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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2014年05月31日
吾妻渓谷入口が一変しました
八ッ場の旧国道沿いに、こんな建物というか、まるで石油コンビナートのような景観が出現。太平洋セメントの文字が読めますか? 傍らには砕石るいがあれましたから、骨材製造現場となるのではないでしょうか?
場所は、次の写真で判明します。
そうです。吾妻渓谷入口。例の看板、「ダムに沈む川原湯温泉にようこそ」の初代看板設置場所の角地。
M工業の会社のあったところです。
そして、その反対方向は渓谷右岸遊歩道への入口。正面奥に八ッ場大橋があります。今なら、金網なんか簡単に潜り抜けられます。
ところで今日は、はからずもとっても良いことが二つありました。偶然にしてすばらしい出会いがあったのでした。それ通い始めて以来、ずっとお目にかかりたいなと願っていた男性なんですよ。うふふです。
お陰様で久々に帰途、はずんだ気持ちで家路につけました。でその勢いもあって、すでに19時近いのに、いつも夜はためらう薄暗がりの榛名山中を突っ走ってきた次第です。
今日は思い切って、ここの処あまりの雑事を抱え込んで、行きたいとは思いつつも目の前の一歩の処理に追われて行くことのできなかった八ッ場行きとなりました。
高崎市西部のあるスーパーへ山菜類の納入をこなしたまま、2年に一度くらいの榛名町から榛名神社前を抜けての八ッ場行きでしたが、本当に行ってよかったです。
……吾妻渓谷に近づくのが嫌でなりませんでしたが、末期患者のお見舞いのようにそれでも、自分の目で足で確かめなければ気がすまないのです。
あと数日後には、またの八ッ場行きです。
それまでねどんな工事が……
土曜日なのに仕事してました。
2014年05月29日
映画「シロウオ 原発立地を断念させた町」新チラシ発注中です
またまた、なんと約半月間もの長いご無沙汰となりました。
あまりに忙しくて締切の来たもの、ついに過ぎてしまったものの眼の前の一歩をこなすだけ、こなし続けた恐ろしい日々となり、心ならずもの≪怠慢≫なのでした。
……でも、この間の方がクリック数が多いのですから、不思議ですね。
昨晩ようやく、第三回目、実質的には四度目の映画「シロウオ」のチラシを作成。もうチラシが底をつき、増すずりの必要性に迫られてました。が、思い切って裏表書き換え、新規作成の形をとりました。22時40分、24時間体制の印刷所に入稿。23時校正ズミ原稿が届き、言うことを聴いてくれないパソコン相手に大格闘するままに、点検しそこなったあるミスに気が付きました。が、28日中にいれないとの大前提あり。で。小さな瑕瑾として通過させ0時15分前、校了に。これで28日受付、6/1着となりました。
今回のチラシほど手こずって、また途中、3月末の突然の会場変更以降、吾妻渓谷破壊工事と相まってストレスの塊的症状に陥ってしまいました。朝の目覚め際、今日も工事が進んでしまっているだろうなと考えるとどんよりとあたまが重く、手がつかず、嫌気がさしたことはありませんでした。
根底には、「映画上映といえども、八ッ場のことを記さずして訴えられなかったら、意味ない。 何のために、精魂傾けてかけずりまわるかという私見がありました。しかし、観客が集まらなかったらどうしようもないということもまた、然り。
① 3/9 今年の「3・11」の「原発とめよう」のイベント用に、前夜、急いで作成。午前中、印刷、イベント会場へ。
-- 3/24 ーー突然の会場変更あり。その後、約1か月の逡巡期間に及ぶ
② 4/22 内外からレイアウト一つについてもご注文の多いチラシ制作に、内心、「じゃあ、自分でやってみてよ」といささかむくれ顔にも。 ついにわが齢頭脳は「登校拒否」ならぬ、「作成拒否」症状を併発してしまって……手がつかず。
この夜の定例会で、どういうわけかストンと若いスタッフが作成してくれることに。
で、なんと高度なイラストレーターなる機能にて作成。印刷所に送るにしても何にしてもわがパソコンでは開けずで、往生。しかも、当方のワード作成の場合は変換作成料がかかるのに、イラストレーターとやらは「そのまま完全原稿」に。≪モウカッちゃった≫と喜んだのは良かったけれど、どういうわけが錯誤があって、仕上がり予定日、待てど暮せど送られて来ず。なんと、ちゃんと入稿になっていなかったというパブニングあり。でも、ちゃんと送ったはず。いいあっていても仕方なく慌てて、1日短縮料金をはらっての再度の印刷発注。
この頃、完全に思考能力、全破壊傾向になっていたのかもしれませんでした。
③5/2 「実行委形式チラシなので、余分ごとは記せない」との忠告あり。ここがかすかな対立の争点なり?
