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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年04月01日

前保守政権を支える、支えた構造

 高崎市の市制110周年の記念行事に参加。
 国会議員から地方議員まで、区長職や各地域のそれぞれの要職者はもちろん、編入合併前の旧群馬郡一帯の新旧役員にも招待状が来た。私のような議員の端くれにもであった。
 約2000名以上収容できる会場、数あるアントニン・レーモンドの作品の中でも、代表的な建造物で知られる、「群馬音楽センター」をうずめるこれらの招待者の圧倒的多数が、前政権の根強い支持者なのである。
 そうでなければ、地域の役員には浮上せず、往々にして招かれてこのような席には並べられないのである。
 つまり、合併前の群馬郡一帯の各自治体の長は、まぎれもなく自民党系保守層。任命される要職者の面々もまた然り。ましてや地域内の役員は、それらの歴代の保守層が白羽の矢をたてるのだから。しごく当然。
 
 だが、悲願の人口30万人となって中核市をめざす、新生たかさき市の首脳陣は、積みあげてきた持ち前の叡智のなせるわざなのか、民主党政権下におもんぱかってか、110周年記念行事の主軸には、未来を担い色のつかない、市内の子供たちを前面に企画していた。題して{Step!次の未来へ」。

 会式前の前庭では、「こども太鼓」「こども茶道」「こども大正琴」と続き、式典本番のオープニングセレモニーでは、まず「こども獅子舞」、創作舞踏劇「高崎大田楽」では、衣冠束帯姿の松浦市長を真ん中に子供たち。高崎市の歩みをスライド中に、舞台そででは「こども琴」の演奏など、時に幼少組の子供さんの愛らしい姿には、惜しみない拍手がそそがれた。浅黄色の絹装束がにあった松浦市長の寿ぎ奏上の役割も、役どころを得ていて、秀逸。「遠き世の1000年の…… いざ共に踊り狂わん」なる雅後語の世界に魅せられた。
 続いて、私たちにはなじみ薄い「高崎市歌」は、舞台上の高崎経済大学付属高校の生徒さんたちとの大合唱であった。唄うもんかと思っていた私のかたくなな心も溶けだしていて、その旋律について行こうとしていた。
 そして、しめくくりの「こども憲章」。10年前の100周年の時に募集した手紙の配達式の主役もこども達だった。全ての凝った趣向の数々に子供たちを前面に出し切った、快い演出だった。
 周囲の前議員さんたちの間からは、「考えたいなぁ、10年も経ちゃ、今にあの子たちが選挙権もつもんなぁ」。何もかも選挙に結び付ける気風の方たちです。
 
 合併には反対を貫き、編入後の高崎市議会での一般質問の際にも、旧高崎市議会保守系の大議員団のヤジにもめげず、
<この先、何年経つかわからないけれど、このような苦言を申し上げている私が、「あぁ、高崎に合併して良かった」と言える時、その時が本当の意味での「新市の醸成がなされ、対等合併」と呼べるのではないか>と言い切った。編入後の1年半の任期中、私はこの大会派のおじさま議員さんたちから最もヤジの飛ぶ、新米のにくたれ女性議員であった。
 ただし、高崎市の持つ、「進取の市民性」には期待して、この日の会場。音楽センター前庭にたつ、寄付金額の大きい順から、名前を刻むことをせず、「昭和36年 時の市民 これを建つ」のみの記念碑の清々しさは、いたく打たれていることも添えた。
 
 そして、この日の記念品は、スッキリと高崎市の絵葉書3枚のみ。
 すかさず、周辺の席からは、「なんだ、こんなケチなもんだけかい」との声がもれたが…… 
 ああ、でも、この方たちが、特有のハバを利かせてやみくもに地方自治を動かしてきた時代は、ほどなく終焉を迎える。当時の引き物の豪華さ、それを良しとした時代は終りを迎えつつある。

