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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年06月24日

立馬沢のホタル、今年は

 


林地区の高台にある防災ダムの中にある 「立馬沢」です。「立馬」と書いて「ダツメ」と読みます。転居した第一小学校の東にある清流で、昔からホタルの群生地です。
  
 冒頭の茂みの奥は、このようになっていて、この奥の暗がりの杉木立の茂みから、ふぁっとホタルは舞いでてきます。
 そして、源流向かって右手に引き込んだこの小さな流れをご覧下さい。もう、何年か前にホタルのエサになるカワニナを育てるために、地元の子供さんたちが「ホタルの引っ越し大作戦」で作った流れです。日陰づくりに植えた木々もこんなに大きくなりました。


そして、お分かりいただけますか、かなりのカワニナが棲息しています。エサがあれば、ホタルもいる。今年のきっと大丈夫でしょう。6月末~7月初旬が最盛期とのことです。
 

 地元有志の皆さんが、惜しみない愛と注がれ、厭わずに世話を続けてこられた結実のようです。

  


Posted by やんばちゃん at 22:32Comments(0)八ッ場だより

2011年06月23日

川原畑側、1号橋の橋台工事始まる




 川原畑から川原湯温泉の代替地をつなぐ、1号橋の大規模な橋台工事です。奥に1号橋のP2がそびえています(白い角柱です)。
 先日6/13には工事現場にはまだ資材だけで作業員の姿もなく、何の工事かわからなかったので、6/15付本欄では、「資材置き場」と記してしまいました。その後、長野原町役場に電話して教えて戴きました。で、この日、写真に収めた次第です。
 その時も記しましたが、ここには3軒の家が、脇の進入路沿いに並び、その脇奥にもう一軒ありました。すべて移転しています。昨日は重機がうなり、敷地内のあちこちで、会社ごとの職人さんがせわしなく動いていて、大規模工事の威力を目のあたりにしました。
   
 この工事現場のすぐ後の細道を行くと、標識の「三福天」の史跡があります。もう、どこかに移転しているのでしょうか?

 そして、日増しに工事が進んできて、現在一休み状態になった1号橋のP2の橋脚のある地点、「埋め墓」のあった高台から、対岸の川原湯の橋脚P3、P4の工事現場を写した俯瞰写真子です。手前の角柱が吾妻川の右岸と国道145号との間に建設されているP3。JR線の川原湯温泉駅と吾妻川上流の横並びの位置にあります。
 国道を挟んで、かつての「ふるさと」(郷土料理の店)さんの跡地での橋脚P4?の工事風景です。
 「中止」声明後の総額52億円の工事にて、その建設是非をめぐって賛否両論があったことは記憶にあたらしいことです。
 


  


Posted by やんばちゃん at 22:42Comments(0)八ッ場だより

2011年06月22日

付替道路一般県道 林・岩下線、初試走




 昨日もお知らせしたように、東吾妻町右岸の新設の県道の一部、2、3㌔が開通しました。
 起点となる、入口信号には「岩島駅入口」とあり、路線名は「岩下(イワシタ)」と小字名を用いているので、何ともまぎらわしいです。
 岩島駅入口交差点→吾妻川横断→新設県道→天狗の湯→雁ケ沢交差点までの開通です。
 昨日示した写真類の畑の上方の山間を切り開いて作った新県道です。平行して、畑地の脇には旧道の「新井・横谷・松谷」が走っています。
 これで、東吾妻町の吾妻川右岸には二つの道が走ることになりました。左岸には145号線とさらに付替え国道が走ります。
 
 岩島から新県道に至る道は既に開通していました。したがって、セレモニーは何もなかったのでしたが、10時~の開通時には、県職員やマスコミは橋を渡り終わった地点にたって写真などを撮っていました。
 掲載の写真は、位置がわかるようにその地点から出口までの中ほどで撮ったものです。
 左手前方のJR線の高架、その先の雁ケ沢ランプの雁ケ沢トンネル入口がみえますでしょうか?
  
 下の地図は、続いて、現在工事中の、(松谷発電所上流の)東吾妻町と長野原町との境目の長野原町寄りの地点の、川原湯温泉代替地に通じる吾妻峡トンネルへの進入路にかかる新設の橋の突き当りにたつ案内板です。
 


Posted by やんばちゃん at 22:35Comments(0)八ッ場だより

2011年06月21日

明日22日、東吾妻町県道、開通す

 本日の県内版各紙でご存知のこととは想いますが、昨日の17時~19時20分まで、最終の日本学術会議がありました。 
国交省が唱えてきた根拠なしの22000㌧に対して、同委員会が検証した数値は21100㌧との結論に達したということで、「ほぼ妥当」といういう線が濃厚になりました。ただし、基本高水は「毎秒2万1100立方メートルのマイナス0・2%からプラス4・5%の範囲が妥当」としています。
 「当然、終了後の「ぶらさがり」記者会見はヒート気味。参考人として出席したこともある関 教授も傍聴していられて、「信じられない、計算だ!」と声をあげていました。
 8月初旬に一般市民向けへの「説明会」があるそうです。
 ……足取り重くたどりついてた上野駅で目の前で発車の浮き目。さらにまたも高崎駅での接続も、モタモタしていたら一歩間に合わずのヘマにて、深夜にたどり着き、本日も早朝からの外出にて記す時間なし。

     水没地との温度差あり 
 さて、話題を変えます。
 どこだか、お分かりですか? 建物がヒントです。


そうです。前方の建物は、吾妻町町営の「天狗の湯」。その向こうには雁ケ沢ランプから入った付替え国道が見えます。
 ここは、東吾妻町のダム事業における生活再建事業の一端で整備された東吾妻町三島地区の農地です。
 写真はいずれも5月14日のものです。おそらく、ほとんど紹介されていない景色と思います。
  


手入れの行きとどいた畑地の周りには、花類がうえられていて、豊かな農業の未来を想わせました。折しもアヤメの花の最盛期でした。
 写真の若葉色の木はギンナンの木です。低木で横に広がる見慣れぬ品種のようで、山際の新しい県道までズラーと畑一面に植栽された様は、壮観でした。


こちらは吾妻川に面した畑地に植栽された苗木類です。



 最後に新築移転した「天狗の湯」の跡地を掲載。重機がある場所にありました。(前の「天狗の湯」の写真も添えたいのですが、膨大な写真量の中から探し出す時間的よゆうがありませんので……)


なお、水没せず精神的痛みを伴わず、着々と整備が整う東吾妻町に対する、長野原町水没当時者の方の中には、複雑な思いもあおりのようです。

       明日、東吾妻町の県道開通 
 ところで、明日22日、八ッ場ダム付替道路 一般県道林岩下線(L=8.5km)の内、「東吾妻町 町道5284号線との交差点」から「岩島大橋右岸」までのL=2.3kmの間)が開通するそうです。
 実は明日はまた八ッ場へいこうかどうしようかと思案していましたら、出先でノートの「県道の開通」とのメモをみて、俄然、「八ッ場行き」は決定事項となった次第です。 ただし、「開通に伴う式典等は執り行いません」とありました。
 群馬県のホームページより転載します。
  http://www.pref.gunma.jp/houdou/h5300002.html
                記
1 開通日時  平成23年6月22日(水) 午前10時00分
2 開通区間  一般県道林岩下線 「東吾妻町 町道5284号線との交差点(東吾妻町大字三島字武田井地内)」から「岩島大橋右岸(東吾妻町大字三島字細谷地内)」までのL=2.3km
      


