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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年07月29日

負担金留保・群馬県知事会見、県内版各紙

 本日の県内版各紙には、大沢知事会見の様子が一斉に掲載されています。
それによりますと、
 ① 大沢知事は留保は当然としている
 ② 八月後半に 六都県知事による会議を開催
 ② 8月12日の前原大臣、御巣鷹の慰霊に来県の際に、大沢知事は会談を希望している由

//////////////////////////
①【2010年07月29日(木) 東京新聞群馬版】
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100729/CK2010072902000124.html
  八ッ場ダム建設中止問題 来月後半に知事会議

 大沢正明知事は二十八日の定例会見で、膠着(こうちゃく)状態が続く八ッ場(やんば)ダム(長野原町)建設中止問題を議論するため、ダム事業に参画する六都県の知事による会議を八月後半に開催することを明らかにした。日時や会場は「調整中」としているが、国が基準案を公表した同ダムの再検証作業へ向けて、「中止撤回」の意思をあらためて確認するとみられる。 (中根政人)
 会議の目的について、大沢知事は「八ッ場ダムに関する六都県としての目標は、ダム本体工事の早期着工と地元の生活再建事業の推進。今年こそは(国に)しっかりとした方向性を出してほしいという願いから、六都県の協力態勢を確認する」と説明した。
 さらに、六都県の知事が二十七日、前原誠司国土交通相に対して八ッ場ダム事業の二〇一〇年度分の負担金支払いを留保すると通告したことに言及。「ダム再検証の工程を(国に)明確に示してほしいという意味では、当然の対応。特に厳しい条件を設定したとは考えていない」と強調した。
 一方、前原国交相が、八月十二日に行われる日航ジャンボ機墜落事故の慰霊登山に所管大臣として初めて参加することに触れ、「慰霊が第一」としながらも「(前原国交相と)会談する時間はあると思う」と述べ、八ッ場ダム問題などについて協議の場を持つ可能性を示唆した。
② 【2010年07月29日(木) 朝日新聞群馬版】
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581007290001
   県の支払い留保 大沢知事「当然」
 
③  【2010年07月29日(木) 読売新聞群馬版】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100729-OYT8T00037.htm
  検証日程明示「当然の要求」~八ッ場ダム 負担金留保で知事

④ 【2010年07月29日(木) 毎日新聞群馬版】
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100729ddlk10010126000c.html
 八ッ場ダム・流転の行方:負担金支払い留保で知事、検証の工程を明らかにして /群馬

⑤ 【2010年07月29日(木) 毎日新聞群馬版】
 http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/100729/gnm1007290411001-n1.htm
 国交相と「八ツ場」会談へ 知事、御巣鷹慰霊の機会に   


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(1)紹介

2010年07月28日

1都5県負担金支払い拒否  次のステップに突入か

 昨日の本欄末尾にご紹介させて戴いた「1都5県知事、八ッ場ダム負担金支払い拒否」の報道は、NHKでも11時と12時のニュースで流してました。
 低迷する、八ッ場ダム問題の次のステップとなりましたね。
 朝日新聞全国版一面の報道によれば、真意はどうやら、たどたどしい現政権へ「圧力」をかけることにあるようです。
 誰がどこが脚本を書いているのやら?
 
 【2010年7月28日(水)毎日新聞群馬版】
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100728ddlk10010167000c.html
 八ッ場ダム・流転の行方:負担金支払い、1都5県が留保 /群馬
  ◇国交相へ知事ら申し入れ書

 【2010年7月28日(水)朝日新聞一面】 ※県内版37面には現地状況あり
 http://www.asahi.com/politics/update/0727/TKY201007270580.htm
  八ツ場負担金、1都5県が支払い留保 国交省に圧力  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)紹介

2010年07月27日

 本日もテレビ放映あり/下流都県、負担金支払い留保

 昼12時20分過ぎ、10チャンネルで放映された、八ッ場の現況をご覧になられましたでしょうか?
 クーラーのない部屋で、片づけことに追われているのですが、一区切りつき、つけておいたテレビに目をやりながら、ボヤーとしていると、何と見覚えのある風景と柏屋さんの顔。 「放送だ」と疲れた脳裏に急旋回するものが……
 習い覚えた習性で、反射的に八ッ場の皆さんへ連絡。こういう時は用件のみ、伝えて次のお宅へ。皆さんも心得たもので「あいよ」とか「わかりました!」とのみで余分なことはおっしゃらない。 
 テレビ版にもなく、登場人物と親しい方も、ご存じなかったし急な放映だったのでしょうか。まぁ、もう現地では慣れっこでことさら目新しいことでもないし。

  
 前半はおみやげ品屋さんの女性オーナー。ある旅館の母上である。
 今や、八ッ場ダム問題ではおなじみの女性キャラクターのお一人となった。
 以前の報道番組で、 この方が「お嫁さんだった頃道を歩いていても、近所から白い眼でみられて辛かった」的な発言がありましたが、この方のお舅さんにあたる先代が、先に放映の「やまきぼし」さんの同じく先代とともに、「推進体制」に転向したために、反対一途に燃えていた当時の川原湯温泉街では、「裏切り者」として、鋭い視線にさらされてしまったらしいのです。
 
 そして、私はこの80代にしては物腰やわらかく優雅な、それでいて、クリクリと動くこの方の眼元を見つめていると、下流の県から、かなり前、8年くらい前の頃から、盛んに訪れていたダム反対の女性グループのある女性が、一連のダム報道を見ての、次の言葉が思いだされてしまうのです。
 「ヤダあ、あのおばちゃん、私たちにはダム反対だって言ってたのよぅ。だから、みんなで行くたびに、いっぱいおみやげ品を買い込んだのに!」の驚きの声。
 彼女も「まぁね、商売だから、どっちにもいい顔して、いっぱい稼げばいいんだけれど」とは、言ってましたが、はからずも浮かび出た本音の顔。これもテレビの功罪の小さな罪の一つとなりましょうか。
 
 続いて、休業中の柏さんオーナーが当場。
 うっかりして、撮影日を確認しませんでしたが、「ダムは出来ても出来なくてもどっちでもいい」とおっしゃって、「早く、上にいきゃ、いいんだ」とおっしゃっていらしたたのに、参議院選の告示日、柏屋前に陣取って、出陣式の気勢をあげた中曽根陣営が、勝利するに及び、確定直後と思われるのですが、「俺も書いたもん」と満面の笑み。
 今度は、予定通りの「ダム建設」を願う濃厚な口ぶりの推移が、やはりテレビならではの対比で報道されていましたね。

 時の趨勢、人の心の推移というのはむずかしいものです。
 柏屋さんの先代、母上は、ダム反対の女傑といわれた方でした。もうじき、陽の眼を見るであろう、ある手記には当時の活動家への支援ぶりがリアルにというかスリリングと言うか、痛快に描かれています。

 しかし、よくも悪くも映像は切り取られ方一つで、どのような視点にも解釈にもなりうりもの。さらに視聴者のおかれている立場いかんによっても、自在に受け止められてしまうもの。
 かつては一口に「カメラの前に立てば、とうに切り刻まれようと文句は言えない」と言われていました。その頃「映像における肖像権」の問題で、問題提起したことがありました。
 現在、映像問題の人権感覚、倫理感はかなり向上してきましたけれど、八ッ場でも、その点に精通している町民は、取材を逃げているようです。
 もちろん、映像ならではの効果は多大なものあります。したがって、運動拡大の面では、カメラの前に立たねばならない時もあります。その時には、全体の構成の中で自分の場面が、どのようなシチュエーションになるのか、きちんと確認することが必要です。往々にして取材側はぼかしますけれどね。

.......................
 最後に、明日の新聞報道となるでしょうが、今晩のうちに、いち早くやんばメールに登場した、雨宮メールを転載させて戴きます。
 しかし、以前は「おかしい」といいながらも、支払った事実を建設への錦の御旗的に振りかざしていたのに、、ここへきて突然支払いをしないと言う、目的が何なのか読み取れませんね。
 ◆八ツ場ダムの負担金支払い留保 群馬など流域6都県(共同通信2010/07/27 19:15)
  http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072701000831.html
 同じく、
 ◆八ツ場ダム建設中止は堅持=枝野氏(時事通信2010/07 /27-16:34)
  http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010072700688   


Posted by やんばちゃん at 23:56Comments(0)紹介

2010年07月26日

八ッ場へ行きたしとおもえども

 昨日は、勝手ながら休ませて戴きました。
 提出原稿の締切日だったからです。
 つたない本欄ながら、それでも、毎日〇〇名の方がご覧下さっているというのは、感動ものです。
 あらためて、おつきあいくださる皆さま方に、お礼申し上げます。
 もちろん、さまざまなお立場の方が、それぞれの異なるご関心からとは存じますが、その方々は皆、私と心同じくする方と思い込むのが、どこかのオバさんのおメデタサ加減です。
 そして、この幼さで手さぐりで、何とか生きて参りました。けれど、本日もまた“どこまで続くぬかるみぞ”と心閉ざされることがありました(もちろん、本欄はダムの問題ですから、逸脱せず関連することですけれど。これも勝手解釈かもしれませんけれど)。

 思い屈するままに、炎天下で思い切り草むしりしたいのですが、ここの処、珍しく陽にやけ、ツメが泥で黒くなるのを厭う、不思議なかつてない気持ちが浮上。それでためらい、せめて、果てしない夏空を直視することにして戸外へ。
 ノウゼンカズラが目に泊まりました。夏の花と呼ばれているようです。
 例年、荒れ屋敷の玄関前の棕櫚の木にまきつくのは太いのもあるのですが、写真のは、昨年、初めて開花。今年は二房になり、花数もおおくなったのです。ダイオキシン問題から自家焼却をやめて放置したままの焼却炉にまきついている花です。
 二日前に、つぼみに気がついて、バッサリと切って、部屋にいれようかと思っていたら、そうはされじとばかりにか、こんなに咲いてしまったのです。
 
