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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年03月31日

田中康夫さんの日記に、またも拙著紹介が

 3/16付、「拙著、国会で田中康夫さんが紹介してくださいました」に、「前橋人」さんが先ほど、コメントとして二つの最新情報をお寄せくださいました。
 すでに日数も経てまして、16日の欄にお返事を書かせて戴いても、「前橋人」さんご自身でさえもお気づきになられないのではないかと考えまして、以下にご指摘の情報を転載させていただき、お返事にかえさせて戴きます。

 「東京ペログリ日記」は「週刊 SPA!」に長く掲載されているんですよね。私も16日のご質問のあと、田中さんの関連記事として、「もしかして」と拝読。その時は、まだ載っていませんでした。早速、明日、求めに行きます。
 「前橋人」さん、ご紹介くださいまして、ありがとうございました。
 そして、田中康夫さん、またものご紹介。本当にありがとうございました。しかも、末尾につたない本欄のご紹介まで、添えてくださいまして…… 感謝です。
 
 また、16日の本欄にも国土交通委員会のサイトは記させて戴きましたが、このように田中さんの部分をコンパクトにまとめてある場面をご紹介いただけて助かりました。
 
 実は、このような浅くかつ私的な内容の羅列に近い、本欄の扱いはどうかなと考えつつ、まあ3月は何とか精勤し、来月4月~ 必要なことのみで少し休載しようかなとも心づもりしていたのでした。が、このようなご支援を頂戴しますと、書く内容をもう少し整理し、精度アップしつつ、続けさせていただくことにと思いなおしております。
 「前橋人」様、時を得たうれしいお便り、というよりご適切な配慮のほど、本当にありがとうございました。

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① 田中康夫氏の「東京ペログリ日記リターン」に、御書読後記が
   http://spa.fusosha.co.jp/spa0004/number00010077.php
      Posted by 前橋人 at 2010年03月31日 20:30

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② 田中氏が質問に立った場面はこちらから            ↓
  http://love-nippon.com/2010_kokudo.htm
     Posted by 前橋人 at 2010年03月31日 20:36
......................................
 「東京ペログリ日記リターン」[284]3月30日号3月9日(火)~3月14日(日)

3月10日(水)
 県立尼崎病院の東洋医学科で診察を受ける予定なるも、一緒に赴く筈のW嬢が風邪で急遽中止。終日、千鳥ヶ淵の自室で読書&執筆。「ダム屋」なる利権屋の存在を詳述した鈴木郁子女史の「新版・八ツ場ダム」を通読。
 「水没地のあちらこちらの辺鄙な場所に、同じような家々が点在しているのを不思議に感じ」、「怒りを覚えて足繁く調べ」、「その数、4地区で凡そ41」。「どの家もよくぞこんな場所にと思える場所に二間半×三間位の10坪足らずの家々であった。殆ど無住」。「登記簿の謄本には神奈川県籍が多かった」と記す彼女は更に、「分譲の手引きをしたのは東京の株式会社『ほうぜい』なる会社とその関連グループ」。「『ほうぜい』の社長は政治団体『法税研究会』の会長。地元の山林地主でダム建設推進の要職にあったH氏との交流が取り沙汰」と明かす。
 「1984年辺りから水没予定地の山林を坪5千円位で買い占め、伐採、整地して宅地に造成」。「延べ約8万m2に及んだ」。「1件当たり1万m2以上の伐採は知事の許可が要るが、それ以下で転売した為に、届け出だけで済んだ」。「都市計画区域にも入っていない為、家も勝手に建てられ、50m2以下なら建築許可証も要らない」。「東京・神奈川辺りの客に坪4~5万円で売った」。「補償価格は山林よりも宅地の方が遙かに良い」。「八ツ場ダムの補償基準額は、山林の最下級の4等級で、坪当たり7900円」。「宅地になれば、同じく4等級なら坪14万2800円」。「最下級で売却しても利潤は出る。助成金やその補償も出る」。
 いやぁ、凄いでしょ。直轄事業と呼ばれる国営ダム建設、補助事業と呼ばれる県営ダム建設、その何れの場合も事業費の約7割を、正確には72・5%を国が負担。ニャので、地元負担は3割弱に過ぎぬダム事業こそは美味しい公共事業、と知事就任直後に守旧派県議会議員が唱和。
 ホンマかいな、と訝って調査すると、成る程、その按分比率自体は確かに御名答。が、豈図らんや、事業費の8割は東京や大阪に本社を構えるスーパーゼネコン、即ちゼネラルコントラクター=総合建設業の大手土木建設会社に支払われる事実も判明。詰まり、3割負担の地元には2割還元に留まるって訳よ。だから、巨大なクレーンが林立しても、孫請け、ひ孫請けを含めた地元経済は一向に離陸が難しい。そりゃ、そうだ、大化の改新の租庸調の如く、中央に巻き上げられる寸法。
 その意味では、地元とは無縁の実態無き「ダム屋」に補償金が還流するのも、同じ構図。「作家による『政治と金』の貴重な記録」と題して碩学の伊東光晴氏は「毎日新聞」に寄稿した書評で、「ダム予定地に補償目当てで家を建て、交渉に当たる連中であるダム屋の背後には政治家の影が有る」。「必ず土建業者と地方政治家が居る」と看破する。  


Posted by やんばちゃん at 22:57Comments(0)八ッ場だより

2010年03月30日

八ッ場に、春の訪れ 

10時 県情報公開室に行き、コピーで8枚の資料をもらった。
担当者の方とも特定ダム対策課の窓口の方とも、すでに顔なじみ。
その帰途、郵便局で印紙を6920円分買ってきて、半月ほど延び延びになっていた6通の開示請求の申込み手続きを、ようやく関東地方整備局へ送付した。
 資料の開示請求を送付したのは去る1月初旬。再度、文書名を特定して1通に300円の印紙を貼って送付。以来、丸3カ月以上。こちらのご担当の方とも、すでに声なじみ。関東地整では、CDでの要望の方が手間がかからないとのこと。
 これだけ期日のかかる開示請求は必要になってからでは、間に合わない。事前に採っておかなければならないとは思っても、どこが核心なのか漠然としてしてしまうのはいなめない。しかも、今回もおそらく墨塗りデーターであろう。
 それにしても、6文書で合計約一万円という経費も痛い。しかもこれだけではまだ終わらない。
 今回、3/9付の申込み書が届いてから、実際にまだ先でいいやと忘れてしまったこともあるが、直ちに手続きできずに、うっちゃっておいたのは、恥ずかしながら今月はなにやかやともの入りで、印紙代金の不如意にあった。ようやく、昨日、振り込まれたものがあって、本日、求められたのが真相である。

 でも、一つのことを終えた安ど感から、気持ちがスッキリ。
 同じくあるネックになっていたことも、事のついでに全て片づけてしまいたいが、次は、すでに3時過ぎ。でも、明日は葬儀ごとがほぼ同一時間帯に二つある。思い切って渋川市へ飛ぶ。それにまたも八ッ場にいきたくて、気持ちがウズウズ。
 ここでで4時近い。八ッ場へ行こうかどうか、迷う。
 では吾妻町まで行って、気がかりな同種の雑用をクリアしてしまおう。でも吾妻町まで行けば、長野原町までは約40分弱。
 結局、5時ちょっと過ぎに八ッ場着。
 実はXさん家のお米が欲しかったのだ。何度も記すが、清水に近い沢水で育ち、ハンデェで乾した米は、下手なこしひかりよりもうまい上に、安価だ。
 Xさんにはここの処、電話して頼んであっても、三度続けて会えない。
 今日も途中で電話。効果がないことはわかっていたが、三度目にルス電に入れた。
 ところが、夕方5時を回っているのに、直売所に車が2台あって、いたいた。リンゴ畑には煙があがっている。
 「いた、良かった~」と車を降りると、疲れ切った表情で大儀そうに、正面の建物からヨタヨタと何かを運んでくるXさんの姿が見えた。しばらく会わない間に、かなり年をとられた。
 「いた、いた」と言うだけで、まずは一発放たれる。「俺はねぇ、アンタのためにいるんじゃないからね。自分が来る時にいつも俺がいると思ったら、大間違いだよ」と繰り出されることがしばしば。
 慌てて、度数いっぱいのカメラの何枚かを消去して、両の手にバケツを下げたXさんの後を追ってリンゴ畑に入っていくと、手伝いのYさんが畑で火を燃やしていて、消火のための水を運んでいたらしい。無理はない。XさんもYさんも、二人とも80歳を超えているのだ。
 「良かった、今日はあえて。お米がなくて、もう」と言うと、Xさんは疲れているのだろうが「米なんか、ついてねえよ。アンタねぇ、そんなこと急に言われたってねえよ」とにべもない。
 「いいましたよ。もう、2週間も前にそろそろお願いしますって電話に入れておきましたよ」と言うが、「ねえもんはねえ」式にモゾモゾと言って、また水くみらしく建物の方に行ってしまった。
 火のそばに近づくと、あったかい。焚き木の温もりが心の中まで入ってくるようなあっかさであった。
 「うわぁ、あったかいですねぇ。でも、こんなにたくさんのオキ、風が吹くとあぶないですね」と思わず言うと、火もし役らしいYさんは「はぁ、水をかけるんだい」と言う。「今日はここんとこ、きれいにして、みんな燃やしたんだい」とおっしゃる。みると畑の中が
スッキリと片付いていて、何カ所か火を燃やした形跡があった。
 「それにしても、今年は寒いですね」と目の前の雪の山なみを目で追いながら、「去年の4/1にはあの高ジョッキに上ろうとしてしていたんですけれど、結局。雨もよいでダメだったけれど、確か雪はなかったですもの」と言うと、「夕べも雪がふった」とYさんは教えてくれた。
 いつまでも、火にあたっていたかった。が、暮色が迫っていた。Xさんのいる方に歩きかけ、「ジュ」という音に、後ろを振り返ると、Yさんはもう水をかけ出していた。もったいない気持ちがした。
 納屋に近づくと、米びつの底をはたいていた。どうやら、あるだけ分けてくださるらしい。この方の最初の否定語には慣れてきている。でも、いつも何とか、とりあえずの処置はしてくださる方なのだ。
 「少しでもいいですよ。また、後できますから。だって私、ここ何日か、お米食べてないんだもの」と言うと、初めて笑みを浮かべた。事実ここ数日間は、麺類やパンでしのいできたのである。今日は朝も昼食も、先月、Zさん宅で貰った米の粉=上新粉をたべていた。
 Zさんはくださる時に、「ご飯が無い時や間に合わない時には、これに熱湯をかけて、かき回すと飯の代わりになって便利だよ」と教えてくださった。
 で過去のある時の初体験で、お湯でとくのを知らずに水で溶いてしまって往生した苦い体験のある、その苦手な上新粉だけれど、最近はそうやって食べている。 
 結局、2㌔だけ、分けてもらった。残りの少量はXさんが「俺もねえんだい」と言って袋に詰めて自分の車に入れた。「それで足ります」と言うと、「な~に、すぐに搗かい」と言う。
 ちょっぴり、拙著、新版『八ッ場ダムー計画に振り回された57年』のうれしい反響を伝えると「そりゃ、良かった」と満面、相好をくずして喜んでくださった。
 「悪いことや張りの悪い話は聞かせねえでくれよ。ハァ、たくさんだい」と母と同じセリフを吐くこの方への、最大のおミヤゲはこういう朗報。一種のきつけ薬なのだ。 
 「そのうちにまたくるから、用意しておいてね」と頼み、疲労感の漂うXさんの顔色に、早く辞去した方が良いとふんで、「じゃ」と車に乗った。