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(1)八ッ場だより

2011年06月19日

擬岩とはやはり、ニセモノの岩なり



またもの川原畑代替地の三つ堂です。
 新しい三つ堂の向かって左側の墓石は、旧三つ堂の同じく左側にあったものです。ここでは、「両墓制」がとられているので、 三つ堂脇には「詣り墓」があり、その墓石群です。
 写真ではお分かりになりにくいと思いますが、お堂裏手の草むらのなかにもたくさんの墓石があるのです。よくよく目をこらせば、墓石らしきものがみえました。それらは無縁仏とのことでした。
 今までは留意していなかったのでしたが、この日、午後の便の国交省案内の方の説明でしりました。 こんなにたくさん、かっての三つ堂の脇にあったのかと驚いた次第です。五人以上から申し込め、月・木曜日に運行されている、やんば館二階での約三〇分間の説明の後に、マイクロバスでの約二時間の見学コースです。
 折り紙つきの“市民運動のワルい女”でいささかの気遅れもありますが、たまには、国交省のバスに乗せてもらって、その説明を伺うのも良いものです。
 


念のため、2007年秋の三つ堂最後の秋の景色をようやく探し出しましたので添えてみます。
 名残惜しく口惜しくて、2008年の年賀状に用いた写真です。前にもご紹介したと想いますが、お許しを。

 


次の写真はお堂右手の石仏群。
 正式名称「擬岩」とやらにバックにコンクリートの台座に等間隔に味気なくくくりつけられ身動きならぬ、移転させられた石仏たちです。私は擬岩ではなく「偽岩」もしくは「欺岩」、または「疑岩」と呼びたいくらいです。
 ほぼ輪郭を見せ始めた工事の際、この岩の名前を国交省に聞いた際に、「ギガン」とのことに「ああ、ニセモノの岩と書くんですね」とすかさず言うと、「それはいかにしてもヒドいですよ」と電話の向こうに苦笑の声がありました。
 「擬」の字の意味には「なぞらえる まがい もどき」の意味がありますから、そんなに遠くともあたらじではありませんよね。
 ちなみに擬岩とは、動物園や水族館などての工事に用いる特殊技能によるものとのことで、折しも現地で作業中に出くわした東京からきたという施行業者の方からうかがいました。中には鉄骨の骨組みがあり、そこに巻きつけて行って、いかにも本物らしくみせるのですから、ニセモノに間違いないとおもうのですけれど……
 慣れ親しんだ土地の者でもないのに当時は、日一日づつ整っていく三つ堂工事に、言葉にならぬいらだちがありました。こんなのが、あの三つ堂の、文化財の移転ではないと……
 そして、その空間と雰囲気そのままに移しきれない断絶された公共事業における文化財の移転に、深い哀しみを覚えます。
 


さて、その壮大な規模に圧倒される川原畑の巨大モニュメントの制作資金は、冒頭の墓石の持ち主や無縁仏への補償金の一部があてられたと伝えられています。
 これだけの数の墓石があったのですから、(とかくの風聞もあり、一時某マスコミが取材していたことも漏れ聞きましたが)、それも可能だったんだろうなと認識した次第です。
 最後に三つ堂下に設置された、、総額2000万円とか伝え聞く、黒御影石に刻まれた墓碑銘一覧と村の絵図。ならびに大きな観音像の川原畑地区墓地の巨大モニュメントの写真も添えさせて戴きます。
 迫力に欠ける写真ですが、近くでみるとそれは圧倒される大きさです。
 左端はこちらも豪華も豪華な各戸の墓地です。15日付けの記事の冒頭写真の川原畑代替え知の写真の左下の一角の墓地の拡大部分写真です。   


Posted by やんばちゃん at 23:26Comments(2)八ッ場だより

2011年06月18日

これが管理型処分場と呼べるか? しかも大量のヒ素ありなのに

 



 案内で、久しぶりに品木ダムに行きました。
 多くの皆さまがすでにご存じのことですが、吾妻川は強酸性で魚の棲息はもちろん、五寸釘が10日間程度で針金のようになってしまうため、コンクリートをも腐食しかねませんでした。
 したがって、八ッ場ダム建設は不可能として、一端は立ち消えとなったのでした。けれど、どうしてもダムを造りたい、なりふり構わず造りあげることが目的だった、どっかの筋の至上命令によって、何が何でもの意気ごみで石灰を投入する「中和」方法が考えだされたのでした。かくして、ダム建設が再燃した経過があります。以来、“死の川をよみがえらせた世紀の大発見”なる、石灰の投入を試み続けているわけです。

 年間維持費に約10億円。1965年12月の操業開始より、1日も休めない事業なのです。

 流れを追います。草津市内→湯川沿いの中和工場→湯の湖→A・B・Cの汚泥の捨て場(「土捨て場」とよばれている)

 最初の写真は、もうおなじみの場面ですが、温泉水交じりの流れる湯川に掛けられた、橋げたの管からミルク状の石灰ミルクが川面に注ぎ込むと、湯の湖に着く頃にはpH2→5程度に中和されていきます。
 水面のツートンカラーにご注目ください。
 これらの中和施設見学は、時間がかかるため、日帰りコースでは少しきついので思案のしどころなのです。が、やはり多くの皆さんに知ってもらいたい。「これを見ずしてどうする」的な役員さんの熱いご希望もあり、8月の本番の際にも品木ダムの中和の流れだけでも、ご案内することになりました。
 


写真は最も新しいCの土捨て場です。写真右端の先は大沢川に面した斜面となっていて、排水溝を伝わって、ヒ素交じりの汚水はまた大沢川に流れる仕掛けですけれど……
 ここでは、汚泥にコンクリートの粉を混ぜる、「固化」という捨て方がされていて、化学反応式によれば、先々、3塩化ヒ素といって、ナポレオンを毒殺したと伝えられる猛毒ガスが発生しかねない危険性がせ指摘されています。
 品木ダム水質管理所によれば、その高さは周囲の木々の高さまで積み上げる予定だそうです。空恐ろしいですね。
 しかも、汚泥を積み上げ管理型とは名のみの野積みの堆積場なのが、お分かりになられることと思います。
 元県庁職員の後藤克己議員の証言によれば、後藤さんが担当時に許可申請がもちこまれたとのことで、その後、担当を離れた際に「0K」になってしまったとのことでした。
 


ご覧ください。谷に向かった間に左右二筋の排水溝で、眼下の大沢川にそそぐ単純極まりない簡単な排水設備を。
 地中にしみ込まないための防水シートも何もなく、これが果たして、最終処分場と呼べましょうか?
ダムを造るためには、なんでもかんかんでも0Kにしてしまったことが明白に読み取れます。
 
 「中和を止めたら、吾妻川の魚が死んでしまうぞ!!」とのご意見もありますが、世界を震撼とさせるほどの猛毒のヒ素を蓄積してまで、水あまりの現在、およそ58年前の計画にそっての八ッ場ダムを造る必要があるでしょうか? 何も魚が住まなくてもよいではありませんか? 健康の方が、比較にならないほど重要ではないでしょうか。
 温泉にヒ素はつきものです。46年間の長きにわたり、品木ダムでせきとめず、そのまま流れさせ、太平洋に注がせていれば、こんな二次的被害を憂える必要もなかったのでした。
 
 本当に、原発問題と相似形ですね。どちらも国策という名のもとに行われた強引な国家権力です。
 ヒ素もまた、放射能汚染と同じく、土中に埋めるしかないものでしょうか。
 今般の原発事故の想定外の事故の教訓として、中和化による予測のたたない事故が起きる前に、対策を打たなくて良いものでしょうか?
 
