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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2011年05月15日

カニがいました!

 
 これ、沢ガニです。
 八ッ場で二度目にお目にかかった沢ガニです。久森の水田地帯の沢カニは、絶滅したと思射続けてきました。
 そして、これは他の区域の、まだ比較的開発が進まず、汚染度の少ない場所で遭遇したものです。
 11年間に2回ですから、今度お目にかかれるのはいつか、果たして、3回目があるのか、ないのか……
 世界的規模での地球破壊とともに進行してきた様々な汚染。そして、決定打的な今般の核の恐怖。私たちの世代が消えた果ての先々の世界を想定すると、悲観的にならざるを得ませんね。

 ※次の田植えの記述は切り離し、。独立させました。


  


Posted by やんばちゃん at 21:03Comments(0)八ッ場だより

2011年05月15日

なんと八ッ場にも、クレソンはあった!


 昨日の後半部です。
 Wさん宅のガレージ跡から母屋に至る場所、何か池のような窪みがありました。さの前の堀わりにセリがいっぱい生えていて、その緑のマッスに引きつけられてしまったのでした。で、実は向かって右手の木立の奥のもう一軒の屋敷跡に向かっていた足を方向転換して直進、その後は木立の中のお社が目について、左手に回ってしまって、結局、右手奥の屋敷跡には行けなかったのでしたけれど。 
  偶然、お目にかかったWさんに、山里の優雅な暮らしぶりに惹かれてしまったことと、セリのことを伝え、「いいですね。水辺が屋敷内にあるのは」と添えると、「セリなんか、いっぺえあるよ。あそこへ行ってみな」と指さしてくださいました。
 移転場所には、湧水のある場所はないそうです。飲み水に苦労した昔は、どこの村にもお宅にもそれなりのこんな水の調達の歴史があったのでした。
 
 教えてもらって、直ちに勇んで歩きかけてみましたが、Wさんが道路に止めておかれた軽トラを、ご自分の屋敷内に乗り入れられるのを目にとらえたので、邪魔になっては悪いから、戻って車を移動して、その荒地付近にまで乗り入れました。
 付替え国道の下方の斜面にあたり、やはり湧水がチョロチヨロとでているので、セリや山フキが自生していました。そして、なんと、その「セリ」とは、クレソンのことなのでした。
 軽い、カルチャーショックでした。
 長野原町には田ぜりはあっても、クレソンはないものと思い込んでいたのでした。記しますように、クレソンには格段の思い入れがあるのでした。
 ご覧ください。まるで緑のじゅうたん。 間ぁ、カーペットくらいかも。
 もう花が咲いていました。もう少し早ければ…… 
 写真の右の芽吹きは、もちろんタラの芽。下方の緑の群落がクレソンです。こんな茂みがあちこちに。タラの芽はほとんどが採取ずみでしたが、この一本は晩熟だったらしく残ってましたが、ここのは何とトげなしの改良品。おそらく、地域の方たちの春のお楽しみの一つと拝察。
 先に述べた創始者の方の本にも、ありましたがタラの芽の最盛期に採りいれた品種の流れなのでしょう。
 もちろん、あちこちにイノシシの出没の形跡がありました。おそらく熊さんもお出ましになるかも…… 
 
 クレソンへの根強い思い入れ
 ところで、少なからずクレソンには思い入れがあるのです。
 高崎市近郊では、田ゼリのことをせり。クレソンのことは水ゼリと呼んでました。
 子供の頃は、近場の川筋にもいっぱい生えて、春先になると洗濯のついでに、主婦たちはそれを鎌でいっぱいかりとってきて、ゆでたり油で痛めてお惣菜としてたっぷり食べたものでした。これと油揚げのおツユで食べるウドンは、食べ物の少なかった昭和30年代のその頃、今も舌によみがえる旨かったものでした。
 でも、西洋料理の添えとなるクレソンのこととは知らず、20代の頃になって、NHKテレビの朝の番組で「山梨県地方で、恒例のクレソンの摘み取りが始まりました」との映像には、あのなつかしい水ゼリが映っているではありませんか。どうみてもあれは水ゼリ。ここで、認識を変えた次第です。そして、当時、デパートの山菜売り場で目にしたタラの芽と同じく、得難いもののように感じだしたのでした。
 でも、もうすでに哀しいかな、わが家周辺のクレソンはもう水が汚れているため、食べられなくなっていたのでした。農薬の普及とともに上流の町に大きなプロっク工場ができて、川筋はことごとく汚染されてしまいました。ハヤなどの清流に棲む小魚がまず消え、ト゜ジョウもも死滅してしまっていました。
 子供の頃からドジョウ採りが、好きで憂さのハラシ場であったらしい母親は洗濯ものの汚れとともに、「水ぜりまで汚れていて……」と嘆いていて、声音がよみがえります。
 田ゼリはほぼ消滅。さがしだすのには至難の技でした。で、ここ何年間も八ッ場で撮らせて戴いたセリを根ごと採ってきてしまったものは、敷地内に植えておいています。
 同じく、繁殖力の強いクレソンながら、よほど水がきれいでないと、さすがに食せず、これはほんの数本ならともかく自宅での水栽培も無理でした。