 さて、殆どのくさぐさは、八ッ場へ行けば見事にバーげンセール並みに一掃出来るのが通例なんですが、これまたここの処、追われる雑事にままならず、せめて、朔太郎の「ふらんすへ行きたしとおもへども」の、確か「旅上」の歌にちなみ、
  
  八ッ場へいきたしとおもえども
      八ッ場はあまりに遠し  ※?遠くではありませんね。
   せめてはそぞろ歩きのミニトリップにて
      きままなる 心の旅 にいでてみん

 なお先日、八ッ場へ行った際に、また穴場を発見しました。
 ここでバーベキューや野外映画祭、コンサートなどしたら、良いなと思える、とっておきの場所なのです。
 秋口までに、何とか昨年来からの企画、映画祭を実施したいなと思います。「現地ですることに意義ある」とプロデューサーの方もおっしゃってくださっています。

  暑い日々、皆様、どうぞ、ご自愛くださいますよう。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場に願う

2010年07月24日

着実に中止策進む川辺川とは、ますます乖離のわが八ツ場

 長期化したダムの代表格として、「西の川辺川、東の八ッ場」と並び称されています。
 けれども、どっちつかずのモタモタ状態、それでいて、工事だけはマンネリ化気味の遅延ながら、進んでいる八ツ場に比べて、川辺川ダムでは中止を国が表明したことによって、着実に、スッキリと次のステップに移行しているようです。
 早くも7/21には、生活再建策を国、県、村で検討する「五木村の今後の生活再建を協議する場」の初会合が開催された旨の記事が、22日付の熊本日日新聞にはありました。
 さらに、昨日23日には県営荒瀬ダムの撤去を2012年度~17年度までの6年間とすることなどを盛り込んだ、報告書をまとめたと、本日24日の同紙は伝えています。

 なお、同紙には 「無料お試し購読」のサービスもあります。
http://kumanichi.com/374625/form/ota_moushi.htm

//////////////////////////////
 【2010年07月22日 熊本日日新聞】
http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/kiji/20100722001.shtml
 五木村「生活再建策」検討の初会合 川辺川ダム
 【写真】「五木村の今後の生活再建を協議する場」の初会合であいさつする和田拓也五木村長=同村役場

/////////////////
 【2010年07月24日 熊本日日新聞】
 http://kumanichi.com/news/local/main/20100724012.shtml
 荒瀬ダム17年度まで撤去 技術委が報告書
   


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)紹介

2010年07月23日

内海ダムより丁寧な報告書を頂戴


 去る18日に「内海ダム大勉強会」(勉強会としなければ、会場使用の許可が下りなかった経過あり)を開催された、内海ダムの  「国立公園寒霞渓の自然を守る連合会」 / 「内海ダム再開発事業認定取消し訴訟原告団」の代表 山西克明さんから、本日、写真のようなとっても丁寧な手書きのお手紙と「ご支援に御礼」と記した葉書きの礼状の二つが届きました。
 実は片づけごと中の汗みどろの手で受け取り、そのまま引きつけられて読み通したものですから、あちこち文字がにじんでしまいました。
 送料のみの心ばかりのものをお送りしたために、かえってこのようなお手数をおかけしてしまったことにひたすら、恐縮してしまいました。別段、欠席の場合にはご連絡しなくても良かったのですが、大会を控えお忙しい中、要項を送って頂いた上に、忙殺状態の最中に、「参加」ならいざ知らず、行けない旨の電話を入れるのも気がひけてのことでしたので、お詫びの手紙に添えたのに、郵便局に振り込んでくださったり、かえってご迷惑をかけてしまって……と。
 それにしても、なんとも丁寧なご文面。
 名称を記すだけでも、筆不精に加えて悪筆の私には億劫なのに、お手紙は直筆。葉書きの表面の余白には二つの文面。裏面の下にもびっしりのお便り。
 そして、余白には《7/20に土地収容採決が発せられ、11/22明渡しと宣告されています》と
記されています。
 あろうことか、内海ダム再開発には、土地収用法が適用されているのです。香川県収用委員会は、11月22日を反対住民の土地や物件を明渡し期日として決定したのです。現地の皆さんは、団結小屋を設置して、強制収用・強制代執行に臨まれる覚悟をされています。

 山西さんはお若い日に、関東にも商用にて何年かいらしたとのこと。その際、わが八ッ場の吾妻渓谷を訪れてくださっているとのことです。なんで、この国はと怒り、「どちらもなぜあんところにダムを造るのかと不審に思います。--略ーー知れば知るほど馬鹿らしさに腹立ちます」とご文面に、心底、共感。
 
 葉書きの宛名とご住所との間には、達筆な文字で《国立公園の自然を次世代に受け渡すためのみに、行政の嫌がらせにも負けず頑張っています》 
 
 このご真情あふれるお手紙を、コメントを寄せてくだされた方には無論,八ッ場の皆さんにもお見せしたいと思います。
 
 山西様 はじめ、皆様方、頑張り続けてください。
  今や、真の革命は、戦争の痛みを知っていられる皆さま方、熟年パワーのお力にかかっています。
 この先も、のろしを高く振りかざし続けてください!! 

 
  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)紹介

2010年07月22日

複雑多岐な動きありの温暖化

 昨日の記事に、以下のご助言が入りました。

 ①二酸化炭素の排出によって温暖化が進むという提唱は、まだ真実が確立されていないそうなのです。
  むしろ、この旗印のもとに、日本の大手企業がアジア各地のダム建設を推進して、巨額の暴利をむさぼるなど、許し難い大  変複雑なシステムになっているとのことでした。

 ② さらに、およそ50年も前のカスリーン台風の再来を警鐘してきた国交省もまたこの論調にのっかって、温暖化のため、これまでになかった被害がいつ起きるか分らない。ためにやはりダムは必要との論を展開している由。
 

 従って、この経済方面に明るいこの方は、論点のあいまいな昨日の私の文意に、危惧を示されてのご示唆を下さったのでした。
 別段、追従記事を書く記など毛頭、ありませんでしたが、焦点ぼけのあいまいな文意であったのは、書きながらも自分でも感じていました。まるで、昨日の暑さの中でもうろうとしているような浅いものでしたね。
 貴重なご指摘を戴いて、どっちつかずの半ば、゛バナナの房になって欲しい”的な気分の漂うおはずかしい一文を安易に記してしまった不明をはじるとともに、世の中の動きの複雑さに眼、見開かされた次第です。
 地球温暖化を自社の経済活動に利用して暗躍するなんて、浅ましいというか、なんというか、わが日本人は。
  
 広い識見に立たれてのご意見、ありがとうございました。
 このような見事なご指摘をくだされるすばらしい皆様に囲まれて、軌道修正して戴けることに喜びを感じています。
 (〇〇様、論旨や内容がご指摘に対し、もしかして外れていないか、よろしくお願いたします)  


Posted by やんばちゃん at 22:28Comments(0)報告

2010年07月21日

バナナも実りかねない暑さ?


 暑さの中で、葉音のみ涼やかな、わが家の芭蕉の木です。
 数年前から花が咲きだし、バナナのまねごとのような小さなフサが実り始めました。でも、もちろん、バナナにはなれず台風時の夏の終わりには黒ずんで落ちてました。
 ところが、今年はこの勢い。いつもより太めの実がいっぱいつきました。
 そこで、折からの異常気象の熱風に煽られて、今年はもしかしたら、北限が関東地方まで延びてきて、実るかもしれないなと夢見させられています。卑近な例え語“おだてら、豚まで木に登る”式に、「バナナにな~れ」とほめちぎってやりましょうか?
 
 でも、……あり得ないことで、またあったら、困りますよね。
 ここ数年、変化の兆しはありましたが、それこそ、日本の四季の変化が大幅に狂ってしまいます。
 ただし、この暑さが続けば八ッ場の地でも、見かけたことのなかったこのバショウも庭木類として植えられ、寒冷地なのでならないとされてきたユズもミカンも実ってしまうことになるかも知れません。生態系の破壊ですね。
 
 それにしても、暑い一日でした。
 確実にこの国は、亜熱帯型に変化しつつあります。


 ※ 一昨日7/19付けの「海の日」関連の記述で、本日、当時の資料がどっさり見つかりました。
   細部の日時のミスがありましたので、訂正しておきました。  


Posted by やんばちゃん at 19:56Comments(0)八ッ場に願う

2010年07月20日

生ける世のさびしくなれば此所に来よ

 本日20日が、制定時の「海の日」なのでした。
 そして、青春18切符が使いだせるスタート日でもあります。
 小さな人間があらがっても、どうにもならなかった「海の日」制定反対闘争後の「闘いすんで日がくれて」の翌年からの数年間は、海辺の祝日風景を見るために、この切符を買いこんで、海のある地域に出かけたものでした。そして、今年は、過日記した内海ダムのある瀬戸内海の海辺に立つと意気込んでいたのでしたが、挫折。
 どこまで行っても2300円に、ここでも欲張りの精神を発フルに発揮して、なるべく遠くへ行ったものでした。
 静岡県の焼津港の市場風景に見入ったり、ある時はずっと手前の真鶴で下車。港町の風景漂う市内をあるいて、名前は失念したけれど岬の小高い丘にたどりつき、岩場を降りて海岸べりに出て、足を浸して太平洋の水の感触を体感したりと、海なし県に生まれた者特有のやみがたい海への思いを充たすとともに、自分なりの「海の日」の過ごし方をしたものでした。
 しかし、まだ梅雨もあけず、大半が雨なのでした。

 早くも梅雨のあけ、暑い高温の本日は、確実にこの間の気象の変化を感じさせられてなりません。
 今年の海の日の過ごし方は、昨日来、必要に迫られて家の中の片づけに追われています。
 昨日は妙に心寂しくてたまりませんでした。
 そんな折に、片づけもの中で目についた、しおりの歌。
 土屋文明記念文学館の展示観賞券・ご招待とあって、下部が切り取られているので、多分観たのでしょうけれど、特別会期展でもないので、フジの花の絵のしるされたこの会期には、記憶がないのです。

