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2010年04月04日
春泥が続く、八ッ場の春
冬がすぎ、春が来た。
でも、わが八ッ場の春は、春のぬかるみに突入する。
住民の皆さんの希望通りに、1号橋は出来る。さらに、未契約の方たちにも、補償額に基づく措置が採れるとの決定。
だか、その先は「どこまで、続くぬかるみぞ」のぬかるみ道なのであることは、目にみえている。
これらの件については、私はこの間の基本的なスタンスである、「事実を最もよく知っているのは、政治家や識者ではなく、現場の最前線で実際に作業に携わったり、そこで暮らしていられる方々」との考えにもとづく。だから、現地第一主義を貫いてきたつもりである。
従って、「ダム堤建設は絶対阻止であるが、現地のことは基本線としては、熟知している当事者の住民の皆さんの総意に基づいて決めるべき」との見解から、1号橋については、積極的に口をはさむことも反対行動も起こさなかった。
補償金についても、持ち前の「不公平は嫌だ」の感覚から、残った方たちにも希望があれば、当然支払うべきであるとは考えてきた。こちらはほんの少し動いたつもりである。
思えば、市民団体が本気で反対する場面は、2008年5月の「仮排水トンネル」建設時ではなかったか。と、思う。
しかし、あの時は、「今は時期ではない。まだこの先がある」とか、首をかしげたくなる賢しらぶった論理の「仮排水トンネル工事は本体工事ではない」とかの横にそれた意見にて、あろうことか私は仲間内から足をひっぱられた。
では、いつが好機だったのか、工事は進めば進むほど阻止はむずかしくなり、ムダな建設費を費やさせるというもの。
……恐らく、阻止は出来なかったかも知れない。
しかし、物事には闘うべき、節目の時がある。 市民運動に対して、現地の方々に指摘されても、弁解の余地のないのは、過去に何度となくあったという、その時点において無策であったということで、「何を、いまさら」と言われてしまう。そして、あの頃、現地の推進派の方からさえも、「闘うという意気込みがみられない。下手な反対ならスルな」との苦言があった。
それこそ、私たちが望んでやまないダム中止の場合には、使い道のない転流工にムダな工事費を費やさせたではないか。
どこかが発信する妙な噂の包囲網にて干され続け、数多くの悔しさいを嫌というほど味わってはきたが…… この時の、味わわされた屈辱感も忘れられないことの一つだ。
仕方なく、抗議書提出のために、急きょ、本会「ST0P八ッ場ダム・市民ネット」を立ち上げて、この会名で国交省に抗議書を出した顛末がある。
むろん、いかなるダム工事にも反対ではある。
が、数々のムダな工事に比べれば、1号橋は現時点では、水没地の皆さんにとって、同じムダな工事の中では、少し、意味が違ってくるのではと、漠然ながらもよぎった思考過程がある。
もちろん、大阪城落城にいたる経過と同じ轍を踏んで、1号橋を造らせ補償金契約により代替え地に移れば、残るは画龍点睛な存在の「ダム湖建設」への大合唱が、早晩、起きることは想像にたやすくない。
願うのは、“大阪城落城の悲哀に通じる構図”にならないことを祈るのみである。
環境の世紀である。
先日も、春の気配の中で、いまや切なくなるほど切り刻まれてしまった、わが八ッ場の大地にたって哀しかった。
確か近々、現地役員の改選があると聞く。
僭越なもの言いだが、紆余曲折の数々の苦しい局面を乗り越えてこられた、水没地の皆さんは、それほど愚かではないと考えている。将来を見据え、きちんと自分たちにとって最良の道を選ばれると考える。
この上は、長野原町の皆さんの叡智に充ちた選択を信じるしかない。
……それに、今後の前原大臣のお手並みをも。
部外者は、今しばらく、やはり沈黙を守るしかない。