……でも、裏面白紙のこのチラシ。何となくもったいなくて止せばよいのに、折しも緊急事態の吾妻渓谷のことを記さなくてどうする。自分で配布する皆さんは理解してくれるはず。まして、明日5/3は憲法記念日のイベント。私方たちも運動体関係者じゃないかとばかりに、完成したばかりの地滑り災害のビデオのことと併せて、約半分の約1500枚も簡易印刷してしまったのでした。けれど、容易に乾かないのは何とも不思議で、印刷速度を遅くしたりした次第でしたが、夢中でしたので理解できず。
後日、知ったのはコート紙というのには、通常のインクはなじまないということなど、ツユ知らず、意気揚々と。
これを翌日の5/3の憲法問題の席で、夢中で配ったものだから、大変。
中頃、主催団体受付席のSさんが、こらえきれないという笑いをおさえた風な顔つきで歩みよってきて、「ねぇ、ちょっとこっち来て」と手をつかみ、トイレを連れ込み、「鏡、見て!」といって、笑いこげられた。
なんと、鏡に映ったわが顔は、顔中、墨をぬれりたくったおばけ顔。手を広げてこーみれば、手の名かも黒ずんでいる。通りで、あちこち黒くなってしまっていたことが判明。今度は、あちこちにお詫びして、返却して戴いた次第。
④表面のみのチラシもすくなくなりつつあったので、急きょ、印刷。
以来、約一か月。だいぶ乾きましたが、未だにこすると手が汚れる始末。
かくして、残す処、あと二週間。
丸2日間、まさに精魂使い果たして、ぱそこんと格闘したこのチラシをもって、皆さんにご理解を求めたいと思います。
2014年05月14日
お粗末な高裁群馬裁判判決
本日10時半、東京高裁にて、八ッ場ダム群馬裁判判決がありました。
ももちろん、敗訴です。
直ちに最高裁へ提訴しました。
写真は、判決後、日弁連にての報告会で、不当判決の要点について述べる高橋弁護士さんです。
2014年05月14日
上毛新聞「ひろば」欄に、掲載なる
【2014年5月10日 15面読者のページ】
一昨日11日にお伝えしました、上毛新聞「ひろば」欄「(富岡)製糸場と明暗をわける吾妻渓谷」の拙文です。
記事だけ切り採ればよかったのに、ちょっと読み難いですが……
群馬県内でも殆ど知られていない破壊工事実施中の現実を知ってもらえたら、ともかく活字になれば良しとしておもいたちました。
4/27の各紙面トップに踊った「富岡製糸場世界遺産登録」の大見出し。どちらも「上毛かるた」に謳われた文化財なのにと、その明暗を記した、浅い記述ですが……
なんと、落ち着いて読み返したら、大ミスあり。
「仮排水工事」→は「仮締切工事」なのでした。
なんて、おっちょこちょいのオバさんなんでしょう。
ともかく、打ち上げましたので、どうぞ、皆様も引き続き、ご投稿くだされて、論議を深めていただけましたら、幸いです。
念の為、要項を下記に転載します。
2014年05月11日
5月の第2日曜日、朔太郎忌です
半分、居眠り状態にて記してます。
写真は後ほど、朔太郎忌の記念品と猫仮面でも。
八ッ場から、離れた事柄にてご寛容のほどを。
9日、10日と休んでしまいました。
10日 地元紙・投書欄に、拙稿掲載されれる
① 「没」と想っていた、上毛新聞「ひろば」欄に拙稿、「(富岡)製糸場と明暗をわける吾妻渓谷」が掲載されました。
【2014年5月10日 上毛新聞「ひろば」15面読者のページ】
② 「なくそう原発!つながろう福島!5・10群馬集会」に参加
いつも各種会合、特に原発問題には出掛けてくださる情報通のスタッフKさんは、この日は草津で行われる第10回ハンセン病市民学会総会・交流集会(ハンセン病市民学会主催」に参加予定。 「今年は全国大会が草津」との情報は聴いてはおり、手前の八ッ場は通過点ということもあり、私もチョッピリ心は動いてました。何もなかったら行ってみようかと。が、発送作業が迫ってまして、幸い新規スタッフ的な活きの良いお2人の女性がお手伝いを、この週末の土日に申し出てくれてました。で、本当に助かりますので最優先。しかも、この日は追加印刷チラシが届く日などのこなさなければならないことばかりで錯綜としてました。
ですが、原発問題学習会には出席した方がよいのではとの示唆もありました。映画「シロウオ」は、原発関連映画ですから、確かにチラシ・チケットをお渡しするのも、手渡しの方確実ですし…… 日頃のお世話に対して参加は当たり前。
で前日の9日、10日の発送作業延期の旨をお二人に、連絡・お詫びメールを急ぎ記しての参加でした。
福島県の母親のお話の中で、話題になっている「美味しんぼ」の漫画中、震災後、鼻血がでた話は真実と証言されていました。息子さんもご自分も出たそうでした。またまた、どこかの黒い手が動いてますね。
11日 不意にして、「朔太郎忌」に出かけました
そして本日11日は、不意に久しぶりに「朔太郎忌」に出席。高校生の頃に出かけて以来。時折は出て参りましたが、5月の第2日曜日というのは本当に用事がいっぱい。
一昨年のこの日も、初めて親族で伊豆大島行だったのに、4月始めのその相談中に依頼を受けて、関西方面の教師の方の学習教材のための八ッ場のご案内でした。
本来ならば、文学関連のことに最も気持ちが動いてきた、半生のこし方でしたが……
開始時間と思い込んでいた13時半に5分程遅れてしまったら盛況で、もはや資料はつきてしまってました。
で、川上未映子さん×三浦雅士さん(萩原朔太郎研究会会長)による「朔太郎の誘惑」と題した、対話が終わった15時半からの休憩時間を終わりと早合点。
