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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年09月30日

10/1 学習会「八ッ場ダムを、かく闘った」のお知らせ 

 差し迫ってからで恐縮ですが、八ッ場ダム学習会が、明日 前橋で開催されます。
 主催者は「憲法を守る市民の会」です。

          第144回憲法学習会
    日時   10/1 (木) 18時半~
    会場   群馬会館1階 第3会議室   ※群馬県庁の前
    議題   「八ッ場ダムを、かく闘った」 
           ーー故・豊田嘉雄さんのテープ放映ーー
    解説   猪上輝雄さん、神垣宏さん、 鈴木郁子

 チラシには、
「ーーー略ーーーあらためて、八ッ場ダムの闘いの経緯を検証し、どう、対応するかを考えるため、かつて闘いの最前線にいた豊田嘉雄氏のお話を録音したテープを聴きながら、ともに闘った猪上さん、神垣さんに当時の闘いを報告していただき、市民運動としてダム反対の闘いを進めている鈴木郁子さんから報告をうけます。ご期待ください」

 今月初めにお話をいただていたのですが、昨今の超過密スケジュールで失念状態でいましたに、いよいよ明日に。
 猪上さんも神垣さんも、旧社会党時代に、八ッ場支援闘争の最前線で、現地に設置された団結小屋などにかかわってこられた方たちです。
  
  


Posted by やんばちゃん at 21:04Comments(0)紹介

2009年09月30日

週刊ポスト・コメント誤認記事について

 昨日に続き、「週刊ポスト」の現在発売中の八ッ場関連記事の私のコメントについて、訂正させていだきます。
 下記のかっこ内の朱筆が、私のニュアンスを伝える文意になります。
 もちろん、このようにまとまって語ったのではなく、断片的な談話を、記者がストーリーを作り、つないで仕上げたものであることは、ご了承ください。
 掲載記事では、前提条件やただし書きが欠落しているので、あたかも一年後に、水没地内の全世帯で1軒につき700万~800万円ほどもらえたような、まったく根拠のない記述になっています。もちろん、契約しなければ、補償金は支払われません。

 なお、コメントのず~と前の書き出し近くで「八ッ場ダムは戦後間もない1949年に利根川流域の水害防止」の1949年とありますが、これも1952年の間違いでしょう。(昨日、届くと思ったのですが、まだでして、全体をじっくりむ読んでません)

 9/28発売の「週刊ポスト」八ッ場ダム報道 の 当方のコメント訂正
  ()内赤字・訂正文  地の文章中の斜体文字・削除
//////////////////////////////////
 ダムに沈む町の住人たちと長年接し、『八ッ場ダム──足で歩いた現地ルポ』(明石書店刊)の著者である鈴木都子氏がいう。

 「住民の方々に、故郷が沈むことを泣く泣く受け入れたのに……という心情があるのは事実です。ただ、同時に“生活設計とダム建設が不可分”ということにもなっている(を思い込まされているのです)。
つまり、ダムによってお金がもらえるということ(という風にあおられてしまってきたのです)。01年の6月14日に補償基準の調印式が行なわれ、(いち早く契約に応じた)住民にはその年末に補償金が出ています。
まず(また、助成金という下流都県からの感謝金もあり、資産や世帯数により異なりますが、当時現地では、平均すると契約後に)1軒につき700万~800万円ほど貰えた(支払われる予定)と聞いています。その後の(損失補償に基づく)買収価格は、持っている土地の価値などによって(宅地の場合は)6段階に設定され、1等級の地区なら1坪24万5100円、6等級で1坪6万9600円となっていました」

 先祖伝来の土地を奪い去るダム建設が、“カネのなる木”に変わったのだ。

 そうやって国交省のプラン通りに生活設計が組まれているから、中止に反対せざるを得なくなった側面は否めない。

 明治大学政治経済学部の高木勝教授は、国交省が住民を“補償金漬け”にして操っていると指摘する。

「一般的に、ダムが建設される地域の土地や建物は単価が低い。だから役人は支援金などのかたちで、土地の代金以外にも多額の補償金をバラ巻き、反対派の声を封じていく。そうやってカネや圧力で住民を籠絡(ろうらく)するのが役人たちのやり方です。国交省は住民たちの“本当は故郷を捨てたくない”という思いを“ダム推進”へと操作しているようなものです」

 そうやって住民たちを味方につけた国交省は、「建設中止はダムを作るよりカネがかかる」というキャンペーンに乗り出した。

 しかし、民主党政権と前原大臣が八ッ場ダムで問われているのは、単純に建設推進と中止のどちらがコストが安いかという損得の問題ではない。

//////////////////////////////////  


Posted by やんばちゃん at 19:43Comments(0)報告

2009年09月30日

9/28発売「週刊ポスト」の誤認記事についてのお詫び

 月曜日発売の週刊ポストの八ッ場ダム問題の中で、私のコメントが
掲載されていますが、まったくの誤認報道となってしまってました。
 掲載誌を送ってくださるというので、求めてはないのですが、一読後
驚愕してしまいました。
 
 各記述の前提条件が欠落しているので、誤認も甚だしいき内容に変
容してしまっているのです。
 幾つもの柱立てを一つの流れに書いてあるので、これでは水没地の
全世帯で、一軒あたり700万~800万円のお金をもらったような印象
を与えてしまいます。
 
 現在、編集部と善後策について、協議中です。

 ダム問題は初めてという記者に「ダム問題の金銭に関わることは複雑
だから、気をつけてね」と幾度となく言ったのでしたが……。
 初めて、コメントをとられた週刊誌の世界で手痛い経験をしてしまいまし
た。
 「ゲラ」は当然、送ってもらえるものと思いましたら、ダメ。電話口で読んで
もらったものの、幾つかの間違いを指摘。「書き直したものをもう一度、連絡
して」と言うと、「もう、校了なので時間なし」とのことで……。
 取材の電話を受けてから、この間、三日間。
 私は、一言の内容でも、確認に八ッ場へ飛んでいったものでした。


追伸的に、
 (実は、訂正事実を詳述し書き上げたブログ記事がどういうわけか、二
回とも「投稿」にならず、先ほど途中で仮アップしましたら、いつの間にか
翌30日に日付が変化してしまいました。
 本日はいろいろありまして、疲労の極に達しています。そのためでしょう
か。二度も書き上げた長文がまたも、原因不明のクリア。再度また、詳述
するには、もはや限界です。そのうえ、抑えがたい睡魔に見舞われて…)

 勝手ながら、関係者の皆さま方、とりわけ、ご心労のかさなっている水没
地の皆様方に、心ならずもご迷惑をおかけしてしまわないかと憂えておりま
す。明日、再度また訂正をさせていただきます。お許しを。
          --(29日な記すが…、9/30 0時31分ーー)
                   


Posted by やんばちゃん at 00:15Comments(0)報告

2009年09月28日

本日の群馬県議会一般質問にて、ダム賛否あり

 皆さま、群馬県議会をお聴きください。
① 議会中継は、
  http://www.gunma-pref.stream.jfit.co.jp/
 
 時間は10時~     持ち時間 65分以内

 午前中に 2名 ①真下誠治さん、 ②関口茂樹さん
 午後に 3名 ③萩原渉さん ④石川貴夫さん ⑤平田 英勝さん

    
②発言通告の詳細は、
http://www.pref.gunma.jp/cts/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=79731


  


Posted by やんばちゃん at 08:33Comments(0)紹介

2009年09月27日

新国交省さん、隅塗り情報公開はもう止めて!

