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2010年04月30日

名前をご存じですか?

 
 カタクリやアズマイチゲに交じって、八ッ場の野辺に咲き乱れている、名前のわからない山野草です。
 結構、繁殖力があって、カタクリ祭りの行われる林の祭り会場付近のカタクリ群生地でも、年々、増えてきています。むしろ、カタクリが負けそうな感さえ、感じます。川原湯のUさん宅の土手にもびっしり。八ッ場の植物たちに交じって、わが家の鉢植えの隅にも、葉が芽吹いてきて、びっくり。(※と言っても、野山の雑草たちで、間違ってもカタクリやアズイチゲは育たないから採集はしていません。念のため)
 ところで数年来、名前が分りません。今年も、図鑑を調べる時間がなく、本日まで来てしまいました。
 どなたか、ご存じの方、お教えくださいませんか。
  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2010年04月29日

東吾妻町「天狗の湯」、豪壮にリニュアール

 
 
 本日「みどりの日」は、高崎市のスプリングフェスティバルで、早朝よりまたも、“露天商のオバさん”でした。八ッ場で摘んだ、極上の田ゼリは少量でしたので、出がけに掘った初物のタケノコとともに、真っ先に完売。
 水辺の長いセリとともに並べておきましたけれど、皆さん、田ゼリの旨さはご存じでした。でも、田ゼリはゴミを採り、キレイにこしらえるのが一苦労なので、全くの奉仕品。
 でも、もっと採ってくれば良かった!
 Vさんの田には昼間、みればまだまだたっぷりとあっただろうに。また「こっちの採れば、いいんに」と言われた自宅脇のは手づかず状態でした……、残念だった。 
 
 さて、本日の地元紙・上毛新聞に昨日、東吾妻町三島地区に「天狗の湯」がしオープンした旨の記事が、載っていました。
 掲げました写真は、去る4月11日に映したもの(手前から、建物後ろを撮ってます、正面全景もありますが、容量を小さくできず)。
 13日も26日に同じ場所を通れましたが、日を追うにつれ、車の出入り量が違ってました。4月11日にはすでに、旧「天狗の湯」方向へは通行止め。で、前にも記しましたが、建物背後の145号線の試走をしてみた次第です。

 見出しは「八ッ場補償の温泉・完成」となっています。
 実は私はこれが、「天狗の湯」とは知らず、「道の駅」だとばかり思っていて、長野原町の方たちに「直売所」があんなにあって、競合しないと伝えたことがありました。まぁ、店内で、たぷん、野菜類も売られていることでしょうが……
 日帰り温泉で、総事業費約2億8700万円には、八ツ場ダムの受益者となる下流都県が負担する水源地域対策基金で、全てがまかなわれたとあります。
 入館料  小学生以上400円
 時 間   午前10時~午後9時まで
 定休日  毎月第二火曜日
 
    


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)八ッ場だより

2010年04月28日

撮影顛末記②ーこれも一編のストーリィー化

 品木ダムでは、ダム堤の年一回とやらの点検作業に遭遇できた。
 帰途、Rさん宅に立ち寄ると、一日奥山の田んボにいたとのことで、夫妻でお風呂に行くところだった。「一緒にどうだい」と言われたが、暮色の立ちこめる中、まだやることがあったのだ。土地の方と一緒だと無料で入れる。何度かお世話になった。
 
 急いで、あることをこなし、続いて、薄暗がりの中、久森のQさん宅の田にセリを採りに行く。原木しいたけの生産も終わッてしまった現在29日のイベントの販売用の色どりとして、少しでも欲しいのだ。
 車は久森沢の対岸の、転居後、ほどなくしてお亡くなりになったSさん宅の跡地におく。黄色の水仙の一群れが月夜に際立つ。
 昼、Qさんに国道上から見た感じで「もう、田んぼ、起こしちゃったみたいね」と言うと、「まだ、起こししねえよ」と言われていたが、薄い月明りで透かして見るので定かではないか゜、どうも様子が違う。畔際に、セリがことごとくないのだ、誰が採ったのかなと思いつつ、進んでみたが、次の田も次もなので、そのうちに畔際の黒いビニールを剥いだのだなと分った。
 手探りながらも、勝手がわかる田んぼなので、夢中で小一時間、採った。結構、寒さが身にしみてきて、限界を感じる。
 土地の方もこんなことはしないだろうなと感じた。前回、Tさん宅で伝えると奥さんから「夜になるとねイノシシがでるよ」と言われたが本当に寂しい。やんば館の外灯一つなく、2号橋と、吾妻線の上下線の灯りが夜目に目立つ。

 帰途、久森沢でセリを洗おうとしたが、すでに7時半、さすがに断念。セリを水道水で洗うのは並みの手間ではないが。便利な竹ザルね忘れてきてしまった。
 泥だらけりの手とカマをあらい、水も飲もうとしたが、これもやめた。上流、橋上の旧第一小の跡地に飯場がてきて、そこからの汚水も流れてきて、「もう、清水じゃなくなったよ」と、移転した後もちょくちょくと農作業に訪れていたSさんが寂しそうに語ってくださったのを思いだして以来、気をつけている。見上げるとプレハブ2階建の灯りが煌々としている。
 Sさんは体格の良い、明るく大柄な方で、長野原町にいればそれなりの役どころの方だったろうに、高崎市近郊の見知らぬ土地でのその葬儀はご親族以外の会葬者は少なかった。
 新聞で見て、出過ぎかなと迷いつつ、開式すれすれで会場にかけこむと、親族席でQさんが肩を落とされうなだれていたのを思い出す。あんな意気消沈したQさんの姿を見たのは初めてだった。「デシャバリ女」と叱られるかなと思って、御焼香の時、Qさんの前を通るのに神経を使ったが、たぶん、うなだれていて気がつかれなかったろう。
 出口で、簡単なごあいさつをすると、遺族はことのほか、喜んでくださった。

 帰途、余り「忙しい。忙しい」を連発なされるので今日も伝えきれていないことを、伝えたくてQさん宅に立ち寄る。すると、小道を歩いてみえる。犬の散歩でもないらしい。
 徐行しても、心そこにあらずの真剣な゜表情で、前を向いて通りすぎられるので、窓をあけて挨拶。
 「アンタか。なんだまだ、いたんかや」と言う。「昼間、お断りしたようにお宅のセリを採らせてもらっていたん」と言う。
 車を止めて、何をしているのかと問うと、「タヌキのやろうがでたんで、ジャガイモでも荒されたら困ると思って、大五郎を放してゃったら、戻ってこねえんだ。その辺でみかけなかったかや」とのこと。
 ジャガイモはこの前、来た時、転がっていたから、最近、植え付けられたのだろう。お年寄り二人での農作業は。写真を撮るので待っている方も、はがゆくなるほど時間がかかる。一畝と゜ころか、半畝やっては二人で休まれるのだから。その手間暇で植えたジャガイモをやられては辛いのも理解できる。
 「えぇ、タヌキ」。大五郎ちゃんは、こげ茶の霜降り模様の柴犬の子犬。犬小屋には「大五郎の家」と記されている。
 思わず、「タヌキに負けちゃんじゃない?」と不安を増させることをいってしまった。 「うん、前にな一度。追い詰められてな……」。 とよりうろたえ気味になって、オロオロとまた探し出された。
 この大五郎ちゃんは2年ほど前に大病をした。その時のQさんの連日の医者通いの日々と気落ちを知っているので、オロオロ状態もさもあらんと思えた。寒さで腰が抜けたとかで、以来、夜は玄関に入れている。この方にとって大五郎は家族なのだ。
 車を門口に止め、私も探してやろうとした矢先、猫のような白いものが走ったのが見えた。程なく、大五郎ちゃんが元気に走ってきて、今度は水田に入り、匂いを嗅いでいる。
 さすがは柴犬。 
 一安心したらしく、Qさんは生気を取り戻したように、またいつもの口調になった。で、自宅へ戻りながら、用件を手短に伝え、意向を伺った。「まだ先で良いや」と先延ばしなされるのも、いつもの癖。
 辞して、ぐるっと周囲を廻って消防小屋近くまできたら、いつのまにか大五郎ちゃんが前を走って危なくてならない。車を停止し窓を開けると、よじのぼるようにして窓に顔を近づけてくる。思わず車から降りて、駆け抜ける後姿に「大五郎ちゃん、おじいちゃんを大事に守ってあげてよね」と投げかける。
 おぼろな月が鈍く春の山里を照らしていた。
 これも、もし私に映像技術があったなら、短いストーリーになったろうに……   


