グンブロ広告
ビジネスライセンス料 3,000円/月
飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告 1,600円/月
お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2014年12月31日
1/11 高崎で「ダムネーション」 高校生以下タダだよ
久しぶりに今年は紅白を観ています。
というより、低いトーンでかけているだけですけれど…… さっきまでは、これから書き出す年賀状のことで、NTTリモートセンターに予約を入れて夕刻から、延々2時間半余、お世話になっていたのです。ですから、時折り、チラリ程度ですなのでしたけれど……
年賀状の名簿は古いビスタのパソコンにあり、しかも「筆王」なのですが、今、使っているwindow8、1に移行する作業をお願いしてきたのでした。こちらは富士通なので「筆ぐるめ」。パソコンはを買う時に、そこまで考えず、昨年は往生したものでした。しかも、ビスタはヨタヨタ状態。たちあげるだけでも大変。
昨日まで、「ダムネーション」の案内発送作業に忙殺状態。昨年に続き、2年続いての年明け早々の映画上映となりました。年末年始を挟んでのイベントは疲れ果てます。
こちらもまずは、チラシ作成・挨拶状をはじめとした文書作成➡簡易印刷➡宛名シール打ち出し➡最初は大口へのメール便➡期日と重量を考慮しての郵送作業などなど…… それにチラシを置いて下さる施設や店舗への依頼歩きなど、映画が総合芸術なら、こちらも多岐にわたります。
本日はさすがにダウン。まだ終わらないのですが、身体が言うこと利かずでやる気がおきません。
皆さん、是非、1/11、成人式の日、高崎市役所近く、高崎シテイギャラリー・コアホールへおでかけください。
高校生以下、無料です。
是非、お近くの小・中・高の子供さんたちに「タダだよ」って、声をかけてください。
映画は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの1935年9月30日のフーバーダム完成にあたっての喜びのあいさつから始まります。、アメリカの1933年に世界恐慌の対策として実施したニューディール政策の一環としてのテネシー川流域開発公社(略称: TVA)など、歴史の勉強になります。
というより、低いトーンでかけているだけですけれど…… さっきまでは、これから書き出す年賀状のことで、NTTリモートセンターに予約を入れて夕刻から、延々2時間半余、お世話になっていたのです。ですから、時折り、チラリ程度ですなのでしたけれど……
年賀状の名簿は古いビスタのパソコンにあり、しかも「筆王」なのですが、今、使っているwindow8、1に移行する作業をお願いしてきたのでした。こちらは富士通なので「筆ぐるめ」。パソコンはを買う時に、そこまで考えず、昨年は往生したものでした。しかも、ビスタはヨタヨタ状態。たちあげるだけでも大変。
昨日まで、「ダムネーション」の案内発送作業に忙殺状態。昨年に続き、2年続いての年明け早々の映画上映となりました。年末年始を挟んでのイベントは疲れ果てます。
こちらもまずは、チラシ作成・挨拶状をはじめとした文書作成➡簡易印刷➡宛名シール打ち出し➡最初は大口へのメール便➡期日と重量を考慮しての郵送作業などなど…… それにチラシを置いて下さる施設や店舗への依頼歩きなど、映画が総合芸術なら、こちらも多岐にわたります。
本日はさすがにダウン。まだ終わらないのですが、身体が言うこと利かずでやる気がおきません。
皆さん、是非、1/11、成人式の日、高崎市役所近く、高崎シテイギャラリー・コアホールへおでかけください。
高校生以下、無料です。
是非、お近くの小・中・高の子供さんたちに「タダだよ」って、声をかけてください。
映画は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの1935年9月30日のフーバーダム完成にあたっての喜びのあいさつから始まります。、アメリカの1933年に世界恐慌の対策として実施したニューディール政策の一環としてのテネシー川流域開発公社(略称: TVA)など、歴史の勉強になります。
2014年12月29日
2014年12月27日
確かに、私も聞いたよ。
こういう、スックリと立つ樹木をみると、心が引き締められさせられます。
伐採される木には、紅いリボンがつけられています。
その昔、中学二年生の私は、その年の夏休みの提出作品に啄木の「一握の砂」をズラーと写し、その後もノートに好きな詩なとを書き写して、暗誦するのが心密かな楽しみでした。そのいくつかは未だに口をついてでてくるのです。
こうした樹をみると、藤村の「ああ、雄々しきかな痛ましきかな 科の常盤木の落ちず枯れざる」の詩語が反射的にわいてきます。
本日の新聞報道は一斉に、昨日の、またせた割にはある意味での電劇的な発表であった「有害スラグ」問題を報じていました。
その中の一つの、現地の男性のコメント、「撤去は当然。国は当初、代替地に使っていないと言っていた。他にも使われたところはないのか徹底的に調査すべきだ」のくだりがありました。
私も聴きました。
しかも、八ッ場ダム工事事務所のスラグ担当者の課長から、直接でした。
時は12/5、13時。実は群馬県議会の「産業土木常任委員会」がある日で、傍聴に出かける前に、県議会に電話。産業と土木に分けて行い、「土木は週明けの8日の月曜日」とのことに、「よし、じゃ、国交省へ行こう」と。それこそ、電撃的でした。
この課長に直接、といたいことがあり、朝から電話をかけていたのでしたが、やはり、外出中。最近は、慣れてきたので「では、いつ頃もどりますか」とききましたら、昼には戻る予定との由。
じゃ、昼に戻る時にとこころづもりしていましたが、急な遠出なので、なにやかや、しかも車の故障もあり、12時半着。かえってこれが良かったのでした。
ロビーで待ち、ちょっと表にでようとした、その時、昼食からもどった担当課長にバッタリ。
