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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年08月31日

ここはどこでしょうか?



 この場所、どこの場所だったか、おわかりになりますか?
 ヒント
 ①今般の工事が始まる前までは、八ッ場を訪れた多くの皆さんが通られた道です。
   とりわけ、市民運動の皆さんの中で、初期に2~3年くらい前までは「八ッ場の崩れやすい地層」を見る恰好の場所として、 この辺りの日陰に集まって、近くの岩肌断層をみられたのではないでしょうか。
 ② この上にある地域の代替え地が出来る予定です。
   現在、希望者は3世帯のみ。完成は早くても2年後となります。
 ③ ここにはある石像がありました。今は近くに移転されています。
 ④ 近くに共同浴場があります。

 おわかりになられた方、ご連絡ください。
 ? お役にたつ、やんばグッズを差し上げます。  


Posted by やんばちゃん at 20:17Comments(0)八ッ場だより

2010年08月30日

理想の自治はいずこぞ。 川辺では五木村もシンポ参加

 一年前の今日は、あの歴史的な民主党政権の誕生させた、衆院選の投票日。引き続いて、八ッ場ダムの中止がもたらされた、画期的かつ歴史的記念日なのでした。
 けれども、昨今の惰弱きわまりない民主党内部の、政権争奪選まがいのチャンチャンバラバラ。子供たちのチャンバラごっこなら許せるが、一国のかじ取りを行う、政権党のそれである。 
 小さな人間ながら、一体、この国はどう動いて、どこまでチャランポランに行ってしまうのか、心配にならざるを得ない。群馬選出議員も二手に割れている。

 しかし、どうやら、本日夕方から、動きが出てきたようだ。
 今般のことで、決定的に名を落とした、どっちつかずの鳩山前総理が仲介に入ったとかのニュースが流れている。
 他方、昨今の連日のスコール的豪雨に似て、株価も乱高下状態となった。ここの処の円高も手伝って、株価は凋落の一途をたどっていたが、日銀の介入によって、一時280円まで上がった。しかし、緩和策の底がみえ、終値は約158円高にとどまった。
 何もかも、乱高下のもとにある。

 過日も記したが、「今や、公共事業における国民的課題として、八ッ場は現在、政治の分水嶺を、過たず歩かさせられている」ことは衆目の一致していることである。
 イライラ怖々、目標定まらず歩かさせられながらも、ダム建設にまなおも固執する八ッ場ダムに比べ、川辺川では中止後の施策が着々と進むらしく、昨日は五木村村長も加わってのシンポジウムが行われている。
 画期的なことである。
 この中で、国有地の使途についても、話し合われたらしく、本日の水源連メールには現地からの声として、
 《漁民の吉村さんが、言われたこと。「ダム水没予定地に指定された地域は、河川予定地指定として、長く増築や改築が制限され苦労があったと思う。また川のそばに住みたいという人もいるだろうし、外から五木へ移り住みたい人もいるだろう。民地にして五木が五木のために使えるように、私たち実行委員会からも働きかけをする必要があるのではないか」》との声があったと由。
 
 以下に、熊本日日新聞の転載を。
 ////////////
【2010年8月30日(月) 熊本日日新聞】 http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/kiji/20100830001.shtml
  五木村長「村再建策を」 反対派シンポに初出席
 「五木・相良と球磨川流域の再生」をテーマにしたシンポジウムで意見を述べる五木村の和田拓也村長(右)=相良村

 川辺川ダム問題を考えるシンポジウムが29日、相良村であり、「五木・相良と球磨川流域の再生」をテーマに、水没予定地を抱える五木村の和田拓也村長らが意見を出し合った。シンポジウムは同ダム反対派などでつくる実行委の主催で、14回目。和田村長は初めて出席した。
 約200人が参加。和田村長は「水没予定地の村民の代替地移転はほぼ完了しているが、国や県と約束した(道路整備などの)公共事業はまだ残っている」と説明。「(政府が進めるダム事業中止後の)モデルケースになるよう、村の再建策をお願いしたい」と語った。
 会場からは「国有地となった水没予定地に村民が再び住めるようにすれば活性化する」との提案もあり、和田村長は「水没予定地の利活用が最大の課題。政府の判断がなければ解決は遠い」と説明した。
 同ダム計画では、前原誠司国土交通相が昨年9月に本体建設の中止を表明。人口が激減するなどダム計画にほんろうされた五木村は、国や県に生活再建策を要望している。(臼杵大介)   


Posted by やんばちゃん at 22:15Comments(0)八ッ場だより

2010年08月29日

仕事中です。

 町道沿いのくずの花のカーテンです。
 葛の花といえば、釈迢空(折口信夫)の 「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」(『海やまのあひだ』)がつとにしられていますが、この林地区の葛の花は、頭上はるかにたれさがり、踏みしだくことなどできません。

 
 今日は、猛暑の中で働く、八ッ場の人々の姿をご紹介します。
 「炭づくりの里」ぱ林地域の村おこしとして、その活動と存在が年々、広まっています。この日も、注文品のミニ炭俵を懸命に造っていました。ミニとはいえ、手間暇のかかる仕事のようです。
 昔は販売用の大きな炭俵は、夏場に刈り取り、干しておいて、冬の仕事のない時に編んだのだそうです。
 しかし、今回の注文品は、はまだ青味の残るカヤをもちいての作業でした。添えた写真は完成品。



 次は市場出荷後のハネだしトウモロコシの整理です。
 ハネ出しと言えど旨いです。旨いから鳥がつつくのです。採りたて→茹でたての旨さは格段の美味。たっぷりと戴きました。
 




 
 
 








 こちらはズッキーニの収穫作業中。 



  


Posted by やんばちゃん at 20:28Comments(0)八ッ場だより

2010年08月28日

代表選下、負担金問題への次の一手

 ようやく、昨日27日、前原大臣が八ッ場ダム問題への次の一手を繰り出す旨の表明を出しました。しかし、来月14日の民主党代表選の結果いかんによっては、どうなることでしょうか。
 記者会見の八ッ場ダムに関する部分を、いち早く雨宮さんがメールに投稿してくださていましたので、転載。
 ついで、27日、閣議後の記者会見での前原発言と周辺事情を伝える、読売新聞群馬版です。26日夕の川原湯温泉祭りには、読売の記者さんたちは泊まり込みで3人ほどみえていましたが、またも各社の取材体制に動きがでてきたようですね。

 続いて、地元紙・上毛新聞には一面トップ扱いであるのですが、無料サイトにないので、写真を添付します。内容は読売さんとほぼ同種のものです。
 なお、読売新聞で「27日閣議後記者会見」について、上毛しんぶんでは、具体的に「2011年度予算の概算要求に関する記者会見」としています。
 そうですよね、9月はも雨来年度予算編成の時期。そこで、ネックとなるのが1都5県知事さんがそっぽをむいている、負担金問題なんでんよね。
//////////////////////////
①[yamba-open]メールへの雨宮隆児さんのメール転載
  昨日(8/27)の前原大臣の会見要旨が、国交省で公表されました。
  http://www.mlit.go.jp/page/kanbo01_hy_001066.html 
  八ッ場ダムに関する部分のみ抜粋してご紹介します。
     ※質疑応答の部分は掲載されていません
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
 八ツ場ダムの検証につきましては、1都5県知事から工程を明確にして結果を早期に出すことを明らかにするよう求められているところでございます。
 地元の方々の不安を早期に解消するためにも検証の結論を早期に得るべきとの考え方は、私どもも1都5県と全く同じでありますので、既に事務方に対して検証の体制を早期に立ち上げるよう指示しましたし、事務レベルを通じてまして1都5県との調整を鋭意進めているところでございますがが、改めて大臣として八ツ場ダムの検証のスケジュールについての考えを申し上げたいと思います。
 検証の開始時期については、有識者会議の「中間取りまとめ」が提出される時期の如何によらずできるかぎり早い時期にくスタートさせたいと考えております。
1都5県等との調整がつけば、早ければ9月中にも地方公共団体との検討の場を立ち上げることができればと考えております。
 また、検証の結論を得る目標時期については、検証を進める中で、1都5県と共通認識の持てる時期をできるだけ早くにお示しをできればと考えております。
 全国の他のダムと同様に、八ツ場ダムについても予断を持たずに検証することとしており、流域の方々にご理解をいただける結果をできるだけ早くお示しをしたいと考えております。

///////////////////
 ② 【2010年8月28日(土) 読売新聞群馬版】
   http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100827-OYT8T01167.htm
  八ッ場検証を先行
  国交相、来月にも6都県と協議
 
 
 ///////////////////////////
 ③ 【2010年8月28日(土) 上毛新聞一面トップ】
  写真で見出しだけでもをご覧ください。


 ※(なお、28日は個人的なあるうれしいことに、終日包まれてまして、つい、?記念日的に本欄をバスしてしまいました。しかし29日朝、やはり今後の記事多発が予想され、同日付けでの複数記事よりも? と昨日28日づけにて記させて戴きます。偽証でございますが……)  