Posted by やんばちゃん at 21:36Comments(0)八ッ場だより

2010年04月27日

撮影顛末記 “一も見ずして、百の想像”

 本日27日15時すぎぐらいだったろうか、かけっぱなしだったテレビに、ニュース速報のテロップが流れた。「小沢氏、《起訴相当》決定」だった。
 八ッ場の推進派が悔し紛れに「胆沢ダムが良くて、八ッ場がなんでダメなんだ」と息まき、執拗に追調査を行おうとしていたことがとっさに浮かんだ。

 昨日26日の続きです。天気の良さに張り切って、出発。
 被写体の1号には、農作業中のQさんと決め込んでいた。 
 ところが、いつもの場所にいない。また、会えないかなと心急きながら、自宅に行ってみる。
 役所の職員らしい男性が集落の入り口の消防小屋の小さな車寄せに車を止めている。何かこの辺りで測量でも行うのかなと思いつつ、Qさん宅の直角の門口にたどり着くと、いたいた。Qさんとお手伝いの同年輩のいつものお二人が、坂道になっている庭先に座り込んで、缶ジュースを飲んでいた。 
 老人二人が野良着のままいるのは絵になる。「あら、お昼ですか、じゃ、私もそこで一緒に食べさせてもらおうかしら」と言いかけて,今日のは人前で食べるには臆する、単にご飯を積めた代物だったなと思いつつ、前回のお礼の心ばかりの品を持って車を背にすると、「アンタね、そこは邪魔だよ。もうじき役所の人が来るの待っているんだから。で、この車がでるんだよ」とのこと。
 「じゃあ、すぐ出ます。コレ、玄関に置いておきますから。生ものですから、冷蔵庫にね」と伝えながら、急ぎで玄関先の式台に置き、戻りがけにお二人の脇を通りながら、「あのね、私。今日からビデオで撮るからお願いしますね」。
 と言うと、「アンタね、そんなの失敗するよ。止せ止せ。どうせ、損するだけだけなんだから」との言葉を背に受けた。まずは何ごとも「牽制」のヒトなのだ。
 「今日はね,忙しいんだよ。落ち着いて車を出せよ。あんたはおっちょこちょいで下手なんだから」のまたもの半ばお得意語を背に浴びながら、車に戻ると、死角になっている小道を二人の職員らしき方たちが歩いてくるのが見えた。さっきの男性だった。
 「お客さん、もう見えますよ」と声をかけ、ともかく車をどかした。「はぁ、来たかや」と二人の老人は、慌てだした。
 事実、 「また、車、落とすなよ」もおっちょこちょいも本当。バックしそこなって、溝に脱輪。ジャフを呼ぶというのに。老人の意地もあってか、「な~に、これくれぇ」とっしゃって、80過ぎのこの方に、大ごとさせたことがあるのだ。思えば、何やかやと、この方にもご面倒のかけ通しなのだ。だから、毎回とはいえないまでも、Qさんの珍しいものや好物らしきものがあると少しだれれど、おすそわけ。味付けはお気にいらないから、今日は素材のままにて。

 まずは昼食をたべ、腹ごしらえと思い、この山間部のたたずまいを残す集落が一望できる、桜の古木のある高台に車を止め、出がけに詰め込んだ自家弁当を食べる。桜の持主は転居して、土台のみ残っている。
 眼下の坂道をQさんの車が走って行くのが視界に入った。先日、測量していた拡幅工事の立ち会いか何かだろうと踏む。
 さて、道々、桜を映してみようかととおもいながら、手順に自信がなくて控えてきたビデオの箱を購入以来、初めて開けた。開けたら、映った。最初に説明書を読まずにいつも、失敗するからと思ったが、やはり、きぜわしくて読みこなせない。
 そうこうするうちに、車が戻ってみえて、今度は何やら赤い耕運機が門口に見え出し、乗ったり降りたりしているのが見えた。良かった、ちゃんと農作業するんじゃない。牽制はしても、ちゃんと、それとなく協力体制をとってくれるヒトでもあるのだ。
 
 慌てて、坂道を下って、しかし、車を進めるとすれ違いの出来ない一本道だから、耕運機とぶつかる。とっさに私も消防小屋の狭い空間に止めた。そこから、まずはこの集落の全景を入れて、Qさん宅の門口に近づくことにした。まずは導入部の全景だろうなと考えたのだ。大抵の映像がそうしている。その後、あの門口に集中。ところが、ズームがわからない。そこまでは取り扱いの説明を聞いていなかった。
 メカに弱いオバさんはわからなければ、止せばいいのに、手あたり次第に動かしてみる悪癖がある。
 
 モタモタしていると、Qさんはスッカシをくれるように、さっと反対側の小道を通って、畑に行ってしまった。こういう処は老人にしては、何とも軽妙でシタタカ。一応はカメラの前にたつことの拒否表明はしてみせた。
 おっかけ取材で到着すると、畑の隅に耕運機は泊まったままで、また、乗ったり降りたりあちこち点検模様。なんだ、こっちもあっちも故障気味なんじゃない。
 今度は画面が大きくなったまま、画像を小さくできない。仕様書をちょっと見して、それらしき処を動かしてみる。
 そのうちに、今度はガンとして映らなくなった。
 何か、工具類を取りに建物に近づいてきたQさんに、「あのね、動かなくなっちゃったの」と伝えると、わが意を得たという感じの「それみ~ろ、ワハハ」の高笑い。
 その笑顔の良いこと! 
 この方とかれこれ、10カ年のおつきあいになるが、絶品の笑顔だ。笑いだしの眼元の端に「それ、みたことか」のあざけりを含んでの晴れ晴れとした高笑いだった。その一瞬の輝きが、何とも言えない良い表情。
 「Qさん、今の笑顔、良かった! 」と言ったが、映らないのだから仕方ない。カメラも間に合わなかった。
 (……あれで、内心は案外がっかりしているのかも知れない)
 
 少年の時から、才覚にとんだガキ大将だったという、この方の会心の笑みだった。
 おもわず、内心で「コノなんとも言えない得心の笑顔を、もし〇〇写真にでも使ったら、参列者がこぞってどっと。紅涙を流したであったろうなととおもわせられたものだった)。
 あぁ、肝心かなめの時に。
 一瞬の表情、時に賭ける、映像作家の悔しさを、ちょっぴり味わった次第。

 仕方なく、Qさんの処を辞して、横壁のワサビなどの景色と工事風景を撮るのが目的なのに、どうしようと思いつつRさん宅に。
Rさん夫妻はルスだった。JRや電気工事などあちこちの工事が賑やかだった。
 あの石組みの何百年もかかった風情の疎水の際まで、掘り起こされてしまっていた。
 「これ、壊すのいつ頃ですか」と聞きかけようとすると、先手を打つように、「工事のことはわからないよ。うちはテレビのケーブル線だから」とのこと。
 「もったいないですねぇ」と思わず、立ち入り禁止とはなっていたが、あちこちカメラに収めた。
 すると、「オバさん。工事中は中に入ってきちゃ、ダメだよ」と言われた。無言でひきさがったけれど、本当はあまりの地域一帯の改変の無残さに、声が出なかったのこともある。それに、自分でもオバさんと言っているのに、ほぼ同年輩のオジさんに、あまり良いニュアンスを含んでオバさんを連発されると、快いものでもなかった。
 
 何とかして、ビデオに収めたかった。
 Rさん宅の駐車場で、購入元にSOSの電話をし状態と最後に表示された「  」を伝えて、何か応急措置はないか問うた。
 かなり待ちそうなので、六合村に向かった。貝瀬を過ぎたあたりで電話が入った。
 
 何のことはなかった。単に充電してなかったらしいのだ。
 つまり、私は新しいものを買った時には、最初からフル装備と思い込んでいた。当然、ビデオもと思い込んでいた。(本日、これを記すにあたって、仕様書をみたら、真っ先に「充電」のことが記されていた)。
 しかし、電池で動くものとは異なっていたのだ。
 箱ごと買った時の袋入りのまま持っていたのだから、長野原町にいるうちだったら何軒かの知り合いに頼んで、充電させてもらえたのに…… 六合村の山間に入ってしまえばどうにもならない。
 「一を知って十を知るむと言う言葉があるが、「一も見ないうちから、百を想像してしまう」ヒトなのであった。  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)八ッ場だより

2010年04月26日

消え行く景色をビデオ撮影します?

