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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年05月31日

昔ながらの手植え風景



 長野原町でも、珍しくなった、手植え風景です。
 ご紹介することはいっぱいあるのに、?期限のある事柄に追われるまま、日数を経てしまいました。心ならずもの怠け癖がついてしまって、今夜は写真の羅列にて、逃げます。


 
 続いて開通した2号橋を、川原湯温泉方向に向かっていく道路です。
  右手の絶壁には、昨年の閉合式の頃には、まだ黄色いユンボがはりついていたのをご記憶でしょうか。手前は駐車場てなっています。
 進行方向を右手にカーブし、川原湯温泉に向かうのですが、神社付近ではまだ工事中で極端に道幅がせまくなっています。スムースにはトンネルから川原湯地区代替地には通じません。で、対岸の付替え国道に比べて、走る車の少ないこと。  


Posted by やんばちゃん at 22:08Comments(0)八ッ場だより

2011年05月24日

イノシシの肉のとりもつ縁




 久森沢の右岸沿い、前は吾妻川に面したアカシアの木陰で、バーベキュー。
 結局、テントははらず、木陰で大丈夫ということに。 ところがも、肝心の昼近くには太陽が西に動いて、用意した食卓を避けて、おのづと少しでも涼しめの場所にどんどん川岸に移動。それでも、ご覧のように陽射しをあびてしまった次第。
 でも、川のせせらぎを眼下に食事とはしゃれていませんか。
 土地のCさんの話によれば、この川にはハヤが棲んでいるそうな。
 それを聞いて、Dさんは「そうかや」と上機嫌。そして、釣り好きだった若い日、夜のうちから川岸に行って、そこで眠って夜明けに鮎の動きとともに目覚めた懐古談を快活にまくしてたてて、G先生に語っていました。Dさんがこんなにご機嫌で饒舌なのも久々です。

 メインは土地のベテランハンターのJさんが、提供してくださったイノシシの肉。
 事前にきちんと切り分け冷凍パック詰めしてあったのをたっぷりと提供。
 しかも、放出してくださった、それをご自分でじっくりと焦げ目がつくくらいまで焼きあげてくださいました。、滋味があって、びっちりとお腹にたまるお肉でした。
 男性陣は、お酒好きのG先生ご持参のビールのおつまみとして堪能。
 Fさん夫人のH江さんは見えるなり、バーべキューのお手伝いにして戴けました。
 お手伝いというより、ここ数日間のハプニング続き、朝4時から、材料の調えに追われてパニック状態の当方には、何が何だかまともに手がつかずで、すっかりベテラン主婦のH江さんにおんぶにだっこ。おかげさまで、助かりました。

 張り切って用意したので、食べ物はたっぷり。
 ですが、みなさん、小食の上に、土地の方たちがもっと加わってくださると言ってらしたのに、結局、お見えにならず。
 準備中に軽トラから挨拶して引き上げられたご夫妻に、「お昼にはきてくだ゜さいね」とお声をかけたのでしたが……その後、Cさんがまたお電話したのでしたが…・ 
 「はい、わかりました」といえば、見えると思ったのですが、、「解りました」ではダメで「往きます」との意思表示がなければ、ダメとのことらしく、それが長野原流? 
 で、他の豚・牛・トリ肉もハムもことごとく残ってしまって…… 焼きそばも食べきれず、タケノコご飯などは手づかず。本日もまだ独りで整理中です。
 帰宅後の整理をしていたら、焼きそばの青みにいれようとして、早朝、畑からとって手間かけてこしらえ、刻んだニラやわけぎを入れ忘れたまま、食材の箱からはそっくりでてきて、よりガックリ。
 
 そして、食後のデザートは、茨城のFさん夫妻が、持ってきてくた゜さった大玉のスイカ。みんな初物で大喜び。久森沢で冷やしておいて食べました。
 田植えが無事済んで上機嫌となったDさん、スイカを見て、「あ、そうだ。早く教えてやらあ良かったな。そこの川に付けときゃ、冷えたくなっていたんにぃ」とおっしゃる。
 「もう、ちゃんと、最初から冷やしておいてあるよ」と伝えると、「そうか。ここは結構冷えるからさ」と。たぶん、かつての農作業の時には、トマトや飲み水など、ここてで冷やして、野良ご飯やお茶の時に、食べたのかもしれませんね。
 スイカもたくさんなので、やんば館の方にもチョッピリおすそわけ。
 
 最後の締めは、同じく茨城県の特産物のサツマイモ、それも大きな大きなのを、焼き芋にしておいて、バーベキュー用のフライ返しで等分に切りわけてみんなでたべました。
 H江さんお手製の、茨城県のめずらしい漬物とかのメロンの浅漬けは、コリコリとさわやかで、皆さんに好評でした。
 
  地元の方も他所者の私たちも、心底、打ち解けてすごせた、得難い一時でした。
  


Posted by やんばちゃん at 21:42Comments(0)八ッ場だより

2011年05月23日

まばゆい新緑のもと、撮影は無事に


 21日の土曜日は、まれにみる五月晴れ。というか、まさしく初夏の日ざしの照りつけるさわやかな八ッ場でした。周辺の山々のあちこちには、今が盛りの藤の花がこの間越しに見えて、すばらしい情景でした。
 初夏の日ざしとは天気予報で聞いていたので、前の晩に、これではテントがなければどうしようもないと思い付き、朝、実家に回って借りていくことに。久々の材料買い出しと、朝からのそれらの下ごしらえに追われ、いざ積み込みの段階には、大わらわ。さらにまた、重いテントは部分的に積みかえしなければならず、当初の心づもりの予定より、小一時間も大幅に、遅れ気味。
 焦りで往きの山中の景観はまさしく、目に入らずのひたすら疾走。それゆえに、八ッ場の緑の濃淡は目を射るようなインパクトがありました。
 
 6軒(一軒のお宅はほぼ耕作放棄)+1軒(入口の畑で下流に転出)の久森水田耕作者の方のうち、3軒の方がすでに集ってくれていました。
 左手前の耕作地の農家は、この日はお出かけとのことで奥さんだけでもと思いましたが…… ご無理のようでした。
 右手前で、作業しているいろいろとお世話になっているCさんの家は、来週末の週末。たぶん、昨年と同じくしんがり組で、最後の一軒となる見込み。この日は畔に貼るビニールを抑える、割竹を作っていられた。
 川岸のお宅は翌22日に田植えで、前準備に「出られたら」とのことでしたが、時間内にはお見えににられず。
 2号橋を超えた最も奥の田の方も、お手伝いの方に伺った時に、聞き違えてしまったらしく、この日とばかり思ってましたら、こちらも翌22日なのでした。でも、ご夫妻でちゃんと明日の本番前の整備に出てくださってました。
 なお、写真家の方たちのご希望は、「2号橋を背景に」とのことでしたので、ほぼ直下ですので構図的には難しくなってしまうようです。
 
 となると、オンリーワンとなるのが83歳のDさん。最も便利な農道沿いに先祖代々4枚の田を耕作。まだ国交省に契約していないお二人の耕作者の方のお一人です。
 Dさん早朝から植えていたらしく、到着した時にはすでに3枚目がほぼ終了。
 近づくととまたも「はぁ、終わっちゃうぜ。俺あね、忙しいんだから。あんた方のようなヒマ人の都合に合わせるわけにはいかないんだから」とのお言葉あり。


 
 「忙しい」が口癖。実際にお独りで、八ッ場きっての大農家の上、多趣味なので本当に超忙しいのだけれど、今般の田植え計画当初より、この方から賜ったお言葉の数々を。
 ① 「俺んちは忙しくてしょうがないんだから、あんた方のペースには合わせてはいられないんだから。抜いといて頂戴」。
   ⇒じゃ、お昼だけでもご一緒にと重ねると、「お昼なんて、いらねぇよ。みんなと一緒にたべている暇なんかねぇんだから」。
 ②4日前、様子を問う。
  「21日に植えられるか判らない。あんたねえ、俺はね、はぁ83なんだからね。独りでやっているんだから、そんなに予定通りにはいかないんだよ」
 この頃は、田起こしの耕運機は掛けられてはいたものの、昔日の若い日のようには身体は動かず、準備に大変だったのだろう。で、イラダッていられたのではと思われる。
 ②3日前
  「11時頃たってね、俺はどこの田んぼから植え始めるか、その時の都合で決めて植えるんだからてね。そこは20日の日に苗が入ったら、すくにあそこを植えちゃうかもしれねぇよ」。
 確かに、3箇所で耕作されているのだ。で、
 ⇒「だから、21日の前後に違う場所を植えるようにしてくだされば、いいんじゃないですか?」と言って、以後はなるべく電話せず。 
 「約束は時間通りに守る」というのが、モットーの方なのだから、ハッキリと約束はしてくれていないけれど、耳の端にとらえているのだから…… Dさんの今までの例からして「大丈夫」とは思うけれど、内心、気が気ではなかったのでした。
 元来が、「面倒だ」とはいいながらも、食事やお茶等で、来訪者は存分にもてなすのすが大好きな方なのだ。
 最初に、「俺はね、好きなように独りで植えるんだから、巻き込まないで」と苦言を言われたのは、それが体力的にできなきくなった現在、ヒト様にきてもらっても、気持ちの上で、困惑してしまうのだそうである。
 過日、「できないから厭だ」というので、「別にお茶の用意なんかいいのよ」と言うと、「そういうことが出来なくなったから、俺自身が厭なんだよ」とおっしゃったられたものだ。
  