 旧六合村の山の中で、エメラルドグリーンの湖といえば、聞こえはいいですが、訪れるたびに不気味さが漂います。
 かつて、旧日本軍が、中国で犯した細菌戦のための人体実験「七三一部隊」の戦慄を伴う、その犯罪。
 終戦後、身勝手にも中国の大地に置き去りにしたままの毒ガスによる後遺症に今なお、苦しまれ続けてこられた中国の方々の現実。ようやく、謝罪をこめ毒ガス類の後処理を日本が行うことになり、現在続行中です。
 もう、20年近くも前のことになりますがこの作家・森村誠一の小説でしか、その概要を知りえなかった恐るべき細菌戦部隊の実態を、全国的に伝える一大イベント「七三一部隊」展・前橋展を、たくさんの皆さんのお力添えのもとに、事務局長として奔走したことがありました。
 東京での文学関係の会合の後、たまたまお会いした知人の知人の、同実行委本部の方からの依頼で、2年間の準備期間を経ての開催でした。1993年8月の開催でしたから、全国的にも早い段階の開催でしたが、門外漢なのに熱にかられての行動でした。
 愚かしい戦争を絶対に繰り返してはならないとの突き動かされるよう想いで、何とか一人でも多くの方に知らせたいものとの想いのみでした。
 科学・化学の分野に極端に弱いゆえに、あの時のような焦燥感と肌寒さを覚えてなりません。    


Posted by やんばちゃん at 22:09Comments(2)八ッ場だより

2011年06月16日

残る柏屋も、年内には解体




 川原湯温泉を登りつ詰めた、温泉街の最も奥まったむ川原湯神社の前に、三軒の大手旅館がありました。
 写真の「柏屋」は、最も多い百人収容が出来ましたが、現在休業中で年内には解体予定とのことです。
 その前に、解体され石段だけが残っている「高田屋」さん。
 そして、その右手にはさら地となった「敬業館 みよしや」の跡地。断崖にはりだしたタイル張りの浴槽が残っています。
 浴槽自体は改築されているでしょうが、位置的には、その昔、若山牧水をはじめ、多くの文人墨客が一夜の宿をとった時の風呂場の位置のままなのでしょうか。
 密集した場所での三軒の旅館なので、端から順々に解体するようです。

 今年の「湯かけ祭り」の時、柏屋さんの大旦那さんは、たき火の廻りで、「川原湯温泉は、ハァ、ぶっッつぶれたい」とだみ声で語られ、「俺んちも今年いっぱいで壊すんさ」とはきすてるようにつぶやかれたものでした。
 誰が何がどうして、名湯・川原湯温泉を意味なくツブしてしまったのでしょうか。  


Posted by やんばちゃん at 22:42Comments(3)八ッ場だより

2011年06月15日

一号橋はピッチあげ、三つ堂跡地の工事も間近?




 川原畑代替地高台から、対岸の川原湯代替地方向を臨んほぼ全景写真です。
 右手橋の電柱の斜め左前方に立つ、白いコンクリートが一号橋の橋脚・P2で、かなりの高さまで進みました。
 (……アップしてみましたら、)これでは定かでなくムリですので、次の写真をご覧ください。画面真ん中の道路の正面延長上、バックの山の中復にたっている角柱が、P2の橋脚です。
 思わず、「ここまでで進んだか」のバロメーター的存在に思えます。
 対岸の川原湯地区側の「ふるさと」さんの旧店舗敷地内に立つ、橋脚・P3は、基礎工事が終わって、地表1mくらいまで進んでしまっています。
 そして、かつて川原畑の三つ堂前を走って、P2の橋脚建設現場近くの「埋め墓」(川原畑では両墓制をとっていて、埋め墓と詣り墓が別々にあります)の脇の、最初に出来た工事用進入路を登った左手にあった道沿いの人家は、もうことごとく移転。
 写真のような大規模工事の資材が置かれていました。
 案内の途中なので。助手席から撮ったので、画面右端の枠は車のフレームです。



 川原畑は代替地と付替え道路がほぼ完成・
 これから、手づかずだった工事用進入路の下部の開発に入るようです。
 ですので、わが愛すべき「三つ堂」の跡地一帯の景観も一変してしまう日が近づきつつあります。
 この日、車窓から見上げた、三つ堂のなごみに満ちみちた風景は、草木に覆われてしまっていて、わずかに真ん中の御堂への石段が、草の中から見えただけでした。昔日の面影を伺いようもなく、口で力説しても、初めての方にはわかって戴くのはいささかムリ。右手のくびれた岩場に70体ほどのお地蔵さまがズラリと鎮座していた、あの心なつかしいたたずまいはもはや、記憶の底に淀ませる他にすべもなく、何とも残念でなりません。
 長年、慣れ親しんだ、村人のシンボル的存在の石仏の移転について、空しくてなりません。
 環境省さん、文化庁さんよ、しっかり、めくばりして何とかしてくださいませんかね。
   


Posted by やんばちゃん at 10:27Comments(2)八ッ場だより

2011年06月14日

?残るは本体工事をすれば良いだけ……



昨日13日は、以下の二つの八ッ場ダム関連の会議が都内でありました。
 ①10時~ 日本学術会議の第10回(「基本高水」の数値の妥当性を検証) 
②18時~20時  有権者会議
    第14回 今後の治水対策のあり方に関する有識者会議の開催について
http://www6.river.go.jp/riverhp_viewer/entry/y2011ed170845189f369e9bd3c6c8bf9c68edc72edfefe.html
 実は昨日は、夏にある、ある団体の八ッ場ダム研修のその下見の案内役として、八ッ場行きでした。一度の交通費ですんだのに残念でした。
 
 しかし、ここの処、珍しいほどの間が空いてしまった八ッ場の地は、驚きに値する工事の進展ぶりでした。
 ご案内した方々は、久々にまのあたりにした八ッ場の変貌ぶりに、「゛これじゃ、後は本体工事をすりゃ、いいほどだね」との嘆息がでたほどでした。
 「大阪城の空ポリと同じ構図で、どっかの想い通りですよね」と言うと、「ホントにそう言える」と切ない同意を得てしまいました。
 生活再建とは聞こえがよいですが、そちらの方よりも、ダムを造るための準備、着々といったところでしょうか。
 まずは、付替え国道の写真を掲げさせて戴きます。             
   


Posted by やんばちゃん at 12:21Comments(0)八ッ場だより

2011年06月11日

(その三) 地すべり、試験湛水まで進んでの検証は税のムダ

本日は、明日のイベントの準備に追われてまして、簡単に記させて戴きます。
 一連の八ッ場ダム現地の安全性について、足を使い現場を確かめ、学ばれての質問に対して、答弁者の県はかたくなな態度で「推進ありき」でした。
 そして、この日の傍聴人は定数5名に対して、2名のみ。しかも、「良かった。今日はオンリーワンでなくて」と思ったその方は政党関係者と終了後、偶然にしてわかった次第です。
 その上、毎日新聞を除く、多くの県内マスコミは、一つ掲げるとしたら「用地補償費 25億増70億」のことにつきたようです。ですので、微力ながらの連載記述です。

 住民の指摘を無視して強行した大滝ダム・滝沢ダムの今に至る、ムダな修復工事。莫大な追加予算をつぎこんでも、なお、本質的な解決に至らない経緯を、伊藤県議が力説した後で質問の締めくくりとして、「安全性について、県独自のお考えを部長いかがですかと」と問うと、答弁にたった、県土整備部長は(とっても低い声でしたので、聞き取りにくかったのですが)「やる」とはいわれず、「その為に試験湛水もありますので」的な発言に聞こえました。

 地すべりの検証なしに、試験湛水まで進んだら、おしまいじゃありませんか。
 税金を何だと思っているのかと、県民の一人として、怒りがわきました。
 思わず、カチンときて、終了後に、先の地元の工事現場の石の名称「モンモリロナイト」の名前を執行部席に確認させてもらいに行った際に、部長席をさしながら、まだ残っていた県職の方たちに向かって、「もしも、あっては困るけれど本当に地すべりしたら、責任ものよ。(声が小さくかったけれど)試験堪水までだなんて、ここにすわっていた県幹部は犯罪ものよ」と息巻いてしまった、どこかのオバさんです。
 