  生ける世のさびしくならば此所に来よ
                  谷にたなびく藤浪の花 (文明 青南集)

  「生ける世のさぴし」とは、巧みな表現だなあと、心にしみいってきました。
 啄木や牧水の歌と違って、膨大な文明短歌は、数首しかそらんじていず、全作品を味わったわけではないので、言える感想ではないのですが、固い理念の歌の歌人と思い込んでいた、土屋文明もこんな短歌を詠んだということは新発見。
 根源的な人の世の寂しさはいつの世にもつきまとうもの、恐らく巨匠の歌人・文明さんにもそんなこと、凡人には計り知れない重層てきな懊悩に近い寂寥感が、多々あったことでしょう。
 でも、一昨日の寂しさの原因は、自分では思い当たるのでしたが、どうにもならないことに起因していて、いかに藤の花に埋没しても癒せる類いのものではないのでした。
 
 こんな入場券のしおり1枚でも大事に保管してきたのですから、わが家のゴミの量は押してしるぺしです。幸か不幸か、独り暮らしにしては、空間があったからでしたが、あちこちに未読の新聞の山、そのきりぬき・空箱・包装紙が山のようになってしまってます。
 さて、二日目の本日の片づけは、物置に空間を何とか作り、この部屋にデンとある5段のスチール製の棚を運び出すこと。
 ところが、部屋の棚に詰め込んであったホコリだらけのそれらに辟易しつつも、なつかしさのこみ上げてくるの品々を玄関先にまで並べ、いざ、棚を出そうとしたら、手前に棚があり、全開にならない左手入口のノブにぶつき、運びだすことが不可。
 そこで左側の棚をうごかして、ドアを全開にしなければならず、強引に動かしたら、二つの棚のものが散乱。線香立てまでひっくりかえしてしまって、わが足もカ―ペットも灰だらけ。
 ついで、これは重くてどうにもならない右手の棚のものを降ろして、少しずらさないと不可とふんでの作業。
 
 そんなこんなの果て、いよいよ出そうとしたら、出口の廊下の角で不可。
 結局、姉を頼んできて、出窓から出して表から物おきという経路に。最初から、こうにすれば、不必要な作業はしなくても良かったのに……  もの起きに入っても逆コースとなって、道々の雑多なものの片づけ。なんのために、家の中からの通路をあけておいたのか意味なし。
 しかも、動かさなくても良かった入り口の棚二つや左手の棚から降ろしたものなどが、散乱した部屋の中は、箱の山をまたいで通らなくてはならず、夕闇の中で、ためいき。

 それにしても嘆息するのは、体力のおとろえ。
 この部屋に積みあげて、ほとんど開封しなかったそれらの品々は、おりしも「海の日」の制定の動きのあった、およそ15年前に動き回った当時の活動歴を示す品々。分類して小箱にいれて、表書きしてつめこんでました。それを改築してまだたっぷりと空間のあったこの部屋につみあげたのでした。スチールのこの棚も、自分で何とか組み立てたのでした。

 で、あれだけのエネルギーを費やした文学サークルで撮りためた膨大な写真類をどこにしまったのかと思っていた、15カ年にわたった思い出の写真類の束も出てきた次第。
 そこに映っている30代の己の若さ。こんな棚の一つや二つ、簡単に移動できたものだったのに。
 しかし、「海の日」の資料一式をしまいこんだ大振りの段ポールはまだ遭遇しておらず、物おきでも見かけなかったのでした。となると、次の部屋の押し入れかなと、そこには大半が、北京会議の頃から法制定にいたる約10カ年、八ダム問題とともに次にかけ走った男女共同参画関連の大量の資料の山なので、想起して気鬱に。肝心のダム関連は最も大事にして、その奥の座敷に積みあげてあるのです。

 この生ける世とサラバをした時には、私にとってはパンフ1枚でも思い出につながるものでも、単なるゴミの山。
 未だに両親の遺物をすてきれず囲まれていて、その苦労はわかるので、絶対値4人の甥や姪たちの口をとんがらせる姿も浮かんできます。とはいえ、生前にことごとく処分する勇気もなし……、未だ備わらず。
 え~い、思い煩っても致し方なし、結局「今日の日はおしまい」とばかりに、戸外に出した荷物のみを家の中にしまいこんで、作業打ち止め。
 年をとって一つ、良いことはこういうあきらめの良さ?
 ……でも、明日が確実につづくものでもなし。 
 
 文学や各種市民運動に連なって、勢いよく走りまわっていた30代~40代の軌跡を示す品々に囲まれて、浮かんだ次の一首は、
  
     漂泊の憂ひを叙して成らざりし 
                 草稿の字の読みがたさかな 
 この歌、意外にもかの啄木さんなのでした。20数年前、師事した作家の評論の題名にみつけて、小さな自分のごく少ない情報量のなかから思い描く、啄木の歌との意外性に、あの時もすくなからず、驚いたものでしたっけ。 
 実は中学二年生の夏休みの宿題で「好きな短歌を五首、書いて来い」というのがありました。何でも欲張り屋の私は、叔父が持っていた啄木の「一握の砂」に魅せられて、冒頭の「東海の」や「頬につたふ涙のごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」などの所収されている「我を愛する歌」の全部と、次の「煙」の章では何を勘違いしたか、「己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし」大好きで、それら全首を写して、冊子状にして提出。大いに教師を喜ばせたのでした。でも、次の章「秋風のこころよさに」はそぞろに。そして、上記の短歌が17番目に出てくる「忘れがたき人々」は割愛したのでした。
 その国語の男性教師は本当に飾り気のない方で、少しもブルところなく学校の草取りなど雑用をいつもなさっていて、生徒に親しまれていましたっけ。まさに「忘れがたきひとびと」のお一人です。
 そして、「上郊村の人は、どうして、文明さんを大事にしないんだろうな」と言っていたのが、忘れられません。文明短歌の真髄を皮膚感覚でご理解なされていた方のお一人だったのでしょう。  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)回顧もの

2010年07月19日

15年前、「海の日」祝日化反対に燃えた、熱い日々

 今日は、1996(平成8)年から実施された、国民の祝日「海の日」だ。
 祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)によって2003年(平成15年)から、7/20にこだわらなくなって、7月の第三月曜日となり、三連休となった。
 なによりも、立案者たちの当初の思惑であった、7/20が外されて、痛快でならない。
 というのは、丸々14年前の制定時に、私は「時代錯誤の天皇制の強化」と直感。疑義を唱え、全国に資料を発送するなどして、大いに発奮したからだ。
 
 忘れもしない。
 前年の1992(平成4)年暮れ、当時とりくんでいた「芽止めジャガイモの放射能汚染」の食の問題のため、地元の町議会の12月議会にノコノコと出かけて行った。誰もいない傍聴席に座った途端、耳にはいってきたのは。「7/20の<海の日の祝日化>は天皇制の強化になるので、わが党はこれに反対する」との文言だった。その後、議会のしくみに慣れてきて思い辿ると、最終日の採決の前の反対討論の場だったと思える。
 30代半ばで習い覚えた「天皇制」という言葉を知って以来、病みつきになっていた。この3文字の字づらに接するとどんな集会にでも、出て行った。 その晩から、幾ら新聞などくっても「海の日の祝日化」は書かれていなかった。市民運動仲間やマスコミ関係者に聞いても、異口同音に「知らない」とのことであった。まだパソコンなどなく、ワープロが出回っていた頃だ。
 議会事務局に資料閲覧を問う。一般住民には3月後の議事録公開まみとのことであった。
 で、妙にあきらめない性質なので、数日後、地元選出の町議の処に行き、「議会でS議員が言っていた<海の日の祝日化>についての資料を見せて戴けませんでしょうか」と頼んだ。
 ラッキーにも貸してもらった資料には、(当時の資料一式の山は段ボールに入れて、物置の奥深くにしまってしまってあるため、以下は記憶による要約)、日本海事振興連盟による呼び掛け文で、明治丸のイラストとともに「明治天皇が1876(明治9)年、東北地方巡幸の際、灯台視察船・明治丸に乗って、青森から函館を経て、無事に7月20日に横浜の港にご安着なされた」とあり、これを記念して7/20に制定しようとしたのであった。したかって、日時はゆるがせにできないものであった。
  
 直感的に、この間、学び蓄積した権力の構造的パターンからして、隠された意図が容易く、思い描けた。
 地方議会→県議会→国政へ提出。いつのまにか、国民の総意として機能してしまう巧みな演出を感じて、こんな時代錯誤な
こと「許せるか」という思いが、憤然として湧きあがった。
 
 1993年の頃から、義務化されれていた「日の丸・君が代」問題は、ますます強化され、その後、1999年には国旗国歌法が制定され、「日の丸」を 国旗とし、「君が代」を国歌とする事が定められるに及ぶ。
 あろうことか、1994年7月、第130回国会にて所信表明演説に臨んだ村山富市総理が、「自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言、時代は危機感に包まれていた。
  保守政権といえども、さすが常識的にこらえ続けてきたもろもろの右傾化要素が噴出し始めてしまった。しかけ人の高笑いとほくそ笑みが聞こえてきそうな、そんな流れのなかにおいて、海事振興連盟を軸として、数年前から、用意周到にしかけられていた議案であった。
 
 翌年の1993年2~3月にかけ、当時、手配りしていた地域内への手づくり新聞「みんなの青い空」に《町民の知る権利」》として、早速、特集記事を記す一方、その後は「ふぇみん」・「社会新報」などの、手づるのあるメディアへも次々と投稿した。
 