 ③Dさん宅に苗が入った20日、(下流のわが家の近くに転居なされてほどなくお亡くなりになられた)入口の畑を作っていられるEさん宅の電話番号は、もうDさんのお名前では記載されておらず104では不可。
 でも、前々日に鍵がまわらなくなり、鍵の交換修理のため、身動きができずで頭がいっぱいの脳裏には、嫁がれた娘さん宅の苗字が思い出されず、この上はDさんに伺うしかなくなって電話。奥さんの側の親戚通しで、大の仲よしだった。葬儀の日、Dさんのうなだれていた姿を思い出す。
 電話の向こうで、かすかに耕運機の音がした。娘婿さんの苗字は覚えていないというので、電話番号を知っているかと問うと(別段、すぐにと教えてという意味ではなかったのに)、「こんなところで解りっこねぇだんべや。あんたね、俺は今、田んぼなんだよ」と。ハイハイ。 
 この時の声音は、少し穏やかだったので、少しほっとした次第。
 たぶん、久しぶりにEさんのお名前を出したので、心がなごまれたのだろうし、明日に向かって、作業が順長に進んでいられるのことだろう。作戦的に成功? 少し、ほっとした。

 (この件については、ご葬儀の時に目にしたお名前だったが、思い出して、104に問うと住所が一致して教えてもらえた。
 「もし、ご都合がついたら」とのご連絡が出来た上に、「テントが作れない場合、畑の脇の木陰げを昼食の時にお貸し戴きたい」旨もお断りができた。Eさん似のお気持ちもお顔だちもふっくらとした娘さんは、気持ちよくOKしてくださった)。

 しかし、当日まで気が気ではなく、現地につくまでは心配でならなかった。
 もし、Dさんが昨日のうちに久森のたんぼを植えてしまっった場合は、写真家の方々が、せっかく遠方から見えるのに、誰も植えてがいなくなってしまうことになって、大責任である。どうしようかと。
 しかも、遅刻気味。緊張と過度の疲労で榛名山ろくを猛スピードで走らざるを得なくなっていた。ようやく、松谷トンネルに入った時には、首筋の両方と右手がしびれてしまっていた。「これはタダごとではないな」と自分でも思われた。
  
 国道から久森の水田に降りる急も急の坂道を一気に降りて、空地に突っ込んだ。
 ガチャンと音がして、何かに乗り上げたけれど、そのままアクセルを。(後で指摘されたが、畔道の石が削られていた車に傷がついている由)。技術もないのに運転が乱暴なのだ。だから、前日まで鍵の交換修理で、代車が無くて困惑ものであった。
 
 イルイル、Dさんが、真ん中の田で悠然と植えていられる。
 ほっとした。
 何はともあれ、挨拶とバーべーキューのテントを張る、邪魔にならない場所を伺いに畔道を走る。
 最初に手前のCさんに、いろいろとお世話になった上に、この日も炭や「やんば米」をお願いしてあったので、お礼にむかった。
実は、いつもかかさずDさん宅でわけてもらっているやんば米が、前回、Dさんが「またもの忙しくて」で、分けてもらえず、終わってしまっていた。当日、お願いしてみたけれど、叱られた。で、仕方なくCさんにわがままを言って、現地で炊く予定で炭とともにお願いしておいたのだけれど、到底、間に合わないと朝6時に判断。自宅で、タケノコご飯を炊いてきた。
 「ご飯、炊いてきたから」と伝えると、Cさん、「こっちで炊くんなら、朝8時半頃にはきていなければムリだよ」とのご忠告。

 Dさんに近づくと、第一声。「はぉ、植え終わっちゃうぜ。幾時になるんだや」と。
 で、Cさんに「怒らないでよ。もう、私何もかも間に合わなくて、身体がおかしくなってしまっているんだから…… もうじき見えるからさ、それまで何とか時間つぶしていてよ。お願い」と懇願して、またCさんの処に。
 それまで夢中で気がつかなかったが、眼前のやんば館から、こちらを見ていられる男性がいた。
 「さっきからいるあの人も、そうじゃねえんかい」とCさんがおっしゃる。
 で、手を挙げたら、その方も手を挙げてくださった。
 茨城から見えた、写真家のFさんだろう。いつも、写真家のGさんとご一緒にみえるので今回もそうだろうと思っていたら、Gさんは別の方とみえるらしい。 
 今朝、携帯が通じる間に、東京からみえる、畔道が狭い上に農家の方たちの車でいっぱいだろうから、とりあえずやんば館にとは電話したが、Fさんには伝えてなかったので、まだお見えになられてないのかと思った。どうやら前にみえていたらしく、もしかしたら、道上から写真にと田んぼで、みぶり手ぶりで大声でしゃべっていた姿を撮られていたかもしれない。
 ほどなく、田に降りてこられた。奥さんもご一緒だった。
 
 Dさんのいらだちをざっと伝え、急がれるようにと。
 でも、大丈部。文句を言われるのは当方だけ。顔を声を聞くと、条件反射的に文句をいいたくなるらしい。他の方たちには、満面笑みの方なのだから。
 それに、田の方を振り返れば、なんということはない。Dさん、ちゃんと田植え機から降りて、畔で時間調節なさっているではないか。いつも私には、最初はイジワルおっしゃられるが、ちゃんとすべて計算しつくされている、極めて頭のいい方なのだ。
 確かに、10年前のこういう時には、食事の世話までしてくださった方なのだ。
 それもお得意の手打ちうどんやけんちん汁、香の物などもちゃんとそろえてくださったあの頃に比べれば、最近はめっきりお年をとられたけれど、とてもとても、80歳すぎのお年よりなんてものではない。
 
 続いて、この日、ご自分で射止めて冷凍保存してあるというイノシシの肉を提供してくださったり、炭をおこしてくださるとお約束してくださっている地元のIさんも、みえられてほっとした。
 なんと、一時間も前に一度、みえたが私がいなかったので、一端はお帰りになられたとのことであった。Iさんとお約束した時間より20分もすぎてしまっていたのだったから、本当にご迷惑をおかけしてしまった次第だ。お年は、81歳とかだけれど、むこの方もかくしゃくとしていられる。
 そして、先ほど、Fさんに関越を降りたとの一報があったという、プロ中のプロの写真家、Gさんも到着。
 すでに、最後の4枚目のみで、持ち田の植える場所の少なくなった、オンリーワンのDさんをお3人のカメラマンが走りまわって撮影されていた。確かに「11時頃」と伝えただけで、きちんと、朝幾時から農作業するかの打合せをしていなかったのが落ち度だけで、周りの水田が植わっているから、構図的にも万事うまくいっていたのではなかったか。
 Dさんは、写真の構図までちゃんと考えて作業をしていられた?
 ともかく脱帽ものの、すべてに頭の極めて良い、わが八ッ場の大事な大事なオジ様です。
 
  


Posted by やんばちゃん at 11:15Comments(0)八ッ場だより

2011年05月19日

久森の水田に映る、風景は?

【うっすらとあかね色に染まった阿蘇谷の水田 18日熊本日日新聞より転載】
 八ッ場の田植えのピークは今度の日曜日のようですが、九州の阿蘇山のふもとでは、昨日が大詰め。日没時には水田がほの赤く染まっているそうで、カメラマンが並ぶ風景が、今朝の熊本日日新聞には報じられています。
 わが八ッ場では鏡のようになった水田に映るのは、二号橋となりましょうか。
 ここには吾妻線は映りません。以前、もっと上手の林地区内に入った工事現場の水たまりに吾妻線や国道を走る車が映っていた場面に遭遇。カメラに収めようと思っていましたが、あいにくフィルム切れ。その頃はデジタルではありませんでした。そして、不思議なことに次々とチャンスを逸し、幻の映像に終わってしまいまして、今も残念さがよみがえってきました。

 ついで、掲げます昨日18日の「記事中には、対比的にわが八ッ場がでてきますので、ご覧ください。
 
..............................
①  【2011年05月19日 熊本日日新聞】
  http://kumanichi.com/news/local/main/20110519001.shtml
  「千枚田」夕日に染まる 阿蘇市で田植え大詰め

② 【2011年05月18日 熊本日日新聞】
  http://kumanichi.com/news/local/main/20110518005.shtml
  国交省、七滝ダムを中止 民主・部門会議に報告  
 政権交代に伴うダム事業見直しをめぐり、国土交通省は18日、地元での検証が終了した4事業のうち、国直轄の七滝ダム(御船町)と国の補助事業である大和沢ダム(青森県)の2事業は中止し、福岡県の二つの補助ダム事業は継続する方針を決めた。
 ダム事業見直しは民主党の看板政策のため、国交省が18日、同党の国土交通部門会議に報告した。検証対象の全国83ダム事業で国の対応が決まったのは初めてだが、いずれも地元の検証で中止と判断されており、地元が早期整備を求める八ツ場ダム(群馬県)とは構図が異なる。
 七滝ダムは、治水や水道用水確保のための多目的ダムとして国交省が計画。水余りを受けて政権交代前から事業が事実上止まっており、地元自治体などを交えた九州地方整備局の検証では治水面でも堤防整備などで対応できるとして中止判断を出していた。
 青森県の大和沢ダムは洪水防止や近くの川の水質改善が目的だったが、下水道整備で水質が良くなり、洪水も河川改修で対応する。
 福岡県の五ケ山と伊良原の両ダムについては、同県が「ほかの治水対策よりダムの方が効果的」との理由で継続とする検証結果を国に提出していた。   


Posted by やんばちゃん at 08:11Comments(2)八ッ場だより

2011年05月18日

浜岡原発中止に迫った一つの道

 次の静岡県知事への要請書は、東日本大震災直後、直ちに提出されたものです。
 浜岡原発中止への道筋に、地元民のお立場から大いに貢献なされているものと思われるとともに、私たちの今後の取り組みの指針として、許可を得て転載させて戴きます。
 