※9/23《意見交換の用意あり》の報道に、朝、急転直下、もし発言の機会あればと
一縷の望みを託して、急いでも私もメモを。
           
                  意見下書き

一、より多くの現地の草の根的な声に耳を傾けて戴きたくてならない。補償交渉委員
会→ダム対策委員会→吾妻推進協議会のメンバーは常に権力=旧国交相の息づか
いそのもの。一般住民の生の声は圧殺され続けてきた経過あり。

二、ダム反対運動に入って、10年。
 知れば知るほどダムは国家の犯罪といっても過言ではないと思ってきた。
 自然界の恵みとともに生きてきた町民の心にも「毒=金銭への換算ごと」を撒き散らし
汚染させてきた。まさに垢やウミをださなければならないゆえんだ。
 ※時間あれば、体験した一例を提示す。

三 今回の民主党によるこのような措置をとらなければ、ダムの世紀にはとどめはさせ
ないと感じる。新しい時代への篝火に駆け走りたい面持ちだ。一連の抵抗運動はつき
もの。強い一点突破で意識の改革ができるものと信じている。

        次に、新政権に期待し、今後のお願い

① 国交省は、もてる情報の全面的開示を行って欲しい。
「開時」の連絡に喜んでも、殆どが墨塗りにて、今では不毛の行為として、情報公開を取
る気持ちも失せてしまっています。

② 委員会のメンバーを一新して、村づくりに燃えている新しい人材を公募で発掘して欲
しい。
《意見交換の用意あり》に望みを託し、今朝ほど水没地内の方たちに出るように知らせて
も、殆どが今後の白眼視を考慮してか、出席をためらわれるのが現実。
 なお、この町でも公募制度はあってもなきが如しで、できかねる空気あり。

③ 最後に、今後の協議である生活再建策の線引きとして、恐らく既設の仕掛けている工
事中の道路や施設は完成させるものと想定しております。また期待しています。
が、一部有力者の役得と思われる事業だけは、断固排除して頂きたいのです。実情を知る
地域住民は「行き過ぎ」と、陰口をきいてもはばかって表沙汰にはしてこなかった為に、拡が
りを持ちません。
 もし、癒着の構造が判明すれば、昨今の軸を失った感の過熱したマスコミもまた違う方向
に行くものと考えられます。

④ 最後に、会場にお見えのマスコミの皆さん、どうぞ本来の使命感に燃えたあるべき報道
 をお願いいたします。
  


Posted by やんばちゃん at 22:19Comments(0)八ッ場だより

2009年09月26日

9/21副大臣・辻元さんへの依頼文の転載

 

 23日の前原大臣視察を前に、副大臣・辻元清美さんのコメント欄に
前々日の21日に出した私的メール文


[コメント]    23日前に、八ツ場ダム問題に対するお願い 
 
 この度は、国交省副大臣にご就任。おめでとうございます。
 ーーーー私的なことゆえ、略ーーー
 
① どうか、23日当日はより多くの現地の草の根的な声に耳を傾けて戴きたい。
配布された日程を聞けば、段階別に各級役員との面談。水没一般民は傍聴のみ
(場合によっては不可)とか伝わってます。
 これは申すまでもなく、〇〇党の意向を来た方たちダム役員たちばかりで、ご存じ
のようにムラ社会ではそういう方たちでなければ役員に浮上しないシステムがあるわ
けなのです。
 従って、番外編として「誰でも参加自由」的枠組み編成は、できないものでしょうか。
 もしくは、時間的に不可能でしょうが、個別住民の戸口を叩いて戴ければ、町側の
主張する意見と異なっていることは、すでに私の足で確認してあります 
 
② 地元幹部からの「民主党は事前に地元に相談なく、河川法違反になる」と豪語す
る声をキャッチ。「頭脳ブレーンがちゃんといて大丈夫」と答えてはおきましたが、
      ---略 ---
 僭越ながら、この辺りの入念な防衛策もご準備なされて行かれることをお勧めします。

③次に瑣末なことですが、23日はお彼岸。「そんな日に迷惑だ」との声を幾つも耳にし
ますので、冒頭に緩和する言葉を一言でも繰り出されますと、怒りの雰囲気も幾分なご
むものかと思われます。

④最後に、今後の協議生活再建策の線引きとして、恐らく既設の仕掛けている道路や
施設は完成させるものと想定してますし、それは地域の切実な要望です。
 ただし、1つたっての例外ごとは、辻元さんの正義感によって、一部有力者の役得と
思われる事業だけは、断固排除して頂きたいのです。
 具体例は今回は長くなるので伏せます。
 八ッ場ダムにもダム推進の原動力として、利権と私欲は、あやまたずのさばって参り
ましたし、昨今も生起している現実があります。

 以上、最小必要限のことのみにとどめました。
ご就任、早々の折、ご迷惑も顧みませず、申し訳ございません。
                     --鈴木 郁子 拝-ー
  


Posted by やんばちゃん at 22:02Comments(0)八ッ場だより

2009年09月25日

人気度一位のあるブログを

 次のブログをご覧ください。

    きっこのブログ
   八ッ場ダム報道でヤラセ発覚 
  http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2009/09/post-39f8.html

 前回のプ゛ログを書きあげて、しびれた手を休めながら、先日、知ったばかりの
ある人気ブログをクリック。
 なんと、ヒト伝手に聞くと、涙を流しながらの訴えの言葉で茶の間の話題を集め
ているという、水没地内のあるの女性への言及が、きっこさんの犀悧な筆の切り
口にて、あるではありませんか。
 この方の話は数回聞いていて、過日の本欄でも記させて戴いたことあります
が、肝心のテレビ報道は観ていなかったのです。
 
 最大の問題点は、昨今の「水没地の住民の嘆きに耳をかさない、ひどい新政
権」へのイメージ作戦に、この方の作り上げた悲劇の証言が゛果たした功罪は
大きいものがあったということです。

 プライバシーという名の人権問題にもかかわることなので、こらえて参りました
が、多年、保守系議員や町長のウグイス嬢として、大活躍されていたようで、保
守系行政のアイドル的存在として、つとに知られてきた方です。
 去る1月19日、私たちの「ST0P八ツ場ダム・市民ネット」一行による長野原町
行政との話し合いの席には、同町ダム対策委員会の議員のお一人として出席し
て下さいました。やはり、「お墓を掘り起した時の哀しさ、わかりますか」などの言
葉にて切り込まれたものでした。
 
  
   


Posted by やんばちゃん at 14:48Comments(1)紹介

2009年09月25日

町民の入れなかった意見交換会。“垢や膿”、どこへ届けよう!

 昨夜来、最初から一貫してダム反対派の地元の生の声を新政権に届けるために、
この町民の方の手書き原稿を分かりやすく校正してワープロ原稿にしました。
 その加筆説明した文書、当日用意した当方の要望書に加え、この間、各方面に送
信した要望メールなどの整理に追われていました。
 が、ようやく完了。

 幾つかの送付予定文書の中で、ハイライトはこの現地住民が、意見交換会に出席
して伝えようとして持参したものでしょうか。
 事実に基づく、国のインチキや公務員の実態、そして、何よりも
地元有力者の役得による横暴
が列記されています


 大臣に実態訴えようとした町民 会場に入れず 
 
 折角、大臣が見えるというのに、肝心の一般住民ははいれませんでした。
 9/19朝、本欄や水源連メールにてお知らせしたように、当初の計画は三部
 構成。
     一部は県知事・県議クラス・町長との会。
     二部は町行政とダム対策委員会、(定かには決定されていなかったが)
           ?傍聴のみの町民
     三部は、記者会見
 その二部の場面で、一般住民の傍聴は可能かも知れなかったのでしたが、
 前日の会議=(報道によれば)10日に発足した吾妻推進協議会の会合の中で、
二部はボイコットに決定。
 この時点で一般町民は入れないことが自動的に成立してしまったのです。
 ?これが長野原町の論理。
  この町の一端をみた思いです。
 国交省が申し入れたのは、長野原町に対してではなかったのでしょうか。
 吾妻推進協議会(委員長・萩原昭朗)は、何故に町民の声を封じられる
ほどの、絶大な権限を持っているのでしょうか。

 
 大臣一行は定刻よりずっと前に、二階にあがっていてご存じなかったのでしょうが、
そのため、朝刊に「一時間半の用意あり」とあったのを見た町民が訪れても、入口で
私服の警察官に阻止されたのです。
 警備とはいえ、なぜ、ここに私服の警察官がたつ必要性があったのでしょうか。
  現実に、意見交換会当日、地元に巣食う“垢や膿の実態”を聞いて欲しかった複数
の町民は警察官に阻止されてしまって、入室できなかったのです。
 まるで、町全体がダム建設を願っていることを示すための、門前払いではありませんか。
 
 その模様がテレビや新聞での報道から、確実に三名ほどいらっしゃったようですが、 
私にメモを送ってくださった前述の方は、このお三人とは別の方です。
 事前に私が、もしかしたら意見交換会の一般傍聴があり、手渡しできるかもとお伝え
したので、メモを持参されて会場にみえていたのですが、入口でやはり阻止され、入
れずに帰宅。
 かなり強く抗議したということですなので、駐車場近くまで警察官が着いてきたそうです。
怒鳴って帰したそうですが、 ナンバーでも、わりだそうとしたのでしょうか。
 