 皆さん、どうぞ、次回の傍聴にお出かけください。
 時間に急かれて意をつくしきれませんが、私たちの知らない所で、表にでない本当に腹だたしてことがいっぱいなんですから…… 
 自民党様の天下の県議会で、正論を吐いてもヤジが飛び、多数決で押し切られる、少数派の県議さんたちの悔しさはいかばかりでしょう。
 なお当方、どういうわけか、この間、意識的には極めて近いのに、共産党さん総体には気にいられないようでして、妙な憂き目に複数回もあってきて、かなり立腹ものです。が、その中でも伊藤さんは、変わらぬ姿勢で接してくださった、極めてリベラルなお人柄の方で、今回の切り口鮮やかで説得力のある質問には魅せられました。
 



 ※色づきだしたわが家の鬼グミです。記事とは関係ありませんが、無いと寂しいのとグンブロさんの写真欄にも載りますので……  


Posted by やんばちゃん at 22:47Comments(0)八ッ場だより

2011年06月10日

特別委・傍聴記(その三)「打越代替地の安全性」など

 8日の特別委委員会より、引き続いて、伊藤県議の質問のハイライト部分を。
 昨日、睡魔と時間に急かれて、筆記ノートを確認せずに記憶力だけで記してしまいましたが、伊藤県議は以下の順序で質問しました。
 まず、「八ッ場ダム問題は“大変、ゆがんでしまってきた”」と切り出し、
  一、  (当初の通告にはなかったようなのでしたが、あまりに内容が酷いので)主にこの日の、他議員の質問時の誤認事実の訂正に充てられたようでした。
     ① 堤防とのダムとの水防計画の比較・推移
     ② 基本高水への認識
     ③ 暫定水利権について
      午前中の角倉さんも「水利権は消滅しない」ことを確認しようとしていましたが、県ダム対策課は執拗に認めませんでした。続いて、午後の二番手の田所県議は、「生活再建などダム事業費は、暫定水利権に基づく下流都県からの負担金である。大ごとである」との論調にて、「中止の場合には、水利権が消滅。大変なことになる」とまくしたてあおってました。
 ダム対策課も呼応しての対応に対してなのでしょうか、伊藤県議は、「倉渕ダム凍結後、水利権はどうなっているか」の事実に即した反論を試みてました。
 以上は、今般の質問の本旨ではないので、深追いはしないとここで区切り、次の質問に移りました。
 


  
     ④ 最も、時間を割いたのは、お得意の「減電補償」問題。(本来はこの問題から始められようではなかったのでしょうか?) 自身で作成された資料を配布して、見事に論旨の矛盾を看破。
       この部分のまとめは、以下の毎日新聞を参照してください。
             【2011年6月9日 毎日新聞群馬版】
八ッ場ダム・流転の行方:吾妻川水系発電、与える影響議論--県議会特別委     http://mainichi.jp/area/gunma/news/20110609ddlk10010243000c.html

  そして、二つ目は「打越代替地の安全性」です。
  伊藤県議が配布された資料です。写真の上方が、①の質問である盛土部分。下の写真が、②の崩れた要壁の石積みです。



   二、「打越代替地の安全性」    昨日落としてしまったのでしたが、その一つ目は、
     ① 盛土の深さ=厚さ   35m~42m
       〃 の高さ       97m
       特筆すべきは、これらは異常な数値で、全国的にも例がなく、群馬県も安全性の面から独自調査をすべきではないかと県特定ダム対策課に迫りました。
     ② 2項目目が昨日、お伝えしましたが、写真資料を用いて、
        のり面部分の要壁部の石に、現場工事から出て(処分に困った)石を使用した経過事実。そして、現在、風化どころか崩れだしてしまった。

  三、地滑り問題について   ① 建設地一帯は地すべり地帯であること。
   ② それらの地に設置してある集水井が水没した場合の危険性
   ③ 滝沢ダム・大滝ダムの試験湛水後の地すべり問題に学べ
                       以上 
     


Posted by やんばちゃん at 23:48Comments(0)八ッ場だより

2011年06月09日

特別委・傍聴記(その二) 要壁には、なんと現地の石を使用

 昨日8日の県議会八ツ場ダム特別委員会の続きです。
 今朝の新聞をみて、いささか拍子抜け。
 昨日、圧巻だった(と感じた)伊藤県議の大きく分類して二つ目の「打越代替地問題」にふれたのがないじゃありませんか。
 特にある社の記事は、建設に都合のよい見出しのみ。ここでは、有識者会議の時も、「静岡県の富士周辺から導水」の荒唐無稽的な案をことさらに取り上げてまして、委員会の席でも田所県議は「マンガチック」と揶揄って、勢いよく「むしろ旗もって、どやせ」的な発言を繰り出してました。

 昨日の約五時間半の傍聴の中で、当方にとって最もインパクトのあったのは、角倉県議、伊藤県議のお二人が質問なされた、「川原湯温泉打越代替地の要壁問題」でした。
 というのは、同代替地の造成時から自分でも関心があり、とりわけ水の排水は造成時より折に触れ写真にとったり、造成地の砂を採取して識者に聞いてきたりしていた事柄でありましたので、午前中、角倉さんの八項目目の質問で、もり土の要壁の水抜き排水管からでている地下水問題についての質問がありました。
 返答者の建設住宅課の・次長以下3人の職員が、事前に諮られて、参考人として呼ばれていました。課長は他の委員会に出席ているとのことでした。
 傍聴人ながら、午前の質問が終えた段階で、以下の三つの疑問点を次長さんに伺いました。一足違いでマスコミさんがが質問していたので、待っていたら、同じく①について「場所は?」との質問が耳にはいったので、近寄って一緒に伺った次第です。
  ①「出水の場所はどこか」
  ②造成時にはほとんど水がはけず、溜まり水だったが、排水路はどうなっているのか
  ③川原湯地域の打越代替地ののり面(地元民が植栽したその下方)というか斜面の要壁部分の石は、えぐられていて深い穴があいている事実について。
   ①は打越で最も下流寄り。横壁の代替地の二か所と地図を示して教えてもらいました。
   ②国交省に聞いてほしい
   ③それについても国交省に

 そして、午後の二人目の伊藤県議の質問にはびっくり。
 なんと、当方も崩れた打越の斜面の消す間に驚き、「怖いな」と感じてきた、その川原湯代替地ののり面の摘み石には、工事の際に現場から出土した石が使われていたとのことでした。これはアッサリと県側は応えていました。
 現地一帯の石は、天明三年の浅間の噴火によるもので、もろい石なのは周知のことです。
 地学の教師をしていられた伊藤県議はこの面のプロ。
 「それが間違いだった。、水を含むと崩れ、ベントナイトである」と指摘。 
  ※ベントナイトは、粘土鉱物モンモリロナイトを主成分として、石英、α-クリストバライト、オパールなどの珪酸鉱物を副成分として、長石、マイカ、ゼオライトなどの珪酸塩鉱物、カルサイト、ドロマイト、ジプサムなどの炭酸塩鉱物や硫酸塩鉱物、さらにパイライトなどの硫化鉱物を随伴する弱アルカリ性粘土岩の名称
 住宅課ては、「ある程度の風化はありうる」的な発言をしたと思います。
 これに対して、さらに伊藤県議は「あれは風化という段階ではない」と指摘されました。

