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2012年01月30日

その三 抗議書転載  大沢群馬県知事宛て




 大沢知事さん、名称・吾妻渓谷をだいなしにしてまで、造らねばならないダムですか? 


                                   2012年1月9日
群馬県知事・大沢正明様             
             新春にみんなで考える八ッ場ダム「討論・抗議集会」一同
                        連絡先:(ST0P八ッ場ダム・市民ネット)
               
     鶴まう県の、ダム建設認識への後進性に抗議する 
 
 慣れ親しんだ上毛カルタの「つる舞うかたち」の札。カルタ大会で、この「つ」の字がとれた時の誇らしさは誰しも、この県への思いいれとともに、時経ても忘れられないものがあります。ちょっぴり太っちょの鶴の形の、その尾羽の辺りに59年間翻弄され、自然界を切り刻まれた、瀕死に近い八ッ場の地はあります。
ダム建設は、原発とならぶ国策に他ならず、人心を翻弄し強く締付けて参りました。
 とりわけ八ッ場は最悪の政治ダムです。
 “環境の世紀”とも言われます今世紀、これ以上の自然破壊は、犯罪行為です。

 知事の任務とは先々への透徹したまなざしにて、この豊かな群馬の大地を守り、心安らぐ県民生活の資質向上への公平な舵とりにあるのではないでしょうか?
 この間の知事の言動は、積極的本質的に(現在は批判をうけ離党なされたようですが)、かつての「自民党員」の本性丸だしの行動と発言を繰り出されてはいませんか?
 ちなみに現地の若手住民は、時代錯誤のダム依存の町づくりは望んでいませんし、推進派と結託した知事の姿を苦々しく見つめていますことをお伝えいたします。

 去る2010年2月24日の国土交通委員会での群馬県自民党議員団への献金問題は、もうお忘れでしょうか。県選出の自民党国会議員は全て2世議員たち。この錬金術を練り上げた福田赳夫元総理の親の世代から、八ッ場ダム関連の献金を手にしています。ために地元では“福田ダム”と呼ばれるゆえんです。
 ダム反対論攻撃の怪気炎を挙げている小渕優子議員に違和感を覚える県民も少なからずいますことも、県政の長としてご承知おき下さい。
 しかも、県議会の八ッ場ダム問題での自民党県議の一部議員は、野次をとばすことが県議の実力と心得ていらっしゃるようで、傍聴していても怒りがわいてなりません。

一、八ッ場ダムは不要かつ危険です。活火山浅間山があり、大量のヒ素があります。
一、県独自の安全性への検証体制の整備を早急にお願いします。
  その際、いわゆる“ご用学者”の類は起用しないでください。
一、政官財癒着の馴れあい政治の下請け機関の県政はもうゴメンです。
一、建設を止め、ダム建設予定地は、尾瀬につぐ一大自然保護区にしてください。
一、ダム経費は、尾瀬保護区につながる福島県等に友好の証として廻すべきです。

 残念ながら、前田大臣歓迎の22日夜の知事、一部賛成町民と県職員の姿は、保守王国・群馬の旧態依然たる姿勢をさらに色濃く全国、否、世界的に発信してしまいました。

 既に、知事がモットーとされてこられたらしい「大きいことが良いことだ」の時代は去りました。真の県政は、県民一人一人の心を自由に、かの鶴のごとく青空に羽ばたかせるものです。これらの基本的な論理がおわかりにならない大沢知事の猛省を求め、八ッ場ダム続行への抗議書とします。                   以上、決議す
  


Posted by やんばちゃん at 18:15Comments(0)八ッ場だより

2012年01月29日

その二 抗議書転載  前田国交大臣宛て



【雪にけむる一号橋 総額52億円】

【前田国交大臣宛】
...............................
                                2012年1月9日
国土交通省・前田武志国交相様
                  新春にみんなで考える八ッ場ダム「討論・抗議集会」一同
                            連絡先:(ST0P八ッ場ダム・市民ネット)       

  「国交相の良心」とやらに抗議し、辞任を求む  
 
 前田大臣、今般の一連の検証過程と負の遺産作りへの数々の詐術を断じて容認はできません。このペテン劇の踊らされた主役を演じられた大臣の責任を問い、即刻辞任を求めます。国交省の多くの愚策に気がつかれ、最後は理性的な判断をなされるだろうと信じておりました。が、まったく裏切られました。許しがたい国民への背信行為です。
 ゆるぎない既成事実づくりのためのその夜のうちの現地地入りなど、民主党員でありながらマニフェストの理念を逸脱、前政権党でもさすがにしなかったであろう22日のペテン的クーデェターを操り人形の如く、官僚の意のままになされたのですから……
 一部の踊らされてきた地元民と行政職の拍手に迎えられ、推進団体に「英断・快挙」と称えられることは、むしろ、恥辱と心得るべきでしょう。
 にもかかわらず、12/27の会見時の「国交相の良心」とは、笑止千万の絶句もの!
 恐らく、あなたのなされた愚挙は、永久に歴史に名を刻むことでしょう。
 再三にわたった市民団体や、良心的学識者からの切実な訴えを無視。密室においての官僚作成のシナリオ通りに演じてしまった罪は大きく、以下の私たちの要望を実施しない限り、もはや「政治家の良心」の名において採られるべき道は即刻の辞任しかありません。
 一、八ッ場ダム建設の継続を撤回。選挙前の公約したマニフェストの原点に戻ること。
 一、建設現地の活火山浅間山の直近下の地形。脆弱な土壌。吾妻川上流の温泉、鉱山
による強酸性水。それに伴い発生するヒ素問題など、枚挙に暇がないほどの危険性により、未来永劫、断じて造ってはならないダムであることの再認識。
 一、「最初にダムありき」のもとに関東地整が行ったでっち上げダマシの手口の再検証。
 ①有識者会議等一連の御用学者の総入れ替えと密室性を打破し、傍聴可能とすること。
 ②「事業評価監視委員会」等の“御用学者たち”の兼務とトコロテン式承認法の改善。
 ③ 費用対効果算出時の「吾妻峡アンケート」等の、国民への詐術への全資料開示。
 一、マニフェストの精神にて、12/29野田総理言明の「裁定案」のあるべき遂行実施。
 前政権によって練り上げられた“最初にダムありき”の政治ダム・八ッ場ダムの治水利水の大義名分はことごとく破綻し、数多くの弊害が実証ずみです。
 思うに、なぜ、こんな御用学者たちが検証でき、また、させたのでしょうか?
 大臣、あなたはなぜ、こんな詐術の積上げ論証を見破れなかったのでしょうか?
 大臣、判っていて、なされることほど、罪深いことはないのではなかったでしょうか?
 願わくば、お独りで八ッ場の癒しの大地を歩いてみて下さい。戸口を叩いてみて下さい。

 “コンクリートから人へ”を実践する、座についた大臣本来の真の任務と責務は、多年にわたる政官財の癒着を断ち切られることにあったのではなかったでしょうか。
 どこに、おっしゃった大義名分的「3・11後の防災対策の新たな大編成」への片鱗が内在していましたか! 猛省を求め、潔い辞任を求める所以です。
                以上、決議す。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2012年01月28日