 八ッ場~品木ダムを廻ってきました。

 横壁の消え行く、得難い風情の景観の数々。
 保護のための手だてをこうじるにはせよ、工事はピッチをあげてもいる。主要部分の一部は、万に一つの可能性もある。だが、エリア一帯は、草木をなぎ倒し、すでに掘り起こされて無残極まりない。
 残しておかなければ、永遠に消えてしまう。 
 局所的なカメラではムリ。
 ビデオでなければ……、だが、情けないかな、私には技術も購入資金もない。経済面は全く考慮せず、葬式費用の幾ばくかがあれば、わが身一つのその日をしのげれば良し。それよりも時間時自由を最優先する日々を選択して、久しい。
 
 それらのことがあったので、数年来、複数の映像関係者に、それとなく接近してみた。
 実際に現地にご案内したドキュメンタリーの大家もいる。
 また別のある公開された席だったので参加したら、、困惑されてしまい、まるでお邪魔ムシ的な射るような白眼視の眼にさらされ続けたが、もう、慣れっこなのでものおじせず堂々と参加した。
 しかし、何年間も要する映画の世界は、下支えするかなりの資金がいることは、少なからず知っている。
 あるドキュメンタリー映画に数年間,、伴走したことがあり、少しは察せられるのだ(結局、この時も自身で働きかけクランクインしたものだったが、試写会の席で「面白さの質」に激怒。一線を引いた。その後、国内外の賞を総なめしていく過程は苦々しくてならなかった)。
 捨て身でかかれば、何とか調達の糸口はあるかもしれない。
 が、ここの処、身辺が気ぜわしくなってきていて、監督に「大丈夫」とは大見え切れきれない。そのうちにつまらぬ雑音も浮上する。結局、断念し、当方からもきちんとお断りした。
 そんな経緯があった。

 しかし、私が魅せられてならず、 八ッ場に行けば殆ど毎回、にお邪魔する〇〇さん宅への吸引力となっていた、山里のほのぼの懐かしい景観が、一変してしまった。
 それに、ご高齢のPさんの農作業の場面を撮っておきたい。こちらもさまざまに水面下で動いてきた。が、自分でも「◇◇〇っ子さんって、本当に悪いヒトで嫌われもんなんですね」と自嘲まじりに自分でも口にするが、“国交省スパイ説”まで飛び交い、どういうことが尾ひれがついて四面楚歌状態の私が動けば動くほど、実を結ばず、今日にいたる。
 この数年間、年追うごとに、Pさんの生き生き農作業の迫力も、なくなってしまってきてしまっている。
 急かれてならなかった。

 こうなれば、映像として、撮りためしておかなければならない。
 もはや、自分でやるしかない。
 幸い、八ッ場関連のことで、少し収入がある。有り難く頂戴して、わが八ッ場のために還元しよう。
 そこで、最近は、家電業界の広告を良く見ている。
 先日の朝、思わぬ格安品を発見。何はさておいてもかけつけ、店頭にに並んで首尾よく手にした。キャッシュカードで求め、ひと月支払いを延期できた。

 そして、本日、初日。
 目下、締め切りに追われている品木ダム関連のレポート。提出前にやはり、現場へ行って現場確認をしておきたかったこともある。その取材ごとも兼ねて、朝早くでかけようと心づもりしていながら、またも恒例の昼近くになって、はりきって八ッ場へ出かけた。
 ところが、どうでもよいことだければ、肝心かなめの撮影は、又もの大笑いものの珍道中。
 どうやら、◇◇〇っ子さんって、メカに弱くて慌てん坊で、その上、本当に悪いヒトのようです。  


Posted by やんばちゃん at 23:26Comments(0)八ッ場だより

2010年04月25日

5/29(土)東京市政調査会

皆さま、昨日ご紹介の「田植えツアー」はいかがでしょうか。お待ちしております。
さて、本日は私ごとでおそれいりますが、前日29日(土)の東京でのシンポジウムのご案内です。
ご都合のつく方、ぜひ、ご参加ください。もちろん、こちらもお待ちいたしております。

 (財)東京市政調査会
第26回『都市問題』公開講座

「コンクリートから人へ」の行方
 2010年5月29日(土)13:30?16:30
 日本プレスセンター 10階ホール
(〒100-0011東京都千代田区内幸町2-2-1)
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 「コンクリートから人へ」をスローガンとする民主党政権が発足した。いわゆる「箱もの」中心から「暮らし」中心の予算に変える意思表明であり、民主党マニフェストには「子ども手当」「医療・介護の再生」など自治体が第一線で担う施策が並ぶ。一方、「コンクリート」の象徴とされた「八ッ場ダム」の建設中止は地元に動揺を生じさせる事態となっている。また、2010年度予算での公共事業費の削減は地方の建設業者の経営圧迫のみならず、雇用問題を深刻化させると危惧されてもいる。
 民主党政権が改革の「一丁目一番地」に「地域主権」を掲げる下で「コンクリートから人へ」をどのように実現するのか。その行方を検証する。
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<基調講演>
仙谷 由人 氏 (国家戦略担当大臣)
<パネルディスカッション>50音順
池上 岳彦 氏 (立教大学教授)
片山虎之助 氏 (元総務大臣)
鈴木 郁子 氏 (フリーライター)
森  民夫 氏 (新潟県長岡市長、全国市長会会長)
新藤 宗幸 氏 (千葉大学教授)<司会>


参 加 費:無料
参加申込み:東京市政調査会ホームページからお申込みください。http://www.timr.or.jp/
申込み期限:2010年5月25日(火)
 ※満席となりしだい受付を終了しますので、お早めにお申込み下さい。
問い合せ先:東京市政調査会 研究室
      TEL:03-3591-1261

会場案内 :こちら(地図あり)  


Posted by やんばちゃん at 22:15Comments(0)紹介

2010年04月24日

田植えツアー 開催

  ご紹介です。
 参加者募集 
 やんば館の前の久森の水田で、手植えの田植えを行います。
  期日   5月30日(日)  10時半~ ~
  集合場所  やんば館に10時半 
         ※電車等の方は、ご連絡ください。
  費用     なし
  その他   お昼はみんなで楽しく、野良弁にしましょ!!
  申込み期限 5月25日まで
  
  八ッ場で田植えをしてみたい方!!  是非、お気軽に、ご参加ください!
  ※これは長野原町のS・Sさんの企画発案で、Sさんの田で行うものです。
  参加者の方には、詳細をご連絡します。
   ※連絡先は、当方へ   spq272s9@rondo.ocn.ne.jp  


Posted by やんばちゃん at 23:51Comments(0)紹介

2010年04月23日

どうなってるの、国交省さん

 下記の記事をご覧ください。
 中止宣言以来、既に7カ月間も経つ本年4月20日今日現在、1都5県知事は「凍結されているダム本体工事の着工を求める」文書を提出するに至っているわけなのである。
  これは国交省が「過去の負担金の全額返還」という画期的な方針を打ち出しておきながら、逆に3月中旬に受益県であった下流都県に2009年度分の負担金請求をしてしまっていたというお粗末さなのだから、ダム推進派の動きもムリからぬ要望となってしまう。
 いかに前政権のしりぬぐいに錯綜としているとはいえ、一貫性のない、現政権の迷走状態にも困惑もの。
 そんな、中央政界の動きに振り回されながら、水没地では営々と日々の生活は営まれ、自然界もまた健気にも季節の彩りを伝えてくれる。それゆえに今年限りの景観かとも思うといじらしくてならなくなってしまう。
 
 中止なら工事もストップ。必要なもののみの精査が当然行われるものと思ったが、予算がついた以上、そうではなくなってしまった。ここは大丈夫と安心していた場所にまで、計画通りの大規模工事の手が伸びている。
  いったい、どうなっているの。政治のエキスパートがこんな整合性のないことしでかして、まったく、もう!
  …… しかし、この請求をだすように指示した“人物”は、頭の良いというか、相当に政治的なキャラクターだ。