Posted by やんばちゃん at 09:08Comments(0)八ッ場だより

2010年08月27日

きつねのかみそり、咲き乱れた川原畑の小道、今いずこ


 25日に訪れた時、八ッ場の疎水沿いの雑木林にさいていた、キツネのカミソリです。ヒカンハナ科ヒガンバナ属の花です。
 「狐」と名のつく草花は、本来のものに比べて見劣りがする、という意味をもつそうです。類似するものとして、「犬サンショウ」のように「犬」の文字がつくものもそうですね。でも、ヒガンバナとはちがって、これはこれで独特の持ち味のある独立したステキな花です。
 お訪ねした方が、タッチの差で出かけられてしまって、1時間ほどたたないと戻られないとのことでした。昼時は過ぎていたけれど、まだ遅い昼げのお宅もあるでしょうから、他のお宅に伺うのも悪いので、私も涼しいところで持参の昼食を食べようと、とっておきの木陰で弁当というほどのものでもないけれど拡げました。急坂をくだった木立の下で、前方に情感あふれる田の、実り始めたばかりの稲穂を眺めながら、気分よく食べていたら、思いもかけぬ蚊の集中攻撃にあうはめに。痒くて痒くて……、
 まだ、時間があるので、その奥の茂みの川ベリには、今春、ここにワサビがたくさん自生していたのを発見していたので、思い切ってかき分けて入ってみました。国道からほど無い下地の茂みなのに、原野そのものの趣です。
 めざすワサビは殆どみかけず、あっても、茎は泥にまみれてました。春に茎を組ませてもらいましたけれど、根はとらなかったので、みずみずしいのが生えているものとの思惑がはずれていささか、ガックリ。でも、きれいな所だけをひとつかみほど。
 川ベリから離れた奥地のほうにもわさびがあるのを見掛けたけれど、春には採らなかったので、まだあるかなと奥地に進みました。
 
 すると、一面のこの花の群落が、林の中で明るい空間を彩っていました。でも、すでに散り際でした。少し、離れた木陰にあった、この一株だけはまだ盛りでした。で、二本ほど失敬。花冠のが折れてしまったのももったいないので、一輪差しのおしろい花の脇にさしておき、咲いたのが、左の写真です。
 葉っぱはおしろい花のもので、「葉しらずの花」とも呼ばれるヒガンバナと同じく、キツネのカミソリも開花時には葉はつがず、茎のみが林立し、花が咲き終えると、濃い緑の光沢のある葉にあたるものが芽生えてきます。従って、一生、相まみえることのない男女の中に例えた小説などの素材として使われてきました。かくいう当方も、男女の仲とまではいかない民話調のものでしたが、その視点にてまとめたことがありました。
 
 キツネのカミソリは、移転した川原畑の諏訪神社の周辺にもいっぱいありましたっけ。神社前の旧信濃街道の草の小道ぞいの緑の草むらのなかに、この紅い花が点在しながら、咲き乱れていたさまは、山里のリリカルな光景でした。
 今は、どうなっているでしょうか。

  
 昨日26日の川原湯祭りで林地域にお住まいの方から伺ったお話によりますと、26日早朝4時、林では王城山に登る、神事
があったそうです。
 前に、高間山から尾根伝いに王城山に行き、下ったことがありましたが、しんどい道でした。それを往復ですから、大変なことだったでしょう。その時にも、そんな清々しいけれど困難な神事があるということを耳にしました。
 四季折々の移ろいのふし目として、土地ごとのさまざまな行事が、村を愛する村人たちによって、連綿と守り受け継がれてきているのですね。それらが、ダム建設によって、瓦解されてきつつ、ありますが、必死で支える現地の方たちの心意気があります。  


Posted by やんばちゃん at 20:47Comments(0)八ッ場だより

2010年08月26日

八ッ場に恋して11年。未だ舞扇、重し

 やはり、「川原湯祭り」に参加させて戴きました。
 四面楚歌の敵陣にのりこむ身構えも要される局面に、いかにどこか抜けている無神経な女でも、「エイ、ゃー」とばかりの自らへの気合が求められます。神経を逆なですることにつながるからです。
 人さまの町の、年一回の慰労をかねたなごやかな席に、無神経極まりないとのご指摘は、ひしとひしと感じます。
 そんなこんなで、気持ちを引き締めるために取りだしたのはいいのでしたが、久しくく着なかった浴衣の帯結びに手間取り、結局、またも猛スピードで榛名山の山越えと相成りました。
 どんなひもでも帯でも体に巻きつけることは、背筋をシャッキリとさせられるものです。
 
 いつも、道々一度は想起します。
 そこに山があるから登るのと同じく、私にとって、そこに八ッ場ダム建設予定地があるから何をおいても出かけるのです。
 「人の町のことに口出しスルナ」の声が、同温泉組合のHPにはあります。しかし、八ッ場のことは、もはや、長野原町さんのことだけではなくなりました。この国の明日の行方にゆさぶられる、国民的課題の一つとなりました。
 そして、昨今の政治のどうにも説明つかない混戦ぶり。はがゆくてならぬが、“ブルータス、お前もか”式に、“民主党よお前もか”と困惑しつつも、八ッ場ダムとの接点を眼見据えて見えぬものを見させて頂く。
 どちらに転ぶか、わが八ッ場はいま、歴史の分水嶺を歩かさせられています。
 後日の分析の面で、そこに意義ありとして、この祭りの場に「私の仕事の一環」として出かけたしだいです。

 そして、いつも、あの民話の世界のことに納得が行き、得心するのもまた、この山道です。
 恋しいヒトに会いたくて、一夜に山を七つも八つも越えて夜な夜な通う、おなじみの民話の世界の若者の恋心についてです。  幾つかの類似の物語がありますが、一晩にそんなに山越えできるものかと「恋こごころ」に疎い私は、長い間、常識的判断で、疑問に思っていました。
 しかし、あいたさ見たさの一途な思いは、不可能を可能にするものだと、すでに少なくとも三〇〇回を超える八ッ場通いの日々を重ね合わせて、民話の中の虚構性について、得心がいくのです。

 そんな思いで駆けつけた、今年の川原湯温泉夏祭り。
 さすがは、川原湯温泉街の底力をみせつける、本格的な装置。美味な料理の数々。旅館のオーナーさんたちが汗だらけになってじきじきに腕をふるわれています。しかも、その分量の豊富さ。
 本当にご馳走さまでした。全て、おいしかったです。それもそのはず、プロの皆さんなのですから。
 但し、手厳しい言葉にも接しました。
 受けても当然。頂戴した言葉と態度はしっかりと、今は、帯の間に折りたたまさせて戴いておきます。今夜、帯を解いても、心の中にたたみましょう。
 でも、判ってくださる方もいますから、平気。信念をもってここに千里の道をも遠しとせずの心意気で、かけ走ってきたのですから。
 そして、子供の日の運動会や学芸会以降、生まれてまさに二度目の踊りの輪のなかに、自然体で入ってしまいました。曲名は「川原湯音頭」。もちろん。振りは見よう見まねでしたけれど。
 お蔭さまで、思いもかけないうれしい出会いもありました。
 最後まで居たかったけれど、抽選会までいるのもヘンというか、まさに無神経。その辺りでそろそろ失礼。
 
 今夜は多くを具体的に語りません。語るその時にはお白州の上で裸になるつもりの覚悟できちんと申し上げます。今は、ただこの局面を眼にとどめさせて戴いておきます。 
 帰途、あえかな月夜をおいつつ走っていると、不意にまさに月にむら雲の呈で陰り出しました。。
 浴衣のみやつ口から涼風が入り、心地よいものがありました。
 月の消えた夜空仰ぎつつの帰途の道々、口をついてでた歌は、なぜか、かの大正時代の「籠の鳥」。どうしてこんなに古いんでしょう。
 席上、「どういう立場で、」などとと問われると笑いながらも、「はい、悪名たかき女のようでございまして」などとふざけて答えていたせいでしょうか。
    人目忍べば 世間の人は   怪しい女と 指ささん この「怪しい女と 指ささん」の部分に、なぜか妙に心そそられる、困ったヒトなんです。
 そして、後続の歌詞「世間の人よ笑わば笑え」と言い返したいところでしたが、恐らく招かざる客のひとりなのですから、神妙にしていました。

 さて、久しぶりの和装のせいだからでしょうか、続いて口をついてでてきた唄は、これまたなぜか「芸者ワルツ」。
  その二番目の歌詞、  
        空には三日月 お座敷帰り
        恋に重たい 舞い扇
        逢わなきゃよかった 今夜のあなた       
        これが苦労の はじめでしょうか

 さて、まさにお座敷帰りの今夜、この宴に行かなければ良かったのか否か、「これが苦労の はじめでしょうか」と相成りましょうか。
 何本か身体に撒きつけた腰ひもの拘束感にも似て、まさに“恋=八ッ場ダムに重たい舞い扇”です。
 そして、いざ記す時には、これらのひもをかなぐりすてて、身一つになって本気で記すつもりです。
 