その時に、ある発注問題をめぐって、見解をただした後、「でも、住民感情を逆なでしてますよ」と畳み込み、「だってそうじゃないですか。まるで追い立てられるように、しかも高額の坪単価をはらって、移転した先がスラグだらけだなんて」ということをまくしたてたものでした。
その時に「でも、代替地には、使ってませんから」と言い放ったのでした。「だって、地続きじゃないですか」とは返しましたが、この時、、これはたぶん、ウヤムヤにての幕引きかと感じたものでした。
で、その頃、記し、ある処へ送信。全てが後手後手で、年内掲載は全て埋まってしまっていて、年明けの号にてとなった草稿は短く伐採しなければなりませんでした。ですが、26日の「分析結果発表」の電撃発表で、全体のトーンが崩れてしまいました。
せめて、その末尾を以下に。
(小渕優子「みそぎ型」圧勝と同じく)スラグ問題もまた勝てば官軍の言葉通り、ウヤムヤなってしまうことだろう。それが保守王国群馬の体質であり、一連の処理法なのだ。
2014年12月26日
有害スラグ問題、基本的に撤去することで検討
有害スラグ問題に関する朗報です。
本日、ようやく国交省関東地方整備局は、大同特殊鋼「有害スラグ問題」について、分析の結果を記者発表し、有害物質の存在を認めました。八ッ場ダムに関しては、
「八ッ場ダム工事事務所の発注工事において、基準に定める基準値を超工事の施工箇所については、土地の所有者や関係機関の意向をふまえ、基本的に当該材料を撤去することで検討します」。
http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/kyoku_00000671.html
問題はどこまでの対策を講じるかで、今後も予断は許せませんが、願わくばも来年から始まる吾妻渓谷の発破工事が少しでも伸びてくれることです。現在、伐採作業中との由(※国道閉鎖にて市民は入れないので、昨日の八ッ場ダム工事事務所担当員の話です)
本日午後15時ちょっと前、群馬でこの問題発覚の端緒をつくられました方から連絡を戴きました。
(とっても、うれしいご連絡でしたのに、年明け号に掲載予定原稿の入稿直前でしたので、思わず「うわ、書き直さなきゃ」と言ってしまったものでした。「八ッ場も撤去するってあるんだから、よかったと思うけど」の言われて、はっとした次第です。
お忙しい中、わざわざお知らせ下されたご厚意に対して、あまりに自己勝手な非礼だったと、慌ててお詫びごとの呈でした。
実は地元からの情報をもとに11月末からあることを取材。12月初旬に下書き入稿。ようやく掲載OKになったばかりなのでした。
その過程で一昨日まで国交省関東地方整備のスラグ問題担当者に幾度となく、回答を求めて電話。いつも席を外していられるか、帰宅との由。で、腹立って、代わりの方に言ってもしたかないことだけれど、「いつまで、調査中なんですが、これじゃ、年越してしまうじゃないですか」と言ったばかり。また、施工業者の佐藤建設工業には取材依頼をし、本日までの回答を求めていたのでしたが、なんと一日早い昨日のうちに「現在国・県・市の調査中であり当社としてのご質問にお答えすることはご勘弁をお願い致します」の取材拒否のFAXをもらい、「調査中」と「取材拒否」のことを加えて、完全原稿で送ろうとした矢先でした。もしかしたら、内容が違ってきたので゜キャンセルかも)
【雪の打越代替地を望む】
本日、ようやく国交省関東地方整備局は、大同特殊鋼「有害スラグ問題」について、分析の結果を記者発表し、有害物質の存在を認めました。八ッ場ダムに関しては、
「八ッ場ダム工事事務所の発注工事において、基準に定める基準値を超工事の施工箇所については、土地の所有者や関係機関の意向をふまえ、基本的に当該材料を撤去することで検討します」。
http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/kyoku_00000671.html
問題はどこまでの対策を講じるかで、今後も予断は許せませんが、願わくばも来年から始まる吾妻渓谷の発破工事が少しでも伸びてくれることです。現在、伐採作業中との由(※国道閉鎖にて市民は入れないので、昨日の八ッ場ダム工事事務所担当員の話です)
本日午後15時ちょっと前、群馬でこの問題発覚の端緒をつくられました方から連絡を戴きました。
(とっても、うれしいご連絡でしたのに、年明け号に掲載予定原稿の入稿直前でしたので、思わず「うわ、書き直さなきゃ」と言ってしまったものでした。「八ッ場も撤去するってあるんだから、よかったと思うけど」の言われて、はっとした次第です。
お忙しい中、わざわざお知らせ下されたご厚意に対して、あまりに自己勝手な非礼だったと、慌ててお詫びごとの呈でした。
実は地元からの情報をもとに11月末からあることを取材。12月初旬に下書き入稿。ようやく掲載OKになったばかりなのでした。
その過程で一昨日まで国交省関東地方整備のスラグ問題担当者に幾度となく、回答を求めて電話。いつも席を外していられるか、帰宅との由。で、腹立って、代わりの方に言ってもしたかないことだけれど、「いつまで、調査中なんですが、これじゃ、年越してしまうじゃないですか」と言ったばかり。また、施工業者の佐藤建設工業には取材依頼をし、本日までの回答を求めていたのでしたが、なんと一日早い昨日のうちに「現在国・県・市の調査中であり当社としてのご質問にお答えすることはご勘弁をお願い致します」の取材拒否のFAXをもらい、「調査中」と「取材拒否」のことを加えて、完全原稿で送ろうとした矢先でした。もしかしたら、内容が違ってきたので゜キャンセルかも)
【雪の打越代替地を望む】
2014年12月25日
渓谷右岸の上方には、
打越代替地の東側、昨日ご案内した新設道路のすく゜右手の丘陵の雑木林の中には、遊歩道のような手すりが見え隠れしています。手前は川原湯地区の墓地です。
小蓬莱付近から、右岸の上方に新たに設置されていた遊歩道につながるなとの想いこみに基づく期待をこめて、のぼってみました。
ところが、この手すりは程なく終わりで拍子抜け。