駐車場に向かう一階のエレベーター前に貼られた開催チラシふと見て、まだ、かの吉増剛造さんの出番があることを知って、また慌てて戻ったという始末なのでした。ここで、初めて要項を丁寧に見た次第でした。
「朔太郎を見る/朔太郎を聴く」吉増剛造さん×三浦雅士さんの対談はおちついて拝聴できたためか、こころにきちんと入り込んで参りました。終わり近くで、要項を取り出された隣りの方の資料をお借りして読むと、出がけにインターネットで時間と場所のみみて、13時半開始と思い込んでましたが、その前に30分間程のセレモニーがあったようでした。詩の朗読終了間の途中入場でしたので、最後尾の端にすわってましたら、対談に入られる頃、脇を羽織袴姿の山本龍前橋市長が通られたことが氷解しました。
さらに、走り読みしたパソコン画面の要項で、偶然捉えた第2部懇親会出席は、事前申込みとばかり思い込んでました。それにそこまで出るような立場でもないしと意にも止めてなかったのでした。
けれど、落ち着いて、対談を拝聴していると、かなりの興味がわいてきました。この手のことに心躍らせてやまなかった若い日の関心ごとが蘇り突き上げてきました。そうなると、雑務に追われてしまっていることも忘れてしまいます。
受付時には全く気が付なかったのでしたが、先ほどの早合点の帰りがけのロビーで、別席に「当日券受付」とあったのを目端に捉えたのを思い出し、セレモニーの際の方たちのご出席もあるようなので、迷いだしてしまいました。夕刻には帰るつものりでそそくさと出てきたものでしたから、かなり逡巡しましたが、受付がまだ開いていて、まだ枠があるかどうか聴いてようと、ロビーにでてみますと、いとも簡単にOKに。
結局、当日参加券にて懇親会の席にまで、第一部の終わり間際になってからの申し込みを。
川上さんの終了近くに遅れてきて、満席でしたので席をゆずった地元の詩の会、「翔べ翔べ暮鳥」の先輩格の方は事前申込みをしてある由でしたので、お仲間もいるし……と。
なお、韻文王国と言われる群馬の地で、朔太郎は前橋市、山村暮鳥は隣接する村の出身なのです。そして、山村暮鳥は朔太郎に影響を与えたことは文学研究で実証されています。今年はその山村暮鳥生誕130年の節目となります。
18時~ 「懇親パーティ」にも不意な参加を
立食もそろそろ尽きる頃、欲張ってまだ残っているテーブルの料理を採るのに夢中になってテーブルにそって辿って行き、不意に顔をあげましたら、そこには県内の詩人、Sさんや吉増さんらが談笑していられました。思わず、ドッキリ。しかも料理を山盛り盛り上げてなくて良かったなと…… その当惑の顔がおもしろかったのか、とびきりの笑顔で吉増さんが……
対談中は遠くてお顔が定かに見えず、若い日から、俊才としての研ぎ澄まされた作風で、近寄りく遠い存在の文学者として思い込んできた、吉増さんの笑顔を真近く拝顔できて、心膨らむ思いでした。良いお仕事をなされる方には、香り高い華があります。
そして、厚かましくも「お差し支えなかったら、お写真よろしいですか? Sさんを通しておとどけしますので……」と問いますと、4名の御名前のある方たちがポーズを採ってくださいました。
……このような席で場違いな当方にまで、笑顔を向けてくだされ、快くポーズをとってくだされた方々のお顔がよぎりました。
そのお一人に、(映画化の橋わたし役として、丸5年間深くかかわってしまった映画監督夫妻の、不動の出世作となった前作品の)試写会後のパーティ会場での、大島渚さんがいらっしゃいます。今でもあの存在感のある、分厚な華やぎと笑顔は忘れがたく浮かんでくるものです。
萩原葉子さんのさりげないお心づかいを味わったことあり
この日の来賓のお一人、山本龍・前橋市長は羽織袴のご正装で、それはお似合いでした。
また、朔太郎のお孫さんの萩原朔美さんもご出席でした。
前橋文学館が開館した頃に、母親の葉子さんが文学館前の橋上でフラメンコを披露された折に、人垣の陰に臆しつつじっと拝見していた私にまで、「前の方でご覧なさい、こちらにいらっしゃい」と手まねきを゜して声をかけてくだされたことがあったのでした。人に話たことはありませんでしたけれど、細やかな気遣いをみせて瞬時にしてその人間の置かれている状況をお判りになられたのか、心を溶かしてしまわれる包容力のあられる方だったことは、胸の奥に大事にしまいこんでありました。高校生の頃、葉子さんの『いら草の家』『天井の花』などを矢継ぎ早に読み心打たれたこともあり、それはそれは大事に秘匿しておきました。ある作家も、「一目みれば、そのヒトのことはわかります」と、それは作家の想像力に培われたものだという風なことを語ってました。
縁もたけなわ、隣の女性のに同道して写真をお撮りするために、勇気を出して息子さんの朔美さんの処に伺いました。そして、お隣にたった途端に、不意にそのことを思い出したというより、吹き出してしまったという感で、思わず口をついてしまってお伝えしてしまったのでした。とっさでしたので、葉子の字面もお名前も出ず「お母さま」で通し、フラメンコも出ずに「タップダンス」とか言ってしまったように記憶しています。特有の早口ですし、朔美さんもたぶん一瞬、何のことかわからかったかもしれませんでしたが、終始にこやかな表情で無言ながらもかみしめるようにして聴いてくださいました。
久々に、心晴れる、今年の5月の第2日曜日。
それは、母の日でもあるのでした。
※それにしても、「不意」という単語をあえて頻発させました。(一文章の中では同一語は極力用いないように留意としてまいりましたが)、本当にこの日は、不意にして始まり、不意なことばかりで閉じた1日でした。
これも予期せぬ不意な「朔太郎さんの誘惑」だったでしょうか?
