、こちらもいよいよです。
2015年12月6日(日)13:00~
明治大学グローバルフロント2Fにて
シンポジウム「温暖化時代の治水政策~国と地方の取り組みから」
http://www.seeps.org/20anv/20anv_sympo7.html
嘉田 由紀子 前・滋賀県知事/びわこ成蹊スポーツ大学学長
朝堀 泰明 国土交通省水管理・国土保全局 河川計画課 河川計画調整室長> を基調講演者に、パネルディスカッションも行います。
> 資料代:1000円
> 参加お申し込みは大森正之・明治大学政治経済学部教授
> E-mail: masaomorijun@gmail.com まで
>
2015年12月03日
今夜9時 BS1長良川河口堰〜公共事業は誰のものか〜
またまた、ご無沙汰。
体調がもどらない上に、なにやかやとで……
占い欄の通り、ここ三週間はことごとく不調なのです。土曜日からは、星座が移動するので何とか回復のきざしとか。
八ッ場ダム問題と併せて、「どこまで続くぬかるみぞ」といった感の日々でした。「春泥」という語は若い日からのお気にいり語で、好んで使ってきましたが、冬場に向かっての泥沼はきびしいものがありますね。
さて、今夜、9時。以下の放送があります。
以下は、ある方のメールの転載です。
ですが、私は末尾の理由にて、みられず、録画も手をつくしたのでしたが、全て不調に終わりました。
で、時間がありませんがせめて、皆様にお伝えしたいと思い立ちました。また、ブログに復帰できそうです。
///////////////////////////////////
<再放送のお知らせ>
BS1スペシャル
長良川河口堰〜公共事業は誰のものか〜
再放送:12月3日(木)時間:21:00〜21:49
11/30放映された「長良川河口堰」が好評で、夜中にもかかわらず高い視聴率だったようで、下記のように再放送されることになりました。こんどはお勧めしやすい時間に放映されます。まだ見ていない方にお勧めくださ
誤解のないように。宣伝する私は決してNHKファンではありません。受信料支払いも拒否しています。
あべチャンネル、籾井独裁のもとでも真面目に報道するスタッフと番組には激励の声を届けたいです。
皆様も、見た感想をNHKにFAXを入れてください。
////////////////////////
上記メール末尾にありますように、実は当方もNHK受信料支払いには反感を感じています。
今や、NHKに抵抗するのは、市民運動のステータスとか?
そこで、反撃して、11月半ば、まずはBSアンテナをはずしてもらったばかりなのです。
ところが、ほどなく、11/30の放送なのでした。
でも、断念するしかありませんでした。
籾井会長は辞任しないまま、いすわっているしで、ここ数か月受信料を滞納。督促電話には「二ケタになるまで支払いしません。それから、アンテナは外しますので」と伝えた次第なのてす。
「外されましたら、ご連絡くださいますよう」との事務的口調は耳に残っています。
で、夏の終わりから、悔しいからまずBSを外してやろうと心づもりしてきたのですが、自分では構造が判らずも、屋根を見上げては思案。取り付けて戴いた方には連絡不可能。
玄関脇の低いひさしの上とは言いながらも、一応は屋根に上って戴くのだから、やはり慣れた方でないと、何かの時には責任が取れないし……と、根負けしていた矢先に、親戚の物置工事にきていた職人さんに頼みこんで、11月半ばにようやく。
なんと、たった3~4分のこと。
わが家のはしごをかけ、上ったと思ったら、私がちょっとよそ見している間にもう降りてこられてきたのでした。「たった、これだけの時間じゃ、いい値を戴くのは悪いですね」と言われたものでした。
早速、NHKに「はずしましたので」と連絡。
やりとりの中で、「民放さんはスポンサーがいますから」との言葉に、「あら、NHKのスポンサーは、国家じゃありませんか」と憎まれ口をきいたものでした。
で、今回は数日前から疑いなく録画を親戚にたのみ、今夕は持参し、操作ができるという姪に渡したら、一瞥して「これはDVD。うちはブルーレイだからダメ」との由。テレビは彼女の部屋にもあるけれどBSはなし。ならば、最初に行ってくれればよいのに!!