その一 抗議文転載 野田首相宛て

 


【JR線工事風景 川原湯神社上付近から 去る1/16撮影】

 昨夕、26日の国会の議事録を送ってくださるとの電話があり、その速さに驚きました。一昨日も記したように、20年前はほぼ2週間後というのが常識だったからです。
 で、「必要部分はテープ起こししたから、郵送でかまいません」と伝えました。
 
 さて、昨日も国会中継に聞き入りました。
 与野党ともに、どうなってるの!! と言ったころですが、それを作業しながらとはいえ、聞いている方が、より阿呆といったところでしょうか。


【抗議文転載】 1/14 簡易書留にて郵送
....................................................
                                 2012年1月9日
 内閣総理大臣・民主党代表
 野田佳彦 様               
           新春にみんなで考える八ッ場ダム「討論・抗議集会」一同
                     連絡先:(ST0P八ッ場ダム・市民ネット)

 マニフェスト不履行、野田政権を弾劾す 

 総裁選に臨み、愛すべきドジョウを巧みな例にだされ、“ドショウ内閣”のネーミングのあなたの出現に、私たち国民は少なからず期待して参りました。
 2001年の補償調印後、工事が進むにつれ、ついに八ッ場の水田地帯のドジョウたちは、白い腹をも褐色の水にまみれさせて死に絶えて行きました。おびただしいドジョウたちの死骸の無残さと、語らずしての訴えは、今もまなかいに浮かびます。
 同様に、ゆったりと生息していた大振りのタニシたちもことごとく死滅いたしました。

 ……野田総理、失礼ながら今やあのドジョウたちの姿はマニフェストに明記したにも係らず不要不急の政治ダム、八ッ場ダムを続行させ、国民を裏切ってなお平然と、約束反故の消費税値上案にうつつをぬかす、昨今のあなたの政権に重なりはしないでしょうか?
 
 2009年9月の総選挙で私たち国民が、民主党に一票を投じたのは、マニフェストに記された前政権の陋習を打ち破る、心踊る政策に魅せられたからに他なりません。
 どれだけ多くの国民が、マニフェストに賛成し、一票を投じたことでしょう。
 どれだけ多くの国民が、ダム事業中止に自然保護の光をみいだしたことでしょう。
 どれだけ多くの国民が、民主党の新しい政治に期待し、投票したことでしょうか。

 多額の予算などなくとも断行できました最後の一つ、八ッ場ダム中止策の政治的取引を黙認した総理。あなたの国民への裏切り行為への責任は大きいものがあります。
 前政権が練り上げた政官財との癒着構造の上に、福田赳夫元総理時代から半世紀にも及ぶ“百害あって一利なしの政治ダム”です。その証拠に、去る2010年2月24日の国土交通委での中島正純衆院議員による群馬県自民党議員団への献金問題はお忘れでしょうか。

 そこで、強く総理に求めます、
一、マニフェスト違反は、公約違反の犯罪です。  
一、「コンクリートから人へ」の公約を遵守し、即刻、八ッ場ダムを中止すべきです。
一、「消費税値上」は公約違反です。その前にムダな経費削減をすべきです。
一、年間のダム総予算2100億円は、震災復興にまわすべきです。
一、国民は野田総理に民主党に絶望しきっている現実を認識自覚して下さい。
一、原点に戻り、前政権の亜流の如き悪しき政治にピリオドを打ってください。
一、起死回生の道は、12/29日夜の「(中止に向けての)裁定案の遵守」しかありません。
一、官僚シナリオへの逆転劇を、総理自ら、その政治生命をかけて演じてください。 

 さもなくば、八ッ場のドショウ並みにドジョウ内閣の終焉となりましょう。
 その時、わたし達は断固、変質した民主党に抗議し、あなたの総理辞職をも求めます。
以上、決議す。   
  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(1)八ッ場だより

2012年01月27日

1/26 前田大臣の“情けない”国会答弁



【打越沢上に広がる打越代替地の法面】

 写真は、地滑りなどの危険性が指摘されているのに、御用商人ならぬ御用学者の言うことを鵜呑みして、「続行」となった八ッ場ダム建設で、川原湯温泉街が移りすむ打越代替地。雪がふると、法面の勾配も一目瞭然になりますね。

 ところで、その決定をした前田健志国土交通大臣が、昨日の第180回国会で、答弁していました。たまたま国会中継をみていたので、ネットでお知らせ。録音下次第です。で、またまた時間に追われているのにテープ起こしして。またまたネット上に。
 翌日にならないとアップにならないし、議事録はたぶん、スピードアップになっているでしょうが数日間かかります。ちなみにかつてゴルバチョフが訪日した頃の約40日間、衆議院内の一室で、記事録収集作業のアルバイトをしたことがありまし た。それは豪華な調度品の部屋でした。
 そして、その頃、異彩を放った発言を繰り出していて、 当方が切り抜き、期待してきた若手議員さんたち、例えば仙石由人さん等のほとんどが、今や民主党幹部になられましたけれど……

 
 しかしです。
 以下は、ネット上の前文と、変節も甚だしい前田大臣の答弁です。
 表題の“情けない” 未だ京大時代の同級生で、未だ気概をもって河川工学の分野で社会貢献なされている今本博健さんの当方のメールをご覧になられての昨晩の感想です。今朝の「朝ズバ!」のスーパー堤防の特集番組にも、本ものの学識者として出演していられました。ご覧になられましたでしょうか?
 私たち国民が最もしりたかったのは、利根川変遷史などよりも、最初の頃に再三、口にされてきた「震災後の総合的な国土の保全対策」の中で、「八ッ場ダムは本当に必要不可欠なのか」であり、まじかには代替地が本当に安全なのかだったかのはずです。
 官僚作成の「八ッ場ダムは治水対策としての即効性をもっておりまして、あと本体を造れば、七年くらいで大きな洪水調節効果」などの棒読みはいりません。でも、先の寺田寅彦~徳川家康の辺り、特に建設省時代の任地、渡良瀬川のくだりは、原稿に眼を落とさずご自分の知識と言葉でしたね。つまり、若い日の知識だけで、八ッ場ダムの最新分析は頭にないということになるでしょう。

 本当に、与野党ともに、お粗末。けさのテレビでの発言ならずとも「一回の国会開催に一億円もかかるこんな国会審議なんて要らない」と思えてきますよね。



..................................
 先に取り急ぎ、お知らせしましたように、
 本日の国会、衆院本会議場での各会派による「代表質問」中、細田博之議員(自民・無所属の会)の八ッ場ダムへの質問を受け、前田国交相が、下記のように答弁していました。
 認識のズレも甚だしい、お粗末な内容の官僚作文の読み上げ、のようでした。
 ヤジは少なからずありましたが、野党筋なのかどこなのか画面かららは定かにはわからず、全体にそれほど高くはなりませんでした。終了後、画面右手の野党席からのまばらな拍手に混じって、民主党席(画面左手)の左端の二列目、最も右端の男性議員だけが大きな拍手をしているのが、何とも目立ちました。
 それにしても、前田大臣が「先生」呼ばりをした「畑村洋太郎」って、原発関連御用学者リストにはいっている人物なんですね。
 前田大臣って本当に御用学者さんがお好きなようで……