 「表記の手紙を県知事宛に送る予定です。プレート地震の連動の可能性を 考えるとあまり時間がないかもしれません」の3/14に届いた、ご文面に添付で送られてきた下記の要望書を拝読。
 その迅速さに敬意を表するとともに、文中の「今問わているのは戦後の日本が築き上げたと自負していた文化と文明体系が正しかったか否かであると考えます」という記述にひき付けられました。
  「深い」と感じました。
 「文化」という面からは当時、幾つかの文化団体などからもありましたが、岡本さんのは実体験の運動に基づいたものだけに説得力がありました。で、デスクトップにはり付けさせて戴きました。
 転載させて戴きたいなと考えて、一応のお断りをしなければと思っていながら、12日の交通難民の報告を記した後、必然的に原発問題にのめりこみ、錯綜とするままに日数を経てしまっておりました。
 去る14日思い切って、依頼メールをさしあげました処、直ちにご快諾下されて、その日のうちに返信をくださいました。
  ですが、今度も当方が21日のイベントの立ち上げに追われており、そちらを先にアップしてしまいましたので、さらに遅ればせになってしまった次第です。

 太田さんは、静岡の「太田川ダム」問題の代表の方で、理学博士です。
 日ごろの長年の運動の蓄積があるので、このように素早く本質的な働きかけがお出来になられたものと、僭越ながら感じさせて戴きました。
 太田川ダムにはダム堤にヒビが生じているそうで、数々のご指摘をご専門のお立場から、私たちにご教示くだされていられるご先輩です。
 ダムと地震との関係では、3年前の栗駒山の北東域が震源だった岩手・宮城内陸地震の時に、当方が「荒砥沢ダムと今回の地震ってなにか関係があるみたいですが?」との質問メールを入れた際には、いち早くご懇切にお応えくださった方です。

 浜岡原発停止は二年間などといわず永遠に。
 そして、全部の原発施設を撤去するまで、この先も果敢なくがんばって戴きたいものと願います。


 
....................................

 静岡県知事 川勝平太様
                      2011年 3月13日
                      森町円田 森・植物生理研究所
                                岡本 尚
 ご無沙汰しています。森町に来て頂いたおりに申し上げたような激甚災害の懸念が半年も経たないうちに東北—関東の大震災として現実になってしまいました。残念なかぎりです。
 静岡県民がこの震災から何も学ばなければ、後世の歴史家は何と評価するでしょうか? 人間の浅知恵が生み出した技術は想定外の自然現象(M9.0)に打ち勝てるだけの力がなかったことが如実に示されています。「原子炉設計の破綻」と、格納容器の建造に参与したことのある東芝技術者は今夜の記者会見で率直に認めました。
 福島第1,第2原発で起きている大災厄は世界の注目を引いています。今問われているのは戦後の日本が築き上げたと自負していた文化と文明体系が正しかったか否かであると考えます。古人は安政の大地震による大津波のあと、到達地点を碑に刻んで残しました。現代ではより完全なハザードマップが役所に備わっています。しかし横行する経済の論理はその活用を「地価が下落する」の一言で封殺してしまいました。
心ある地震学者が声を枯らして忠告したにもかかわらず、世界有数の地震発生地帯の大地震・大津波の襲う沿岸に54基もの原発を建設すると言う愚を冒しました。
結果として何も知らされずに建て、拡大して行った庶民の町は無数の人命とともに大津波で跡形も無く消えてしまいました。炉心溶融にともなう住民の避難は8万名に達しています。人口密度のより高い静岡ではとてもこの規模では済まないでしょう。こういう事を「必要悪」の名のもとにいつまでも繰り返して良いものでしょうか。
 県防災・原子力学術会議の多くの委員方は、原子力発電は「国策」であるから推進すべきというご意見のようですが、わたしども戦中派は間違った国策によって国が崩壊するのを目の前でみてきました。今は原子力という国策を見なおす時だと考えます。
 日本初の原発震災が静岡県ではなく東北の地であったことは只偶然のことであり、県民を東海地震による大災害から、我が国を放射能の雲による首都圏の壊滅から守る最後のチャンスを恐るべき人命の犠牲の上に与えてくれました。海際に立つ浜岡原発は少なくとも東海地震の発生まで停止させておくべきと考えます。それは唯一と言っても良い現実的、理性的な路線と言えます。経済統計によれば、原発の推進のために操業率を故意に7割以下に押さえられている火力を活用すれば原発は不要です。知事が最大限の良識の力を発揮され、経済至上主義者の圧力に屈せず、大英断を発揮して県民の命と安全を守られることを切望します。
 註記
 この文章は畏友田澤仁さんが少し手を入れて下さり、それを参考に一部改訂したが、「文化」という言葉は敢えて残した。価値観や死生観は「文明」という範疇にははいらず、質の高低は別として文化の一部をなすと考えたからである。(日本人の価値観については明治の初期に来日した探検家、イザベラ バード女史の観察と批評が思いおこされる)。
なお昨年夏の終りに森町に来られた知事は、 原発は新幹線等と同じく、「必要悪」の一つと発言しておられた。その後筆者は手紙を送り、浜岡問題は経済政策の問題ではなく、差し迫った危機監理の問題であること、「世界中どこでもやっていること」ではなく、例えば米国では大多数の原発が東部に建設され、環太平洋地震帯の通る西部にはごく僅かしか立地していない事を指摘した。その後知事は大分勉強されたようであり、今回の管首相の決断を歴史に残る「英断」と評価しておられる。
  


Posted by やんばちゃん at 22:26Comments(1)原発関連

2011年05月17日

イノシシの肉も“参加予定”です!


【去る5/14撮影 上湯原橋から望んだ久森水田の全体です。頭上に2号橋が開通。軽トラにかかる画面横に暗い帯はその陰。前方の木立の中の建物は第Ⅰ小跡地に建つ飯場】
  
 昨日、ようやく骨組が決定した21日の呼びかけ、おかげさまで進展しています。
 早速、今朝、現地のBさんは非農家なので、炭起こし役などの援軍を依頼してみたところ、あいにく泊まりがけの外出とのこと。でも、次にすばらしい助っと人、Cさんが現れました。これで、ほっとしました。
 次に、せっかく八ッ場現地でのバーベキューなのだから、シカ肉とまではいかなくともイノシシの肉を使えないかなとあちこち,手づるをたどっていきましたら、おかげさまでこちらもクリア。
 そして、久森水田の耕作者は現在六軒の由。この方たちにも徐々にお声をおかけし初めています。当日、田植え予定は2軒。翌日23日が一軒で、このお宅もむ含めて何らかの準備で、田んぼにでてくださるであろうお宅は現在、2軒です。

  以下は、今朝、水問題関係の機関に入れさせてもらったメール。 
 最近の八ッ場現地の状況をご報告させて戴きます。
 連休中の吾妻渓谷は例年に比べ、閑散としていました。大半の車が付替え国道に廻ってしまって、さ程の混雑もあり
ませんでした。
 皆さまおなじみの渓谷入口の滝見橋際で最後まで営業していた蕎麦屋さんも付替え国道の川原畑側出口に移転し、連休
中に開店。旧店舗は解体したため、長野原町に入った渓谷沿いには駅まで人家は皆無となりました。
 また、川原湯温泉街を除き、上湯原地区では急速に移転・解体が進み、同地区の代替地完成を待つ二軒となりました。
 林地区の国道沿いの贈答店も、このほど店を閉鎖・解体。
 先月末、思わぬことから夜間、川原湯温泉駅から林のこの辺りまで独りで歩きましたが、車の往来も少なく寂しい限り
でした。
 
 山野では紫ツツジ・やまぶきの最盛期を過ぎ、クリン草が開花直前です。
 渓流沿いの天然ワサビの花は終わりましが茎はまだ食せます。
 フキは至る処に自生しています。
 コゴミもクレソンももう呆け出して、現在はワラビの出番。それはそれは太々と旨そうで、ワクワクしてしまいます。
 
 
 さて、やんば館前の久森水田では、この週末が田植えの真っ盛りとなるようです。
 過日、写真家の桑原史成さん等から、田植時の問い合わせをうけ、今月初旬より、現地の皆さんの日程を伺って参りました。
 今年の手植えは事情により断念。
 急きょ、野外でさわやかな風になぶられながらの野良弁的昼食会を立ち上げました。
 メニューは地場産の素材にこだわりたいと思ってます。
  皆さま、ご都合つきましたら、是非、お出掛ください。
  


Posted by やんばちゃん at 23:19Comments(0)八ッ場だより

2011年05月16日

21日、八ッ場の田んぼで昼食(野良弁当)たべよう!