 翌年の1994年秋、祝日化は本格的な動きになり、議員立法として上程され、1995年年明けに制定されることになった。
 それらの投稿記事が、女性天皇制史家・加納実喜代さん達、当時の第一級の研究者たちの目にとまり、お蔭さまで「海の日を考える会」として闘争を展開できることになった
 1994年12月6日、「国民の祝日に関する法律の一部改正案が、内閣委で採択されるに及び、私たちは必死となってあちこちへお願いに奔走した。
 この時に、役だったのが、先の町議会で入手した、地方議会への根回し的資料一式、それらを記した私の手作り通信だった。
加納さんたちには無論、各地からの問い合わせに奔走状態になった。
 1995年開け早々には、色川大吉さん・鈴木裕子さんらを講師にお願いして、開館してほどない池袋・東京芸術劇場の大会議室での講演会を皮きりに、都内各地で、展開できた。
  電話での説明に長時間を要し、そうだ、まず郵送またはFAXしてから、要点のみ話せば良いと気がついた時は、電話代は桁がちがっていた。交通費もバカにならず、電話代とほぼ同額になった。
 
 思えば、1994年末~1995年にかけてのこの年は、お正月どころではなかった。
 衆参両院の議員会館に日参する日々が続いた。その頃の、八ッ場ダム問題では知事に就任するや、変わり身の見事さを見せつけてくれた、堂本暁子さんの如才なく鮮やかな対応ぶりに接し、後年の変わり身の速さの片りんをいち早く垣間見た。
 各新聞社の論説委員もいち早く、つばをつけられ、各紙の社説で「祝日化案賛成」のちょうちん持ちの記事を書いていた。
 当時の前橋支局の正義感に燃えた各社の記者たちも、何とかと協力したいとして、本社の知人記者達ににつないでくれたものだったが、彼らも無念そうに頭をたれた。 「力不足でごめんなさい。一度、社説に書いたものの反対記事は者としては書けないです」と。
 当時、最も力を貸してくださったある新聞社の論説委員はその後、華々しく知識人としてデビュー。群馬にも講師として見えているが、この時のシャクなトラウマがあり、未だ拝聴しに出かける気にもなれない。
 
 そして、全てが形式的に運び、ついに迎えた採決の日、国会議事堂の傍聴席から、階下の国会議員の圧倒的多数の起立を、私たちはなすすべもなく見降ろした。
 思わず、「インチキ」と叫びたくなり、もちろん、厳重なもちもの検査のチェックを受けてはいるのだけれど、自分でも不思議なくらい小石でも投げつけたいような思いに駆られたものだ。「石よ、なにゆえ、飛ばざるか」と。
 翌朝、各紙はトップ記事で報じた。
 燃えにみえた約3カ月間の中味のぎつしりとつまった熱い闘争であった。

 そして、あの時代から、早くも丸15カ年の歳月が流れた。
  検索したら、当時の週刊金曜日の記事が出てきた。
 そうなのだ、私が同誌に初めて記させて戴いたのは、この表紙のあづき色の地に、日本国憲法の条文が載っている<海の日の祝日化>問題なのであった。
 その前の同年1/13号の金曜アンテナトップでも「祝日化に用意周到な根回しけと題して、掲載させて戴いていた。
 それらのご縁で、その後の八ッ場ダムも数回、記させて戴いてきたのだ。
 そして、映像における表現問題などを記させてもらった月刊誌『創』、ご支援くださった靖国神社問題などの宗教関係者の会報など、流行作家並みに(もちろん、質と量は抜きにして)、約一カ月に8本の記事を記させて頂けたことを思いだした。
 「天皇制」と言う言葉の響きが日々に疎くなり、埋没している昨今、当時、小さな人間の私に、お力を貸してくださり、ともに汗を流した、この国の良識層の方たちは、今はどうしていられるだろう。すばらしい人間群だった。
 
  第72号 日本国憲法 そしてまた憲法とともに
  第72号 1995.4.28     表紙/日本国憲法
    今週の表紙の色/憲法色(けんぽういろ)
   国民の祝日を考える
天皇制がらみの日本の祝日(加納実紀代)
「海の日」はこうしてできた(鈴木郁子)
コラム 私の「海の日」すり込み効果(宮城賢治)  


Posted by やんばちゃん at 18:49Comments(0)回顧もの

2010年07月18日

テレビ放映のお知らせ

 本日 7月18日(日)14時から1時間にわたって、フジテレビで、
「ザ・ノンフィクション 「八ッ場ダム(秘)残酷物語 親子3代」が放映されます。
※なお、関東地方のみのようです。
 恐らく昨年の今頃、7月の第2週土曜日早朝三時に放映された「翻弄」と同じ、フジテレビ・制作センターの方の作品かと思われますが……
 でも、「(秘)残酷物語」とは、センセーショナルな題ですね。
 八ツ場ダムも政治的要素から、なにやら、この手の話題になってしまったのでしょうか。

 上毛新聞の番組欄には、ゴシックで記されているこの番組のお知らせを、今朝も現地の方々にお知らせしていましたら、そのお一人のNさんが、「また、やんば館がごった返しているよ」とおっしゃっていました。県外ナンバー、しかもかなり遠方の車もあるとのことでした。
 そうなんです。
 12日の月曜日、私たちの大型バスは開館の9時半ジゃストに併せて、草津町を出発したら、もうすでに駐車場は大型バスなどで満杯。ようやく、わずかな空間にバックでつっこみ、乗客をおろして直ちに退散しなければならない状況でした。
 係の職員に「9時半前に、あけたんですか」と問うてみました。(実は当方にももし早くついてしまった場合には、草津町観光想造課職員さんが、かけあってくれるとのこともあったのでしたので)すると、そうではなく、きっかりに開館したとのこと。先の判断の余地についても問うと、「もし、それをやったら、キリがない」とのキッパりと言われてしまいました。
 しかし、これだけの方たちに、本当に八ツ場の現実がおわかりいただけるのか疑問です。

 で、おもわず、その前日の11日には、草津町でのイベント終了後に、翌日の下見に八ッ場に訪れた際には、しきりに二号橋の写真を撮っていられた県内の東の端から見えた、同年輩の同窓会ご一行の皆さんに、勝手に案内役を買って出て、2号橋の概略と宙づりのユンポの説明をしてしまった次第です。
 皆さん、トイレ休憩の合間に、耳をかたむけてくださって、帰りにはバスの窓から、しきりに手をふってくださいました。

 同館には昨年秋に出つくしてしまったまま、パンフ類は一つもありません。 
 これまで、八ッ場ダム工事事務所の私たちの窓口の職員に折にふれて、「幾ら、緊縮財政だって、必要なものは印刷すべきではないの?」と複数回、伝えております。が、未だ実施されていません。
 確かに、民主党政権は「中止」を提唱しても、現実策は推進体制。
 パンフの制作一つにもどっちつかずの痛し痒しの面があることでしょうが、 関心の高い観光客へのきちんとしたパンフなどの配備は待たれるのではないでしょうか。
 こんな経費なんか、どっかへ流れるお金に比べれば、微々たるもの。  


Posted by やんばちゃん at 08:26Comments(2)紹介

2010年07月16日

内海ダムへエール のぼり旗掲げ、反対の証守らん

 18日の日曜日に、四国・香川県の小豆島の景勝地、寒霞渓で。ダム反対集会が持たれます。参加させて戴くつもりでおりましたが、数日前に、今回は断念を決めました。
 本日、お世話役の遠藤さんから、次のようなメールが発信されました。そこで、つたないながらも、以下のエール文を、遠藤さんに託させて頂いた次第です。
 【遠藤メール】 
 先日お知らせいたしました、内海ダム開発緊急大勉強会を草壁公民館で開催します。
収用裁決がまもなく下りようとしていることへ、「私たちは断固闘うぞ」を意思表示し、全国からの支援を明らかにする集会でもあります。
平均年齢80歳を過ぎたジジババが歯を食いしばって頑張っています。団結小屋も設置しました。
前原大臣の「本体工事契約済み事業はGO」が出され、収用裁決がまもなく下されようとしている内海ダム再開発は極めてピンチです。
現地の反対運動がつぶれてしまえば、間違いなく同ダムは完成へとまい進してしまいます。
平均年齢80歳を過ぎたジジババに孤立感を与えないよう、支援をお願いします。

/////////////////////////////
八ッ場ダム」から、連帯のごあいさつ
のぼり旗、高く掲げ、ダム反対の証守らん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 群馬の八ッ場ダム反対運動に連なる立場の一人として、本集会にお集まりの皆様に、遠隔の地から、心から熱い連帯のエールを送らせて戴きます。
「平均年齢80歳を過ぎたジジババが歯を食いしばって頑張っています。団結小屋も設置しました。」
との遠藤保男さんのメールを拝読して以来、大いに心を揺さぶられ、本日は何としてもかけつけ、是非お目にかかりたいものと心はやらせました。
その心づもりで、要項をお送り戴くなどして、準備を進めて参りました。が、残念なことに、断念せざるを得なくなってしまいました。
 それにしても、日本三大渓谷美に数えられるという皆さま方の愛されてやまない「寒霞渓」と、八ッ場ダムの「吾妻渓谷」は、ともに景勝地であることに加え、火山活動により堆積した疑灰岩などの共通点が多々ありますよね。さらに、日本三大奇勝には当地の妙義山もまた名を連ねており、少なからずのご縁を覚えます。
何よりもダム建設の暁には、大きな痛手と影響を受けることが、哀しみを伴う口惜しさとなります。こんな景勝地を水に沈めてしまうなんて、なんてことをするのでしょう。まさしく、ダム建設は“国家の犯罪”としか、言いようがありません。
 かつて、わが八ッ場にも団結小屋がありました。その頃、ふるさとをこよなく愛され闘いぬいたお一人に故・豊田嘉雄さんがいらっしゃいました。
生前、詠まれた歌の中から、数首をご披露し、皆様とダム反対への思いの深さをわかちあえましたら幸いです。
 
 破れても破れても幟立てかえてダム反対の証守らん
 湯けむりのふるさと湖底となる様は不治の病の明け暮れのごとし
 湖底となるふるさと思い出多き場所確かめ繰りつ立ち去り難し
 此の世去る時来るともふるさとを湖底に沈めることは許さじ
 青春は兵役に埋没後半生ダムと対決命足らざる
           ――1996(平成8)年刊行『湖底の蒼穹』より
 