 暮色のなか、「もう、誰かに採られてしまってないかな」と心急きながら、人家の途絶えた山間のフキのトウが自生している、とっておきの穴場、2カ所へ。長靴などの用意もせず、よそいきのはきものだったけれど、怖いなどとはおもわずに茂みに入ってみました。
 あった。あった、生まれたばかりの黄緑色のあえかな緑の何ともいえないフキのとうが芽吹いていました。もう開き切ったのもあれば、まだ固いつぼみのも。
 それにしても、ここ数年、私以外には誰も採らないのかしらねと。最初に目にした時は、伸びきってほうけてしまっていた。河川敷のような処だから、所有者は国? ともかく、個人の所有地でないことは明らかなので、罪の意識はないのだけれど……
 
 やっぱり、思い切って来てよかったと。
 フキのトウが芽吹いて、今年も八ッ場の春は動き出してくれる。
 今日はどこにもよらず、そのまま、帰途へ。 
 今夜は気持ちが、晴れ晴れするほどの満月の晩。
 まん丸の月は、長野原町を出る頃はもやがかかってとっても風情がありました。そして、少女期の淡々とした夢も潰えた中年女、ならず初老期の女性のちょっびりもの哀しさにも似てしんみり。古典に例えれば「更科日記」の世界のような感覚にしみじみ包まれてしまいました。
 この月は、帰路の道々、右手前方に輝き、時にはどうしてか左手になったりして、ずっとつきまとってくれて一緒。東村から伊香保温泉街に入った頃には、フロントガラスの真正面に煌々と。
 そうだ、阿仏尼の『十六夜日記』なるものあった。結局、10代の頃の夢の叶わなかった私は、題名だけでまともに学んだこともなく、このまま終わるのだろうなと思うと、胸につきあげてくるものがあった。  


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)八ッ場だより

2010年03月29日

八ッ場 ?復活の危惧あり

 本欄でも断片的にお伝えしてまいりましたが、昨今の前原さんの動きの雲行きがあやしくなって、“前原変節か”とまで、さやかれてしまつてます。
 末尾に新聞報道添付。
 
 「最近の状況を見ていますと、まさかとは思うのですが、八ッ場ダムの復活もまったくないとは言い切れないように危惧しています。それを阻止するためにも…略…」

 これは、去る26日に突然、「貴著を読ませていただきました」と題する私信メールを下さった方の、末尾のご文面。
 本欄はいろんなお立場の方が読んでくださっているようですので、お名前は控えさせていただきますが、さすがに私でもお名前を存じ上げている、ダム問題・河川工学関係のある高名な識者の方です。
 はるか高いご存在の方からのお便りに、いつものようにびっくりするとともに、感激は心身ともにいっぱいに広がったものでした。
  しかも、過日、別のある方に差し上げたお礼状の当方の文面もお読み戴いたとのこと。
 その私信には、去る3/19に記した「前原さんお彼岸です! お墓参りにきませんか」>(本欄 3/19付)の要約と、どうやらこの間の妙な動きの陰には、旧態依然とした国交省の思惑があるのではないかといううがった我流の思いを記してあったのです。
 ① なぜ、9/23 という「秋のお彼岸」を設定したのか。
 ② 今般のアンケート作成にかかわる裏側諸事情 
  などを踏まえて、さすがに手紙ですので端的に記しはしましたが……
  その上での、お手紙なのでした。
  それにしても、私ごときに懇切な文面で、お偉い方ほどエラぶらずに腰が低く、真の知識層とはこういう方たちなのだとあらためて実感し、さらに心が膨らんだものでした。
 
 識者の方も、想定内として憂えはじめた、昨今の前原大臣の迷走ぶり。
 もちろん、お考えがあっての一途期の手段的措置と私は信じていますが、本当に「前原さん着地点はまちがえないで!」(本欄 3/22付)と再度、申し上げたい!

///////////////////////////////
① 【2010年3月27日 毎日新聞】
  http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100327k0000m020113000c.html
   個所付け:国補助の5ダムにほぼ満額交付 国交省

② 【2010年3月26日 共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032601000643.html
  国交省が八ツ場ダム負担金請求 群馬県藤岡市に

③ 【2010年3月25日03時11分 読売新聞】
自治体ダムに補助金満額、国交省が見直し断念
 前原国土交通相が事業主体の自治体に再検証を求めた「補助ダム」について、国交省は24日、補助金を要求通り、ほぼ満額配分する方針を決めた。
補助ダムの全面的な見直しは、自治体の考えに配慮し、事実上、断念することになった。
2010年度の政府予算に、ダム建設費として2313億円が計上され、うち442億円が補助ダム分。
補助ダムには、国が事業費の原則50%を上限に補助金を出している。前原国交相は、内閣のダム見直し方針に沿って30道府県58か所の補助ダムの再検証を知事に要請したが、長野など5県が本体工事契約を締結。少なくとも23府県が38か所のダム事業で、満額補助を前提に新年度予算案を組んでいる。
補助金適正化法は、自治体から補助金の交付申請があった際、法令違反がないかなどを確認した上で、国に速やかな交付決定を求めており、国交省は「申請通り補助金を交付しないと、違法となる恐れがあると判断した」としている。
国交省は、八ッ場(やんば)ダム(群馬県)などの直轄ダムは、本体工事など新たな段階に進まないことを決めている。  


Posted by やんばちゃん at 23:51Comments(0)八ッ場だより

2010年03月28日

はからずも、八ッ場の工事関係者に遭遇

 真冬並みの寒い一日でした。
 「たかさき人情市」に出店。この日の人出は低調で、過去のベスト3にはいるでしょう。
 まあ、出がけに今回は食べられるものが少ないとばかりにニラやフキを伐採して駆けつけ、またも定刻すぎのシンガリでした
から、早いお客は帰る時間帯なのだから、ムリはないけれど……
 数日来のハードな農作業と、25日に東京での甥の卒業式に行って、雨の中の2時間にも及ぶ大行列に並んだのがたたって、身体はがたがた。この寒さはこたえました。その上、花粉症でただれた目もとを隠すためのメガネを畑でみうしなってないので、なんとなく、人前に立つのは気恥ずかしい。勢いよくとはいきませんでした。
 ついに昼過ぎには雨に。
 「雨が降っては露天商はてきぬ」とばかりに、早々に引き揚げました。

 さて、今回は金額の張るものがなく、出がけに不意につんだ拙著ももしかして……に期して、昼近くに端のほうにそっと並べてみました。
 すると、この日、2番目の高額消費者であった、一袋100円の野菜類を4種類も買ってくださった初老の男性が、その方すみの拙著に目を走らせたのでした。
 そして、「えぇ。八ッ場ダム?」と口にして、次に「おばさんは賛成かい。反対かい。それが問題だ」と言う。「もちろん、終始一貫反対です」と言う。「オラ、賛成だい」とくりだす。賛成なはず、、「八ッ場の仕事をずいぶんしたい」と言うのです。といっても、設計面らしいのですが…… 
 そこへ、わが近所のご夫婦がみえて、「な~に、〇〇ちゃん。こんなことしているん」と大仰に言われ、ビオラとスミレを買ってくださったので、余儀なく、話は中断。この方はいつのまにか立ち去った。
 二か月連続して一つも売れず、満開となった2鉢150円のビオラがこの日、どういうわけか完売に近く、その残りものの2鉢を100円で買ってくださったのでした。 (このビオラは先年秋、講習会へ行き、種から撒いたので愛着があって、あまり売りたくはなく、二つ残ったそれは持ち帰ろうと心づもりしていた矢先でした。黄色や白・紫など5色の色どりが華やかなので、地味な花ばかりのわが店頭では目を引いたのかもしれません)

 周囲を見回し、先の男性をさがしたら、まだ斜め前の店頭にいらっしゃった。あわてて飛んでいき、しつこいようだが、詳しいお話をと聞かせて欲しいと懇願。拒否され「はあ、いいよ」とおっしゃるけれど、このような現場の方の話がもっとも真実を語ってくれる上に詳しいのだということを過去の体験で得ている。

 それにしてもだ、山のようなビタミン菜、モチ菜、ホーレンソウの山で売れたのは、6袋分。つまり先の男性と2人ということになる。菜の花の改良品とかいうモチ菜の花のつぼみを集めて、これで100円は格安なのにと思うけれど…… 
 こういう日は仕方なし。
 夕刻に車から降ろしつつため息がでる。どうやって処分しようかと。
 有機に近いものであることは近所だから知っていて、だから安心して引き受けたのだけれど、ここのは完全無農薬ではないから、実家にもちこむわけには行かない。
 帰途、町の友人たちにわけてくれば良かったけれど……、実は朝からもし早めにあがれれば、間に合うかもという、ある時間に急かれる所用があったのだ。ために時間に急かれて、帰り仕度は雨の中、どこに何をつんだかメチャクチャ。考えたら、肝心の野菜類は大きな木箱に放りこんで、一番下済み。その上に鉢ものを積みあげてあった。
 
 実は近所の片手間農家のV子さんが、ここ連日、大量に菜っ葉類をおすそわけしてくれるので、問うと、ジャガイモを植え付けるのでトラクターをかけなければならず、困っているという。で、「このまま刈り取るのももったいなくて。だから、お礼なんか考えないでね」とのこと。
 で、ちょっと閃いて拝見しに、畑に一緒にお邪魔。つぼみになったのもあるけれど、三畝ほどのつややかな緑の野菜類は、まだ十分に食せ、残り物とはいえ、もったいことは一目瞭然。
 こV子さんも私も「もったいない」がわかる世代なのである。
 で、「じゃあ、私が、今度の日曜日に売らせてもらってみようか」とやす請け合い。
 雨の二日間を経て、早朝より終日、空っ風の中で、格闘。足腰ガタガタになって、夕方というよりも、夜になっても翌朝も、の作業であった。
 摘み取った後の茎や抜き取った根の始末。摘み取った菜の山はその後、枯れ葉などを除去して整理。おびただしい時間を費やした。その売り上げが600円なり。
 張り切って「売れたら、半額あげます」と申し添えると、「いいよ、いいよ。畑の整理をしてもらえたんだから。私にはもう大ごとでできないんだから」とはおっしゃってくださったけれど……
 区の総会も他の幾つかのイベントもあったのに…… まだ、小銭を計算していないけれど、これではテナント料もでないだろう。
 
