グンブロ広告
ビジネスライセンス料 3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告 1,600円/月

2010年08月23日
殉義の星と輝かんーー室原知幸さんの反骨の精神
怠けていてなかなか集中できず、というより、読み返すのが赤面ものだったのと、幸い期日がありすぎたのたのでとりかからなかった校正もの。しかし、いつもながらのお尻に火が点火してしまった昨晩、手間どっていたことにようやく区切りをつけられました。
開放感にみたされて放心状態に近い夜半すぎ、ずっとデスクトップ上に置いたまま、観ることがなかった熊本・下筌ダムの記録映画をしみじしみと観ました。
デスクトップの上に乱雑にアイコンが並んでいますが、その中で,、見慣れぬアイコンを発見、なんだったっけとクリックしたら、ずっと前に〇〇ダムで闘っている方からのメールにあったのを、小躍りして後で観ようと保存しておいたのでした。幾人かの方には送信してあげてあったのに、自分では忘れていたのでした。
実はダム問題に首をつっつこんだ当初より、映画の存在を知り観たくてならない作品の一つでした。一度、東京での映画会での情報に接したのでしたが、行けずにいた記録映画なのでした。それが図らずも…… でも、すっかり忘却の彼方なのでした。
年をとるのは哀しいものです。
映画の題は、「反骨の砦」。
カンヌ映画祭グランプリなどを受賞しています。
筑後川流域の、「下筌・松原ダム」にあらがい、八年間にわたり建設を阻止。まぎれもない伝説の人・室原知幸を描いた、大島渚・吉田 監督によるその落城間際の映像なのでした。
当初、いささか場違いに感じられたバックミュージックは「荒城の月」。琴の演奏にてのその強弱のもの悲しい旋律は、画面が突き進むにつれ、見事にマッチ。
若き日の鬼才・大島渚の力量を見せつけられました。一度ある試写会後の内輪のパーティの席で、真近く接して頂いたことがありました。場ちがいの席で会場の隅で固くなっている者にまで、なじみ深い笑顔の一瞥をなげかけてくださって、一瞬にして惹きこんでしまわれる、タダモノならない雰囲気にあふれるお人柄でした。
ナレーションは徳川夢声。約25分のものです。
映像でお会いできた室原さん夫妻は、かつて感動のまま一気に読んだ、松下竜一さんの『砦に拠る』(筑摩書房版は1977年に発売。1989,ちくま文庫)のイメージとはいささか違いました。
子供の頃、新聞で字面を目にした「蜂の巣城」。
そして、かすかにその遥か遠くの新聞記事をじっ食い入るようにみつめていたまだ若かった両親の私語が耳元に蘇ってきました。その後、確かわが父も、八ッッ場の支援活動に動員されて行っていたように記憶しています。だから、八ッ場の「ヤンバ」の語は耳底に残っていて、躊躇なく「ヤンバ」と言えたのでしょう。そして、生来の単純思考もありますが、一気に一目散に走り出せたのは、この記憶が漠然とながらも蓄積されていたからなのでしょう。
主の室原知幸は公共事業と銘打って聞えは良いけれど、人権無視のダム建設において、個人の土地に権力が断りなく介入した、当時としては当たり前のお上の論理に、知力と資産をなげうって対峙した先駆者でした。思えば、個人の権力を全面におしだした「人権闘争」の走りだっのでしょう。
最も知られている室原語録は、「法にかない、理にかない、情にかなう」ものでなければならないとしています。
おつきあいさせてもらっている、八ッ場の方たちの「人の土地に断りなしに勝手に線引きして、ここは〇〇になるからなっていわれたって」の怒りの言葉と重なってならないのです。
そして、素封家の長男に生まれ、最高学府に学んだ室原さんとは、雲泥の差の親からの資産をもてず、生涯、貧困にあえぎながらも「貧乏は恥ではないからな。世の中は、人情をブッカクことの方が恥だ」とまるで、自分たちの心を奮い立出せるようにして、子供たちに言い聞かせていた記憶の中の親たちの言葉。「人情」と言う言葉を人間として生きる」ことの唯一のツエとして用いたかのふるまいに、時に軽侮のまなざしをなげつけたこともあった、娘の私でしたが……
その遠隔の地の動きは、働けど働けど報われることなく生きて消えていったわが両親の心にも、赫々としたのろしの炎が点火したのだろうと今にしてしのばれてなりません。
しかし、大島監督は室原さんの闘争を、ご本人にむかって「階級闘争ならぬ、お遊びごと」と一言のもとに評価したそうな。
映像の末尾、闘いやぶれて、陽がくれた室原さんが、機動隊=権力に対して、咆哮する場面がありました。
「いいか、お前たちは世界に恥をさらしたんだよ。 社会運動の歴史のなかに、お前たちがやったことは永遠に残るんだよ」と。
そして、ナレーション末尾は「心の砦、闘いよって築いた砦は、消えない」で結ばれます。
思わず、2度も観賞。
「荒城の月」のメロディーの後、「殉義の星と輝かん」の歌のフレーズを深夜、口ずさんでました。
それは部落解放に連なる解放歌、その確か五番あたりにでてくるフレーズ。皮肉にも、この唄の旋律は旧制一高の寮歌中、最も知られている1902(明治35)年、第12回記念祭東寮寮歌の「ああ、玉杯に花うけて」で始まるメロディと同じなのです。そのことを知ったのは母からでした。
目じりに涙が自然に浮かび、小さな人間に何ができるものでもありませんが、「ダム建設よ、許すまじ」と高揚させるものがあります。