 記事録も依頼しましたが、冒頭と八ッ場に関する部分をテープ起こしをしてみました。不明箇所には(?)あり。


【前田国交相答弁】..............
 細田議員にお応えいたします。
 国土建設についてお尋ねがありました。
 昨年は東日本大震災など自然災害が多発し、国民の安全安心を守るという社会資本整備の最も重要な使命を再認識したところでございます。
 持続可能で活力ある国土地域づくりを進めるため、人の命が第一、災害に上限はないとの社会資本整備審議会がだしていただいた3・11東日本震災の安定の考え方にたって、ハードとソフトの施策を組あわせながら、真に必要な社会資本整備を着実に推進していくことが必要であると考えております。
 
 八ッ場ダムについてのお尋ねがありました。
 八ッ場ダムについては、検証のプロセスにそって、4代の大臣のもとで、予断をもたずに検証を行ってまいりました。<※低いヤジ起きる>昨年12月2日、検証の最終プロセスである「有識者委員会」において、「八ッ場ダム事業継続は妥当」との確認を受けたことを前提にして、担当大臣として熟慮を重ねた結果、事業の継続との判断をいたしました。<※ヤジ続く>
 大規模災害に関する各分野の専門家の視点や、情報等も整理をさせて戴き、参考にさせて戴きました。
 一理(?)、申し上げると、例えば、「災害は忘れた頃にやってくる」。これは有名な寺田寅彦の言葉でございますが、「災害は三年経つと個人の記憶から薄れる。60年経つと地域が忘れる。300年経つと誰も言わなくなる」。 これは畑村洋太郎先生の言葉でございます。
 カスリーン台風で利根川が決壊して60年ちょっとになります。
 家康の利根川東遷。
 これは約300年以上前でございますが、もう誰もいわなくなっております。
 防災は国防と同じく、国家の一番重要な責任であると、こういう風に認識しておりまして、首都圏の治水安全度の確保は国家的な課題であると、基本的に認識をしております。 <ヤジ、低いけれど、やや騒然とした空気に>
 利根川の東遷。
 ようするに、もともとは利根川は東京湾に流れておりました。荒川、利根川、渡良瀬川、この三つが乱流して利根川に流れていたのを、家康入府以来、人が住めるように東へ東へとつけかえ、先人たちの努力の結果、今の利根川のマ(?)があると、
 人口資産が高度に集積した、この利根川の流域が、長い災害リスクを抱えているだけに、タイにおけるあのような結果には断じてはしてはいけないと、こう認識をしております。

 そこで、八ッ場ダムは治水対策としての即効性をもっておりまして、あと本体を造れば、七年くらいで大きな洪水調節効果を発揮することになります。
 これに変わるような代替試案というものを種々検討いたしましたが、見出せなかったということであります。
 事業継続を求める流域の一都五県の知事さん方のご意見もありました。こういったことを総合的に勘案して、責任を持つ大臣としての立場から、この選択をさせて戴いた次第であります。
  ............... ..................

 この後「高速道路ネットワークについて」と「離島振興について」への答弁があり。

  


Posted by やんばちゃん at 09:06Comments(0)八ッ場だより

2012年01月26日

いざ、いかん。 山は白雪、越えらりょか

 


 【吾妻渓谷・鹿飛び橋入り口の通行止標識】

 今日は八ッ場へいくつもりでおりました。
 しかも、雪の北軽井沢の山の中へ。で、国道沿いにてドッキングとのことになりました。

 しかし、いざ、出発近くなって、八ッ場のある方に電話して、怖気づいてしまいました。国道とはいえ、北軽井沢へのその道は既に凍てた道路との由。
 そういえば、何年か前、確か今月末か2月初めの厳寒期、長野原町が浅間高原で行う、祭り。
 確か「北軽井沢炎のまつり」。
 その日、土地の方に「今日の夜だよ」と聞いて、つい一年に一度のことゆえ、行くつもりになって出かけてみたものの、ほんのトバ口のあたりで、雪道に恐れをなして、退却したことを。
 湯かけまつりの日、雪原の中の打越代替地を撮ろうとして、川原湯神社のちょっと上までは良かったけれど、進めなくなった上になにやらキナくさい異臭が鼻をついて、立ち往生。降りてみれば、雪がタイヤと車体の間に詰まって動けなくなっていたのでした。 で、仕方なくバックでもどってきたのでした。
 あれは降り始めだから、まだ良かったけれど、今回は名うての凍てた道路。土地の方は止めるのもムリはない。

 表に出てみれば、近場の榛名の連山、みな雪に輝けり。
 遠く、雪の浅間山、本日は見えず。ということはふぶいている証拠。
 途端に、「行かねばならず。本日しか行ける日がないのだ」式の気力が、なえてしまいました。

 三波春夫の浪曲の「行かねばならぬ。行かねばならぬのだ」の男、「大利根無情」の平手造酒の浪花節的世界は、私にとって、雪道は適用ならず。

 止めてくださるな妙心殿
 落ちぶれ果てても平手は武士じゃ
 男の散り際だけは知っております
 行かねばならぬ そこをどいて下され
 行かねばならぬのだ

 で、潔く。断念。
 今は男・平手造酒ならず、女といえども、今は申せぬのですが、あることである方との約束ごとに、お断りの電話を。その方もむしろ、ほっとしたようで、「ああ、その方がいいよ。運動はまだまだ続くんだよ」とおっしゃってくださいました。さらに「少し疲れているだろう。身体やすめない」とまで。「はい、神経も疲れております」と素直に。
 
 「運動はまだまだ続くんだよ」といわれて、こちらも何やらほっとした次第。
 今度は明後日に迫っている、地域のボランティアでの必需品の購入のために走らせている車の中で、西の空のもやいて容を見せぬ浅間山を見やっては、かの前進座の「山椒大夫」の舞台の中で安寿が弟、厨子王を山椒大夫の屋敷から逃がす決意をする場面で歌う、挿入歌を大声で、自分なりのストーリィ性を抑揚をつけてがなりたてました。
  山は、白雪  越えらりょか
 これは当方の発明的オリジナルですので、音痴がわかりません。でも、まだ機会がなくて。実際に人前でうたったこは皆無なのです。

 本当に八ッ場ダム問題にも、超えねばならない山が幾つもあります。
 なにやら、疲れ果てて、閑話休題的にどんどんあらぬ方向にて、八ッ場ダム問題の本道をそれてしまって、迷路に突入の感です。お許しをこうとともにお休みなさい。  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2012年01月25日

1/29(日)のお知らせ




 吾妻渓谷、滝見橋際の立ち木です。雪が幹の片側にまだらにかかっていて、自然界の妙を覚えさせられた、それはそれは静謐かつ感動的な空間でした。反対側の白い塊は、氷結した白糸の滝です。