 こんな時には、何の脈絡もないが、いかがだろうが、こんな写真は。

① 【2010年04月21日(水) 朝日新聞群馬版】 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581004210001
   負担金請求受け ダム着工を要請
 八ツ場ダム(群馬県長野原町)の受益者となる東京、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬の6都県知事は20日、国土交通省から2009年度分のダム建設負担金の請求があったことを受け、凍結されている八ツ場ダムの本体工事に速やかに着手するよう、前原誠司国交相に文書で申し入れた。
 申入書によると、国交省は6都県に対し、治水分の直轄事業負担金を3月17~24日に請求。栃木県を除く5都県には、利水者負担金の支払いを3月17日付で求めてきた。
 6都県は、請求はいずれも「八ツ場ダム建設による受益の発生が前提」とし、「河川法や特定多目的ダム法に基づき費用負担を求めたということは、国が法に基づき八ツ場ダムを建設することを意味する」と主張している。
 群馬県によると、県の09年度分の負担金は治水分が約7億4千万円、利水分が約2億円で、すべて請求通り支払ったという。

②【2010年04月22日(木) 朝日新聞群馬版】 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581004220001
  「負担金支払いはダム完成が前提」
 大沢正明知事は21日の定例記者会見で、国土交通省から3月に請求があった八ツ場ダム(長野原町)の建設負担金について、「(2009年度分について)ダム完成を前提に支払いに応じた。県としても積極的にダムの建設推進を国に働きかけていきたい」と述べた。
 負担金を請求された群馬など6都県知事は20日、国交相に文書で同ダムの本体工事の速やかな再開を申し入れた。「費用負担を求めたということは、国が(特定多目的ダム法などの)法に基づき八ツ場ダムを建設することを意味する」などと主張している。

 ③ 【2010年04月21日(水) 産経新聞群馬版】http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/100421/gnm1004210215000-n1.htm
1都5県の知事、八ツ場ダム本体工事着工を申し入れ

 政府が建設中止を表明している八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)問題で、国から新たに建設負担金の請求を受けたとして、群馬など1都5県は20日、改めて本体工事の建設着手を求める申し入れ書を国土交通省関東地方整備局に提出した。
 申し入れ書は6知事の連名で、前原誠司国交相あてに出された。県特定ダム対策課などによると、6都県は平成27年年度までにダム本体を完成させるとする「八ツ場ダムの建設に関する基本計画」や河川法などに基づき、毎年建設負担金を支出している。
 申し入れ書では、国交省が3月下旬、平成21年度分として各都県に負担金を請求したことを指摘。「法に基づき費用負担を求めたということは、法に基づきダムを建設することを意味する。速やかに本体工事に着手すべきだ」としている。  


Posted by やんばちゃん at 21:15Comments(0)八ッ場だより

2010年04月22日

八ッ場に

 時間的にきつい中で、またも八ッ場へいってきました。
 本来ならば、Bさん宅の田植えは20日だったので、この日に?“撮影”に行くつもりでした。ところが、押せ押せの時間帯で、ついに次々とズレてしまって、行けなくなってしまったのでした。 
 「何も来なくたっていいよ。来られりゃ、かえって邪魔だい」との口とは裏腹に、ご老体に鞭打って田植え機に挑戦している、己の雄姿を映像にとどめておきたいお気持ちもそこはかとなく感じさせる、Bさんのご性質を知っているので、もしかしたら、ハイライトの部分で、私の車が坂道をくだってくるのを待ちあぐねているかも知れないとの勝手読みがよぎりつつ、作業していました。
 こういう時、締め切りのある仕事は辛いです。
 それが証拠に電話した際の、「ハァ、田植えは終わっちゃたい」とのポツリのひと言。

 しかし、一応、完了。
 で、昨日、週末の二つのイベントも控えているので、今月は止めようかと思っていた、日曜日にある恒例の「高崎人情市」に出店しようかどうしようかとひらめく。
 窓口業務を担って下さっている「高崎やるき堂」なる事務局さんに電話したら、今月はスペースがあるとのこと。
 そうなると、販売品の調達が眼前に迫る。
 八ッ場へ行っても、今は原木しいたけはなし。わが家で間に合うものでムリをしない方が、良策かとも逡巡。出典のきっかけは日ごとに実が大きくなってしまったサンショウ。ちりめん山椒を作るのなら、実の柔らかい今なのだ。
 何しろわが家には何もないのに、サンショウの木だけは20本近くあって、そのうち半分は実をつける。葉サンショウは採る暇がなかった。
 これまた選択を迫られた。土曜日は終日、サンショウの実を採っても採りきれない。
 
 お詫びを兼ねて電話すると、先のひと言。
 で、何はともあれ、行くことに決意した。
 本日、猛スピードで榛名山中を突っ走っている最中も、やはり今年の田植えを撮っておくべきだった。来年、はたして自力で植えられる、それは定かではない。これだけ頑強で、“小型ダンプ”と命名されていた私が、その体重を支え続け、走り続けさせてくれた足腰が弱ってきている。姉が「今に動けなくなる」と心配しては、治療をしたがらない私に薬をかっては届けてくれる現実もあるではないか。
 秋の採りいれもあるけれど、やはり、田植えの方がスッキリとして清々しい。

 真っ先にBさんの処に行くことにした。で、いそうな場所を目にさがしながら、走らせて行った。ついに自宅へ。その集落に入った途端、一家総出で、田植えのご近所のCさんのご家族の姿がとびこんできた。
 その先にある、Bさんの田では、なんとBさんが、独りで田植えをしているではないか。
 
 狭いその場所での、2軒もの田植え。
  「全く!モウ」と思う。まぁ、メインの久森の田の「田植えは終わった」と解釈すべきだろう。久森も他の田んぼも終了したけれど、自宅脇の三枚の田は今日だったのだ。
 
 でも、うれしさがこみ上げてきた。で、「間にあって、良かったぁ!! 田植えの場面が採れて」と申し上げた。
 田植えをしているBさんの姿をビデオに収め、合間合間に畔の2度目に芽吹いた、黄緑色のセリを摘ませてもらった。Cさんには「背景として、映ってはしまいますけれど、お顔はわかりませんので」と申し上げると「構わねぇよ」とのこと。で、「じゃあ、むしろ映させていただきますけれど」とお伝えした。若いもの腰のお嫁さんが、機械植えの後の水田で、手植えをしている姿は絵になる。
 そのCさんのご家族が、お昼に引き上げられた後、疲れて日陰の道端にすわって小休止のままのBさんの処へ、持参の弁当を持って行き、一緒に野良弁当。「アンタの作るものは、悪いけれど俺の口にはあわねぇから、持ってこなくてもいいよ」と言われても、これまた心とは裏腹に勝手解釈。
 今日は、時鮭とタケノコの炊き込みに、タケノコの煮ものと炒め物。色どりはスナップエンドウ。孟宗竹はこの地域には1カ所だけ。何もかもそろいすぎている、Bさん宅にもない。ためか、そのマズい弁当を食べてくださった。たっぶりと容器につめたタケノコは「後で、このみの味で、煮直してください」と添えた。
 陽の明るいうちに、家にもどって、サンショウの実を摘み取らなければならない。それにまだ少し、私の穴場の場所での収穫も待っている。帰り際に「ワラビが生えているだんべから持って行けや」と行ってくださった。「後でね」と辞去。ここの家のコゴミはもう遅過ぎて開きすぎている。
 でも、来て、良かった。

ころが、次々といつもの直売所に
 
 






 それが証拠に昨日、頼んでおく品物のことで、電話した際の、「ハァ、田植えは終わっちゃたい」とのポツリのひと言。
 で、  


Posted by やんばちゃん at 23:51Comments(0)八ッ場だより

2010年04月22日

癒しの渓流を残したい



 しつこいようですが、またもワサビです。
 ワサビやアズマイチゲは、この小さな渓流の右手に自生してます。一帯は浅間石に覆われた傾斜地です。そこに何十年かの時を経て、やっと顔を出すアズマイチゲであり、野生の原種ワサビです。
 道をへだてて、小倉川があります。その両側の木立ちにはスミレなどがびっちり芽生えてきます。
 「流れはどうするのでしょうか」と問うと、「残します」とのことでしたので、川は残ります。そして、拡大解釈すれば、この渓流もこのまま保存できないものでしょうか。
 せめて、流れの廻りの一部もまた、残せないものかと心ははやります。浅間石に覆われた自然界のミニ公園として、道路の脇に見え隠れしたら、きっとなごみの空間になることは必定!  