 この後の、「地滑り問題」についても、後ほど別記致します。
 しかし、大きな問題です。
 心なし、この辺りからの明らかな事実の衝撃の前に、それまで、学術会議の結果や裁判のことをわざと質問してクローズアップさせるなど、勝ち誇り気味の自民党県議団も、もはやヤジをとばさず、県職員もシーンとして、室内の空気が凍りついてしまった感がしました。

 本ものの議員とは、角倉議員や伊藤さんのように、たえず現地に足を運び、検証。ご研鑽をつまれるべきと改めて想いました。
 事実把握だけでも、傍聴に行って良かったです。


【注】ベントナイトとは
http://wwwsoc.nii.ac.jp/cssj2/seminar1/section23/text.html
または、http://www.hojun.co.jp/48_what_bentonite.html  


Posted by やんばちゃん at 22:21Comments(0)八ッ場だより

2011年06月08日

県議会特別委・傍聴記(その一)

 10時開会の群馬県議会に行ってきました。
 とっても収穫のあった傍聴でした。
 
 (ようやく、パソコンに向かい、ここまで記したた゜けで、何度目かの睡魔に襲われて、ダウン。 帰宅後、ここのところ連日のボランティアの農作業を、8時近くまで月明かりでしていたのでかなり身体が疲れていたのだと思います。
やっとの思いで、《のちほど詳しく記させて戴きます》を記した次第です。)
 ※さて、一夜あけてしまった今朝9日早朝、昨晩、パソコンはシャットダウンしたつもりでしたのに、?電源入れっぱなし。
 ……で、考えましたがここに昨晩、記そうと想ってました、角倉県議と伊藤県議の質問内容をしらじらしく昨日づけで記すよりも、項を変えて10日分に回します。

 概要のみを。
 10時~ 開会 全員出席。
           中沢丈一委員長あいさつの後、初回ということもあり、委員。執行部の自己紹介あり。
           続いて、付託議案の説明、質疑。
           付託事件の説明。資料の説明。
  11時頃   ようやく、付議事件の質疑に入りました。
           発言順に記します。
           ①清水 真人(新・自民)     約5分間
           ②角倉 邦良 (リベラル群馬)  約40分間
           ③舘野 英一 (自民)      約15分弱
  ーー ここで12時・昼食休憩ーーー
   
  13時      ④萩原 渉  (副委員長・自民)  約15分くらい
            ⑤田所 三千男(前・新 自民)  約5分 
            ⑥伊藤 祐司(前・新 共産)    約40分
            ⑦岸 善一郎 (新・自民)     約5分
⑧吉山 勇  (新・みんなの党)  〃 弱
            ⑨大手 治之  光クラブ       〃 弱
  15時15分頃    付託議案の討論・採決     角倉・伊藤を除き賛成多数ですべて可決
           この席で、突然提出の、 萩原議員提案。案文作成の「秋まで待たずの建設是非の早期決定」(正式名?」の要望書提出をめぐって、しばし紛糾。 
           閉会。
 11人のメンバーのうち、中沢丈一委員長と織田沢 俊幸(自民)の2名を除き、9名の委員が、それなりの質問に立たれたわけですが、圧倒的多数の自民党議員さんの不勉強な儀礼的かつハッタリ的な質問が目立ちました。
 その中で、舘野議員は前回同様、水に泣かされてきたご自分の選挙区、県内最東部の板倉町周辺の実態に伴う発言で、切々とした実態の訴えは耳をかたむけさせられました。が、最後は「ために、ダムは必要不可欠」とのことに、続く伊藤議員はすかさず、「その要因は、堤防の不備の実態」に言及していました。 
 ちなみに、伊藤県議によれば
           利根川水系堤防費         ダム建設費  
 2003年     約800億円             約400億円 
 2007年     約600億円             約200億円
 つまり、この間に200億円がダム建設費に回され、堤防強化が疎かになったと強調していました。しかし、午後は舘野議員は欠席でしたので残念!
 
 なお、伊藤県議の質問中に、田所、中沢、萩原議員が猛然・騒然ととヤジ。
 これに対して、伊藤県議が憤然として「委員長自身がヤジを飛ばして、どうするんですか!!」と抗議する場面がありました。その詳細顛末は後述。  


Posted by やんばちゃん at 22:45Comments(0)八ッ場だより

2011年06月07日

転載:八ッ場 癒しの風俗詩 第10回

 カメラを変えたものですから、写真の縮小が不具合いで……
 本日は、転載にて、お許しを。

 八ッ場 癒しの風俗詩     
           第十回   田植え時の水の作用を凝視して……
 田植え時の水のはられた水田は、一枚の巨大な鏡と化す。
 周辺の景色は無論、果てなく続く大空の動きをも的確に映し出してくれる。しかし、その構図は必然的に、現実の景色とは逆のシンメトリー的光景とならざるを得ない。
 そして、畦道を行く人々の姿は如実にとらえられても、人間界の心の動きは、どこにも映し出されない。
 いわば“もの言えぬ水の鏡”なのだ。否、むしろ“虚構の鏡”とでも呼ぼうか。

 八ッ場の家々の戸口にたたずむこと、早や11カ年。
 顔みしりのお宅が次々と消え、元の場所には数軒しか残存しない現実を前にして、静もりかえった水田に映し出される画一的な景観にも相通じてしまうのだが、未だに水没地の皆さんの本音を量りきれない、ある種の痛痒を覚えてしまわざるを得ない。
(前政権の仕上げた錬金術によって虚実が飛び交った、千載一遇的な巨額の補償金が介在してきたために致し方ないこととはいえ)、往々にして、部外者に対してはご自分のお気持ちは糊塗して、さりげなく接してくだされた。(なお、富の分配とやらは、隅々まで水平に水がいきわたる田植え時の水田とは異なり、一部の有力者たちが潤ってきただけであったらしい。不自然なその経緯を日常的に見聞していて、誰よりも良く知っていられる一般住民は地域社会の不文律にのっとってか、陰口はきいても表立っての指弾はなさらない、それもまた現地の流儀だろうか)。
 でも、持ち前の愚直さで、お話できるだけでも良しとしてめげずに足しげく通い続けてきた歳月がある。表面的には見えない没地の本音の想いがきっとおありだろうと。
 そんな過程でも、不意に心がはじけるように繰り出された一片の本音に出会えたこともあった。女性同士の場合には、こだわりの漬物の味へのうんちく語りや、考案された独自の山菜類のアク抜き方法のご披露の最中であったり、時に髪の毛をファッと見せる苦心の美容術の話など、そんな何気ないふれあい場面での会得であった。
 こうした人間同士の響きあいの領域を押し広げ、紡ぎ出した言葉を蓄えつつ、いつの日か「私の八ッ場ダム物語」の一枚のタペストリーを織りしたいものと念じている。

 山間部の地形ゆえに水田面積の少ない水没地の代表的な穀倉地として、やんば館周辺の水田があげられる。
 上手の2号橋直下の水田にひきこむ水口の水は、移転した第一小付近から流れ落ちて、国道近くで一つとなる「折の沢・立馬沢」の二つの沢筋。下手の国道下の水田には、やんば館と旧第一小跡地との間を流れ吾妻川に直角に合流する久森沢からの水が用いられている。pH2の吾妻川の水質と異なり、これらの沢水はかつて飲料水として用いられたほどの純な清水で、旨い米が育つ最大の理由となっている。
  3町歩と聞く一帯の今年の田植えは、去る5月21日を皮切りに月末までにほぼ終了の見通し。6軒の耕作者のうち2軒を除き、土地は既に国交省に売却済み。付随して、代替農地が未完成の間、周辺の売却農家が国から年契約で借りての耕作である。
 目下、ぞれぞれの方の持田の若々しい稲苗が緑の風となってそよぎ、もはや、水面には鏡の作用を果たしてくれる、空間余地はない。