 八ッ場の実相は、端的にスッキリ断じて、記し切れるものではなく、このような書き方に、どうぞご寛容のほどを。
 末尾の歌謡曲。ざれ唄にあらず、時代の中をかいくぐり、大衆の息づかいとともに生きてきた歴史の発露と心得ます。  


Posted by やんばちゃん at 22:58Comments(0)八ッ場だより

2010年08月25日

新国道全開通 / 26日川原湯温泉・夏祭り

 本日、八ッ場へ行ってきました。
 お盆あけ以来、ここ数日来の懸案事項でした。24日の知事来町の折には行くつもりでいましたけれど。
 往きの榛名山中で、思い切り、例の「解放歌」や「革命歌」(これはやはり、身についてしまった我流の節にて)を威勢よく思い切り、大声で。そして、「一高寮歌」の「ああ、玉杯に花受けて」もゴッチャに織り交ぜ、時には「三高寮歌・逍遥の歌」も交えて、歌というよりがなりたてていると、いつしか榛名湖をすぎて、吾妻路のとば口に到着するのです。すると変わり行く景観に、今度は徐々に怒りが湧きあがる。 これが毎度のわかパターンなり。


 【開通した145号。林方向から川原畑方向に走り、松谷方向を望む。左手に移転した川原畑の諏訪神社】

 さて、今回は去る20日に、湖面3号橋と川原畑ー林間が全開通したことが最大のニュースでしょうか。
 往きはどうも、付替え国道を通るのはシャクなので、吾妻渓谷沿いを。本日も渓谷を散策している集団が見受けられました。駅前には大型バスが二台ほど駐車。
 林地区の国道沿いで話していると、三号橋を走る車が目にとまり、「あそこ、もう通れるんですか」と問うと20日に開通したとか。ここのご家族も法事の帰途に松谷から通ったら、たったの10分で終点の145号線まで出られたとのこと。
 で、145号→横壁・天神橋→深沢橋→3号橋→林地区に入り→久森トンネル→川原畑→ で松谷までは行かず、ここで河原
畑を通って、現在の国道におりました。途中、写真を撮り撮りでしたけれど、約10分間。ノンストップなら確かに10分くらいでしょう。次の横壁のお宅でも実証してくださいました。写真のように、これまで交通止めだった川原畑から林方向へは写真のようになっています。
【川原畑方向から望む、久森トンネル】

 建設に対しての疑問などは多々、ありますが、やはり、道路の開通というのは、皆さんの胸に、そこはかとない灯りをともすものらしいです。

 次に川原湯温泉の夏祭りについて
 毎年、8月26日と決まっています。
 川原湯駅からの道を走ってほどない左手の広場に夏祭りの垂れ幕などがあって、日曜日に終わったものなのに、なぜといぶかしく感じながら、進むにつれて、「毎年、決まっていて、確か今ごろ25、26日なんだったけ」とうっすら記憶の糸が蘇りました。卵をゆでるためめにまずは神社下まで行くと、階段にズラーと竹が飾ってあります。でも、みなもう枯れていて、妙な雰囲気。そこで土地の方に確認。夏祭りは明日。飾りつけの枯れているのは、やはり22日に子供みこしだけ、プレイベントとして行っていたのでした。
 軒数の減った今年の作業は、大変だったとのことでした。

 明日26日18時~   誰でも参加可能で、自由です。300円を払って、トレーをもらえば食べ放題・飲み放題のわきあいあいの楽しい会なのです。
 翌27日には、「川原湯神社の秋祭り」です。
 今年の祭り会場は、駅に近く、温泉街への道の左手、郵便局近くの広場で、すぐにわかります。先日の東京新聞の記事での“限界旅館”への支援も兼ねて、おでかけになられてはいかがでしょうか。

 さて、くだんの温泉たまご、15分じゃ、ムリと思い込んでいるから「じっと待つこと15分」をせずに、入れたままで、あちこちはしご。気がついたら、2時間以上も。さすがに、ものすごい熱さ。次に立ち寄ったお宅でも、不出来な仕上がりゆえさし出せす、車の中も何となく、熱気で猛暑なみ。
 帰途、原町のスーパーの閉店時間に間に合うので、見切り品を目当てに立ち寄ったら、夕暮れ時に初めて言葉を交わし、きさくにいろいろと話してくださった水没地の女性の方にパったり。すれ違ってからお互いに気がついて、忙しない足どりのまま「先ほどはどうも」と。
 祭りのことを口にし、「もしかしたら、また明日。お目にかからせて戴きます」と伝えた次第。
 ことのついでに隣の農協スーパーへ。どちらも20時閉店なったのでした。レジの際、前の男性に何となく見覚えがあって、見ていたらその方も気がつかれて「やぁ」と。八ッ場からこちらへ移転した方なのでした。
 スーパーにめったに足を踏み入れぬ私が、こともあろうに遠くの地で、八ッ場の方たちにあえるなんて……、2度あることは3度あるというけれど、もはや、時間切れの閉店時間。  


Posted by やんばちゃん at 23:35Comments(0)八ッ場だより

2010年08月24日

殉義の星と輝かんーその二

 ※ミス記述訂正
  あろうことか、「ああ、玉杯に花うけて」の成立年を、「昭和12年一高寮歌」と、前回とともに記述してしまっていたのでした。
  正しくは「1902(明治35)年、第12回記念祭東寮寮歌」なのです。
  2016年11月11日朝、「星」がテーマの今年の文化祭への詩作品の提出に「殉義の星と輝かん」として記していて、インターネットを開いたら、真っ先に本欄が出てきたので、単語のコピーとして、前回分の2010年8月23日の記述中を単語のコピーとして部分的にコピー。
  ぎょっとしました。
  なんと、「昭和12年一高寮歌」。
  昭和はおかしすぎる。明治時代にきまっているじゃ、ありませんか。たぶん、「第12回」の「12」を混同してしまったのではないでしょうか? 生なかな知識が曝露したようです。
  誤記をしたまま、気がつかずなんと6年3カ月。
 歌詞の「船出せしより、12年」をもじれば、「誤記したままで、6年3カ月」でした。 
        ---2016年11月12日夜 ようやく、訂正
   ※ですが、管理画面を6年間戻るのは手間がかかります。この朝は、パネル展示のために、役員さんに詩を届けることが先決。そして、「奔流」への最終校正も抱えて、そちらが先決。訂正できたのは、翌日夜。


 昨日、末尾に補足した「解放歌」と1902(明治35)年、第12回記念祭東寮寮歌の「ああ、玉杯に花うけて」の歌詞の一部、またもの本日分に置き換えます。
 理由は、毎回ものブログにしては長すぎる駄文なのですが、それにしても長すぎるからです。自分が読み手の場合を想定しても、独りよがりの駄文がこれだけ続くと、ウンザリ。読む気持ちがおきませんものね。実は、記しながらも二回に分けようかなと何度か思い立っていた次第なのでした。
 
  「殉義の星と輝かん」なる歌詞は、「解放歌」の五番ではなく、終章の七番でした。
    ああ友愛の熱き血を 結ぶわれらが団結の
     カはやがて憂いなき 全人類の祝福と
     飾る未来の建設に 殉義の星と輝やかん


 ちなみに一高寮歌のは五番まででした。「魑魅魍魎」という中学生にしては難解な漢語を覚えたのはこの歌詞でのことでした。
    行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある
    破邪の剣を抜き持ちて 舳に立ちて我呼べば
    魑魅魍魎も影ひそめ  金波銀波の海静か

 どちらも「昭和12年一高寮歌、例の「ああ、玉杯に花うけて、緑酒に月の影宿し」で始まるメロディで唄えます。
 この中で最も好きなのは、4番の歌詞、「星霜」と言う漢語をお得意語としてきた歳月がありました。
    花咲き花はうつろいて 露おき露のひるがごと
    星霜移り人は去り  舵とる舟師(かこ)は変るとも
    我のる船は常(とこし)えに 理想の自治に進むなり

 
 ところが、もう一つ、同じメロディーで歌える歌を発見。
 実は、この歌詞だけは30年も前の30代からひょんなことから知っていて、まだ記憶力があったから、ほぼ全歌詞をそらんじていられて、時折り唄ったり、その頃のサークル活動の場で、音痴で唄えないながらも、「たぶん、みんなが知らないだろうから」と心臓強く歌っていたものでした。
 でも、メロディはまったくのデタラメだった次第です。