Posted by やんばちゃん at 10:55Comments(0)八ッ場だより

2010年04月21日

直訴、環境保存。 145号アンカーの劣化なしとの由


【アズマイチゲ:キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。 晴れた日中は下の写真のように開花し、朝夕や曇り日には閉じている。従っても遅い時間に撮影する我が写真の殆どは、上のような塩梅にて、咲いている写真を探し出すのに一苦労の呈】

 久しぶりに八ッ場ダム工事事務所に電話をかけた。
 会議中なので、17時すぎに、もう一度かけて欲しいとのことになった。
  聞きたいことは、「環境問題関連資料公表について。進展しているか」について。答えは「なし」とのこと。
 
 ことのついでに、ここ数日来、本欄でご紹介してきた、横壁小倉地区一帯の、自然環境保護問題の可能性と工事計画をただした。
 「ただした」と記すと、いかにもお役所用語でひざ詰め談判の固い言葉になる。が、私は歴代の担当者と、地言葉まるだしの「なあなあ言葉」で話す。こと改まっての儀礼語では、相手も「言った言わない」の責任問題になるから、構えてしまわれて胸襟を開いてはくださらない。まぁ、当方はコレのみ式の中味、気取ってみたって仕方ない。
 この日のご担当の方は、極めて誠実で心根の優しい声の持主とお見受けした。声の応接だけでは、わからないかもしれない。でも、私はまず全面突入で、その方を信じることにしている。
 それは現代社会では極めてオメデタイのかもしれないが、亡き両親の口癖だった「こっちが本気で対応すれば、相手も応じてくれる。もともと悪い人はいないだから。要は響きあいだからな」的な養育言葉が、根底にあるからだ。
 もちろん、ヒトによりけりだが、幸いにして私も両親も、悪質なヒトに合わずに生きてこられた。それだけ行動範囲が狭かった証しでもあるが……
 担当者の方は、工事担当者ではないとのことで、工事計画の詳細は伺えなかった。が、小倉地区の自然風土は、ご存じだった。おもわず、小倉川の川辺り一帯に咲き乱れるアズイチゲや野生のスミレや数々の野草の見事さを力説してしまった。
 で、「こういう保護問題を訴えるのは、どの窓口に行けばよいのか」までのとば口の段階までだったが、国側に最初の糸口を聞いた次第。いや、むしろ、ここは「ただした」としておこう。
 どなたか、こういう環境保護政策のノウハウをご教示願えないだろうか。 
 あのまま。むざむざとブルでならし、コンクリートの下敷きにしてしまうのは惜しくてならない。
 水没地のほんの一部、今回は横壁小倉地区の細部は三ケタの頻度で訪れているから私も知っている。でも、私の知らなかった、現在、着工・完成している八ッ場の山野の至る処に、失うにはおしみて余りある、土地の方々が深く愛されていた、なごみにみちた癒しの自然界があったろう。
 ……でも、現地の方々は、往々にして見慣れた景観のためだからだろうか、拘泥なさらない。「今にフキノトウ一つだって、セリ一つだって得難いものになるんですよ。まして、タニシやワサビなんて」と、力説するが……
 昨今の新聞で、絶滅危惧種の山野草の代表例として、オキナグサがあげられていたが、わが家の辺りでも、私の子供のころにはいっぱいあったと親の世代は語るが、いっぱい自生していたという小川のほとりに行ってみたが、その片鱗さえも感じられなかった。で、栽培している方へのある取材の折に、幾つか買い求め、その語も折にふれて求めたが、荒れ放題という面においては結構、自然体の庭なのだが、一つとして根づいていない。
 
 最後に、3/8の本欄でご紹介した、2/18に見聞した、国道145号線の川原畑代替地の地滑り問題の国側の対応と見解を聞いた。
 対応してくださった方は、直接ここのご担当ではないらしいが、同事務所の市民への窓口として概略を応えてくださった。
 当方のメモが間に合わなかったことと、私的な会話的雰囲気の中で聞いたことなので、大げさな断定記述は避けるが、去る3/8の当方の記述を、責任上、幾つか補っておきたい。
 ① のり面のコンクリート壁に生じた褐色の染みは、やはり、壁面の酸性の土壌の成分が染み込んだものであるとの由。
 ② 国交省は直ちに、専門家に依頼して一部を崩し、検証。
   コンクリートの劣化はなく
  アンカーの強度にも影響はなく、安全性は保たれていたとのこと。

 ③ 今後も、必要に応じての調査は行う予定とのこと。
 ④ 従って、3/8の欄に、当方が土地の方に聞いて記した、「工事のやりなおし」的な措置は現段階では想定していないとのこと。

 結論として、最後は担当者も熟考されて、以下のお役所的用語で締めくくられた。
「必要に応じて、地質の調査を実施して、安全確保の対策をこうじることとしている」
 すでに、1時間近くも経過しており、この点については、後日、 また伺うことにして受話器を置いた次第。  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)八ッ場だより

2010年04月20日

タニシもドショウも、みな死に絶えた

 長野原町町林の久森水田に生息していたタニシ、それは大きなものでした。
 ドジョウも丸々としていて、それは元気でした。
 でも、工事が進むにつれて、ご覧のような有様になって、今はもう、側溝の蓋をあげても、姿はありません。
 写真は、2003年~2004年にかけての頃だと思います(ネガを調べれば日にちは判明)
 




















  


Posted by やんばちゃん at 21:55Comments(0)八ッ場だより

2010年04月19日

2010年04月18日

道祖神、危うし!



泰平の世の夢をむさぼっていた二人の上にも、容赦なくふりかかる工事の波。現在、よりピッチをあげています。
心なし、二人で手を握り合って、震えているように見えませんか?
上湯原にあるこの双体神のある場所の上方には、国道やJRができる予定ですが、真の費用対効果は、果たしていかがなものか。【2010年4月10日(土)撮影】  


Posted by やんばちゃん at 22:51Comments(0)八ッ場だより

2010年04月17日

沢を追われるワサビたち②



   ワサビの自生する横壁小倉地域の沢筋です。
 こんもりとしているのがワサビです。一帯はもうじき、ワサビのお花畑になります。
 左手の山際に清水が流れています。そして、かなり勢いの良い流れで、下流の小さな水田の脇にあった水車が廻るほどの水量がたっぷりありました。
 現在、ワサビの間の地面には、たおやかなアズマイチケの花々が咲きだしています。写真の花の脇の濃いグリーンの丸い葉がワサビです。ワサビの新芽を左手の山中に住むシカたちが、食べにくるそうです。
 さらに右手の道路際の陽だまりには、カタクリが楚々とした花をつけて、せいいっぱい咲き誇っています。この花の運命を知っている者には哀れでなりません。
 この下方の土地には、少し前まで、フキノトウでいっぱいでした。もうじき、背丈ほどある瑞々しいフキの群落となります。
 持主のご夫妻が、長い間、売却に抵抗し抜きましたが、ついに、今年限りのこの風景となりました。

 もうじき、上方にみえる民家と道下にあるお宅も取り壊し移転の予定だそうです。
 ここはコンクリートに覆われてしまって、いずれ道路になる予定なのです。
 ワサビは長野原町の典型的な天恵物。アズマイチゲもカタクリも、手づかずの山里の花々です。
 なんとか、ならないものでしょうか!!