 さて今秋、稲が実る頃には、注目の「八ッ場ダム建設の是非」の国の判断が出る。
 ちなみに中止が決定した川辺川ダムのある熊本県、阿蘇地方では田植え前の一時の夕暮れ時には水田が夕陽でアカネ色に染まり、カメラマンがズラリと並ぶそうな。
 判断が下された来年の田植え時、果たしてわが八ッ場の水田は、何色となるのか?
 脱原発・経済の疲弊も甚だしい世相中、「検証の場」等の一連の審議過程でも、日々「建設」の色相が濃色を帯びつつあり、憂色に包まれ始めた現実にさらされている。
 建設決定の暁には、一帯は周辺の山々を映し出す鏡的存在どころか、ヒ素混じりのヘドロの水に閉じ込められ、太陽の色さえ伺えない深い湖底の汚泥に沈む運命の途上にある。(※吾妻川に注ぐ、旧六合村の中和施設周辺には大量のヒ素が蓄積されている)
 
 すると、とめどなく浮かびきて、瞼にせまる色あいがある。
 通い初めた頃、目にした一匹の沢ガニの冴え冴えとした紅い色を。ウジャウジャといた大きな本ドジョウの照りのある黒茶色を。さらに硬直した死骸の白い腹の色を。
 哀れにも黒い殻の筋目にまで茶褐色の澱が溜まり、程なく褐色まみれで側溝の中で折り重なるように殻だけ残っていた大振りのタニシの殻の色あいを。痩せてはいても採りきれないくらい跳ねまわっていたイナゴの軽やかな四肢のグリーンの透明度を。
 かろうじて今も姿は見られるのは大々激減したイナゴのみ。それとて稀有な遭遇になるが…… 直接原因はダム建設に伴い水路のコンクリート化と農薬使用によるものであるのは明白。たかだかここ6~7年間の大規模工事後の劇的な変化である。

 最近、お目にかかった農家の女性が「私がね、お嫁に来た頃は、大きなドジョウが邪魔なくらいいたんですよ」と語ってくださった。農薬はあまり好まれないご性格とお見受けして、意気込んで「ダムよりも自然を」を口にしかけてしまったら、「でもね、ダムも早く造って貰わないと困るんですよ。もう年ですから」との応えあり……
 他方、男たちはハレの田植えを前に「クロ塗り」と称する、漏水とモグラの侵入防止のために、鍬で水田の土をすくいあげ田の周囲の畔を塗り固める、前作業を行う。昨今は機械も開発されたが結局、手作業の重労働である。    
 土に生きる農家とて、毎年のクロ塗り作業の如く「国策」という名の時の形勢に即し、いとも簡単に心をも塗り替えてしまうこともありはしなかったか。つまり「ダム反対」→「賛成」に転じてしまわれた過程にて。恐らく、耕作者の心中では揺れながらの作業もあったろう。何しろ農業切り捨て策のもと、農地はカニやタニシの命など何のそのの、法外な価格となってくれるのだ。
 紛れもなく八ッ場の現実の一端である。  


Posted by やんばちゃん at 23:20Comments(0)八ッ場だより

2011年06月06日

八ッ場ダム関連会議、県議会と東京で

 お知らせ事項です。
 明後日8日(水) 以下の二つの八ッ場ダム関連の会議が、県議会と学術会議とであります。
 13時の東京・乃木坂の学術会議に到着するには、特別委員会の冒頭のみで、電車に乗らなければならずで、どちらか一つを選ばなければなりませんね。
 前回6/1の席で、日本学術会議第9回分科会の最後に、次回の日程を聞いて、「あ、ダブッちゃう、 無念」と思った次第です。この分科会が前回同様15時~18時なら、まだ何とかなるんですけれど……

 一、 群馬県議会・八ッ場ダム特別委員会  10時~  
   ※朝8時半~受付 先着5名
  八ッ場ダム対策特別委員会の新たなメンバー
  委員長  中沢 丈一  自由民主党 
  副委員長 萩原 渉   自由民主党
  委員   田所 三千男 自由民主党
  委員   織田沢 俊幸 自由民主党
  委員   舘野 英一  自由民主党
  委員   岸 善一郎  自由民主党
  委員   清水 真人  自由民主党
  委員   大手 治之  光クラブ
  委員   吉山 勇   みんなの党
  委員   角倉 邦良  リベラル群馬
  委員   伊藤 祐司  日本共産党県議団
   http://www.pref.gunma.jp/gikai/z1110886.html
 11名中、ダム反対論者はたった2名という、肌寒さ。

二、日本学術会議第9回分科会ーー基本高水の妥当性を検証する会議です。
  土木工学・建築学委員会
   河川流出モデル・基本高水評価検討等分科会
(第21 期・第9 回)
 議 事 次 第
  1.日時 平成23 年6 月8 日(水)13:00~15:00   2.場所 日本学術会議6階 6-C会議室
  3.議題
   1. 前回議事要旨(案)の確認
   2. 検討結果の報告(4)
   3. 検証・評価結果の報告(3)
   4. 回答骨子2:検証・評価
   5.その他
  http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/doboku/giji-kihontakamizu.html  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2011年06月05日

伊東光晴さんのご著書です

 


昨年の1月末、毎日新聞書評欄トップに、拙著『八ッ場ダムー振り回された57年』(2009年 明石書店刊)、続いて『世界3月号』への過分な書評をお書き下された、経済学者・伊東光晴さんのご著書です。

 『政権交代の政治経済学ー期待と現実』
   出版社:岩波書店 2010年9月初版 
   定価:1700円+税 


  初出の一覧がないのですが、主に『世界』に連載されたご論文のようで、
  第Ⅰ部  「民主党政権の政策を考えるー期待と危惧の交差の中で 
  中の冒頭〈鳩山新政権の経済政策を評価する〉の
  (4)ダム問題再論の項で、なんとまたまた拙著が…… 
 ご著名な方ですから、いずれ本になるだろうとは想ってましたが、雑誌段階と異なって、その時には拙著のことなどは削除されるものとばかり想ってましたが、感動ものでした。


ただ、小さなことながら、残念だったのはP38の「上湯原」の地名が「上野原」になっていること。 昨年2月の『世界』発売時のあと、同編集部に礼状の転送依頼とともに、「誤記」のことをお伝えしたのでしたが……

 拝読しなれればと思いつつ、昨今はまとまった本はほとんど読めなくなってしまってしまいました。中断したままで、ようやく、後半部については、先日の学術会議への電車の中で目を通した次第です。
 新聞もツン読状態(最も、購読紙2紙に加え、隣近所の親族から3紙集めて、計5紙もあるのだからムリもないことではありますが……)。苦肉の対策として図書館から借りても、昨今は未読のままがほぼ通例化。
  
 あらためて、八ッ場問題のために、お礼を申し上げます。   


Posted by やんばちゃん at 08:57Comments(0)八ッ場だより

2011年06月03日

山椒の実採り、顛末記

 


 ようやく、陽射しの回復。朝から良いお御天気です。
 写真は、数日前のわが家の自然園的庭とへば聞こえがいいけれど“畑→雑木林”の山椒の木々です。
 家業に追われ、各種市民運動に奔走していたここ20~30年間にいつの間にか増え、大木になってしまいました。
 ウンザリしながら数得てみたら、大小あわせて30本を超えていて、実をつけず気持ちのもめない木はほんの4~5本だけなのですから……