 これも革命歌。題は「ああ、革命は近づけり」で始まる「革命の歌」。
 最近、評判よく読まれている上に瀬戸内寂聴さんの作品群のなかでも秀逸ということで、文庫本化されている、小説『美は乱調にあり』(1966年に発表)の中で、大杉栄と伊藤野枝たちが、神保町界隈をこの唄を高吟しながら歩いている場面があったと思います。
 そして、以後つづくこれら一連の社会主義者の伝記もの執筆にあたり、資料一式を提供したのは、群馬県伊勢崎市出身の大島孝三郎さん。
 そうです。大島さんは新宿伊勢丹近くで「共学文庫」なる、金子文子を軸としたアナーキースト系の自由の砦を開いていた方。というより昭和42年の一般参賀の群衆の中で起こした「皇居発煙筒事件」の首謀者といった方が、通りが良いかも知れません。但し、実際に勝手に発煙筒をたいたのは、大島さんの処に出入りしていた若者。大島さんの話では「自分はまだ早いと止めた」とおっしゃっていました。
 「天皇制」の疑義をめぐるこの裁判には、当時の戦後場作家のやはり、砦的存在であった、埴谷雄高(かの『死霊』の著者)さんが証人陳述にたっています。
 執筆にあたり、瀬戸内さんはこの埴谷さんを通して資料をお願いしたのではなかったでしょうか。すると、突然、汚いリュックにいっぱい資料を詰め込んで、来訪した大島さんに困惑したとのことを、どこかに書いていられました。大島さんからも瀬戸内さんの処にも資料としてお持ちした旨を聴いてます。

 作詞は同じく群馬県太田市に生まれた築比地仲助。歌い手は添田唖蝉坊(その息子は知道)。
 30代半ば過ぎ、愚かしくも初めて知った「天皇制」なる言葉に、関係図書を読み漁っていた私は、ある県内の集会で大島さんに遭遇。またしても、愚かしくも「天皇制ってわからないんです」的な言葉を発したと思いだす。すると、やはり突然、、宅急便で送られてきたのは、資材をなげうって復刊した共学文庫刊行の書籍の数々。大杉栄・編集/荒畑寒村・編集の全5分冊の「近代思想」などがびっしりと入ってました。なお、未だにツン読ですけれど……
 流行語になった「なにが彼女をそうさせたか」の類似していたためか、金子文子獄中手記「なにが私をかうさせたか』は夢中で読んだものでした。
 瀬戸内さんの書籍の中にもこの金子文子を主人公にした『余白の春』という、心打つ作品があります。瀬戸内さんの膨大な作品群のなかでも、この周辺のものは40代のみなぎった力量ゆえに見事です。
 その頃、京都・寂庵で偶然、お目にかかれた折に、「最も『余白の春』が好きです」とお伝えしたことを、今、記しながら、その時の表情などとともに鮮やかにおもいだされます。

 たった9坪ながら、伊勢丹近くという好条件だった共学文庫をお訪ねした折に、この革命歌が記された1枚のコピーをくださいました(どこかにあるのですが、探し出すのはもはや不可)。ほどなく、ここを売却。巣鴨に広い敷地と建坪の家を購入されたのでした。まだ、バブルの弾ける前のことで、かなりの資産をお持ちなのでした。
 その後、どこかで添田知道の歌ったソノシートを聴いたことがあるのですが、音感力に乏しいためか、独特の節回しだったためか、勝手な節でうたっていたので、それがなじみのあった「昭和12年の一高寮歌」のメロディとは思い至らなかったお粗末さでした。
 で、我流のメロディで、落ち込んだ時や理不尽な仕打ちにあった時に、自分を鼓舞する歌として勝手に歌ってきていたのでしたが、不思議にも高揚してくるのでした。
 元は10番まであったのを、添田唖蝉坊が7番までに圧縮したとかで、合わない部分がある由。でも私がもらった歌詞はたぶん、元のままだと思います。
 今なら、ちゃんと? うたえるのですけれど?

 久々に思い出した大島さんも、“変人”扱いされるにふさわしいわが身はつつましい質素な生活をなさっていました。ちなみに群馬に見えた時、すでに80代半ばではなかったかと思いますが、洗いざらしのシワクチャの木綿の服の腰ひもはなんと、荒縄なのでした。それに時代ものの白い木綿のリュック、足元はゴム草履で、足元は汚れていました。
 伊勢崎のご家族にはうとまれながら、そんな生活をお送られながらも、書籍刊行や各種運動へのカンパには惜しみなかったようでした。
 今頃、大島さんもまた、“殉義の星”のお一人として、夜空のどこかで輝き続けていられるものと思います。

 この周辺のことはまだまだあり、記憶の蘇るうちに書いておかないとの思いもありますが、またも長編ブログになりかねませんので……
 なお、大島さんが生まれた伊勢崎市周辺には、このような精神力を培う、運動の土壌があったのでした。
 1931年9月6日には、かの『蟹工船』の作者・小林多喜二が中野重治らととともに、現在は伊勢崎市になっていますが、旧茂呂村の、「全日本無産者芸術連盟(ナップ)」の会員であった菊池家を訪れ、文芸講演会を開催していたのでした。
 そして、講演会前の茶話会が「無届け集会」として検挙されるに及び、周辺の住民約500人(※毎日新聞記事のママ)が怒って押しかけ、釈放させたという事件があったのでした。当時のここには、解放歌の一番の「自由のために闘わん」、「革命の歌」の「わが脈々の熱血はあくまで自由を要求す」の自由を希求する心意気が生きて動いていたのでした。
  http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100819ddlk10040124000c.html
 そこで、今月21日から始まっている「第3回伊勢崎・多喜二祭」中、最終日の来月5日(日)のイベントのお知らせを。
   9月5日(日)  午前11時~ 菊池家などの見学会
             午後 2地~ 講演会 伊勢崎市・文化会館
   ※連絡先  070 5458 7225
  
 ※「ああ、革命はちかづけりの歌」と勝手に名付けてきた「革命の歌」の歌詞は、後ほど。
 
 ※なお、ご参考までに、昨日の室原知幸の著作一覧の一部を。
 『下筌(しもうけ)ダム~蜂之巣城騒動日記』,1960,,室原知幸,学風社
 『公共事業と基本的人権』,下筌・松原ダム問題研究会編、帝国地方行政学会,1972
 『公共事業と人間の尊重』,関西大学下筌・松原ダム総合学術調査団、ぎょうせい,1984  


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2010年08月23日

殉義の星と輝かんーー室原知幸さんの反骨の精神

 怠けていてなかなか集中できず、というより、読み返すのが赤面ものだったのと、幸い期日がありすぎたのたのでとりかからなかった校正もの。しかし、いつもながらのお尻に火が点火してしまった昨晩、手間どっていたことにようやく区切りをつけられました。
 開放感にみたされて放心状態に近い夜半すぎ、ずっとデスクトップ上に置いたまま、観ることがなかった熊本・下筌ダムの記録映画をしみじしみと観ました。
 デスクトップの上に乱雑にアイコンが並んでいますが、その中で,、見慣れぬアイコンを発見、なんだったっけとクリックしたら、ずっと前に〇〇ダムで闘っている方からのメールにあったのを、小躍りして後で観ようと保存しておいたのでした。幾人かの方には送信してあげてあったのに、自分では忘れていたのでした。
 実はダム問題に首をつっつこんだ当初より、映画の存在を知り観たくてならない作品の一つでした。一度、東京での映画会での情報に接したのでしたが、行けずにいた記録映画なのでした。それが図らずも…… でも、すっかり忘却の彼方なのでした。
年をとるのは哀しいものです。

 映画の題は、「反骨の砦」。
 カンヌ映画祭グランプリなどを受賞しています。
 筑後川流域の、「下筌・松原ダム」にあらがい、八年間にわたり建設を阻止。まぎれもない伝説の人・室原知幸を描いた、大島渚・吉田 監督によるその落城間際の映像なのでした。
 当初、いささか場違いに感じられたバックミュージックは「荒城の月」。琴の演奏にてのその強弱のもの悲しい旋律は、画面が突き進むにつれ、見事にマッチ。
 若き日の鬼才・大島渚の力量を見せつけられました。一度ある試写会後の内輪のパーティの席で、真近く接して頂いたことがありました。場ちがいの席で会場の隅で固くなっている者にまで、なじみ深い笑顔の一瞥をなげかけてくださって、一瞬にして惹きこんでしまわれる、タダモノならない雰囲気にあふれるお人柄でした。
 ナレーションは徳川夢声。約25分のものです。

  映像でお会いできた室原さん夫妻は、かつて感動のまま一気に読んだ、松下竜一さんの『砦に拠る』(筑摩書房版は1977年に発売。1989,ちくま文庫)のイメージとはいささか違いました。
  
 子供の頃、新聞で字面を目にした「蜂の巣城」。
 そして、かすかにその遥か遠くの新聞記事をじっ食い入るようにみつめていたまだ若かった両親の私語が耳元に蘇ってきました。その後、確かわが父も、八ッッ場の支援活動に動員されて行っていたように記憶しています。だから、八ッ場の「ヤンバ」の語は耳底に残っていて、躊躇なく「ヤンバ」と言えたのでしょう。そして、生来の単純思考もありますが、一気に一目散に走り出せたのは、この記憶が漠然とながらも蓄積されていたからなのでしょう。

 主の室原知幸は公共事業と銘打って聞えは良いけれど、人権無視のダム建設において、個人の土地に権力が断りなく介入した、当時としては当たり前のお上の論理に、知力と資産をなげうって対峙した先駆者でした。思えば、個人の権力を全面におしだした「人権闘争」の走りだっのでしょう。
 最も知られている室原語録は、「法にかない、理にかない、情にかなう」ものでなければならないとしています。
 おつきあいさせてもらっている、八ッ場の方たちの「人の土地に断りなしに勝手に線引きして、ここは〇〇になるからなっていわれたって」の怒りの言葉と重なってならないのです。