 余談的にこの日の珍事を。
 市長・議長あいさつに続いて、壇上に上がったら各界代表は4名。そのトップバッターは福田康夫前総理。
 「さきほどのスギ浦市長さんが祝詞をあげられたのは良かったですね」と松浦市長をスギ浦と間違えてしまったから、場内には失笑とどよめきが、でも前総理はこれもお得意技のポーカーフェイスの「我、関せず」の風情で少しもどうじることなかった。(たぶん、受けているとでも思われていたのかも)。さらに同僚国会議員の紹介時に、昨夏、同じ群馬4区の旧高崎市を中心に死闘の闘いを挑まれた、民主党の新人も三宅雪子議員の「三宅」の出だしで、きちんと三宅とよべず、不鮮明な声で良くききとれなかったが、間違えてしまって、またも爆笑のうず。
 後部座席から 「ダメだいなぁ、福田さんも。二回も間違えちゃ」との声があがった。
 こういうことに最もこだわり、重きをおくのが、この間、存じ上げてきたわが群馬の前保守政権の議員さんたちなのであった。
 
 福田前総理のしめくくりは、「110周年の時は、小渕さんが総理で官邸を離れられず、私が代理でまいりました。で、この日は絶対に忘れられない日となりました。その夜、小渕さんは倒れられて還らぬ人となったからです」と。慌てて「今回はそういうことはありませんから」と言い添えられたが、またも周囲の保守系議員のお一人は「〇〇さんだんべ」と不謹慎語をくりだす。
 福田さんの話に縁のなかった私がこの間、聞いた話の中では、余裕があってそつなく最も上出来な話し方であった。
 スピーチ後、直ちに公務のため壇上を降りる際に、松浦市長と議長との握手の際に、またもハプニング。比較的長身の福田さんに比べ、小柄なお二人の胸元にさしてあった来賓用、こちらは主催者なので白い飾りのリボン花が、お二人とも落ちたらしく、松浦さんは笑いながら拾っていた。
 その間、福田さんは悠然と舞台のそでに消えていかれた。秘書に間ちがいを伝えられていることだろうが、気がつかないということでは“大もの役者”なり。

 続いて、舞台上にズラリとコモ樽が並び、鏡抜きのセレモニー。後でわかったが、酒は入っていなかった。壇上には県会~国会議員、それにお祝いにかけつけた川越市長はじめ、近隣の市長さんたちがズラリとならび、数名で一つのコモ樽を割るポーズ。
 ここで、目をひいたのが、さきほど福田さんにきちんと名前を呼んでもらえなかった三宅雪子衆議院議員。なんと今はやりの、すその部分にはレースが用いられているように見える黒のミニスカート。 
 すかさず、民主党憎しの男性元議員団がならぶ周辺席から、「なんだ、三宅っていうんは、大根足じゃねえか」の声が飛ぶ。「長いスカートはかなければみっともねぇ」などのささやきがもれる。
 隣に並ばれるはずの小渕優子さんは秘書が代理だったので、女性は一人ゆえにことさら目立つ。
 実際、ごく細身の長身の方であったと思っていたが、下半身がやや太目の体形に変わられていて、顔が小さくみえた。スラリとした足も、舞台にたたれると意外に、膝上がめだった。
 そう言えば、小渕優子さんのミニスカート姿は目にしたことがなかった。そうう処にも後援会からの目配りの伝令がとんでいるのかも知れないなと、同時に思った。
 確かにTPOに欠けていた。だが、三宅さんの為に弁護すれば、最新のファッションに身を包むのも感性のひとつ。また、(流行の洋服は買えない私には関係ないことだが)女性の服には流行があって、買いに行ってもその手のものばかりということもあって、探すのに往生することもある。さらに、前の会合とのかねあいもあったろう。地方議員のようにマイカーで移動していれば、何着か積んでおくことは可能だが……
 
 それでなくとも、今日は三宅さんはうとまれるはず。
 圧倒的な自民党系の出席者は、福田前総理。その福田陣営を揺るがした候補であり、八ッ場ダム反対を主張したのだから。中止を表明した前原大臣の現地視察にも同行していた。
 八ッ場ダムについては、「家計を預かる女性の視点からすると、こんな無駄遣いは考えられません」と述べている。
 
 「どうぞ、10年後の自分へのお手紙を」の最後のアナウンスに、「それまで生きていねぇや」。
 確かに、保守王国群馬の下支えに動きまわり、一時代を画したこれら議員団や各界各層の地元役員の皆さんの大半は、消えていく運命にある。
 その治世下で、「男と対等にもの言うオンナ」のレッテルを貼られ続けて息苦しかった、この方たちには好まれないタイプの私にも、10年後の日は、約束されてはいない。

 10年後のその時、八ッ場ダム問題を「愚」と決め付けられる意識が醸成されていることを期す。  


Posted by やんばちゃん at 23:37Comments(0)八ッ場だより