そして、前方眼前には、写真のような光景が……
でも、結構急斜面の上、草に被われてましたので、左手に踏みしだかれた小道のような形跡があったので、まずは左手にそれて歩いていきました。
左手の尾根手前には、写真のような立入禁止。反射的にロープをくぐろうとして、前を見たら、斜面にしゃがみこんでいたお二人の男性と目が合ってしまいました。
写真の尾根沿いに、黒い直線上の線がみえますでしょうか。
ここにもモノレールが走ってました。で、そのモノレールを待っている方たちでした。
この尾根を越えれば、眼下にどのような景色が広がるのか、そしてみれば大体の位置がわかるかもしれないとの一心で、「ちょっとここ、入ってもいいでしょうか」と懇願してみました。けれど「キケンですから、止めた方が」と制されてしまいました。それでも、へこたれず「私、結構山歩きは大丈夫なんです」と食い下がってみましたけれど…… ダメでした。
トラブって本当に「立入禁止」となっては仕方ないので、その声の出ないうちにさっと右手に折れて、丘陵の上方に歩き出しました。
尾根まで何とか達して、見下ろしますと、急峻な谷間が広がってました。
引き返すときには些か往生。本当にもろい地層で、足場の悪く、滑り落ちてしまいそうになりました。2005年頃、吾妻渓谷右岸の小蓬莱前の辺りで、川面にそって下って行った際に、足場が悪く、捕まるものもない、とむいうより、捕まろうとするとその木も抜けてしまって、滑り落ちてしまいそうになったあの恐怖感が蘇りました。あの時は吾妻川の急流で、小蓬莱のカーブに差し掛かれば急流に巻き込まれてしまう危険がありましたけれど、今度は山の中。思い切って、お尻をついて滑り折りました。
そして、仕方なくまた、先ほどの立ち入り禁止のロープの前にさしかかりますと、以下のような作業風景に遭遇。またも興味津々。「何をなされているんですか」と。尾根伝いの地質調査がおわって、モノレールを解体しつつ、道路まで降りていくのだそうでした。なるほど合理的な作業と思えました。結果について問うと、「私達には判りません」とのことでした。
2014年12月24日
道路という道路を沈めて、なお作られる道路なり
写真は打越代替地の最も東側、吾妻峡トンネルの左手の山を崩して、ダム堤上に通じる工事用進入路の工事風景です。
予定では12/11までとなっていたので、尋ねると約1か月後の1/16まで延長になるとのことでした。
写真の先にみえるユンボのあるところまでが舗装道路となり、そこか先のダム堤までは橋をかけるそうです。
通例の進入路と同じように工事が終わっても水没したり壊したりせず、打越代替地からダム堤への道として残るようです。将来的には要望があれば、ダム観光用道路としても使用されるかもしれないとのことで、「良かったですね、せっかく造られた道路が、沈んでしまうなんて寂しいですものね」と思わず口にしてしまいした。
道路の舗装はさらに法面のコンクリート壁土台までの高さになるそうです。そうそう、路盤材など三層になっているのは、かの有害スラグでまなびましたっけ。
下の写真は、この工事用進入路的に新設された道路の川側に設置された、山の中のモノレールといったらよいのでしょうか。地滑り調査の際に設置されていたのを林地区で目にして以来でしたが、今回のはみていても何とも怖い感じになります。もし、谷底に転落すれば命にかかわるものと容易に判断できる状況にありました。吾妻川上の岩盤調査のようでした。
近くの駐車場脇に設営された、下の写真の日特という会社の下請けの会社の方のようで、この日が初仕事とのことでした。
2014年12月23日
市民の入れぬ吾妻渓谷・仮締切工事は完成の由
22日に閉鎖された川原湯郵便局側から、駅方向を望んだものです。遠くに川原湯温泉の歓迎アーチがあります。
ここでの通行止めが写真のように、少し柔らかい柵になりました。鍵は厳重にかっています。
去る12/4の本欄で、いわゆる手軽に動かせる「ウマ」なる、立入禁止の柵であっことを記しました。場所によってことなる不公平な処置について憤慨口調にてお伝えしましたが、なんとここは強固になり、逆に上湯原のイジワルな鉄製のガードレール状の柵は撤去され、写真のと同じになりました。
※なお、この「国道閉鎖」の柵についての3回の記事は、ある事情にて削除をもとめられ、結局3回分とも削除にしてあります。
思うに、恣意的かつ浅い内容に徹しております本欄も、少なからず現状打開策になったようでした。
さて、この柵の右手に、仮締切工事を行い、ダム本体予定地にあった「岩田地崎建設株式会社・東京支店」(本社:札幌市)が移転してきたことは前にお伝えしました。
で、去る12/10に記した、仮締切堤体上に落ちていた沢筋のことで、久々に事務所にオジャマさせていただきました。工事ごとに詳細な地図と図面をもっているものと踏んだからでした。
初めての方が対応してくれました。もう、身元が割れてしまっているようです。
①沢の名前は地図にはない。
②「白糸の滝」と「栃洞の滝」の間の沢は、2本だと記憶している。
→「では、確かめてください」と頼むと、
③「もう、工事はほぼ完了していて、行かない」との由。
沢の形態がどうなっていたのか、本当に仮締切工事は終了しているのかどうかも、もはや、「立ち入り禁止」としてしまって、市民には確かめようがありません。なぜ、もっと早くにとのことはわかりますが、生活に追われながら大本営発表に基づく限られた資料の中で、懸命に活動する市民運動には限界もあります。
ともかく、こんないい加減な環境調査で、天下の景勝地、我妻渓谷をつぶしてしまう無謀な工事が、続々と行われているのです。来年度からはダム堤建設現場でダイナマイトによる発破工事も始まる由。本物の位置にある「栃洞の滝」も壊滅状態になります
最後に、郵便局の裏手でおこなわれている、地滑りの観測。
10月の本欄で紹介した、現在国道閉鎖にともなう上流区間の上湯原橋やや進行方向の林地区の道路沿いでの調査が、初調査でした。以来3カ月。当時の本欄をみれば、期間がわかるのですが…… これで仕事収めでしようか?