 極力、八ッ場の農産物を売るようにしてきた。
 そこから、ダム問題のつぎ穂が出来るからである。市民層の理解を得ることが底辺の層を厚くすることにつながりうるものと考えている。
 メインの八ッ場の原木しいたけは、今月は一軒のお宅はもう品切れ。原木は天候に左右されようである。
 もう一軒のは、同じく日曜日には、長野原町内の浅間園でイベントがあり、そこで頼まれているので、量的にわけられるかどうかわかないけれど、何とかする。でも、出かける前に電話して欲しいとのことであった。
 春先の売りものの一つだったのはフキノトウ。
 ところがこれまた、フキの栽培農家のWさん宅では、工事用道路にあたってしぶしぶ移転せざるを得なかった。屋敷の跡地と周辺の広大な畑地(八ッ場では)は全て、大規模工事に見舞われてしまって一面の工事現場。昨年、「これが最後になるよ」と上質のフキのトウを分けてもらった。それに、温暖化で年々、何もかも早く芽吹くとはいっても、まだ、早すぎる。
 結局、出がけ前に打診すると、「悪いけれど、今回はムリだい」とのことで、私にとっては金額のはるしいたけを仕入れなくて良かったし、先の菜っ葉類は元手もタダ同然のものだから、今回は良かった。
 それに、こういう露天商は売り方の意気ごみがものを言う。
 今日の私は、連日の疲労がたたって、寒さにふるえ、初めて、ニラのこしらえなどは車の中でこなしていたほどで、限られた少ない客足だけれども、誰も買ってあげようという気持ちも失せてしまうだろうな。
 でも、本当に身体が弱ってきたことは自覚している。
 半年ほど前までは、集めてきた販売品を整理して、袋に詰めたり計量。明け方までかかって、ポップ広告を作成したりできたけれど、現在、その力と意気込みはなくなってしまっている。   


Posted by やんばちゃん at 23:51Comments(0)八ッ場だより

2010年03月27日

?ここはどこでしょう その② 梅もタンポポも

 



 八ッ場のある風景です。
 梅の古木の中ほどの洞に、タンポポとスミレが一緒に咲きます。
 たびたびその道は通っていたのに気がつかず、七年前ほど前に発見。すかさず、カメラに納めました。
 
 ところがです。
 この写真を含む7年前の春の風景約600枚ほどの写真を、メーカーの指示に従いつつ、パソコンでCDに収めたまでは良かったのでしたが、なんと、それは「ショートカット」。後日、確かめてみたら映像はうかび上がらず、愕然。時すでに遅し。専門家が教えてくれたのだからとの安心感で、SDカードはクリアしてしまっていました。ションボリガックリ。今でも悔しさが募ります。
 案内してくれたあるカメラメーカーの女性社員を恨んでも仕方なし。直後に映像を確かめれば良かったけれど……。以後、不慣れな感じの声音の案内人には、身構えてしまう。出来なければ詳しく無ければ止めて欲しいもの。
 
 そこには、東電に迂回して松谷発電所に流れ行く、手前にある鍛冶屋沢貯水池に、「クマが出る」と脅されながら、八重葎をかき分けて独り、入跡未踏の川原に滑り降りて撮影した貴重な写真があったのに、全てパアー。今でも、吾妻川の水の流れを追わなければとの使命感のみに突き動かされて、怖々の単独行の、ドキドキ感を思い出します。
 それでも、拙著の発刊間際で、東電の迂回する水の流れの代表的な写真は一枚づつでも現像しておいたので、掲載できました。《新版 16ページの「実際は東京電力に流れている、吾妻川の水》を参照ください。
 再訪したくても、松谷周辺は大規模工事で,立ち入り禁止。たいていの立ち入り禁止区域でも、平気でかいくぐってきたのですが、ここだけは忠実に守っています。7年前の怖さが尾を引いているのかも。
 私の探訪場所の三大恐怖場面の一つなのです。

 でも、急を要さなかったこの古木のタンポポとスミレの写真は、全滅。
 1年に一遍の開花期です。
 ところが、どういうわけか翌春は、この場所に行くことがなく、気がついても行けず。 そうこうするうちに、大規模工事が始まってしまって、いつ伐採されるかわからず、翌春まであるかどうか、本当に気がもめました。
 でも、お蔭さまで、周辺一帯は様変わりしているのに、この古木は現在もまだ無事にあります。どうか、永遠に伐採されませんように。
  
 さて、次の写真は、昨年2009年4月20日のもの。
 梅が咲いてます。スミレもタンポポも満開。実は、これ、細工してあるのです。でも、詳しくは内緒。どこが不自然なのか、お分かりになりますか?
 
 
 この待ちに待った風景に出合うと、どういうわけか思わず、「十日町小唄」を口ずさんでしまいます。母が好きだった歌であり、私が代表となった女性団体の出し物で、初めて着物姿で躍った曲だからかも知れませんけれど…… もはや、うろ覚えながら「越後名物数々あれど」で始まる、この唄の二番のみを。
   雪が消えたら
    越路の春は梅も桜も皆ひらく
       わしが心の花も咲く
      デモサ、デモ、ソウジャナイカ デモ、ソウジャナイカ
   
    ちなみに、雪が消えたら
   八ッ場の春は梅もスミレも皆ひらき ダムもストップだよ
  とでも、唄いたいものです。そうそう、川端康成の『古都』にも似通う、描写がありましたね。  


Posted by やんばちゃん at 22:02Comments(0)八ッ場だより

2010年03月26日

八ッ場のクマタカ、現在7つがい

 まず、一昨日に続き、荒瀬ダムのその後の情報を。
 【2010年03月26日 熊本日日新聞】
http://kumanichi.com/news/local/main/20100326001.shtm
  県営荒瀬ダム、水門全開は4月11日 

 そして、本日のわが八ッ場は、朝日新聞でクマタカのことを掲載されています。
 なお、このイヌワシ・クマタカの情報は、私も去る一月に、
 京都のロシナンテ社が発行している「市民・住民運動の交流」をめざす月刊誌の年一月号、「月刊 むすぶ」№468 に「八ッ場のイヌワシ 保護作戦ならぬ、全滅作戦か」なる一文を記させていただきました。
 その折の取材時に、八ッ場ダム工事事務所の担当者は、「イヌワシは14年間、営巣はなし。その代わり、クマタカは増えています」との答えたものであった。
 その前月号には ヒ素問題についての「ご存じですか? 八ッ場ダム上流の危ない水事情」を書かせていただきました。
 関東地方ではなじみのない雑誌ですが、例によって背景を詳述していますので、新聞報道と併せて、お読み戴けますと幸いです。なお、私の手元にも頒布用の予備があります。

 /////////////////////////////
 【2010年03月26日 朝日新聞群馬版、トップ 白黒写真 2葉添付】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581003260001
  八ッ場ダム予定地 クマタカ7組確認
 絶滅危惧種 国交省報告書に  
 18回繁殖 「工事で低下懸念も」

 (※本紙の写真は白黒で残念なのですが、サイトはカラー。鮮やかな木々の緑を背景に、クマタカの色調が良くわかります)  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2010年03月25日

倉渕ダム中止、了承

本日の上毛新聞トップ記事です。
各紙に報道されています。
早朝、出がけにみたのですが、7時すぎないと無料サイトにはのらないので、水源連メールに報告のみいれて、外出したしだいです。終日、雨にふられて寒々の一日でした。
 文中にもありますように、この公共事業再評価委は、八ッ場は続行としています。

//////////////////////////
 【2010年3月25日 上毛新聞一面トップ 経過年表あり】
  http://www.jomo-news.co.jp/news/a/25/news01.htm
  県公共事業再評価委が倉渕ダム中止を了承
 民間有識者らでつくる第三者機関の県公共事業再評価委員会は24日、2003年12月から凍結している倉渕ダム建設事業について、県が示した「中止」の方針を了承した。同ダムに参画する高崎市の別水源を確保する見通しがついたためで、県は今後、河川法に基づく整備計画の変更など中止手続きを進める。一方、八ツ場ダム関連の道路改築1事業と水道3事業に関しては、代替水源の確保は困難だとする県と藤岡市の「継続」方針を了承した。

 倉渕ダムは烏川の洪水調節と高崎市の水道水確保のため、県が旧倉渕村内に計画した多目的ダム。県は財政状況や水需要の伸び悩みから事業を凍結、高崎市がダム完成を前提とした暫定水利権で烏川から取水している水道水を確保する別の手段を協議してきた。
 県側は再評価委で中止理由について、県が保有する矢木沢ダム(みなかみ町)の水利権を高崎市に配分することで、高崎市の水道水を確保できるめどが立ったことを説明。洪水調節だけを目的にダムを建設すると費用対効果が継続基準を下回るとし、代替策として烏川沿いで堤防がない地域の堤防整備などを進める方針を示した。
 八ツ場ダム関連で再評価対象となった水道事業は①県央5市町に水道用水を供給している「県央第2水道」②東毛7市町の84社に工業用水を供給している「東毛工業用水道」③藤岡市の給水量の56・5%を賄っている「藤岡市上水道」-で、いずれも八ツ場ダムの暫定水利権を使っている。
 県と藤岡市はダム完成による水利権の安定化の必要性などを挙げて「継続」方針を説明。「八ツ場ダムの利水開発量は倉渕ダムの90倍で代替水源の確保は困難だ。治水面の代替案も国から示されていない」と倉渕ダムとの違いを強調した。
 県の川滝弘之県土整備部長は「委員会の意見を尊重して県の対応方針を(正式に)決定したい」と話した。松浦幸雄高崎市長は倉渕ダムについて「暫定水利権の安定化が図られるのであれば建設中止を受け入れたい。今後の対応は県と十分に協議していきたい」とコメントした。

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【2010年3月25日 朝日新聞群馬版】
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001003250004
  倉渕ダム中止へ
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【2010年3月25日 読売新聞群馬版】
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100325-OYT8T00027.htm
  凍結の倉渕ダム正式中止へ
    県公共事業再評価委が答申

//////////////////////////
【2010年3月25日 毎日新聞群馬版】
 http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100325ddlk10010146000c.html
 倉渕ダム建設:県公共事業再評価委が中止答申 高崎市の水需要が伸びず 
//////////////////////////
【2010年3月25日 東京新聞群馬版】
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100325/CK2010032502000112.html
 前知事凍結 倉渕ダム建設中止へ 『費用対効果が低下』
//////////////////////////
【2010年3月25日 産経新聞群馬版】
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/100325/gnm1003250235000-n1.htm
倉渕ダム中止を再評価委員会が答申 大沢知事「答申を尊重」   


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2010年03月24日

ダム関連問題、本日の全国の動き

本日24日現在の全国のダム問題の動きをお伝えします。

まずは、熊本県の荒瀬ダム問題。
熊本日々新聞の記事です。本質的な解決へ、また一歩進展です。
【3月24日 熊本日日新聞】
 http://kumanichi.com/news/local/main/20100324004.shtml
 荒瀬ダム発電関連の減額予算案を可決 県議会
【2010年03月24日 熊本日日新聞】
 http://kumanichi.com/news/local/main/20100324002.shtml
 荒瀬ダム発電継続を知事断念 きょう表明

次は、吉野川可動堰問題の朗報を伝える二紙です。
こちらは全面解決のようです。
①【2010/3/24 10:12 徳島新聞】
第十堰可動堰化を否定 国交相、保全軸に検討
 前原誠司国土交通相は23日、2000年1月の徳島市の住民投票を
受け、白紙状態となっている吉野川第十堰(ぜき)の可動堰化計画につ
いて市民団体のメンバーらと会談、「(可動堰は)選択肢にない」と述
べ、建設しない考えを表明した。