……そして、いかに「不意」といっても、隠れた「動機」はあるというものです。氷山の一角の底部、それが、小説のモチーフといったところでしょうか?
写真は後ほど、朔太郎忌の記念品と猫仮面でも。
八ッ場から、離れた事柄にてご寛容のほどを。
9日、10日と休んでしまいました。
10日 地元紙・投書欄に、拙稿掲載されれる
① 「没」と想っていた、上毛新聞「ひろば」欄に拙稿、「(富岡)製糸場と明暗をわける吾妻渓谷」が掲載されました。
【2014年5月10日 上毛新聞「ひろば」15面読者のページ】
② 「なくそう原発!つながろう福島!5・10群馬集会」に参加
いつも各種会合、特に原発問題には出掛けてくださる情報通のスタッフKさんは、この日は草津で行われる第10回ハンセン病市民学会総会・交流集会(ハンセン病市民学会主催」に参加予定。 「今年は全国大会が草津」との情報は聴いてはおり、手前の八ッ場は通過点ということもあり、私もチョッピリ心は動いてました。何もなかったら行ってみようかと。が、発送作業が迫ってまして、幸い新規スタッフ的な活きの良いお2人の女性がお手伝いを、この週末の土日に申し出てくれてました。で、本当に助かりますので最優先。しかも、この日は追加印刷チラシが届く日などのこなさなければならないことばかりで錯綜としてました。
ですが、原発問題学習会には出席した方がよいのではとの示唆もありました。映画「シロウオ」は、原発関連映画ですから、確かにチラシ・チケットをお渡しするのも、手渡しの方確実ですし…… 日頃のお世話に対して参加は当たり前。
で前日の9日、10日の発送作業延期の旨をお二人に、連絡・お詫びメールを急ぎ記しての参加でした。
福島県の母親のお話の中で、話題になっている「美味しんぼ」の漫画中、震災後、鼻血がでた話は真実と証言されていました。息子さんもご自分も出たそうでした。またまた、どこかの黒い手が動いてますね。
11日 不意にして、「朔太郎忌」に出かけました
そして本日11日は、不意に久しぶりに「朔太郎忌」に出席。高校生の頃に出かけて以来。時折は出て参りましたが、5月の第2日曜日というのは本当に用事がいっぱい。
一昨年のこの日も、初めて親族で伊豆大島行だったのに、4月始めのその相談中に依頼を受けて、関西方面の教師の方の学習教材のための八ッ場のご案内でした。
本来ならば、文学関連のことに最も気持ちが動いてきた、半生のこし方でしたが……
開始時間と思い込んでいた13時半に5分程遅れてしまったら盛況で、もはや資料はつきてしまってました。
で、川上未映子さん×三浦雅士さん(萩原朔太郎研究会会長)による「朔太郎の誘惑」と題した、対話が終わった15時半からの休憩時間を終わりと早合点。
駐車場に向かう一階のエレベーター前に貼られた開催チラシふと見て、まだ、かの吉増剛造さんの出番があることを知って、また慌てて戻ったという始末なのでした。ここで、初めて要項を丁寧に見た次第でした。
「朔太郎を見る/朔太郎を聴く」吉増剛造さん×三浦雅士さんの対談はおちついて拝聴できたためか、こころにきちんと入り込んで参りました。終わり近くで、要項を取り出された隣りの方の資料をお借りして読むと、出がけにインターネットで時間と場所のみみて、13時半開始と思い込んでましたが、その前に30分間程のセレモニーがあったようでした。詩の朗読終了間の途中入場でしたので、最後尾の端にすわってましたら、対談に入られる頃、脇を羽織袴姿の山本龍前橋市長が通られたことが氷解しました。
さらに、走り読みしたパソコン画面の要項で、偶然捉えた第2部懇親会出席は、事前申込みとばかり思い込んでました。それにそこまで出るような立場でもないしと意にも止めてなかったのでした。
けれど、落ち着いて、対談を拝聴していると、かなりの興味がわいてきました。この手のことに心躍らせてやまなかった若い日の関心ごとが蘇り突き上げてきました。そうなると、雑務に追われてしまっていることも忘れてしまいます。
受付時には全く気が付なかったのでしたが、先ほどの早合点の帰りがけのロビーで、別席に「当日券受付」とあったのを目端に捉えたのを思い出し、セレモニーの際の方たちのご出席もあるようなので、迷いだしてしまいました。夕刻には帰るつものりでそそくさと出てきたものでしたから、かなり逡巡しましたが、受付がまだ開いていて、まだ枠があるかどうか聴いてようと、ロビーにでてみますと、いとも簡単にOKに。