調査結果は、スラグ問題とおなじように「迷宮入り」にさせて欲しくないものです。
2014年12月22日
川原湯郵便局閉鎖。ポスト撤去作業取材記の顛末
川原湯郵便局は今日が以後。
24日からは、打越代替地での新設された県道林岩下線に面した場所のプレハブ局での再開だそうでした。
17時、中之条局の職員さんお二人が見えて、いよいよポストの回収作業となりました。しかし、最後の一本のボルトが外れず、特別なナットらしく、ずらりと並んだ大きな工具箱にもなく、結局お一人の方が長野原郵便局まで工具をかりにいくことに。それはそうですねと得心。余りに簡単に外れたら、大変なものですよね。こういう類の容器は。今夜のうちに撤去ておかなければならないのだそうです
残っていたのは当方のみ。
?スクープものデス。ゆうに30分はかかるけれど、こうなると、最後の撤去まで撮っておこうと思えてきました。。
でも、もう辺りは暗やみ。後、府県のお宅によって行かなければならないのでしたけれど…… しかも、国道閉鎖にともなって雪道の狭い急傾斜の上り下り。
その間。残った職員さんは、ずっと努力されてました。車の中で雑然とした書類を片づけている耳元に、「取れましたよ~」との声。なんと、ゆすっているうちにナットが緩んできて、手で容易にまわせたのだそうでした。
そして、お一人で取り外した決定的瞬間が、上の写真。
「まって、もう1枚」との声に、思いのを支え続けてくだされ、ポーズを撮ってくだされた職員さん、ありがとう。
そこへ戻ってみえたもう一人の方に「重いんだよ~」とおっしゃられて、二人でかついで車につまれる際にも、そのことに気がつかず、今、記しながら、「重たい思いさせて、悪いことしたな」と気がついた次第です。
さて、18時近く、新川原湯温泉駅方面に向かう途中で、偶然ある方の姿をみて、車を降りて用件を伝え、車に―乗ろうとした途端、一面の氷の路面に気が付かず、転んでしまいました。想いきり、腰を打って…… 「骨、折ったかい」の声に「折らないけれど、痛くて。しばらく立てないから、ここにいるけれど、どうぞ、もう家に入ってください」と伝え、しばし休んでましたけれど……
次のお宅に向かう途中、ハンドルを握る左手の甲がネバネバすると思ったら、血が流れていて、それも結構な量で。
玄関を開け、「〇〇さん処で転んじゃって」と言うと、ご夫婦で「ダメだよ。こんな時間に。早く、帰ぇんなぁ」と叱られました。
でも、もう1軒。あることが延び延びになっていた、あるお宅にと病む腰に手を当てながら、車にのってむかったけれど、国道閉鎖に伴う廻り道に往生。やめようかと電話を。話しているうちに、その方はまだ帰宅途中らしく、どうやら近場にいるらしいのでした。「転んだ」と伝えたので、車ごと事故ったと思われたらしく、救出にUターンさされようとして停止してくださされたのだそうでした。確かに交差点のある場所に停止中の車のライトが見えました。で、ライトを点滅させて、わが位置をお知らせし、ドッキング。ここでは夜の闇が効果的な作用を果たしてくれました。
お陰様で、用件が済んで、そのまま帰宅の途に。
それにしても、家並みのなくなった地域の寂しさはひとしおな感があります。
今現在もまだ左半身にしびれ感があり、少し痛いけれど、分厚な臀部を打ったので良かったです。
実は左の肋骨の同じ処を、この春以来、ご丁寧に三回ヒビを入れてしまって、三回目は医者にも行かずようやく最近痛みが取れたところだったのです。整形外科では「ヒビ」でも、「骨折」というそうで、「響きがずいぶん異なりますよね」と言ってしまいましたけれど。
少し腫れた左手の手の平の鈍い痛みかばいながら、パソコンを打ってます。凍った地面の衝撃力はすごいものがあることを思い知ってます。
2014年12月18日
仮締切上におちる沢は「栃洞の滝」ではなく、名称不明
「訂正・お詫びごと」です。
この春より、仮締切上におちる右岸からの沢水について、「栃洞の滝」と記してしまいました。が、これはミスです。
自身で気がつきました先月以来、訂正するのにではこの筋の正しい名称はと調べて参りましたが、現在まで不明で、おそらく「名称はなし」ということだろうというのが、この間、お尋ねしてきた方々の共通のご意見でした。
「白糸の滝」と「栃洞の滝」の間には、三本の沢があり、そのうちの2番目と3番目の沢は、細いYの字状にほぼ合流して吾妻川、今は仮締切上に注いでるのです。
急かれるままに安易な記述をしてしまった不明と「孫引き」の怖さを、判明以来ずっと実感。
間違えました本欄の該当記述の冒頭には、大きな文字にて「ミスと謝罪」を12/1付で記してあります。拙い小欄ながら、当方もしでかしてしまった安易な「孫引き」など、次の余波に到らないことを祈りつつ、つつしんでおわび致します。
皆様、よくご存じのように実際の「栃洞の滝」はもっと下流で、小蓬莱の右岸やや上流、本体工事のほぼ真横に位置します。
つまり、破壊されてしまうのです。無惨でなりませんが……
原因を考えてみますと、
①「ダム工事でつぶされてしまうという滝」という認識が根底にあり、右岸散策の記憶をもとに、ブログアップの際、時間をかけて沢筋の名称を確認せずに、取り急ぎ手元のパンフ類をみたようにも思います。