 そして、素封家の長男に生まれ、最高学府に学んだ室原さんとは、雲泥の差の親からの資産をもてず、生涯、貧困にあえぎながらも「貧乏は恥ではないからな。世の中は、人情をブッカクことの方が恥だ」とまるで、自分たちの心を奮い立出せるようにして、子供たちに言い聞かせていた記憶の中の親たちの言葉。「人情」と言う言葉を人間として生きる」ことの唯一のツエとして用いたかのふるまいに、時に軽侮のまなざしをなげつけたこともあった、娘の私でしたが……
 その遠隔の地の動きは、働けど働けど報われることなく生きて消えていったわが両親の心にも、赫々としたのろしの炎が点火したのだろうと今にしてしのばれてなりません。
 しかし、大島監督は室原さんの闘争を、ご本人にむかって「階級闘争ならぬ、お遊びごと」と一言のもとに評価したそうな。

  映像の末尾、闘いやぶれて、陽がくれた室原さんが、機動隊=権力に対して、咆哮する場面がありました。
 「いいか、お前たちは世界に恥をさらしたんだよ。 社会運動の歴史のなかに、お前たちがやったことは永遠に残るんだよ」と。
そして、ナレーション末尾は「心の砦、闘いよって築いた砦は、消えない」で結ばれます。

 思わず、2度も観賞。
 「荒城の月」のメロディーの後、「殉義の星と輝かん」の歌のフレーズを深夜、口ずさんでました。
 それは部落解放に連なる解放歌、その確か五番あたりにでてくるフレーズ。皮肉にも、この唄の旋律は旧制一高の寮歌中、最も知られている1902(明治35)年、第12回記念祭東寮寮歌の「ああ、玉杯に花うけて」で始まるメロディと同じなのです。そのことを知ったのは母からでした。
 目じりに涙が自然に浮かび、小さな人間に何ができるものでもありませんが、「ダム建設よ、許すまじ」と高揚させるものがあります。
 縁あって下筌ダムに行けたなら、室原さんとそこに集った協力者の皆さんの墓前にもうでたいものと思います。
 室原さん、そして敬愛する八ッ場のわが同志の皆さん、永遠に“殉義の星”と輝やき続けてくださいね。。  


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2010年08月22日

中止から一年目の八ッ場は、限界旅館なり

 今朝の東京新聞の全国版のいわゆる三面版=社会面の半分近くを費やして、大きく八ッ場の今が報道されています。
 サイトでは一葉のみですがね実際の紙面では、カラー写真を2葉、それに同じくカラーの位置図もついてます。見出しもちょっと異なりましたので、新聞の通りにしました。
 また、同紙の「発言」欄のトップの投書は「吾妻渓谷の景観は宝物」と題した、前橋市の方のものです。
 さらに、毎日新聞群馬版の記者達の雑感を記す「冬風夏雷」では、沖縄県出身の前橋支局記者による「沖縄と八ッ場ダム」の生の感慨です。

 文中末尾の「やまた旅館」の当主、豊田拓司さんは、『湖底の蒼穹』の著者・豊田嘉雄さんの息子さんで、陶芸のお師匠さんです。旅館で出される食器類は、拓司さんの作品です。嘉雄さんの誠実なお人柄そのままの拓司さんは、独りで切り盛りする際に、きちんと対応できる客数として、一日一組としているような方なのです。

 /////////////////
  【2010年8月22日(日) 東京新聞社会面】
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010082202000031.html
   「八ッ場中止」宣言1年  消えた人波 消えぬ不安
川原湯温泉街 老舗も休業/毎晩やけ酒/早く結論を
  


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2010年08月21日

24日会談、延期の詳細ルート判明

 24日の1都5県知事の集いが、民主党代表選の済む、9/14以降に延期になった経緯が、今朝の読売新聞群馬版記事で判りました。なお、このことは石原都知事→大沢群馬県知事→高山長野原町長のルートにて伝わるまで、知らなかったようでした。 
 他新聞では、朝日新聞群馬版のみのようです。こちらでは群馬県発表の段階記事でした。
 さて、24日予定されていた最もメインの行事が不意に空いた、6人中3人の知事さん達はどのようにその時間帯をついやすのでしょうか。知事出席不可と言われていた会合に、出席可の通知が言ったら大喜びでしょうね。暑さのせいでへんなことに興味が行くオバさん組です。

 /////////////////
 ① 【2010年8月21日(土) 読売新聞群馬版】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100820-OYT8T01238.htm
  八ッ場ダム 6知事視察延期
  「国交相来なくては」 負担金決着に影響か
 
 
 八ッ場ダム(長野原町)の建設を共同で進めている群馬、東京、埼玉など6都県が24日に予定していた現地視察と知事の意見交換会が、民主党代表選が行われる9月14日以降に急きょ、延期され、6都県が留保している今年度の負担金の支払いが、さらに先送りとなる可能性が出てきた。
 延期は、取りまとめ役の東京都の石原慎太郎知事が決断した。大沢知事は20日、読売新聞の取材に「前原国土交通相が来られないのが大きい。(負担金問題の解決には)国交省のそれなりの人が来て会談しないと意味がない」と語り、石原知事の判断を支持した。
 県によると、大沢知事に延期の連絡が入ったのは、石原知事が午後3時の定例記者会見で表明する直前。突然の政治判断で、視察と意見交換会の準備を進めてきた県特定ダム対策課は記者会見で内容を知った。
 民主党代表選は、小沢一郎前幹事長が出馬を検討し、鳩山前首相のグループの研修会に姿を見せるなど、菅代表(首相)に対抗する動きが強まっている。
 石原知事は記者会見で、党代表の交代と、それに伴う内閣改造を念頭に「(八ッ場ダム問題の)担当大臣が前原さんになるのか分からない。それがはっきりしてからにしようと延ばした」と説明。トップ同士の協議が重要との認識を示した。
 大沢知事は同日、生活再建事業の推進を望む地元への配慮から、埼玉県の上田清司知事や都幹部に対し、早期開催を要請した。
 突然の延期について、長野原町の高山欣也町長は取材に「期待していただけに翻弄(ほんろう)された感もあるが、民主党も代表選で大変な時期だ」と理解を示した。
 水没予定地の川原湯地区に住む男性は「民主党代表選は住民には関係ないが、石原知事が主導権を握っているから仕方ない。生活再建には1都5県の協力が不可欠なので、知事が一丸となって前原国交相にダム推進をプッシュしてほしい」と話した。
/////////////
② 【2010年8月21日(土) 朝日新聞群馬版】
  八ッ場意見交換  大臣欠席で延期
                     6都県知事会合

  
 ここの処、万の数に近い八ッ場の写真をご披露せず、デジカメから直に手っ取り早くアップが出来る、庭先の花々をアクセント的に載せていますが、そろそろ打ち止めにしなければとは思っています。
 そして、今日の花はユリ。……実は、私も人並みにユリは大好き(意味は記しませんけれど。判ってほしい気持ちあり)。とりわけ純白のが。木立の中のユリの群生は憧れ。
 でも、写真のは、カサブランカでも鉄砲ユリでもない、自生している、たぶん通称、チョウセンユリとかタカサゴユリとか言われる類いの強い繁殖力を示すユリです。これは朝鮮に対する蔑称も少なからず含んでいるように思われますよね。(将来、他の名称と併せて是正される日もくるかもしれません)。
 それにしても、大事にしていたカサブランカはどうしゃっちたのだろう(これって、チョウセンユリに対する差別になりますよね)。 八ッ場から戴いてきた山野草の間から芽生えた山ユリは、開花を楽しみにしていたのに、蚊にさされるのを覚悟で草をかき分けてみたら、いつのまにか咲き終わってしまっていて、残念!!  なお、庭先の木陰には、まだ山吹きの花が咲いていて驚き。ワラビも例年九月半ばまで採れます。  


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2010年08月20日

24日は延期。前原さんは海外出張

 昨日、来る24日の1都5県知事による意見交換会の席に、前原大臣出席せずとお伝えしましたが、読売新聞のスクープながら、欠席の理由がハッキリしていませんでした。が、本日、その理由がアッサリと判明。
 本日、石原東京都知事の定例記者会見の席で、24日に予定されていた八ッ場ダム現地での、1都5県知事の意見交換会が延期となった旨を公表したようです。
 その理由として、先ほど[yamba-open]グループの掲示板に投稿された、雨宮メールの関連部分を転載します。音声も可能ですので、記者会見の様子をお聞きください。

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[yamba-open]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお知らせいたします。
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今週も石原都知事の定例会見が午後開かれました。

その前に、24日に予定されている『6知事会議』を延期する旨が表明されました。
具体的には、民主党代表選(9/14)後の組閣を見て・・ということです。
短いので、文字起こしをすると以下の応答になっています。