 



  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)八ッ場だより

2010年04月16日

八ッ場の春の詰め合わせ

 写真をご覧ください。
 



 手前のグリーンがクレソン。奥のこんもり丸いのが葉ワサビ。白いのは花です。
 ある渓流の砂防ダム堤に拡がっている光景です。

 二つとも、惹かれてならない大好き人間の私は。、思わずも車を止めて魅入ってしまいました。
 こんなわが家のせせらぎが欲しくてならないのです。
 ここは、八ッ場ではありません。
 八ッ場にはクレソンはなく、ワサビの花はまだつぼみです。
 (生態系、狂わせてお叱りものかもしれないけれど、実は長野原町のある処に、そっとクレソンの根をほおっておいたのだけれど、凍みてしまってダメでした)
 
 場所を明かしましょう。
 東吾妻町のとある山里。ご近所の方に確認すると、もちろん、持主さんがいらっしゃいました。でも、川の中なんですけれど…… 子供の頃、地域を流れる生活川の中に生えていたクレソンは誰でも採ってよいものでした。それと田んぼのセリやイナゴもどこの田のも自由に採り歩けたねのでしたけれど…… 

 さて、一昨日、ほぼ終日かかって、写真の贈答品を作りました。「八ッ場の春の詰め合わせ」です。
 
 添えた食べ方の文面を添付します。
.....................
以下に、念のため、食べ方等のご説明を。
まず、箱の下敷きには、
①田のセリを並べました。これはお浸しが世話がなく、最も簡単です。(茹でるとほんの一握りの分量ですけれど)。
市販の水耕栽培のものは上品ですが、ご存知のように、田んぼのものが最も美味。
②脇に、水没予定だった川原湯温泉でつくった温泉卵を添えました。
お送りするので、かなり固めにゆでてあります。白身は固まってませんのでご注意ください。
なお卵は、実家で取り寄せている、青森県の「ときわ農場」の自然卵ですのでご安心ください。
③セリの上のフキノトウは、同じく八ッ場の寒冷地の清水の流れる川べりに自生しているものです。もう、ちょっと遅い感じですが……でも、柔らかいです。
④濃いグリーンの葉はワサビの茎です。
水没五地区の横壁のあるお宅周辺のワサビの群生地が、ジャンクションとなり、まもなく道路工事が始まるため、仕方なく手始めにワサビを採り始めたKさんのお宅から、根つきのままで貰ってきたのです。
ダメかとも思いつつも、わが家の畑にも植えてみました。その際、少し葉を切っておきました。(昨年、鉢に植えたのは今年早々、芽吹いてくれてます)
⑤山椒の芽だけは、わが家のものです。まだ長野原町では芽吹きません。
※葉ワサビの食べ方  インターネット上にもありますし、ご存知のこととは思いますが、最も簡単なのは、
①洗って、熱湯をかけ流す程度に。長くつけてはダメです。
②小さく、3センチくらいに切って密閉容器に入れ、醤油漬けに(少しで可)。
ここで容器ごと降る。その降り加減で辛さが決まります。
数時間以上、置いてから熱いご飯に載せるととっても旨いです。

 このワサビの生えるKさん宅の手面には、カタクリや純白のアズマイチゲも芽吹くのです。今回は初めて、ほの紅いアズマイチゲに出会いました。恐らく、今年の春で終りの花たちかと思うと、いじらしくてたまりません。
 もはや、訪れるたびに切なくなるほど切り刻まれ、意味もなくコンクリートの下に追いやられた、わが八ッ場の大地の無言の哀しみの声々に、春先はことさらに出会います。「中止宣言」後も、依然として工事はなおも続いている、現実なのです。
 


      


  


Posted by やんばちゃん at 11:08Comments(0)八ッ場だより

2010年04月15日

?ダム建設は町民の意志  無投票町長選祝勝会



【4/13 無投票確定後の祝賀会であいさつする小渕衆議院議員】

 祝勝会では、「無投票ということは、ダム建設推進が町民に認められたこと。この勢いにて、早急のダム本体工事へ」的なあいさつが続いてました。
 その論の延長上の14日の大沢知事の認識を活字にした、本日の地元紙・上毛新聞をはじめとした県内紙を。
 
 なお、読売新聞の小渕・富岡参議院議員の発言については、一日早く投票日翌日14日付、毎日新聞の全国版で奥山記者が精力的な記事を記してましたので、両紙を末尾に掲げます。
 富岡さんの発言には、「また、民主党内の火種になる」と私もギョッとなりました。

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① 【2010年4.月15日 上毛新聞一面下段】  ※全文手打ち
八ツ場ダム八ツ場ダム「現職の姿勢が評価された」 長野原町長再選 結果で知事 
 大沢正明知事は14日の定例会見で、八ッ場ダム建設推進を掲げる現職の高山欣也氏が を果たした長野原町長選(13日告示)について「現町長の)姿勢が高く評価されての結果。地元の方々は建設推進の気持ちが大多数だと思う」と述べ、引き続き連携して同ダム建設推進に取り組む考えを示した。
 同ダム建設中止方針を掲げる民主党の富岡由紀夫参院議員が高山氏の祝勝会を訪れ、問題解決に向けて努力する姿勢を示したことについては「地元の生活再建を進める点では協力して取り組んでいきたい。(本体工事の是非で)意見が相反するのはやむを得ない」と語った。

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 ②【2010年4.月15日 東京新聞群馬版】    
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100415/CK2010041502000118.html
 長野原町長 無投票再選 知事『町民はダム推進』

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 ③ 【2010年4.月15日23時 産経新聞群馬版】    http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/100415/gnm1004150224000-n1.htm
「地元は建設推進が大多数」 長野原町長再選で知事 群馬  

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 ④ 【2010年4.月15日 毎日新聞群馬版】    
長野原町長選 
  知事が無投票再選評価 「地元大多数は建設推進
 

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  ⑤【2010年4.月15日 朝日新聞群馬版】    
知事、長野原町長再選を評価 ダム建設推進、理解された  

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 ①【2010年4.月14日 毎日新聞25面(全国版)トップ 写真・地図あり
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100414ddm041010102000c.html
 選挙:群馬・長野原町長選 
八ッ場ダム推進現職、無投票再選 
  民主、戦いを回避


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 ② 【2010年4月14日12時51分 読売新聞】 ※地方行政
 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100402-465846/news/20100414-OYT1T00537.htm?from=nwlb
 気勢上げる小渕さん…八ッ場ダム推進町長再選で  


Posted by やんばちゃん at 23:50Comments(0)八ッ場だより

2010年04月14日

数百年来の沢を追われる、ワサビや野草たち

 八ッ場の春を感じさせる代表的な、産物に野生のワサビがある。

 その自然界の中でも、これまで比較的手づかずだった横壁奥地で、現在、大規模工事が始まってしまいました。
 しかも、そのほとんどの土地が、私が親しくさせて戴いてきたOさんの家の周辺で、Oさんの所有地なのですが、訪れるたびに変容してしまうのですから、たまりません。
 ここは、先々、交通の主要地になるのです。
 もちろん「国交省に約束を守らせる会」の主要メンバーです。この会は、出入りし始めた頃、無我夢中で長野原地区を除く、水没四地区内を駆け巡っていた時に、数少ないダム反対の地主さんたちの合衝連合の必要性に迫られて、ご意見をつなぎ発足したものです。
 しかし、時間が進むにつれ、それぞれのお立場も加わったり、まぁ、記すに記せない妙な動きに振り回されてしまいました。
 
 そして、「絶対に売らない」を誰よりも強く主張していたOさんも、数年間に及ぶ執拗な再三の国交省のはたらきかけや周辺の住民のかげ口・白眼視に耐えかねて、ついに一昨年頃に、まずめがね橋の延長上の宅地を売却。直ちに工事が着工され、う回路ができていました。それが0さん宅解体につながるための道路整備であるとは、部外者の私にはわかりませんでした。続いて、家の廻りの広大な畑地も手放さなければならなくなったのです。
 
 先日も、伺った際に、奥さんが自生する面積が極端に少なくなった今年も、フキノトウを取っておいてくださって、たくさん下さいました。少し日が経っていたので、早速、調理。おおまかに切って大量のフキ味噌をつくって、今朝も食べました。
 さらに、洗いかごの中で、泥を落とされていたワサビの苗を指して、「持っていく?」とおっしゃったのです。袋に包んでくださりながら、「そうだ、こっちの洗わないのも持っていく?」とおっしゃたのでした。
 もちろん、私は大喜び。
 町場の者にとっては、ワサビは憧れの天恵物。
 奥さんは包みながら、「根はね、ヒゲを採って、ビニール袋に入れて叩いてみて」と食べ方を教えてくださりつった。
 葉ワサビの食べ方はしっている。でも、まだ小さな根付きのワサビは、食べるのはもったいなくて、植えたことはあるけれど、知らなかった。
 というのは、昨年春やはり、新築の家の脇を流れる疎水べりに自生していたワサビの数株を、「どうせ、トラクターでつぶされるだから、持って行きなよ」と行って、Oさんがスコップで掘ってくださったので、大事に鉢に植えてある。今年早々、芽吹いきた時はうれしかった。鉢に植えたのは、夏場の暑い時に、移動が可能となるように考えたのだ。毎日神経使って、夏場は木陰の涼しい処を見つけては移動させ育ててきたのだ。
 私の大好きな自然体の小さな流れだったが、現在、悔しいけれど、ならされてその一帯は広大な平地になった。
 以下の写真は、わが家で育っている八ッ場のワサビたち(撮影日 2009年12月)