 数年前のある時、八ッ場にむかう道筋の榛名山中の人家の尽きるあたりの山里の、水のきれいな川べりになつかしいクレソンを発見。小躍りして、摘ませてもらいました。
 明治の頃、日本に入った外来種のクレソンは繁殖力が極めてあり、川筋を伝わって全国に拡がったわけでしたが、このあたりが北限なのかと、自己解釈。
 そこで、生態系の破壊につながるのではと気にしながらも、八ッ場への道すがら、ここ2~3年来、そのやや上流の渓水のある場所に近場の川筋から摘んでいっては、幾度となく投げ込んでおいたものでした。でも、一度として根付いてくれていなかったのでした。
 実は、本日も性懲りなく、今年初のクレソン移植を、試みた次第です。
 出がけにひらめいて、近場の汚い堀にいっぱい生えていた、さすかに泥は厭なので切り取ったクレソンを、榛名山中の道沿いの淀みにおいて見たのでした。ご存知のようにクレソンには、ヒゲ根がいっぱいあるのです。
 今回は、榛名の道沿いでムリなのだから、八ッ場では根づきっこない。それに大事な八ッ場の川筋に、遺物に近い外来種のクレソンを入れて、生態系をおかしくしたくないとの思いもすくなからず交錯して、八ッ場までは持っていかなかったのでした。
 でも、長野原町よりも、榛名湖周辺の温度の報が低いのです。

  なぜ、おそるおそる疑問をもちながらも、そんな行為を試みたかと言うと、
 昔のように大量に油いためで食べてみたいし、近所のお年寄りにもなつかしい味を食べさせたい思いもありました。今では誰もが目をつけたらしくだいぶ出回ってきましたが、クレソンはフリーマーケットで大人気で、需要がありました。
 だから、八ッ場の皆さんにも地場産業的な要素もあると思えました。
 沢筋の水を用いてのワサビとクレソンの栽培。この思いつきは我ながら町場の草分けではないかなと自負している次第です。そうそう、亡き父も、晩年、ドジョウの養殖を口にしていたことがありましっけ。

 その頃、榛名山への道々、休耕田のある場所に来ると徐行してみたり、八ッ場のある方にも「クレソンを栽培できる水のあるところのチッチャな田んぼを貸してくださる方いらっしゃらないかしらね」と伝えたこともあったと記憶しています。 八ッ場のきれいな沢水なら、きっと良いクレソンが育ち、寒くても真夏なら大丈夫だろうし…… 里でダメな時に芽生えてくれると。
 自然の生態系を乱す、罪の意識におびえながらも、数度にわたり持参。投げ入れてみたものでした。
 
 なお前回、今月初めの夕暮れ、久森沢で田ゼリを洗っていて、少し上流の茂みに分け入ったら、その淀みにクレソンが……
 一瞬、目を疑いましたが確かにクレソンです。さらに上流のある場所はきおくしていたのでしたけれど…… ここには置いたっけなと記憶が定かでなくなってしまいました。もう、花が咲いていて、たまり水でしたのでどことなく汚れていて、摘む気にはなれました。ただ不思議な想いだけは残っていました。

 はからずも、初めてお目にかかったWさんのおかげで、認識と通念が覆り、こんなにいっぱいの宝庫に出くわしたのでした。
 花がさいて、虫につつかれてもいたので最初はためらいましたけれど、帰途際にやはりと少し、刈り取って、横壁のXさん宅へ。今日もお留守でした。で、勝手ながら、また庭先の端を通って、洗い場で、このクレソンを洗わさせていた抱いてました。
 洗い終わって腰をあげたところに皆さん、戻って見えました。田植えらしく親戚の方たちもご一緒でした。なんと、今日でいち早く終わったとのことでした。長野原町で一番手?
 留守中に勝手に使わさせて戴いたお礼と能詐欺用が終わったことへの祝い語を述べながら、「しらなかったんですけれど、クレソンがあの山の中にあったんですよ」と反対側の集落を指さしつつ、「花が咲いているけれど柔らかいから、少し食べますか」さしだしかけると、Y子さんは「いいよ。うちの清水の処にもあるから」と。「ええ、あったんですか」と。そして、「花が咲いてもまだ大丈夫だよ」と教えてくださいました。

  虚をつかれた感じです。
  吾妻町では目にしましたけれど、これだけ通っていて、あちこちの川筋にも分け入っていたのに、今まで目にしたことがなかったのでした。
  年間最大の大変な農作業の田植えでお疲れですから、それ以上はうかがわず、早々に辞去してまいりましたが、どのくらい前から自生していたのでしょうか?
  当方が、八ッ場の川筋に投げ込んだのは、たかだかここ数年間。
  この日、Wさんが教えてくださった林地域の自生地は、いくらものすごく増えるクレソンといえども、2年や3年ではないでしょう。
  
 ともかく、幻のクレソンではありませんでした。
 かくして、〇十年に及ぶ、わがクレソン物語です。
  これからが楽しみです。八ッ場のきれいな無尽蔵に近い、クレソンとの格闘の始まりです。
  


Posted by やんばちゃん at 10:56Comments(0)八ッ場だより