 テレビ画面で警官マスコミ勢に取り囲まれていた青年を目撃。記者の手帳に書き
込まれた青年の住所や名前を見て、私もお訪ねしたことのあるお宅の息子さんではと
ひらめいたものでした。その地域で唯一のお名前だったからです。
 のちほど彼に聞いた話と帰宅後のテレビ画面の映像を総合判断すると、この青年は
「意見交換会がある」というので、両親とは違う自分の意志で参加しようとして、律義に一時
台から庭の隅で延々と待ち続けていたようです。
 しかし、4時近くなっても、一向にその気配はなし。
 しびれをきらして、場内に入ろうとして警官ともみ合い、怒りが爆発。エスカレートしてしまっ
たようです。
 
 さて、このように、入口で制止して入れないのですから、流れるのは当たり前。
 こうして、「意見交換会一時間半の用意あり」の新聞に載っていた朝日新聞群馬版に載っ
ていた一縷の望みは断たれてしまった上に、結局、当初、伝えられた時間配分も大幅に変
更となり、そのまま知事クラスとの歓談が延長となり、長時間が費やされました。
 私は、会場内にいたものですから、メモの持ち主との待ち合わせ時間に会えなくなってし
まいました。
  
 私も持参した当日の要望事項のトップに掲げましたが、ともかく、草の根の民のみ声を聞く
門戸を広げた会を、今度は開催してもらいたいもの。
 そこで、日程をキャッチした「方策はないのものかと」メール類にも入れた次第です。 
 (数日間にわたり、今も続く「配信不可」で、急ぐのに届かず往生しました)
 

  総意←推進役員によって←(自民党) 
 
 今後は、ダムの役員は、幅広い町民から、公募などの措置を行ってほしいものです。
というのは自明の理といえばそうですが、ご多聞にもれず長野原でも、役員構成はダ
ム推進派でなければ、役員になるのは絶望的な構造になっているのです。
 これでは、真の民意は届けられません。
 ボイコットの決議したのはメンバーは、どっぷり垢が染み込んだ(?)一部役員であり、
その役員クラスが作り上げた町の総意であり、結束でしかなかったことも
併せてお伝えしたいのです。

 この役員体制こそが、ダム問題を動かしてきたと言っても過言ではなく、この間、国や
県による、幾つかの約束反故があったにもかかわらず、不思議なことに、今回のように徹
底抗戦どはせず、いずれの場合も、いつの間にか立ち消え。
 国と県と町は一体であることを物語ってませんか。

 とりわけ土地を持たなかった借地人は悲劇でした。ある役員が前例をしいた「100対0」
が、水発地内では、他の地主にも踏襲しされてしまったかからです。そして、この方たちも
自ら捨て身の構えで孤軍奮闘することもなく、諦観の中で町を出ていったのです

    “垢や膿”暴く、必殺仕置人登場す 
 
 その意味で、私が手元にお預かりしてこのメモ書きは、多年にわたる長野原町のダム
行政に、業をにやしたある方からの、必殺市置き人的文書となりうるかもしれないなと、心
して打ちました。
    


Posted by やんばちゃん at 14:03Comments(4)報告

2009年09月24日

八ッ場のカモシカ、生きていた

 
       紅葉しのぐ中止ダム 
 
 昨日は、八ッ場は時ならぬ観光地。
 年間で最大のハイライトの吾妻峡の紅葉シーズンをもしのぎ、まさに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」をもじれば、「紅葉しのぐ中止ダム」とでも、なりましょうか。
 しかも、水没地内、あちこちなのですから。
 過日、現地の方に「この方が活性化するじゃないですか」と投げかけると、「な~に、こんなん一時のもんさ」との由。ですが、その一瞬の「時の前髪」を上手くとらえて成功させるか否かが、選択の岐路であり才覚ではないでしょうか。 
 

 さて、(現地の方たちには、不謹慎だぞとしかられない)前置きが長くなりました。
 出がけに、昨日、お伝えしたとおり「意見交換会の枠はあり」に、地元群馬に住む者の務めとして、全国・メールでお知らせしようとしても、ここの処、たびたびヤフーメールは「配信不可」。その合間には、長野原町のあちこちに電話で要請。
 そうしている間に時は過ぎゆき結局、昨夜来から、地元のダム反対を貫いている方とともに、もし意見交換会がなかったら、秘書を通じて渡してもらおうかと心積もりしていた、要望書の送稿も未完成。
 そんなこんなで、出かける時間も大幅に遅れ。
 
        観光客でいっぱいの前原フィーバー 
 着いた時には、カープを曲がると、前方に多くの観光客が群がっていたので、カメラを押し続け。「前原さん、見たよ」などの声が飛び込んできました。時すでに遅し。
  国交省の車が、仮排水トンネルを視察し、出て行く時なのでした。幸い、大臣一行のマイクロバスの車列が国道にでる時に、私の車から通行を制止されたために、最前列でシャッターを押せました。
 報道陣や関係者の車が数珠つなぎ、制止を解かれて続くと、大臣一行はそのまま駅前の住民センターへ。昼食の模様。
 ここで、日程を国交省職員の持っていた関係資料を見せてもらったのが、逆にアダ。
 打越代替地は12時40分~。
 道順を聞いている声に駅前でごっ返している「前原みたさ」の観光客もたぶん、着いていくものと判断。すくに早合点してしまうヒトなのです。もしかしたら、打越代替地で、許可されないかもと勝手読み、それには歩いていくことだと判断。
 車を駐車場に乗り捨て、まだ、一時間近くあるとばかりに歩き出したましたが、近道がひらめきました。蛇行上の正規の道を歩くよりも、直線距離でいけるのです。工事中に歩いたことのある、「同じ打越代替地でも、大沢川付近からみえるあの斜面だ」だと。そうすればお弁当を食べる時間もありと。これが、判断ミスの源。
 
            深い溝だらけの打越代替地 
 
 雨で生じた溝の深さなどを確かめつ、12時33分頃ゆったり、晴れ晴れたどり着いた。
 ところが、目の前を川原湯温泉街に続くトンネルに向かって、走り抜けるおびただしい車の列。「なんで?」と思いつつ、お独りで正規の本道を歩いてきた青年(代替地の住民?)に問うと、「前原一行は、もう出発しましたよ」とのこと。「えぇ、まだ早いじゃないですか」と落胆。
 何と、ここに到着したのは、25分頃の由。そして、予定表になかった大柏木トンネル視察に40分頃着いたらしいので、足が、私が斜面の9割5分くらいのところで、大臣一行は出発。打越代替地には約6分弱ということでしょうか。
 
        生きていてくくれたのね!!
 しかし、良いこともあり。
 ほとんど、同時刻と思えるのですが、実は色づきつつある木々のたたづまいに山歩きの醍醐味を味わいつつ、この(ホントは立入禁止の)道なき崖を這い上ってきたおかげで、カモシカの親子にであえたのですから。
 感動ものでした。
 とがった石と質の悪い土壌の深い亀裂に「こんな、怖い土地に川原湯温泉の皆さんたち、本当に大丈夫なのかしら。幾ら住めば都っていったて、こんなアブ゛内造成地はゴメンだ」と思いつつ、前こごみの下向きから前方に目をあげた途端、斜面左手の木立の影からの存在に「ウッ」と。
 なんとカモシカさんたち親子三頭。親たちよりも前に躍り出ていた。まさに小鹿のバンビちやんの愛くるしい目。じっとこちらに目を注いでいるではありませんか。
 「カメラ。カメラ」と上ずって取り出そうとしたら、木立の奥に、首すを軽やかに返しスーと。
 三頭のカモシカさんたち家族は、頂上の前原大臣ご一行に何事かと観ていたのとでしょうか。、
                    
 「ああ、この環境でも、あなた達は生きていてくれてるんだ」と思わず、温かいものがこみ上げてきた。
 弱いタニシは死滅しても、生態系の一覧表では上位のカモシカは、順応して生きていてくれたのでした。
 もしかした、どこへ行ってしまったのか気がかりでならなかった対岸の三つ堂の崖上に出没していた、あの大鹿の子孫かも。そうだったらいいなと感じました。線路でシカが惹かれる話を聞きますから、国道を横断することもありうる話。
 
 その後、うれしいことに乗せていただけた車の方とのうれしい交歓など。
 ものは考えようで、ケガの功名。
 本番の山村開発センターの意見交換会の方には、遅れずに到着しようと落ち着きを取り戻しました。
 


 
 (遅刻はまずい会議の)時間がせまりまして、ここで中断させていただきます。
 
 

   


Posted by やんばちゃん at 08:05Comments(0)八ッ場だより

2009年09月23日

予定通り、交換会の用意あり

    お知らせ

 意見交換会は予定通り、開催!! の模様
 
 地元の両町のダム(推進)役員は、本日の会議をボイコットすることに決定していますが、本日の朝日新聞群馬版に、
午後2時15分から同町の山村開発センターで1時間半用意されているが、現職大臣を前に住民が一人も参加しない可能性もある」
の記事がありました。
  

 早速、民主党筋に電話。
 国交省が仕切るので詳細は分からないですが、意見交換会の「用意」はあるそうです。
 
 昨日の夕刻、長野原町内には、防災無線で「意見交換会は出席せず、なし」の放送が出されたようですので、もしかしたら誰もということもあり? ある意味では、はからずも意見反映のチャンス!