 「工事でつぶされるから、端の方をもったいないから採ったんだけれど……」
 「ええ、じゃ、あの沢もつぶされるの?」と聞く。
 「そうだよ、この辺はみ~んな」
 清冽な水が勢いよく流れていた疎水べりに設置されていた、水車も移されていた。
 でも、何よりも書ききれないが、こんもりとした小山の下の沢筋に浅間石に覆われた平地に群生していたワサビの一面の花。
そして、ほどなく養蚕にかわって、吾妻農協の推奨により、秋田から苗を大量に取り寄せ植え付けたというフキの群落。私の身長よりも大きくなって、直径は3㌢近いのもあった。野生の野ブキもあって、香りが違うそうである。
 さすがにその斜面一帯には、私も遠慮して、長い間、つぶさに足を踏み入れるのははばかってきた聖地に近かったのに……
 さらにそれらを見下ろす、いちょうの大木も切り倒さねばならないとのこと。先祖伝来のこの家のシンボル的な存在だったこの木はギンナンをたっぷり実らせ、家計を支え続けたという。
 ちなみに、ギンナンとワサビを暮れに出荷すれば、この辺りとしては、荒巻ザケなども飾られる豊かな正月が迎えられたそうである。このお宅のワサビは元来は、野生のワサビだつたそうである。確かに伊豆地方などのに比べて、葉も茎も小さくてしまっている。
 何年か間や、受精が落ち粒が小さくなったことに加え、高齢の身体でムリして出荷しても採算割れらしく、自家用のみで拾われなかった年があった。年明けの厳寒期、草木が落ちた地面に、おびただしいギンナンがちらばっていたことがあった。ギンナンが大好きな私は、「もったいない」と感じた。通例、奥さんはこれらを丹念に拾い、コタツにあたりながら殻をむき、中味だけにして冷凍しておかれる。そして、手間暇かけたそれを、惜しげなくくだされる。むいてあって、直ちに使えるので重宝ものであった。
  
 「もったいないねぇ。悔しいねぇ」と二人で眼前の斜面をみつめて、嘆息した。
 
ただ一つ、ほっとしたのは、今年の厳寒期の2月初め、よもやと思いながらも何となく予感がして、お堂の移転地に上った際に、私はこの辺の小高い雑木林一帯を歩き、沢を超え、足場のない急斜面といか絶壁を必死で伝い降りて、雪に覆われたワサビたちも撮影。疎水の流れの概要をのみこんでいた。周辺一帯の落ち葉の上には、野ウサギの糞がいっぱいあつた。近くのOさん所有の水田では、収穫期を前にし数年前の一晩、稲をクマに全滅させられたことがあった。
 もう、あのつららの下がった様も、凍てながらも雪の下で、緑色の葉を持ちこたえていた、写真の健気なワサビたちの姿も、永遠にみえなくなってしまうのだ…… 

 中1日、経って心ばかりのお礼をもって、お邪魔すると0さんがいらして、「お茶飲んでいきなよ」としきりにおっしゃってくださったが、私は少しでも陽のあるうちに、カメラに収めておきたくて、辞して沢へ登らせて戴いた。
 先日、戴いたのは、最も早く工事にさらされる、細い疎水の流れの小さな中州になっている、竹や木々の間のものと奥さんが言ったように、斜面にはまだおびただしいワサビが自生していて、今年最後の花のつぼみを持っていて、早くも1、2輪、白い花が咲いているのも見られた。
 その脇には、アズマイチゲの清潔な純白、紅を持ったのもある。「ワァー」と思う。道沿いの陽だまりにはカタクリが。
 0さんご夫婦は、さらに奥地に代替えのワサビ田を用意したそうであるが、この環境はもう絶対に再生しない。
 アズマイチゲもカタクリも、何十年もの落ち葉の堆積による腐葉土の上に芽生える野草で、たやすく再生できるものではない。

 惜しい、惜しい。
 耳にしたばかりのニュース、尾瀬保護財団の活動開始のことが耳元によみがえる。ここも、八ッ場の自然を語るにふさわしい保護地域に出来ないか。
 それに比べて、P委員長宅では、小型の車一台がやっとの自宅脇の細道が、なんと2車線の広々とした道路になっていた。これに対しては、村のアチコチで不思議がられてきた。
 「なにも、そこにジャンクションを持って行けばいいのに」と言いたくなる所以だ。

 0さんにも、つきものの悪評、「ゴネ得」的なウワサ言葉があることは、私も耳にしてきた。でも、何百年にもわたり営々と築き上げてきた、豊かな自然環境を全て、コンクリートで覆ってしまわなければ、ならないのだ。
 幾ら、金をもらってもあがない切れない。売りたくてうるのでなく責められて攻められ続けて仕方なく決心するのだから、代替え地などに注文をつけなければ、腹の虫がおさまらないだろう。
 国策とは何なのだろう。
 
 前原大臣の「中止宣言」に対して、大喜びした0さんご夫婦の笑顔が忘れられない。恐らく、水没地でも数少ない大喜び組のお二人であった。そして、「中止って言うんなら、工事も中止にしなけりゃ」と吐き捨てるように語っていたOさんの言葉の裏が、今になってわかった。

 悔しいけれど、どうにでもならないものであろうか。せめても、あの斜面の沢筋だけでも、浅間山の噴火とその自然情景の景観として、国道脇の自然公園として残せないものか。
 あの樹齢何百年かのギンナンの木を残せないものか。
 設計変更など、出来るものだろう。

 私は帰宅し翌朝、急いで、泥つきのワサビの全部をクリーン作戦で借りている、元は水田に移植した。今朝、行ってみたら、しおれかけてしまっていた。慌てて、水を運んでくれた。夕方、少し、生きかえしてくれていた。
 気温がちがうから、ダメかもしれないが、どうか根づいて欲しい。  


Posted by やんばちゃん at 23:48Comments(0)八ッ場だより

2010年04月13日

長野原町長選 無投票

 





 本日も急きょ、八ッ場へ行ってきました。
 まさに、三日にあげずの通い路なら、“私、八ッ場に恋してます”式になってしまいますね。
 注目の長野原町長選は、結果的には、予想通り無投票になり、現職の高山欣也氏(66)が再選を果たし、二期目となりました。
 17時ジャスト、町内の防災無線で流されました。

 久々にゆったりとたまった洗濯物をこなし、大量に摘んできたセリや頂いたワサビなどの始末をしていたのでしたが、不意に中断。「やっぱり、自分の眼で見てこなけりゃ、例え一行の記述でも、見ていなきゃ真実味に欠ける」とばかりに、いつ記すともつかない一行のために、昼食を食べているのももどかしく、大きな器につめこんで持参の呈で出かけました。
 
 選挙戦に突入。一騎打ちの東吾妻町内では必死の構えなので、選挙カーの声も高い。
 けれど、またも例の145号に魅せられるように引き込まれ、今日は全長を測ろうとしたのはいいのですけれど、東吾妻町の松谷奥地の美しい村落に踏みこんでしまって、5㌔の予定外コースを走行。
 横道にそれた分を差し引いて、松谷トンネルの全長は恐らく約3㌔くらいと踏みました。
 川原畑でもまた横道に。
 そうしたら、役員のKさんが農作業をしていて、お話を伺う。
 その目線の向こうのLさん宅の新築家屋に洗濯物がひるがえっているので、「あら、越したのかしら」と眺めやっていたら、なんとその家の主のLさんご夫婦が車に家財道具を積んで走ってこられた。「越されたんですか」と問うと、「えぇ、8日にね」と奥さんのM子さんの晴れやかな声がかえってきた。
 「それは、良かったですね。おめでとうございます」と述べ、駆け寄って手短かにある用件を「落ち着かれてからで、結構ですからお願します」と伝えた次第。