 【5/16 その二】
 【去る5/14 新緑の吾妻渓谷】
 取り急ぎのお知らせです。
 今度の土曜日21日、やんば館前・2号橋下の水田で(田植えをなされていられる農家の皆さんのお邪魔にならないように注意しながら)、野外での昼食会を行います。簡単なバーペーキューの予定です。
 八ッ場の「林・炭焼きの里」の皆さんが焼かれた立派な炭をはじめとし、米は「やんば米」。素材は、なるべく“八ッ場の地場産”にこだわります。
 ご都合つけられまして、是非、ご参加ください。
          
 日 時: 5/21(土) 11時半頃~ 
 場 所: やんば館前 吾妻川沿いの水田地帯にて 
 費 用:  材料費 約500円
       ※都会からの方には山の幸、地元の方には海の幸のメニューを考えます。酒類の用意はありません。お飲みになり        たい方はご持参ください。
 主 催:   「久森のたんぼを愛する会」(仮称)
 連絡先:     090 2910 4722
 申し込み期日  5/20(金) 昼まで 
    
  ※雨天の場合、食事会は中止。田植え風景はあるものと思いますので、弁当に切り替え、実行委は集っています。 
  ※(忙しくて「それどころじゃない」ようですが)目下、現地の農家の方にも、お誘いのお声がけをしております。
  ※当日、電車でお見えの方は、送迎の方法を考えます。    


Posted by やんばちゃん at 17:54Comments(2)八ッ場だより

2011年05月16日

5/21(土)八ッ場の田植え時 著名な写真家撮影予定

※この項、独立させました。
 
 続いて、これは何だかお分かりになりますか?
 今が出番の、お米のなる、あの稲苗なんです。
 
 実は、八ッ場の田植え風景をプロのカメラマンの方が撮影したいので、いつ頃が最適かとの打診が入りました。
 で、今月初めより知り合いの農家の方に、田植えのご都合を伺っては、撮影日の手はずを整えてきたのです。
 田植えの段取りは、そのお宅のご都合と苗の調達日によるようです。
 最近はほとんどのお宅は自家製ではなく、農協だのみのようです。ある大手農家は、田植えを前にして過日、イノシシに荒らさて全滅に近いちかで往生していられました。
 皆さんの田植え日の日程をお聞きしていって、ようやく、期日は今週の土曜日・21日と決定。月末近くまで行ってしまうとほぼ終わり。で、早目の設定となった次第です。
 その際、昨年同様、手植え風景を行うかどうか、これが難問の思案事項でした。
 実は、現地の方たちとの話の中で総合判断して、次に記す諸般の事情から、今年の手植えのイベントはやらない旨は、暗黙の了解事項にほぼなっていました。その点、ほぼ農協さんのは間違いないのですが……
 ですが、プロの著名な写真家のお出ましとなれば、いささかことが違ってまいりました。
 で、当方、先月末から、実現可能性への余地をさぐって、いささか腐心してきた経緯があります。
 
 当初のお話では、昨年、お世話を下さったZさん宅では、稲苗を農協に月末26日に頼んであるため、植える苗がないのです。
 ここのお宅に的をしぼればよかったのかもしれませんが… (当初は手植え実施で進めてきたので)平日では、今度はイベントの参加者が集まれません。
 そこで、Zさんの話し合いの中で、いずれにしても、高崎周辺の当地の方が、田植えは八ッ場よりも一週間ほどは早いものと勘違いし、近隣の農家の余り苗を調達していくことになっていたのでした。
 ですが、少しづつ何軒かの農家の水口に保留してある稲を貰い歩くのも……何とも困惑ものでした。
 ところが、頭がおえしくなっていて、気がついたら逆で、一毛作の八ッ場の方が早いに決まっていました。

 そんなことで頭を痛めていた矢先、いち早く田植えが終わったお宅で、軽トラの荷台になんと、6ケースくらい積んであるではありませんか。
 で、偶然、余った大量の青々とした稲を前にして、「あ、余っているぅ」と言ってしまったのでした。思わず、私の顔はものほしそうになっていたのでしょう。
 主のAさん、この間の事情はご存知ないのに、「もっていくかい」といい、ケースから外すとロールケーキをまくようにクルクルとまかれて、ポイとコンパクトにまとめたそれを「植えてみない」とくださったのでした。
 で、「稲、間に合ったよ。見てみて」と意気洋々とはなったものでしたが……

 しかし、田の整備の都合もあり暗礁にのりあげてしまっている上に、その後は極めて厄介ななり行きとなってしまって難しいのです。 
 まず、第一は、収穫時に至るまで、機械植えの方がはるかに効率的という絶対的要因がゆるぎなくあります。
 加えて、植える苗も機械植えよりも、ランダムですから、いっぱい必要になります。昨年、Zさんは追加注文してくださったものでした。
 人員もいり、忙しい農家にとってはいかにイベントとはいえ、何かとわずらわしさがつきまといます。さらに収穫時の機械刈りとの不具合もありという割にあわない条件がいっぱい。都会陣の都合だけでは成立しません。
 次に、貰い集めた稲は、種類が異なるかもしれないから、ほんのちょっとだけでも植えるというわけにはいかず、きちんと区分rする(とはいっても、面倒きわまりない)か、始末するしかないのです。
 それでも、 ご親切に、昨年お世話になって、今年も田をかいてくだる上に、部分的にご自分の水田に植えさせてくださるとおっしゃてくださっていたZさんが、この段階までは「みんなが植えたのは、後で耕運機でフンゴネルから、いいよ」とも言ってくださっていたのでした。
 
 従って、この線を想定しつつスタートしつつ参りました。
 総合的に考えると、問題は田の整地はすぐに植えかえるのならともかく、一週間もおくというのは二度手間になるということです。
 そこで、浮かんだのが、耕作放棄地となっている手前の小さな水田。そうすれば、Zさんに難儀をかけなくとも、このイベントが続行できるわけです。
 で、ダメでもともとと同時進行で、連休明けの6日、国交省に「植えた稲は抜くことを前提に」耕作放棄地の一時拝借の検討を申し出てみました。週明け、予測通り不可(しかし、付随事項の詳細もわかって一程度の効果はありましたけれど……)。

 けれど、別段、八ッ場の皆さんにムリをお願いしてまで、行うほどの意義はありませんので…… お見えになにる写真家の方たちも、そこまでは望んでおらず、単にいつ頃なら可能かということの打診なのでしたから。
 ただし、受け入れのご案内役としては、昨年のように八ッ場の皆さんとの共同作業とその後の懇親会も組み入れたい気持ちもいささか、ありまして……
 結局、最終的にAさんも難色を示しだされて、「ヤラセ的になってよくないよ、結局、その写真の苗は、稲にはしないんだから」との帰結になりました。
    
  しかし、どうしましょう。もらってしまったこの苗。
 
 でも、みなさん、お時間あったら、21日(土)11時頃、八ッ場へおでかけくださいませんか
 知り合いの農家の方たちに、21日の田植えモード集中へのお願いをしておりますし、これから、どんな顛末になりましても、雨でない限り、畔で昼ごはんの野良弁当だけは、ワイワイと味わいたいと思ってますので…… 
 多くの下流域の方たちが集うことは、土に生き続けた八ッ場の農家の皆さんに、いかに自然界が大事かのむ再認識のきっかけの何らかの一助になるのではないでしょうか?  


Posted by やんばちゃん at 10:24Comments(0)八ッ場だより

2011年05月15日

カニがいました!

 
 これ、沢ガニです。
 八ッ場で二度目にお目にかかった沢ガニです。久森の水田地帯の沢カニは、絶滅したと思射続けてきました。
 そして、これは他の区域の、まだ比較的開発が進まず、汚染度の少ない場所で遭遇したものです。
 11年間に2回ですから、今度お目にかかれるのはいつか、果たして、3回目があるのか、ないのか……
 世界的規模での地球破壊とともに進行してきた様々な汚染。そして、決定打的な今般の核の恐怖。私たちの世代が消えた果ての先々の世界を想定すると、悲観的にならざるを得ませんね。

 ※次の田植えの記述は切り離し、。独立させました。


  


Posted by やんばちゃん at 21:03Comments(0)八ッ場だより

2011年05月15日

なんと八ッ場にも、クレソンはあった!


 昨日の後半部です。
 Wさん宅のガレージ跡から母屋に至る場所、何か池のような窪みがありました。さの前の堀わりにセリがいっぱい生えていて、その緑のマッスに引きつけられてしまったのでした。で、実は向かって右手の木立の奥のもう一軒の屋敷跡に向かっていた足を方向転換して直進、その後は木立の中のお社が目について、左手に回ってしまって、結局、右手奥の屋敷跡には行けなかったのでしたけれど。 
  偶然、お目にかかったWさんに、山里の優雅な暮らしぶりに惹かれてしまったことと、セリのことを伝え、「いいですね。水辺が屋敷内にあるのは」と添えると、「セリなんか、いっぺえあるよ。あそこへ行ってみな」と指さしてくださいました。
 移転場所には、湧水のある場所はないそうです。飲み水に苦労した昔は、どこの村にもお宅にもそれなりのこんな水の調達の歴史があったのでした。
 
 教えてもらって、直ちに勇んで歩きかけてみましたが、Wさんが道路に止めておかれた軽トラを、ご自分の屋敷内に乗り入れられるのを目にとらえたので、邪魔になっては悪いから、戻って車を移動して、その荒地付近にまで乗り入れました。
 付替え国道の下方の斜面にあたり、やはり湧水がチョロチヨロとでているので、セリや山フキが自生していました。そして、なんと、その「セリ」とは、クレソンのことなのでした。
 軽い、カルチャーショックでした。
 長野原町には田ぜりはあっても、クレソンはないものと思い込んでいたのでした。記しますように、クレソンには格段の思い入れがあるのでした。
 ご覧ください。まるで緑のじゅうたん。 間ぁ、カーペットくらいかも。
 もう花が咲いていました。もう少し早ければ…… 
 写真の右の芽吹きは、もちろんタラの芽。下方の緑の群落がクレソンです。こんな茂みがあちこちに。タラの芽はほとんどが採取ずみでしたが、この一本は晩熟だったらしく残ってましたが、ここのは何とトげなしの改良品。おそらく、地域の方たちの春のお楽しみの一つと拝察。
 先に述べた創始者の方の本にも、ありましたがタラの芽の最盛期に採りいれた品種の流れなのでしょう。
 もちろん、あちこちにイノシシの出没の形跡がありました。おそらく熊さんもお出ましになるかも…… 
 