縁あって下筌ダムに行けたなら、室原さんとそこに集った協力者の皆さんの墓前にもうでたいものと思います。
室原さん、そして敬愛する八ッ場のわが同志の皆さん、永遠に“殉義の星”と輝やき続けてくださいね。。
開放感にみたされて放心状態に近い夜半すぎ、ずっとデスクトップ上に置いたまま、観ることがなかった熊本・下筌ダムの記録映画をしみじしみと観ました。
デスクトップの上に乱雑にアイコンが並んでいますが、その中で,、見慣れぬアイコンを発見、なんだったっけとクリックしたら、ずっと前に〇〇ダムで闘っている方からのメールにあったのを、小躍りして後で観ようと保存しておいたのでした。幾人かの方には送信してあげてあったのに、自分では忘れていたのでした。
実はダム問題に首をつっつこんだ当初より、映画の存在を知り観たくてならない作品の一つでした。一度、東京での映画会での情報に接したのでしたが、行けずにいた記録映画なのでした。それが図らずも…… でも、すっかり忘却の彼方なのでした。
年をとるのは哀しいものです。
映画の題は、「反骨の砦」。
カンヌ映画祭グランプリなどを受賞しています。
筑後川流域の、「下筌・松原ダム」にあらがい、八年間にわたり建設を阻止。まぎれもない伝説の人・室原知幸を描いた、大島渚・吉田 監督によるその落城間際の映像なのでした。
当初、いささか場違いに感じられたバックミュージックは「荒城の月」。琴の演奏にてのその強弱のもの悲しい旋律は、画面が突き進むにつれ、見事にマッチ。
若き日の鬼才・大島渚の力量を見せつけられました。一度ある試写会後の内輪のパーティの席で、真近く接して頂いたことがありました。場ちがいの席で会場の隅で固くなっている者にまで、なじみ深い笑顔の一瞥をなげかけてくださって、一瞬にして惹きこんでしまわれる、タダモノならない雰囲気にあふれるお人柄でした。
ナレーションは徳川夢声。約25分のものです。
映像でお会いできた室原さん夫妻は、かつて感動のまま一気に読んだ、松下竜一さんの『砦に拠る』(筑摩書房版は1977年に発売。1989,ちくま文庫)のイメージとはいささか違いました。
子供の頃、新聞で字面を目にした「蜂の巣城」。
そして、かすかにその遥か遠くの新聞記事をじっ食い入るようにみつめていたまだ若かった両親の私語が耳元に蘇ってきました。その後、確かわが父も、八ッッ場の支援活動に動員されて行っていたように記憶しています。だから、八ッ場の「ヤンバ」の語は耳底に残っていて、躊躇なく「ヤンバ」と言えたのでしょう。そして、生来の単純思考もありますが、一気に一目散に走り出せたのは、この記憶が漠然とながらも蓄積されていたからなのでしょう。
主の室原知幸は公共事業と銘打って聞えは良いけれど、人権無視のダム建設において、個人の土地に権力が断りなく介入した、当時としては当たり前のお上の論理に、知力と資産をなげうって対峙した先駆者でした。思えば、個人の権力を全面におしだした「人権闘争」の走りだっのでしょう。
最も知られている室原語録は、「法にかない、理にかない、情にかなう」ものでなければならないとしています。
おつきあいさせてもらっている、八ッ場の方たちの「人の土地に断りなしに勝手に線引きして、ここは〇〇になるからなっていわれたって」の怒りの言葉と重なってならないのです。
そして、素封家の長男に生まれ、最高学府に学んだ室原さんとは、雲泥の差の親からの資産をもてず、生涯、貧困にあえぎながらも「貧乏は恥ではないからな。世の中は、人情をブッカクことの方が恥だ」とまるで、自分たちの心を奮い立出せるようにして、子供たちに言い聞かせていた記憶の中の親たちの言葉。「人情」と言う言葉を人間として生きる」ことの唯一のツエとして用いたかのふるまいに、時に軽侮のまなざしをなげつけたこともあった、娘の私でしたが……
その遠隔の地の動きは、働けど働けど報われることなく生きて消えていったわが両親の心にも、赫々としたのろしの炎が点火したのだろうと今にしてしのばれてなりません。
しかし、大島監督は室原さんの闘争を、ご本人にむかって「階級闘争ならぬ、お遊びごと」と一言のもとに評価したそうな。
映像の末尾、闘いやぶれて、陽がくれた室原さんが、機動隊=権力に対して、咆哮する場面がありました。
「いいか、お前たちは世界に恥をさらしたんだよ。 社会運動の歴史のなかに、お前たちがやったことは永遠に残るんだよ」と。
そして、ナレーション末尾は「心の砦、闘いよって築いた砦は、消えない」で結ばれます。
思わず、2度も観賞。
「荒城の月」のメロディーの後、「殉義の星と輝かん」の歌のフレーズを深夜、口ずさんでました。
それは部落解放に連なる解放歌、その確か五番あたりにでてくるフレーズ。皮肉にも、この唄の旋律は旧制一高の寮歌中、最も知られている1902(明治35)年、第12回記念祭東寮寮歌の「ああ、玉杯に花うけて」で始まるメロディと同じなのです。そのことを知ったのは母からでした。
目じりに涙が自然に浮かび、小さな人間に何ができるものでもありませんが、「ダム建設よ、許すまじ」と高揚させるものがあります。
縁あって下筌ダムに行けたなら、室原さんとそこに集った協力者の皆さんの墓前にもうでたいものと思います。
室原さん、そして敬愛する八ッ場のわが同志の皆さん、永遠に“殉義の星”と輝やき続けてくださいね。。