 結局、あちこち寄って、情報集めて、結局、高山陣営の選挙カーに出くわせたのは、あるお宅に立ち寄っている時。悪名たかき女の私は、この家にご迷惑かけるから、顔はださず。
 
 実は、結果的には無投票でしたけれど、高山陣営にとっては、気のもめる長い1日だったようです。
 つまり、選挙選に突入するかもしれない危機感に見舞われていたのです。
 ウワサの主は、去る11日に投開票があった、、みどり市長選で落選した、海老根篤氏(62)が、先週末に要項を貰いに訪れ、今朝も先に役場に出向いていて、終日その動向が、高山陣営を動揺させていたという経過があったのです。
 しかも、ウワサによれば、何と選挙選最終日の土曜日とかに、選挙カーで長野原町に来たとか。本日は、「誰かでれば、応援する」と言ったとか。
 ともかく、長野原町にとっては予期せぬ椿事だったようです。

 ある家で、FAXで入ったばかりだと見せてもらった用紙には「決起大会のご案内」となってましたが、17時よりの決起大会が祝賀会にかわって、開催のはこびになったようです。
 選挙事務所(旧大津スーパー)にての要項を頼りに、定刻ちょっと過ぎに、会場に。

 以下は、語調をかえて、その部分のわがメール文を流用。
 選対役員あいさつ、必勝ダルマ開眼、万歳、花束贈呈などに続くあいさつで、田村守前町長が、「無投票で当選するということは」で始め、「高山町長は四年のうちに八ッ場ダムを着工する」との気勢をあげると、場内は拍手で湧きあがりました。
 来賓祝辞のトップバッターの、小渕優子衆議院議員も同様の祝辞を述べ、「四年といわず、一日も早く」と述べると、さらなる拍手が起きました。
(地元情報によりますと、一号橋建設を機に、この勢いでダム本体工事までとの機運が、町内にみなぎっているとのことです)
続いて富岡由紀夫参議院議員、中曽根康弘衆議院議員(秘書が代理)など。

 高山町長がお礼の挨拶で、「先ほどまで選挙になるものと思いこんでいたので、涙がとまらず弱ってます」と述べたように、実は一昨日11日、開票された、みどり市長選で落選した、海老根 篤氏(62)が、先週末に要項を貰いに訪れ、今朝も役場に出向いていて、終日その動向が、高山陣営を動揺させていたという経過がありました。

 当初、遠慮がちにしてましたが、思いもかけず複数の旅館主の方から、好意的な声をかけられ、お話し合いがじっくりと出来たうえ、予期せぬ実のある言葉もうかがえました。  


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2010年04月12日

145号試走記 “八ッ場ストップ新路線”夢構想

 
 八ッ場の桜は、まだ咲き出していません。
 周辺の山々の木立にわずかに萌黄色が点在し、その一角にほの紅い一群がとらえ出してますので、もうじきでしょうが、開花には至ってませんでした。
 青春18切符を余らせてはもったいないの精神で、消化させるがための、全くの無計画の計画で、たまたま乗車した東海道線が伊東行きだったので、伊東へ行き、伊豆半島のごく手前の海辺に沿った山あいの桜を満喫。
 熱海に戻り、東海道線を南下。次は富士市から身延線で、富士川沿いを登り、甲府市内へ。夜になり、観ること叶わずのお目当ての桃はもう遅いかとおもいきや、隣の席の銀行員風情の男性から、今が真っ盛りで「きれいですよ」と教えて頂いた。翌日10日の「信玄公まつり」を控え、桜も加わって、それは見事とのことに、富士さんも午前中は見えたそうが、午後は見えずで、無計画の計画のお粗末さを思い知った。伊東で目の前にして予定の列車にでられたのが痛かったのだ。
 で、 気ぜわしく家にも立ちよらず、一昨日、八ッ場へ直行したのは、東海地方の満開過ぎの桜を目にした身には、わが八ッ場の春の芽吹きに立ち会いたかったからでもありました。
 
 次に、9日に開通式を行った旨を八ッ場で聞き、帰宅後に10日付県内版を読んだ、145号バイパス一部開通道路の、ごく私的な試走記を。

 昨日、現地で聞いた145号線を通ってみた。
 今年初めて、榛名山中を横断した。桜の気配もなし。ここはまだ、冬眠中といった風情のモノトーン的色彩であった。
 従って、榛名山麓を降り切ると、これまた久々に東吾妻町の旧道を走ってみた。
 すると、いつもの三島地区の「天狗の湯」方向には左折出来ず、右折して、新設の橋の際の信号機を直進すると、自然に通じてしまったのである。橋の手前右手に、ほぼ完成している、「道の駅」らしい豪華な建物が際立つ。
 で、車内から、また後続車を気にしながら、端に寄せ、急いで撮ったのが、以下の写真。
 この間、すれちがった車は、出口付近の1台のみ。後続車はなし。
 それにしてもだ。予定通りにダムが完成すれば、一部は水没の運命にあったのだから文句はないが、トンネル内を通れば、吾妻渓谷は素通りすることになる。
 観光資源の吾妻渓谷を通らずして、先々の観光政策はどうなるのだろうか。

 トンネル内を出てからが、むしろ、手間がかかる。
 まだ、全面開通していないから、川原畑では直進できず、工事用進入路を通り、かつての三つ堂前を通って、現在の国道に出るのだ。以前からそうであったが、出口で右折するのには、まごつく。仕方なく交通標識を無視して、ちょっぴりこ国道を横断して、直ちに右折せざるを得なかった。
 
 帰途は、期せずして松谷まできたら、例の一方通行の遮断機がなくなっていた。で、またもごく自然にいざなわれるように吾妻峡トンネルへのを通って見た。
 往きは無意識に走ったが、往路は距離をはかってみた。トンネル内が約1、8㌔。現国道への進入路が約1、2㌔の道のりであった。

 試走してみた感じは、特に吾妻川右岸の吾妻町の、現在、建設中の新設道路の整備網である。
 以前、お会いした東吾妻町の女性の方は、「こんなに道なんか要らないのに」と語ってくださった。本当にこんなに必要なのだろうかと、工事が進捗して全容か゜示されるに及んで、疑問が頭をもたげる。
 あ~ぁ、微々たる額とはいえ、やっと納める税金が、実際に住んでいる地元の方までが「要らないのに」とおっしゃる、このような道路に使われたくない。
 ストップ表明段階で、工事も全て凍結。工事の詳細を精査すべきではなかったろうか。
 それに、この吾妻町三島地区に豪華で豪壮な「道の駅」が出来た上に、確か、林地区でも「農産物直売所」的な施設を望んでいるはずであるが、こんなに至近距離に二つもあって、先々、採算がとれるのだろうか。

 さらにである、旅に出て、トンネルに入ると“景色を損してしまった”という感じになって、出口のほの灯りが視界に飛び込んでくるとほっとする。
 約250億円以上もの巨費を投じた、新吾妻線はトンネルだらけである。
 10日の日、吾妻線車内で、私の前に座った、温泉とカメラが好きという若い女性は、神奈川県から、やはり青春18切符できたという。
 で、その女性に、上記のことを伝えると、彼女も「ほんとにソウソウ」相づちを打ってくれたので、話がはずんだものだ。で、つい、八ッ場の見どころや概要を語ってしまって、肝心の車窓の景色を見るのがおろそかになったものだった。
 その時も伝えたが、新付替え線はトンネルだらけになること。
 何よりも、現路線の整備とともに、長野原~軽井沢方面に接続させる新路線を考えて欲しかった。その新路線開発工事費に廻せば、どんなに便利だったか。そうすれば、“われら青春18切符愛好者”にとっては、ぐるりと周遊できるのにと数日来、東海地方の電車に揺られながら考えていた、今は夢物語構想をも、伝えてしまった次第。
 ソウ、路線名は「八ッ場ダム ストップ路線」とでも、名づけようか。  


Posted by やんばちゃん at 20:10Comments(0)八ッ場だより