【記者】
八ツ場ダムに関連して1点尋ねします。
来週24日に予定されている1都・・・

【石原知事】
(記者の質問を遮って)これねぇ伸ばしました。
私はねぇ・・今の内閣がどうなるか分からんしね。
そのぉ・・関係の知事と3人も都合があって出席できない。
それから担当大臣は外国に行っていない。
そんな時にですね、まぁこの間のこのぉ・・やがてやって来るね、民主党のその代表選挙でね、誰が総裁になってですね、どんな内閣になるか分からんときにね、全くぅ・・そのぉ・・何を決議してもですね、豆腐にかすがいみたいなことになっちゃつまらんのでね、政権ってものの推移を見てですね、それが決まってから。
この問題の担当大臣が前原になるのか何なのかわかりませんしね・・それがはっきりしてからということにしようということでですね、延ばしました。
【記者】
ということは、民主党の代表選が終わったあとに、改めて新大臣と議論する場を持とうということですか?
【石原知事】
そうです・・そういうことです。はい。

詳しい内容は、是非以下のサイトから配信動画をご覧いただいてご確認下さい。
   http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako22.htm  


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2010年08月19日

前原大臣、24日には出席せず

 24日に1都5県知事が、現地八ッ場に集います。
 前原大臣の動向が注目されていましたが、欠席を報じる今朝の報道記事です。

 【2010年8月19日(木) 読売新聞群馬版】
 
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100819-OYT8T00078.htm
  前原国交相、出席断る
  八ッ場ダム6知事会議
 
 八ッ場ダム(長野原町)の建設事業費を負担する群馬、東京、埼玉など1都5県の知事が、24日に予定している意見交換会に前原国土交通相の出席を求めたところ、断られたことが18日、分かった。副大臣や政務官の出席もなく、千葉、栃木、茨城の3県は副知事の代理出席にとどめる見通しだ。

 1都5県は先月27日、八ッ場ダムを含む全国のダム事業の検証日程が明確になるまで、今年度分の負担金支払いを留保すると表明。意見交換会は、国と都県のトップ同士の直接対話で解決を図る狙いもあった。しかし、国交相の欠席で問題の長期化が懸念される。

 都県関係者によると、負担金の支払い留保は、東京都の石原慎太郎知事が5県に呼びかけて実現した。意見交換会も都の主導で調整が進められているが、国交相は公務での海外出張を理由に「出席は困難」と伝えてきた。石原都知事の意向で、副大臣や政務官には出席を求めないという。

 知事が欠席する3県を含め、1都5県は今のところ負担金問題で共闘姿勢を保っている。千葉県の森田健作知事は先月29日の定例記者会見で「(検証スケジュールが)はっきりしない限りは、出せと言っても出せない」と強調。茨城県の橋本昌知事も今月3日の定例記者会見で「『ダム本体の建設を進めるから生活再建対策が必要だ』と国が言わないと、我々は支払う根拠がなくなる」と指摘した。

 記事と関係ありませんが、あちこちに年々ふえてしまう、祖父母の代からのわが家のホウヅキです。  


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2010年08月18日

桑原史成さん写真展、行ってきました

 去る、10日の本欄で、お伝えしました日本を代表する写真家と言いますか、世界的に知られている桑原史成さんの「韓国展」に行ってまいりました。
 初めて入る「銀座ニコンサロン」のキリッとした風格に何某かの威圧感を覚えながら、入ったサロンには、すごい迫力で、1960年代からの韓国の激動の歴史が民衆の姿が写されていました。写真の右手がポスターで、この奥の部屋がギヤラリーです。
 最も印象に残ったのは、1965年に取材活動に入られた、韓国・清渓川の今昔の対比でした。両岸に立ち並んだ家並みが、大開発によって撤去され、暗渠の上にたつ現在の近代設備への変遷が、一目瞭然わかりました。
 なお、桑原さんはひょうひょうとしてとっても飾り気のないお人柄の方ですが、韓国ではそのお仕事の質の高さにおいて、国賓クラスのようです。室内におかれた全仕事の分厚い写真集は「水俣」「筑豊」「韓国」「ベトナム」などの全4巻、それに韓国特集など。
 
 夕刻からのパーティには、社会派の写真家・桑原さんにふさわしく、写真界のご重鎮の皆さまやマスコミ関係者らしい方たちが続々と集まり、司会の方の挨拶にもありましたが、「皆、者桑原さんのお仕事とお人柄のゆえ」の言葉通りの大変な盛況ぶりでした。韓国からのお客様やマッコリ、空輸でとりよせたというお料理類も並んでました。

 そして、大河原雅子さんも駆けつけて、オープニングの挨拶を。
 八ッ場ダムにつながるご縁で、お知り合いになれた方ですが、本来ならば私など近づきがたい文化人なのでした。
 大河原さんや奥さまにもお伝えしましたが、「八ッ場の写真展」も早く実現できればいいなと願ってます。でも、桑原さんご自身は「まだまだ」とのことでした。
 
 そのまだ数少ない作品の中で、昨年の秋、ご案内したら丁度、時ならぬ餅つきの場面。のしたばかりのおモチを桑原さんに供してもらうために、切リ分けているところを、すかさず撮影してもらえた、ある八ッ場の方に、出がけに電話してみました。
 珍しくすぐに電話にでたと思ったら、「熱中症にやられたらしくて、今日は休んでいるんだい」とのこと。慌ててきりました。でも、心配になってもう一度、かけると話し中。受話器外れたまま? まさか、倒れたわけじゃないだろうね。となると、当方はいつもながらの“心配症”を併発。しばらくたってからも、まだ受話器がつながっていなかったら、誰かに連絡をとるしかないと思いつつ、身支度。しばらくたって、もう一度かけたら鳴った。慌てて切る。これで、安心して出発できるとなって一安心。  


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2010年08月17日

続き

 提出した意見書の続きです。

 ――3.1 検証の概要――
 後述するとおり、個別ダムの検証に係る検討に当たっては、これらの法令に準じ、関係者の意見聴取等の手続きを組み込んで進めるものとする。

 【要旨】
 「関係者」の中には、当然、水没当時者も入るものと考えるが、次の章「3.2 検討主体」においては言及されていない。なお、「1.4」では、「域と一体となった治水対策のあり方」と流域との一帯感を謳っているではないか。そこで再考を求めたい。

 【意見】
 現地のことを当時者に聞かずして、どうするのか。
 地元のことは、地域に聞くのが妥当であり本道。
 この間、本当に治水を守る気持ちがあるのか、それとも長引かせて「仕事」のための仕事づくりを行い、献金の額を増やさせるのが裏仕事なのか判り兼ねた、前政権下の「国土交通省」「地方整備局」「各都県」などに最終的な責任の帰結をゆだねるのは、「有識者」メンバーの見識が問われかねない。しかも、非公開の“有識者”なる方達の机上の試算のみの論理にて決めるのは、おかしすぎる。
 なお、くれぐれも現地の意見は、体制側がお膳だてした“御用町民”でなく、草の根的に探し出した、幅広い識見を持つ方の意見を聴いていただきたいものと願う。
 
  ※矛盾点について
 ――3.2 検討主体――
いわゆる「直轄ダム」~ 、河川管理の実務の大部分を実施していることから、地方整備局とともに行うことが不可欠であるからである。また、補助ダムについては、地方整備局等が必要に応じ協力する。
【意見】
この「検討主体」の一文にて、有識者会議の全容を見させられた感がする。この国の河川政策の不備というか体質が積もり積もって、今日の河川行政の荒廃を生んでしまったことは、今や自明の理。
その反省点にたっての冒頭の文言ではなかったか。


 ※最後に
 現段階では個別のダムには触れないのは理解していなくはない。
 けれども、指針がまとまった暁に最も影響を受けるは、未だ行方定まらず、待ち望んでいる「八ッ場ダム」の動向であることは、周知のことである。
 そこで、八ッ場ダム問題に連なる者として、僭越ながら、次の数点の現状を、いささか極論的に記し、然るべき生活再建策の指針づくりの一助として戴きたい。

① すでに、58年目に突入の現地は、疲労の極にある。
明日の指針がたたぬことくらい、辛く切ないことはなく、これ以上の放置は人権問題の域を超えつつある。
② なお、現地の「やんば館」の展示物は、現況に即したものに展示替えし、必要最低限のパンフレットは早急に整備すべきである。無策のままの一カ年はひどすぎる。
③ そして、何よりも、成すべきことは足しげく現地を訪れ、現地の幅広い声に耳を傾け、人間の響きあいを深めることであろう。
今にして、膠着化した現状打破の術策中、最も効果のあったと想われるのは、田中康夫前知事の提言のように、初期段階における前原大臣の膝詰め交渉ではなかったろうか。
その意味で夢物語として、一笑にふされるのを覚悟の極論を申せば、旧盆の本日辺り、激務をぬっての墓参りと称して、前原大臣がフラリと長野原町に訪れてみてはいかがと思う次第である。
現地は義理と人情のある党の巧みな演出にどっぷりとつかった気質があり、それゆえに昨年9月23日、彼岸の中日に訪れたことにあれほど怒った経過もある。こういう時こそ、ヘリコプターを駆使しても国民は文句は言わないだろうに……
解決策が、長引けばながびくほど、現地は翻弄され疲弊していく。