結局、当日参加券にて懇親会の席にまで、第一部の終わり間際になってからの申し込みを。
川上さんの終了近くに遅れてきて、満席でしたので席をゆずった地元の詩の会、「翔べ翔べ暮鳥」の先輩格の方は事前申込みをしてある由でしたので、お仲間もいるし……と。
なお、韻文王国と言われる群馬の地で、朔太郎は前橋市、山村暮鳥は隣接する村の出身なのです。そして、山村暮鳥は朔太郎に影響を与えたことは文学研究で実証されています。今年はその山村暮鳥生誕130年の節目となります。
18時~ 「懇親パーティ」にも不意な参加を
立食もそろそろ尽きる頃、欲張ってまだ残っているテーブルの料理を採るのに夢中になってテーブルにそって辿って行き、不意に顔をあげましたら、そこには県内の詩人、Sさんや吉増さんらが談笑していられました。思わず、ドッキリ。しかも料理を山盛り盛り上げてなくて良かったなと…… その当惑の顔がおもしろかったのか、とびきりの笑顔で吉増さんが……
対談中は遠くてお顔が定かに見えず、若い日から、俊才としての研ぎ澄まされた作風で、近寄りく遠い存在の文学者として思い込んできた、吉増さんの笑顔を真近く拝顔できて、心膨らむ思いでした。良いお仕事をなされる方には、香り高い華があります。
そして、厚かましくも「お差し支えなかったら、お写真よろしいですか? Sさんを通しておとどけしますので……」と問いますと、4名の御名前のある方たちがポーズを採ってくださいました。
……このような席で場違いな当方にまで、笑顔を向けてくだされ、快くポーズをとってくだされた方々のお顔がよぎりました。
そのお一人に、(映画化の橋わたし役として、丸5年間深くかかわってしまった映画監督夫妻の、不動の出世作となった前作品の)試写会後のパーティ会場での、大島渚さんがいらっしゃいます。今でもあの存在感のある、分厚な華やぎと笑顔は忘れがたく浮かんでくるものです。
萩原葉子さんのさりげないお心づかいを味わったことあり
この日の来賓のお一人、山本龍・前橋市長は羽織袴のご正装で、それはお似合いでした。
また、朔太郎のお孫さんの萩原朔美さんもご出席でした。
前橋文学館が開館した頃に、母親の葉子さんが文学館前の橋上でフラメンコを披露された折に、人垣の陰に臆しつつじっと拝見していた私にまで、「前の方でご覧なさい、こちらにいらっしゃい」と手まねきを゜して声をかけてくだされたことがあったのでした。人に話たことはありませんでしたけれど、細やかな気遣いをみせて瞬時にしてその人間の置かれている状況をお判りになられたのか、心を溶かしてしまわれる包容力のあられる方だったことは、胸の奥に大事にしまいこんでありました。高校生の頃、葉子さんの『いら草の家』『天井の花』などを矢継ぎ早に読み心打たれたこともあり、それはそれは大事に秘匿しておきました。ある作家も、「一目みれば、そのヒトのことはわかります」と、それは作家の想像力に培われたものだという風なことを語ってました。
縁もたけなわ、隣の女性のに同道して写真をお撮りするために、勇気を出して息子さんの朔美さんの処に伺いました。そして、お隣にたった途端に、不意にそのことを思い出したというより、吹き出してしまったという感で、思わず口をついてしまってお伝えしてしまったのでした。とっさでしたので、葉子の字面もお名前も出ず「お母さま」で通し、フラメンコも出ずに「タップダンス」とか言ってしまったように記憶しています。特有の早口ですし、朔美さんもたぶん一瞬、何のことかわからかったかもしれませんでしたが、終始にこやかな表情で無言ながらもかみしめるようにして聴いてくださいました。
久々に、心晴れる、今年の5月の第2日曜日。
それは、母の日でもあるのでした。
※それにしても、「不意」という単語をあえて頻発させました。(一文章の中では同一語は極力用いないように留意としてまいりましたが)、本当にこの日は、不意にして始まり、不意なことばかりで閉じた1日でした。
これも予期せぬ不意な「朔太郎さんの誘惑」だったでしょうか?
……そして、いかに「不意」といっても、隠れた「動機」はあるというものです。氷山の一角の底部、それが、小説のモチーフといったところでしょうか?
2014年05月08日
川原畑の豪華墓地・巨大観音様の手の中には、スズメバチの巣
本日は、二つのことが終了。少し、ほっとしてます。
そこで、閑話休題的に、川原畑の墓地での、ちょっと面白い写真をご披露。
ご覧ください。観音様が、左手に後生大事にかかえているのは、なんと、スズメバチの巣なんです!!