② パンフや刊行物、看板類、左岸に設置された堅固な案内板にも、右岸上流より「白糸の滝」と「栃洞の滝」の2つしか記名されておらず、沢筋の記述は皆無でした。「白糸の滝」の次の滝名を安易に記してしまったのかも…… 仮締切上に落ちる水はかなりの水量でしたので「名 のある」ものと思いこんでしまってました。
➂ 何よりも、右岸は昨年秋より「立入禁止」。対岸の左岸から臨むだけですが、殆ど車は止められず、いつも時間に急かれるままに通過。きちんと位置確認はできませんでした。
右岸遊歩道は通常、40分。駆け足に近い形で歩いても20分はかかります。お恥ずかしながら現地訪問は何百回にも及んでま すが、殆どが急ぎ足の工事現場や個人のおへのお邪魔にて消耗。足を踏み入れたのは二桁に満たないのです。それもほとんどがご案内役 の忙しないタイムキーパー役でした。いつでも歩けるという思いがあり、こんなに早く「立入禁止」になってしまうとは思ってもいませんてでした。
④また同様にして、この周辺のことを記した方々の文章や団体の記述も混同していられました。それを鵜呑みにして孫引きしてしまった可能性も否めません。
現時点での限られた時間内での調査に基づく、最初の混同記事は、おそらく以下の方の記述ではないかと推察しています(但し、私は直接この記事観てはおりませんが……)
⑴2008/11/07のYという方の仮締切工事現場の写真キャプション上の断定記事と、本文の「現在は、ダム本体工事の準備工事として仮排水トンネル工事が栃洞の滝付近で始まった」との記述。
⑵さらに2014/04/29のある団体にも「川の流れを遮っている石垣が丸見えになりました。石垣のすぐ下流域に栃洞の滝があります」などと、仮締切頭上に落ちる水は「栃洞の滝」と、以後も同種の記述がありました。
この間
➀『長野原町誌(上下巻)』
②各種文献 ③識者の方3名 ④地元の方4名 ⑤役場観光課 ⑥教育委員会にお聴きしました。いずれも不明で、「沢は冬場は涸れから、名前なんかないと思うよ」というようなご意見でした。
現在⑦八ッ場ダム工事事務所/関東地方整備局にも問合中。理由は➀国には工事に伴う綿密な地形図があるはず②12月県議会に「最新の環境影響評価実施」の請願を提出した際、なんと「実施済み」との回答にて「不採択」となった経緯があり、その真偽確認をも含めてです。
【わかったこと】
➀かつて「長野原新聞」というミニ新聞が、「スズキ ヒロオ」さんとおっしゃ方が発行されていて、この方が書かれた小説中で「毒水沢」と書かれていたのを記憶されているとのご証言を得られました。が、小説ですし、「毒水沢」の名前にも違和感がありますので、信憑性にかけるのではと目下、判断しています。
②ある地質研究者の方の丹念なご調査によれば、「250000分の一」の地図には、「沢筋が一本に集約されていて、ミスである」との貴重なお話を伺えました。こちらは信じられます。
③「栃洞の滝」の読み方ですが、「トチボラ」と通例、聴いてきたように読んで参りました。が、調査過程で、地元の研究者・浦野安孫さんの『吾妻渓谷見て歩き』(2014/2上毛新聞社刊)には、「トチドウ」のルビがあり、裏表紙には秋の「栃洞の滝」の雄姿が掲載されてます。
④「長野原町誌」の下巻には、「栃螺沢」の名前がありましたが、関連性については記述されてませんでした。
読み方や文字に関連しては、「往々にして、元来名称はなかったが、その後、定着したもの」とのご意見もありました。
例:金花山と金鶏山など。(実は、『ダムを造らない社会へ』(2013年2月 新泉社刊)のゲラ段階で編集者から、ある後先輩は「金花山」、拙稿では「金鶏山」となっているが、どちらなのか、統一したいとの問い合わせがありました。で「金花山」で結構とお伝えしましたが、川原湯の古老の方々の書籍や古い地図には「金鶏山」だけれど、国交省は最近「金花山」を使っている旨を添えさせて戴いたものでした。
この仮締切堤体の上に落ちる無名の沢筋の、冬場も涸れないのに名前一つない不思議さと、水没させられる、というより、川幅を広げめには破壊されてしまう、哀れな運命に突き動かされてなりません。
最後に、多くの観光客を魅了してきた、これだけの滝をつぶす、破壊型・八ッ場ダム工事の愚かさをかみしめています。夏場の写真です。
2014年12月11日
これで消防車が入れるか! もしもの時責任とれるか 国道封鎖措置その①上湯原
写真を観てください。
土台が鉄製の、とりわけ重たい大きなガードレールです。
道幅一杯、しかもこの小さな橋の両端にご丁寧にも2カ所も。
罪人の幽閉でもあるまいし、この措置には気持ちが圧されて、心が折れてしまうのは当たり前です。
今夏には早くも収用法をちらつかせた国交省。この執拗な嫌がらせをする魂胆は、音をあげさせて一刻も早く転出させることにあろうことは、明らかなのですが……
国道側から撮った次の写真の、橋の奥に屋根が見え隠れする屋根がTさん宅です。町の要職を多年に亘り務められてきた、大農家です。
これで、消防車が入れるか! 人道問題だぞ!!