 さて、1/9には、小さいながらも、群馬県内で八ッ場ダム抗議集会を開催しました。
 その席で参加者からの提案により、「群馬県民として、この問題は手放さず見守っていく必要性がある」ことを参加者一同で確認いたしました。
 現在を生きる私たちにとって、「八ッ場ダム問題は政治の混迷を幾つも内包した、象徴的な社会問題」なのです。
 そこで、9日の席で、次の実行委員会開催日を参加者の皆様の最大公約数の日時を問いました。
 土・日の昼間がベターとなり、今月末の29日を選択、9日と同じく同時間、同一場所として、直ちに事務所にて仮押さえをさせて戴きました。過日、正式に支払いを済ませました。

    「八ッ場ダム」 第一回実行委員会 
  日時: 1/29(日) 13時半~                         
  場所:ぐんま男女共同参画センター 
      4階
 ※抗議集会と同一時刻同一場所、同じ部屋です


 これに先立ち、昨晩19時より、本会に複数回ご出席くだされた方に連絡。事前の実行委員会を開催し、29日の位置づけを協議しました。
 おかげ様で、こちらも大変充実した打ち合わせ会議となり、幾つかの飛躍的な進展がありました。一同に会しての食事をしながらの会議というのは、打ち解けられた上により結束を強める作用もあるようです。
 お寒いのにおでかけくださいました方々に、本欄にて「ご苦労さまでした」と申し上げさせて戴きます。
 昨晩の決定事項については、当日、ご参集の皆さまにおはかりしたいと存じます。

 本欄をご欄になられた皆様も、どうぞ、お気軽に29日にはお集まりくださいませ。 
 

     


Posted by やんばちゃん at 18:54Comments(0)八ッ場だより

2012年01月25日

祭りの後のアラカルト その二




おなじみの王湯、舞台前の郵便ポストで、この日は、ふんどしをつけてシンボルとして大活躍です。




早朝、5時にまつりの開始を伝える、ふれ太鼓です。反対側の小高い丘、撮影スポット近くに照明器具などともににとりつけられます。




 川原湯神社階段下の温泉卵などのできる源泉一帯の風景です。
 山門の向こうに人影がありますが、この方たち2名は、舞台の音響装置や照明などの設置会社の方たちのようです。
 早くも、舞台上の装置は取り外し、太鼓もとりはずし、片付け作業の最後に近い、この一帯の配線設備の片付けをなさっているようです。(お顔はわからないと思いまして掲載させて戴きました。鮮明にとれた舞台上の場面では右脇に写っていたのでご遠慮した次第です)。

 こうして、無事に今年の湯かけ祭りはおしまいに……  


Posted by やんばちゃん at 11:54Comments(0)八ッ場だより

2012年01月24日

祭りの後のアラカルト その一




①手前頭上の紅白のくすだまにご注目ください。
 祭りのクライマックスとなるもので、 このクスだまの中に、鶏が2羽づつ入っていました。そこにお湯をかけ、封印をはがし、出てきた鶏を捕まえた組が、その年の勝ち組となるのです。今年は紅白とも2羽づつゲットのようでした。
 ある年には、鶏が人ごみをぬって、温泉街の坂道を逃げて、爆笑をかったことがありました。


 くす玉の中にはいっていた五色の紙類の落下物です。これらがハラハラと舞い落ちて、風情を添えます。

③ 


 紅組白組の大将や神主たちによる。神聖なセレモニーの行われた舞台です。紅白の幕の真後ろには、王湯の内風呂と露天風呂をつなぐ回廊があります。
 闘いおえて用済みというか奉納された、お湯を運んで神にそなえた大タライや木桶などがおわかりになりますでしょうか。奉納の証拠に注連縄がはられています。
 左手の編みカゴは鶏をおさめて奉納するゲージで、「お湯、わいた」の縁起通りに、クス玉の中に入っていた神へのいけにえの鶏が、ここに4羽が仲良く入っているそうです。
 ちなみに鶏は温泉街のあるお宅で飼っている雄のチャボとのことです。雄の方が元気が良いのと繁殖するのが雌よりも多いからとの裏話を聞きました。




 時刻は、8時半すぎ、神社方角から降りてきたら、折りしも神主さんお二人がお帰りになる場面でした。
 終了後からこの時まで、王湯の広間では関係者による慰労会が開催中です。この前には、川原温泉の役員さんたちと昵懇らしいあるマスコミ筋が撮影終えて帰るところに出くわしました。 
 当方、別に定点観測しているわけではありませんで、何往復かしている間に、たまたまお目にかかっただけです。念のため。
 さて、ふぶいているのと安物カメラ、何よりも技術が災いして、定かにみえないでしょうが、階段の下には、毎年、参加の土地っ子の3人の少年がいます。今年も大活躍で、この内、2人の兄弟はあるテレビでは大写しになっていました。
 そして、この20分前くらい、「あら、僕たちじゃない。オバちゃん覚えている?」と声をかけてしまった次第です。
 実は、昨年も、その時は3兄弟でしたが、写真をとって、程すぎてでしたが、お届けしてあるのです。頬のふっくらとした愛らしい姿をおもいだしたのでした。
 今年は、少年4人組を安物カメラに収めました。
  もう、数年たてば、この川原湯っ子の少年たちが、凛々しい若衆たちになって、祭りの担い手になってくれることでしょう。
 川原湯温泉の繁栄を祈ります。
 

 さて、最後にカメラの顛末記を。 防備録的なものですから、忙しい方はどうぞ、パスを。
 湯かけまつりでは、お湯をかけてもらうと無病息災といわれています。もちろん、カメラにも容赦なく。ですのでプロカメラマンさんの高いカメラは災難。あらかじめ、防護策として、皆さん、ビニールなどをかけています。
 一昨年、買ったばかりのカメラにおもいきりかけられた途端に、画面が真っ暗に。後は撮影不可能。そして、カメラ点で修理費はほぼ、購入額に近くなる由。諦めて使ってましたが、徐々におかしくなってきて、ついに使用不可。
 この時は、ムリして少し高めのをかったのでガックリ。着ていたコートも、クリーニングに出さざるを得ず、もしかしたら、反対派のまねかざる客のオバさんとわかってわざとドサンとなんてまで考えた次第です。コート類は特典が利かず高いのです。
 その後、間に合わせに本当に安物中の安物を使ってました。
 で、今回、この夏に、一昨年のカメラと同じでさらに進化したものをムリして求めたのでした。
 嫌な予感が的中。
 今年は、お湯がかからなかったのに、なんと、凍てた道路に、凍えた手が滑って、がシャンと。途端にシャッターがあがらなくなってしまって、手動式に。この日の写真で周りが黒いのは、手であげたのが不完全だった、そのためです。
 これから、まただんだん狂ってくることでしょう。

 しかし、幾つ、カメラをこわしてきたでしょう。捨てられずに歴代のカメラの箱が積上げてあります。総額で思い切って高いのを買えば、いかにおっちょこちょいでも丁寧に扱うのでしょうが。本当に安物買いの何とかの実践記録です。
 