 前原氏は、約260年前に造られ、改修を重ねて使われてきた第十堰
の保全を軸に今後、流域住民の意見を反映させる委員会を設置し治水対
策を検討する方針も示した。
 国交省の大臣室で行われた会談には、市民団体側から吉野川シンポジ
ウム実行委員会の姫野雅義代表世話人ら9人が出席した。
 会談後、記者会見した姫野氏によると、前原氏は国交省の有識者会議
で検討している「できるだけダムに頼らない治水」の方針に沿って対策
を検討すると表明、国交省が持つ治水情報を提供する考えも明らかにし
た。
 さらに「第十堰は川の流れを邪魔していない。しかし、どの程度傷ん
でいるのか、治水の代替案をどうするのかを科学的にやらなければいけ
ない」とも述べ、早期に調査を始め、河川整備計画に盛り込みたいとの
意向を示したという。
 前原氏は23日午前の記者会見で、可動堰計画について「川全体の治
水をどのように考えていくかを含めて検討したい」と述べ、包括的に見
直す考えを示していた。
 姫野氏は「大事なポイントでかなり具体的で、明快な話が出たと思
う。長かったが流域の人たちの意思表示が国に届いた。今後は国交相の
方針が反映され、早い段階で委員会が設置できるよう働き掛けたい」と
語った。
 吉野川第十堰の可動堰化計画 吉野川河口から約14キロ上流にある
固定堰が、治水上の支障になるとして取り壊し、その下流約1・2キロ
地点に新たな可動堰を設ける計画。2000年1月に徳島市の住民投票
で建設反対が9割に上り、当時の与党3党合意で「白紙」となった。0
9年8月に国が策定した吉野川水系河川整備計画には第十堰対策は盛り
込まれなかった。10年1月、仙谷由人国家戦略相が「復活はありえな
い」と可動堰計画の中止を明言。前原国交相は09年10月に「政権と
しての見解は今後詰めていく」と説明していた。
~~~~~~~~~~~~~~
②【3月24日9時2分配信 読売新聞】
吉野川第十堰、国交相が「可動化中止」明言

 吉野川・第十堰(ぜき)の可動堰化計画について、国が
「白紙」としたままになっている問題で、地元住民団体メンバーらが2
3日、前原国土交通相を訪ねて第十堰の保全などを要望。
 メンバーは同省で記者会見し、「大臣は『(可動堰化は)選択肢にな
い』と中止を明言した。住民投票から10年。これで可動堰化は完全に
なくなった」と笑顔で報告。「今後は堰をどう保全するかだ」と、新た
な課題に取り組む意欲を見せた。
 同問題は、国の可動堰化計画が2000年1月、徳島市の住民投票で
反対多数となり、「白紙」とされたが、国交省は05年、吉野川河川整
備基本方針などで可動堰化の可能性を否定せず、現在の堰をどうする
か、宙に浮いた状態が続いた。今年1月には仙谷国家戦略相が、「(可
動堰化は)ありえない」と復活を否定した。
 前原国交相に要望したのは、住民投票から10年を記念したシンポジ
ウムを開いたNPO法人「吉野川シンポジウム実行委会」の姫野雅義代
表世話人ら住民団体のメンバー9人。この日、東京都の中央合同庁舎で
非公開で面会。▽第十堰の保全存続▽保全に向けた住民参加型の検討委
員会の設置――などを求めた。
 メンバーらは会見で、「前原国交相は何度も『(可動堰化は)ありえ
ない』と言い、『保全に向けた調査を行う』との発言もあった。中止に
なったと受け止めた」と晴れ晴れとした表情で報告した。
 姫野代表世話人は「ここまでずいぶん長かった。国が決めたことに1
0何年も反対し続け、ようやく国に届いた。市民も吉野川が身近で大事
という感覚になった。決して無駄じゃなかった」と喜んだ。第十堰の近
くに住むNPO法人「吉野川みんなの会」理事の山下信良さんは「前原
大臣は『住民の方と思いは一緒です』と何度も口にした」と満足そうに
話した。
 姫野代表世話人は、前原国交相が、保全を前提に、治水面での科学的
データが不十分だとして今後調査を行うことや、住民参加で情報を公開
する検討委設置に前向きだったとも報告。「住民がかかわっていく、全
国のモデルケースにできれば。どんどん提言したい」と期待していた。

そして、わが八ッ場ダム。
まだまだ「どこまで続く、ぬかるみぞ」の感です。
報道記事はあいもかわらぬ根老舗旅館廃業問題です。一の事柄が決意されるまでには種々の要因があるものでしょうに……
【2010年03月24日 朝日新聞群馬県版トップ 写真二葉】
  国信じ、振り回され
  http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581003240001

ことのついでに。この廃業問題はこの間上毛、東京新聞にも掲載されていました。
読売  3/23 4面 「政治の現場」の政権半年5 「八ッ場中止」地元を翻弄
読売群馬版  3/16 
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100316-OYT1T00589.htm
  八ッ場の老舗旅館休業へ、ダム中止表明後初

また、
 【2010年03月24日 上毛新聞21面
 東京近郊の大学生ら「八ッ場」周辺を見学
 「下流の無関心さ 実感」  


Posted by やんばちゃん at 22:49Comments(0)報告

2010年03月23日

?ここはどこでしょう その①


 皆さま、本日は記事がおもいつきません。
 それに、かなり不特定多数の方が、綿密念入りにチェックしてるとの情報もありまして、言いたい放題の記事にもさすがに、少しセーブしなければとも思わざるもえなくなってきています。
 そうなると、「帯に短しタスキに流し」的な面持ちで、焦点が定まりません。
 そこで不定期で、この間、八ッ場地内で、撮りためた(殆どが使い物にならない)数千枚の写真の中から、四季折々の場所をご紹介してみます。なお、場所を宛ててみてくださいませんか。
 (撮影したばかりのは、容量の関係でアップできないのですか゜、L版に現像した写真をプリンターから取り込んで行うのはできるのです。なお、「うまろぐ」さんからは未だ、連絡なし)
 
 第一回目は、とっても働きものの大黒様。
 これはどこの風景でしょうか? 場所宛てクイズです。

 お分かりになった方、ご一報ください。
 八ッ場にちなんだ、?心ばかりの賞品をさしあげます。
 ①お名前がわかるのは嫌でしょうから、まずは本コメント欄にお知らせください。
 ②次に、当方がコメント欄に連絡先を記します。
 ③お手数でも、その当方の連絡先に、またご連絡ください。
 ④その後、お手元にお送りさせていだきます。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(0)八ッ場だより

2010年03月22日

前原さん着地点はまちがえないで! 朝日全国版

朝日新聞、全国版の記事の転載を。
今般の、1号橋建設について言及したものです。もう少し、裏事情を詳述されるものと期待していましたけれど。

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【2010年3月22日 朝日新聞社会面 30面 「湖面一号橋とダム予定地」のイラスト】
八ッ場から ダムが止まるまち
橋は架かるけれど 代替地の生活見えぬ将来像

 「被害者である住民の方々のお気持ちを反映し、建設を継続する決断をした」
 18日、前原誠司国土交通相が、八ッ場ダムの湖面1号橋について、建設を継続する考えを表明した。ダムができれば群馬県長野原町の川原湯と川原畑の2地区は水没する。
 1号橋は、その移転先として、国が吾妻川の右岸と左岸の山を切り開いて高台に造成した2ヶ所の代替地間を結ぶ橋だ。事業費は52億円に上る。
 継続が決まった夜、地元住民約20人が高山欣也町長を囲み、「祝杯」をあげた。高山町長自身、2008年秋に率先して代替地へ移った一人だ。「橋は継続、土地の買い上げもすべてやるそうです。高山町長の報告に、大きな拍手が起きた。
    移転希望が大半
 「ダム本体は中止するが、生活再建は続けるーー。橋は、町にとって前原国交相が「約束」を守るかどうかの試金石となっていた。
 一方、民主党群馬県連は、橋の凍結を前原国交相に提案していた。ダムを中止すれば代替地への移転の必要はなくなる。52億円を住民の雇用や町おこしに使った方が、より地元の生活再建につながるとの理由からだった。
 前原国交相は先月、2地区の全66世帯に代替地の移転を望むか、意向を調査した。すると、代替地への移転希望が52世帯。今の場所に残りたいと答えたのはわずか2世帯だけだった。
 今の土地を国に買い取ってもらい、移転先での生活再建の原資にしようーー。政権交代が現実味を帯び始めた昨夏、見込みを上回るペースで土地を手放す契約が進み、昨年10月には1年分の用地補償の予算が底をついた。「ダム中止を認めれば、国は土地を買ってくれなくなる」。そんな不安が住民には強かった。
 当面の懸案だった1号橋と土地買い取りのメドがつき、高山町長は「大臣は今の状況では『ダム中止』という振り上げたこぶしはおろせないだろうが、粛々と中止を撤回してくれればいい」
    最大の旅館が休業
          ーー以下、略ーーー
   
  観光構想見直し
          ーー以下、略ーーー  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)紹介

2010年03月21日

牧水・美酒の縁、そこはかとなく今に漂って

 昨日のボカボカ天気と打って変わって、荒れ模様の春の彼岸でした。
 処理できないほどのダム問題関連のことをかかえながら、その悪天候のなか、急きょ実家の弟たちの車に便乗して、旧中山道沿いにある長野県佐久市茂田井の「武重本家・酒蔵開放」のイベントにお邪魔させていただきました。上信道の車窓からは、黄砂に覆われつくしてどんよりとしたにび色の景色だけが拡がっていて、不気味な光景でした。
 
 例年、3月21日は、年に一度の最大のイベント「酒蔵開放」とのことです。今年で12回目。来場者数は1,200名もの愛飲者が訪れるとのことです。
 武重本家酒造株式会社  http://www.takeshige-honke.co.jp/index.html

 造り酒屋のシンボルとして知られている大振りの酒林のつるされた、時代劇にでもでてきそうな重厚な造りの門がまえを入ると、右手には昔の酒づくりの用具などと並んで、塀にそってウィンドウ越しに資料館がありました。
 そのガラス戸の中の展示物の一つ、箱膳の上にのった「若山牧水が愛用した徳利」というのが目につきました。祥瑞の染めつけのすっくりとした大振りの目の中に焼き付いてしまうほど形の良い徳利でした。脇に同じ模様の小皿が二つ。一つには塩が盛ってあって、塩を魚に飲んだ? らしいです。
 たひたび、武重家の旨酒に酔いしれていたらしい牧水。その歌碑は、門前の疎水脇、旧蔵の前にあります。
 
 お恥ずかしいながら、牧水の訪れた酒蔵との予備知識のひとつもなく、突然、お邪魔してしまった次第ですが、こちらの代表的な銘柄は、もちろん若山牧水にちなんでの「牧水」や「御園竹」のようでした。
 今年の春の新酒は、「御園竹」の“一押し新酒 春花見”と“大吟醸無濾過生酒”の2種。利き酒会場には、ランク別、辛口・甘口などの利き酒がズラリとありました。どれも、花粉症でたれさがった眼を見開かさせるほどの、存在感のあるお酒ばかりでした。ホームページに、
     「武重家住宅及び武重本家酒造」の建造物30棟は国の登録有形文化財です
               当社のお酒は文化財の中で造られています