12月8日、県議会・産業土木常任委で、4軒の未移転者宅から旧国道への出入り口には、写真のような堅固な柵が設置されたことに関連して、「もしも緊急の際、救急車や消防車はどうに入るのか」との質問がだされました。
こともあろうに、平然として県は「消防車には鍵を渡してある」との答えを繰り出したのでした。
傍聴にて聞いた、あきれ果てたこの報告をすると、Tさんは、「鍵のかかっているのは上下入口の旧国道だけだ。そこから、門口までの鉄製のあの重たい柵は動かせるものではない」と言い、落胆の度を増されたものでした。
もともとは国側がダムには適さない危険地帯への代替地造成が遅れていたことが原因なのでした。
Tさんたちは県への陳情、国・県・町との閉鎖延期の話し合いましたが、ことごとく国と権の強固な態度に決裂させられたのでした。
目の前の旧国道には出られず、上方の付替え国道に出るには約10倍の距離にもあたる細い急坂を上下しなければならなくなり、凍てつく冬場を迎え難儀しています。
11月18日の145号の国道閉鎖以来、約20日間経た昨今、Tさんは精神的にもほとほと疲れ果て、農作業も出来ない状態に陥ったと口説かれています。
国家権力とは、ここまでの強権で、人権無視をするものなのでしょうか?
まさに、国策という名の犯罪行為です。
2014年12月10日
小渕優子・生還救出作戦型とも名づけたい今選挙
今朝の報道では、群馬では「自民が全区で当選」との見方が報道された。なかでも五区の小渕さんは、かってない圧勝かと予測されている始末。なんと情けない県なのだろう。
つくづく小選挙制の弊害を感じる。故・土井たか子さんははじめとした社民党以下野党は、その昔、小選挙区制導入の際に、身を挺して「大変なことになる」と猛反対したものだった。土井さんのある識者の追悼の言葉にて、あらためて蘇った。
身勝手に解散され、野党筋は準備ができないままの負け戦。むざむざともたらされた自民党圧勝を経ての長期政権樹立下、この国は本当に恐ろしいことになっていく。
小渕さんの罪科もスラグのことも、なにもかもなし崩しにしようとしているのが、ミエミエとなってきた。
「小渕優子・生還救出作戦総選挙」とでも命名したくなるモラルなき今般の総選挙。
出馬すべきではなかったのに、臆面もなく出馬。
本来ならば、道義的責任にて、自粛すべき立場であったろう。
大量得点で勝ち誇っても、ミソギとやらが消えたわけではない。終わったなどと思ったら大間違い。
何よりも二人の子供さんの教育上、よくないと感じる。子供は親の背中をみて育つものだと言われている。子供をうみ育てる親は、常に次世代への透徹したまなざしにて、先々の日をも見つめるべきである。ために自分の背筋はシャッキリとしておかなければなるまいに、
テレビの政見放送末尾で、(多額の献金の入る)「八ッ場ダムの早期完成をめざします」と熱もなく、無表情に紋切り型で話す小渕さん。
八場の現実がどんなものなのか、一度でもじっくりと歩かれたことがあるのだろうか?
心して歩かれれば、自然界の息遣いが聞こえ、何が善なのか、おのつど会得され、我が子の未来のために平然と献金などをもらってはいられないだろうに。
今も今後も、小渕優子、その人が率いる、絶望的な群馬5区の節操ない未来図。
今日も現地へ行ってたきたが、知られざる水没民いじめの現実が根をはっていた。
建設地での差別構造はさらに激化し、生き苦しい締め付けが飽くことなく横行することだろう。
つくづく小選挙制の弊害を感じる。故・土井たか子さんははじめとした社民党以下野党は、その昔、小選挙区制導入の際に、身を挺して「大変なことになる」と猛反対したものだった。土井さんのある識者の追悼の言葉にて、あらためて蘇った。
身勝手に解散され、野党筋は準備ができないままの負け戦。むざむざともたらされた自民党圧勝を経ての長期政権樹立下、この国は本当に恐ろしいことになっていく。
小渕さんの罪科もスラグのことも、なにもかもなし崩しにしようとしているのが、ミエミエとなってきた。
「小渕優子・生還救出作戦総選挙」とでも命名したくなるモラルなき今般の総選挙。
出馬すべきではなかったのに、臆面もなく出馬。
本来ならば、道義的責任にて、自粛すべき立場であったろう。
大量得点で勝ち誇っても、ミソギとやらが消えたわけではない。終わったなどと思ったら大間違い。
何よりも二人の子供さんの教育上、よくないと感じる。子供は親の背中をみて育つものだと言われている。子供をうみ育てる親は、常に次世代への透徹したまなざしにて、先々の日をも見つめるべきである。ために自分の背筋はシャッキリとしておかなければなるまいに、
テレビの政見放送末尾で、(多額の献金の入る)「八ッ場ダムの早期完成をめざします」と熱もなく、無表情に紋切り型で話す小渕さん。
八場の現実がどんなものなのか、一度でもじっくりと歩かれたことがあるのだろうか?