 続いて現在も、一貫してダム反対を貫き、自宅前の国交省のJR線や国道工事の進捗度を阻んでいる、金子宏さんからも、次のコメントを戴きました。
 「八ッ場ダムは国の政策でムリやり押し付けられたけれど、もう、原点に戻って止めて貰いたい。全国のダムのある温泉で栄えた処はなく、国の言うことは一つも宛てにならない。ひどすぎて、全く話にならない。皆さんには絶対に勝ち抜いて欲しい」
 

 今や、皆様方、ジジババたちの世代こそが、捨身の構えで権力に対峙でき得、真の革命の担い手として先陣に立たれていると、申し上げても過言ではないでしょう。
 先の豊田さんも「どんなに頑固ものと言われようが、最後まで八ッ場ダムに反対し、このダムは造ってはならないと叫び続ける。いつかきっと、やまた(※屋号)のよっちゃんは正しかった、と認められる日がくることを信じている」と記してました。

 皆さま、どうぞ今後とも、お一人お一人が、その両方の手にもてる、“怒りののろし”を、さらに高々と掲げ続けてくださいませ。
 私たちも、先人の皆様方への尊敬の念と、まだ見ぬ貴地への憧れをもこめて、あやまたず、お示しくだされる赤々とした戦列の軌跡に駆けより、勇んで連なることをお誓い致します。
                     2010年7月18日
                  「ST0P八ッ場ダム市民ネット」 
                           代表:鈴木郁子 拝  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)報告

2010年07月15日

第11回 有識者会議(三) NHKと朝日の報道

 有権者会議の中間まとめについて、昨日に続き同じく、雨宮メールを転載させていただきます。

////////////////////////////
昨日有識者会議で出されたガイドラインについて、
NHKでは朝のニュースで、朝日新聞では今朝の朝刊1面と社会面で報じています。
NHKニュースでは資料映像のほとんどが八ッ場ダム関連のものでした。
有識者会議終了後のインタビューでも、前原大臣は「八ッ場ダムは中止」と繰り返しています。
映像をご覧下さい。(時間が過ぎるとアーカイブから削除されます)

◆ダム事業に初のガイドライン(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100714/t10015718881000.html
 前原国土交通大臣が建設中止の方針を示している群馬県の八ッ場ダムなど、全国各地のダム事業がほんとうに必要かどうかを判断するためのガイドラインが、初めてまとまりました。
この中ではダム以外の治水対策を考え、ダムを造る場合とコストを最も重視して比較するとしています。
 このガイドラインは、「できるだけダムに頼らずに治水を行う」という政策転換を受け、去年12月に前原国土交通大臣が設けた有識者会議が、13日夜に公表したものです。全国84のダム事業がほんとうに必要かどうかを判断するための手順を、初めてまとめました。
 それによりますと、ダム事業の見直しは、これまでダムの計画を進めてきた国の出先機関や都道府県が、みずから行います。そして、堤防の強化や遊水池の整備、川底を深くして水をあふれにくくするなど、ダムに代わる治水対策を必ず複数考えます。そのうえで、それぞれ治水対策とダムを造った場合を、治水の効果やコスト、地域社会や環境への影響など8つの観点で比較します。
 判断にあたっては、財政難のため、一定の治水効果を前提に、建設費だけでなく維持管理費も含めたコストを最も重視するとしています。
 国土交通省は、これから一般の人からの意見を聞いたうえで、来月末にもダムの必要性を判断するためのガイドラインを正式にまとめ、地方に検討を要請することにしています。

 今回示されたガイドラインについて、河川行政に詳しい関西大学の河田惠昭教授は「専門家が密室で検討して結論を出すのではなくて、治水対策の検討をこういう形でやりますよという評価軸をきちっと示していることは評価できる」と話しています。その一方で、河田教授は、ダム事業の見直しを地方がみずから検討することの難しさについて、「自治体は今まで検討をした経験がなく、下流側と上流側、右岸側と左岸側は利害が対立するので、調整ルールを作る必要がある。それに多くの時間がかかるのではないか」と指摘しています。
 一方、ダムの見直しを求めている市民団体でつくる水源開発問題全国連絡会は「ダムの見直しを検討するのが、これまでダム事業を推進してきた地方にある国の出先機関や都道府県であるのは問題だ。結局、ダムが必要だという結論になるおそれがある。ダムの見直しは、住民も参加した第三者機関によって行われるべきだ」とコメントしています。 
 ところで、今回のガイドラインが正式にまとまれば、それぞれの地方でダムの必要性を判断する検討が始まり、その結果は国土交通省に報告されます。これに関して13日夜に記者会見した国交省の津川政務官は、ダムによって規模や地域の事情が異なることから、地方の検討会が結論を出す期限は設けないと述べました。検討には長い時間がかかる可能性があり、群馬県の八ッ場ダムなど一刻も早い結論を求めている地元の住民に波紋が広がりそうです。
<一部引用>

◆ダム頼みの治水見直し、流域で対策を 有識者会議が提言(朝日新聞2010年7月14日0時40分)<2つのチャートあり>
http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201007130509.html

 ダムに頼ってきた治水のあり方の見直しを検討してきた国交省の有識者会議(座長=中川博次京大名誉教授)は13日、提言をまとめた。ダムありきではなく、それ以外の治水対策の組み合わせと、ダムを建設する場合とで安全性やコストを必ず比較。関係住民の意見も聴いて判断する。水没する上流の山村だけに犠牲を強いるのではなく、下流域の都市住民も含めた流域全体で治水対策を分担する手法で、従来の考え方を抜本的に見直す。
 前原国交相は本体工事着工前の全国84カ所のダムに、この手法を当てはめる考え。31のダム事業を抱える国と水資源機構、53の補助ダム事業を抱える30道府県は、どちらがコストや環境への負荷を抑えられるか比較し、ダム中止か継続かを決める。
 これまでの治水の考えでは、洪水時の下流域での被害を防ぐため、上流にダムを建設してきた。有識者会議は、水没する犠牲への合意を得るため事業の長期化と建設費の増大を招いたと指摘。人口減少や厳しい財政状況をふまえた新たな治水理念として「流域全体での分担」を挙げた。
 ダム以外の治水対策として有識者会議は25の具体例を提示した。下流域の住宅地の道路を堤防並みにかさ上げする「二線堤(にせんてい)」▽集落を堤で輪のように取り囲む「輪中堤(わじゅうてい)」▽完成したダムのかさ上げ――など。25の手法の効果には差があり、川沿いの土地の利用規制など住民の反発を招きそうな対策もある。
 国と道府県はまず、これらを組み合わせた「ダムによらない治水対策」を9月から立案する。作業は必ず公開され、流域住民や学者、市町村長らの意見を聴く。その上でコストや安全度、環境や地域社会への影響など八つの評価軸をもとに分析。ダム継続か中止かの方針を決める。
 今回のダム見直しの発端が国の財政難にあることを踏まえ、コストを最重視する。一方で、ダムの代案は、それぞれの川でここ20~30年内に達成を目指していた治水安全度と同レベルの安全性を確保するのが条件。補助ダムを抱える道府県の多くは事業継続を求めていることから、検証が十分かどうかを国交相が判断する。検証作業の結果、ダムの方が有効との結論ならばダム建設を認める。
 政権交代の象徴となった八ツ場ダム(群馬県)のある利根川水系は、霞ケ浦導水(茨城県)や南摩ダム(栃木県)など全国最多の6事業が対象になるため、水系全体での代案づくりは長期化が予想される。
<一部引用>

 朝日社会面記事はネット上に公開されず。
 担当各位の反応と、「進歩なし」とする今本博健京大名誉教授と、「画期的」とする宮地良彦信大名誉教授の談話等です。  


Posted by やんばちゃん at 13:00Comments(2)紹介

2010年07月14日

有識者会議(ニ) 基準案転載

※八ッ場ダム関連メーリングに、早速、昨晩のうちにメンバーの雨宮さんが以下の内容をスッキリと整理して投稿してくださってましたので、転載させて戴きます。
 ///////////////////////
第11回 今後の治水対策のあり方に関する有識者会議(平成22年7月13日開催)配付資料
http://www6.river.go.jp/riverhp_viewer/entry/y2010e9c6c325ab5f6e611f1d2fa10175bafa8b74f24fb.html

         ≪≪2010/07/13(火)21:30 河川計画課

第11回 今後の治水対策のあり方に関する有識者会議(平成22年7月13日開催)配付資料を掲載いたします。

【添付ファイル】
議事次第
http://tinyurl.com/25m6ow7
委員名簿
http://tinyurl.com/2aohnvn
資料1 中間とりまとめ(案)
http://tinyurl.com/2634aav
資料2 意見募集
http://tinyurl.com/36huk9d
参考資料1 個別ダム検証の進め方等について
http://tinyurl.com/34g268r
参考資料2 利水の観点からの検討について
http://tinyurl.com/34kum3g
参考資料3 中間とりまとめ(案)の概要
http://tinyurl.com/3azyukg
 ※↑現在オープンできず
  


Posted by やんばちゃん at 07:58Comments(0)紹介

2010年07月14日

第11回 有識者会議(一)

 おはようございます。
 再開させていただきます。
 この間に、予想はしたものの参議選のガックリ結果がありました。
 とりわけ、前政権の試金石として注目を浴びた、わが八ッ場の今後の方向性が心配されてなりません。

 さて、昨日13日に以下の要項で開催された、前原大臣提唱の有識者会議の第11回の会議でのことが、報道されています。
     日 時:平成22年7月13日(火)18:00~20:00
     場 所:中央合同庁舎3号館(国土交通省)11階特別会議室
     主な議事内容(予定):中間とりまとめ(案) 等

 今朝の上毛新聞一面トップは、「八ッ場含む全国84ダム」と題して、昨日の有識者会議と八ツ場ダムのことに言及。 6面には、その要旨が掲載されています。
 要旨に目を通していた矢先、NHKでも、先ほど7時すぎ~15分まで報道がありました。
 画面には、繰り返し、わが八ツ場ダムが放映されてました。
 いつもは中和水のややエメラルドグリーンの水ですのに、濁った水量のある吾妻川でした。
 そうなんです。梅雨どきの一昨日12日の吾妻渓谷を一周したのでしたが、ものすごい濁流で、あれほど水嵩のある吾妻渓谷は初めて目にしました。八丁暗がりの辺りの激流のすごさには、怖さが走りました。
 でも、お蔭さまで右岸の遊歩道でお一人転んだだけで、無事に鹿飛び橋をわたり、左岸に出た時には、スタッフ一同、ほっとしたものでした。
 