   


Posted by やんばちゃん at 08:49Comments(0)報告

2009年09月22日

ダム改革は、鉄の意思

   明日23日の民主党との意見交換会は流れたことが、昨晩21日の夜遅く、23時45分のニュースで流れました。
 この夜。現地で開催の、先日10日の晩に発足した「吾妻推進協議会」の第2回目の会合には、住民代表など40名が集まり、迫りくる意見交換会への対応を協議していたようでした。
 議論は白熱。結論は、「出席拒否」と決定したわけなのです。
 
 またも代表に選出された、萩原昭朗・同会代表のみが、理由を記した文書を、前原国交相に渡しに行く模様です。
 八ッ場への夕刻の電話で、本日22日夕刻、、防災無線で意見交換会は無くなった旨が放送されたと知りました。
  
 「中止ありき」ではなく、「白紙にて」との強い要望を持って要望したようですが、新政府の応えは一貫して「中止」。
 事前説明がなかったなどの批判が、続出していますが、八ッ場ダム中止は、民主党の試金石と言われています。
 このくらいの英断がなければ、ダムの世紀に終止符は打てないでしょう。
 毅然とした態度に、次の時代へのかがり火のほの明るさを読み取って、心弾ませている者の一人です。



  


Posted by やんばちゃん at 23:50Comments(0)八ッ場だより

2009年09月21日

タニシよ、生き抜きたかったろうね

 つい数年前まで、やんば館前の久森の水田地帯には、大振りなタニシがたくさん生息していました。それはそれはタニシの王者的で感動ものでした。
 心ときめかせては、訪れたものでした。
 くさぐさに疲れ果てても彼らに出会うと、自然界の大らかさに打たれて、おのずと生気を取り戻せました。
 しかし、ついに絶滅。
 ダム建設に伴う、排水路のコンクリートからにじみ出る茶褐色の汚水に殺られてしまったのでした。
 一時、大きな喪失感にみまわれてなりませんでした。
 今では口蓋を開けてみるのも辛くなってしまって、足も遠のいてしまっています。無念でなりません。
 思えば、拙著刊行時にも表題を、最後まで「タニシよ、生き続けたいだろうね」としたかった程でしたもの。愛着きわまりなかった、いとしいタニシたちでした。
 そうそう、「八ツ場のタニシ通信」と、ちょっとの間でしたけれど、擬人化手法で記したこともありました。

 そして、昨夜も今朝も、現地の方たちの一筋縄では行かない大変な苦衷を伺い、こちらもしばし滅入っています。
 で、ほんのしばし、ダム問題から逃避。   
 久しぶりに、八ッ場の水の供給先である一都五県のある方の人気ブログを拝読。
 なんとまたも、拙著『八ッ場ダム 足で歩いた現地ルポ』作中からの引用を発見。急いでお礼をコメン欄に。その後、前ページをみたらその前日の17日にもご紹介をして下さっているのではありませんか。二日間続いてです。
 これでもう、何回目になるでしょうか。私の文章をしかも、長文でご紹介くださったているのは。
 思わず、これだけの長さを打つのは大変だから、過日、版元の明石書店に頼んで、数日前に編集部から送信してもらった全文のデーターをお送りしたいものとさえ思えました。大部の著書の中から、その選択部分をとりだしてくださるのが巧みで、本人の私が読んでも、この方がクローズアップしてくださった箇所は、よりイキイキと映えて秀逸なのですから、不思議です。いかに、読みこなしてくださっているかの現れです。
 心温もる、真の応援です。
 おかげさまでほぼ完売になってきたのも、スタート時から今に続くこの本への屈辱の過程を知ってか知らずか、無言のエールの賜物と感謝しています。
 この方の感性きらめく文体は輝いていて、惹きつけるもの大です。
 古典文学に通暁し、時代の新感覚にも素早く反応。 写真も斬新でとっても冴えているのです。多くのファンを長年にわたり飽きさせない、魅力のあるブログです。
  
 お断りもしてないし、迷いますが、多くの皆さまに読んで欲しいので、お知らせを。
    http://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/

 
 で、思わず時すぎましたが、少し軽めの、生まれて四度目くらいの下記のコメントを、2通続けて寄せてしまった次第です。
 コメントができるようになったのも、これまた、過日のブログ上の消去でSOSを発信した際に、早速ご親切に教えてくださった「4姉妹探偵団」さまのおかげなのです。あらためて、お礼を申し上げます。
 パソコン独学派のおばさん組には、哀しいかな、コメント入稿というこれくらいのことも、わからないのですから困りますね。

 (で、このありがたいご姉妹のお名前を間違えてはと急に確認しようとひらめいて、書き込み画面を登録せずにコメント欄をクリック。
 「あっ」とまたも悲鳴をあげた時には、すでに後のまつり。ここまで打ち、下のコメントにアレンジ加筆したものも、一瞬にして、どこかへ、霧散。 本日もやらねばならないことにとりかかれないまま、遅い昼食後、席を立たずにここまで、進めたのにと落胆。
 でも、鈍化しつつある頭が、打ちこんだ文章のあらましを記憶しているうちにと気を取り直して、再度、打ち直してみました。
 過日、短くと教えてもらったばかりなのに。
 短かく済ませるつもりだからと、ついせっかちに下書きせずに書きだすのですが、書いているうちに次々と浮かぶ枝葉まで記してしまうものてすから、ついつい長く、というより、冗長になり行く。根が単純だから、そのうちに熱中して、こまめに保存することを忘れてしまう。 何度、同じ失敗を繰り返してしまうのか。自分で自分に怒りたい! 頭を叩きたい!!)




※以下の記述は実際のコメントを加筆改編してあります。 ///////////////////////////////////////////////////
     〇〇〇〇のお姉さまへ  1通目 
 また、わが八ッ場をとりあげて下さって本当にありがとう。
 私が住んでいた、あのやんば館前の吾妻川に面した久森たんぼの〇さんの田圃では、今日は稲刈りが行われていますよ。連休で子供さんたちが手伝いにきてくれたらしく、声がとっても弾んでましたから。
 でももう私もあんなにいた仲間たちも、み~んな死に絶えてしまって、誰もいません。
 大きくて一族の長として、黒光りしたカラを背負って鎮座していた、おじいさんタニシも、孫の生まれたばかりの私たち小粒タニシもみ~んな、コンクリートの茶褐色の水に死滅させられてしまったのです。褐色二そまったカラだけが、水路のたまり口に残っていますよ。
 でも泣かないでください。私は死んでなんかいませんからなんて、またヒト並みに、はやり言葉を繰り出してみますね。
 でも、ダムが本当にストップしてくれれば、きっとまた蘇ってみせますよ。
 そしたら、〇〇県の心優しいお姉さま方、また逢いにきてくださいね。
  ダムの世紀よ、永久にさサラバじゃ。
 
追伸
 それにしても、何だか、今年の稲刈りは早いように思えるんだけれど……。
 まぁ、80歳を超えたここのおじいちゃんは、何事も速さを競うヒトだから。田植えも一番、いつも真っ先の農作業なんだよ。
 私たちの生前には「タニシなんか、そこら中にいらぁ」って珍しがらず、あまり大事に扱ってくれなかったけれど、作物はとっても大事にしているんです。
 それに「足が痛い」ってひきずっていたけれど、良くなったみたい。だって、今年は助っと人をあまり頼まず、田植えも早々と独りでこなしていたくらいだから。
 手間ひまかけてハンデエにかけるし、清水で育っているから、旨いよ。下手なブランド品より、ぐ~んと安い分だけ、得だよ。
 それに自分たちタニシの死骸も埋まっていて、有機米だものね。タニシは死んでも役にたつんだよ。