   


Posted by やんばちゃん at 09:43Comments(0)八ッ場だより

2012年01月23日

雪ふるその日、川原湯神社は








        本日は、駄弁はいたしませんので……  


Posted by やんばちゃん at 10:29Comments(0)八ッ場だより

2012年01月22日

18年ぶりの雪の湯かけまつり、その朝




 1月20日 6時49分、湯かけまつりが終って、左端にズラリと並んだ車列がほぼ解け、家路にもどるためのUターンの車です。



 上の写真の一分前の48分、この辺りはまだ、ぎっしり。

 終ると、宿泊旅館に戻って、温かな温泉と朝食がまっています。
 通例、旅館は予約客で既にいっぱい。
 駅前の駐車場に雪をかむっている車には、あぶれた方たちなどの車中泊組などがあり、駅前からの道路左端の駐車組は、早朝にでてきた近隣の方たちも多いようです。
 ちなみに、駅前駐車場で、ご一緒になった女性は、都内からで毎年みえている由。ここに朝4時半に到着。早暁の闇をやぶって、5時に打ち鳴らされるおふれ太鼓に間に合ったそうです。

 さて、来年は何とか宿泊いたしましょう。でも、もっと厳しくなるでしょう。一昨年2009年は昨日、ご紹介の柏屋さんに総勢15名ほどで宿泊できたのでした。間近くなってからの予約でしたが、奇跡だと土地の方に言われました。キャンセルでもあったのでしょうか。
 その前日19日は、当会で「長野原町行政」さんと、話し合いを持ったものでした。高山町長さんやダム対策委の議員さんたちと激論を闘わしたものでした。

  そうそう、冒頭写真の竹の道下の空間は、高山長野原町長さんが経営していられた「高山旅館」さんがあった場所でした。一昨年の湯かけ祭りの時は、まだ解体されていなかったやに記憶していますが…… 写真類を確かめないと定かでは
ありません。
 なお、町長さんとそのご親戚が、川原湯代替地への真っ先の移転組でした。
 で、2009年9月の中止騒動の時に、地元事情に通じていない中央マスコミの某テレビに、一町民として「中止になったら困る」と訴えて、話題になったことがありましたっけ。
 でも、この町長さんたちの一角は、これだけ危険視されている、打越代替地の中でも比較的安全とされている、切土地帯なのです(地質学者のおっしゃる、最新情報によれば、「切土」といえども、必ずしも安全とはいいきれない由)。
 で、これも一種の役得? との声もありますね。
 でも、高山町長さんは歴代町長さんに比べれば、また清廉な方でしょう。前町長さんなんて、今だに大活躍とかのウワサが流れてますものね。しかも、後日の事実がこのウワサを裏付けてますようですけれど……
 ただし、一部推進派の皆さんは、お一人お一人はダムの弊害をチャンとわかっていられるらしいのに、どうしてこんなにダムに固執されるのかは、“八ッ場ダム七不思議”に入るようです。 
 
 さてさて、本日は雪の影響で、イベントが中止になったため、思わぬ余時間がでたため、こんなことまでつい。
 いけませんね、雪のように純白、清浄可憐な心ざしをもたないと。
 陽射しがさしてきましたので、ここでチョン。

 でもね、雪の下にはコンクリートがありますけれど、その下には黒々とした土があるように、八ッ場にも、幾つかの“黒いウワサ”もあるんですよ。
 先々の日、丁寧に覆われたコンクリートの下土のその幾つかが、太陽の光に照射される日がまいりますでしょうか?
   
タグ :八ッ場ダム


Posted by やんばちゃん at 10:07Comments(0)八ッ場だより

2012年01月20日

柏屋さん解体中








【上の写真は、いずれも1/16日撮影】





 そして、本日20日の吾妻峡。
 左手の赤い橋は鹿とび橋です。  


Posted by やんばちゃん at 23:41Comments(0)八ッ場だより

2012年01月20日

湯かけまつり、終った後にもストーリィあり




 本日は、建設再開後の初の湯かけまつり。しかも、雪がふりしきる中の得がたい場面。なんと、十数年ぶりとのこと。そして、当初は現在の温泉街では、最後のなどと流れたものですからかなりのカメラマンが集まったようです。でも、たぶん、来年もまだとのことです。
 ただし、この風景は今年限りです。というのは、正面の柏屋さんの建物がなくなるからです。すでに右手に連なる客室部分の解体は始まっています。
 
 写真は終了後の6時53分の情景です。


 ……つまり、今年も遅刻という次第です。
 昨夜来、以降か行くまいかまよいつつ、朝、4時前には起きたけれど、玄関の戸の外が白。よもやと思っていた雪なのでした。犬の散歩の頃には、まだそれほどではなかったのでたかをくくっていたのでしたけれど、結局、現地の大雪に恐れをなして、早めに引きあげてきたのだから、必要なかったのに 昼食の分まで作って持参。出掛けに八ッ場の方のお宅にはまだ新年初めてのお宅もあり、ささやかな年始の品の用意や前回、頂き物をしたお宅へのお返しなど、整えていたら、予定よりかなり経ってしまった。
 しかも、雪はふりやまず。しかたなく今回は一切の抜け道はせず、渋川市内をまともに通ることになってしまった。しかも、不慣れな雪道。従って、いつものほぼ倍の所要時間。
 すでに、あきらめていた。ともかく、雪道走行の初体験と思えば良しと。でも、目的地の時間があるということは、怖いものしらずでほぼ40㌔をキープし、走りぬいたのでした。怖いと思うより、間に合わなければでしたが、雪道って下手に恐怖心でガチガチにならずに走った方がベターのように思えてしまってます。後続車に迷惑をかけぬよう、一応は走れたのですから……

 そして、こういう時にわが心に言い聞かせるのは、「イベント終了後にもストーリィあり」と。かつてある作家が、NHKの原爆忌の取材番組引き受けた際に、終了後の原爆ドームの場面から撮影し、そこから始まる構成法を抗議したことがあった。
 以来、遅れたからといって嘆くにあたらずとおもうことにしている。
 ……でも、思うのは、あの頃は若かったから素直に聞いていたけれど、あれは、本当はきっと遅刻したのに相違ない。そしてその理由はたぶん…… でも、構成はお手の物だからそれなりにまとめたと想像たくましく思うのだけれど…… 
 でも、負け惜しみではなく、本当にそれはそれなりの全容をうかがい得るモチーフは幾つか拾えました。

 肝心のクライマックスの映像は、早くも昼頃にでていた報道記事をご覧ください。
ハイライトのくす玉割の時間が「6時33分」だったのだから、あと、20分早かったらと悔やまれます。でもまだ除雪車も出動していないあの雪の降りしきる中を無事故で必死で走ったのでしたから、それもそれで良しとしています。