 とあるように、江戸時代の建築という主家も酒蔵も全て文化財指定。江戸時代の建造物と説明書きが添えられていました。
 まず入口では、和服のとってもお似合いな素敵な女優さんと見まがうほど端麗なご容姿のご当主夫人、その夫人自ら、持ち帰りのできる利き酒用のおちょこの配布。蔵ではまだ高校生とかのご長男までも利き酒の接待。社員はもちろん、武重姓のご親戚や近隣の方々総出の心こもるきめ細やかな接待の数々でした。
  
 さて、牧水といえば、ご存じのように、わが八ッ場とも少なからずの縁があります。
 1918(大正7)年11月20日、信州の歌会に出るために中之条から軽井沢に向かう途中、立ち寄った牧水ほは馬車にゆられながら見た吾妻渓谷に魅了され、予定を変更して川原湯温泉に宿泊(翌朝は宿の不手際で馬車に間に合わず、歌会に遅れてしまうのですが)。吾妻の渓谷にいたく見せられ2年後の5月に、酒瓶片手にまた訪れているのです。
 そして、かのおそるべき想像力にて、ダム建設の話が起きる30年も前に、次の一文を記しているのです。
 
  「どうかこの渓間むの林がいつまでもこの寂と深みを湛へて、永久に茂っていて呉れることを心から祈るものである。
  ー略ーー若しこの流れを挟んだ森林が無くなるようなことでもあれば諸君が自慢して居るこの渓谷は水が涸れたより悲惨なものになるに決まってゐるのだ」ーー若山牧水『静かなる旅をゆきつつ・中編』より
  
 大勢の招待客に交じって試飲させてもらったいずれの銘柄も、酒にさほどの縁もないのに、おいしいお酒とわかる感動もので、受付で渡された利き酒ようのおちょこに、私でもたぶん、銘酒「牧水」を始め、数種類の旨酒を併せて3~4杯ほどは頂いてしまったほどでした。「牧水」だけでも、数種類並んでました。やっぱり大吟醸が最も美酒でした。本当に良い酒は百薬の長。
 旨いはずです。
 案内してもらった酒蔵の内部に掲げられた説明によれば、ご先代は戦中戦後も一貫して昔からの酒造りの伝統を死守してきたと記されていました。米は一俵三万円もするという山田錦を主に用いているそうです。守り続けられた伝統の技・きもと造りなのです。
 
 利き酒のつまみは、野沢菜の古漬けや紫蘇とレモンの風味の利いた若漬けの二種あり、食べ放題。甘酒や酒粕ゼリーなどもふるまってくださいました。また、母屋の縁側では庭園を眺めながらの抹茶のご接待までも。
 昼食には、近隣のお手伝いの方たちらしい方たちが打っていられた、仕込み水を使った手打ち蕎麦(有料)や蓼科牛のハンバーガーの出張販売もあり、ほろ酔い加減の舌にどれも、心地よい旨さでした。

 腹ごなしに、往時の中山道のたたずまいをしのばせる茂田井宿をそぞろ歩きしてみました。
 昔、皇女和宮も通ったそうで、望月宿と芦田宿との間に位置し、二つの宿に旅人が止まり切れない時の宿泊所となったので茂田井地区は「相の宿」と呼ばれてきたとのこと。屋並みがとってもゆかしく心引きつけられ、おのづと歩を進められてしまう風致地区です。
 この武重家の前の街道、往時の中山道の有様を彷彿させるゆるい坂道を、史跡「高札場」の矢印をたよりに突き進むと、元禄二年創業との大澤酒造さんの酒蔵群の建物があります。
 元庄屋さんとかで、垣根にそって掲げられた高札場の跡地の標識越しの庭園には、時代の変遷をかんじさせる大木の庭木類が蒼然としてそびえています。
 屋敷内に足を踏み入れさせて頂くと、酒蔵を改造したらしい入場無料の民俗資料館や「しなの山林美術館」もありました。
 美術館内にはなんと「八ッ場」と題された工事現場を抽象的に描いた洋画も展示されていた上に、本日の入館者名簿には、草津町のホテル関係者のお名前も記されていました。北軽井沢を超えれば長野県。牧水の昔から、西群馬の各地と信州には高崎・前橋周辺に住む者には伺い知れない交流があったのでした。
 
 帰宅後、インターネットを検索したら、なんと武重家は山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の撮影が、武重家の裏手の畑にセットがくまれ行われたとのことでした。
 それとも知らず、偶然にして、わが家の一行は、蔵元の長い土塀沿いに畑地の農道にまで足を踏み入れてみたのでした。裏手の墓地の立ち枯れた湾曲したままの松の大木の風情が何ともいえなかったものです。
 実は、拙著にも、山形県鶴岡市の月山ダムの派生事項から、妙な私見にて、この映画の製作課程と監督のことに触れてしまっていたのでした。

 不思議にも八ッ場とは縁もゆかりもない、ダム問題とかけは似れた旅日記を記すのは不謹慎かなと思っていたのに、酒とを愛し旅にあけくれた牧水の足跡の縁と軌跡の流れは、わが八ッ場ともそこはかとなく、それでいて連綿として続いていたのでした。  


Posted by やんばちゃん at 23:57Comments(0)紹介

2010年03月20日

春に備えて

 花粉症の季節、たけなわ。
 30年選手の重症患者です。
 作年末からの鼻水→くしゃみのお決まりコースを通過、ついに今年も、目元がふくれてただれ、水泡状態のままたれさがってしまって、岩さん模様の顔に。目もとが二重三重になってしまい、キューピーの目のようになって、何ともコッケイ。痒さに耐えかねてかくと、うすくなった皮膚からは血がでてしまう。肌はかさかさざらざら状態。目じりが切れて、涙がしみて、痛くてたまらぬ日が続いて、仕上がりコースになる。
 何よりも困るのが、頭が重くてどんよりと朦朧状態。思考力もなくなる。
 ふちの分厚い花粉用めがねをかけていると少しは手がいくのがまぬかれる。とともに、目もとのシワと腫れあがった目もとが隠れる。
  この顔で、人さまにあうのは何とも辛い。けれど、仕方なし。どこへ行くのもこの顔で……、今日も幾つか、外出ごとを終えた。

 帰るやいなやクリーン作戦で耕す休耕田の下準備にでかける。
 一帯に耕運機をかけてみらおうかとも考えたが、念のため、枯れたヒエやヨシの類を思い切り、むしりとると、昨夏、植えておいたアヤメたちが芽吹いている。枯れ草色の中で、スックリと立ち上がったその緑色が清々しい。となると、ここはトラクタターがけの除外区域。手仕事作業がまたふえた。
 あやまたずまた、春がくる。八ッ場のセリ積みが待っている。ようし、思い切ってこの枯れ草をきれいに取り去ってヤレ。そして、今年もセリ摘みにガンバルゾ。

 がんばりついでに久しく行っていない新聞報道一覧を。
 その日の関連記事をくまなく検索して、水源連メールに、地元の動きを記す駄文の解説を添えて「八ツ場ダム関連情報その〇〇回」として全国発信してきたが、昨年の秋口「送信不可」が続いてしまったことがある。全く入らないか入ったとしても90時間後などといったことが連続した。ついにダウン。
 そうこうするうちに、折りからのダム中止問題浮上。時間に急かれて復帰できなくなった。
 その遠因には、サイトの外に記事全文を載せていたので分量膨大。うまく改行されていなくて読みにくくなっていた。すると「サイト名のみ。あなたの解説ごとは要らないから、記事名のみスッキリのせて」との極めて率直なお言葉に接して、何かか崩れた。その方が、「サイトは消えるから全文載せろ」と教えてくれたのであった。
 もちろん、無いのもあれば、手打ちせざるを得ず、考えると、記事を整理して送信するという送信ごとに追われて、自分では記事の全てを読めずにすぎてしまうという本末転倒が続いていたのである。駄文を添えなくて、自分にとって何の意義があるのだろうかと、当然、考えた。現実に、今日まで物理的にも不可能な日々が続いてしまった。
 久しぶりに昔の杵柄を・といってもご忠告通り記事のみを。

////////////////////////////
① 【2010年03月20日 朝日新聞群馬版】
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581003200002
 本体工事費含む新年度予算可決 県議会 

② 【2010年03月20日 朝日新聞群馬版】
 http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581003200001
   生活再建の場所 8割代替地希望

③ 【2010年03月20日 読売新聞群馬版】
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20100319-OYT8T01273.htm
   湖面1号橋「必要」が多数
   地元アンケート「中止容認」は1世帯


④ 【2010年03月20日 毎日新聞群馬版】
  http://mainichi.jp/area/gunma/news/20100320ddlk10010207000c.html
   八ッ場ダム・流転の行方:「湖面1号橋」の対応アンケ、「必要」は38世帯 /群馬
      「計画見直し」4、「中止」1世帯
 
 ※上毛新聞 記事は二点あるが、サイトなし
 ⑤ 【2010年03月20日 上毛新聞一面 中央】
   県議会二月定例会    八ッ場ダム本体負担金  リベラル修正案 否決
 ⑥ 【2010年03月20日 上毛新聞 二面】
  八ッ場ダム生活再建で意向調査
   「1号橋」建設 9割近く要求
  


Posted by やんばちゃん at 22:59Comments(0)八ッ場だより

2010年03月19日

前原さんお彼岸です! お墓参りにきませんか

 一号橋建設という、前原大臣のまたものご英断に恐れおののき、関係者に状況把握をおこないました。
 聞けば、わが前原さんは(どっかの誰かにソックリで)人のいうことを聞かないご性格らしい。
 発表の前に、ある筋が「一号橋を造ったらダメだ」とおしかけたそうですが、聞く耳をもたれず、「もう、決めたことですから」の一点張りで押し切られた由。
 そうそう、「武士とやらに二言はなし」の例にならい、勤皇の志士・前原誠司は前言はひるがえさず。
 確かに恰好いい。最後までその意気で、「本体工事中止」の着手点をまちがえないでくださいと祈るしかない。描いた青写真通りに行くことを念じます。

 でも、時に振り替えることも必要ではないですか。
 恰好良さの美学をまもり貫くために、突き進みすぎないでください。
 大阪城落城の例ではありませんが、敵は深遠。用意周到に一号橋を造っておけば、もし、政権が変わった際には、ダム湖建設の大合唱が起きるのはお決まりコース。
 どっかの勝利の勝どきが今から聞こえてきます。現実に、今日の県会議最終日、大沢知事は「次は本体工事」と言い切ってます。電話した、複数の推進派の地元民の声も弾んでましたよ。
 もうこれ以上、断じて、大奥≒国交省にとりこまれないでください。
 
 さて、昨日から彼岸の入り。
 同じく、秋の彼岸、去る9月23日に初の八ッ場入りなさって、地元民の神経を逆なでしたとして、謝罪におよばれましたね。
 あの時、事前に地元に流れていた「よりによって、お中日にくるんだとさ」との声をキャッチして、僭越にも民主党筋にメールなどで申し上げました。
 「決まった日程はしょうがないけれど、せめて冒頭に日程の関係で申し訳ありませんくらいのお詫び語を繰り出した方がいいですよ」とまで。でも、届かなかったらしいですけれど。
 
 上州群馬は義理と人情の土地柄です。 こういった慣習はとりわけ、重んじるのです。
 特に自民党系の議員さんはこの日とばかりに、さりげなく仏前にお包みを置いて、公職選挙法の目を潜り抜けるとかの風聞です。かつて、居住区の先輩議員から、後援会筋の葬式には並みはずれた高額を包んで日頃の恩義に報いるものだとかの実体験を、私も伝授されたことがあり、唖然としたものです。まぁ、食べるにやっとで包む金銭など持ち合わせぬ者には、縁遠い世界ですけれど。