/////////////////////////////////////////

   〇〇〇〇のお姉さまへ  2通目

 18日の掲載に小躍りして先ほど“ヒトもすなり”というコメントなるものに、タニシの自分も生まれて四度目の書き込みを恐る恐るしてみたんだよ。
 そしたら前日の17日にも紹介してくれていたなんて感激。
 17日には、自分たちタニシが生きていた頃には、八ッ場にくると必ず寄ってくれ「元気にしている?」って見廻りしてくれたイッコおばさんが(あの~、薔薇豪城さん達はお姉さま。こっちはおばさん)、また八ッ場に来て、豊田嘉雄さんのお墓に「豊田さん、やまたのよっちゃんはやっぱり正しかったですよ」って報告してたんだよ。「やまた」というのは嘉雄さんが経営していた民宿の名前だよ。
 著書の『湖底の穹』の最後に、
「どんなに頑固ものだと言われようが、最後まで八ッ場ダムに反対し、このダムは造ってはならないと叫び続ける。いつかきっと、やまたのよっちゃんは正しかった、と認められる日がくることを信じている」と記してあるんだ。

 それで17日未明の前原・新国交相の「中止」宣言にうれしくなったらしい、イッコおばさんは早速、線香に花もって八ツ場にきたんだよ。でも、肝心のマッチ箱を車の中で水桶に落としたままだったから、火がつけられなく往生していたよ。
 八ッ場に魅せられて以来、週に一度くらい来てどんなに遅くなっても必ずあの細い急な坂道を国道から降りて、田圃にきてくれたけれど、運転が下手なのにスピード出すから車はボコボコ。で、相変わらずオッチョコチョイだなぁって感じた。
 でも、おばさんもこの10年間に運転が、かなり上手になった。極細の小道をこわいもの知らずで、この先の山の中には何が隠されているか、観てやるっていう意気込みで、工事現場へ突っ込んでいくんだから。必要に迫れられての慣れとは、すごい。
 それにさ、悪気はないんだけれどすぐに本当のことを口にし、このヒトの旺盛な食欲と同じで、八分目で止めておけば良いのに、必要以上に強く伝えすぎるからか、いつもどういうわけか標的になってしまうヒトで、見ていて愚かだなぁって。
 でも、自分たちタニシは天界から俯瞰できるから、ことの推移をちゃんと見ているつもり。
 春も三月末になると、久森水田には瑞々しいセリがいっぱい生えてくるんだよ。
 ダムが止まれば、その頃には、自分たちタニシも安心して生き返られるかなあ。
 きっと、また蘇ってみせるよ。待っててね。
 でも、〇〇県のお姉さま方、セリは積んでもいいけれど、自分たちをタニシご飯にしちゃ、いやですよ! 

  


Posted by やんばちゃん at 14:39Comments(2)八ッ場だより

2009年09月20日

ダムに打ち勝った町は、ヒトを呼ぶ 

 本日の読売新聞社会面には、昨日19日、連日の報道記事に触発された物見高い、
観光客が、過去最大の535人も殺到したとの報道記事があります。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090919-OYT1T00871.htm?from=nwlb

 かれこれ、9年ほど前、当時の「八ッ場ダムを考える会」で、ある水問題研究家を招き、
高崎市でシンポジウムを開催したことがありました。
 前日にスタッフで川原湯温泉に案内。その夜の部屋での語らいの際に、川原湯未来構
想を話あい、「ダムに打ち勝った町」として、ダム建設への資金を充当してこのレトロな雰
囲気を売れ出せば、ダム湖の周りの温泉街よりも、客を呼べる」というのが、私たちの一
致した結論でした。
 フロントに行った際、宿泊した旅館のオーナーに「川原湯温泉の未来構想を話しあつて
いますので、ご一緒にいかがですか」と問いかけると、ふるえながら硬い拒否反応を示され
いたことが浮かんできました。この場合の震えは怒りではなく、脅えなのでした。
 
 まだ、豊田さんもお元気で、講師のAさんは事前にお送りしてあった豊田嘉雄さんの『湖
底の穹』と、亡くなられた旅館主・萩原好夫さんの「八ッ場ダムの闘い」の二冊を比較。萩
原さんのは「行間から嘘がこぼれ出てくる」との評をなさいました。
 この時のうれしそうなお二人の様子は何枚も、写真に収めてあります。
  余分ごとながら、萩原好夫さんは小説家・安倍知二の弟子で、宇沢弘文さんの跋文や
出版元は老舗の岩波書店ということもあって、広く皆さんに読み継がれております。
 が、条件闘争に走られたこともあり、地元では「よく、ああいう、嘘ッパチが平気でかけら
いな」などとされています。
 晩年、ご本人も「間違えていた」と述懐されていたそうです。
 
 57年間もの間には、私たちの運動が開始されてからのこの10カ年間だけでも、数々の
ドラマがありました。

 そして、連休中のほんの一時の現象に終わるかも知れませんが、これだけ人数が押しか
ければ、夕張市のようにどん底から何らかの活路が開けていくのでは、ないでしょうか。
 選挙後に現地に行った際、ある農産物を扱っていた場所で、野菜が安かったので、私に
しては多めに買った際、「ダムに打ち勝った町として注目され、この美しい自然環境に惹か
れてたぶん、これから観光客が訪れるものと思いますよ」というと、販売の女性は「そうです
かね」と言いつつ、素直にうなづいて下さったものでした。その上に、「戴きものだけれど」と
大好物のあるものを「食べてくださいな」と追いかけて持ってきてくださったのです。

 新政権には、地元の希望、しかもピラミット型の役員体制の声ではなく、戸口を叩いての
草の根の声を十分に聞き、吸い上げてもらいたいものと、切望してやみません。
 
  


Posted by やんばちゃん at 15:17Comments(0)八ッ場だより

2009年09月20日

9/17(木)、八ッ場で墓前に報告

 
 やはり9/17(木)、八ッ場へ行きました。そのことを報告しようと思いつつ、
ブログ上に「下書き」のまま、心ならずも今日にいたってしまいました。

 故・豊田嘉雄さんの墓前に心ばかりの気持ちの現れとして、花と線香をたむけ、
「中止」の方向性に向けてことが滑り出しことを報告して参りました。
 
 さすがに、現地感情をおもんぱかると、まだ、早すぎるかなとの躊躇もありました。
が、思案中に原告の一人、Tさんから「最新の現地情況を教えて欲しい」との電話が
入りました。で、「八ッ場へ行ってこようかかと思っている」と伝えて、急きょ、二人で
八ッ場入りと相なった次第です。

   睡眠不足、意気消沈の川原湯温泉街 
 温泉街では、その日の明け方にまで及ぶ、テレビ報道を見ていた方たちが多かった
らしく、泣きはらしたような目もとの方が、多かったです。
 最初はいぶかしく思いましたが、寝不足であると分かり、この問題への当事者たちの
悲壮感ただよう関心度の深さがわかり、一縷の望みが打ち砕かれた水没地の悲哀に
対し、対立軸に属する私たちの立場は「無神経」といわれても仕方ないものとも自戒し
ました。
 あちこちで新聞関係者やテレビ局の撮影に応じている顔みしりの方にあったり、夕刻に
王湯の前あたりで、低空飛行された取材のヘリコプターの轟音はひどく、確かに消沈して
いる現地の傷ついた心をさらに傷つかせるものと感じられました。
 昼どき、食堂の前には待っているお客の列ができていました。
 たぶん、寝不足と落胆だったろうにと拝察。いかに商売とはいえ、自分たちの苦悩とは
別世界の観光客たちの注文に応じるのことさえも、辛いだろうなと思われました。

     それは、昔日の反対派の姿に重なる 
……でも、たとえば、墓前に「やまたのよっちゃんは正しかったですよ」と報告した
故・豊田嘉雄さんを始め、終始、ひよらずダム反対を貫いた方たちは、2001年の補
償基準調印の日、さらに遡って1985年の群馬県の仲介案の「八ッ場方式」によって、
泣く泣く建設推進の旗を降ろした、無念の方たちは、その日、このように終日、うちひ
しがれいたのです。私も自分の落胆ぶりを覚えています。
 八ツ場の57年間の軌跡は、蛇行形態を描き続けてまいりました。
 その中で、踊らされ憂き目を見るのは、いつも名もない庶民です。
 八ッ場でうま味を吸ったのは、推進の旗を振り続けてきた一部の有力者だけでした。