 ここは、おなじみの滝見橋から望む、八ッ場大橋。
 セミプロらしいカメラマンさんがいらして、もうじき電車がくるというので、おつきあいしていたのですが、いっこうに上下線も通らないのです。
 足が冷たくなったので失礼して走り出した帰途の車中できいたNHKラジオのニュースによれば、中之条付近で竹が鉄路におおいかぶさり、ために長野原草津口まで不通になっていたのでした。末尾に記したニュース記事とは若干、異なりますが、でも、たしかに最初のニュースはそう言ったのでした。
///////////////////////////////
 【2012年1月20日 10時51分(最終更新 1月20日 11時19分)毎日新聞】
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120120k0000e040224000c.html
 湯かけ祭り:雪の中、立ちこめる湯気…川原湯温泉街
湯かけ祭の最後に、ニワトリの入った紅白のくす玉めがけて湯をかける人たち=群馬県長野原町の川原湯温泉で2012年1月20日午前6時33分、武市公孝撮影

【2012年1月20日 09時32分 (2012年1月20日 09時35分 更新) ニューストップエキサイト 共同通信】              http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012001001296.html
   八ツ場ダム予定地で湯かけ祭り 群馬の川原湯温泉
 川原湯温泉の「湯かけ祭り」で湯をかけ合う参加者=20日早朝、群馬県長野原町

 
【NHK前橋】
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=NHK&lang=euc&prop=550&bypass=3&dispconfig=&tblattr=1
川原湯温泉で湯かけ祭り
1月20日 13時20分


【NHKニュース】
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=NHK&lang=euc&prop=550&bypass=3&dispconfig=&tblattr=1
JR吾妻線 運転再開
JR東日本高崎支社によりますと、群馬県内を走る吾妻線は川原湯温泉駅と長野原草津口駅の間で雪の重みで倒れた竹が線路を塞いだ影響で、渋川駅と長野原草津口駅の間の上下線で列車の運転を見合わせていましたが、午後1時10分運転を再開しました。
01月20日 12時28分
  


Posted by やんばちゃん at 21:35Comments(0)八ッ場だより

2012年01月19日

現地の空気・意識の変化を1分で伝えました

二部の衆議院第一議員会館大会議室には、定員の300名がほぼ満席。
【上:中島政希衆議院議員】
【下:福島瑞穂・社民党党首】
 この日、挨拶した議員は、最初は所用のため退席する塩川鉄也衆議院議員(比例北関東選出・共産党)、ついで基調講演の後に、中島政希衆院議員(比例北関東ブロック・民主党離党中)、平智之衆議院議員(京都1区・民主党)が続いて挨拶。さらに見える都度、講演の合間に、大河原雅子参議院議員(東京都・民主党)、福島瑞穂・社民党党首、川内博史衆議院議員(鹿児島一区・民主党)、角倉邦良群馬県議会議員らの順でした。

 



  最後に、参加団体の中から、発表を希望する市民運動団体の訴え。当初、3分間といわれてましたが、遠方からの方たちがすんだところで、時間切れ。思わず、「30秒でいいです」と言ってみたら、協議の上、時間延長を会場に提案してくだされて、八ッ場ダムの私とともう一人静岡の方が、セーフ。ただし、ここからは一分間ということに。
 司会者の方、ありがとうございました。
 それは、3分間の枠で、いろいろとつたえたいことはいっぱいありましたけれど、まずは、その朝、間接的にもたらされた朗報として、「現地の若手世代の意識は変化している」ことを伝え、たまたまあった先日の抗議集会のチラシを写真のようにふりかざし、そのあとの群馬県知事県知事宛の抗議文に、現地の声を取り入れてほしいとの要望があったことを伝えました。
 会場内の声として、「現地からの参加者がないのはおかしい」との感想も出されてましたので、空気だけでも伝えられて良かったです。
 
   


Posted by やんばちゃん at 16:53Comments(0)八ッ場だより

2012年01月18日

全国の抗議行動 その一




 集合場所の日比谷公園の霞門から、13時半にスタート。
 先頭の棺おけには、それぞれの思いやダムを始めとしたムダな公共事業の数々を貼り付けてあります。正面は無論、八ッ場ダム。
 事前の実行委では、なるべく葬列風の黒づくめの服装をということで、黒頭巾でもかむろうかとしましたが、考えたらそれこそ、何年かまえ、それを身につけると「あんた、ますます年よりくさく見えるよと」と周囲のおじ様たちから「不評」だったショールのことを思い出しました。ダム関連のある女性の方が、中国から大量に買い付けてきて、「買って買って」と声かけられた、一応は絹のショールです。
 そして、下は冬場の今の時期なら黒のコートで良しと。何年もあけてない洋服ダンスから黒いコートを取り出す。そのうち、2着は身長は減っていくのに、どこかの寸法だけは増えてしまっていて、前が合わない。かつてはこの細身のコートがきられたのに……
 で、残った一点の襟元のフアフアした?毛皮に似せた襟もとのを着た次第。迷ったけれど襟元を電車の中で外した次第。いかに偽ものでも温そうな感じは不釣合いだろうと。スタートの際に、そのショールを羽織ったら、顔みしりの女性が後ろから抜きしなに「〇っこさん、まるで魔女に見えるよ!!」とに、複雑な思いです。

 国交省に着くと、中に入れるのは先着15名とのこと。前の方に並んでいた者たちの役得で、ぱらぱらと入ってしまった次第です。
正門の後ろのプレハブで、抗議書の手渡し。国交省側は2名の職員。
 
まず、今回の実行委からのものを水源連副代表の遠藤保男さんが読み上げて手渡し。次に「科学者の会」の今本博健京都大名誉教授が抗議書の要点を話して手渡す。この後、各地からの抗議の訴え。



 小国川ダムの代表の゜訴えに、「そのことは判りません。私たちは八ッ場ダムのことといわれてきたので」と職員の一人が言ったから、このおばさん、とっさに反応。「じゃ、その八ッ場ですけれど」と、思いもしなかった発言を。
 「基本高水のことよくわからないという学識者が、なぜ、建設妥当だと決定できるのか」と繰り出し、「メンバーの総入れ替えをしてほしい」と言い放ち、最後にご丁寧にも声高くはりあげて「八ッ場です!!」と。
 冒頭の皆さんは、「有識者などの半分をダム反対の学者をいれろ」との要求だったのでしが……

 この時間帯に、たてもの後ろの断崖の上、道路ではマイクで国交省のたてものに向かって、情宣活動を。マイクの音や鉦の音がビンビンと部屋の中にも聞こえてきました。戸口を出た際に、がけ上からの声援の声に向かって大きく手をふりました。

 次の写真は、国交省から直線に突き進んだ、国会記者クラブ前のおなじみの情宣活動の場所です。反対側は首相官邸。


  


