グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年03月14日

千葉・神崎町“お蔵フェスタ”に行ってきました

 根の深いところでは幾筋もの共通項がありますが、ちょっと八ッ場ダム問題から離れます。 実家の恒例のツアーで、利根川のほとりにある千葉県香取郡神崎町に行ってきました。
 途中、車窓から江戸川区内の堤防よりも低い家並みを観て、建築許可を出す、さざるを得なかった課程の方が問題だとまたも思いました。

 神崎町には、自然酒「五人娘」・発芽玄米酒「むすひ」(※「むすび」と読む)などに加え、武田鉄也主演の映画「降りていく生き方」の骨格となった『発酵道』(河出書房新社)の著者・寺田啓佐さんの蔵としても注目されている、酒造元・寺田本家があります。近隣の無農薬栽培野菜などの生産者とともにアースディなどにも出店。人気の高まっている蔵元です。
 神崎町には二つの蔵元があります。
 ここで14日には「蔵元フェスタ」が町をあげて開催されました。寺田社長のトークによれば、「千葉で最も大きい蔵元と最も小さい蔵元の組み合わせ」とのことですが、大きいのは「鍋店」という本当に大きい、「仁勇」という銘柄の蔵元さん。そして、小さいのはお米から無農薬栽培し、昔からの酒づくりの手法、生もと(※きもとと言い、みとの漢字は西と言う篇の脇に元という字を書きます)という手間暇かかる酒を造っている寺田本家。
 
 群馬からは募集した定員いっぱいの枠の45名ほど、大型バスでかけつけました。
 ここ10年ほどは寺田本家さんの2月の蔵開きに併せて「新春ツァー」を企画し、お邪魔してきました。寺田社長のお話や蔵案内、そして奥さんの無農薬野菜の自然料理や飲み放題の新酒を味わって、実家のお得意さんたちは満腹感で帰られるのが通例でしたが、今回は趣向をかえて2月に訪れるのを延期。3年前から寺田本家さんも加わって年々、脚光を浴びている、「蔵元フェスタ」に、初めて参加してみた次第です。
 車中、義妹が「少しでも、皆さんのご負担を軽くしようと思って、例年、ガイドさんを頼まず私が勤めさせて頂いてます」という、その説明や、関連ビデオを見ていたら、長い時間をもてあまさないようにとツン読状態の本や新聞を一杯持参したのに読む間なし。
 次々に廻ってくる試飲の酒類。普段は酒類に手を出さない私も飲んでみました。確かに「むすひ」は、臓器の一つ一つが生き返るような、ほんものの味わいでした。
 
 前日、NHKで放映されたこともあるのでしょうか、バスが神崎駅付近に着くと、もう参加者が続々と歩いていて、群馬からの参加者は驚きつつ、町役場の駐車場へ到着。途中窓から見えた、道いっぱいの人込みに「えぇ」となったものでした。
 昨年は2万人以上の参加者、今年はもっと多いと伝わってます。
 縦横にのびた道路両側の出店数は130店舗とか。
 大きい蔵元の「鍋屋」さん独自の企画で20回くらいを数えた3年前から「寺田本家」さんも参加、町全体のイベントに発展したようです。人込みをかきわけて、私たち一行が寺田本家さんに着いたのは11時ちょっと前。神崎町長さんたちのあいさつが終わりかけた頃でした。さらに、最近は映画の余波もあるようで、寺田本家さんの敷地内は、酒類の試飲、そばやつきたてモチの列にはまさに長蛇の列とびっしりの人ごみ。
 ここでの催しは各種のライブと蔵の中でのトーク。半農半シンガーのYae(やえ)さんと寺田啓佐さんとトークはとってもにぎやかだったようでした。のんびりとかけつけた時は修了間際。
 町外れの屋台の現地の女性グループらしい店の、もりだくさんの100円ケンチン汁をほおばりつつ「これ、お安いですね」(でも、もしかしたら有機栽培ではなかったかもしれない?  )と隣にすわった男性と話しているうちに、寺田さんに頼まれたカメラマンとのことで、ふしぎなご縁のつながりにおしゃべりしてしまったのでした。
 でも、蔵の入口ではからずも、映画「降りていく生き方」の森田プロデューサーと悪徳市長役の権藤栄作さんに遭遇。ごあいさつが出来て良かったです。
 前橋の上映会後の懇親会の席で「弟たちがお世話になります」と挨拶した際に頂いた名刺によれば、森田さんの本業は弁護士。二つ頂いた権藤さんの映画のシーンもある個性的な名刺には「降りていく俳優 権藤栄作」。もう1枚には、なんと企画元「プレサリオ」の取締役社長の磯村健治さんとあったのです。お若い日の一時は俳優業もなさっていたとか? かなりの名演技者のはずでした。 で、続くお二人と寺田さんのトークはばっちり拝聴。
 この後には、映画の推薦人のお一人でもある加藤登紀子さんの娘さん、先のYae(やえ)さんの、今度は戸外でライブショウもあったのですが、帰途の集合時間の15時半がせまっていて断念。(なんと、都内の大渋滞中の退屈しのぎに、義妹が選んだビデオは、高齢化社会の姿を描いた「折り梅」。その老人施設の施設長役はその加藤登紀子さんなのでした)
 