 クレソンへの根強い思い入れ
 ところで、少なからずクレソンには思い入れがあるのです。
 高崎市近郊では、田ゼリのことをせり。クレソンのことは水ゼリと呼んでました。
 子供の頃は、近場の川筋にもいっぱい生えて、春先になると洗濯のついでに、主婦たちはそれを鎌でいっぱいかりとってきて、ゆでたり油で痛めてお惣菜としてたっぷり食べたものでした。これと油揚げのおツユで食べるウドンは、食べ物の少なかった昭和30年代のその頃、今も舌によみがえる旨かったものでした。
 でも、西洋料理の添えとなるクレソンのこととは知らず、20代の頃になって、NHKテレビの朝の番組で「山梨県地方で、恒例のクレソンの摘み取りが始まりました」との映像には、あのなつかしい水ゼリが映っているではありませんか。どうみてもあれは水ゼリ。ここで、認識を変えた次第です。そして、当時、デパートの山菜売り場で目にしたタラの芽と同じく、得難いもののように感じだしたのでした。
 でも、もうすでに哀しいかな、わが家周辺のクレソンはもう水が汚れているため、食べられなくなっていたのでした。農薬の普及とともに上流の町に大きなプロっク工場ができて、川筋はことごとく汚染されてしまいました。ハヤなどの清流に棲む小魚がまず消え、ト゜ジョウもも死滅してしまっていました。
 子供の頃からドジョウ採りが、好きで憂さのハラシ場であったらしい母親は洗濯ものの汚れとともに、「水ぜりまで汚れていて……」と嘆いていて、声音がよみがえります。
 田ゼリはほぼ消滅。さがしだすのには至難の技でした。で、ここ何年間も八ッ場で撮らせて戴いたセリを根ごと採ってきてしまったものは、敷地内に植えておいています。
 同じく、繁殖力の強いクレソンながら、よほど水がきれいでないと、さすがに食せず、これはほんの数本ならともかく自宅での水栽培も無理でした。

 数年前のある時、八ッ場にむかう道筋の榛名山中の人家の尽きるあたりの山里の、水のきれいな川べりになつかしいクレソンを発見。小躍りして、摘ませてもらいました。
 明治の頃、日本に入った外来種のクレソンは繁殖力が極めてあり、川筋を伝わって全国に拡がったわけでしたが、このあたりが北限なのかと、自己解釈。
 そこで、生態系の破壊につながるのではと気にしながらも、八ッ場への道すがら、ここ2~3年来、そのやや上流の渓水のある場所に近場の川筋から摘んでいっては、幾度となく投げ込んでおいたものでした。でも、一度として根付いてくれていなかったのでした。
 実は、本日も性懲りなく、今年初のクレソン移植を、試みた次第です。
 出がけにひらめいて、近場の汚い堀にいっぱい生えていた、さすかに泥は厭なので切り取ったクレソンを、榛名山中の道沿いの淀みにおいて見たのでした。ご存知のようにクレソンには、ヒゲ根がいっぱいあるのです。
 今回は、榛名の道沿いでムリなのだから、八ッ場では根づきっこない。それに大事な八ッ場の川筋に、遺物に近い外来種のクレソンを入れて、生態系をおかしくしたくないとの思いもすくなからず交錯して、八ッ場までは持っていかなかったのでした。
 でも、長野原町よりも、榛名湖周辺の温度の報が低いのです。

  なぜ、おそるおそる疑問をもちながらも、そんな行為を試みたかと言うと、
 昔のように大量に油いためで食べてみたいし、近所のお年寄りにもなつかしい味を食べさせたい思いもありました。今では誰もが目をつけたらしくだいぶ出回ってきましたが、クレソンはフリーマーケットで大人気で、需要がありました。
 だから、八ッ場の皆さんにも地場産業的な要素もあると思えました。
 沢筋の水を用いてのワサビとクレソンの栽培。この思いつきは我ながら町場の草分けではないかなと自負している次第です。そうそう、亡き父も、晩年、ドジョウの養殖を口にしていたことがありましっけ。

 その頃、榛名山への道々、休耕田のある場所に来ると徐行してみたり、八ッ場のある方にも「クレソンを栽培できる水のあるところのチッチャな田んぼを貸してくださる方いらっしゃらないかしらね」と伝えたこともあったと記憶しています。 八ッ場のきれいな沢水なら、きっと良いクレソンが育ち、寒くても真夏なら大丈夫だろうし…… 里でダメな時に芽生えてくれると。
 自然の生態系を乱す、罪の意識におびえながらも、数度にわたり持参。投げ入れてみたものでした。
 
 なお前回、今月初めの夕暮れ、久森沢で田ゼリを洗っていて、少し上流の茂みに分け入ったら、その淀みにクレソンが……
 一瞬、目を疑いましたが確かにクレソンです。さらに上流のある場所はきおくしていたのでしたけれど…… ここには置いたっけなと記憶が定かでなくなってしまいました。もう、花が咲いていて、たまり水でしたのでどことなく汚れていて、摘む気にはなれました。ただ不思議な想いだけは残っていました。

 はからずも、初めてお目にかかったWさんのおかげで、認識と通念が覆り、こんなにいっぱいの宝庫に出くわしたのでした。
 花がさいて、虫につつかれてもいたので最初はためらいましたけれど、帰途際にやはりと少し、刈り取って、横壁のXさん宅へ。今日もお留守でした。で、勝手ながら、また庭先の端を通って、洗い場で、このクレソンを洗わさせていた抱いてました。
 洗い終わって腰をあげたところに皆さん、戻って見えました。田植えらしく親戚の方たちもご一緒でした。なんと、今日でいち早く終わったとのことでした。長野原町で一番手?
 留守中に勝手に使わさせて戴いたお礼と能詐欺用が終わったことへの祝い語を述べながら、「しらなかったんですけれど、クレソンがあの山の中にあったんですよ」と反対側の集落を指さしつつ、「花が咲いているけれど柔らかいから、少し食べますか」さしだしかけると、Y子さんは「いいよ。うちの清水の処にもあるから」と。「ええ、あったんですか」と。そして、「花が咲いてもまだ大丈夫だよ」と教えてくださいました。

  虚をつかれた感じです。
  吾妻町では目にしましたけれど、これだけ通っていて、あちこちの川筋にも分け入っていたのに、今まで目にしたことがなかったのでした。
  年間最大の大変な農作業の田植えでお疲れですから、それ以上はうかがわず、早々に辞去してまいりましたが、どのくらい前から自生していたのでしょうか?
  当方が、八ッ場の川筋に投げ込んだのは、たかだかここ数年間。
  この日、Wさんが教えてくださった林地域の自生地は、いくらものすごく増えるクレソンといえども、2年や3年ではないでしょう。
  
 ともかく、幻のクレソンではありませんでした。
 かくして、〇十年に及ぶ、わがクレソン物語です。
  これからが楽しみです。八ッ場のきれいな無尽蔵に近い、クレソンとの格闘の始まりです。
  


Posted by やんばちゃん at 10:56Comments(0)八ッ場だより

2011年05月14日

これは、イノシシのワナです。

 
 本日は週末の撮影会の下見をかねての、またもの八ッ場へ行き。昨日行くつもりが、なにやかやと午後にずれ込んで断念。でも、結局、本日も出発は午後になってから。タケノコの処理や何やかやと用事がありすぎるのです。今度は絶対に朝、到着してから、八ッ場で朝食をたべるような段どりをくみたいもの……
 
 写真は、遅いお弁当を食べた場所の眼前に迫ってくる、丸岩山(左手奥の山)の景色です。
 すばらしい借景で、ここのお宅の持ち主さんは朝夕、この景色を見慣れてさぞかしお幸せだったろうな、今はどうしていられるのだろうと思いつつ眺めていました。写真真ん中の木は、朴の木です。わが家にもあるのですぐに解りました。
 この場所は移転されたお宅跡らしく、空地になっていたのでした。
 しかもとても入りやすく、舗装されていたのでした。で、道路に止めるのもと思い、思い切って車を乗り入れさせてもらった次第です。その左手にも別のお宅があったらしく、細い舗装道路が続いてました。フロント越しに幾ら見ても見あきない若葉のそよぎをおかずにのんびりと持参の弁当、といっても、朝のタケノコご飯の上に、あり合わせのものを載せた簡易弁当なのですけれど……
  食事後、屋敷跡周辺を散歩しようとして、まずは左手に向かって、近場の天神様のお社などを写真に収めていたら、道路下の茂みから、ご年配の男性が出てみえました。
 伺うとなんとこちらの持ち主の方で、上方の林地域の代替地におすまいとのことでした。
 この場所に、林の村の中心部からにある「かたくりの湯」方面からの道が拡張され抜ける予定なのだそうです。まっすぐな道路とするために、ここにあった三軒のお宅が上方に移転したとのこと。将来は一帯も盛土され、代替え地がせりだすように伸びてきて、つながるとのことでした。
 道前の道路前方、東側に3号橋が遠く見えます。
 話をしていくうちに、車をとめさせて戴いた場所は、この方、Wさんとさせて戴きましようか? 元駐車場だったそうでした。だから、舗装してあったのでした。その一段上に母屋があったようでした。背後は断崖。赤いつつじなどが崖に咲いていて、山椒の大木なとの庭木がまだありました。この崖上がこの方たちの住まわれる代替地。そして、付替え国道です。

 林地域は、湖面の周りにそのまま、ずり上がって済むという文字通りのズリ上がり方式でした。ために人口の増減がないのでしょうね。

 手に長い鉄の鎖状のものをもっていらしたので「それ、何ですか」と伺うと、イノシシのワナとのことでした。ワナを仕掛けておいたのだけれどバネがダメで引き揚げたのだとか、おっしゃていられました。
 初めて見る器具なので興味津津。
 
 この方は、山歩きがお得意で、周辺の山々の調査の案内はかかさず務められてきたご経歴の持ち主とか。
 丸岩のシャクナゲの群生地、最近はウチョウランの採取で命を落としたヒトもいたとのその場所を、山の稜線をたよりにしつつ、指さして教えてくださいました。
 私がおよそ10年くらい前にお目にかかって「丸岩にはシャクナゲの見事な群生地がある」と教えてもらったタクシーの運転手さんのお話が裏付けられたのでした。あの方にその後、お目にかかることもありませんが……
 盗掘をなさる心ない方たちがいるので、場所は具体的には記せませんが、どうやら位置的に先年の4月、丸岩に独りで登った時に正規の登山道を通らず、わき道、つまり谷川に降りたのでしたが、その延長上のようでした。
 思わず「今度、ご案内して戴けません?」とお尋ねしますと、「はぁ、ダメだ。足が」とのこと。ご年齢は81歳とのことでした。