 進取の機運にとむ若手の多い民主党さんには、お彼岸などのこういうことを配慮いするブレーンはいなかったのでしょうか。
 ……それとも、国交省にやられたのかな。
 なぜ、この日に設営したのか不可思議です。通常は「まずい」と止めるべきだったでしょうに。
 (これまた僭越ながら、非情なようだけれど、八ッ場ダム工事事務所の人事一新も申しあげました。そんなことは手始めの当たり前のこと。それまで町の推進派とナアナアでやってきたんですよ。雲の上の大臣の遠い声よりも、日々接する昔の仲間の言うことには逆らえないじゃないですか)
 
 ところで前原さん、忙しいでしょうけれど、出来ればお彼岸中に、個人的に長野原町のお墓に詣でてみてはいかがでしょうか。今なら、一号橋の建設も用地補償もうけあってもらえて必要十分条件をちょっぴり充たした地元民は「前原もなかなか話がわかる」的に気をよくしているのですから。
 ここで、情も礼儀もわきまえた前原大臣を“売り”にしたらいかがでしょうか。
 そういう、デモンストレーションも大事。どっかの方たちはこの点、情に食い込むのが旨いですよ。
 
 でも、横壁高台に移転した村社・諏訪神社のまん前に、恐れ多くも移転した萩原家の豪壮なお墓には詣でないでください。効果あるかもしれないけれど、委員長さんも、“今や昔の委員長にあらず”、そのうちに面白い展開を見せてくれるはずです。
 時間的に駅近くの全水没地のどちらかの一つで、いいんですよ。
 花も線香も要りません。買うならスーパーの店頭のそれで可。
 ただし駅前で、さりげなくお墓の場所を尋ねることだけは忘れないでくださいね。それだけでマスコミは大沸騰。話題をまくこと必定。
 地元の方々も「前原っていうのは、若えのに偉えもんだな」にきっとなりますよ。
 
 八ッ場だけが大臣の守備範囲ではありませんが、新政権の試金石じゃありませんか。一点突破です。それこそ大臣の一存で出来ないのですかねぇ。  


Posted by やんばちゃん at 23:52Comments(0)八ッ場だより

2010年03月18日

一号橋建設ゴ―サイン。用地補償も再開

 今夕の速報です。
 一号橋工事を前原大臣が受け入れました。
 また、先ほど、長野原町へのいつもの電話でのお便りコースで、以下のことがわかりました。これまで「未契約」だった水没関係者に対しても、希望すれば、補償基準並みの補償額をしはらう旨の通達が、長野原町役場に届いたとのことです。
 水源連メールに入れた、当方の錯綜気味のメールです。

     詳細の確認はできないのですが、速報です。
    長野原町の水没地へ電話したところ、本日夕、国交省から町長に連絡がはいり
    滞っていた未契約者への補償金の支払いを再開する由。
     (恐らく、「湖面一号橋の建設決定」とともに入った連絡かと思います)
     ダム対策課長から、議員などの自宅へ電話が入ったそうです。
     全く、契約していなかった水没者も補償金支払いの対象の措置がはかられた
    ようです。
      (今晩、町のダム関係の要職は?飲み会とかで連絡とれず)
     どなたか、確認お願いします。

 続いて、一号橋関係の速報記事を転載させていただきます。
 希望者が多いということですが、それは当たり前のこと。提出日の先月22日に、現地に訪れた時の住民の生の声を聞きまして、本欄にも記しましたように、記名入り、しかも大きなゴシック文字。あのアンケートではいくら、前原大臣直行便でも、隣近所をおもんぱかって本当のことは書けないとの本音は、本当です。
 しかも、当事者の川原湯と川原畑のみの60軒余りでは当たり前。これが他の地域にひろげれば必ずしも、そうではなかったでしょう。どこが作成したのでしょうか。

 きまってるじゃん、どっかに。
  後日、事のついでに窓口となる八ッ場ダム工事事務所に「なんで、あんなに大きく個人名を記すんですか、あれでは圧力じゃないですか」と伝えましたが、率直なこの方は「そういうことになりますかね」と言い、「回答の分析は」と問うと、「集めるのは自分たちだけれど、あれは本省で集約です」とのことでした。

 してやられたかな、わが前原さん。
 まあ、前原さんの次の一手が打ち方がみものです。期待しましよう。
 
///////////////////////////////
 湖面橋の建設は継続 八ツ場ダムで国交相(2010/03/18 18:51共同通信) http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031801000882.html

 前原国交相は18日、八ツ場ダムの建設に伴う生活再建事業の一つで、凍結を検討していた「湖面1号橋」については「工事を継続すると判断した」と述べた。一方で、ダム本体建設の中止方針は維持するとした。国交省内で記者団に語った。  


Posted by やんばちゃん at 23:54Comments(0)八ッ場だより

2010年03月17日

県議会八ッ場ダム特別委員会傍聴

 県議会に傍聴に行きました。
 八ッ場ダム特別委員会、その最終会と冒頭の委員長あいさつにありました。
 メンバーは15名。そのうち、5名?ほどは、産業経済土木常任委員会の委員。
傍聴席におかれた委員会次第によれば、

 3 付託議案(第1号議案)の概要説明・内容説明
 4 付託議案(企業局関係)の概要説明・内容説明
 5 付託議案の質疑
 6 付議事件の質疑
 7 付託議案の討論・採決
 8 開会中継続審査(調査)特定事件の決定

 付託議案(第1号議案)とやらが、「お手元の資料」とか「議案書〇ページをご覧ください」とかで説明されるのだが、傍聴者には先の委員会次第の1枚のみだから、ようするに耳だけでの理解で、具体的に「一号議案の〇〇〇」の〇〇の部分を聞き逃した耳には、まさにチンプンカンプン。
 いかに立場が違うとはいえ、ダム推進派の委員の皆さんのご意見には「そのご認識はちがいますよ。事実はこうですよ」と繰り出したい場面が多々あり。でも、じっと我慢の子ならぬおばさんでいるしかない。
 特に水質問題の辺りはひどかった。幾人かが新聞記事を片手に「毒水」に言及。「〇〇記者っているかい」と記者席を見て、記事の中の現地民の証言に「本当に毒水って言ったンかい」などと問う場面まである始末。異口同音にヒ素があれば、とうに死んでいるとか吾妻川の水を飲んでいるけれど、大丈夫とのいつもながらの“おちょくり的論調語”。
 
 採決は全て可決。
 しかも、一号議案以外は、全員賛成。
 不思議なのは一号議案の時に、野党筋が割れたから、より混乱。これが八ッ場ダム問題の決着だと踏んでいたのだが、おかしくなってしまっている。野党筋はどうなっているのだろう。確執はなんとなく感じてきたが…… 私が味わっているのと同じカタチではないかと踏む。

 質問の多くは15日に委員会一行が、現地長野原執行部と話し合った事柄を踏まえての質問だった。トップバッターの萩原渉議員が、途中、副知事の召喚を要請。席を入れ替えるとのことで、しばし休憩に。
 で、目の前の県職員に、「その資料、ちょっと拝見できませんか」と問うと、「議事課に聞いてください」という。ガードがかたい。
聞けば、不可なのは目にみえている。可ならば、最初から席に配布されている。現実に参考人招致の時は、講師のレジメは貰えた。「後で聞いてみますけれど、最終的には情報公開採るしかないかもしれませんね」と引き下がった。が、「しかし、知事は県庁は県民のためにあるといいますけれど、議会は県民が最もないがしろにされていますよね。資料ももらえなず、録音記録はダメ。筆記するにも机なし。皆さんがお偉くなった時には、改善してくださいね」とたたみかけた。
 確かに職務に忠実なる、わが群馬県職員たちよと感心していたら、旨のプレートにはそう書いてなかったけれど、午後になって、水特法の下流都県の負担割合の資料を採りに行き提示するに及んで、彼らは特定ダム対策課関連の職員とわかり、さすがは特定ダム対策課筋よ、?悪名高き私に、おいそれとは見せないよなとと、今度は得心した。

 見せぬとなると、より見たくなるもの。
 しかも、終日、机なしの席で、身体をねじりながら委員席を見ながら、筆記していると手首が疲れてしまうし、身体も痛くなってくる。この日、真ん中で2分割し、記録したノートは19ページ。老化現象だから仕方なしとは思っても、なんでこんな隅で、オドオドとしなければならないのかといささか、腹立たしい。 当初は「傍聴させていただくだけで有り難い」的感覚であったが、慣れとはたくましいもの。
 
 で、おばさん組のずうずうしさで、羞恥心をかなぐり捨てて終了後、以下を議会事務局に申し出た。
 1、傍聴人にも、会場内に限った「レンタル形式」で良いから、資料と議案書を見せるなどの措置を講じてほしい。5人に1冊でも良い。
 2、筆記するしかないのだから、職員やマスコミ席と同じように机を設置できないか。

 2番はあっさり、「場所なし」とのこと。(……県民が主役ですぞ。でも、このおばさんは、しおらしい県民の域を超えているけれど)
 1番は、議事課は次第のみ作成で、資料の作成はしていないのでわからない。ではどこかと問うと、財政課が行う由。「財政課ですか?」と思わず念押し。(でも、資料の元は各担当課が作成するものだと思ったけれど」
 そして、議案書などは県民コーナーで販売しているという。これは驚嘆。「あら、群馬県ですごいんですね」とは言ったものの半信半疑。そりゃ、議事録の閲覧はこの間、ずいぶんコピーを撮らせてもらったけれども……

 早速、確認と情報公開の手続きに、県庁内2階の県民コーナーへ。
 受付で、議案書の販売場所を問うと、笑われた。
 過去の議事録は禁帯出で閲覧可。
 ただし、予算書は確かに販売していた。定価は1980円でほっとした。もっとすると思っていた。でも、買うほどの必要性もない。欲しいのは〇〇号議案でまかり通る、その議案の詳細。議員に配布される議案一式の中味。

 次に顔なじみとなった情報公開室の担当者の名前を伝え、呼んでもらった。彼はやすみでもう一人の職員さんが出てきてくれた。やはり、財政課は作成するだけで元は特定ダム課ではとなり、まずはそこへとなった。手配してもらって、同じく顔なじみの特定ダム対策課の職員さんがまず見えた。記事課の権限だろうとなり、問い合わせ。
 答えは、今後作成予定の記事録と一緒のものなのだが、切り離して資料のみならば、それは担当課の判断によるとのこと。「資料のみで、結構です」と添える。特定ダム課の方は瞬時、困惑顔で「協議させて欲しい」とおっしゃる。「それではそういうことでお願いしますむと立ち上がった。食い下がっても仕方なし。どうしても手にいれなければならないものとも違うし駐車場の時間もある。懇切に対応してくだされたこの方を怒らせても仕方ない。
 「開示請求の書類はもってますか?」とルールに基づく手順を情報公開の担当者が問うので、「持ってはいるけれど、開示か非開示か決まったらでいいわ。それに正しい正式名称、わからないから、むしろ〇〇さんの方で教えていただきたいし」と伝えて、普段は腰の重いおばさんにしては、めずらしくあっさりと足早に駐車場に。超過の負担金額は少なくしたい。ところが、駐車場でまた、ひとパニックあり。どこまで、なんで何事ともあっさりスムースにいかない運命のヒトなのか。
  
 さて、皆さん、(議事録に載らない)常任委員会などの傍聴に際して、一県民にすぎない当方の上記の要求は、行きすぎでしょうか?
 ご意見、請う。  