 ほんものの酒は、豊かに精神をつくるように思います。
 寺田さんももともとは酒税法にもとづく酒を造っていたけれど、往き詰まって末の模索だったそうでした。
 戦後の合成酒や添加物入りの酒を飲まされた世代の人々に、こういう昔からのお酒を飲ませたかったなとしみじみ思いました。
 元来、酒を飲めなかったわが亡き父は、私の小さい頃、味噌・醤油類のひき売り先のお得意さんで出されるお酒に酔ってご機嫌な時もありましたが、時に供された合成酒とやらにあてられて、蒼い顔で帰ってきて往生していたのを子供心にかすかに覚えています。確か「ありゃ、ナオシだったんだ」とかの言葉を口にしていたように記憶しています。
 父の晩年に取得した酒類免許。その免許制のために、父の急死によって、進路をあきらめ跡を継いだ弟。そして、寺田本家さんとのうれしいご縁……
 本来、酒は百薬の長だったはず。母方の祖父は、まだ量り売りだった大好きな酒を買いに行く時は、一滴たりとも水分がまざらないように容器を周到に干しておいて楽しみに求めに行ったと、亡き母は語っていた。
 添加物が野放し状態で次々に登場した1960年代。
 梅雨時にはワカメや煮干しなどの乾物類に、青カビはつきものだった。それがいつの間にかカビなくなった。玉ねぎにも芽がでなくなった。
 商い屋の主婦として、売れ残りのしかもその最もカスの部分を食さざるをえなかった母は、土に親しむことを好み「(商売よりも)百姓のままでいたかった」が口癖の極めて自然志向の強い人だったが、終生、望みは何一つ叶わない人でもあった。
  亡くなる数日前、膵臓ガンの疑いありと診断された時に、直感的に私は、長年飲んでいたリューマチの治療薬の毒々しい色つき薬剤などや、近年の食材の変化や新食材にあると感じたものだった。
 だから、弟夫婦が、20年近く前、店内のそれまでの流通品を放りだし、自然食品の店に衣替えした時には、近隣農家の「無農薬で野菜が作れるか」などのかげ口の声もあったり、厳しい経営状態の時もあったようでしたが、心ひそかに応援してきたつもり。 そして、このツアーの回数を重ねるのと共に、少しづつ理解ある層との連携の輪が広がってきている。
 
 「食の安全性」のわかる方たちは、ダムを始めとした大型コンクリート文化のカラクリもご理解くださるものと感じている。
 
 最後はお願いごとにて。
 ① 映画「降りていく生き方」の、近々開催の八王子と江戸川の2会場の集まりが悪いようですので、お近くの方やネットをお持ちの方、よろしくお願いいたします。バスの中で私の隣の席に座られたお若いカップルも、無農薬野菜のネットを通じて、呼びかけてみるとか言ってくれてました。
      http://www.nippon-p.org/mov.html
   3月 22日 (月曜日)  終日 上映 in 東京都・八王子:(3回上映&ゲスト)
   3月 25日 (木曜日)  終日 上映 in 東京・江戸川区:(3回上映)
     さらに、  4月 10日 (土曜日)   終日 上映 in 愛知県・名古屋(2回上映)
           4月 24日 (土曜日)   終日 上映 in 高梁市・岡山県(2回上映)

② 前橋にお見えの際、森田プロデューサーと盛り上がってしまったのですが、是非、上映会を八ッ場現地で行いたと念じております。「しかし、人数的にどうて゜しょうか」とは申し上げてまいりました。何か、お知恵ありませんでしょうか?  


Posted by やんばちゃん at 23:53Comments(0)紹介