 写真の二つのお社は、伺うとこの地域の全体と町内会の天神様であるとのことで、Wさんが管理してくださっているそうでした。

木立の奥にあります。手前の風車のようなのは飾りで、左右一対ありました。春の大祭の時の用具だそうです。

※この後に、とっておきの発見のことがあり、一気に記してきたのでしたが、長くなりすぎていることととりあえず、もうじき日にちが変わってしまいますので、ここまでを本日14日分としてアップして、後半は明日に。      


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)八ッ場だより

2011年05月13日

燃料棒 大半が溶融

 
 皆さま、おはようございます。ようやく、晴れやかな五月晴れになりそうです。
 被災地にも、一刻も早く、この晴れ間が届きますように。太陽の光は何と言っても勇気と活力をもたらしてくれるはす゜だからです。そして、菜の花色の黄色は、希望の色と信じます。
 そこで本日の写真は、私たちのクリーン作戦の菜の花です。(私たちというよりメンバーが高齢化してしまって、言いだしっぺなので逃げることのできない当方がもっぱら管理しているため、手入れが行き届いてませんが……)。
 今年も、例の禁止期間を除いて、新鮮カキナをたくさんあちこちの皆さんに食べてもらいました。もう最後の最後的になりましたが、今朝もまた摘んできて朝食に。採れたての旨さは例えようがなく、田舎生活の喜びを感じる一瞬です。

////////////////////////
 ーーー福島第1原発:1号機、燃料の大半「溶融」…冷却は維持  ーーー
 本日の毎日新聞13版(当地は夕刊の配達区域外)には、昨晩、お伝えした情報の下記一覧にあった、太字でお伝えいたしまし冒頭の見出しの内容が、一面トップです。
 見出しのみを。
   福島1号機 燃料棒 大半が溶融
      格納容器に漏出か


 そして、3面には、紙面の8割方(他の原発関連も含めて)を使って、
   データー 信頼性欠如   
    福島1号機 大半溶融
     燃料損傷率「55%」 東電発表覆る

 そして、必然的に
   工程表ずれ込む恐れ
      2、3号機に影響も

 
 朝刊記事とは同一ではありませんが、(著作権の面で当然のことですが) 同紙の無料サイトは午後になりますので、昨晩の末尾の事項から、下記のサイト名を掲げさせていただきます。
 末尾の関連記事もご参考までに。
.................................
  【2011年5月12日 22時04分(最終更新 5月12日 23時45分) 毎日新聞】  http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110513k0000m040139000c.html
 福島第1原発:1号機燃料棒の大半 圧力容器の底に
福島第1原子力発電所1号機計器(燃料域水位計A)の点検状況=2011年5月10日撮影、東京電力提供 東京電力福島第1原発1号機で原子炉圧力容器内の水位が燃料棒(長さ約4メートル)の上部より少なくとも5メートル低かった問題で、東電と経済産業省原子力安全・保安院は12日、燃料棒の大半が溶融して原子炉圧力容器の底にたまっているとの見解を示した。圧力容器の温度は120度以下に保たれており、炉心は引き続き冷却されているとみられる。また、溶けた燃料が圧力容器の底を傷つけ、水や燃料が外側の格納容器に漏れた可能性がある。事故収束に向けた工程表の日程にも影響しそうだ。
 1号機では、燃料棒の55%が損傷していると推定されているが、燃料棒が完全な形で残っていれば全露出していることになる。
 また、圧力容器には冷却のための注水が続いているが、水位が上がっていない。このため水漏れが起きているのは確実で、その原因について、東電は「圧力容器の底にある管との溶接部などが、溶けた燃料の熱で穴があいた可能性がある」としている。
 直径6.5センチのホースで注水を続けているにもかかわらず、水位が上がっていないことなどから、東電は、穴は複数あり、大きさの合計は数センチと推定している。
 一方、圧力容器の温度は安定していることから、溶けてたまった燃料は、底にある水で冷やされているとみられる。保安院の西山英彦審議官は「圧力容器内の水位が正しいとすれば、燃料の一定部分は溶けて下にたまっている可能性が高い」との見解を示した。枝野幸男官房長官は同日の会見で、「原子炉の状態について再度調査する必要がある」と述べた。【足立旬子、河内敏康】

【関連記事】
【どこが溶融したのか?】東電が公表した原子炉圧力容器の模型写真
【建設中の貴重な写真も】福島第1原発の歴史
<福島第1原発>12日は70人が一時帰宅 除染などはなし
<福島第1原発>3号機内でも高い放射線量を計測
<福島第1原発>構内のグラウンドからプルトニウムを検出
<福島第1原発>20キロ圏内の家畜 国も安楽死指示
毎日新聞 2011年5月12日 22時04分(最終更新 5月12日 23時45分)  


Posted by やんばちゃん at 09:40Comments(2)原発関連

2011年05月12日

第1原発構内、プルトニウム検出

 本日12日のニュースです。
 本当に小出裕章さんがおっしゃるように終息するどころか……
 最悪のシナリオに向かってしまっているようなのは、素人にも感じられます。
 下記の関連記事のどれも重いです。
 「1号機 燃料の大半が溶融」というのは、もう……
 戦争責任と同じく、被爆国でありながら、こんな危険で厄介なものを開発し国策化した立役者たちはむろん、走り寄って旨い汁を、たとえ半口でも吸った面々の責任。そしてもたらされた悪弊ともいうべきこの構図が未だにおわかりにならない方たちの責任をも、とことん問いたいけれど…… ここで、きちんと総括して、明らかにしないでおくということは、次の悲劇を生みだしかねません。
 けれど、この国の国民性はうやむやが好き。逆に「この国難に行きすぎ」的に指弾してくる、正真正銘のオロカ者さんが業さんいらっしゃる。
 だが、いくら言ってもせんかたないこととして、葬り去ることはできない。
 ともかく、終息に向けて一歩一歩です。 
 
 
 せめて、写真は自然界の野の恵みとして、過日、八ッ場の穀倉地帯で採った田ゼリを思いっきり掲げます。タケノコも添えて。
 本日の冷たい雨に所在なく打たれている、被災地の皆さまの辛さに思いはせます。
 どうか、もうこれ以上、被害が広がらず、訪れる東北の遅い春を被災地の方々も満喫できますように。たくさんの山菜類が安心して採りにいけますようにと祈らずにはいられません。
 それにしても、グリーンの濃淡というのは、心落ち着かせてくれますね。

 

............................
 【2011年5月12日 20時43分 毎日新聞】    http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110513k0000m040098000c.html
 福島第1原発:構内のグラウンドからプルトニウムを検出
  東京電力は12日、福島第1原発の構内にあるグラウンドから、毒性の強い放射性物質のプルトニウムを検出したと発表した。検出されたのは、プルトニウム238、同239、同240。東電はいずれも今回の事故によって放出された物質とみているが、土壌1キロあたりの濃度は同238の0.11ベクレルが最大だったため、過去の大気圏核実験で日本に降ったものと同等のレベルにとどまり、人体への影響はないと説明している。
 同239と同240の濃度は、土壌1キロあたり0.046ベクレルだった。東電によると、3月21日以降に週2回測定している値からの大きな変化はない。【久野華代】

【関連記事】
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Posted by やんばちゃん at 21:51Comments(2)原発関連

2011年05月12日

基本高水検証まとめ、6月半ばに延期


 昨日、14時~17時まで、びっしりと休憩時間もなしの討議が行われました。
 以前にも、お伝え致しましたが、この「日本学術会議 土木工学・建築学委員会 河川流出モデル・基本高水評価検討委員会分科会」(委員長:小池俊雄東大教授)は、八ッ場ダム建設の根拠となっている利根川の最大流量(基本高水)を検証する会議です。
 1947年(昭和22)年のカスリーン台風並みの雨を想定した場合に、毎秒22000立方メートルとされている治水基準点・伊勢崎市八斗島の最大流量について、過大流量である等の疑義がありました。
 そこで、同分科会が国交省から依託され、検証しているものです。

 第7回目の昨日は、かねてよりの懸案事項だった委員会側要請、の国交省側からの資料提出がようやく提出され、膨大な資料の説明も行われました。
 その二つの資料は、
  ①資料11 「昭和33年9月洪水、昭和34年8月洪水の再現性の検討について」
  ②資料12 「昭和22年9月洪水の雨量について」

 これらの提出を受けて、小池俊雄委員長は、終了後のぶらさがり会見でも、「これで、ようやく道具がそろった」として、今後はこのツールをもとに、算出方法も決定したので、急速に検証が進められると顔をほころばせていられました。
 また、委員長以下委員会のメンバーも、これまでの試案をもとに分野ごとにまとめられた案を発表されていました。どなたも連休中に大変だったようでしたが、国交省側の主な説明役の泊さんも、連休はもちろん返上されたらしく、印刷直前まで作業にあたったけれど、どうしても「資料12 昭和22年9月洪水の雨量について」の末尾の資料の一つのデーター掲示が不確実なので割愛。間に合わなかったとのべていられました。
 
 しかし、以前より詐欺用日程のメドとして、5月下旬にの間の検証作業のまとめを公表との意向でしたが、小池委員長は、前回の第6回の席で、算出方法の変更が決定されたことを受け、必然的に半月ほど遅れて、6月中旬ごろとなる見込みと報告されてました。最低限、もう2回は必要で「基本高水の新たな計算手法の検討を慎重に行うため」と説明していられましたが、ただし、 ①6月下旬に幹事会。
 ②7月の幹事会では「終息させたい」
 とのタイムリミットがあるので、そうそう時間も採れないことも添えていられました。
   