///////////////////////
 残念なことに、本日の上毛新聞のサイトには全文アップされていません。リード文のみ、手打ちで以下に記します。
【2010年7月14日(水) 上毛新聞一面トップ】  
 八ツ場ダム含む全国84ダム
    検証 コスト最重視 
   有権者会議 基準案公表 住民加え公開審議
 
《リード文》
 八ツ場ダムをはじめ全国のダム事業の検証案づくりほ進めている国土交通省の有権者会議(座長・中川博次京大名誉教授)は13日、基準案を公表した。ダムなしの治水策を複数つくり、ダムによる治水と、コスト、安全性、環境への影響など八つの基準では比較、事業の合理性を総合的に判断する。宅地のかさ上げや水害保険などはんらんを前提とした対策を盛り込んだほか、利水面の事業評価も行う。関東地方整備局などが検証を進めるが、期限は設けられておらず、検証作業が長引く可能性もある。   [基準案要旨6面]
 
 以下は見出しのみ。
「八ツ場ダム」代替案の検証
  期限なく長期化懸念

【基準案】 長くなりますので、別掲にて  


Posted by やんばちゃん at 07:29Comments(0)八ッ場だより

2010年07月09日

度胸のみにて出動す。わが総身フル回転なり

 愚かしくも、パソコンの不備などを再三、訴えて参りましたが、原因がようやく解明。
 調子の悪かった電話が、ついに一昨日、不通状態に。 
 どうやら、光回線の不備だったらしいのです。
 で、昨日、かなり時間を要した工事点検となりました。そんなわけで、拙い、どうでも良いとひんしゅく寸前気味の本ブログも休業を余儀なくされてました。

 さて、選挙戦のさなか、何とも心やましさも走りますが、本日より週明けまで、6/29にお知らせした「第8回草津よいと~こ!ツーデーウオーク」に出かけます。
 http://www.town.kusatsu.gunma.jp/www/toppage/0000000000000/APM01000.html

 本来ならば、今朝、5時半に出発。8時~全員集合・作業開始 に参加のハズでした。
 が、思い切って昨夜、会長に連絡。独りで別行動、半日ほどズレこむことを願い出た次第です。
 で、昨夜は、まずは何はともあれ睡眠時間を確保。寝不足さえクリアしていれば、いかに準備不足でも、臨機応変の処置が採れるからです。
 周りが親せきだらけとはいえ、夏日に4日間も家を空けるのは大変。
 それに、今回も二日間の司会のための諸準備が未だ、まったく出来ていない上に、オプションツアーの「八ツ場めぐり」の案内役。しかも、気持ちの許せる反対市民層の案内ではなく、賛成自治体の草津町主催ですので、言葉も選ばなければなりません。
 いかにしてさりげなく、愚かしい公共事業の実態を伝えられるか、心もとなし。

 今年は事前の会議にでられず打ち合わせ協議をしていないのです。到着次第、協議予定とのことなので、昨年のパンフ類の箱をつみこみ、忘却の彼方の記憶を車中で取り戻すしかありません。

 大げさに言えば、出撃直前の特攻隊の精神力でしょうか。
 「もはや、一点の迷いもなし。5尺〇寸のこの身体、国に命をささげるのは日本男子の本懐なり」的に大空に散華していった有為の若者たちの譜。
 彼らが一身を賭して夢見ていたのは、この国の明日だったはずです。
 模せば、「上州女のクソ度胸にて、1㍍〇〇㌢足らずのわが総身、一心に八ッ場ダム中止のためにささげます」の意気込みに燃えて、出発いたします。

  そんなわけで、しばし、お休みさせて頂きます。  


Posted by やんばちゃん at 09:18Comments(0)八ッ場だより

2010年07月06日

梅雨どきアラカルト(二)犬より猫よりわが身が大事

 
 写真は、川原湯温泉のある旅館さんの、名物ワンちゃんと子猫ちゃんたち。※ところが、その写真、みつからず
 この右側のワンちゃん、テレビ番組の「ポチタマ」とかの番組の取材をうけとかのお利口ものです。
 先日、お邪魔した際、ロビーの傍らに、棒にひものの先に丸いタンポンをくくりつけたものをつるして、猫の遊び道具にしているのがほほえましく、それを優しく見ている犬の写真を撮ったものでした 犬と猫は仲がわるいものと思いこんでましたので驚きでした。子供の頃のわが家の犬や猫たちの、こんな風景は見たことがありませんでした。

 ところが、ほどなく数日前から、わが家でも目にすることに。
 小猫が居ついてしまったのです。
 三日ほど前の夜、「ギャア、ギャアミャアミャア」の声に「嫌だなぁ」と、“見ぬこと潔し”に徹して、戸外に出ず。立ち去ってくれるのを待ってました。就寝しようと奥の部屋に行くと、枕元の縁で、泣き声。思わず、耳をふさいでいると、疲労の極なので、お蔭さまで睡魔に見舞われてなんとか眠りにつけました。
 早朝、犬の散歩にでようとして、玄関先に出ると、なんと犬のクロとたわむれているではありませんか。
 彼女も数年前に、迷ってというか捨てられたらしく、骨に皮膚がくっついているといった風情で、やってきたのでした。見れば首輪をしているし、飼い主がいるものと早合点。゜餓死されても嫌だから、まずは餌をたべさせて、それからと。
 ところが、近隣の行政に照会を出しておいたのに、どこからも連絡なし。
 動物は好きではない上に、当時、経済的にも時間的にも飼える状態ではなかったけれど、結局、飼うはめに。そして、ほどなく数カ月で5匹も子犬を産んでくれたのでした。動物愛護協会などのお力添え等で、必死で貰い手をさがし、未婚の私がめでたく“嫁がせ”たのでした。そして、避妊手術などなど1連の未体験の日々でした。
 「動物は、野生のままで可」とばかりに「ペット」と言う感覚とはほど遠く、餌と散歩、ヒラリア予防のみの非情な飼い主ですが、この犬に割かれた時間も馬鹿になりませんでした。電車の時間にせかれている時など、本当に面倒でした。
 猫は犬よりも、面倒と思い込んでいるのと、これ以上、生き物を飼うのは物理的にムリ。まして、週末には数日、家を空けねばならずで、困惑ものでした。
 



 犬に餌をくれだすと、そこに首をつっこんで、食べるじゃありませんか。
 「餌をくれたら居つく、飼ったも同じ」とは知っていますが、しかし、道義的にやらねばならず、別の容器に犬のドッグフードながら、魚の煮汁をかけてあるので、それをわけてやると「ウーウー」いいながら食べだしたのです。
 そして、外出から戻ると、いない。良かった!! と喜んでいると、勇んで犬と一緒に小屋から出てくるではありませんか。
 むしろ、驚いて吹きだしてしまいました。
 図う図うしいけれど、この子猫、憎めないもの持っています。思ったより良い猫です。
 八ッ場のLさん宅では、前足の一本を切断された猫を、やはり表で飼っていましたっけ。
 それにしてもわが家の犬は、この猫をわが子のように嘗めているのです。数年前にもぎとられて以来、二度と生むことも叶わぬ子犬の再来とでも、勘違いしているのかと、いささか不憫です。
 
 他所に捨てに行く、迷惑行為はできないし、保健所につれていく勇気もないのです。
 犬は戸外、猫は家の中で飼うものと心得てはいますが、外でこうして犬と飼うのなら、何とか成るかとも思いだした次第。丁度、老齢のため、先年19歳くらいで死んだ実家の犬小屋が一つ、余っているので、また、もう一つ貰ってきて、そこでと思いだしています。願わくば、どうかオスでありますように。見分けるのも怖く、みたって私にわかるかどうか。でも、確かオスでも手術は必要なはず。ともかく、また動物愛護協会さんに電話して、費用など伺ってみようと思ってます。
 しかし、車から出してちょっと置いておいた書類などを汚されて、思わずかな切り声の連発。犬や猫のいるそばに置く方がわるいけれど、物置状の車の中のものを出かけるに際して、梅雨どきなので戸外におけず、屋根のある車庫風の脇におくのですが、それらをお腹がくちくなると飛び跳ねてひっくり返すはで。
 
 おまけに昨夜は空腹感で家にたどりつけば、何とガスレンジまで不調。昼間、犬たちの餌を煮込んでいて、吹きこぼれさせたのでした。でも、そのまま出かけなければならなかったのでした。
 まだ、何とか、遠くの量販店まで行けば、手にはいるけれど……
 仕方なく雨の中、物置に行き、電磁波問題をかじっている立場上、使いませんと厳重にしまいこんだ、IHヒーターをもちだしたてきました。けれど、普通のお鍋ではダメ。もうちょっと前だったらホーロー製のばかりだったのにと、これも焦げ付きなどで傷めてしままったのである。たった一つのお鍋で、簡単な煮炊きしかできない。不便なのが、ヤカン。鉄瓶は小さいし、ホーロー製の手の採れたのは物置きに。もうひとつ貰いものがあったなと、押し入れをあけようとして甥にあげたことを思いだす。
 おもわず、長年、焚き木とガスで勝手仕事をしてきた、八ッ場のMさんの奥さんが、移転を余儀なくさせられた新築の家のオール電化に、まごついて、道具を買いに行くまで、ご飯とお湯以外は困ったという笑い話を思い出してしまった。 先日、お邪魔した際にも、まだなじめないとのことであった。
 さらに細かいことを言えば、先日獣医さんから、幸い、わが家の犬はヒラリアにはかかっていず、元来、犬に蚊取り線香は意味なしとの持説を伺いはしたけれど、やはり蚊の攻勢をみれば、可哀そう。それに部屋のなかにも数匹入ってきて痒くてならない。ところがマッチがしけていて点火できない。ライターは不器用でつかえないのでなし。いつものようにガス火でと思ってもで、はたと困る。
 たぶん、新政権発足時の状況もこのパターンだったのだろうなと。あっち向いて走り出すと行き止まり、戻ってくると思はぬ横道へ。そこ批判の嵐が覆いかぶさる。民主党劣勢の報道に思いあわせてみる、今年の梅雨だ。
 まさに、♪アッチモコツチモ、ミ~ンナ♪である。