Posted by やんばちゃん at 22:13Comments(0)八ッ場だより

2012年01月16日

湯かけ祭り準備済みの、八ッ場で手打ちうどんご馳走になりました




昨日午後の川原湯温泉、王湯のあたりに張られた注連縄と竹です。本日の新聞報道によりますと、きたる20日朝の準備が
昨日、できたようです。
 午後になってからの八ッ場入り。
 しかも、すぐに温泉街に直行しないで、最初のAさん宅で(また、ふりだしのAさんに戻ります)は、新年の挨拶と年越しのスナップをお渡ししてすぐに立ち去ったのでしたが、次の某所の某宅、ひさしぶりにお会い出来た、Bさん宅の掘りごたつに入れてもらってのおしゃべり。Bさんは週に一度の楽しみごとという、テレビの観戦中でした。
 ここで、つまませてもらった、干いしもと小粒の干し柿の旨かったこと。小一時間もコタツであたためさせて戴きました。

 続いて、夏からまだお届けしてない、しかも年越し、考えたら半年ぶりのCさんに、おなじくスナップ写真を。現像をするにはしても、気がついた時には、もってこず、今日こそはお渡ししなければと思った時には、時間なしでパス。これらの複数組み合わせ、こういうのなんて、いいましたかしら、……そうそう数学用語で「数列」でしたっけ。それで、年をこさないうちにと何度も思ったのに、12月はいつも時間いっぱい。22日の残る生涯、どんなにホケても恐らく忘れないであろう、負け戦の日は行くには行っても、どうにもならず…… 
 お仕事中の得がたい写真ですのに、写真のことを口にすると、「いいよ、あんな写真」と嫌がってましたのに、お渡しすると、うれしそうに「ありがとう!!」と喜んでくださいました。予想外のこの方の言葉に、気持ちが明るくなりました。
 
 それからの川原湯温泉地区周りでした。
 入り口のところから、坂道をのぼるにつれ、何か清新な感じがしました。竹と注連縄の相乗効果でした。
 
 さて、その後のお決まりコースのスナップをとり、お決まりコースのお宅の何軒かをチョイス。そして、夕刻5時半近く、薄闇の中を、前回、あるお惣菜を頂戴したDさんに、「いいよ、返さなくても」とは言われていたけれど、パック容器をお返しするのと心ばかりのお返しをそえてインターホン。すっかりもう戸締りしてあった玄関先で、「ごめんなさ~い。こんな時間に、〇〇て゜~す」と告げると、「ちようど良かったよ。今日は手打ちうどん打ったんだよ。食べてって!!」と招き入れてくださった。ここのお宅では遠慮しないことにしている。でも、せっかく打った貴重な手打ちうどんを…… と思うけれど、久々の手打ちと聞くと「ワァー、うれしい」と声が先に。
 Dさんはいそいそと勝手に行き、「今さ、すぐに煮込みにするからね。けんちん風の」とおっしゃる。
 居間に入ると、写真奥のコタツの上のちゃぶだいに、いままさにDさんが相撲をみながら、夕食をたべようとする直前だったらしく、煮込みうどんがあったのでした。
 お年のわりにはDさんがてばやく作ってくださったけんちん風煮込みうどんと、たっぷり添えてくださった松前漬けと数の子。「ねぇ、Dさん、かずの子こんなにたくさん、もったいないから半分とって」と思わず言うと、「いいよ。いいよ。いっぱいあるんだから」とのことで、素直に瞬くにたいらげてしまった次第です。
 考えればDさんは、山里の大家族のお食事をしきつてこられたベテラン主婦なのでした。そして、この町の代表的な女性のお一人で、食生活改善など、女性たちの先頭にたって活動されてこられた方なのでした。「一回に粉3升づつも打ったんだよ」とおっしゃてました。


 
 移転にはさまざまな苦悩があったという代替地の新築のお宅で、良かったことの一つには、花好きのDさんにとって、陽射しの入る居間で、大好きなシクラメンがしおれないこととの由。前の大きなお宅では、もっとも温かだった台所にもっていってもじきにしおれてしまったそうでした。  


Posted by やんばちゃん at 21:43Comments(0)八ッ場だより

2012年01月15日

1/17 今度は全国的抗議集会

 1/9の当事県・群馬県内での抗議集会も終わり、残務整理も半ばまで達成。
 次は、来る1/17の火曜日に「八ッ場ダム再開緊急抗議行動」です。
 去る12/26、1/10の2回、都内で実行委があり、2回とも出席はしております。

  詳細は、下記をクリックしてみてください。14日現在の最新のチラシがあらわれます。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yakkun/suigenrennnope-zi2/data/souko/120117kougikoudoutirashi-20120111.pdf

 当日は、国交省と官邸への抗議・パフォーマンスもあります。
 当会は、16時過ぎからの希望団体の一言の枠に申し出てありますが、恐らく、(この間のパターン的流れから推測して)「時間の関係で……」と割愛になるのではないでしょうか。
 3分以内の持ち時間では、もちろん、八ッ場現地の状況を話すつもりです。  


Posted by やんばちゃん at 09:16Comments(0)八ッ場だより

2012年01月11日

手つむぎ風にて熱あふれるる、抗議集会の報告

 


開始冒頭場面です。最初に論点の整理を伝え、次にその具体的な言質や動きを配布資料などを用いての説明風景。右手手前はこの後、国会での動きなどを伝えてくださった中島衆院議員です

 かねてご案内してまいりました、9日の急ごしらえの「討論・抗議集会」は、こじんまりとはしていても、最後まで熱にあふれ、意見続出にて行うことができました。
 帰宅後に電話した、参加してくれた知人の言うことには、「良かったね。成功だったと思うよ。やっぱり諦めないで続けるってことは強いよ」とのことでした。
 思ったことをズバリ。常に辛口の信頼できる彼女のこの言葉に、疲労の極でコタツに入ったら動けなかった身体の芯から温いものが走りでた次第です。
  これも、ひとえにこの間、支えてくださった方たち のおかげです。
  準備が間に合わず、集合時間に遅れてしまったのに、急いで快く資料づくりをしてくださったり、お茶の接待などひきうけて下さった方々など、諸々の雑務を快くひきうけてくださった方がいらしたから何とか処理できました。
 本当に心同じくするお仲間のいることはうれしい限りです。

  かつて団結小屋に泊り込まれたご長老の方からは、貴重なご意見を頂戴したものですから、電話をいれると弱々しい声で、悪いけれど短い時間でとおっしゃるので、慌てて手短に参加のお礼をのべると「善い会だったよ、本当に。これからも自信をもってがんばんなさいよ」と励ましてくださいました。もしかしたらお加減がすぐれないのに駆けつけてくださったのかなと、少し心配になりました。
 多くの方のお力添えやこれらの方たちに囲まれて、自画自賛を許してもらえば、準備不足の割には、成功だったようにも感じられます。
  
 当日の様子を報じるマスコミは、その日の夕方18時の群馬テレビでの放映。思ったより大きく扱われ、事前にご注意はしたものの八ッ場からの参加者たちが映らないか心配になりました。
 翌10日付け新聞記事は、東京新聞が大きく写真入りで群馬版トップに。
 朝日新聞群馬版も写真入りで報じてくれました。
 上毛新聞は第2社会面に。
 さらに当日の案内記事を朝日新聞と東京新聞二紙が群馬版に比較的、目立つ記事で紹介してくれました。