 なお、「昭和22年のカスリーン台風時の雨量データーはあるけれど、流量はない」のだそうです。が、「時間雨量は貴重な資料。できるだけ生のまま使った方が良い」との基本的なご意見をお持ちでした。
 ために、この日、国交省側が提示した計算方式は、時間雨量を日雨量にマルめ(※「マルめる」というのは? 専門的かつ通称語であるらしい)たものなので、「方法が悪いというのではないが」ということを大前提として、このあたりを巡っての疑問が、田中丸委員と小池委員長から出されていました。これに対して、谷誠委員からは「必ずしもマルめることが悪いわけではない」との意見も繰り出されていました。
 伺っていると、真理の道とは、極めて険しい山々を手探りで歩むような、微妙な見解のせめぎ合いのようにも感じられました。
 
 おもしろいやらほっとするやらは、終了後、後ろの席の水問題のご先輩の方の処に近づいてきたある知識人の、「先生」と呼ばれる方が開口一番、「どうだったい。全然わからねぇや」とおっしゃるではありませんか。思わず、後ろを向いて同意の笑顔をみせてしまいましたけれど……
 前回もどこの者の方か東京本社らしい新聞記者たちの後を歩いていましたら、「何が何だかわかんねぇ」と本音に接したことがありました。ご専門の方たちも決め手に困惑されているのですから、門外漢には本当に理解できない難しさがあるようです。
 基本高水問題は、この間、どうにも肌合いに合わなくて避け続けておりましたので解らなくて当たり前と心づもりしているのですが、「門前の小僧、習わぬ経を読む」式に、、第4回目より参加させてもらって四回目。それでも、検証の輪郭と雨量関連の研究分野の概要がほんの少し、なぞれるような面持ちになりました。で、定刻に遅れずに入れたこともあるのでしょうが、昨日の3時間の長会議にもめげずに夢中で聞き耳をたてていられました。
 何はともあれ、今後の基本高水の指針となる会議ですので、委員の先生方の英知と総力を結集されて「真理の探究」に基づいてのまとめとなられることを祈ってやみません。
   


Posted by やんばちゃん at 14:34Comments(0)報告

2011年05月11日

春の山菜づくしのわが八ッ場

【5/11 その三】

【どちらも戴きものの、八ッ場のコゴミと新潟県の豪雪地帯のコゴミ。さて、どちらが八ッ場のものでしょうか?  ヒントは拙文中にあり】

....................................
 以下は、ある会報に連載中の拙文の転載です。この間の本欄での記述事項との重複はご寛容のほどを

   ーーー八ッ場 癒しの風俗詩 ーーー       
     第九回 災害復旧費にダム費を充当してみたら
 人が去り山野は崩されようとも、自然界の春は時を違わず、揺れ動く人間界の思惑には何らおかまいなしにめぐりきます。
しかし、昨今の八ッ場の春は、どことなく華やぎにかけるのは否めません。
 その一因には、春の喜びを待ちかねる人界の圧倒的な少なさにもよるのかも知れません。外部からの観光客の訪れは無論のこと、転出していく人々が後をたたず村落共同体の維持さえも覚束なくなった現実が作用しているようです。
 新緑の吾妻渓谷の国道沿いは例年ですと、車の渋滞と散策する人々によってもたらされる独特の喧騒感に充ち、観光地としての面目に足るそれなりのものがありましたが、今年の連休は、止まる車も少なく閑散としていたとか……
 最後まで残っていた滝見橋際の蕎麦屋さんも、ついに移転。コンクリートの礎石のみが残る今春は、とりわけヒンヤリとしたもの寂しさが漂っています。
 これで渓谷入口から川原湯温泉駅まで人家がなくなってしまいました。
 さらに新付替え国道が開通したために草津方面の車が素通りしてしまうことにもまた拍車をかけられ、これでは川原湯温泉はすたれてしまいかねません。
 ……けれど、この結末もまた、いかに国策に協力しての仕方なしの成り行きとはいえ、建設推進体制に呼応し連動してきた、水没地の選択に他なりません。
 
 さて通例、八ッ場の春は、大ぶりの黄緑色のフキノトウの芽吹きに始まり、瑞々しいことこの上なしの田ゼリが、水田の畔際に生えだしてきます。
 山野に一人静やカタクリが咲き出すとほどなく、春の山菜の王者とされるタラの芽が芽吹き、雑木林の中には一重の山吹きの花が楚々とした風情で咲き出します。周辺の山々は、急速に木々の新芽が萌えだし、緑の濃淡の色相の妙と点在する山桜の薄紅は、春の喜びの沸点にいざなってくれます。
 道々の若葉の上に「見て見て」とばかりにせり出すように垂れて咲く山吹の色が目を射るような強い色調となる頃には、奥山の川筋には天然ワサビの葉もツヤを増して、ひっそりと清々しい小さな白い花をつけます。春のほんの一時の食材として、花は天ぷら等に、葉ワサビは漬物などに珍重される味です。
 まもなく一帯は早くも春の最盛期を迎え、ワラビやコゴミの季節となり行きます。過日、採ったばかりというコゴミを頂戴。八ッ場のコゴミは、新潟の豪雪地帯が故郷という方から戴いたコゴミとは異なり柔らかく淡々としています。
 5月初旬、大きくなった田ゼリは味も大味になる上に、虫がつき出してしまうので、県内都市部では一口に「5月ゼリはバカが食う」との警鐘語が伝えられてますが、寒冷地の長野原町ではまだ食せます。でも五月半ば過ぎは田植え時。田ゼリは耕運機にかき回され、来春までの別れとなる運命に。で、数日前、最後のセリと心得て採集した次第です。

 もちろん、自然の摂理にのっとり季節を違えないとされる自然界にも、微妙な変化はあり、大規模工事にさらされ続けている八ッ場の山野には劇的な変化がもたらされ、まず弱い山野草は消滅。フキノトウ一つにしても昨年の自生場所に心弾ませて訪れると、コンクリートの下に消えてしまっていたりで……。  
 ましてや、未曾有の大震災に揺れ続けた今春は、心行くまで自然界に接するゆとりもなく、春の名残りに近づきつつある今頃になって遅まきながらのつかの間の、それもセカセカとした触れあいにならざるをえませんでした。

 ところで、治水・利水の大義名分を振りかざし、その地の自然になじみ一体化となって営々と築き上げてきた住民の生活権など、何のその的に建設され続けてきた数多くのダム群。
 本来は災害に備えてのはずであったのに、今般の3月11日の東日本大震災で福島県須賀川市の老朽化した藤沼ダムは、地震直後に決壊。8人の死者・行方不明者が出たのでした。事故の事実が地震直後にチラリと報道されただけで原発問題にかすんでましたが、昨今またクローズアップされ出しています。灌漑用の低いダムとの由ですが(高さ15m以上をダムと称す)、「これは、人災だ」との声があります。
 八ッ場ダム建設予定地上流の(ダム建設の為に造られたとされている)中和施設「品木ダム・湯の湖」には、今や大量のヒ素が堆積しているというのは周知のことです。もしも、ダム完成後に決壊でもすれば、大惨事を招きます。
 「温泉にヒ素はつきもの」で、そのまま白砂川→吾妻川→利根川と流れさせ、太平洋に注いでいれば問題はなかったのでした。さらに、大規模ダムは地震を誘発するとの専門家の意見もあり、栗駒山の北東域が震源だった3年前の岩手・宮城内陸地震の時にも、荒砥沢ダムとの関連性が指摘されてました。

 巨額の税金を費やして、無用というより先々危険極まりなく問題性のあるダムを進めるより、ここで全て凍結。安全性の再検討をと叫びたくなる所以です。
 加えて今や、焦眉の急的な国民的課題として災害復旧費の念出が急浮上中。
税や電気料金のアップよりも、とりあえず「2011年度ダム予算2400億円」等を充当して貰った方が、家計の切り盛りに追われている私たちにとってベターなのにと想われてならない、そんな繰り言がかすめる今年の春の一日です。
                     


Posted by やんばちゃん at 09:51Comments(4)八ッ場だより

2011年05月11日

3号機問題(四) 「300度超」への小出裕章さん見解

 【5/11 その二】 
 さらに小出裕章さんは5月10日 、「3号機300度超は異常な状態 」と述べています。
 2011年5月10日(火)、MBS(毎日放送)ラジオの番組「たね蒔きジャーナル」に、前回、5/4についで、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演され、次のような見解を述べています。
 温度に関する記述のみ転載します。前後は、以下のサイトをご覧ください。

  小出裕章(京大助教) 非公式まとめ 
  京大原子炉実験所助教   小出裕章氏による情報
  http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/10/tanemaki-may10/

   .....略.....
・(リスナーからの質問。3号機の圧力容器の温度が毎日上昇しているが大丈夫か?)私も不思議だと思ってデータを見てきた。東電の発表は後に訂正されることがあるから、今回も間違いであればいいとは思うが、圧力容器の温度は333度になっている。
・(4月末は80度代だったが300度超になった要因は?)よく分からないが、測定器が正しいのであれば冷却に失敗している証明。外から水を送る配管に破れがあって水がきちんと入っていない心配がある。東電もそれを疑って、別の配管にする予定と報道されている。
・(何度になるといけないのか?)運転中であっても280〜300度。それが今回300度を超えているというのは、異常な状態になっているということ。
・(温度を下げるために新たな配管をつくって冷やす?)と、東電は言っている
       ....以下、略.......
  