これには、皆さん、笑われてましたね。
やってやっても追いつかない毎日ですが…… 延ばし延ばしきたことが一つづつでもキリがついて、ほっとしています。
一つはチラシの追加印刷。全てがパソコンで処理で、しかも、表面はイラストレーターデーターにて。裏面はワ-ド形式にて一緒に入れることになり送信の仕方に往生しました。ようやく昨晩入稿。今朝、校了に。
もう一つは一応は「論文」と銘打たれたものへの、ただ挑戦するしかない、駄文形式の八ッ場ダム報告記でした。4月末日の締切に間に合わないまま、一昨日6日から必至でとりかかり、昨日7日午前中にかきなぐり終了。
さて、送信しようとしたら、不可。A4サイズ4頁、横2段組の規定にびっしり隙間なく記し、文字数は約6000字だけれど、写真11枚、図版2枚をもちいたので、要領はなんと、約25MB。
時間に急かれて、文字を打つことにのみ神経が行って、考えもしなかったけれど、これでは送れるはずもないと判断。しかたなく、一応は書きましたという証明的に送信するしかなく、PDF➡圧縮し、送信。
しかし「これでは編集不可」との連絡に、それはそうだと。四ページを一枚づつに分割し、一ページづつ送信。しかし、2頁はどうしても不可。
結局、写真をまた縮小しなおし、写真上のキャプションもまた…入れ直して、再作成。昨夜来、本日午前中一杯はこの作業にて……
こんななことの繰り返し。
時間が足りません。結局、4月は、私的なことは割愛してしまうしかありませんでした。依頼されていたルポを断念。ある大事な応募も断念。
2014年05月06日
ビデオ「八ッ場ダムの湖岸は安全なのか」
写真のようなビデオを制作、頒布中です。
内容は、地質学者・中村庄八さんによる、ダム建設後の湖岸の危険地帯への綿密な実証を、現地にて行ったものです。
【表題】 「八ッ場ダムの湖岸は本当に安全か」(97分)
【収録内容】ー(※3分割構成で、観やすいです)
(中村庄八さん)あいさつ
①石畑地区:145号バイパス斜面の落石箇所
②川原畑の切土面:コンクリート枠の強酸性粘土帯
③林地区の応桑岩屑なだれ堆積物の急崖
④集水井と伸縮計:林地区の地すべり対策地
⑤上湯原(通称原)の跨線橋の隙間とズレ
⑥付替えJR線擁壁工事中:陥没群の発生から危険地帯の恐怖
⑦打越代替地の盛土面の風化石垣と湖面標高看板
現地講師: 中村庄八(地学団体研究会・日本地質学会会員)
--地球の声を代弁する地質研究者ーー
制作:「STOP八ッ場ダム・市民ネット」
販価:1000円(送料込み)にて
予約申込先:spq272s9@rondo.ocn.ne.jp
携帯:070 5457 5672
※もちろん、テレビでもご覧戴けます。
※レーベル印刷図柄などは変わることもあります。
※昨年4月・12月の2度に渡る現地収録、編集作業などスタッフで全て行って参りました。素人集団ゆえの限界はお許しください。
どうぞ皆様、お求めくださいますよう、お願い致します。
ご存じのように、今秋にはJR線開通、本体工事着工など、八ッ場の現実は、ますます、哀しい展開をみせてます。
工事は急ピッチで進んでしまって、訪れるごとに仮締切工事は進展し、転流工上流はもはやミニダム湖的様相をみせています。
長野原町管轄分右岸遊歩道は全面閉鎖。左岸のトイレも閉鎖され、もうじき国道も閉鎖されかねません。
私たちもめげずに、最後のあがき的闘争に全神経をすり減らして対峙しようとしていますが……
中村さんが判りやすく説明くださった真実が、何らかの中止への糸口となってくれることを祈る想いです。
2014年05月05日
?世界遺産にふさわしい!! 八ッ場ダム
2014年05月02日付本欄の「ムラサキツツジ咲けども、ダム堤上流のは観られず」に、「紫つつじ 」さんから、末尾のコメントを頂戴しておりました。とろが、翌3日のイベントに追われるままに、気がつかず、先ほどメール欄にて、拝読。すぐにお返事だせなくて本当に申し訳ありませんでした。そこで、本欄に転載させて戴く次第です。
そして、お答えに代えて、ここ数日来の「世界遺産」化への盛りあがりの経緯を。
実は、4/27付「富岡製糸世界遺産登録に沸く群馬で、吾妻渓谷破壊工事進む」なる拙文を記し、新聞投書や雑誌投書を試みた旨もしるしました。やはり、没のようですが、ところが今度はなんと、急速に降ってわいた「世界遺産に」の声がわきあがっているのです。
国指定名勝・吾妻渓谷、天明3年の浅間山爆発により、瞬時にしてうずまった、あの馬小屋の馬糞の日本のしたという「東宮遺跡」(川原畑地区)などことかかず、その方がダム観光などよりも、ずっと観光客が来る。世界遺産登録はムリでも、富岡製糸場見学とタイアップする方法もありとのご意見を、去る2日の昼前に、電話で伝えてくださった男性がいらっしゃるのです。
この方は実は、去る3/30の中村庄八さんの「ダム災害学習会」にお見えになられ、新川原湯温泉駅周辺の危険性を知って以来、JR関係者として、いてもたってもといられないというお気持ちでとっても熱心に奔走してくだされている、行動派の方なのです。
前日、お電話を頂戴した際に去る4/27付の「世界遺産」の新聞記事「売らない貸さない壊さない」の片倉工業の社精神に触発されて、思わず投稿した次第を伝え、事ここにきても八ッ場も何とか保存できないものかと口にしましたところ、翌日には間髪いれずに「世界遺産申請」とのご意見に急上昇……