Posted by やんばちゃん at 23:58Comments(1)報告

2010年03月16日

拙著、国会で田中康夫さんが紹介してくださいました

 ただ今、衆議院国土交通委員会のインターネット中継が行われています。
 五人の参考人が意見を述べ終わった後、10時15分過ぎ頃でしたが、質問のトップバッターにたった田中康夫さんが、なんと冒頭近くで、『八ッ場ダムー計画に振り回された57年』を手にされ、ご紹介くださったのです。
 グリーンと白のツートンカラーの表紙、どこかで見たなと思っている瞬間、電撃的な衝撃が走りました。
 なんと、私の本ではありませんか。

   渋川市正林堂(書店) 店内

     
  現在、委員たちの質問が、まだ続いています。
  http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php で同時中継
 また、後ほども見られます。
 見ごたえ、あります。

① 「衆議院インターネット中継」と打ち込み、検索してください。
② そして、国土交通委員会をクリックすると、観られます。

 以下に参考人や質問者のお名前などは、昨日、水源連メールに数度にわたりお知らせくださった水源連共同代表の遠藤さんのメールを転載させて頂きます。 とりあえず、ご紹介のみ。

//////////////////////////
明日の衆議院国土交通委員会はインターネットによりTV中継されます。
9時から12時半までの予定です。
下記URLからお入りください。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=TD
なお、嶋津氏が当日使用予定の配布資料については、終了後に水源連HPにも速報として掲載します。

Sent: Monday, March 15, 2010 11:37 AM
Subject: [suigenren] 緊急:明日16日の衆議院国土交通委員会(嶋津暉之氏が参考人として出席)傍聴募集。
> 皆さまへ(重複ご容赦)
> おはようございます。
> 遠藤保男です。
> 急なお知らせで申し訳ありません。
> 明日16日の衆議院国土交通委員会(9時から12時半)で八ッ場ダム問題について参考人を招致して意見を聴きます。
> 嶋津暉之氏が参考人の一人としてとして招致されました。 都合のつく方、傍聴をお願いします。

> 3月15日現在の情報です。
> 参考人は合計で6名を予定しているようですが、3月15日現在では、学識経験者4名がきまり、あと、知事も町長も都合がつかず、地元の人を1~2人交渉中ということです。
 ※その後、豊田明美(川原湯温泉旅館組合長)さんに決定
参考人
> 民主党推薦 嶋津暉之
> 自民党推薦 虫明功臣
> 公明党推薦 松浦茂樹(東洋大)
> 共産党推薦 奥西一夫  
質問する議員
  民主党枠 田中康夫
  自民党 徳田毅
   公明党 竹内譲
  共産党 塩川鉄也
    社民党 中島隆利
    みんなの党 柿澤未途   


Posted by やんばちゃん at 11:01Comments(3)紹介

2010年03月15日

県議会八ッ場特別委員会、現地へ

 明日の新聞に報道されることと思いますが、本日15日、県議会八ッ場特別委員会の議員団一行が、現地を訪れたと、さきほど長野原町への電話でうかがいました。
 午前中、視察。午後は町長を始めとした町幹部との意見交換会があったそうです。
 話の感じでは、ダム対策委員などがズラリといった感じではなかったようで、Uさんは「出てくれって言われて、出たんさ」と言ってましたけれど…… 

 何の視察でも、なんの会でも往々にしてそうなのですが、真相を見極め実相を探るというのは難しいものです。出席したメンバーによって構成され成立させるしかない枠の中での限界があることは前提ながら、そのなかでの意見を結論的に導くしか手立てがないのは、これまたしごく当たり前なのですけれど……、それで現地の意向がわかったなどと思い込むのは、ちょっと違う。
 果たして、政治家の委員さんたちはどこまで、現地の心を把握できたのでしょうか?

 今夕、苦々しいある会議を終えて帰宅した身には、余計にそう感じられます。
 まさに現地の実態、その真髄を把握しておらず、一般論しかわからない部外者の委員たちの一般常識に基づく意見で進められていくこの間の進行に、多弁な私にはあらず、じっと我慢の沈黙を続けるしかないと、覚悟している腹だたしい限りの会議からのご帰還です。
 何度か孤軍奮闘、華々しく抵抗してみましたが、結局、孤立するしかなく、登校拒否児の気持ちになった果てに、じっと観察し記録することに徹した次第です。  


Posted by やんばちゃん at 23:51Comments(0)八ッ場だより

2010年03月14日

千葉・神崎町“お蔵フェスタ”に行ってきました

 根の深いところでは幾筋もの共通項がありますが、ちょっと八ッ場ダム問題から離れます。 実家の恒例のツアーで、利根川のほとりにある千葉県香取郡神崎町に行ってきました。
 途中、車窓から江戸川区内の堤防よりも低い家並みを観て、建築許可を出す、さざるを得なかった課程の方が問題だとまたも思いました。

 神崎町には、自然酒「五人娘」・発芽玄米酒「むすひ」(※「むすび」と読む)などに加え、武田鉄也主演の映画「降りていく生き方」の骨格となった『発酵道』(河出書房新社)の著者・寺田啓佐さんの蔵としても注目されている、酒造元・寺田本家があります。近隣の無農薬栽培野菜などの生産者とともにアースディなどにも出店。人気の高まっている蔵元です。
 神崎町には二つの蔵元があります。
 ここで14日には「蔵元フェスタ」が町をあげて開催されました。寺田社長のトークによれば、「千葉で最も大きい蔵元と最も小さい蔵元の組み合わせ」とのことですが、大きいのは「鍋店」という本当に大きい、「仁勇」という銘柄の蔵元さん。そして、小さいのはお米から無農薬栽培し、昔からの酒づくりの手法、生もと(※きもとと言い、みとの漢字は西と言う篇の脇に元という字を書きます)という手間暇かかる酒を造っている寺田本家。
 
 群馬からは募集した定員いっぱいの枠の45名ほど、大型バスでかけつけました。
 ここ10年ほどは寺田本家さんの2月の蔵開きに併せて「新春ツァー」を企画し、お邪魔してきました。寺田社長のお話や蔵案内、そして奥さんの無農薬野菜の自然料理や飲み放題の新酒を味わって、実家のお得意さんたちは満腹感で帰られるのが通例でしたが、今回は趣向をかえて2月に訪れるのを延期。3年前から寺田本家さんも加わって年々、脚光を浴びている、「蔵元フェスタ」に、初めて参加してみた次第です。
 車中、義妹が「少しでも、皆さんのご負担を軽くしようと思って、例年、ガイドさんを頼まず私が勤めさせて頂いてます」という、その説明や、関連ビデオを見ていたら、長い時間をもてあまさないようにとツン読状態の本や新聞を一杯持参したのに読む間なし。
 次々に廻ってくる試飲の酒類。普段は酒類に手を出さない私も飲んでみました。確かに「むすひ」は、臓器の一つ一つが生き返るような、ほんものの味わいでした。
 
 前日、NHKで放映されたこともあるのでしょうか、バスが神崎駅付近に着くと、もう参加者が続々と歩いていて、群馬からの参加者は驚きつつ、町役場の駐車場へ到着。途中窓から見えた、道いっぱいの人込みに「えぇ」となったものでした。
 昨年は2万人以上の参加者、今年はもっと多いと伝わってます。
 縦横にのびた道路両側の出店数は130店舗とか。
 大きい蔵元の「鍋屋」さん独自の企画で20回くらいを数えた3年前から「寺田本家」さんも参加、町全体のイベントに発展したようです。人込みをかきわけて、私たち一行が寺田本家さんに着いたのは11時ちょっと前。神崎町長さんたちのあいさつが終わりかけた頃でした。さらに、最近は映画の余波もあるようで、寺田本家さんの敷地内は、酒類の試飲、そばやつきたてモチの列にはまさに長蛇の列とびっしりの人ごみ。
 ここでの催しは各種のライブと蔵の中でのトーク。半農半シンガーのYae(やえ)さんと寺田啓佐さんとトークはとってもにぎやかだったようでした。のんびりとかけつけた時は修了間際。
 町外れの屋台の現地の女性グループらしい店の、もりだくさんの100円ケンチン汁をほおばりつつ「これ、お安いですね」(でも、もしかしたら有機栽培ではなかったかもしれない?  )と隣にすわった男性と話しているうちに、寺田さんに頼まれたカメラマンとのことで、ふしぎなご縁のつながりにおしゃべりしてしまったのでした。
 でも、蔵の入口ではからずも、映画「降りていく生き方」の森田プロデューサーと悪徳市長役の権藤栄作さんに遭遇。ごあいさつが出来て良かったです。
 前橋の上映会後の懇親会の席で「弟たちがお世話になります」と挨拶した際に頂いた名刺によれば、森田さんの本業は弁護士。二つ頂いた権藤さんの映画のシーンもある個性的な名刺には「降りていく俳優 権藤栄作」。もう1枚には、なんと企画元「プレサリオ」の取締役社長の磯村健治さんとあったのです。お若い日の一時は俳優業もなさっていたとか? かなりの名演技者のはずでした。 で、続くお二人と寺田さんのトークはばっちり拝聴。
 この後には、映画の推薦人のお一人でもある加藤登紀子さんの娘さん、先のYae(やえ)さんの、今度は戸外でライブショウもあったのですが、帰途の集合時間の15時半がせまっていて断念。(なんと、都内の大渋滞中の退屈しのぎに、義妹が選んだビデオは、高齢化社会の姿を描いた「折り梅」。その老人施設の施設長役はその加藤登紀子さんなのでした)
 
 ほんものの酒は、豊かに精神をつくるように思います。
 寺田さんももともとは酒税法にもとづく酒を造っていたけれど、往き詰まって末の模索だったそうでした。
 戦後の合成酒や添加物入りの酒を飲まされた世代の人々に、こういう昔からのお酒を飲ませたかったなとしみじみ思いました。
 元来、酒を飲めなかったわが亡き父は、私の小さい頃、味噌・醤油類のひき売り先のお得意さんで出されるお酒に酔ってご機嫌な時もありましたが、時に供された合成酒とやらにあてられて、蒼い顔で帰ってきて往生していたのを子供心にかすかに覚えています。確か「ありゃ、ナオシだったんだ」とかの言葉を口にしていたように記憶しています。
 父の晩年に取得した酒類免許。その免許制のために、父の急死によって、進路をあきらめ跡を継いだ弟。そして、寺田本家さんとのうれしいご縁……
 本来、酒は百薬の長だったはず。母方の祖父は、まだ量り売りだった大好きな酒を買いに行く時は、一滴たりとも水分がまざらないように容器を周到に干しておいて楽しみに求めに行ったと、亡き母は語っていた。
 添加物が野放し状態で次々に登場した1960年代。
 梅雨時にはワカメや煮干しなどの乾物類に、青カビはつきものだった。それがいつの間にかカビなくなった。玉ねぎにも芽がでなくなった。
 商い屋の主婦として、売れ残りのしかもその最もカスの部分を食さざるをえなかった母は、土に親しむことを好み「(商売よりも)百姓のままでいたかった」が口癖の極めて自然志向の強い人だったが、終生、望みは何一つ叶わない人でもあった。
  亡くなる数日前、膵臓ガンの疑いありと診断された時に、直感的に私は、長年飲んでいたリューマチの治療薬の毒々しい色つき薬剤などや、近年の食材の変化や新食材にあると感じたものだった。
 だから、弟夫婦が、20年近く前、店内のそれまでの流通品を放りだし、自然食品の店に衣替えした時には、近隣農家の「無農薬で野菜が作れるか」などのかげ口の声もあったり、厳しい経営状態の時もあったようでしたが、心ひそかに応援してきたつもり。 そして、このツアーの回数を重ねるのと共に、少しづつ理解ある層との連携の輪が広がってきている。
 