心して歩かれれば、自然界の息遣いが聞こえ、何が善なのか、おのつど会得され、我が子の未来のために平然と献金などをもらってはいられないだろうに。
今も今後も、小渕優子、その人が率いる、絶望的な群馬5区の節操ない未来図。
今日も現地へ行ってたきたが、知られざる水没民いじめの現実が根をはっていた。
建設地での差別構造はさらに激化し、生き苦しい締め付けが飽くことなく横行することだろう。
2014年12月08日
請願、もちろん、不採択
写真は吾妻渓谷沿いのジャングル状の景観ながら、本日の記述とは関係なし。
本日は、県議会産業土木常任委員会の二日目、土木に関する委員会でした。
「付託議案の概要・内容」説明から始まり№7の、委員一人一人が執行部に対して質問する「所管事項の質疑」の半ばで昼に。
私たち傍聴人にわたされめのき、「次第」のみ、朝10時~12時まで、県側が読み上げるのをじっと聴いていても、殆ど理解できず。質疑に入っての応答で少し、全容がわかるということにはなれはしたものの……
13時再開。
そして、いよいよ№9の、「請願の審査」。
継続審査、一件と新規4件が提出されてました。
提出日夕刻に出した当会の請願は、予想していた通りの最後の4件目。
もちろん、予想通りの6対2にて、「不採択」。
まず、特定ダム対策課長が、本欄11/24にアップした請願書を読み上げました。その前の3軒の請願には、あまり、説明事項はなかったかと記憶してましたが、要らずもがなの次の説明事項を加えてくれました。
筆記がまにあわず、ノートに記した単語を記憶をもとにつなげてみましたが…… 正確なものではありません。
提出者には、きちんとした文章による回答がくるものだったでしようか? 以下の説明文のテープ起こしした文言が欲しいです。
➀52年以来、国は、環境問題の調査を行ってきた。
②??完了への配慮が必要
平成11年に基づく環境影響評価は実施ずみと、事業者から聴いている。
③(ダム堤建設の位置は)文化財保護の観点から、600㍍上流に移動したので、八丁暗がりなどは残ることになった。
④全体の四分の三は残る。
もちろん、一つ一つへの反論がありますが、まぁ、「不採択」を覚悟の提出で、後につなげる一種のセレモニーと心得てますので、もちろん、何ら落胆はありません。
まぁ、「吾妻渓谷は残る」➡「四分の三は残る」➡四分の一は沈むことが公に活字になりました。沈む箇所はハイライトの部分です。しかも、八丁暗がりの生態系は確実に崩れることもおのづと位置づけてくだされました。
今晩はまだしなければならないことが迫ってまして、詳しく記せませんが、いずれ、この全文を何らかの形で手にして、一言一句について、検証を試みたいと心得ています。
タグ :八ッ場ダム
2014年12月07日
橋の下にはドラマあり
5日午後の2号橋上から撮った、上湯原橋の閉鎖中の風景です。
そして、ここには現在進行中の複数のドラマがあります。熱に駆られて、寒風の中、夕刻まで走り回った次第です。
夕刻訪れたお宅で戴いた甘酒は、酔わないようにとの奥さんのご配慮でかなり薄かったけれど、心がふっくらとしました。
これらの心優しい人情の息づく長野原町を壊した、憎みて憎みある八ッ場ダム建設め!!
2014年12月06日
12/5、八ッ場の諸工事風景
本日は、吾妻一帯には粉雪が舞ったようでした。
夕刻、久しぶりにお邪魔した横壁では、慣れたお宅でも午前中はめんくらったとのことでした。
スノータイヤもつけていないのに、まだ大丈夫だろうと乗り入れた上の写真の榛名山頂付近では、往生。対向車の来ないことを祈りつつこわごわノロノロ運転。やっと通過。ほっとしてこの日、最初に収めた写真でした。
湖畔を通り過ぎると、今度は写真のような雪道が展開。下方にいくにつれ、雪が消えていて助かりました。
でも、吾妻路には雪がなかったものの榛名山を下りた地点で、なんと車がガタガタとしてストップ。
行きつけの修理屋さんに電話し、景気のランプの状態と幸いエンジンがかかることを伝えると、赤色ランプでなければ、まだ走れるとの由にて、そのまま目的地へ。
でも、その後、すこぶる快調。何とか目的を達した上に想わぬ収穫が多々ありました。
本来ならば本日5日は、請願を出しておいた県議会・産業土木常任委員会の傍聴なのでしたが、朝、県議会にら電話して伺うと、土木は月曜日になると判明。そこで、急きょ、電話ではラチがあかなかった八ッ場ダム工事事務所へ直撃直行。
想定外の雪道と先の車の故障で多少、予定が遅れて気をもんだけれど、かえって首尾よし。
八ッ場の神様に守られた一日でした。
※アップもせずに、昨晩、居眠りしてしまいました。
で、表題とことなりますが、ここまででアップ。
タグ :八ッ場ダム
2014年12月04日
見よ、この強権発動。吾妻線レール解体工事中
久しぶりに登った、小蓬莱からの展望です。
これではまるで、まさに工事現場。
右手の線路のレールを剥がしているのがお分かりになりますでしょうか?
遠く、仮締切の堤体には、聴いていた通りに国道から工事車両が入り、工事短縮に一翼を担っています。
ショックでした。
そして、ここからの眺望も、しばらくは正式にはご法度。
疑問視されていた大型公共事業を軒並み、復活させた現政権。
そして、そこから入る献金などにて潤う自民党政権。
お見事な錬金術としかいえません。
❝小渕優子生還作戦総選挙❞とも命名したい、今般の解散総選挙により、数的に足固めをして、今後も、次々と問答いわずの、へんてこりんかつ理不尽な強権を繰り出し続けることでしょう。
現実に、一般国民の誰が、アベノミクスとやらの一人よがりの政策で、生活が楽になったといっているだろうか?