そして、最もつらいのは、この春泥に似たどっちつかずの日々の中で、今日一日を生ききらなければならない、水没民の当事者の方たちである。
でも、わが八ッ場の春は、春のぬかるみに突入する。
住民の皆さんの希望通りに、1号橋は出来る。さらに、未契約の方たちにも、補償額に基づく措置が採れるとの決定。
だか、その先は「どこまで、続くぬかるみぞ」のぬかるみ道なのであることは、目にみえている。
これらの件については、私はこの間の基本的なスタンスである、「事実を最もよく知っているのは、政治家や識者ではなく、現場の最前線で実際に作業に携わったり、そこで暮らしていられる方々」との考えにもとづく。だから、現地第一主義を貫いてきたつもりである。
従って、「ダム堤建設は絶対阻止であるが、現地のことは基本線としては、熟知している当事者の住民の皆さんの総意に基づいて決めるべき」との見解から、1号橋については、積極的に口をはさむことも反対行動も起こさなかった。
補償金についても、持ち前の「不公平は嫌だ」の感覚から、残った方たちにも希望があれば、当然支払うべきであるとは考えてきた。こちらはほんの少し動いたつもりである。
思えば、市民団体が本気で反対する場面は、2008年5月の「仮排水トンネル」建設時ではなかったか。と、思う。
しかし、あの時は、「今は時期ではない。まだこの先がある」とか、首をかしげたくなる賢しらぶった論理の「仮排水トンネル工事は本体工事ではない」とかの横にそれた意見にて、あろうことか私は仲間内から足をひっぱられた。
では、いつが好機だったのか、工事は進めば進むほど阻止はむずかしくなり、ムダな建設費を費やさせるというもの。
……恐らく、阻止は出来なかったかも知れない。
しかし、物事には闘うべき、節目の時がある。 市民運動に対して、現地の方々に指摘されても、弁解の余地のないのは、過去に何度となくあったという、その時点において無策であったということで、「何を、いまさら」と言われてしまう。そして、あの頃、現地の推進派の方からさえも、「闘うという意気込みがみられない。下手な反対ならスルな」との苦言があった。
それこそ、私たちが望んでやまないダム中止の場合には、使い道のない転流工にムダな工事費を費やさせたではないか。
どこかが発信する妙な噂の包囲網にて干され続け、数多くの悔しさいを嫌というほど味わってはきたが…… この時の、味わわされた屈辱感も忘れられないことの一つだ。
仕方なく、抗議書提出のために、急きょ、本会「ST0P八ッ場ダム・市民ネット」を立ち上げて、この会名で国交省に抗議書を出した顛末がある。
むろん、いかなるダム工事にも反対ではある。
が、数々のムダな工事に比べれば、1号橋は現時点では、水没地の皆さんにとって、同じムダな工事の中では、少し、意味が違ってくるのではと、漠然ながらもよぎった思考過程がある。
もちろん、大阪城落城にいたる経過と同じ轍を踏んで、1号橋を造らせ補償金契約により代替え地に移れば、残るは画龍点睛な存在の「ダム湖建設」への大合唱が、早晩、起きることは想像にたやすくない。
願うのは、“大阪城落城の悲哀に通じる構図”にならないことを祈るのみである。
環境の世紀である。
先日も、春の気配の中で、いまや切なくなるほど切り刻まれてしまった、わが八ッ場の大地にたって哀しかった。
確か近々、現地役員の改選があると聞く。
僭越なもの言いだが、紆余曲折の数々の苦しい局面を乗り越えてこられた、水没地の皆さんは、それほど愚かではないと考えている。将来を見据え、きちんと自分たちにとって最良の道を選ばれると考える。
この上は、長野原町の皆さんの叡智に充ちた選択を信じるしかない。
……それに、今後の前原大臣のお手並みをも。
部外者は、今しばらく、やはり沈黙を守るしかない。
そして、最もつらいのは、この春泥に似たどっちつかずの日々の中で、今日一日を生ききらなければならない、水没民の当事者の方たちである。