Posted by やんばちゃん at 06:06Comments(0)原発関連

2011年05月11日

3号機問題(三)・産経新聞転載

 黒煙の上がる、およそ5時間前の報道ですが、産経新聞では、8日には「原子炉圧力容器の容器上部で206度」と報道しています。この報道が、先のメールにおける数値がでてきた根拠と思われます。

 なお、次に別掲にしますが、
 小出裕章さんは「運転中であっても280〜300度。それが今回300度を超えているというのは、異常な状態になっているということ」と、ラジオ番組の中で語られています。

 ................................
 【2011.5.8 19:51  産経新聞】
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110508/dst11050819580014-n1.htm
 【放射能漏れ】
3号機の圧力容器温度が大幅上昇 底に燃料落下?
【産経新聞から転載  自衛隊ヘリから撮影した福島第1原発。(手前から)1号機、2号機、3号機、4号機=4月26日(防衛省提供)】
 
 福島第1原発3号機で、燃料を入れた原子炉圧力容器の温度が大幅な上昇傾向を示し、8日には容器上部で206度に達した。
 東京電力は、差し迫った危険はないとの見方だが「燃料が崩れて(圧力容器の)底に落ちた可能性も否定できない」として、温度の監視を強め原因を分析している。
 4月末、圧力容器上部の温度は80度台で推移。多少の上下はあるが比較的安定していた。
 5月に入り上昇傾向が顕著になったため、東電は4日、圧力容器への注水量を毎時7トンから9トンに増やした。しかし上昇は収まらず、5日朝には144度に。さらに7日夜には202度に跳ね上がり、その後も“高止まり”の状況だ。圧力容器下部の温度も上昇傾向を示している。
 東電は既に、3号機の燃料は約30%損傷したとの推定を示しているが、ここにきて燃料が圧力容器の底に落下したとすれば、過熱が進み、溶融が再度起きた可能性がある
  


Posted by やんばちゃん at 00:55Comments(0)原発関連

2011年05月10日

昨日の黒煙は「ベント」作業によるもの?

 
【過日、家の周りの草退治をした際に撮った、八重の山吹の花。今日の雨に打たれて色あせてしまいましたのて、今春の名残的に】

 昨晩は、去る5/5にお伝えした 「憲法を守る市民の会」の小出裕章(京大原子炉実験所助手)さんのビデオ上映会でした。
 主催者の方のお話では、今までにない新顔の方たちが多くてよかったとのことでした。今や、原発問題は世代も立場も超えて自分の問題としての意識に基づいての、まさしく国民的課題となったことをしみじみ実感した次第です。
 加えて、本欄を観てとの方もいらして、うれしかったです。で、転載は当方の一存でしてしまって事前にお断りしてなかったので、別段問題性のあるわけではありませんが、慌てて事後承諾の一言に及んだものでした。
 
 小出さんの2本目の要旨は、今後の予想について「まだまだ終息しているわけではなく、予断を許さない状況」とのことでした。それを受けて、主催者の締めの言葉に「明日からは雨になるそうですので、気をつけてください」的な言葉添えがあり、そこだけ妙に覚えていました。
 そして、今日は午後から本当にかなりの雨。軽い気持ちで笠をもたずに近場へ自転車での所用の帰途、通り雨的に急激にふってきた雨に濡れた上に、雨が上がったので安心して戸外に出て夕方から暗くなるまで、手探りでクリーン作戦の花の植え付け等に追われる過程で、時折りおちてくる小雨程度の雨ながら、結構、濡れてしまった次第です。苗を抜いてしまってあるから、早く植えなければならないのです。
 先程、一段落して次のメールを拝読。
 昨晩の「3号機黒煙問題」の関連か? として、ある方が参考までに入れてくださっていたのでしたが、文中の「雨への対策」の記述を読んで、別段もう若くはないのだし心配することもないじゃないかと揶揄されそうだけれど、よりによって今日はずいぶん濡れてしまったなと、ちょっぴり自重気味の呈です。

 (※転載の転載のようです)
 ..........................
 昨日5月8日の深夜0時ころから
 福島第一原発でベントが行われました。
 ベントというのは、原発の内圧を下げるために、ふたを開けて中にある放射能および放射性物質を外に出してしまう作業です。
 このベントについては、事前の告知がほとんど無かったのですが福島第一原発のLIVE中継を見ていた人がネットに報告したことでわかりました。
 LIVE中継では、どんな状況だったのかといいますとまず白煙が上がり、その後黒煙が上がったということです。
 放出というより爆発のように見えたという報告もあります。
 そして、ベントの結果、放射性物質が大気中に飛び散ったわけですが今回の放出分は、風にのって海の方に流されていったようです。
 昨日の全国各地の放射能測定値を調べてもほとんど上がっていません。
 ただ、今後気を付けなければいけないのは太平洋上にある放射性物質を含んだ雲が東からの風に流されて戻ってくる時です。
 太平洋上で雨になって落ちてしまえば大丈夫なのですが雲のまま戻ってきて陸地で雨が降ったら、その土地に放射性物質が降り注ぎます。
 これは場合によっては、関西や四国や九州、そして沖縄にまで届く可能性があるということです。
 そのため、今後数日は日本全国どこにいたとしても雨に当たらないように気を付けることをオススメします。
 福島から遠くなればなるほど確率は下がるわけですが遠くにいたとしても、可能性としてはゼロではありません。
★ 参考:福島第一原発LIVE中継
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=FptmoVcgpqg
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Posted by やんばちゃん at 22:31Comments(1)原発関連

2011年05月09日

3号機で黒煙

 続いて、なぜか、未だにマスコミが追取材しないという、福島第1原発3号機の黒煙問題についてです。
 以下の送信されてきたメールを転載させて戴きます。
【涼やかな、奥山の葉ワサビの写真です。熊出没地帯で撮りました。花は天ぷらや刺身のツマに。茎はしょうゆ漬けにすると、トビキリの美味】





【2011年5月9日 14時1分 メール】
 重大なニュースを転送します。5月8日午前1時すぎ、異常な高温(206℃)を示していた福島3号機(プルサーマル燃料装荷)で重大な異変が発生した模様です。以下のブログから映像が遮断されるまでの写真をご覧下さい。 〇〇より
 ※問題の映像は、末尾のお二人のブログ中にあり 
 Begin forwarded message:

From: 風の森のRyu
Date: 2011年5月9日 13:08:38:JST
To: no-genpatsu@googlegroups.com
Subject: [no-genpatsu] 3号機黒煙爆発か?
Reply-To: no-genpatsu@googlegroups.com

8日未明、爆発したようである。

山梨出身の井口和基博士のブログ
http://quasimoto.exblog.jp/14745357/
暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/

プルトニウム等の飛散予報は、台湾気象庁で確認できます。
時差1時間ですから、分かりやすいです。
  


Posted by やんばちゃん at 23:50Comments(2)原発関連

2011年05月09日

日米、モンゴルに核処分場計画

 なんと、日本の経済産業省と米国・エネルギー省と共同で、昨年秋から「使用済み核燃料などの世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていることがわかった」との記事が、今朝の毎日新聞一面トップで報道されました。
 直ちに、ここ10年以上もの間、モンゴルの子供たちの支援活動をしてきている知人の処に、何らの抗議活動をしなくていいのかと電話しようと思いたちましたが、まだ早朝ですので……
 そのうちに、テレビ朝日の新聞一覧的な番組中で紹介されてました。 毎日新聞のスクープだそうでした。

 これは明らかに「差別構造」的発想です。
 しかも、経済大国の米国と日本が、勝手に処理施設もないままに原発開発行為を行っておいて、後のしりぬぐいを、比較的後進国のモンゴルの豊かな自然界にもちこむなんて、許しがたいことです。
 かつて、日本の経済活動基盤のの弱い寒村に、アメとムチで、原発施設をもちこんだあの手法を今度は、国際的に広げるなんて、許しがたいことです。

 思わず、怒りで、上州オバさんの血がカッカと。
 こういう時は、鎮静剤的に穏やかでクールな写真を。
 熊の出るような奥山の谷川に咲いている、ワサビの花たちです。

 続いて、「関連記事あり」との三面を見ると、すでに施設好捕予定地の建物群の写真があります。
 また、第2記事の中では、以下の記述がありましたので転載してみます。 しかし、本当に、「核なき世界」を望んでいるとは思えません……よね。
 《日米モンゴル3カ国による核廃棄物の貯蔵・処分場建設を巡る極秘交渉は、原子力ビジネス拡大のほか、核不拡散体制を実質的に整備したい、「核なき世界」を掲げる米政権の思惑も絡んでいる》。
 
 

 モンゴルの皆さん、目覚めてください。あの大自然は世界の宝です。
 核廃絶は、人類普遍の願いです。 
 東電を筆頭とした各電力会社関係者と同じく経済産業省の役人(いずれもOBiも含む)の過去にさかのぼった責任問題を問いたい気持ちです。 
 本気で、核処理施設をつくりたいのなら、原発全廃を決定してから、絶滅処理施設の準備をすべきです。そして、自分の国のゴミは自国内で始末するのが常識ではないでしょうか。 
 極論・暴論を吐けば、日本においては、国会周辺とか皇居トカッテいうのはどうですか? アメリカには広大な領土があり、かつて、核実験は平気でおこなってきたではありませんか。
 
 菅総理、よもや認めはしないでしょうね。
 なすべきことは、前政権の企画した、「米国とのなれ合い政治」を一つづつでも打破する道のはずです。

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 なお、残念ですが、記事全文は、毎日新聞の無料サイトにはないので、見出しのみの紹介となります。
 【2011年5月9日 毎日新聞一面トップ】 
 モンゴルに核処分場計画
  日米、昨秋から交渉
   見返りに原発技術支援


  ①【2011年5月9日 毎日新聞三面トップ】 
  廃墟の村 原発の夢
   モンゴル核処分場計画
     ②【2011年5月9日 毎日新聞三面中央】 
     再処理狙う新興国封じ 
        米 「核なき世界」へ思惑
         国際施設設置で主導権
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Posted by やんばちゃん at 15:18Comments(7)原発関連