 お蔭様で新聞を見てとの方が、予告なしに14名もみえ、県民の関心の高さが分かりました。
 スタッフ一同、慌てましたが、昨年24日に予約し、結局、休み中なので変更せずそのままお借りした、この会場の部屋は、元県議会議員関連施設なので、有難いことに定員数よりゆったり贅沢に作ってあるので、人数が増えたら広い部屋に移動するとの約束ごとでしたが、スタッフの機転で慌てて椅子をいれて、使用させてもらいました。
 
 参加してくだされた、今や時の人となった中島政希衆議院議員をはじめ、各層議員は4名(他に国会議員など2名の方からはどうしても都合つかずの丁寧な連絡を戴きました)。
 マスコミさんは総勢7名。放送時間のある群馬テレビの撮影班さんは帰られましたが、記者さんたちは最後までいてくださいました。
 お蔭様で、総勢約40名もの熱気にあふれ盛り上がりました。
 名簿をご覧になられたらしいマスコミさんの人数よりも多いのですが、後からみえた方で受付をなさらなかった方などいらした上に、私や記さなかったスタッフをカウントすると、実際は総勢39名でした。

 思えば、昨年末、この日9日に予約はしたものの、その後、都内での大きな抗議集会が浮上したので、力の結集の意味で、一度は断念し、26日の都内での実行委にも出てはみました。昨日、10日は二回目の実行委でした。で、お手伝いお力添えくだされた方たちにお礼のメールなどをいれた後、比較的早めに出かけたのでした(が、ちょっと時間かの余裕があると、じっと待ちができす゜、次のことに神経が行くヒトで。結果的には前回と違う会場がわからず、実行委に大幅遅刻ということに)。
 しかし当事県の群馬県で開催することが意味があり、怒りが薄れない早目の方がベターとの示唆を頂き、年末に再度、決意。
 とはいっても、今年も年明けの賀状はレイアウトの不備に手間取り3日にようやく投函。その年賀状に記し、5日にチラシ印刷完成後、マスコミや各層議員にご案内。実質、4日間で本番を迎えることになったのでした。
 で、本欄もまたまた開店休業状態を余儀なくでした。多くの方がクリックしてくださったようで、申し訳ございませんでした。

 最も肝心で必要なのは、抗議文のたたき台的な試案なのに、人集めの雑務に追われ続けて、当日の朝、肝心要の抗議書の三通の試案を書きなぐり、時間を見ながら、ギリギリまで配布資料のコピーを。
 間に合わない残りは回覧するという、恐ろしい時間の綱渡りでした。茶道具や受付用紙類のこまこました必要用具類を準備して、出発した時には、すでに自分で皆さんにお願いした集合時間寸前でした。

 席上、参加者からのうれしい提案もあり、怒りの輪を今後もつなげることができそうです。
 今月29日の同時刻に同じ会場でと決定し、熱気のうちに散会しました。

 ご参加、お手伝いしてくだされたお仲間の皆さんのご協力に感謝です。
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①【2012年1月10日(火) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20120110/CK2012011002000085.html?ref=rank
八ッ場ダム建設再開「国交省に意見伝えて」
    前橋で抗議集会 中島衆院議員呼び掛け
 
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②【2012年1月10日(火) 朝日新聞群馬版】
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581201100002
 八ツ場反対集会 中島議員も討論

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③【2012年1月10日(火) 上毛新聞】
 八ッ場ダムで国交相に辞任要求
 市民団体が抗議集会
  
 八ツ場ダム建設の見直しを訴えている市民団体「STOP八ツ場ダム・市民ネット」(鈴木郁子代表)は9日、前橋市内で「討論・抗議集会」を開き、八ツ場ダの建設継続を表明した前田武志国土交通相に辞任を求める文書を近く送付することを決めた。
 野田佳彦首相や大沢正明知事に対し、八ッ場ダム問題の対応に抗議する文書も送る。集会は地元住民を含め県内の約30人が参加。
 建設に反対する県民の声を集約するような新たな組織の設立も提案された。
 政府与党を批判して民主党に離党届を提出した中島政希衆院議員も参加。野田首相がダム工事の予算執行には利根川水系の河川整備計画策定などが前提条件になると示したことに触れ「本体工事はすぐにできるわけではない。皆さんとともに頑張りたい」と述べ、本体工事阻止に向けて協力を呼び掛けた。


..................................

続いて、当日9日の朝のイベント紹介記事
①【2012年1月9日(月) 東京新聞群馬版】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20120109/CK2012010902000060.html
 八ッ場ダム抗議集会 前橋できょう、東京で17日
 
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②【2012年1月9日(月) 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581201100001
 八ツ場ダム巡り集会 見直し派市民ら開催

  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2012年01月05日

1/9 群馬県での抗議集会 配布チラシです





続いて、サムネイル版も。


  


Posted by やんばちゃん at 12:19Comments(0)八ッ場だより

2012年01月05日

1/9の配布チラシです





1/9のチラシです。
あ、連絡先を入れ忘れました。時間がないので、あとで訂正版をつくりアップします。
※チラシの中の電話番号は、会場の番号です。

 後ほど、作り直ししますが、ご参加の方は、070 5754 5672へお願いします。  
タグ :八ッ場ダム


Posted by やんばちゃん at 08:47Comments(0)八ッ場だより

2012年01月04日

1/9「討論・抗議集会」のお知らせ



【先の年賀状の写真に入れようとした候補の一枚です。青いペンキを塗られ伐採された紅葉の木から、いっぱい芽吹いたひこばえたちです。八ッ場の再生の象徴的に感じられてなりません】

 年賀状末尾にも記しましたように、地元群馬県でも、当会主催で、
1/9に「討論・抗議集会を行うことになりました。
 

日時:1月9日(月曜日 成人の日)13時半~
場所:ぐんま男女共同参画センター(※とらいあんぐる)
    ※ぐんま県庁裏、利根川沿い
      027 224 2211
費用: 300円 資料代その他
内容・目的: 参加者の討論を経て、
      国交省・民主党・群馬県に、抗議書送付
主催:ST0P八ッ場ダム・市民ネット
   070 5457 5672


 22日の展開を受け、直ちに抗議集会の準備をはじめ、24には会場の予約も行いました。
 その後、12月26日に都内で全体の抗議集会の実行委員会が開かれ参加。
  衆議院第一会館大会議室にて1/17に決定
   力を結集させた方がよいかなと逡巡し中断したのでしたが、当初、想定した方向性とは若干は異なっていることもあり、群馬県内での「けじめの意味で、会場予約解除のこともあり、休み中にスタッフと再検討しての実施です。
 どうぞ、お気軽にご参加のほどを。
 なお、準備もありますので、事前におといあわせのこと、よろしくお願いいたします。


 それにしても、わが八ッ場は不思議な命運をもっているのか、22日の国交大臣地元入りという局面に至ってもなおピリオドを打たせず、相次ぐ民主党離脱議員に困惑した30日の野田首相の「裁定案遵守」説が浮上して、年明けに至りました。
 今年も、まなじり決しての応戦とあいなりました。  
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Posted by やんばちゃん at 11:47Comments(0)八ッ場だより