 以上、時間的制約にて、心急き意をつくせぬもどかしさのままに、甚だ勝手な私見を述べさせて戴いた次第である。どうぞ、ご寛容のほどを。  


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2010年08月16日

有権者会議 中間まとめ案 にギリギリ提出

 一昨日、14日にちょっと触れさせて頂きました、有識者会議の「今後の治水対策のあり方について 中間とりまとめ(案)」に関するパブリックコメントは、昨日15日で締め切られました。
 あまり、気のりしなくて、ずっと参りましたが、最終日の午後から、ようやく時間が採れましたので、「えい、やっ」とばかりにPDFファイル69ページものまとめ案を、飛ばし読み的素毒ながらも熟読。
 その間にもなにやかやと気が散って、ようやく、15日締切ギリギリの23時31分、「国土交通省河川局河川計画課  今後の治水対策のあり方に関する有識者会議事務局宛」に送信できました。
 まとめ案の全文は14日の欄にご紹介してありますので、以下は当方のやっつけ仕事的意見の転載です。太字部分が問題の個所、これに〇ページ 〇行目 と記す枠があるのでずが、それは転載に不慣れなので省略させて戴きます。2回に分割致します。【意見】が200字をこえる場合は【要旨】を添える規定です。

//////////////////////////////// 
―はじめにーー
このような我が国の現状を踏まえれば、税金の使い道を大きく変えていかなければならない。こうした認識のもと、「できるだけダムにたよらない治水」への政策転換を進めるとの考えに基づき今後の治水対策について検討を行う際に必要となる、幅広い治水対策案の立案手法、新たな評価軸、総合的な評価の考え方等を検討するとともに、さらにこれらを踏まえて今後の治水理念を構築していくこととなった。


【意見】
 新機軸の指針として、当初は心躍った。さすがは「コンクリートから人へ」を標榜する新政権と心みなぎるものがあった。
しかし、後述する、P16~17に至って、高揚感は霧散。「正体みたり」の感をぬぐえない。お決まりの美辞麗句の列記に他ならぬと失望させられた次第である。

――第3章 個別ダム検証の進め方――
なお、検証が終了するまで、国土交通省は当該ダムについて用地買収、生活再建工事、転流工工事、本体工事の各段階に新たに入ることとなる予算措置を講じないものとする。


【要旨】
 検証後は、趣旨が徹底され、明確な筋道をつけられることには、少なからず安堵した。

【意見】
この文言に接した際には、「遅すぎた」と無念でならなかった。
というのは、今や新政権の試金石として話題のわが八ッ場ダムは、昨年9月17日未明、「中止」との朗報に沸いたが、総額4600億円の1割にも満たぬ、約9%ほどのダム本体工事費を除く、ほぼ満額の154億円の2010年度予算が付けられるに及ぶ。これでは事実上の着工体制であり、工事は続行。否、むしろ工事はピッチをあげている。
さらにまるで春泥にはまったような、どっちつかずの宙ぶらりんの日々にさらされている。
通常感覚なら「中止」とならば、全て「凍結」。精査して必要なもののみ造るのが妥当ではなかったか。現実に八ッ場の一部の住民たちもそのように考え期待していたものだった。
そして、前原大臣の「中止」宣言の時に素早く、この指針が発令されていれば、この1年間に切り刻まれた山河の自然破壊は、くい止められただろうにと口惜しい限りである。

ことのついでに、迷走状態をもう一つも記せば、
① 民主党政権は政権獲得後、負担金の全額返還を公言→ところが、3月中旬に受益県であった下流都県に2009年度分の負担金を請求していたことが判明→
成り行き上、下流都県が異議を唱え「建設推進」を強く主張するのは当然であった。
② 遅々として次の一手の打開策なしの宙ずり状態に業をにやした1都5県知事は本年7月27日、負担金支払留保を宣言するに及ぶ→ すると、新政権は下流都県に支払いを「請求する」旨の見解を出す始末。
 一貫性がなさすぎないか。
 いかに前政権のしりぬぐいに錯綜としているとはいえ、現政権の場当たり的な混乱ぶりには、地元民ならずとも困惑せざるを得ない。
 ともかく、迷走状態を脱して欲しかった。従って、遅まきながら「凍結」決定後のこの部分についての英断には期待してやまない所以である。
                                 ---以下は明日ーーー  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)報告

2010年08月15日

為政者に、生の正義・真実を知って欲しい永遠の願望

 終戦(「敗戦}とは呼ばぬ由)記念日の本日、わが八ッ場への祈りをこめて、昨晩、眠くて書き足りなかったことを。
 膠着化した現状打破の術策中、最も効果のあったと想われるのは、田中康夫前知事のおっしゃた通り、前原大臣の膝詰め交渉ではなかったでしょうか。
 その意味で、夢物語と笑われるかもしれませんが、旧盆の本日辺り、激務をぬっての墓参りと称して、フラリと長野原町に訪れてみてはいかがでしょうか。こういう時こそ、あんなに素直に謝って、?“情の人”と現地の一部では想われているんですもの……
 恐らく、拍手喝采となることでしょう。
 墓参が不可能なら、去る1月23日に、川原湯温泉の町民代表筋から申し出があり、場内が爆笑気味になった、「来年の湯かけ祭りに前原大臣にも、参加してほしい」の依頼ごとの一つも実現すべきでしょう。
 ご政道の道とやらにも、そのくらいの“遊び”があっても、良いことでしょうに。

 昨日、「どっかの党は、こういう演出が実にお上手」と記しました。
 情けないことに、この見え見えの理屈抜きのヤラセ的行為に、揺さぶられ感動するわが群馬県民が、未だ健在なのです。
 現に「福田さんは偉かった。ちゃんと俺の名前を覚えていてくれたい」という声に未だ、接します。しかも「名前?」と問われて、慌てて姓を伝えると、「苗字なんか知っているよ。聞きたかったのは名前の方だ」との変化球で、福田先生、有権者の心をわしづかみにしたそうなのです。
(……で、どっかの新米地方議員、真似して名前を思い出せない地域の人に接すると、そっと別の近場の方に
「あの方、なんておっしゃいましたっけ」と聞いて、さも覚えていた振りをしながら近づいて「〇〇さん、今日わ」とやらかしたそうな。でも、次にはすっかり忘れているから、かえって妙なことに。とても“議員さま”の器ではありません)

  「中曽根先生は……」もまた、“伝説の人”として、語り継がれている風土です。
 その中曽根さんが国費を使ったヨーロッパーの外遊先から出した、数行の絵葉書を家宝にしている、八ッ場の比較的、知識層の家が実際にあって、数年前、自慢げに見せて頂いたものでした。

 ともかく、現在、民主党政権にとって、成すべきことは現地を訪れて、体制側がお膳だてした“御用町民”でない、リベラルな町民の意見を聴くべきではないでしょうか。
 確かに、議員さんたちは多忙かもしれない。良くわかります。現実にお盆中は、供物は禁止されたとはいえ建前だけで、今なら、総力あげて新盆廻りに追われていることでしょうし、会期中でなくとも、さまざまな顔見せが待っています。
 だったら、職員でも良いではないでしょうか。公務員さんというのは結構、聞き取り能力は正確さ抜群だし、変わり身早いから、よもや編集・改変などせず報告。案外、今までと違った報告が提出されるかもしれませんもの。
 
 考えれば、歴史の必然性は、必ず中央のトップクラスの全国行脚をまさに“伝説の歴史的人物” として、登場させていますよね。
 鎌倉時代の謡曲「鉢の木」の執権・北条時頼。かの水戸黄門など。
 ソウソウ、全くの架空の人物ながら、テレビで再放送されている「暴れん坊将軍」もありました。
 いつの世も変わらぬ、庶民の切なる願望は、施政のトップクラスに真実を知ってほしいということではなかったでしょうか。
 
 八ッ場の正義を知ってほしいと願う、そんな終戦記念日の朝です。  


Posted by やんばちゃん at 10:33Comments(0)八ッ場だより

2010年08月14日

前原大臣、お盆です。お墓参りに八ッ場入りせよ

 東京新聞の一昨日の群馬版「核心」と題する記事欄では、紙面の約半量をさいた、トップ記事で八ッ場の現況を報道していました。
  【2010年8月12日(木) 東京新聞群馬版 トップ 写真、年表あり】     八ッ場ダム「中止宣言」から一年    見えぬ生活再建
       進む地元衰退
  
(末尾の見出しには)、
 再検証 建設・中止派双方が異論 

 添付の列記された「八ッ場ダム事業の経過」の概略年表の2010年7月の項に、「国の有識者会議が八ッ場ダムなどの再検証基準案を提示。「コストを最重視して、既存のダム事業と治水代替案を比較検討する」との内容と記されています。 