 どこもかも間に合わないだらけなのに、次々と用事が増やしてくれて、梅雨の季節の頭の重さに拍車をかけてくれる子猫の闖入騒動です。
 そんな梅雨時の憂さにちょっぴり至福感を与えてくれるが、今が旬のサクランボでしょうか。
 別名「桜桃」。といえば、かの太宰サマ。
 桜桃忌はすぎましたけれど、その作品『桜桃』の末尾の名セリフは確か、“子よりも親が大事”」だったかと記憶していますが、今の当方、“犬より猫よりわが身が大事”の面持です。   


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)八ッ場だより

2010年07月05日

梅雨時、アラカルト(一) イノシシ被害への苦労、共感す

 選挙選の最中、脳天気な私ごと雑景ですが、
 
 6月初めの水くれに追われた時には、あれほど、早く梅雨どきになってくれないかなと切望していたのに、梅雨に入ると、天候不順にイライラするから、不思議なものです。
 前言を翻して、すぐに予定変更しては周囲をめんくらわせてきた、どっかの誰かに似て、特に、ここ数日の移ろいやすさには辟易。晴れているからと安心して、布団まで干してしまうと、俄かに雨に変わり「ハッキリしてよ」と怒鳴りたくなるほどです。
 地球温暖化によるものと思いますが、最近の気候は確実に変化してきたのが、知識のないおばさんクラスにも肌身で分ります。
 本日は、クリーン作戦で刈りあげた川筋の土手を、県土木に確認してもらう日。
 最初に刈った処など、たった1週間ほどなのに、もう数センチにのびているのですから、驚き。
 同じく、勢いよく、畑地も庭も竹藪も伸び放題。もう、手に追い切れず、処置なしになりつつあります。
 
  
 でも、今日は鳥たちの声を聞いても、気持ちがもめません。
 鳥たちにつつかれ放題だった、庭のビワの実を思いきって、昨日、全部もぎ取ったからです。後の楽しみとして、低い一枝だけ、鳥たちにみつからないように、脇の紅葉の茂みの影に隠しました。
 イノシシやクマに大事な収穫物を根こそぎやられてしまう、長野原の方たちの悔しさがわかります。しかも、単なる実ではなく、被害は稲にもおよぶのですから。現実に、あるお宅では刈り入れ近くなった田の稲を一夜にして、クマに荒らされたことがありました。
 
 ところで、このビワの木は、わが家に不幸ごとが続いた時、庭先の正面にビワがあるのが良くないとのことが、法事の席などで取りざたされだし、確かに実がならないのだからと切ろうとしたら、その翌年に始めて、二粒ほど実をつけた木なのです。
 亡くなった父が植えた木ですが、以後、生き延びて30年余。樹齢としては、こんな木でも半世紀ははるかに超えているものと思います。
 三年前から実をつけだした、ギンナンの古木も、やはり切ろうとしたら実をつけ出したのでした。以心伝心、人間界の会話がわかるのでしょうか。
 でも、ビワの葉もタネも、昔から最高の健康食品なのでした。
 葉は無添加の良質の焼酎に漬けこんでおくと、万能薬。ために、一時、長崎県から空輸した葉を実家の店では販売。それが途切れて無い時期には、弟がお客さんにはこの木の葉を採って差し上げていたので、哀れにも葉が少なくて殆ど実らない年が続きました。種も焼酎づけにしてあり、病人をかかえたお宅には、小瓶につめてさしあげています。この粉末で私も救われたことがあり、皆さんにお薦めしています。
 
 そのビワの木が、今年はどういうわけか、未だかってなく最高に実ったのです。
 たぶん、最近はあまり葉を採らなくても良くなった上に、今年の天候がわが家のビワには適したのかも知れません。
 初めて知ったのでしたが、八ッ場は寒冷地なので、ビワは実らないそうなのです。
 先日、「お宅、ありますか?」と問いながら持参すると、当然、あると思っていた古いお宅でも、「ビワかい」と喜んでくださって、恰好の戴き物のお礼品になりました。その時に「ここは寒いからダメなんだよ」とおっしゃてました。
 が、まだ若かったようです。で、ある方からは、「酸っぱい」とのお叱りを頂戴。
 でも、高い処になって熟して旨いのは、いくら高鍬バサミを振り回したり、怖々とはしごの最上段に乗って、木に足をかけてみても採れない上に、にっくき鳥たちの軍団につつかれてしまうのです。
 どうして最も良いものからつつかれるか、悔しい限り。追っ払った後、つついた実の残りを食べると、本当に甘くて旨いのです。

 例年、びっしりと実る2本の鬼グミの窓辺近くのは、色づいた真っ赤な実とその根元のガクアジサイの色との対比が、いかにも梅雨らしく見事なので、写真に撮ろうとした矢先、気がついたら、おびただしいオナガ軍団にカラ坊主にされてしまったのでした。
 あわてて、もう一本の木にわずかに残っているのをカメラに納めたのかが、写真です。
 毎年、鳥さんたちにやられても、旨いものではないのですから、惜しくはありません。
 なお先日、八ッ場のあるお宅の奥さんに聞きましたら、このグミにも、なんと調理方法があったのでした。

 八ッ葉から貰ってきた植物の土についていたらしく、拡がってしまった木イチゴの実は、わが腹に次々とたっぷりおさめた上に、思い切って枝を切り詰めました。これでキズだらけになるのから、解放されました。ここまでくれば実を食べてからと考えた次第。
 若い日に数株植え、今や縦横無尽に拡がってしまったワラビの伸び放題の葉もきれいに刈り採り、一つかみほど採取。
 ブームになる何十年か前、近隣に先駆け父が植え、これもあちこち拡がってしまった、トゲの強い野生のタラノメの葉も切り詰めました。一代目のは採取不可能なほど大木になったので、十年前ほど前に思い切って伐採。それでも、最近は自然にまた拡がってきてしまっています。
 長野原町をはじめ吾妻郡では、他地域に先がけてこのタラノメを暮れのうちに水耕栽培。およそ三十年も前の新聞で報道されていたのを覚えています。
 当時、農協の役員をしていたJさんも、タラノメには思い入れがあるようです。今は出荷していないようですが、畑地の隅にはそれはそれは太い見事なのがあります。春先の時期に伺って、運が良いと天ぷらにありつけたものでした。
 
 ことのついてに、すでに落ちつくしてしまった梅の実の残りも採りました。落ちている中からも、よさそうなのもジャムにすれば良しとして、拾い集めました。
 で、ワラビ以外のそれらを大型冷蔵庫に保管してあります。が、何の場合にもそうなのですが、苦労して集めても、その段階で一安心。調理するまでには日数がかかって、痛みが多くなってしまうのです。
 でも、もったいながり屋で、材料を費やして煮るのです。が、食べるの忘れて腐敗、結局は破棄。
 今日も、昨夏造って冷凍してあったのに味の落ちたシバ漬けをムリして食べ、先月作ったまま忘れていてカビのはえてしまったマーマレードの出来そこないを捨てました。
 愚かしくも、こんな繰り返しを季節ごとに何回、おこなってきたのでしょうか。

 竹一つとっても春先から、孟宗竹→黒竹→真竹 の手入れとその採取品の始末に奔走状態なのでした。
 特に細くて人さまにさしあげるのも気がひける真竹には例年、約40日間、費やされてきました。採る→近所や知人に「食べてもらえますか」とめぐり歩く→残ったものを茹で→前夜のものを調理して冷凍。
 毎日、根気よくこの繰り返しでした。
 でも、今年は体力の限界を感じて、春先に真竹を弟に伐採を命じたので、この労苦からは少し救われています。ために、桑の木の古木も伐採されてしまって、ひそかな楽しみだった、ここの桑の実は今年は食せず。でも、家から離れた場所なので、ハシゴも無く、背伸びして垂れさがったものを採るしかなかったので、あきらめものも早くてすみました。
 よくしたもので、今年は犬の散歩にグルリと敷地の廻りを一周したら、新たな桑の木を発見。まず、実家の隅のゆすらごをつまみ、次に桑の実を食べるのか、6月半ばまでのお決まりコース。
 
 今年はとにかく実のなるものが、豊かだったようです。
 子供の頃から待ち遠しくてならなかったサクランボに似た、ゆすらごの実→桑の実→グミ→ビワ→木イチゴと食べるにことかかない実の季節にも、ようやくピリオドが打たれそうで、ある意味、ほっとしています。  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2010年07月04日

八ッ場育ちの稲、「イワンの馬鹿」的顛末記


 去る5/30の、「八ッ場で田植えだよ」のイベントの際、写真の苗を1ケース、もらってきました。稲の種類は、寒さに強い寒冷地用のひとめぼれだったと記憶します。

 素人集団の植え方への不備をみこんで、田の所有者で主催者のHさんは補修用に十二分の苗を用意してくださっていたのでした。加えて、いち早く植え付けの済んだ現地参加組の、極めて親切なIさんも、この朝、農協さんで購入のケースを三つも持参してくださっていたようでした。
 そんな経過で、苗は3ケース以上もあまってました。後々の補修用に、田の端にまとめて取っておきはしますが、そんなに必要なく、その纏めて植えたものは、米には結実しない由。