 皮肉なことに、27年前に68歳で亡くなった母が生きている間は、まだ数本だったどの木にも実がつきませんでした。
 しかも、「どうして、こんなに大きいのに実がならねぇんかなぁ」と母が嘆きつつもめでてきた、一本の大木は、耕地整理の際に、わが家は東側の敷地を1m幅でとられると思って安心していたら、出稼ぎの作業者の方が、図面を読み違えて3m分と勘違いしてしまって…… 
 気がついた時には、東側の敷地にブラリと並んでいた思い出の庭木類が、すっかり平らにならされてしまって土の中に。
 この耕地整理はそもそも61歳で急死した父親が、その寸前まで腐心し、役所へ足を運び手はずを整え、始まったものでした。
 でも、まだ若かった私たち姉弟は、父親急死後の家業に追われるままに耕地整理に宅地が出せることを知らず、それから6~7年近くたって、元は畑地の自宅の敷地内にあった「農道分として東側を削る」との役員の来訪に初めて、「では」が気がついた次第でした。が、もはやこの段階では手遅れ。
 もともと何ごとも平らにすれば良しの工事類には皮膚感覚的な拒否反応がありますが、以来、耕地整理には好感がもてません。せめて、母が晩年まで大事にしていたあの山椒の木だけでも、その残骸だけでも欲しかったと思え、山椒の木には少なからずの思い入れもあるのです。
 しかも、最近、実家の地続きの土地を姉が求めて、家を建てた後、庭を掘り返したら石はむろんコンクリート類や廃棄物の山。当時の関係者の証言によれば、そこは耕地整理の際の雑ものの埋め場だったとのこと。
 何と、父が心身使い果たした耕地整理には運がなかったもわが姉妹たちなのかとは姉の弁。

 毎年、若芽はもちろん、実を採る間もなく、落ちるままにまかせて自然園としてきたのですから、仕方ないのですけれど…… 2~3年前から春先の葉摘みは仕方ないとしても、せめて実の採取を試みています。
 そして、月一回の“露天商のオバさん”としての出店するフリーマーケットでも商品として並べてみるのですが、ほとんどはけません。母親たちの世代とは異なり食生活も変化、若い世代には食べ方も活用法ももうおわかりにならないのではないでしょうか。
 そこで、手づくりレシピもそえるのですが……

 最も美味でポピュラーなのは、京都みやげとして知られている、「ちりめん山椒」。
 塩ゆでしておいた実を保存しておいて、シラスと合わせて炊く、関西方面では伝統的な常備菜のようです。
 山椒の実の採取に手間ヒマかかり、その上、青煮として保存するまでに丁寧に仕上げようとすれば一粒一粒の軸ももがねばならず、仕方ないとはいえ、驚くほど高額なちりめん山椒も自分で作れば、超安価。
 昔ながらの食材ですから、山椒味噌や魚の臭み取りなど、活用法はいっぱいあります。
 薬効としては酢漬けにしておけば、目に良いとのこと。数年前に聞いた話ですが、その方の叔母さんは毎日3粒ほど食べ続けて、当時93歳になっても、針目を通せたとのことでした。この場合は、そのままの方が効き目ありとか。
 
 ご覧ください。前掲の木は特に実だくさん。
 この一本で4~5㌔は採れてシマウのです。全部、採取すれば10㌔は超える分量があると思います。
 思い余って、一昨年よりは市場へ。
 おかげさまで、採算を度外視すれば、昨年までは小さな小遣い稼ぎになってくれてましたが…… 今年は、震災のこともあり、全体に野菜類が売れなくて全般に安いとのことで、次のようなさんたんたる顛末記なのです。

 本年こそはと張り切って実が若い、22日のフリーマーケットに初もぎ。
 ところが、一時間遅れで到着した上に、午前中に振りだした雨で、昼前にほぼ中止状態。たったため、3袋しか売れず。
 疲労困憊の身体で、翌日は一大奮起。4時起きして、さらに摘み取り、梱包。山菜もののセリの時間に間に合うよう、30分かけて7時までに市場へ。翌日は市場の休みなので、その翌日、イベント続きで疲れ果てた身体にムチ打って、梱包。
 ところが、第一回の単価をみて、驚き。
 あんなに神経使って、時計を見ながらの作業だったのに、なんと一袋が30円。20袋で600円にしかなりませんでした。往復で約30㌔の道のガソリン代。しかも、時間ぎりぎりで気ぜわしく走るので、危険極まりなし。さらに、微々たるとはいえ、袋やテープなどの付属品などに消えてしまいます。“とらぬ狸の皮算用”式に、少なくとも昨年並みの100円くらいにはなると思っていたものでした。昨年は150円まで行ってくれたのでした。
 翌日は、35円。35袋だしたので1175円。
 今年は転居してきた姉にも手助けしてもらったので、姉と延べ1週間ほどの報酬は、たったの1775円。ここから手数料を差し引かれ、代金をもらうのにまたガソリン代を要する次第で、赤字です。
 さすがに、3度目の?出荷のまねごとは止めた次第。
 


しかもです。ご覧ください、この四本のこんもりとした木は特にトゲのある木です。しかも、大ぶりのたくましいトゲなのです。
 先の大木は比較的、トゲが少ない品種なので助かるのですが、実の大きくなるなり具合に応じて、順次採るものですから…… でも、?欲と何とかでなりふり構わず、寸暇を惜しんでの作業でした。
 

で、ほぼ10日近くもたった未だにご覧のような、後遺症が……。キズつけた当初は鮮やかな赤で、風呂に入ると染みて染みて…… それとトゲのささった指が腫れてしまって……。この頃はほとんど無防備状態。それでも最初は手袋・手っ甲をするのですが、やりにくくて時間に急かれるといつの間にかとなってしまうのです。
 従って、一連のにわか農作業の過程で、福島原発の作業員が、作業の効率化のため防具を外してしまって、被ばくした段階の推移が、身にしみて理解出来うるです。
 加えて、姉からは首が痛くなった旨の愚痴ももらう始末。「なぜ、もっと切り詰めなかったのか」と再三、言われるが、その暇がない日々がありました。
 ……それに、心情的にも伐採するのは好まないのです。子供の頃から苦労した父親の死後、母がくりかえし方っていた言葉があるからです。「木だってな、おおか小さいうちからオッカジメルものではねぇ」と。
 いかに実入りのない耐久生活とはいえ、これでは、お好きな方に差し上げた方が、よっぽどまし。
 でも、これがまた時間的にも心情的にも大変な神経を使ってしまいかねないのです。(手間まかかるものですから、忙しい方への迷惑を考え困惑するし、また後日、心ならずものお気づかいをさせることもあって)、さらに(世評に飛び交う、農家からキュウリやナスをもらった方たちから聞いている困惑。「お礼を考えるとスーパーで買った方がよっぽど安い」式の、あの本音の愚痴語を想いだすからです)。
 

      (二)八ッ場のフキ栽培農家の出荷顛末記 
 こんな時、つくづく思いだします。
 長年、 ワサビやフキなどの山菜ものを出荷してきた、八ッ場のLさん夫妻の嘆きを。
 養蚕がすたれ、桑の木に代わって、吾妻地方の行政が奨励したのが、秋田県の特産物の太くて長いフキでした。フキノトウに始まり、大ブキの出荷に追われたとのことでした。
 このフキは長いので、箱に丁寧に梱包するので、手間暇かかります。たぶん、ほぼ7~8年前のことらしいのですが、かなりの暴落して、箱代にもならなかっようでした。しかも、東京出しだったらしく運賃等の雑費や手数料を差し引かれたら、赤字も赤字とのこと。以来、性根つきて、出荷は止めたとのことでした。
 その頃だと思いますが以来、収穫時にL家に行くと、フキの董も見事なフキも伸び放題の景観に遭遇してきました。
 もったいながり屋の当方、何とか販路はないものかと試みましたが、一定の期間のフキノトウは月一回のフリーマーケットにはズレてしまって、早いか遅すぎるかで困惑もの。フキは皆さん、この頃、あまり召し上がりませんし。わが家のも消化しきれない状態なのですから。いつぞやは売れ残った2種類のフキの始末に往生しました。近所の方たちに食べてもらうのに歩きまわるのも大変なものでした。「フキかい、俺んちにもあるんだよ」というお宅にも、「清水で育ったフキですから」と添えると、お味見的に少し貰ってもらってくださった方もいましっけ。
 そこに行くと、M家の幅広インゲンの出荷は、好調のようで、例年、かなりの一程度の値段が崩れないようので、老骨に鞭打たれて今年もまた、頑丈な鉄製の支柱が、先日、畑に出現していました。
 二軒のお宅とも別段、生活にはどうこうないのですが、とりわけ、相場ごとの好きなご性格のMさんにとっては、一種のゲーム感覚のご自分の体力の限界に挑まれる健康法らしいと受け止めてます。しかも、かけごとと異なって農協さんの通帳に確実に積算されていくのですから……
 ……ですが、放射線の風評被害のつきまとう、群馬産の今年はどうでしようか。
 昨年、誇らしげに語ってくれていたMさんを、落胆させることのないよう、どうか例年並みの値段が維持できますようにと祈っています。  