 
    ?観光客の姿、通常より多目 
 この日の長野原町は結構、マスコミ陣と若い人とで比較的賑やかでした。
 八ッ場館であったグループは栃木県からの学生で、ゼミで訪れたとのこと。
 午前中に、駅前で若い一行がY館の迎えのマイクロに大勢乗ったのを見ていたの
で、「お泊まりは」と宿の名前を口にすると、日帰りとのこと。
   
    3号橋の強度は安全 
 この若者から、眼前でこの日も工事に余念のなかった2号橋を指差し、「あれ、どう
なるんですか」と問われました。「もちろん、道路網は必要不可欠なんだから完成させ
るでしょ」と答えると、「将来、造ることも壊すこともできないですもんね」とつぶやいて
ました。
 なお、代替地も国道も来年、3月までに完成予定で21年度予算はすでに、執行さ
れているのです。
 数日前、中央道の八王子付近の高速道路から、はるか眼下の家並みを俯瞰して、
こんなに高くても大丈夫なのだから、八ッ場も可能だろうと思えたのです。
 ただし、この日、お会いしたの建設業者の方から、「完成した3号橋は、水を張った
場合に強度が出る。湖面がなければ危ない」と言われていることを聞きました。
 早速、確かめてみました。
 ある程度確かな情報を持たれている方にうかがうと、「現実に来年三月以降は、予
定通りに開通なったら、3号橋を渡らせるはずだったんだから。その際にはまだ水が
張られていないのは分かりきっている上での指示なんだし」と教えてくださいました。
いずれにしても、走る場合には技術者の判断が下されるし、なんらかの技術開発も
あります。

 
     墓参のことが、マスコミに
 なお、故・豊田嘉雄さんのお墓にいた私と原告のTさんの姿を、(道の先にあるお宅
への取材のため、)徒歩で歩いてきた、取材途中の赤旗記者が見つけ、墓地内に入っ
てこられ、感想を求められました。
 そして、翌18日の「赤旗」の14面【社会・総合】欄に掲載されました。
 早朝、Tさんから電話があり、早速、午前中に掲載紙を届けてくださいました。
 (アップしたいのですが、同紙には不慣れなので、記事データーが、探しだせません)。
 
 おっちょこちょいといわれる私にしては周到に用意していったにもかかわらず、持参した
マッチが、用意した手桶がわりの容器の水中に箱ごと落ちてしまっていて、3人ともたば
こは吸わないのでライターもなく、線香に火がつかずに往生したものでした。
 笑い話を添えて、ひとまず終了。

  ※追記  後日談あり
 「赤旗」紙上で取り上げられたのは良いのですが、同道したTさんが、なぜか(たぶん党
関係者だからなのだと推察しますが)、名前を伏せられたので、カップルとみられかねない
との老婆心からの冗談まじりの忠告あり。
  


Posted by やんばちゃん at 09:23Comments(0)八ッ場だより

2009年09月20日

23日、町側、拒否

 昨日に続き、23日の国土交通大臣・前原さんの八ッ場入り問題です。
(本日もメールがアップならず、やきもきしながら、ここに転送させていただきます)
 末尾に本日、20日付の地元紙、上毛新聞を転載。


    一都五県tok負担金、1460億円の返還を明言
///////////////////////////////
① 23日の意見交換会のため、八ッ場入りを前に国土交通省は、
一都五県のこれまでの負担金、1460億円を変換を明言。
 さらに直轄負担金525億円の返還も考えていると、打ち出し
ました。

 後ほど、お知らせしますが、
 朝日新聞は全国版一面トップに。
 地元紙・上毛新聞も、一面トップの特集記事に続けて、載せて
います。

   「ダム中止ありき」なら、町側23日、ボイコット
         22日までの回答求める
      
② なお、長野原町では、昨日もお知らせしたように「ダム中止あり
き」なら、23日の話し合いの場には応じない旨の声がありましたが、
19日に町と住民代表が協議し、文書で送付しました。

 私が昨日、23日の日程と、2段階の意見交換会の予定をお送り
したかは、草の根の住民の声を聞いてもらえる、設営がないのでは
と言うことです。
 代表の皆さんは、推進の1枚岩。
 町民の全員が推進を望んでいるという構図をつくりあげたかったの
でしょうが…
 何とか、みなさんの力とお知恵がないものかと思った次第なのです。

 もし、町長以下が断固あわないのなら、前原さんが個別訪問して、聞
いた声を総意とすればよいわけでもありますよね。
 戸口を個別に叩かれたら、住民はダム湖にこだわらないという意見も
あります。それは川原湯温泉街でも全員ではないことは、足で確かめて
います。

 そして、今朝ほど、現地に電話。
「思いきったことしますねぇ」と言うと「当たり前だ」との応え。
「もし、前原さんが個別に歩いたら生の声が入ってしまいますよ」と重
ねますと、「大臣にそんな、時間的余裕はないはず」との応えでした。
  
 しかし、「拒否」ということは、かえって現地にとってはマイナスイメージ
となるのは、必定ですね。
 まだまだ、長い闘いです。
 でも、その間の生活は続くのです。確実に生活費は出ていくのです。
かつて、この籠城作戦の限界に立たされた町行政もダム反対住民も根
負け。群馬県も国も、いじめ抜きました。
 泣きながらダム推進を容認した切ない歴程がありました。

///////////////////////////////////
【2009年9月20日(日) 上毛新聞一面トップ中段】
http://www.jomo-news.co.jp/news/a/20/news03.htm

●「白紙で意見交換を」町長がダム予定地視察の国交相に要請文
 長野原町の高山欣也町長は19日、八ツ場ダム建設事業の本体工事中止
を明言し、23日に視察に訪れて地元住民と意見交換会を予定している前原
誠司国土交通相に対し、「八ツ場ダム中止については、白紙の状態で意見
交換をお願いしたい」とする要請文を送付した。
 要請文は「町は国と約束をして、これまで犠牲を強いられながらも協力して
きた」と経緯を説明した上で、「中止ありきのままでは、地元住民の心情から
しても出席できない」として、22日までに回答するよう求めている。
 要請文は町長と住民の代表者が19日に協議してまとめた。回答がない場
合は、地元住民との意見交換会は開かれないだろう」としている。
 東吾妻町の茂木伸一町長も同日、前原国交相に、白紙の状態で意見交換
会に臨むよう求める要請文を送った。
 これに対し前原国交相は同日、都内で記者団に対し「なぜ中止なのか説明
する機会を設けさせていただきたい」と述べ、意見交換会の開催に理解を求
めた。




 


 


  


Posted by やんばちゃん at 08:35Comments(0)イベント/予定

2009年09月19日

前原国交相、23日に視察 その日程

 前原国交相が23日に長野原町に視察に入ることが、昨夜わかりました。
 そして、今朝8時10分に、下記のメールをダム関連のメーリングリストに入れて出かけようとした
のですが、サイトにアップにならないのです。遅刻を承知でしばらく待っていたのですが、不可。
 帰宅後もまだ届かず、すでに12時間。原因はいまだに不明。プロバイダーはサーバーではと言う。
その管理者はお二人とも留守で連絡つかず。
 あ~ぁ。23日の日程や今朝の報道記事を、急いで知らせたくてムリをして打ったのに。
 そのため、遅刻で終日、負い目てうしろめたくすごしたので、何のためにといささかウンザリ、がっく
りの呈。

 万策つきた果てに、閃いたのが本欄。
 メールを転載します。前メールへの返信メールですので、意味不明もあるかと思いますが、取り急ぎ。


  前原国交相、23日視察の件 ※9/19午前8時段階での情報

////////////////////////////////

 昨夜来の地元情報、今朝19日の県内版報道を、
総合して、以下のことが浮かびあがりました。
 なお、三の意見交換会の内容については、現段階では、
あくまで、流動的です。

 一、期日      23日(水) ※連休最終日 
 二、時間      11時半~ 水没地内・代替地など視察
 三、意見交換会  13時半~ 長野原町・山村開発センターにて、
                   知事~住民との段階別に懇談
            終了後   記者会見    
 問題の三の内容ですが、昨日夕刻、行政筋が関係者に
知らせた内容(?文書と思われる)によれば、
 ① 知事、県議クラス、長野原・吾妻町両町長、議長
 ② その後、両町の議員、役員クラス
   -ー水没地の一般住民、マスコミの傍聴は可能ーー
 