結果的には、私たち一般国民を追い込む結果になった、なりつつあることは明らか。
だが、いつまでもいいなりにはなっていない。
ただし、吾妻渓谷も八ッ場一帯の景観も、アンタ方だけのものではないぞ。
この吾妻渓谷破壊工事が、先々の日、どんな顛末になるか!!
それにしても、、長野原町の方々の無気力さが何ともふがいない限りだ。
群馬五区。選挙にしても、あれだけの騒ぎをした小渕優子をまたも、最高点で上げることだろう。
2014年12月03日
あなどるな! 国道閉鎖に伴う分断差別構造、浮かび上がる
30日、最後の吾妻渓谷を、暮色ただようどころか、17時半まで暗やみの旧145号線を独りで歩いてきました。
久しぶりに一万歩以上、距離数約7㌔のミニトリップでした。
お陰様で大収穫。でも「今は言うまいぞ 言うまいぞ」と狂言口調にて自戒しています。
写真は、東吾妻町の渓谷沿いに設置された看板。
写真右手、国道沿いに人家もあるので、ここまでは車が進入でき、最初の通行止めの道路半分は通れたので、ここまで、猛スピードできた車があったけれど、仕方なくUターンしていた。
帰途の暗やみの中、道路沿いのお宅の灯りがともり、家の中から家人がでてみえたので、東吾妻町の施策の寛大さを再認識した次第です。
明暗をなす、二つの町の対応の差、ひとえに、これは町長さんの資質と実力の差のなせる技なのでしょうか?
さて、こんな関連事実が浮上。
上の写真のように、 国道閉鎖問題に絡んで、東吾妻町は個々人の事情に即した緩和策を講じていのに、長野原町では通行証も与えず、、問答無用の閉鎖を行った
が、やはり一部には通行証を発行していた事実が明るみに出た。こんなこと、狭い区内ですぐにわかるだろうにね。
そこで、水没地内を巧みに分断した後、孤立させ、収用法をちらつかせて追い出す、国交省のお決まりコースの果ての魂胆がミエミエになりました。
国道、旧145号線閉鎖→廃道のために難儀しているあるお宅に、数日前、ある公的任務の職員がみえたそうな。
ご苦労をねぎらうと、なんと、この職員さん、通行証をお持ちとのことが判明。
調べてみれば、埋蔵文化財の発掘関係者など、水没地内での作業関連者には「通行手形あり」なんでした。
なお、川原湯地域は、埋蔵文化財の試掘が遅れていて、これから取り掛かる由(※このことについても、夏以来の面白い事実経過賀るのですけれど、ここで記すと拡散してしまうので後日にご披露させて戴きます)。
62年間に亘り、犠牲を強い続け、しかも、「強酸性とスラグによる代替地整備の遅れ」という土地に、運悪く遭遇してしまったために代替地移転が遅れてしまってきた水没世帯には、「通行証発行」を聞き入れなかったのだ。、
国と権の不手際によるもの以外の何物でもない。
国家権力の乱用である。というより、むしろ、生存権を犯す犯罪行為だ。
その意図は、明瞭。
一刻も早く、難儀に往生して、町外移転を狙う魂胆だ。
一寸の虫にも五分の魂。
フランス革命をはじめとした意識変革のすべてが、この一寸の虫が塊となった、民衆の蜂起だ。
久しぶりに一万歩以上、距離数約7㌔のミニトリップでした。
お陰様で大収穫。でも「今は言うまいぞ 言うまいぞ」と狂言口調にて自戒しています。
写真は、東吾妻町の渓谷沿いに設置された看板。
写真右手、国道沿いに人家もあるので、ここまでは車が進入でき、最初の通行止めの道路半分は通れたので、ここまで、猛スピードできた車があったけれど、仕方なくUターンしていた。
帰途の暗やみの中、道路沿いのお宅の灯りがともり、家の中から家人がでてみえたので、東吾妻町の施策の寛大さを再認識した次第です。
明暗をなす、二つの町の対応の差、ひとえに、これは町長さんの資質と実力の差のなせる技なのでしょうか?
さて、こんな関連事実が浮上。
上の写真のように、 国道閉鎖問題に絡んで、東吾妻町は個々人の事情に即した緩和策を講じていのに、長野原町では通行証も与えず、、問答無用の閉鎖を行った
が、やはり一部には通行証を発行していた事実が明るみに出た。こんなこと、狭い区内ですぐにわかるだろうにね。
そこで、水没地内を巧みに分断した後、孤立させ、収用法をちらつかせて追い出す、国交省のお決まりコースの果ての魂胆がミエミエになりました。
国道、旧145号線閉鎖→廃道のために難儀しているあるお宅に、数日前、ある公的任務の職員がみえたそうな。
ご苦労をねぎらうと、なんと、この職員さん、通行証をお持ちとのことが判明。
調べてみれば、埋蔵文化財の発掘関係者など、水没地内での作業関連者には「通行手形あり」なんでした。
なお、川原湯地域は、埋蔵文化財の試掘が遅れていて、これから取り掛かる由(※このことについても、夏以来の面白い事実経過賀るのですけれど、ここで記すと拡散してしまうので後日にご披露させて戴きます)。
62年間に亘り、犠牲を強い続け、しかも、「強酸性とスラグによる代替地整備の遅れ」という土地に、運悪く遭遇してしまったために代替地移転が遅れてしまってきた水没世帯には、「通行証発行」を聞き入れなかったのだ。、
国と権の不手際によるもの以外の何物でもない。
国家権力の乱用である。というより、むしろ、生存権を犯す犯罪行為だ。
その意図は、明瞭。
一刻も早く、難儀に往生して、町外移転を狙う魂胆だ。
一寸の虫にも五分の魂。
フランス革命をはじめとした意識変革のすべてが、この一寸の虫が塊となった、民衆の蜂起だ。