Posted by やんばちゃん at 10:14Comments(3)八ッ場だより

2011年06月02日

4㌢もの配布資料の山をご覧下さい 日本学術会議(その二)




(かろうじてギリギリ昨日付けの欄に、添えるつもりだった写真、別掲にさせて戴きます)

 厚さ、約4㌢弱。ズシリと重く、持ち帰るのに難儀ものでした。
 真ん中のバインダー止めのが、国交省の試算資料。こんな大きな止める文具に初めて遭遇。
 左手の№1~№6までが、分科会側資料。
 右側には、二人の部外者から提出された、問題点指摘と要請文。二つの文書への回答はこの日はなし。
 そして、おそらく委員会メンバーのはカラーコピー。

 第4回からの参加でしたが、(それらを測ってみる時間的余裕もありませんけれど)この間の資料の山は、何センチになるのかと思われます。どうやら、国交省側の資料は、ほぼ同一内容のものが初期段階でも配布されたような説明がありました。
 さらに、この日の国交省側の試算過程の記述がなかったことについて、小池委員長はその過程も文書化するようにと要請していました。学問の世界には本当に必要不可欠な書面なのでしょうが、つまり、もっと多くなるわけ。
 でも、ある意味では、あるマスコミさんが吐き捨てたように言った「用紙のムダ」にもなりかねない。カラーインクジェットの代金にも四苦八苦していた頃、確かに見やすいですけれど、惜しげなく配られた国交省の豪華カラー資料に驚いたこともありましたっけ。

 必要不可欠なものかもしれませんが、これ、皆、私たちの税金。
 まぁ、いいでしょう。(今般の資料はインターネットでも公開されていますが)、従前ならば、これらの資料の情報公開を求めれば、1枚幾らで支払わなければならなかったのでしたから…… しかも肝心の箇所は墨塗りのそれを。

   


Posted by やんばちゃん at 07:49Comments(0)八ッ場だより

2011年06月01日

基本高水ほぼ妥当な数値 日本学術会議(その一)

 本日、15時~18時まで、第8回の日本学術会議が開催されました。
 特筆すべきは、8回目の本日、新モデルによる昭和22年9月の洪水流出の算出が、分科会と国交省側とで、ほぼ一致を見たということです。
 しかも、その値は、22000m3/秒に近い、21100m3/秒いうもの。 
 これで、過大な数値と指摘され。その根拠のデーターもあやふやだった22000m3/秒ほぼ妥当となってしまいました。
 ために、終わった後のぶら下がり会見、ならびにその後の取材はかなり長引きました。

 休憩なしの3時間の検討時間の後半は、当方にもだんだん着地点がわかってきて落胆。
 水文学にもこの手のことに全くの門外漢の当方の知識で、ごくごく単純に考えれば、学術会議といえども独自資料はなく、国交省からデーターを貰った上に、かつ今般の新モデルの算出方法を学術会議側が国交省に提示しての双方の計算なのですから、ほぼ一致は当然至極なのではないでしょうか。
 小池委員長が、会議の場で複数回、繰り返し強調されたのは、「降雨分布が昭和33年9月・昭和34年8月洪水のピーク流量推定値に与える影響」の算出において、国交省側は日量雨量、学術会議側は時間雨量を用いたこと。同じく、「降雨分布が昭和57年9月・平成10年9月洪水のピーク流量推定値に与える影響」においては、どちらも時間雨量を用いた。
 ところが驚くことにほぼ一致したと力説していました。けれど、日量を時間雨量に換算しただけなのだから、ほぼ一致するのは当然ではないでしょうか。
 そして、新モデル案による算出方法の他にも、幾つかの手法を試みたが、いずれの数値も一致をみた。従って、これで即、決定ではなく、6/8 と6/30のもう2回開催するが、数値に関してはほぼゆるぎないものとなるとの結論でした。

 こんなにむずかしく素人には追調査の出来ない検証の道筋よりも、もしかして、もっと単純なものがあるのでは?
何度も「王様の耳はロバの耳」的な、言辞の存在を反芻、そして投げたいと思えました。
  
 司法の判断と同じく、「真理は一つ」として学問の世界の公明正大さも信じてやまなかった者の一人でしたが、少なからずの「やっぱりな」と言う重い想いで、心底がっくりして、本当に疲れ果てた次第です。
 ぶらさがり会見の最後の質問で「検証過程にインチキはなかったンてしょうね?」とある方が、あえて繰り出されてましたが、もしも、現政権下でも仮にもそんなことがあれば、分厚い官僚支配のこの国で〈大男、総身に知恵が回りかねる〉式に、トップがすべて目配りできるものではないけれど…… 「菅さん、あなたを見損ないますよ」とまで思えました。
 なお、当方は、政権闘争に負けた腹いせ的に、原発問題の発端を作り上げた責任は素逃げして、目下、菅総理引きずり落とし作戦に浮き身をやつしているどっかの党のよりも、管政権の方がずっとなじみやすいものがあります。
 かねてよりもっと具体的に記したいと思ってきましたけれど、どっちが原発問題を真剣に考えているかの判断を国民は、とりわけ女たちはちゃんと見ておりました。何としてもこの国難を乗り切ってほしく、本当の責任感というものは、単に止めれば済むというものでないと思います。
 
 ※(またもの余計ごとながら、以下は自分の備忘録的に)
 23時近くの先程、ようやく、わが家にたどりつきました。
 帰り道の地下鉄の通路を歩くのがしんどかったこと。階段がきつい年になり果ててます。
 交通費以外はジュース一本買わない身なのに、簡単な夕食でもたべていこうかと思ったほどでした。19時半すぎについた上野駅では、発車したところらしく、待ち時間は約40分以上も。
 そこで、御徒町までまた戻り、改札口を出ようとしたら、なんとブザーが。駅員さんから切符が途中下車、不可と言われて、よくよくみたら単なる、往復切符なのでした。
 いつもは自分で販売機で、東京電幹乗り降り自由の割引切符を求めていたのに、今朝はそれもおっくうで窓口で求めたのでした。ちゃんと自由切符と言ったつもりでしたが……
 たどりついた乗車駅で、今後のため自動販売機の前で確認したら、3790円でたった10円違いなのに、無念。確かつり線に20円もらったから、お釣りをもらった時に気がつけば…・と。
 結局、これからあり合わせのごった煮風の食事です。

 それにしても、ご覧ください。
 これが、本日の配布資料です。
 あるマスコミさん、「用紙のムダ」と指摘。かつて、紙の使用量は文化のバロメーターとか゜言われましたが……    


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(1)八ッ場だより