 「食の安全性」のわかる方たちは、ダムを始めとした大型コンクリート文化のカラクリもご理解くださるものと感じている。
 
 最後はお願いごとにて。
 ① 映画「降りていく生き方」の、近々開催の八王子と江戸川の2会場の集まりが悪いようですので、お近くの方やネットをお持ちの方、よろしくお願いいたします。バスの中で私の隣の席に座られたお若いカップルも、無農薬野菜のネットを通じて、呼びかけてみるとか言ってくれてました。
      http://www.nippon-p.org/mov.html
   3月 22日 (月曜日)  終日 上映 in 東京都・八王子:(3回上映&ゲスト)
   3月 25日 (木曜日)  終日 上映 in 東京・江戸川区:(3回上映)
     さらに、  4月 10日 (土曜日)   終日 上映 in 愛知県・名古屋(2回上映)
           4月 24日 (土曜日)   終日 上映 in 高梁市・岡山県(2回上映)

② 前橋にお見えの際、森田プロデューサーと盛り上がってしまったのですが、是非、上映会を八ッ場現地で行いたと念じております。「しかし、人数的にどうて゜しょうか」とは申し上げてまいりました。何か、お知恵ありませんでしょうか?  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)紹介

2010年03月13日

ホントになかった、小寺前知事の肖像画

 昨日、常任委員会の午前の部終了後、県庁内で所用を終えて、やはり、午後の傍聴は止めると決心。
 再び通路を通って県議会に戻り、五階のロビーから、エレベーターに乗って一階の受付に行こうとした際に、これまでは気にならなかった右手奥の広いガラス戸越しの部屋が目にとまりました。
 一面のガラス戸の奥にはカウンターがあり、ホテル並みの構えながらそこはかながらものものしい雰囲気も漂ってました。何だろうと思って近づくとガラス戸の左手にめだたぬ大きさの文字で「秘書室」とあり、奥には肖像画がズラリと掲げられています。
 「秘書課」と言う課があることくらいは知っている単純脳細胞に、これまた短絡的に「そうだ、歴代知事の写真とやらを見ていこう」とひらめきました。
 この根底には県議会を騒然とさせたという、去る八日の後藤県議の例の質問、「小寺前知事の肖像画が未だ掲げられないのはどういう゜理由なのか」があったからです。
 後藤県議は、小寺前知事の知事時代のブレーンで、落選・知事失職とともに職を辞し県議会議員になった方です。自民党県議団が前知事との確執から、この方を副知事にしようとする小寺知事に対して、再三にわたり抵抗を示し、亀裂の一因となったことは群馬県民ならほとんどの者が知っているという経緯があります。

 昼どきだったのに、男性職員が出てこられた。こうなったら、ひき返したらかえっておかしい。
 「歴代知事の肖像画って、あれですか」と臆面もなくきりだした。「いえ、ここは議長の秘書室ですので、歴代議長のものだけです」との答え。
 このおばさん、すっかり、県庁舎と議会棟とを混同していた。
 しかも、各自治体の議長に議長室があるのは知っていたが、県議会の議長ともなれば、こんな立派な秘書室があるなんてことも、全く予想もしていなかった。しかも、昼どきなのに男性二名、女性一名の職員の姿が、ガラス戸越しにあった。
 まだ、混同がとけきれずに、「じゃあ、知事の肖像画は」と臆面もなく、めげずに問い直す始末。
 「それは県庁舎内六階の知事室の前のロピーです」と困惑気味ではあるが、職業柄もあってか、それでも懇切な対応であった。めげずに「行っていいのかしら」とさらに問うと、「たぶん、大丈夫とは思いますが、担当が違いますのでわかりかねます……」
 
 半開きになったガラス戸正面の写真は部屋の奥にまで続いているらしく、確かに歴代知事にしては数が多すぎる。目線の先を読んでか、この嫌みの感じられない親切な職員さんは、「ご覧になっていかれますか?」と笑顔で問いかけてくださった。
 そうだよな、こんな機会でもなければ入れないなと考えて、「よろしいですかぁ」と言うと、「どうぞ、どうぞ」と室内へ案内してくださった。 
 左手に折れ、通りすがりにかいま見た、すぐの議長室の豪華さには、目を見張った。調度品野一つ一つが輝いてみえる。
「うをぁ、豪華ですねぇ」と口を衝いて出た。それだけで止めておけば良いのに、「さすがは、自民党さんの天下の群馬県ですね」とまたもヒト言余分ごとを繰り出した上に、「一般県民には恐れ多くて」とまで。鍵の手になった続く部屋は応接間。その前にも歴代議長の写真が処せましと。この辺りまでくると、知っている大物県議さんたちの顔が並んでいた。
 確か、副議長室もあるとか。
 
 あぁ、これだもの。男社会の中では、議員になるのが夢。議員になれば役職を欲しがるはず。何年か前に高崎市での議長選で、成りたくてたまらなかったベテラン議員が金を配って買収行為をしたことが明るみに出たっけ。
 そう言えば、地方議員の端くれだった時、歴代議長の肖像画がズラリとならんだ合併前の町議会の議長室には、同級生の議長からのご叱責にて呼ばれたため出入りしたけれど、編入合併した高崎市の議長室はどこにあったのか、お邪魔ムシ的新参者の縁なき身では知らなかった。行ってみようかなどと思いもしなかったけれど、市レベルでも秘書室はあったのだろうか。

 さて、駐車場に向かいながら、思い切って県庁内の知事室前のロビーにも。
 通路への入り口は、どういうわけか、大振りの観葉植物の鉢群に閉ざされていましたか゜、間を縫って侵入。
 五代目の八ッ場ダムに懐疑的だったため、自民党福田派に追われた神田知事の肖像画の後は、福田派の肝いりで登場の八ッ場ダムを仕上げとされる清水知事。で、その後は長い壁面が空白のまま。

 こんなことに税金を使うことない、大沢県政は賢政と呼ぶべきなのか。それとも、単なる意地のはりあい。
 どっちにしても、疑うことなくどこの自治体でも続く慣習というか悪習に近い仰々しさ。小さい自治体ほど価値観の増す、それらを県がお手本を示すことは良いことに相違ない。
 先々の意識改革につながる。
 ところで、知事室はもっと豪華なのだろうか。帰途、根が浅はかな身には気になることの一つであった。 応接室には入ったことがあったが、ただ広かったが、議会よりも質素だったような記憶がある。  


Posted by やんばちゃん at 23:55Comments(0)紹介

2010年03月12日

常任委つかの間、傍聴記。議会は誰のもの?

 かねて依頼しておいた情報公開の公開日が、本日10時。 そして、同じ時刻から、県議会常任委員会の日でもありました。

 で、情報公開室で、文書を数種類うけとってみると、議会に上程された際の特定ダム対策課の説明が抜けていたので同課の職員さんに問うと、結局、立ち会いの情報公開室の担当者が「それなら、議事録にあるはず」というので、と所蔵棚まで一緒に行って探してもらった上に、「手間とるようだったら、委員会の傍聴に行ってくるから、係の方に渡しておいてくださいません?」とちゃっかりお願い。
 「八ッ場ダム問題」し同特別委員会でという妙な不文律のため、触れないのは分っていたので、傍聴は迷っていたけれど、ここで探してもらう時間を待つよりは良いとふんだのでした。
 5階の議会棟への通路へ出るため、エレベーターにのると〇〇新聞社の記者に。議会棟への通路では今度は他新聞の記者にあい、4階までしゃべりながら進み、1階の受付で手続きをして階段を再度、上ると、またもう一人。この記者も4階へ。4階には総務企画・厚生文化の二つの常任委員会が開かれていた。
 3階で開かれていた産経土木常任委員会はひっそりしていた。もちろん、傍聴席は私一人。記者席も二名のみ(昼ちかく、もう一人見えたが)。
 10時半に近かったが、記者さん達のご出勤時間は、おそらく「付託議案の概要・内容」の説明を過ぎて質疑の時間に入る頃をみはからっているのかもしれないなと、席についてからひらめいた。
 県課長クラスが説明してくださるのは、分厚な議案書による。耳で利いても意味不明。もちろん、記者には配布ずみ。この日は50分程度だったが、長い時は一時間を超える場合もあって苦痛極まりない。しかし、初回は緊張してご拝聴していた。お葬式の読経の部分に相当する時間である。
 せめて傍聴者にも、時間のロスなので傍聴中のみで良いから、レンタルしてくれないかなと思ったものである。
 フカフカ椅子にふんぞり返って私語を交わす議員サマやテーブルのあるマスコミとの差をつけすぎる。必あまりに差があり、然的にこちらも「聴かせて戴いている身」として卑屈にへりくだってしまう。
 議会は誰のためにある。
 大沢知事も過日の後藤県議の質問、「県庁は誰のもの」に答えて「県庁は県民のためにある」と明言していられたではないか。
 
 八ッ場がないから、議題は前橋市元総社町の老朽県営住宅地の再開発や下水道・浄化槽などの都市問題が多かった。
 最初の質問者は副委員長の萩原渉議員。吾妻郡選出である。上信自動車道のことなどの質問をくりだされていたが、特にのこったのは、「町中再生・中心市街地活性化」問題」へのご提案。
 いいことをおっしゃっていた。
 あわてて、メモった萩原議員の言語録をご紹介。
 “町中に人口をはりつけろ”とのキャッチフレーズを援用し、ある町中に2000人収容の学生寮を建設したら、活性化した例があるそうであった。是非、この“人口貼り付け方式”を用いられて、前政権の失策にて人口流出に歯止めのかからず窮状にひんしている、八ッ場現地の活性化の先頭に立たれて戴きたいものである。
 また、県行政にとって多年の難物的課題だったらしい元総社町の老朽化した県営住宅問題でのご意見の中で、しきりに「プロポーザル方式の導入を行い、企業の知恵をかりろ」と力説されていられた。
 が、プロポーザル方式の中味を知りだした身には、異論があった。
 確かに新技法の英知がちりばめられたプロポーザル方式には魅力と吸引力があるが、現実にはたった一社の場合もある。しかも条件に限定枠で、ある意中の企業しか応募できないプロポーザル方式もあるからである。提案してみようかと思う次第である。
 
 で、手元のメモ書きには、「企業の知恵ではなく、本来は県民の知恵に基づく」と記してあった。
 広く県民の知恵と提案も、募るべきでは?  ものごとを最もよく知っているのは、地形や風土を知り,実際に生活体験のある地元民であ。
 この間の小さな町議会での体験で味わってきたのだが、議員が一般質問などで力説、特に自民党さん系の議員さんたちが多かったが、後日、全容が浮かび出ることがあった。あらかじめ予想がつく同僚議員は、「見てみろ、ヤッコさん。〇〇筋に頼まれているんだんべから、一生懸命だいな」。思えば、三人称に「やっこさん」なる語が、仮にも議員サマに対してもまかり通る町なのでした。
 
 ま、その折の体験が感覚的に浮上したわけではなかったが、ちょっぴりひっかかった次第である。
 続く、笹川議員の質問で、午前中は終了。
 聴いていて、ムダな質疑はないけれど、家に雑事・家事が山積み。一時間半のみの傍聴にて、午後の傍聴は思い切って断念。
  ※実は、当初の表題は、「議長室の豪華さに驚きました」であった。そして、知事室前のロビーでのことなどを記すつもりだったのだが、余分ごとまで記し過ぎるから、書いているうちに止められずに紙幅がつきてしまいました。    


Posted by やんばちゃん at 23:59Comments(0)紹介