   意見交換できるのは、推進派幹部のみか? 
 なお、人により、②の入場資格の限度は、マチマチ。
 怒りによる混乱事態も考慮。一般住民は、大臣に対して
の町側の責任体制上、一切制限する可能性もありとのこと。

  草の根の生の声を聞くのは、一致団結した役員レベル
ばかりでは、いかがなものでしょうか。
 新政権のご一新の施策とは違うようにも思いますが……。

 また、昨晩の推進派の会議にも提案されたらしいのですが、
作戦上、大臣との会見を拒否するという強行案もある由。
 推移を見守っています。 
 
 以上、お知らせまで。
  


Posted by やんばちゃん at 19:54Comments(0)イベント/予定

2009年09月17日

豊田さん、「やまたのよっちゃんは正しかったった」ですよ

 皆さん、お喜びください。
 ご覧になっていられた方、いらっしゃたことと思いますが、今朝の民法テレビの各紙面紹介コーナーで、新国交相・前原さんが、「八ッ場ダム廃止」と言いきった旨の報道と、朝日新聞一面中央の見出しが映りましたよね。
 良かった!、思わずバンザイです。
 早朝、期待して見たのですが、当地の朝日新聞は「13版N」というので、掲載なっていません。が、本当にさわやかな朝となりました。

 全てが解決したわけではなく、幾つかの抵抗運動に対峙しなければなりません。
けれど、この朗報をもって八ッ場へ行き、豊田嘉雄さんの墓前に「嘉雄さん、やまたのヨっちゃんは、やっぱり正しかったってみんなにわかりましたよ」って伝えてあげたいです。【注】
 嘉雄さんが、補償基準調印式のあった2001年6月14日、うなだれて「八ッ場は負けたんだい。戦争に負けたんと同じだ」と悄然としていました。肩を落とした姿が、同日の毎日新聞夕刊に掲載されました。支局にちょっと出入りして顔みしりだった若手記者のM君から、事前に電話をもらい、嘉雄さんを招介したのでした。彼は情味にあふれる良い記事を書いてくれました。
 
 そして、?どっかからの命令を受けた一部有力者によって作り上げられたダム推進の世論。それによって徐々に八ッ場の谷間で息をつめてこさせられてきた、まさに“意識の隠れキリシタン”的存在の人々の戸口をたたき、「朝です! 夜明けですよ」 と伝えたい思いです。「長い、闇でしたよね」と喜びあいたいです。
 つい、数日前「おめぇはそんなことしてりゃ、殺されるぞ。しばらく来るなよ」とある方から言われ、この間、終始一貫ヒヨラズ、結構強いこの方でもそんなことを想定しなければならない、現地の空気に慄然としたばかりでした。
 しかし、仮に命を取られても、そのくらいの覚悟がなければ、生じの手だしはするものではないものとの、自覚はあります。

  ともかく、ハレバレ。
 八ッ場には、やっぱり「地霊」がやどっていました。

 これからは、地元の当事者たちが、真に望む、あるべき「生活再建策」の練り直しの出番です。

  末尾に、豊田嘉雄さんの自分史、『湖底の穹』に所収されている泣かせる短歌中、そらんじている一首を。
   青春は兵役に埋没 後半生ダムと対決 命足らざる  
 

【注】
①「やまた」というのは嘉雄さんが経営していた民宿「やまた屋」さんの屋号。息子さんが継いで営業しています。ご当主は陶芸の先生。温味のある手作り陶器に旨い食事が盛られて供されます。お風呂がピカピカで気持ちがいいですよ。うれしいことに川原湯で最も廉価なお宿です。

② 「よっちゃんは正しかった」の出典は、著書の『湖底の穹』の末尾の結びの言葉によります。
「どんなに頑固ものだと言われようが、最後まで八ッ場ダムに反対し、このダムは造ってはならないと叫び続ける。いつかきっと、やまたのよっちゃんは正しかった、と認められる日がくることを信じている」
 ーーふるさとが湖底に沈む少し前花の咲く頃ぽっくり死にたいーー
.......................................
 ※追記 ニュース速報がキャッチできました。ので、転載を。
..................................


【読売】
http://news.biglobe.ne.jp/politics/404/ym_090917_4042730925.html
八ッ場ダム「中止」前原国交相…霞が関激震
読売新聞 09月17日04時07分

 【キャプション】報道陣の質問に答える前原誠司・国土交通相

 八ッ場ダムの建設中止、死刑執行への慎重姿勢……。16日に発足した鳩山内閣の新大臣たちが、これまでの自民党政権とは一線を画した方針を相次いで打ち出すと、東京・霞が関には激震が走った。

 前原誠司・国交相(47)は16日深夜、認証式後の記念撮影を終えると、首相官邸で始まった各閣僚の記者会見の順番を待つ間を惜しむように、「戦場」となる国土交通省に礼服姿で乗り込んだ。

 幹部職員らが拍手で出迎える中、大臣室であいさつを済ませた前原国交相は、エレベーターホールで、報道陣約30人の取材に応じた。報道陣から出た質問は、国交省が建設を継続するかどうかの判断を新大臣に委ねるとしていた「八ッ場ダム問題」。前原国交相は笑顔のまま、「マニフェストに書いてあることですので、中止します」と、あっさり中止を明言した。

 ただ、「やみくもに中止すると現場の方々も混乱するので、補償措置について地元の方々や関係自治体と話し合いたい」と述べ、早急に建設予定地を訪れて、地元の住民などから話を聞きたいとの意向も示した。

 ダム建設を担当する同省河川局では多くの職員が残って、前原国交相がどんな意向を表明するのか見守っていたが、同省幹部は「政策については、官僚が発言してはいけないということになったので感想は話せない」と疲れ切った表情。別の幹部は「非常に重く受け止めています」と語った。

 一方、中止撤回運動を進める地元住民組織「八ッ場ダム推進吾妻住民協議会」の萩原昭朗会長(77)は、前原国交相が記者団に中止を明言したと聞くと、「やっぱりという気もするが、残念。工事中の橋や道路などはダムが完成し、水がたまることを前提に造られたもの。今さら中止は本当に困る。国策を押しつけ、昔も今も地元の民意は反映されないのか。新政権にはしっかりと地元の声に耳を傾けてほしい」と話した。


【朝日】
http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY200909160438.html

前原国交相、八ツ場ダム建設中止を明言
2009年9月17日0時54分印刷

ソーシャルブックマーク

【キャプション】首相官邸で会見する前原国交相=17日午前1時12分、東京・永田町、河合博司撮影
 
 民主党が政権公約(マニフェスト)で中止を明示した八ツ場(やんば)ダム(群馬県)について、前原誠司国土交通相は17日未明、政権公約通り中止する考えを明らかにした。総事業費4600億円の巨大公共事業は、計画浮上から57年を経て、中止へ動き出した。

 前原国交相は官邸での就任会見に先立って同省に初登庁して幹部にあいさつ。その後、記者団の取材に応じた。前原氏は中止を明言した上で、「早めに現地に行き、いろんな話をうかがい、どういう補償措置を前提としてとるのかということが必須の条件になってくる」として、地元住民の生活再建に取り組む考えを示した。「やみくもに中止するとなると現場の方々の混乱が起きる」とも語り、事業費の一部を負担している下流域の6都県とも協議を進める考えを示した。

 国交省は民主党の総選挙での勝利を受けて、9月11日から予定していたダム本体工事の入札を延期し、新大臣の指示を仰ぐとしていた。谷口博昭事務次官は「治水、利水上の必要性、事業の経緯、地元の県知事や地元の首長のご意見を新大臣にご説明させていただきたい」と述べていた。






  


Posted by やんばちゃん at 08:01Comments(2)八ッ場に願う

2009年09月16日

風さやかに吹き抜ける、良き日に

 新しい政権がスタート。
 今朝、鳩山新総理は自宅を出る際に記者団に求められ、「いい、天気ですね」とスタートにふさわしい気持ちの良い朝という意味のことを言われていたが、本当にさわやかな初秋の空だった。
 昼ころ、葬儀に参列するための外出だったにもかかわらず、真澄の空というのは、こういうのだろうとつくづく吸い込まれるように青空を見上げた。身内からふつふつと「希望」という名の二文字が、久しぶりに浮かんできた。輪郭を増しつつ、確実な位置をストンと占めた。
 新しい政治の世界が開かれ行く。
 歯ぎしりすることや裏切られることのみ多かった、政治の世界では、めったにない爽やかさに包まれてならない。
 