 そして、この有識者会議が有識者会議の「今後の治水対策のあり方について 中間とりまとめ(案)」に関するパブリックコメントは目下、受け付中。
  「パブリックコメント提出期日は8月15日。
 「今後の治水対策のあり方について 中間とりまとめ(案)」は下記URL
  http://www6.river.go.jp/riverhp_viewer/entry/resource/y2010e548b916bc9c018cb393976475cb9c8ef06f25728/%E4%BB%8A%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%80%E4%B8%AD%E9%96%93%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%EF%BC%88%E6%A1%88%EF%BC%89.pdf
  
 しかし、有識者会議なる会議やコメントを、いくら開いても単なる形式を、国はクリアしただけ。
 本筋からは脱線しますか゜、八ッ場ダム問題を解決する糸口は、何よりも、人と人とのふれあい。
 前にも述べましたが、硬直化した八ッ場ダム問題の糸口は、仮に激務をぬってでも、フラリと前原大臣が、お墓参りにでも訪れれば、ずいぶん方向性は緩和されることでしょう。 
 ヤラセ的演出にすぎませんが、どっかの党はこの辺りのくすぐりが本当にお上手。
 義理と人情で、わが群馬を動かしてきた前政権党です。
  
 さて、パブリックコメント提出期日は、いよいよ明日、8月15日。
 提出するかしないかも深く考えず、しかし、直感的に「潔し」とせずに本日まで、何の準備もせずに要項一つにも目を通していないヒトながら、まだ明日一日あるじゃないかと考え出した段階です。

 お盆のお客を喜ばせるために、食材などの準備に駆けまわった夕暮れのバーベキューを済ませて、先ほど、駅に送ってこれで、一件落着。
 ダム問題に連なるものとして、明日はきちんと、「中間とりまとめ案」に目を通そうかと思いつつ帰途、不慣れな場所を走っていたら一方通行。慌ててバックしようとしたら、ごくごく軽い接触事故をやらかして、「あ~ぁ」の今年の旧盆です。   


Posted by やんばちゃん at 23:03Comments(0)八ッ場だより

2010年08月13日

御巣鷹会談、ならなかった模様?

 御巣鷹の慰霊祭に参列の前原大臣に大沢群馬県知事が、「八ッ場ダム問題の現状打開策について話す」旨のことを再三、お伝えしてしまった責任上、ご報告いたします。
 本日の県内版のいずれにも、一行の言及はありませんでした。
 テレビで観る限り、登山道を登る前原大臣のすぐ後ろに大沢知事の姿が見えますが……
 尊い御霊の慰霊という場面が場面であり、日没寸前の時間的制約のあるなかで、おそらく双方ともひかえられたのでしょうね。
 なお、最も紙面を割いて詳細に報道していた読売新聞群馬版には、前原大臣とは時間を違えて慰霊登山をしたと言う、群馬選出の国会議員たちと、その前に上野村での会食会があった模様。とすると、ここでもしかしたら、八ッ場問題にも何らかの話題があったかもしれませんね。

 実は私もちょっぴり、行ってみようかなともかすめました。しかし、やはり八ッ場のことならいざしらず、余りに不謹慎すぎてひんしゅくものと自重しました。
 もうずっと前、独りで同じく夕暮れ時、現地に行ったことがありました。
 「10年を一昔というならば」の「二十四の瞳」の書き出し風に言えば、その一昔前、ダム関連の取材で、揚水発電所の機能も何もわからないのに原発の調整として盛んに造られていた東電の神奈川発電所の取材ごとでした。揚水発電所としては東洋一と言われる規模を誇る5000億円の大規模工事の完成間際の頃でした。  
 「鮎なんか、手で救えるほど採れた」と無念さを滲ませて地元の方がおっしゃっていた清流・神奈川の源流周辺の無残な姿が、しばらくぶりに浮かんできました。
 数年前、八ッ場現地の荒廃に「自然は再生するもんですよ」と国交省のある役職の方は、いきりたつ私をなだめるように言ってくれましたが、おそらくあの清流に、鮎がうごめくことはもう無いものと思います。

 自然界の小さな自然を守って上げるしかありません。
(でも、雑草といえども折り採るということは、よくよく考えたら、ちょっとした自然破壊的行為になってしまう感もしれませんが)、昨日の朝の犬の散歩(散歩の響きは良いのですが、家の廻りを廻るだけ)の折に、草むらの月見草が目にとまり、心屈折することがあったのて、これ、部屋の中でも夜になったら咲くかなと折り採ってきてしまいました。
 そして、トイレの手作りの一輪さしにさしておいた山アジサイの間に加えて押しこみました。その前に庭先で草を手当たりしだいむしり取っていた祭に伐採。しおれていたギボウシの一輪を、「これがもし生き返れば、いいことあるな」と淡い期待をこめて期待して入れておいたのでした。
 そしたら、なんと夕方、あることが急速に好転。
  浮かれていて、時過ぎた夜半、手洗いの水洗の台の上に目をやると卵色の照明の下で、薄い黄色の月見草が咲き、ギボウシもシャンと生き返っているではありません。
 ますます、ホノボノとした幸せな思いに包まれました。
 そこで調子にのって、鮮やかな月見草の色合いもお目にかけます。それにしても、本当に夜しか咲かないのが、妙にいじらしい花です。
 この一輪ざし。若い日にお茶のお師匠さんのお付き合いで、信楽の土を使っての陶芸教室に参加。抹茶茶わんと蓋置きや花瓶などを作りました。織部の色あいは良いのですが、いずれも出来そこない。
 これは確かぐい飲みのはずだったものでしたが、幸いもろい信楽の土にしては水がもらなかったので、ぐい飲み転じて花入れとして、水洗台に載る頃あいの大きさなので、人目につかないトイレに置いてます。むろん、花瓶として作った二つのうち一つは水もれ。資金投入の割には使い物にならないガラクタ品揃いです。
 お蔭さまで花たちに思わぬ元気をもらって、明日からのお盆、張り切って過ごせそうです。  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)八ッ場だより

2010年08月12日

本日、前原大臣、御巣鷹に

 日航機事故から25年目にあたる本年。前原大臣が群馬と長野県境、上野村の御巣鷹の尾根で行われる慰霊祭に訪れます。昨日もお伝えしましたが、同じく列席する大沢知事はここで大臣に「ダム着工」を求める会話を行いたい旨の談話を過日の記者会見で述べています。

 渦中の人、前原国土交通大臣周辺の昨今の動きについて記せば、
  8/3  同県中部・東海岸の泡瀬干潟埋め立て(東部海浜開発事業)計画について、沖縄市の東門美津子市長が3日、見       直し案を提出したことで、その場で前原誠司沖縄担当相が了承してしまった。
  8/11 国土交通省は、八ッ場ダムと胆沢ダムには、談合の事実を歌がをさせる事実は確認できなかったとする再検証の        結果を発表した。

 そして、来る24日には、1都5県知事が合同視察に訪れます。
  (上記、二つの報道記事は末尾に記します。)

 そんな中で、渦中も渦中、むしろ火中ともいうべき、八ッ場現地では来ないお客のために掃除や食材の仕込みに余念なく、農家は出荷等に追われつつも、行方定めぬ小舟で漂っています。
 新鮮なうちに食べてもらいたいのに、ムダにしてしまった食べ物を処分する時の切なさは、本当に辛いものです。
 過日もある自営業者の方から、「お客が半分に減ってしまって、息子に継いでくれとは言えねえんさ」とため息をついていました。
  八ッ場の現実に向き合うことと、中央の動きとの乖離に心なやむものがあります。
 「ああ、また八月がやってきた」式に重苦しいものがあります。
 かつて、中央の動きの前髪を捕まえるべく、勇ましく交通費を捻出・駆使して国会に日参。攻撃路線に酔っていたこともありました。
 しかし、20数年に及ぶいわゆる市民運動に連なる一人の、独りよがりのオバさんの目にも、「現地と離れた運動は長続きしない」ということでした。とりわけ、八ッ場問題には、市民層とのそれを痛感しました。
 
 と、記すといかにも理路整然としていますが、それは整理した結果論。
 現実には、わが八ッ場の自然がキャラクターが余りにも魅力がありすぎて、吸引力がありすぎたと言うのが本当でしょうか。
 そして、さまざまに思い屈し、打ちのめされ気味のしんどいここ数日間は、「あぁ、お前は何をしてきたのたか」と責め来るものが、多々、襲い来ます。
 ともかく、思い煩うエネルギーほどムダなものはなし。「元気をだしてとにかく動き回ること」と惰弱な己が身を、自分で叱咤激励中!!(それで、手始めに本欄を朝のうちに?)

 ※写真は、犬の散歩の時に、ポツンと離れて咲いていた花たちを三輪集めて、一束=家族にしてあげたものです。やはり写真がないと画面に生彩ないですね。
 

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 【2010年8月11日(水) 毎日新聞群馬版】
 1都5県知事が24日に合同視察 八ッ場ダム
 
  【2010年8月12日(木) 上毛新聞2面】
 「八ッ場」入札で談合確認できず  国交省再検証 胆沢ダムも

  


Posted by やんばちゃん at 07:55Comments(0)八ッ場だより