次にもう一軒の親族に。より丁寧にメモをし電話も入れて持参したところ、「ダビングと編集中なので、対応できず」とのことに‥‥
(……、でも、落ち着いて考えてみたら、あの地デジ騒動の時に買った、わが家のテレビも確か、ブルーレイとやらなのだけれど……)、
今度は、知人たち4名に矢継ぎ早に電話。
うちに二人はルス電。通じた一人のお宅は録音は不可との由。残るもう一人は扱い不能。
もうじき、放送開始の時間!!
なんとも、縁がありませんでした。
体調がもどらない上に、なにやかやとで……
占い欄の通り、ここ三週間はことごとく不調なのです。土曜日からは、星座が移動するので何とか回復のきざしとか。
八ッ場ダム問題と併せて、「どこまで続くぬかるみぞ」といった感の日々でした。「春泥」という語は若い日からのお気にいり語で、好んで使ってきましたが、冬場に向かっての泥沼はきびしいものがありますね。
さて、今夜、9時。以下の放送があります。
以下は、ある方のメールの転載です。
ですが、私は末尾の理由にて、みられず、録画も手をつくしたのでしたが、全て不調に終わりました。
で、時間がありませんがせめて、皆様にお伝えしたいと思い立ちました。また、ブログに復帰できそうです。
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<再放送のお知らせ>
BS1スペシャル
長良川河口堰〜公共事業は誰のものか〜
再放送:12月3日(木)時間:21:00〜21:49
11/30放映された「長良川河口堰」が好評で、夜中にもかかわらず高い視聴率だったようで、下記のように再放送されることになりました。こんどはお勧めしやすい時間に放映されます。まだ見ていない方にお勧めくださ
誤解のないように。宣伝する私は決してNHKファンではありません。受信料支払いも拒否しています。
あべチャンネル、籾井独裁のもとでも真面目に報道するスタッフと番組には激励の声を届けたいです。
皆様も、見た感想をNHKにFAXを入れてください。
////////////////////////
上記メール末尾にありますように、実は当方もNHK受信料支払いには反感を感じています。
今や、NHKに抵抗するのは、市民運動のステータスとか?
そこで、反撃して、11月半ば、まずはBSアンテナをはずしてもらったばかりなのです。
ところが、ほどなく、11/30の放送なのでした。
でも、断念するしかありませんでした。
籾井会長は辞任しないまま、いすわっているしで、ここ数か月受信料を滞納。督促電話には「二ケタになるまで支払いしません。それから、アンテナは外しますので」と伝えた次第なのてす。
「外されましたら、ご連絡くださいますよう」との事務的口調は耳に残っています。
で、夏の終わりから、悔しいからまずBSを外してやろうと心づもりしてきたのですが、自分では構造が判らずも、屋根を見上げては思案。取り付けて戴いた方には連絡不可能。
玄関脇の低いひさしの上とは言いながらも、一応は屋根に上って戴くのだから、やはり慣れた方でないと、何かの時には責任が取れないし……と、根負けしていた矢先に、親戚の物置工事にきていた職人さんに頼みこんで、11月半ばにようやく。
なんと、たった3~4分のこと。
わが家のはしごをかけ、上ったと思ったら、私がちょっとよそ見している間にもう降りてこられてきたのでした。「たった、これだけの時間じゃ、いい値を戴くのは悪いですね」と言われたものでした。
早速、NHKに「はずしましたので」と連絡。
やりとりの中で、「民放さんはスポンサーがいますから」との言葉に、「あら、NHKのスポンサーは、国家じゃありませんか」と憎まれ口をきいたものでした。
で、今回は数日前から疑いなく録画を親戚にたのみ、今夕は持参し、操作ができるという姪に渡したら、一瞥して「これはDVD。うちはブルーレイだからダメ」との由。テレビは彼女の部屋にもあるけれどBSはなし。ならば、最初に行ってくれればよいのに!!
次にもう一軒の親族に。より丁寧にメモをし電話も入れて持参したところ、「ダビングと編集中なので、対応できず」とのことに‥‥
(……、でも、落ち着いて考えてみたら、あの地デジ騒動の時に買った、わが家のテレビも確か、ブルーレイとやらなのだけれど……)、
今度は、知人たち4名に矢継ぎ早に電話。
うちに二人はルス電。通じた一人のお宅は録音は不可との由。残るもう一人は扱い不能。
もうじき、放送開始の時間!!
なんとも、縁がありませんでした。