 で、この欲張りおばさん、「捨てるしかない」と聞くや否や、「じゃあ、貰って行く」と反射的に言ってしまったのでした。
 実はこのオバさん、10年目を迎える、居住地域の耕作放棄地のクリーン作戦の事務局、昨年からは代表なのです。
 小寺知事時代に開始された「道普請型クリーン大作戦」の書類締切前日、地域内を時間ギリギリまでかけずり回って、参加者を募ったものですから、会員数は多いのです。
 まさにロシア民話に出てくる、日没までに歩けるだけ歩いてより多くの土地を手にしたものの、ゴールにたどり着いた途端に絶命した、あの主人公の精神でした。
 が、ほとんど誰も作業に出てくれない現実にさらされています。この10年間、さらに川のクリーン作戦などの各種の事務局として浪費された時間を思うと、私も違わず、命取り的なものとなってしまってます。
 
 ために孤軍奮闘。
 お蔭さまで、昨年の春~夏にかけては幸か不幸か、お金もかけずに5㌔近くも痩せたのでした。
 発足時に、頼んでなってもらった会長も投げたのだから、解散すれば良いのに、猫やイノシシと同じく、走り出したら最後、「退却」の2文字を知らないらしいのです。
 で、その三枚、合計4反の土地の内、もともと水田だった二枚の田には、まだ水口があって、前に町役場に「止めて欲しい」と頼んでも、どういうわけか締め切って貰えずそのままになっていて、田植え時には水がしみ出ているのです。
 なお、この水利権というのは面倒で、組合から抜ける時には、先に10年間分の会費を納めるものとの由。ために、払えていないようで、1年のばしで累積した未納金は莫大な金額になるらしいのです。

 で、閃いたのが、そこに植えれば良い。残りは、水はけの悪い田、もう一枚の田に植えれば良しと。
 昔は「オカボ」と言って、畑で稲を育てたことだってあったじゃないかとの小さい時に親たちが口にしていた言葉を思い出し、強気で貰ってきたのでした。写真の苗は、帰宅後、すぐに作業できず、水につけておいたのでかなり傷んでます。もともとはすばらしく緑つややかな立派な稲苗でした。
 「また、シャイナシなことを始めて」と思っているらしい、近隣の農家の方に問えば、「オカボには、モチ米を蒔いたんだよ」とのこと……

 ところで、往生しました。
 二枚の田に分散して、合計四カ所に植えたのは良いのでしたが、高崎市近郊の地で田植えが本格的に始まるのは、6月半ば近く。隣の田の耕作者は手広くやっていられるので遅いし、近場の大農地は、昨今は麦作のみの営農集団(4町以上にまとまれば、政府からの奨励金の出る耕作者集団の名称、失念)。
 ようやく植え付けた苗は、6月初旬の照りつける陽ざしにチリチリ状態。隣の田の田植えが済んで、その水が土手から流れ込んでくれるまでの、この間の朝晩の水くれに往生。ヘトヘトに。
 よくよく,、こどもの時に読んだ、教訓のつまったあのロシア民話集の中で、唯一題を覚えている「イワンの馬鹿」の“馬鹿さ加減”を、またも味わい尽くしました。

 そんなこんなの日々の最中、八ッ場のHさんから、「植えたかい」の電話あり。
 「ハイ。毎日、水くれに往生していますよ」
 「肥やし、くれなきゃ、米にならねぇよ。用意しておくから、取りに来なよ」との有り難い電話。
 でも、実家の自然食の酒販店に出入りする農業従事者たちの心意気にならって、全て有機栽培。
 考えてみたら、(肥料代に廻す予算もないこともあるのですが)3枚の耕作地に化学肥料はこの10年間つかっていないのです。我が家の庭というか畑は、およそ40年この方、無農薬。
 ご厚意を無にできないけれど、しばし逡巡。
 おそるおそる切りだして問うと、有機に近いと言うので、ひと安心。
 二週間ほど前に、戴いてきました。
 本日の日曜日は、回覧板を廻して予告の作業日。ところが、いつもの通りに人員集まらず。
 まぁ、そろそろ何か、施さないと地がやせてきているのは分りますので、思い切ってくれてみるつもりです。
  
 ダメになるかと思った稲苗は、本職の廻りの田にあまり差がつかず、今の処は育ってくれています。
 この八ッ場育ちの稲、処違えてもスクスクと、果たして本ものの米になってくれるでしょうか?  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場だより

2010年07月03日

八ッ場のホタル 観賞記

 6/30の日づけで、表題はホタルなのに、その後に言及、記述なく、岸壁に宙づりになっていたユンポのごとく、宙づり状態のまま、日数を重ねてしまいました。
 そこで、本日3日、ある会報に送ったばかりのホタルの草稿を転載させていただきます。
 この会報は、男女共同参画法が制定された1999年に群馬県が募った「女性のための県政講座」に学んだ第1期の女性たちが、終了後に発足させ、続く年度の聴講者も加えつつ現在に至る、NPO法人「ウィメンズ・ウィル・ぐんま」という会が毎月出している会員間のものなのです。
 なお、実は締切は新役員体制になった5月から月末締めとなっていたのです。そこに以下のように大上段に構えた、八ッ場の自然環境をシリーズで記させてもらったのですが、二回目の先月はいつもの調子で10日過ぎのつもりでいたら、早くも会報が届いてしまった次第。なのに、またも相変わらずの遅延状態でいたら、先月は原稿がいっぱいだったので催促もなかったでしたが、今月は新会長さんから「4日に印刷するから、3日の夕方までに」とのメールをもらってしまったのです。
 16時すぎようやく、時計をみながら急いで記した相変わらずのあたふたもの。
 何を記すか、迷うことなしにホタル!!

 実は、県の関係課にも配布され、要職の関係者の会員もいられるので、やや自己規制でもありますが、おもんぱかって生々しい体制批判は自重気味。自然環境の破壊ならということで…… でも、八ッ場ダム問題もここまで市民権を取られました。
 また、それを理解してくださる女性たちに囲まれているというのは幸せです。昨年秋、八ッ場のカモシカ親子のことを記した際には、女性たちの紅涙を振り絞らせた(?)らしく、今回のシリーズ容認にもつながった所以です。
 
 前置き、長くなりましたが、
八ッ場 癒しの風俗詩                     
            第二回  八ッ場のホタルも、とめどなく妖し
 ダムの命名の由来となった八ッ場沢と同じく、長野原町の国道沿いの両側には幾つかの沢筋がある。強酸性の吾妻川に注ぎ込むこれらの沢水は、いずれも純な真水で、古来より集落ごとの飲み水として用いられて、田畑を潤してきた。
その一つ、ある地区の沢筋のホタルの推移を追って八年になる。ここはホタルの名所として、地域民に親しまれてきた。高台の木陰の水口を10㍍ほど突き進んだ、昼なお暗い山中の大きな岩の割れ目から、尽きることなく流れ続ける沢筋である。
 さて、この細い流れには不似合いな一基9700万円もの豪華な防災ダムが建設される前の2002年夏までは、周辺の杉木立ちをほの明るく染め、浮かび上がらせるほどの光のショーが繰り広げられた由。前年には、子供たちまで巻き込んだ国交省の鳴り物入りの「ホタルの引っ越し大作戦」なるキャンペーンが展開されていた。
 当然のことながら工事後の水は濁り、沢筋は荒れ放題。翌年の2003年には“光の一大ページェント”どころか、最も多い時でも約30匹足らずに激減してしまっていた。
 時期も逸した7月半ばのたった3匹の、この時点での惨憺たる光景しか知らなかったので、臆面もなく拙著に「ホタルの保護ならぬ、死滅作戦か」と記した経緯がある。
 
 以来、7年間もの歳月は、景観を周囲にしっとりと溶け込ませ落ち着かせた上に、川水も澄ませてくれていた。「自然は再生するもの」と反撃された、その一部を素直に認めている。
 もともとは地元青年団有志のボランティアによって、長年にわたり保護活動をしてきたそうであった。なお、派手な売名的宣伝は行わず、ひたすら地道な保護活動に徹していられるここの皆さんの精神性の高さには頭が下がる。為に、ご意向にそって場所は記さず。
 そんな経過を経て、本年も6月初めより、数回にわたり問い合わせをさせて頂いてきた。天候不順のためズレこんでいて見頃は6月下旬~月初め。春先にイノシシに沢筋を荒らされてしまった影響が危ぶまれてきた。現在、周囲は防止の電柵が張り巡らされている。
 小さな川筋一つにも、そんな数多のストーリーが折りたたまれている。

 ホタルの観賞は梅雨時が最高とも聞くが、6月末の珍しく晴天の夜、乱舞のピークと踏んだ。夜7時15分、周辺一帯に残業の工事の音もピタリと止み、奥山には刻々と闇が迫る。
 響くのは己の跫音のみの静もりかえった急峻な小道を独り怖々と辿りつき、目を凝らすと、一帯の杉木立ちの樹幹から、まさに蛍光色の淡く、それでいて吸引力のある光がフフフワと浮き出てきた。8時近くなると次第に数を増し、約30ほどに(木陰で休んでいるのもあり、実際には倍数との由)なり、漆黒の茂みと化した周辺の木々の輪郭をほのかに浮かび上がらせてくれた。
梅雨時の湿り気を帯びた夜気は、ホタルを詠った数ある古歌の中でも、ひと際知られる和泉式部の、京都・貴船神社に詣でた際に、蛍岩周辺の情景を詠んだという、
 物思へば 沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞ見る(後拾遺集)
からの連想ではないが、幻想的という月並みな余韻をこえて、一種酔うように艶めくいざないすら放ってくるのが不思議だ。
 何よりもときめくのは、まだここは俗化していない神秘さに加え、生まれたばかりのホタルが描く清らかなシルエットは、幽玄この上なく、非日常の世界に心置きなく身をゆだねられる一時にあろう。
 地元民の手づくりの癒しの空間が、先々の日も不必要に開発されぬことを祈る。
 帰途、坂道を下りてきたら「バシャッ ドスン」と大きな物音。黒い物体が勢いよく脇道の草むらに駆け込むのが目に入った。どうやら、イノシシさんのお見送りの予期せぬ現実であった。                               (鈴木 郁子)  


Posted by やんばちゃん at 23:41Comments(0)八ッ場だより