その際、「いろんな確執を超えて大同団結、総力をあげないとムリですよね。それでも無理かも……」とも添えますと、それから、30分も経たずに、ある大きな会に電話したとの電話がありました。そして、近々ある県議を交えた?例会のような会があり、そこで説明して欲しいと言われたとの由。そのある県議さんには、その前から打診していられた県議なのでした。
もとより私たちの会では、この間、県内の立ち上がりへの申し入れを3度にわたり打診してきた経緯もありましたので、話の展開におおいに期待してやみません。……些か性急ぎみとも感じられもしましたが、この位のパッションがなければ、もはや、八ッ場の難局は乗りきれません。
ですので、千里の道も一歩のことわざに因んで、「世界遺産登録」への第一歩も夢ではないかも……
5/3の憲法集会では「憲法9条にノーベル平和賞を」の署名が行われていて、思わず期待をこめて署名させて戴いた次第です。
あちこちで、雨後の竹の子的様相を呈するようになるかもしれませんが、❝夢❞を持つことはいいことです。
また、ビデオ頒布のご注文くだされたある女性の方も、大変な危機感を持たれ著名人に゜おすがりしてみると記された後に「そのぐらいの、日本の危機だと思います」としるされています。
【紫つつじ at 2014年05月02日 23:13】さんからのコメント
初めて山の斜面の中に緑出る前に咲く、紫つつじを観ました。何て可憐でうつくしいのでしょう。
この景観は、世界遺産にふさわしいものです。
何で、群馬県人この全世界中で失われつつある、温帯自然林の希少性がわからないのでしょう。
世界遺産級の自然に囲まれて生活している群馬県人にとっては、当たり前すぎ、その希少性がわからなくなっているのです。
これほどの自然がほかのどこにあると思うのでしょう。
ここにしか無いのですよ。
世界自然遺産に登録することを考えた方が、良いのは、この吾妻郡の自然です。群馬賢人となって、今すぐ、ダム建設をやめてもらえませんか。
紫つつじさんのご指摘のように、本当に私達群馬県人は「群馬賢人」にならないといけませんよね。
最後に願わくば来年もまた、解体されずのこの景観にお目にかかりたい悲願をこめて、滝見橋からのお馴染みの景色と左手のムラサキツツジの花を。
2014年05月05日
映画「シロウオ」要項詳細
およそ、30年前、原発マネーに打ち勝って、原発を阻止した自治体は、全国で34か所もありました。
福島原発が起きてしまった現在、その選択の賢明さには大いに学ぶ゛べき観点があります。
映画は、紀伊半島を挟んだ徳島県阿南市椿町・蒲生田原発と和歌山県日高町・日高原発に2つに取材して、その核心に迫ります。
紀伊半島の雄大な夕陽をパックに流れる東京都交響楽団の演奏による、「魂の歌」は、何が生きていく上での幸せなのか、価値観なのかを深々と投げかけてくれます。まさに魂を揺さぶられます。
ただ今、予約受付中 チケット販売中
長編ドキュメンタリー
映画「シロウオ」原発立地を断念させた町
時 2014年6月15日 ①14時~(16時過トーク・質問)②18時~
※プロデューサーの矢間秀次郎さんをお招きし、大型公共事業のカラクリ、映画化にあたっての秘話などを存分に語って戴きます。
また、会場からの質問や関係団体からのお話も予定しております。
場所:群馬県社会福祉総合センター 8Fホール ℡027-255-6000 新前橋駅前徒歩5分
チケット:前売 1000円 当日券1300円 高校生以下:無料)
※20枚以上ご販売してくださいました場合には、1000円→950円にさせていただきます。
問合せ先:前橋・映画「シロウオ」上映実行委員会 070-5457-5672(鈴木)
福島原発が起きてしまった現在、その選択の賢明さには大いに学ぶ゛べき観点があります。
映画は、紀伊半島を挟んだ徳島県阿南市椿町・蒲生田原発と和歌山県日高町・日高原発に2つに取材して、その核心に迫ります。
紀伊半島の雄大な夕陽をパックに流れる東京都交響楽団の演奏による、「魂の歌」は、何が生きていく上での幸せなのか、価値観なのかを深々と投げかけてくれます。まさに魂を揺さぶられます。
ただ今、予約受付中 チケット販売中
長編ドキュメンタリー
映画「シロウオ」原発立地を断念させた町
時 2014年6月15日 ①14時~(16時過トーク・質問)②18時~
※プロデューサーの矢間秀次郎さんをお招きし、大型公共事業のカラクリ、映画化にあたっての秘話などを存分に語って戴きます。
また、会場からの質問や関係団体からのお話も予定しております。
場所:群馬県社会福祉総合センター 8Fホール ℡027-255-6000 新前橋駅前徒歩5分
チケット:前売 1000円 当日券1300円 高校生以下:無料)
※20枚以上ご販売してくださいました場合には、1000円→950円にさせていただきます。
問合せ先:前橋・映画「シロウオ」上映実行委員会 070-5457-5672(鈴木)
2014年05月03日
6/15 映画「シロウオ」上映会 新チラシ
※映画会会場 変更になりました。 上映日は変わりません
(本欄3/16 3/19の記述には訂正をいれました)
「群馬県社会福祉総合センター 8Fホール」です
℡ 027 255 6000 JR新前橋駅~ 徒歩5分
下記のチラシを新たに作成しました。
どうぞ、皆様、お出かけください。
原発もダムも構造は同じです。
どちらも、「国策」という名の国家の犯罪行為です。
しかも、一部の人間の為の錬金術にすぎません
(本欄3/16 3/19の記述には訂正をいれました)
「群馬県社会福祉総合センター 8Fホール」です
℡ 027 255 6000 JR新前橋駅~ 徒歩5分
下記のチラシを新たに作成しました。
どうぞ、皆様、お出かけください。