 それにしても、きっぱりと風さやかに吹き抜ける日だ。
 尹東柱(イ・トンジュ)の、例のフレーズが口先にのぼる。
 死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/

 変わって欲しい、足元を生活を変えてほしい。そして意識の変革をもたらして欲しい。
 欲しいものだらけの窮屈な世の中だった。

 八ッ場のことも然りだった。
 昨今の迷走は、自民党筋さんのお得意芸とはいえ、ホントにおかしい。
 そのおかしさが、平然とまかり通ってきた悔しさがある。
 八ッ場ダム問題の根幹の責任は、新政権にある、のではなく、自分たち前政権にあることをお忘れのようで、自己反省の気配、まったくなし。党維持のためのゼネコンと結びつき、“国家の犯罪”的施策があった。

 長いこと、耐えさせられ辟易してきたが、しかしもはや、時間の問題!! 思いきりバンザイを三唱したい。 

   


Posted by やんばちゃん at 20:07Comments(0)

2009年09月16日

(三)群馬民主党・マスコミ騒動記 

 群馬県選出の参議院議員、民主県連・富岡由紀夫会長と中曽根弘文外相の対比的な意見を、本日16日の県内版から拾いました。
 読売新聞は、11日の上毛新聞一面における、富岡会長の「ダム本体工事はストップ」の前提条件を元にくりだした見解を補う報道のようですが、スッキリと受け止められません。

※以下は本欄における追記です。
なお、今回は詳述していられませんが、
「中止すれば、建設するよりも金がかかる」というキャンペーンは、正しくはありません
 もし、続行すれば、ダム本体工事があり、しかも水没地内には、まったく交渉の糸口にもつかない家もあり、家屋が点在しています。2015年度内に、完成できるはずもありません。予算追加が繰り出されるのが、ダム建設の通例です。
 ストップした方が、実際には少なく済むとの試算を、算出中です。
 後々の維持費や逆に地震誘発など災害をもたらす危険性や、地滑りによる追加工事費などを考えると、比較にならないほど、国民の負担は少なくて済むのです。
 しかも、大手ゼネコン維持に費やされるのではなく、この間、痛めつけられてきた水没地の皆様の生活に直結した“生きた税金の使い道”となります。
 何よりも、(かなり痛めつけられてしまった八ッ場の山河ですが)、ダム本体工事に伴う、自然破壊は食い止められるのです。

 皆様、どちらが、よろしいでしょうか。
 ご意見、お聞かせください。

 

【本日、9/16(水)】
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①【2009年9月16日(水) 読売新聞群馬版】http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090915-OYT8T01291.htm
 八ッ場「地元の意向に耳」
  民主県連・富岡会長が明言
 
 民主党が政権公約(マニフェスト)に建設中止を明記している八ッ場ダム(長野原町)について、同党県連会長の富岡由紀夫参院議員は15日、読売新聞の取材に対し、「歴史的な経緯もふまえ、地元が納得いくような方向で検討しないといけない」と述べ、地元やダム建設に参画する6都県の意向を十分聞いた上で、党内の議論を深める必要があるとの考えを示した。

 富岡氏は、先週の4日間、長野原町や東吾妻町で地元住民らを訪ねて回ったことを明らかにした上で、「地元の不安は『中止』と言われて(ダム本体以外の)何が『中止』になるかわからないこと。ダム湖を前提とした現在の生活再建案に代わる働く場所の確保や産業誘致が、国の責任でできれば『(中止しても)いいよ』と言う人はいる」と述べた。

 一方で、「マニフェストに中止と書いたからと言って、いきなりばっさりはできない。地元の意向などをよく聞いた上でソフトランディングしないといけない」と述べ、新政権が発足後すぐに中止決定することに、慎重な考えを示した。また、ダム中止を掲げた政権公約について「時の状況や財政状況などを勘案しながら、常にバージョンアップを図り、見直しながらやっていくべき」と述べ、八ッ場ダム中止を掲げた項目についても、「これからいろいろ議論していく必要がある」と話した。

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②【2009年9月16日(水) 産経新聞群馬版 写真あり】
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/090915/gnm0909151211003-n1.htm

【キャプション】八ツ場ダム建設で川原畑代替地に並ぶ墓地。いずれも水没するエリアの墓地を移設した=11日、群馬県長野原町川原畑地区(撮影・矢島康弘)

 中曽根弘文外相(参院群馬選挙区)は15日午前の記者会見で、民主党が建設中止を表明している群馬県の八ツ場ダムについて「50年近くかかって住民の合意を得て国、県、近
隣都県で進めてきた。急に中止になると、どれほどの費用が掛かり混乱するか」などと指摘し、建設継続を求めた。


  


Posted by やんばちゃん at 11:43Comments(0)八ッ場に願う

2009年09月16日

(二)群馬民主党・マスコミ騒動記 

  先の(一)群馬民主党・マスコミ騒動記に対して心配の声が寄せられました。以下は、その返礼です。
 なお現実に、全国のダム問題においては、民主党員の中には「推進」派に回り、民主党見解と異なる行動をしている同党党員もいることは事実のようです。

 .. 【9/15(火)に発信】
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 ○○様、お便り、ありがとうございました。
  皆さまも、ご安心ください。

 12日に上毛新聞の記述に惑わされて、「またも、対立の構造か」なるセンセーショナルなメールをお送りいたしました。
 が、以下に述べますように、わが群馬の民主党は、案ずるにあらずでした。
 
 本日、民主(労組系)・富岡由紀夫参院議員の事務所に電話。秘書の方から、きちんとことの経緯を伺いました。
 富岡さんは、鳩山代表と同じ考えでマニュフェスト通り、もちろん「八ッ場ダム中止」です。
 その上で、「工事はストップしても、生活再建は長い経過のある問題なので、このままにはできない」として、生活再建に言及し、今後の対策を言ったのだということでした。
 また、7日~9日まで三日間、現地入りしてきたとのことでした。
 
 「中止」という前提条件を上毛新聞の記述では記者の読解力不足か、?意図的に欠落させたのか、
《ーー略ーー民主党2議員が党が掲げる八ッ場ダム中止方針に言及、中島氏が中止の必要を強調したのに対し、富岡氏は党内議論の必要を指摘するなど、方針に対する考え方の違いを見せた》。と「方針に対する考え方の違いを見せた」との表現にもちこんだのでした。
 「中止」の考えは、二人とも共通項。さらに富岡氏は次のステップの今後の生活再建に踏み込んだ発言をしたまでだったことのようでした。
 
 「プロパガンダ的に扱われた」と言ってましたけれど……
 そして、お恥ずかしいながら、「よもや」とは思いながらも私もみごとに乗せられてしまった一人でした。
 本県の民主党間の近親憎悪も甚だしいの対立を前回の選挙戦の手伝い中にも嫌というほど、見てきた者の一人として、また前夜10日の萩原渉県会議員が行った、富岡参院議員の協力体制のご披露として、「ダムの必要性の精査」まで遡って討議する旨のあいさつまであったものですから。
 さらに同じく10日夜に、しきりに「ダムを造る」ことに気炎をあげていた、茂原副知事は翌日の富岡発言に対して、《「たいへんありがたいこと」と話した》となるわけですから。
 すっかり、「ダムの必要性」にまでさかのぼると勝手解釈してしまった早とちりな私もまた、短絡的でした。

 そして、わが親愛なる八ッ場のあるオトモダチさんは、新聞を読んで立腹。「見損なった。こんだ(選挙に)書かねぇって言っといてくんない」とまでおっしゃられたのです。で、思い切10日夜の抗議に続いて、またもことの真偽を確認の本日の電話となった次第ですが…。
 今後は、担当窓口が決まり次第、きちんと地元の要望にこたえるため、話し合いの場を持つようです。
 
 水没地の一連の抗議行動の裏には、自民党群馬県連やゼネコン関係者の姿がチラホラ。
 どなたかが、書かれていましたように、選挙に負けた「自民党の最後のあがき」的要素に縁どられています。
  
 まさに、「大政奉還」的な未曾有の潮流のただ中にいるわけですが、新政府に対しての「戊辰戦争」から始まった抵抗運動の、ただ今は「神風連の乱」もしくは「萩の乱」辺りでしょうか。
 そのうちに終息してくれることでしょうが、冷静に判断、まどわされぬように心したいと思います。

 ○○様はじめ皆さま方、どうか、よろしくご教示のほど、お願い致します。 
                                            


Posted by やんばちゃん at 11:21Comments(1)八ッ場に願う