原発もダムも構造は同じです。
どちらも、「国策」という名の国家の犯罪行為です。
しかも、一部の人間の為の錬金術にすぎません
2014年05月01日
森の中の二つの道ならぬ、渓谷にも二つの道はあり
昨今の寝覚めの床での気鬱さといったら、この上なし。
それは、あの吾妻渓谷の進捗状況にの工事の進捗状況。7月末までの仮締切工事が終われば、いよいよダム本体工事に突入。今は川床だけれど、両岸の川岸どころが林のなかまでユンボが動き回るだろう。
昨日は終日、雨。良かった。工事は出来ないだろうと雨の日の憂鬱さも薄らいで、心なしほっとできた。
五月晴れとなった本日は、「今日はどこまでいったやら」式に、何となく気ぜわしくてならない。……でも、連休の合間なのだか、調節して作業も停止かもしれないし……などと思えてもくる。
14時半、今年初めての雷雨があった。まさしく「雨々フレフレ、もっとフレ」の心境なのでした。
さて過日、20年近く振りに、「森の中で道が二つに分かれていた」で始まる、アメリカの詩人・ロバート・フロストの「選ばなかった道」という詩の冒頭が口をついてきました。
それは「9条の会」関連の会の皆さんを八ッ場にご案内することになった際、最終段階になってからご案内する会の名称が「9条の会」という名なのだと伺い、不意に、急激に記憶の回路が回りだしたのでした。
そして、「あぁ、いつも細い狭い道ばかり、選んで好んで歩いてここまで来てしまったな」という感慨とともに。
当時、日本の憲法9条を礼賛し。アメリカをはじめ世界的に普及活動をなされていたチャールズ・オーバービーさんが、「平和憲法を世界に拡めよう」という運動に連動し、招かれて初来日したことがあったのでした。
その頃、「告知板」という月に2万部という大量の会報をほぼ無料配布していた、中野区にあった「庄建設」のオーナーは、師事していた作家の無二の親友で、何かにふれて私たちは出入りさせて戴いていたのでした。そんなわけで私は、前橋実行員会として、オーバービーさん講演会を開いたのでした。
全てが霧散し忘却のかなたなのですが、不思議に講演の冒頭にオーバービーさんが引用された、詩の出だしのフレーズだけは未だに鮮明に覚えているのが不思議です。
森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
旅をする私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとしていた
その先は折れ、草むらの中に消えている
さて、写真は吾妻渓谷の中の小道なのです。
これもまた紛れもない一筋の道です。
しかも、確かに二つの選択肢を伴う分岐点にある道筋なのでした。ほぼ直角に分かれてました。
写真の道を選ぶととこにどう通じるのかは、後ほどお伝えします。
夜も更けました。
まさに「ごきげんよう。さようなら」にて。(※念のため、朝ドラのセリフですので)
それは、あの吾妻渓谷の進捗状況にの工事の進捗状況。7月末までの仮締切工事が終われば、いよいよダム本体工事に突入。今は川床だけれど、両岸の川岸どころが林のなかまでユンボが動き回るだろう。
昨日は終日、雨。良かった。工事は出来ないだろうと雨の日の憂鬱さも薄らいで、心なしほっとできた。
五月晴れとなった本日は、「今日はどこまでいったやら」式に、何となく気ぜわしくてならない。……でも、連休の合間なのだか、調節して作業も停止かもしれないし……などと思えてもくる。
14時半、今年初めての雷雨があった。まさしく「雨々フレフレ、もっとフレ」の心境なのでした。
さて過日、20年近く振りに、「森の中で道が二つに分かれていた」で始まる、アメリカの詩人・ロバート・フロストの「選ばなかった道」という詩の冒頭が口をついてきました。
それは「9条の会」関連の会の皆さんを八ッ場にご案内することになった際、最終段階になってからご案内する会の名称が「9条の会」という名なのだと伺い、不意に、急激に記憶の回路が回りだしたのでした。
そして、「あぁ、いつも細い狭い道ばかり、選んで好んで歩いてここまで来てしまったな」という感慨とともに。
当時、日本の憲法9条を礼賛し。アメリカをはじめ世界的に普及活動をなされていたチャールズ・オーバービーさんが、「平和憲法を世界に拡めよう」という運動に連動し、招かれて初来日したことがあったのでした。
その頃、「告知板」という月に2万部という大量の会報をほぼ無料配布していた、中野区にあった「庄建設」のオーナーは、師事していた作家の無二の親友で、何かにふれて私たちは出入りさせて戴いていたのでした。そんなわけで私は、前橋実行員会として、オーバービーさん講演会を開いたのでした。
全てが霧散し忘却のかなたなのですが、不思議に講演の冒頭にオーバービーさんが引用された、詩の出だしのフレーズだけは未だに鮮明に覚えているのが不思議です。
森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
旅をする私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとしていた
その先は折れ、草むらの中に消えている
さて、写真は吾妻渓谷の中の小道なのです。
これもまた紛れもない一筋の道です。
しかも、確かに二つの選択肢を伴う分岐点にある道筋なのでした。ほぼ直角に分かれてました。
写真の道を選ぶととこにどう通じるのかは、後ほどお伝えします。
夜も更けました。
まさに「ごきげんよう。さようなら」にて。(※念のため、朝ドラのセリフですので)